Fallout:GODDESS ―灰の世界から女神たちへ― 作:記録官
Vault-Nの建設が始まってから四十日ほどが経つ頃には、地下へ足を踏み入れた時の印象は大きく変わっていた。中央区画と医療区画はすでに実用可能な状態へ入り、ニケ用の整備設備も二基が稼働している。工房、発電設備、備蓄庫、居住区も順番に形を整え、当初の図面にはなかった追加区画まで掘削が始まっていた。
それでも、施設全体を見れば空いている場所の方がまだ多い。医療ベッドは大半が未使用で、食堂の机も全て埋まったことはなく、完成した居住区には誰の名前も入っていない部屋がいくつも並んでいる。リリスはその静けさを以前「少し寂しい」と評したが、ネイトは人が来てから床に寝かせるよりはいいと言い続けていた。
「第三居住ブロック、電力通りました」
工房の入口から顔を出したスノーホワイトが端末を見せる。そこには設備ごとの消費電力と、非常時にどこまで切り離せるかが細かく表示されていた。
「水は?」
「昨日終わってます。換気も問題ありません」
「じゃあベッド運べるな」
「その前に床の最終確認です。ネイトさん、この前みたいに勝手に家具を入れないでください」
「椅子を三脚置いただけだろ」
「まだ検査前でした」
「座れたぞ?」
「そういう問題じゃありません」
スノーホワイトに睨まれ、ネイトは両手を上げた。ウェイストランドでは屋根があり、床が抜けず、放射線さえ酷くなければ十分な住居だったが、この場所へその基準を持ち込むたびに止められることにも、もう慣れている。
その時、通路の向こうからエイブが歩いてきた。彼女はいつものように作業用端末を片手にしていたが、表情を見る限り、新しい部品の話をしに来たわけではなさそうだった。
「入口に車が来た」
「補給?」
「違う。中央政府」
ネイトの手が止まる。
「予定あったか?」
「ない」
「じゃあ誰だ?」
「オスワルド」
聞き覚えのない名前だった。
「知り合い?」
「私は知ってる」
「どんな奴?」
エイブは少し考えてから、端末を閉じた。
「命令された仕事を途中で投げない男だ。探せと言われたものは探すし、確認しろと言われたものは確認する」
「優秀じゃないか」
「隠し事をしている側から見ると面倒だ」
「なるほど」
現在のVault-Nは中央政府へ全容を届け出た施設ではない。アンダーソンの裁量で後方支援設備として処理されているが、実際には申告以上の資材が流れ、地下では今も拡張工事が続いている。違法な物資を横流ししているわけではなくても、数字だけを追えば目立つのは当然だった。
「俺が行く」
「何を話す?」
「聞かれたことのうち、話していいこと」
「曖昧だな」
「エイブにだけは言われたくない」
ネイトが入口へ向かおうとすると、スノーホワイトも後ろから声を掛けた。
「ネイトさん」
「分かってる」
振り返らずに答える。
「勝手に喋らない」
「ならいいです」
信用されているのかいないのか、判断の難しい返事だった。
◇
地上へ通じる搬入口には、一台の軍用車両が停まっていた。周囲には護衛が二人立っており、その少し前で一人の男がVault-Nの入口を観察している。背広だけを着た官僚という印象ではなく、自分で現場を歩くことを前提とした装備を身につけ、手元には端末と記録帳の両方を持っていた。
ネイトが近づくと、男は入口から視線を外した。
「ネイト・フォーリーさんですか?」
「そうだ」
「中央政府のオスワルドです。突然の訪問となり、申し訳ありません」
差し出された手をネイトも握った。力を測るような握手ではなく、名乗りと同じく無駄のないものだった。
「アポイントなしで軍の施設へ来るのは、俺の世界でも結構嫌われたぞ」
「でしょうね」
オスワルドはあっさり認めた。
「しかし事前に詳細な時刻まで知らせれば、見せたくないものを片付ける時間を与えることになります」
「正直だな」
「隠しても意味がありませんので」
ネイトは少しだけ口元を緩めた。エイブが面倒な相手だと評した理由が、早くも分かった気がする。
「それで、何を調べに来た?」
「アークへの避難計画に伴う後方施設の確認です。地上の補給拠点と一時収容施設を整理しているのですが、こちらについて帳簿上の規模と資材使用量が一致していません」
