魔法少女まどか☆マギカ [異編] 反逆のキュゥべえ   作:折無堂

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29. 続いている時間

 四人は、止まった。

 瓦礫の上に、ばらばらに投げ出されていた。

 マミのリボンが、最後の最後まで四人を包んでいた。黄色い布のような光は、衝撃を受け止めきれずに何層も裂けている。それでも、完全には千切れていなかった。

 

 杏子の槍は、地面に深く突き立っていた。赤い節が何本も伸び、さやかの身体と、マミの足元と、ほむらの盾の縁を辛うじて引っかけている。もしそれがなければ、もっと遠くまで吹き飛ばされていたかもしれない。

 

 さやかは、瓦礫の上に片膝をついていた。剣は手から離れていない。

 ほむらは盾を構えたまま、地面に片手をついている。胸の奥が軋む。今の一撃は、時間を遅らせても重かった。遅らせたからこそ、どれだけ重いか分かった。

 

 しばらく、誰も動かなかった。

 

 まどかの声だけが聞こえた。

「みんな……!」

 返事をしたのは、さやかだった。

「……痛ったぁ」

 その声が、あまりにも普通だった。普通に痛がっていた。

 命が消えかけた声ではなかった。

 

 さやかは剣を杖のようにして、ゆっくり立ち上がる。

「今のは、痛かったなあ」

 杏子が、瓦礫の向こうで小さく笑った。

「軽いな、お前」

「いや、痛いもんは痛いでしょ」

「そりゃそうだ」

 杏子も立ち上がった。槍を引き抜く。地面に深く刺さった穂先が、嫌な音を立てて抜けた。杏子は肩を回し、顔をしかめる。

 

「……くそ。腕持ってかれるかと思った」

「佐倉さん、大丈夫?」

 マミが聞く。

 

 マミも立っていた。

 リボンは何本も裂けていたが、彼女自身は倒れていなかった。帽子が少し歪み、髪が乱れている。

 それでも、立っている。

 

「大丈夫だよ。マミの方こそ」

「ええ」

 マミは胸元に手を当てた。

「痛いけれど、動けるわ」

 

 ほむらも、ゆっくり立ち上がった。

 盾を下ろす。左腕が痺れている。指先が冷たい。胸元のソウルジェムは、少し強く脈打っていた。だが、濁ってはいない。

 

 ――今のを、四人で受けた。

 防いだわけではない。完全に止めたわけでもない。

 吹き飛ばされたし、痛かった。

 

 傷もある。けれど、生きている。

 誰も砕けていない。

 誰も消えていない。

 

 今までなら。

 

 ほむらは、息を吐いた。

 今までなら、これで終わっていた。

 マミのソウルジェムが砕けていたかもしれない。

 杏子の身体が千切れていたかもしれない。

 さやかが動かなくなっていたかもしれない。

 自分は時間を戻すしかなかったかもしれない。

 まどかは、契約していたかもしれない。

 

 でも、そうはならなかった。

「……今のを防げただけでも」

 ほむらは、空を見上げた。

「今までとは違う」

 

 ワルプルギスの夜は、そこにいた。

 笑っていなかった。

 

 巨大な魔女は、起き上がったような姿勢のまま、空に浮かんでいる。歯車も、瓦礫も、舞台装置も、回ってはいる。あの耳障りな笑い声は消えていた。

 

 ただ、見ている。見ているように見える。

 

 ほむらは、思わず魔女を睨みつけた。

 こんなワルプルギスの夜は、見たことがなかった。

 

 何度も見た。

 何度も挑んだ。

 何度も敗れた。

 

 笑いながら街を壊し、笑いながら魔法少女を叩き潰し、笑いながら嵐のように過ぎていく災害。

 

 それが、今は笑っていない。

「……何で」

 さやかが剣を構え直した。

「何もしてこないの」

 杏子も槍を構える。

「罠か?」

 マミのリボンが、静かに広がった。

「分からないわ。でも、気を抜かないで」

 

