人間の里には、いつも通りの穏やかな秋の陽光が降り注いでいた。
大通りの賑わいから一本外れた、少し落ち着いた路地。
そこにある和風喫茶『ひだまり庵』のドアがからん、ころんと小気味よい音を立てて勢いよく開け放たれた。まだほんのりと汗ばむような陽気の中、店内に真っ先に飛び込んできたのは、霧の湖からやってきた元気いっぱいの妖精だった。
「るいー! 律ー! アタイを満足させる、最強に冷たくて美味いもんを出しなさい!」
「あ、チルノちゃん、大ちゃん! いらっしゃいませー!」
カウンターの向こうから、看板娘のるいがパタパタと手を振りながら、のんびりとしたお日様のような笑顔で迎え入れる。
チルノのすぐ後ろからは、苦労人が服を着たような佇まいの大妖精が、「もう、チルノちゃん! お店の中では静かにしてって、霧の湖を出るときにあれほど言ったでしょ!」と、ハラハラと肩を揺らしながら入ってきた。
「ふんす! るい、よく聞いたな。アタイは霧の湖で一番強い妖精んだから、いつでも遠慮なんてしないぞ! 今日も最強に元気なんだ!」
「わぁ、やっぱりチルノちゃんはいつでも最強にカッコいいですねー!」
「だろー? もっと褒めていいぞ! ……おい、律! アタイは氷の妖精だからな、生半可な冷たさじゃ満足しないんだからね! アタイの氷の魔法を見せてやるー!」
チルノがちんちくりんな両手を突き出すと、ひだまり庵の店内にパキパキと霜が降り、一気に冬のような冷気が立ち込めた。
「わわっ! チルノちゃんお店を壊しちゃダメだよ!」
「あ、すごーい! 冷たくて気持ちいいですねー、律さん!」
大妖精が頭を抱える横で、るいはパチパチと手を叩いて目を輝かせている。だが、厨房の中にいた律は、カウンターの上に準備していた「あるもの」を見て、ガタッと椅子を鳴らした。
「ちょっとチルノストップ! ストーップ!!」
律が慌ててカウンターから身を乗り出し、チルノの両手をひょいと掴んで頭上へ掲げさせた。放たれかけた冷気が天井に向けて空回りし、小さな雪の結晶となってハラハラと落ちてくる。
「な、何するんだ律! アタイの最強の魔法を邪魔するな!」
「邪魔するよ! 魔法を放つ方向を考えなさい!……あちゃー、やっぱりか」
律が額を押さえて視線を落とした先――そこには、これから仕込む予定だった、茹で上げ済みのパスタ麺と、みずみずしいトマト、ピーマンなどの食材が置かれていた。
それらがすべて、チルノの放った冷気によって、まるで芸術品のようにガチガチの氷漬けになっていた。
「これ、これから使うパスタ(食材)だったんだけど。トマトなんて凍らせたら破裂しちゃうよ。ツッコミ入れる前にうちの店が干からびちゃう」
「う、うぐ……。ア、アタイの氷の力が最強すぎるのが悪いんだい!」
気まずそうに目を逸らすチルノの横で、大妖精が「すみません律さん! 弁償しますから!」と半泣きで財布を取り出そうとする。律ははぁ、とため息をつきつつも、凍りついた食材と、チルノの顔を交互に見比べ――そして、不敵にニヤリと笑ってみせる。上白沢慧音の元生徒として、この手のやんちゃな子供の扱いには、それなりに慣れているのだ。
「まぁ、いいや。これだけ見事な氷の魔法が使えるならさ……なぁチルノちゃん。その透明で、いかにも美味しそうな『最強の氷の力』、ちょっとだけでいいから俺のデザート作りに貸してくれない? チルノちゃんにしか頼めないんだ」
「……へ? ア、アタイにしか頼めない……?」
「最強」と「頼りにされる」という言葉に、チルノの脳みそは一瞬でキャパシティをオーバーした。単純極まる妖精の顔が、みるみるうちにドヤ顔へと変わっていく。