「どのくらい?」
「小規模後方支援施設としては、かなり多いですね」
オスワルドはVault-Nの入口を見上げた。
「ですので、何に使われているのか自分の目で確認しに来ました。アンダーソン司令官からも、一般設備については監査を受け入れるよう許可を得ています」
「一般設備、ね」
「はい。それ以上を見せろとは言われていません」
そこをわざわざ明言したことで、ネイトは少しだけ警戒を解いた。施設には案内できない場所があり、それをアンダーソンも承知しているという意思表示なのだろう。
「分かった。見せられるところだけなら案内する」
「ありがとうございます」
「ただし線を越えたら追い出すぞ」
「その場合は、越えた理由を記録してから出ます」
「本当に面倒そうだな、あんた」
「よく言われます」
二人はそこで初めて、僅かに笑った。
◇
最初に案内したのは、搬入口から続く受け入れ区画だった。地上から戻った者は簡易検査を受け、必要に応じて除染された後、通常の居住区、医療区画、あるいは独立した隔離区画へ送られる。まだ大人数を一度に受け入れた経験はないが、未知の汚染や侵食の疑いがある者を生活区域へ直接入れないため、動線だけは最初から分けてあった。
「隔離区画もあるのですね」
「必要になる前に作った」
「対象は侵食されたニケですか?」
「侵食に限らない。感染症でも、正体の分からない物質でも使う」
ネイトは閉じた隔離扉を示した。
「それと、勘違いしないでくれ。あそこは研究対象を閉じ込める部屋じゃない」
「では?」
「患者を入れる部屋だ」
オスワルドの指が端末上で一度止まった。
「患者」
「そうだ。治せるか分からなくても、最初から処分する理由にはならないだろ」
「……分かりました」
彼は余計な感想を挟まず、その言葉を記録した。
次の医療区画では、人間用の診療設備とニケ用の整備設備が別々に並んでいた。ラプンツェルやスノーホワイトの意見を取り入れて配置されたもので、緊急時には互いの区画からすぐ応援へ入れるようになっている。今は負傷した人間が数名と、脚部修理を待つ量産型ニケが利用している程度で、ベッドにはかなりの空きが残っていた。
「利用人数に対して、設備が多いですね」
「今はな」
「維持費も掛かります」
「人が来てから増やしたんじゃ間に合わない」
ネイトはベッドの列を見ながら答えた。
「地上の施設が閉じれば、動けない奴ほど行き先を失う。元気な奴なら次の場所まで歩けるが、ここを必要とするのはそうじゃない奴だろ」
「軍人以外も受け入れる予定ですか?」
「もう受け入れてる」
少し先では、避難途中に怪我をした民間人が診察を受けていた。その反対側では量産型ニケの整備が行われている。
「所属を確認してから治療するような場所にはしたくない」
「収容限界を超えた場合は?」
「その時は優先順位を考えなきゃならない」
「全員を受け入れられるとは言わないのですね」
「言えないことは言わない」
オスワルドはネイトを見たあと、静かに頷いた。
「その方が助かります」
◇
備蓄区画へ入ったところで、監査は少し違う意味で止まった。
軍から正式に搬入された保存食、水、薬品、交換部品の横に、規格の違う棚や金属材、古い家具、用途の判然としない機械部品まで大量に積まれている。オスワルドは帳簿を確認してから現物を見直し、もう一度帳簿へ目を落とした。
「これらは?」
「回収品」
「どこから?」
「放棄された補給所とか工場とか。所有者がいなくなった場所から、まだ使える物を持ってきた」
「全て?」
「全部とは言ってない」
「では、これは?」
オスワルドが古い金属部品を指した。
「何かに使える」
「用途は?」
「まだ決めてない」
「……こちらは?」
「配線取れる」
「この椅子は?」
「座れる」
オスワルドが初めて返事に詰まった。
「椅子は、座るために保管しているのですか?」
「椅子だからな」
「そうですね」
ネイトは真顔のまま頷いたが、横にいた案内担当のブレイドガード隊員が僅かに顔を背けた。
「帳簿上の建築資材と実際の拡張規模が合わない理由が、少し分かりました」
「再利用は大事だぞ」
「否定はしていません。ただし施設備品として使ったものは、最低限登録してください」
「椅子も?」
「椅子もです」
