お昼過ぎの『ひだまり庵』。落ち着いた店内に、アリスがふらりとやってくる。
カウンター席に腰を下ろし、髪を少し払いながら律に声をかけた。
「そういえばあれから、あのパンナコッタどうなのよ? 私と咲夜がわざわざアドバイスしてあげたんだから、まさか失敗したなんて言わないでしょうね?」
「(苦笑しながら、淹れたての珈琲をアリスの前に差し出して)まさか。二人のアドバイスのおかげで、完璧な仕上がりになったよ。……ただ、ちょっとした事件があってさ」
「事件? なによそれ(差し出された珈琲に口をつけながら、首をかしげる)」
「あはは! 聞いてよアリスさん! 霊夢さんと魔理沙さんがね、そのパンナコッタが美味しすぎて理性を飛ばしちゃって……お会計が足りなくなって、お店の大掃除をさせられる羽目になったんだよ!」
「(呆れたようにため息をついて、カップを置きながら)……あいつら、相変わらずね。でも、博麗の巫女にそこまでさせるなんて、私の見立て通り、冥界のミルクにあのソースを合わせたのは大正解だったみたいじゃない」
ちょっと得意げにフフン、と微笑むアリス。
そんな二人のやり取りの最中――。
からん、ころんと『ひだまり庵』のドアが開く音と一緒に、どこか秋の気配を孕んだ柔らかな日射しが店内に差し込んできた。
すりガラスの向こうから入ってきたのは、大きな買い出し籠を抱え、少し肩を落とした銀髪の少女、妖夢だった。
「こんにちは、律さん、るいさん……。ふぅ、今日の里はなんだか賑やかで、買い出しだけで少し疲れちゃいまし……あ、アリスさん?」
「あら、妖夢。噂をすれば、ちょうどいいタイミングで本人がやってきたわね」
「え? 噂……ですか?」
「妖夢さんいらっしゃい! 籠、すっごく重そうだね! そこの空いてる席に置いて、ゆっくりしていって!」
「お疲れ様、妖夢。ちょうど今ね、妖夢がこの前お礼に分けてくれたミルクで作った、新しいデザートの話をしてたんだよ」
「えっ!? 私が、あのときお渡ししたミルクですか……?」
律が、ひんやり冷えたパンナコッタを妖夢の目の前に差し出す
「わぁ……! これが、あのミルクですか……? まるで真っ白な絹みたいに綺麗です……!」
「紅魔館のメイド長と、この私が寄ってたかってアドバイスしたんだから、味は保証するわ。ほら、あいつらに先を越されちゃったけど、ミルクを分けた本人なんだから、あなたも遠慮しないで食べなさいな」
「は、はい……! いただきます……!(緊張しながら、スプーンでそっとすくって口に運ぶ)」
ツルンとした滑らかな生地が舌の上で踊り、冥界のミルクの濃厚なコクと、アリス仕込みのソースの酸味が一瞬で鼻に抜けていく――
「――っ!!! お、美味しいみょん……!!! な、なんですかこれ……! 口の中でとろけて、すごく濃厚なのに、後味がとっても爽やかで……!」
「はは、そう言ってもらえるとホッとするよ。やっぱり、素材をくれた妖夢の口に合うかどうかが一番緊張したからさ」
「ふん、言ったでしょう? 冥界のミルクの強いコクには、私の選んだソースが一番だって。ミルクのまろやかさと果実の酸味が合わされば、重たさが消えてお互いの良さが引き立つわ」
「はい、本当にその通りです……! ソースの酸味が、ミルクの濃厚さをすごく引き立てていて、いくらでも食べられちゃいそう……! 私が分けたミルクが、お二人の手でこんなに素敵なお菓子になるなんて……!」
「妖夢さん、そんなに感動してくれて私まですっごく嬉しいよ! 咲夜さんもね、この前これを見て『うちの主人にも食べさせたい』って大絶賛だったんだから!」
「幽々子様にも……あ! そうです、幽々子様です! 律さん、これ、白玉楼にお土産としてテイクアウトすることはできますか!? 幽々子様にも絶対に食べさせて差し上げたいです!」
「お土産用だね。もちろん構わないよ。冥界まで帰るなら少し時間がかかるし、道中でぬるくならないようにしっかり冷やして、崩れないように包むからちょっと待っててね」
「ありがとうございます! 律さんの心遣い、本当に助かります」