「シャーナシだな! そこまでアタイの力を借りたいなら、特別に協力してやるぞ!」
「ちょ、チルノちゃん!? 完全にノせられてるよ!」
大妖精の必死の悲鳴を余所に、律は手際よく厨房の奥で作業を始めた。るいも「楽しみですね、大ちゃん」とカウンター越しに話し掛け、騒動は一瞬で平和なデザート待ちの時間へと早変わりする。
少しして、律が「お待たせ」と運んできたのは、ガラスの器に美しく盛られた、目にも鮮やかなデザートだった。
「ひだまり庵特製『和風フローズン珈琲パルフェ』だよ」
「おおおっ……!?」
器の底から層をなすのは、チルノの冷気をヒントに、律が絶妙な温度管理でシャリシャリとした細かな食感に仕上げた特製のフローズン珈琲。その上には、丸くすくわれた濃厚なバニラアイスクリームと、つやつやとした白玉が3つ。そして仕上げに、深いコクを持つ黒蜜がとろりとかけられていた。
「わぁ、とっても綺麗にできましたね! チルノちゃん、大ちゃん、どうぞ!」
るいから手渡されたスプーンを握りしめ、チルノは一瞬「珈琲なんて、大人の飲む苦いやつじゃないの?」と警戒しつつも、バニラアイスとフローズンを一緒にすくい、思い切り口に放り込んだ。
「――っ! あぐっ、つ、冷たっ! ……でも、美味い! なんだこれ! 苦いと思ったのに、アイスと黒蜜が合わさって、ものすごく甘くて美味しいぞーーーっ!」
「本当だ……! 珈琲のすごくいい香りがして、冷たくてとっても美味しいです、律さん!」
大妖精も目を輝かせ、そこからは二人のスプーンが止まらなくなった。るいは我が子の成長を見守る母親のように、温かいニコニコ笑顔でその様子を眺めていた。
「よかったぁ。律さん、チルノちゃんたちが喜んでくれるようにって、フローズンの固さにすっごくこだわってたんですよー」
「ふ、ふん! アタイの最強の舌をうならせるとは, 律もなかなかやるじゃないか……!」
キーンとおでこを押さえながら、それでも幸せそうにパフェを平らげていくチルノ。
そんなひだまり庵の和やかな空気の中、再び店の引き戸がガラガラと、今度は少し気怠げな勢いで開け放たれた。
「おい、律ー。腹減ったから何か食わせろ……って、先客がいたか」
入ってきたのは、お馴染みの黒い三角帽子をかぶった魔法使い、霧雨魔理沙だった。
先日のカルボナーラ代を巡る大掃除の筋肉痛がまだ少し残っているのか、よっこらしょ、と肩を回しながら入ってきた魔理沙は、チルノたちが食べている豪勢なパルフェを見てピタリと動きを止めた。
「おいおいチルノ。お前、昼間っから美味そうなもん食ってんなぁ」
「なんだ魔理沙か! 見ろ、律がアタイのために作った『最強のデザート』なんだからな! 羨ましいだろ!」
「へえ、贅沢だな。……って、おい律、なんかカウンターの隅のトマトがガチガチに凍ってるんだが、アタイの飯は大丈夫なのか?」
「あはは、大丈夫だよ。魔理沙の分は、ちゃんと奥の冷蔵庫から新しいパスタを出すから。……よし、何にする?」
「それなら安心だ。……よし、律。今日は『特製ナポリタン』だな。あのガツンとくるやつ、大盛りで頼むぜ!」
「はいよ。魔理沙の特製ナポリタンの大盛りね。すぐ作るから、そこに座って待ってて」
律がエプロンを締め直し、厨房のフライパンを握る。
コンロの火がボウッと音を立てて燃え上がり、まずは厚切りのベーコン、玉ねぎ、ピーマン、マッシュルームが小気味よい音を立てて炒められていく。ジューシーな脂の爆ぜる音が店内に響き、そこへ律がトマトケチャップを投入した。