「厳しいな」
「数十年後に誰も由来を説明できなくなるよりはいいでしょう」
その一言に、ネイトは少しだけオスワルドを見る目を変えた。規則だから記録するというだけではなく、後から辿れなくなること自体を嫌うらしい。
「記録好き?」
「好き嫌いではありません」
「仕事だから?」
「必要だからです」
それ以上の説明はなかった。
◇
工房では、エイブが入口近くまで迎えに出ていた。奥側には最初から隔壁が閉じられており、通常の修理設備だけが見える状態になっている。そこから先に何があるのか、オスワルドへ説明するつもりはないらしい。
「一般整備区画はここまで」
エイブが床の境界線を指す。
「奥は監査対象外」
「承知しています」
「入るな」
「入りません」
「聞くな」
「必要がなければ」
「必要はない」
「では聞きません」
即答が続き、ネイトは二人を見比べた。
「知り合いなんだっけ?」
「顔と名前は知ってる」
エイブが答える。
「彼女から私について何と聞きました?」
「まだ言わなくてもいいだろ」
「なるほど」
「何でそれで伝わるんだよ」
オスワルドは笑わず、一般整備用の工具と二基のニケ整備設備だけを確認した。通常の修理能力や交換部品の備蓄量については細かく尋ねる一方、閉じられた隔壁や独立した奥側の電源系統について質問することはない。
その態度を見て、エイブも余計な敵意を向けることはなかった。相手が境界を守るなら、自分も境界の内側について説明しない。それだけの関係で十分らしい。
「設備数に対して技術者が足りませんね」
オスワルドが言う。
「増やしたくても、誰でも入れられる場所じゃない」
「今後、負傷した量産型ニケが増えた場合は?」
「一般整備だけなら担当を増やせる。奥とは分ける」
「分かりました」
オスワルドは一般整備要員の増員が必要になる可能性だけを書き留めた。何が奥にあるのか、記録へ推測を書き込む様子もなかった。
◇
昼前、ブレイドガードの滞在区画を訪れると、薔花と二人の隊員が任務から戻っていた。五人全員がVault-Nへ常駐しているわけではなく、地上警戒と護衛任務の合間に休息、補給、整備へ利用している。薔花は見慣れない来訪者を認めると、手入れしていた百日紅から手を離して立ち上がった。
「お客様ですか?」
「監査の人」
「中央政府のオスワルドです」
「特殊近接護衛分隊、ブレイドガード隊長の薔花です。お疲れ様です」
互いに挨拶を済ませると、オスワルドは部隊の現状についていくつか確認した。
「現在の所属人数は五名で間違いありませんか?」
「はい。私を含めて五名です」
「過去の記録では十名となっています」
薔花の表情が僅かに静かになった。
「一人は、現在ゴッデス部隊に所属しています。妹の紅蓮です」
「残る四名は?」
「亡くなりました」
オスワルドはすぐに端末へ入力せず、薔花を見る。
「差し支えなければ、お名前を確認してもよろしいでしょうか」
「名前を?」
「残せる記録には残したいので」
薔花はしばらく彼を見たあと、静かに頷いた。四人の名を一人ずつ告げると、オスワルドは聞き間違いがないよう復唱し、分かる範囲で識別番号や最後に確認された所属も照合していく。
数字だけなら「戦死四名」で終わる確認に、思った以上の時間が掛かった。
「そこまで書くんだな」
ネイトが横から言う。
「名前が分かるのであれば」
「軍の記録として必要?」
「人数だけでも事務処理はできます」
オスワルドは入力を終え、画面を閉じた。
「ですが、四という数字が戦ったわけではありません。四人が戦い、四人が亡くなったのでしょう」
薔花がゆっくりと目を細めた。
「……はい」
「でしたら、私は四人の名前を残します」
その言い方に大仰な慰めはなく、亡くなった者を知らない自分が悲しみを共有できるとも言わない。ただ、記録できるものを記録する。その姿勢だけははっきりしていた。
ネイトは少し考え、場の空気を変えるように口を開いた。
「じゃあ俺が薔花に二発で倒された件も残ってる?」
「二発でしたか?」
薔花が首を傾げる。
「覚えてないの?」
「倒れたことは覚えています」
「そこだけ確定なんだ……」
オスワルドが端末を持ち直した。
「必要なら追記しましょうか」
「必要ない」
「戦闘記録としては有用かもしれません」