「(珈琲を飲み干し、クスクスと笑いながら)ちょっと妖夢、そんなに張り切って持って帰るのはいいけれど、肝心のあなたの分は残るのかしら?」
「えっ? ……あ」
「あのお腹を空かせた亡霊お嬢様のことよ。妖夢が一生懸命運んだパンナコッタを見つけたら、あなたの説明が終わる前に、全部一口でペロリと平らげちゃうんじゃない?」
「あはは、確かに幽々子さんならやりそう! 『あら妖夢、これ美味しいわねー、おかわりはあるの?』ってさ!」
「う、うぐっ……! それは……否定できません……。うう、幽々子様に喜んでいただきたいですが、私も自分の分をゆっくり味わいたいです……!」
頭を抱えて本気で悩み始める妖夢を見て、律は苦笑しながら、お土産用の包みを二つ用意し始めた
「じゃあ、幽々子さん用の大きめの器と、妖夢がこっそり隠して食べられる用の小さめのやつ、二つに分けて包んでおくよ」
「り、律さん……! 神様ですか……!?(感激して目を輝かせる)」
「はい、これでバッチリだよ。こっちの小さい方は、妖夢が自分だけの秘密基地かどこかでこっそり食べるんだよ?」
「はい! 律さん、本当にありがとうございます……! 幽々子様には内緒で、夜にでも大事にいただきます!」
「フフ、見つかって泣きを見ないようにね。……じゃあ、私はそろそろ行くわ。律、珈琲ごちそうさま。また新しいメニューができたら教えてちょうだい」
「アリスさんもありがとうね! 妖夢さん、道中気をつけて! またいつでもふらっと寄ってね!」
「はい! それでは失礼します!」
からんころんとドアを開けて、涼やかな音を残し、妖夢とアリスはそれぞれの帰路へとついていった。律とるいさんは、夕方の心地よい風が吹き抜ける店内で、二人の背中を温かく見送るのだった。
場面は変わり、死の気配など微塵もない、のどかで美しい冥界・白玉楼。
買い出しを終えた妖夢は、律の言いつけ通り、自分用の小さなパンナコッタを懐にそっと忍ばせ、幽々子さん用の大きな包みを持って縁側へと向かった。
「幽々子様、ただいま戻りまし――」
「あら妖夢〜、おかえりなさ〜い……あら? なんだか、すっごく甘くて美味しそうなお花の香りがするわね?」
まだ妖夢が籠を置くよりも早く、背後からふわりと桜色の着物が揺れ、幽々子様が文字通り滑り込んできた。その目はすでに、妖夢の手にある包みにロックオンされている。
「ひゃっ!? ゆ、幽々子様、お鼻が利きすぎです……! 実はこれ、ひだまり庵の律さんが、この前お礼に分けたミルクで作ってくださった『パンナコッタ』というお菓子でして――」
「あら、あの人間の里のパスタ屋さんね! いただくわ〜♪(妖夢が説明し終える前に包みを開け、スプーンでペロリと一口)」
「ん〜〜〜っ! 美味しいわ、妖夢! ミルクがとっても濃厚なのに、このソースが絶品ね! これならあと10個は食べられちゃうわ!」
「わぁ、気に入っていただけて良かったです! アリスさんのアドバイスでこのソースになったそうで……」
幽々子様が幸せそうに大きなパンナコッタを平らげていく姿を見て、妖夢は胸をなでおろす。
(ふふ、喜んでいただけて良かった。……よし、幽々子様が満足されたら、私は夜に自分用のをこっそり……)と、懐の小さな包みを思い出して小さくガッツポーズをした、その時。
「(最後の一口を飲み干し、妖夢の懐をじーっと見つめて)……ところで妖夢? あなたの懐から、さっきのよりもさらに美味しそうな、とっておきの匂いがするのだけれど……?」
「えっ!? !? !?(慌てて胸元を押さえる)」
「まさか、私に隠れて一人で美味しいものを食べようとしてるわけじゃないわよね〜?(怪しく微笑む)」
「う、うぐぐっ……! こ、これは、律さんが私にって……! 幽々子様、ダメです! それだけは死守せねばなりませ――あぁっ! 幽々子様、引っ張らないでください! みょ、みょーーーん!!」
白玉楼の静かな庭園に、妖夢の悲痛な(しかしどこか平和な)叫び声が響き渡るのだった。
第13話をお読みいただき、ありがとうございました!
次回の第14話もどうぞお楽しみに!