「船長、怖い話しません?」
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「船長、怖い話しません?」
事の始まりは、恒星間を移動する宇宙船のコックピットより。定期メンテナンスを終えたエンジニアのサクラが、これから始まる果てしない宇宙の旅の中で生まれる、果てしない余暇をどう潰すか考えに考えて行き付いた先の言葉からだ。
「なんだ、サクラ。暇つぶしか?」
「イエッサー。船長、私、暇であります」
「そうかよろしい。ならもう一回、メンテナンスしてこい」
「えー!?」
船長リーは、ちょっかいを掛けに来たサクラを肩越しに見て追い返す。もちろんサクラは怒り心頭といった様子で、続けざまに『酷い!』だとか『少しぐらいいいじゃないですか!』とか、頬を膨らませて抗議活動を続けるけれど。
「もういいか、サクラ。君は暇なのかもしれないが、私には仕事があるんだ。わかるな?」
取り付く島もないというのはまさにこのことか。それでも負けじと、最後の最後とサクラは文句の一つをぶつけてみる。
「仕事って、その代わり映えのしない計器を眺めてることだったりします? それって本当に必要なことなんですかー!?」
「うっ……あ、ああ必要なことだ! 船の調子は常に把握しておくのが、艦長の果たすべき務めというものだ」
「管理AIが常に記録してるのにー!?」
言葉を濁す艦長の態度にチャンスと見たのだろう。サクラは続けて言葉の雨あられを構えるけれど。
「そこら辺にしとけ、サクラ」
「痛っ……く、クリス! 後ろから現れてチョップはやめろって言ってるでしょ!」
同僚のクリスに窘められてしまった。
「助かるクリス」
「いえいえ。まあでも、サクラと話をするぐらい、構わないと思いますけどね、俺も」
「うぅむ……」
「あ、もしかして船長、怖い話苦手だったりします?」
「そ、そんなことはない!」
コホン、と船長が咳ばらいを一つ。しかし彼の言葉の信憑性は、態度を見れば宇宙空間の空気ほどに薄いことがわかってしまう。
目聡いサクラはそれを見逃さない。だからこれ見よがしにクリスに向き直り、彼女は言った。
「まあいいや。じゃあクリス、怖い話しよ」
「いいぞサクラ。で、何を話すつもりだ」
「なぜお前らはコックピットでその話を始めるんだ!」
クリスもクリスで悪乗りの酷い人間だ。だから艦長も、思わず操縦席から立ち上がってしまった。なお、既に宇宙船は自動操縦であるために、わざとらしく操縦席に座る必要がないことを追記しておこう。
「このご時世になっても、宇宙空間の娯楽が少ないことは、船長なら知ってるでしょう? んで、俺にとっての娯楽は、船長の反応ってことでここはひとつ」
「くっ……」
コックピットから出ようとする船長の道を塞ぐクリス。その顔にはにたりといやらしい笑みを浮かべている。そんなものだから、今度こそ船長は観念したように、眉根を僅かに歪ませながら、操縦席に戻って言う。
「好きにしろ」
「やったー」
そうして本題は始まった。
「船長、もし宇宙船で死んだら、幽霊ってどうなると思います?」
「ほう」
そして意外にも、それは船長の関心を引く話題だった。なお、もともとはクリスとサクラが勝手に怖い話をするという前提は忘れてしまって構わない。話を始めた当のサクラも、遠くに見える星のようにその話を記憶の彼方に置いていってしまったのだから。
「それは前提として、幽霊というものが存在するという話でいいのかな?」
船長はひとつ、確認するようにサクラにそう言えば、サクラの方は幽霊のジェスチャーだろうか、手の甲を前に出してひゅーどろどろとつぶやいた。
「私は信じてますよ。幽霊万歳」
その横からクリスが口を挟む。
「幽霊とは人間の体の中に格納されている、見ることも触れることもできない内臓器官の一種として考えた場合、その答えは宇宙船に残る、が正解だ」
「夢もロマンの無い話だなぁ」
クリスが口にした仮説は、けれどサクラの目をしらけさせた。
「もっとこう、魂とかそう言うのあるじゃん!」
「お前の話は曖昧なのが悪い。もっと現実的な視野で物事を解説するべきだぞ、サクラ」
「クリスはそう言うところ性格悪いよねー!」