 ほむらは、ワルプルギスの夜から目を離さなかった。

 次が来る。ほむらは、そう思っていた。

 

 瓦礫かもしれない。風かもしれない。巨大な歯車を落としてくるかもしれないし、さっきのように時間と空間の境目そのものを曖昧にして、一度では受けきれない攻撃を重ねてくるかもしれない。

 

 どれが来ても対応できるよう、盾にはもう手をかけている。

 視界の端では、マミもリボンを広げたまま動いていない。杏子の槍も下がらず、さやかも剣を構え直している。誰も終わったとは思っていなかった。

 

 なのに、来ない。

 ワルプルギスの夜は、空に浮かんだままだった。

 歯車は回っている。周囲の瓦礫もまだ魔力の流れに巻かれ、ゆっくりと空を巡っている。魔力反応そのものが弱くなった様子もないし、先ほどの一撃で動けなくなったとも思えない。

 

 それでも、こちらへの攻撃だけが途絶えていた。

 ほむらは眉を寄せた。

 一秒が過ぎる。

 さらに一秒。

 戦いの最中なら、それだけでも長すぎる。

 

 これほど立て直す時間を与えられたことが、今までにあっただろうか。

 ワルプルギスの夜は、いつも止まらなかった。笑いながら瓦礫を降らせ、街ごと風に巻き込み、こちらが次の手を考えるより先にまた攻撃を重ねてくる。

 

 何度も見た。

 何度も、その速さに追いつけずに負けた。

 

 だからこそ、ほむらには分かった。

 これは休んでいるのではない。

 弱っているのでもない。

 何かが違う。

 今のワルプルギスの夜は、おかしい。

 

「……何をしているの」

 ほむら自身、誰に問いかけたのか分からなかった。返事などあるはずもない。

 ワルプルギスの夜は、ただこちらを向いたまま空に浮かんでいる。

 笑わない。襲ってこない。進みもしない。

 

 それが、ほむらには攻撃されるより気味が悪かった。

 攻撃なら、まだ分かる。避けるか、止めるか、逸らすか。どうしても間に合わなければ、時間を戻す。

 

 何度もそうしてきた。

 けれど、何もしないワルプルギスの夜を、ほむらは知らない。

 

「……何待ってんだ、こいつ」

 杏子の声がした。

 ほむらは答えられなかった。

 

 待っているとしても、何を待っているのか。

 こちらが動くことか。魔力を使い切ることか。それとも、さっき四人で放った一撃が、ワルプルギスの夜の中で何かを変えたのか。

 

 どれも確かめようがない。

 分からないということ自体が、ひどく不快だった。

 

 ワルプルギスの夜は、ほむらにとってずっと災害だった。

 意図を読む必要などなかった。笑いながら現れ、街を壊し、魔法少女を押し潰し、そのまま通り過ぎていく。

 何度敗れても、その在り方だけは変わらなかった。

 だから、倒せなかったとしても、何をしてくるのかは知っていた。

 

 今は違う。

 こちらを見た。

 明確に狙って攻撃した。

 そして、そのあとで止まった。

 

 ほむらは、空に浮かぶ巨大な影を見つめる。

 まるで――こちらを見たうえで、次にどうするかを考えているように。

 

 ほむらは、その考えが浮かんだ瞬間、自分で否定したくなった。

 ワルプルギスの夜が、こちらを見て、何かを判断している。

 そんなものを、自分は一度も見たことがない。

 

 魔女が何もしてこない。そんなことがあったか。

 少なくとも、自分の知る時間にはなかった。

 

 ワルプルギスの夜は災害だった。

 止まらず、考えず、待たない。

 ただ、笑って壊す。

 それが今、止まっている。

 

 四人は、誰からともなく動いた。

 さやかが半歩下がり、杏子の槍の届く範囲へ入る。杏子はその動きを見ずに、自然と斜め前へ出た。さやかの前に立つのではなく、さやかが踏み込める横を空ける位置。

 マミは後方へ下がる。逃げるためではない。四人全員をリボンで包める距離を取るためだった。

 