「絶対楽しんでるだろ、あんた」
「いいえ」
真顔の返事だったが、薔花の口元には小さな笑みが浮かんでいた。
◇
午後は一般居住区の確認へ移った。
ひと月前には空室ばかりだった通路にも、今では生活の気配が混じっている。地上施設の閉鎖で一時的な滞在先を失った者、移送途中で治療が必要になった負傷者、すぐに戦線へ戻れない量産型ニケなどが少人数ずつ入り、長くても数週間程度の滞在を続けていた。
廊下の先では、人間の親子が洗濯物を抱えて部屋へ戻っていく。その向かいでは脚部を修復したばかりの量産型ニケが歩行確認をしており、以前なら響くだけだった足音に、話し声や扉の開閉音が重なるようになっていた。
「軍の後方施設としては、利用対象が広いですね」
「軍専用じゃないからな」
「登録上は軍の管理下です」
「管理してるのと、軍人しか入れないのは別だろ」
ネイトは受付端末に表示された空室数を確認した。
「アークへ向かえる奴は、ここで治してから行けばいい。別の避難所へ移れるならそれでもいい。長くいる必要がある奴は、空きがある間は置ける」
「明確な受け入れ基準は?」
「今作ってる途中」
「優先順位が必要になります」
「分かってるよ」
ネイトの返事は軽かったが、内容を軽く扱っているわけではなかった。
「全員来いって言えるほど広くもないし、飯も無限じゃない。だから重傷者、移動できない奴、他に行き先がない奴を優先する。その辺は医療側とも詰めてる」
「満員になったら?」
「その時は別の場所を探す」
「それでも見つからなければ?」
ネイトは少し黙った。
「その時にならないと答えられない」
オスワルドも黙って待つ。
「俺は、全員救えるとは言わない。でも全員救えないから一人も拾わない、とはもっと言いたくない」
「……なるほど」
「報告書に書く?」
「必要な部分だけ」
「今の格好いいところは?」
「削ります」
「何でだよ」
「監査報告書ですので」
ネイトは不満そうに肩をすくめた。
◇
最後に案内したのは、一般記録室だった。
Vault-Nへの出入り、物資の搬入、治療を受けた者、地上で確認された避難経路など、施設運営に必要な情報を紙と独立端末の両方で残すための区画である。機密研究の資料や個人の私的情報を置く場所ではなく、必要な相手へ必要な範囲で照会できる記録だけを扱っていた。
「紙も残すのですね」
オスワルドが棚を見る。
「電気が死んでも読める」
「合理的です」
「意外とあっさり認めたな」
「データだけでは、機器と電力が失われれば読めませんから」
「気が合うじゃないか」
「その判断は早いと思います」
ネイトは棚の一角から一冊の記録を取り出した。表紙には旧V.T.C.研究施設で発見されたニケたちについて、エイブたちが確認できた範囲の情報がまとめられている。
「これは?」
「見ていい」
オスワルドは許可を得てから表紙を開いた。
そこに並んでいたのは、実験結果ではなかった。判明している名前、所属、製造番号、確認された処置、死亡時期、そして身元確認の手掛かりになり得る情報が、一人ずつ分けて記載されている。名前の分からない者も一つの数字へまとめられず、少なくとも別の個人として追えるよう整理されていた。
「これほどの人数が?」
「見つけた時には、もう間に合わなかった」
ネイトはそれ以上、研究内容を説明しなかった。オスワルドも何が行われていたのか深く尋ねず、ページをゆっくりとめくっていく。
「研究記録ですか?」
「違う」
ネイトは棚へ手を置いた。
「人の記録だ」
オスワルドが顔を上げる。
「研究で何が分かったかを残すためじゃない。誰がそこにいたか、分かるようにするための記録だ。名前が残ってれば、探してる奴がいつか見つけられるかもしれない」
「ご家族や知人が」
「いるかもしれないだろ」
ネイトは視線を記録へ戻した。
「二百何人って数字だけじゃ、その人たちには何も分からない」
オスワルドは再びページをめくった。亡くなったニケの情報が淡々と並んでいるだけで、慰霊碑のような言葉も、誰かを糾弾する文章もない。それでも一人ごとに区切られた記録を見るだけで、その総数が単なる統計ではないことは十分に伝わった。
「この記録について、軍の既存名簿と照合しても?」
「勝手に持ち出さないなら」