とまあ、こうして二人が喧嘩する姿も、既に日常茶飯事だ。そうして船長が間を取り持つのも、日常茶飯事の一つである。
「二人とも。まずは幽霊の定義から考えよう」
二人の言い合いをそう制した船長は、指を一本立てて言う。
「まず、幽霊とは死後の人間である」
「それ!」
続けて二本目の指が立てられる。
「幽霊とは、死後の人間は霊魂という形態に移行し、非物質存在になり、他物質存在からの干渉を受けないものとする」
「うーん、なんか理屈的だけど……まあ良しとしましょう!」
いったい何様なのだろうかこの女は、とサクラを見ていた二人は思うけれど、話をスムーズに進めるためには、こういうところで口を挟まないのも大切だ。
腕を組んで話を聞くような相手には特に。
「私、思うんですよ」
幽霊の定義づけが終わった後、サクラは言う。
「私たち、宇宙船で死んだら、宇宙空間に放り出されるんじゃないかって……」
その話を聞いて、船長とクリスは顔を見合わせた。
「……確かに、物質を通り抜ける性質があると考えると、肉体から出た瞬間にあらゆる物質を透過して宇宙船外に飛び出してしまう可能性もあるのか」
「まて、クリス。初歩的なことを忘れているぞ。慣性の法則だ。等速度で遺体が動いているのだとしたら、遺体から射出された幽霊も慣性の法則に従って等速運動をするはずだ」
「確かに、元をたどれば地球の時点で、公転についてくることができなければ宇宙空間に放り出されてしまうことになる。まあ、ここを考慮すると重力が幽霊に作用するかどうかという検討をする必要が出てくるが」
「重力は次元を超える力と呼ばれている。それを考えれば、物体的に存在しない幽霊も重力に縛られると考えても、さほど不自然じゃないと思うが?」
「なるほど。であれば、宇宙船から投げ出される可能性も――」
「私、船長とクリスさんのそういう理屈やなところきらーい」
怖い話と聞いて身構えていた船長だけれど、幽霊が何なのかということを突き詰める思考旅行となれば話は変わるようだ。
そんなものだから、当初の想像していた時とは違う方向に話が流れていくのを、サクラはつまらなさそうに眺めていた。
「もっとこう、ロマンに溢れる話をしましょうよ! 哲学的な!」
「自己の認識について考えるか?」
「そう言う話じゃなくて!」
ばっとチョップをするみたいに手を振り下ろして、話をぶった切るサクラ。彼女は唾を飛ばしながら言う。
「私たちが死んだとしましょう」
「どうやって?」
「シャラップ、クリス! 結果として死んだことが重要なんですよ! それで、幽霊になります」
「どうやって?」
「船長も黙っててください! 結果です結果! はい、幽霊になりました! 話はここから!」
びっ! っと今度は両手を横に開いて話を繋げるサクラ。まるで野球のセーフ判定のようなジェスチャーに、クリスが少し笑いそうになる。
「真っ暗な宇宙空間を、幽霊の状態で漂うことになるわけですけれど……ここで一つ疑問が浮かびました」
「というと?」
「地獄の存在ですよ」
ぱちくりと、船長とクリスが目を瞬かせる。
「ヒンドゥーのナラカ、カトリックの煉獄、仏教の地獄……まあどの宗教でも構いません。結局、死んだ魂はいずれ大地に帰ると多くの宗教は語っています。それで、その大地ってどこにありますか?」
「確かに、面白い問題だ」
サクラの話を聞いて、船長は天井を見上げた。けれど宇宙空間にとっての上とは下であり、それは右かも左かもわからぬ定義である。一つの惑星を中心とした上下左右の感覚は曖昧模糊であるために、或いは船長はその時、地面を見下ろしていたのかもしれない。
ともかく、船長は言った。
「宗教的な意味で言えば、私たちは今、神々よりも高い場所に居る」
地獄と対を為すのが天国であるように、偉大なものが天高くに居るという法則は、やはりどの宗教でも見られる特徴だろう。宗教だけではない。多くの伝説が、それを語っている。
「つまり、今の俺たちは神様ってことだ」
「宗教が形骸化しつつあるとはいえ、その言葉はいろいろと波紋を呼びそうだけどね」
と、冗談めかしたクリスの言葉にサクラは呆れる。
さて、話は戻して。
「宇宙空間に地獄はない。だって地獄は大地の底にしかないから。宇宙空間に天国はない。だって天国は空の上にあるから。じゃあ、ここで死んだらどうなるの?」