 ほむらは、その三人の位置を見て、自然と中心線から少し外れた場所へ移動した。

 時間を合わせる位置。

 

 四人は、命令されずに連携できる距離へ寄っていた。

 

 ワルプルギスの夜が、それを見たのか。あるいは、見てすらいなかったのか。

 分からない。

 

 巨大な魔女は、しばらくそのままだった。

 

 本当に、何もしなかった。

 

 笑わない。

 攻撃しない。

 瓦礫を落とさない。

 風を強めない。

 

 ただ、四人を見下ろすように浮かんでいる。

 

 まどかは、キュゥべえを抱いたまま、その光景を見ていた。腕の中のキュゥべえは、いつもなら何か言ったはずだった。

 

 観測不能。

 反応が変わった。

 魔力構造がどうとか。

 感情に類似する揺らぎがどうとか。

 

 でも、何も言わなかった。

 まどかは少しだけ腕に力を込める。

「キュゥべえ?」

 白い獣は、答えた。

「見ている」

 それだけだった。

 

 ワルプルギスの夜が、ゆっくり動いた。

 

 四人が同時に身構える。

 だが、攻撃ではなかった。

 巨大な身体が、再び傾く。

 起き上がっていたように見えた姿が、また裏返っていく。まるで、興味を失った子どもが、手に取った玩具を床へ置くように。

 

 笑い声は戻らない。

 ただ、風が変わった。

 魔女の周囲を回っていた瓦礫が、少しずつ遠ざかっていく。歯車が軋み、舞台装置のような影が空の奥へ流れていく。

 

「……去るの?」

 マミが呟いた。

「追うか?」

 杏子が聞く。

 

 ほむらは答えられなかった。

 追えるのか。

 追うべきなのか。

 追ったところで、倒せるのか。

 

 さやかが剣を握りしめる。

「今なら、もう一回――」

「待って」

 ほむらが言った。

 自分でも驚くほど、静かな声だった。

 

「今の私たちは、生き残った。もう一度踏み込めば、今度こそ崩れるかもしれない」

 さやかは唇を噛んだが、反論はしなかった。

 杏子も、槍を下ろさないまま黙る。

 マミは、静かに頷いた。

 

「勝利条件は、撃破ではない」

 キュゥべえの声だった。

 まどかの腕の中から、白い獣が言う。

「鹿目まどかは未契約。魔法少女損耗数ゼロ。魔女化移行数ゼロ。ソウルジェム破壊なし。ワルプルギスの夜は、見滝原中心部への進行を停止し、逸脱しつつある」

 

 さやかが、少しだけ笑った。

「つまり?」

 キュゥべえは答えた。

「勝ったとは言えない」

 

 杏子が鼻を鳴らす。

「そこから言うなよ」

「でも、負けていない」

 

 四人は、空を見上げた。

 ワルプルギスの夜は遠ざかっていく。笑わないまま。

 

 朝の光が、少しずつ空の端に広がっていた。

 ほむらは、盾を下ろした。

 まだ終わっていないのかもしれない。

 また来るのかもしれない。

 何かを残していくのかもしれない。

 

 それでも。

 今、時間は戻っていない。

 まどかは契約していない。

 四人は立っている。

 

 ワルプルギスの夜は、去っていく。

 

 ほむらは、息を吸った。胸が痛い。腕も痛い。身体中が軋んでいる。その痛みすら、今は確かだった。今が、続いている。

 

「……終わったの?」

 まどかの声がした。

 ほむらは振り返らなかった。

 空を見たまま答えた。

「分からないわ」

 少しだけ間を置く。

 

 そして言った。

「でも、今は続いている」

 

 風が吹いた。それはもうワルプルギスの夜の風ではない。

 髪や衣装を乱暴に叩くのではなく、高台を静かに抜けていく、ただの夜風だった。

 雲の向こうが少しずつ白み、夜が薄れていく。

 四人は、まだ並んで立っていた。

 

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