「必要な情報はこちらから持ってきます。名前の分からない方も、製造番号や旧所属から照合できる可能性があります」
「それなら頼む」
オスワルドは頷き、手元の記録帳へ何かを書き込んだ。
「敬意と感謝を」
「彼女たちに?」
「はい」
ネイトは少しだけ黙ったあと、同じように頷いた。
「俺もそう思う」
その後、オスワルドは記録を元の場所へ戻した。置いた位置まで崩さず、背表紙が隣と揃うようにしてから手を離す。
◇
監査は夕方には終わる予定だったが、地上へ戻る直前になって近隣の道路でラプチャーが確認された。小規模な群れではあるものの、排除部隊が安全確認を終えるまで移動は見合わせるよう連絡が入り、オスワルドは予定になかった一夜をVault-Nで過ごすことになった。
「監査先へ泊まるとは思いませんでした」
「部屋は余ってる」
ネイトが受付端末を確認する。
「第三ブロックが使えるようになったばかりだ。好きなの選べ」
「来訪者用の割り当ては?」
「まだない」
「では決める必要がありますね」
「泊まる前から仕事増やすなよ」
「増やしたのは施設の方では?」
「それはそう」
夕食時にはリリスとスノーホワイトも戻ってきており、マレーン、薔花、ブレイドガードの隊員、一時滞在者たちが同じ食堂へ集まった。全席が埋まるにはまだ遠いものの、以前のように数人だけが広い空間を使っていた頃とは違い、いくつもの机から別々の会話が聞こえてくる。
「前より増えたでしょ?」
リリスが周囲を見ながら言う。
「まだ半分も埋まってないぞ」
「でも寂しくなくなってきた」
「もっと増えたら、今度は狭いって言うんじゃないか?」
「その時は増やせばいいよ」
「簡単に言うなあ」
「ネイトにだけは言われたくない」
横で聞いていたスノーホワイトが何度も頷いていた。
オスワルドは少し離れた席に座り、食事を取りながら施設内の様子を眺めていた。監査中には設備数や収容人数として見ていたものが、食堂では負傷者、整備待ちのニケ、ブレイドガード、民間人という個々の姿へ戻っている。
「どう?」
食後、ネイトが向かいへ座った。
「何がでしょう」
「数字と実物、合った?」
「概ね」
「概ね?」
「椅子の登録が足りません」
「そこまだ言う?」
「備品ですので」
オスワルドは平然としていた。
◇
地上経路が夜まで閉鎖されると分かり、二人は食後に入口近くの監視区画へ移った。外の状況は端末越しにしか分からないが、排除作戦そのものは順調らしく、翌朝には道路を使える見込みだった。
「アークへの避難も、こんな感じ?」
ネイトが通信状況を眺めながら尋ねる。
「こんな感じ、とは?」
「予定通りにいかない」
オスワルドは少しだけ笑った。
「毎日のように変わります。道路が使えなくなり、予定していた中継拠点が襲撃され、移送人数が増え、必要な車両が足りなくなる。計画を立てても、翌日には書き直していることがあります」
「アーク自体は?」
「建設は進んでいます」
「全員入るのか?」
オスワルドはすぐには答えなかった。
「難しいでしょう」
短い返事だったが、迷いはなかった。
「収容人数だけの問題ではありません。閉鎖までに何人を運べるか、どの経路を維持できるか、食料や医療をどこまで確保できるか。内部に空きがあっても、そこへ辿り着けなければ意味がありません」
「誰が最後に閉める?」
今度はオスワルドの沈黙が少し長くなった。
「私も、その作業に関わる予定です」
「作業?」
「名簿、移送記録、最終的な収容確認です。どの避難隊が到着したか、どこがまだ地上に残っているかを整理する必要があります」
ネイトは昼間、ブレイドガードの四人の名前を一人ずつ入力していた姿を思い出した。地下研究所の死者についても、オスワルドは総数ではなく個人の記録へ目を向けていた。
「嫌な仕事だな」
「必要な仕事です」
「必要なら平気になるわけじゃないだろ」
オスワルドがネイトを見る。
「平気である必要もありません」
「それならいい」
ネイトは壁へ背を預けた。
「ただ、自分で全部背負おうとするなよ」
「突然ですね」
「今日あんたを見てたら、そういうタイプに見えた」
「初対面ですが」
「初対面でも分かることはある」
オスワルドは少しだけ困ったような表情を浮かべた。