じゅわぁぁぁっ! という激しい音とともに、トマトが焦げる、あの甘酸っぱくて香ばしい香りが一気に店内に充満する。
魔理沙はチルノの隣の席にどっかりと腰掛け、その香りを胸いっぱいに吸い込んで「くぅー、たまらんぜ」と喉を鳴らす。
「はいお待ち。魔理沙、特製ナポリタンの大盛りだよ」
律がカウンター越しに差し出した皿には、これでもかと山盛りにされたスパゲティが、湯気を立ち上らせながら美しく盛られていた。
「おお、待ってました! 相変わらずいい匂いさせやがるぜ。いただきます!」
魔理沙はフォークを手に取ると、豪快に麺を巻き取り、一気に口に放り込んだ。しっかりソースが絡んだ太めの麺。具材のベーコンの旨味が麺にしっかりと移っている。
「……んー! これこれ、この味だぜ! ケチャップの酸味がツンと来なくて、すごくまろやか。麺もモチモチしてて、フォークを動かす手が止まんねえよ」
「だろ? ケチャップを麺と合わせる前に、フライパンの底でしっかり焼き付けて酸味を飛ばしてるんだ。少しだけ隠し味に生クリームとバターを加えてコクを出してさ」
「へえ、相変わらずひと手間かかってんだな。それにこのベーコン、噛むたびに脂の旨味がじゅわっと出てきて、トマトソースと相性抜群だぜ」
魔理沙は一心不乱にフォークを動かす。
半分ほど食べたところで、律がカウンターの上にあるものをコト、と置いた。お馴染みの、緑色の瓶――タバスコと、粉チーズの容器だ。
「これもお好みで。味がガラッと変わるから」
「お、分かってるじゃねえか、律」
魔理沙はニヤリと笑うと、粉チーズを雪のように贅沢に振りかけ、タバスコを数滴ピシャリと落とした。再び麺を巻き取り、口へ運ぶ。
「――っ! ああ、これだぜ! チーズの濃厚なコクが加わって、タバスコの辛味が全体をピリッと引き締める。なさっきまでの優しい味から、一気にガツンとくる男飯の美味さに化けやがった!」
額にうっすらと汗をかきながら、魔理沙は最後の一口まで綺麗にお皿をさらい、ぷはぁ、と満足気なため息をついた。
「ふぅ……ごちそうさま。やっぱりお前の飯は最高だな。チルノのやつ、自分で作った氷に夢中で、このパスタを食い損ねるなんて可哀想な奴だぜ」
「あはは、チルノちゃんにはまた今度、お子様ナポリタンでも作ってあげるよ」
律が空いた皿を下げると、魔理沙は懐からしっかりとお小銭を取り出し、カウンターにコト、と置いた。先日の大掃除の件が骨身に染みているのか、今度は踏み倒そうともせず、きちんとした正当な対価だ。
「あーあ、腹がいっぱいになったら眠くなってきたな。……なぁ律、このまま店の奥の座敷で昼寝させてくれよ。大掃除の疲れがまだ残ってんだ」
「ダメだよ。うちは喫茶店であって、宿屋じゃないんだから。だいたい、もう大掃除から何日経ってると思ってるんだよ」
「ケチだなぉ。るいからも律に言ってくれよ。少しだけなら減るもんじゃないだろ?」
魔理沙が甘えるようにるいへ視線を送ると、るいは人畜無害な笑顔のまま、首を傾げてトドメの一言を放った。
「あはは、魔理沙さん。お昼寝なら、慧音先生の寺子屋の方が、お経がわりにちょうどいいんじゃないですか?」
「るい、それは昼寝じゃなくて永眠(ガチ説教)コースだろ……」
呆れる律と、クスクス笑うるい。
そんな二人のやり取りと、隣でまだパフェの余韻に浸っている妖精たちを眺めながら、魔理沙はひだまり庵の心地よい居心地の良さに、もうしばらく甘えることにするのだった。
第14話をお読みいただき、ありがとうございました!
次回の第15話もどうぞお楽しみに!