「責任のある仕事を任されたなら、責任を負うのは当然です」
「自分の分はな」
ネイトはそこで言葉を切らず、そのまま続けた。
「でも、道路を壊したのはあんたじゃない。ラプチャーを連れてきたのもあんたじゃない。アークの広さを決めたのも、避難する全員を一人で選んだのもあんたじゃないだろ」
「それでも、最後に名簿へ線を引くのが私なら?」
「その線を引いた責任はある」
ネイトは否定しなかった。
「でも、全部の責任まであんた一人のものになるわけじゃない」
オスワルドの視線が僅かに下がる。
「そんなに簡単に分けられるでしょうか」
「分けられなくても、誰かに話せる」
「誰に?」
「俺でもいい」
オスワルドが顔を上げた。
「あなたが?」
「俺がいる」
ネイトは冗談を挟まなかった。
「ここにも人がいる。アンダーソンもいる。何か詰まったら一人で決める前に持ってこい。全部どうにかできるとは言わないけど、一緒に考えるくらいならできる」
「今日会ったばかりの人間へ、そこまで言いますか?」
「俺の世界じゃ、昨日会った奴と今日一緒に命張ることもあった」
「それを基準にされても困ります」
「じゃあ数日考えてから受け取ってくれ」
オスワルドは黙り、やがて小さく息を吐いた。
「変わった方ですね」
「よく言われる」
「それは納得できます」
「初対面でひどくない?」
今度はオスワルドも、はっきりと笑った。
◇
翌朝には道路の安全が確認され、帰り支度を終えたオスワルドが搬入口へ姿を見せた。監査結果そのものは大きな問題なし。ただし、拡張された一般居住区、再利用資材、追加備品について帳簿を更新するよう、きっちり修正事項が残されていた。
「結局、椅子も?」
「椅子もです」
「忘れてくれない?」
「記録しましたので」
「記録する前に頼めばよかった」
「その場合も記録します」
「隙がないな」
オスワルドは端末を閉じると、昨日案内された記録室の方向へ一度だけ目を向けた。
「旧研究施設で亡くなった方々については、戻り次第こちらでも照合します」
「助かる」
「全員の名前が判明する保証はできません」
「一人でも分かれば十分だ」
「分かりました」
ネイトは少し考え、右手を差し出した。昨日と同じ握手だったが、今度は初対面の挨拶ではない。
「また来いよ」
「次の監査で?」
「監査じゃなくても」
「理由がありません」
「知り合いに会いに来るとか」
オスワルドが少し眉を上げた。
「もう知り合い扱いですか」
「一晩同じ屋根の下で飯食っただろ」
「交友関係を作る基準が独特ですね」
「友達でもいいぞ」
「そこまで進めるつもりはありません」
「厳しいな」
それでも握手を解いた時、オスワルドの表情は昨日より少し柔らかかった。
「では、また機会があれば」
「ああ。またな」
車両が地上道路へ消えるまで見送り、ネイトは地下へ戻った。
◇
オスワルドが帰って数時間もしないうちに、新しい仕事が持ち込まれた。
ブレイドガードが巡回中に回収した古い経路情報の中から、軍の現在の避難地図に載っていない小規模居住区が複数見つかったのだ。主要道路から外れ、通信設備も失われているため状況確認が遅れており、そのうち一箇所には負傷者がいる可能性まで記されていた。
「これ、いつの情報?」
リリスが地図を覗き込む。
「新しくても数日前だな」
ネイトがPip-Boyへ経路を移す。
「今もいるかは行ってみないと分からない」
「私も行く」
「駄目」
後ろから声が飛び、リリスが振り返った。
「何で?」
「検査」
エイブが作業用端末を持って立っている。
「少しくらい遅れてもいいでしょ?」
「よくない」
「身体は動いてるよ」
「動くかどうかを見る検査じゃない」
「エイブ、最近スノーに似てきたね」
「お前が同じことを言わせるからだ」
リリスが助けを求めるようにネイトを見るが、彼も首を横へ振った。
「今日は俺と薔花たちで行く」
「ネイトまで?」
「人数が多かったら連絡する。その時は迎えを頼むから、先に検査終わらせろ」
しばらく不満そうにしていたリリスも、最後には諦めた。
「ちゃんと連れて帰ってきてね」
「そのための部屋を山ほど作ったんだろ」
「山ほどは作ってないよ」
「スノーに聞いたら違う答えが返ってきそうだけどな」
ネイトは装備を確認し、薔花たちと地上へ向かった。
古い道路を外れて二時間ほど進んだ先には、本当に人が残っていた。小さな居住区には十数人が身を寄せ合い、負傷した人間が三人、自力で長距離を移動できないほど脚部を損傷した量産型ニケが一人いる。避難命令自体は届いていたが、迎えの車両が来ないまま通信が途絶え、動ける者たちも負傷者を置いていけず、その場へ残っていた。
「全員、必要な荷物をまとめてくれ」
ネイトが住民たちへ呼び掛ける。
「迎えなのか?」
「半分くらいは」
「アークへ行ける?」
「そこまでは約束できない」
不安そうな顔が広がったため、ネイトは続けた。
「でも、ここより安全な場所へは連れていける。寝る場所、水、飯、治療設備はある。アークへの移送ができるなら、そこから繋ぐ」
一人の男性が、負傷して横たわる家族へ目を向けた。
「動けない者も?」
「置いていくなら、わざわざ来てない」
「ニケも?」
今度は損傷した量産型ニケへ視線が集まる。
「整備設備が二基ある」
住民たちは互いの顔を見た。誰かを残すことが当然の選択肢として頭にあった者もいたのだろう。
「全員で行けるのか?」
「今ここにいる人数なら入る」
ネイトは頷いた。
「空けてあるからな」
◇
その夜、Vault-Nの食堂にはまた新しい顔が増えていた。
負傷者は医療区画へ移され、量産型ニケは整備設備の一基で検査を受けている。家族連れには近い部屋が割り当てられ、食堂では事情を知らない者同士が同じ机で食事を取っていた。
「ほら」
リリスがネイトの隣で得意げに周囲を見た。
「何が?」
「前より賑やか」
「俺は最初から増えるって言ってただろ」
「最初は私が寂しいって言ったの」
「じゃあ俺の勝ち」
「何の勝負?」
少し離れたところでは、マレーンが新しく来た子供へ食堂から居住区までの道を教えている。スノーホワイトは損傷した量産型ニケの整備予定を確認し、薔花たちは次に調べる居住区の経路を地図上で相談していた。
空いている場所は、まだある。
それでも以前のVault-Nとは違い、廊下を歩けば知らない誰かとすれ違い、食堂へ来れば別の机から声が聞こえるようになった。使われないことを願いながら作った医療ベッドも、いつの間にか少しずつ役目を持ち始めている。
食事が終わりかけた頃、エイブが工房からやってきた。端末を片手にしたまま空席へ座ろうとした彼女は、周囲の人数を数えるように一度見回した。
「また増えた?」
「十四人」
「第三ブロック、もう使った?」
「半分くらい」
「第四居住ブロック要るな」
ネイトが思わず顔を上げる。
「もう?」
「今後も同じ速度で増えるなら」
「じゃあ掘るか」
「構造計算が先です!」
少し離れた場所からスノーホワイトの声が飛んできた。
「まだ何もしてないだろ!」
「先に言いました!」
リリスが声を上げて笑い、それにつられて近くの者たちもこちらを見る。以前なら笑い声は空の壁へ反響して消えていただけだったが、今では誰かの笑いに別の誰かが反応する。
その最中、ネイトのPip-Boyが短い警告音を鳴らした。
表示されたのはアンダーソンからの優先通信だった。普段の連絡より高い識別が付いているのを確認し、ネイトはすぐに回線を開く。
「ネイトだ」
『今どこだ』
「Vault-N。リリスもエイブもいる」
通信の向こうで、僅かな間が空いた。
『ちょうどいい』
アンダーソンの声には、単なる疲労とは違う硬さがあった。
『リリスの最新検査結果が出た。戻ってくれ』
ネイトは向かいにいるリリスを見た。彼女も声を聞いており、先ほどまでの笑みを静かに収めている。
「悪かった?」
リリスが尋ねる。
すぐに返事はなかった。
『詳しくはこちらで話す。エイブも一緒に来てくれ』
「分かった」
エイブが先に立ち上がった。
リリスも椅子から立ち、右手を一度だけ握る。数日前には思うように動かなかったその手は、今のところ普段と変わらず応えていた。
ネイトも続いて立ち上がり、食堂を振り返った。
今日も、Vault-Nには新しい人が増えた。昼間まで地上で行き場を失っていた者たちが食事を取り、負傷した者は治療を受け、動けなかったニケは修理を待っている。
その場所へ帰ってくるはずの一人について、何が分かったのか。
今度は、それを聞きに戻る番だった。