疑問は最初に立ち返る。
「死んだら最後、何もない宇宙空間に放り出されて、天国にも地獄にも行けないまま、深海を泳ぐ魚のようになるしかないの? それとも、悪霊になってまで宇宙船にしがみつかないといけないの?」
クリスも船長も、サクラのその薄暗い木陰のような問いかけに対する答えを見つけることができなかった。だから少しの沈黙がコックピット内に充満する。宇宙服でも身に付けていたら、この沈黙の気まずさからも逃れることができただろうか? そう思わずにはいられない。
それからクリスが、ぽつりととあることを口走る。
「ひとつ、面白い話をしてやろう」
「おい、クリス。さてはお前、怪談をするつもりだな?」
「ご明察」
クリスの答えに、船長が眉を顰めた。
ただ、そんな船長の反応すら楽しんで、クリスは語る。
「これは少し前に聞いた話だけどな――」
◆
ある男がいた。
貧困層に生まれたその男は、要領が悪く食い扶持を稼げずにいた。親から受け継いだ家を売って、それでも食うに困った男だけれど、彼の前にある知らせが届く。
惑星開拓事業の従事者募集。
地球の農耕事業は、既に管理AIによって完全自動化されていて、多くの失業者が出た時期の話だ。それはもう深刻な社会現象ということもあって、政府はある施策をする。それが、男の下にも届いた惑星開拓事業。
平たく言ってしまえば、惑星版植民地と言ったところか。厄介払いの意味も込められた事業であったが、食い扶持の為とあってか、その事業には多くの参加者が集まった。
だが、事故はいつだっておこるもの。数千人を乗せた植民地船は、予測外の隕石と衝突し大破してしまったのだ。
男もその大破した植民地船に乗り込んだ一人。棺桶のようなベッドの中に伏せっていた男は、けたたましく鳴り響く船内アラームの音に飛び起きた。
船のどてっぱらに隕石が衝突した。その噂は秒と経たずに船全体に広がり、暴動のようなパニックを引き起こした。だが、ここは宇宙空間。逃げ場などなく、酸素も穴から宇宙へと流れ出て行くばかり。
できることと言えば、時計の前で残りの余命を数えることぐらいだった。
「こんなことなら、船に乗るんじゃなかった」
窓の外に広がる宇宙は美しく、けれど残酷なまでになにもない。人も、大地も、寄る辺もなにも。ありとあらゆる繋がりが、広大な暗黒には存在しない。
男は生まれて初めて孤独を感じた。
家族を失ったときでさえ、或いは家を手放した時でさえ、生きるのに必死であるがゆえに、感じることのなかった孤独を。
時計の針が進む。秒針が歩くようにゆっくりと感じられたその時、減圧された室内は死に汚染され、ついに男の生涯は幕を閉じた――かに、思われた。
男の意識は続いていた。
壊れた植民地船の中、宇宙を漂うゴミクズの上で、彼の意思は消えなかった。
「どうして私は生きている?」
疑問が男の頭を埋め尽くした時、男の近くから声が聞こえて来た。めそめそ。めそめそ。それは泣き声のように、無重力の中を跳ねまわる。
「誰かいるのか!」
男が叫び、声のする方へと向かうと、そこには無数の白い塊が浮かんでいた。男はすぐに気が付く。この沢山の白い塊が、植民地船に乗り込んだ人間だったことに。そして自分もまた、白い塊になり果てていたことに。
その時、誰かが言った。
「帰りたいよう」
主語はなくとも、意味は分かる。
だからこそ同調するように、めそめそとした泣き声は、慟哭のように口々に帰りたい帰りたいと泣き叫び始めた。
帰りたい。帰りたい。
あの星へ、故郷へ、自分たちの生まれた場所に帰りたい。
それは男にとっても同じだった。
故郷に何の思い入れもないはずなのに、それでも帰りたい。
「帰ろう」
遠く離れたあの星へ。この何もない場所にあって、男は一人ではないと気が付けた。だから男は、タクトを振る様に唱えた。
「帰ろう、あの光へ。あの星の下へ」
男の言葉に、白い塊は一人、また一人と同調する。さんざめく慟哭は、次第に空を見上げる合唱となり、遥か向こうにある故郷を見定めて飛び出した。
一人、また一人。男が先導するまでもなく、次々に魂が宇宙へと旅立っていく。男は思った。
「この何のつながりもない虚無の中で、せめて私たちだけでも」
それは男だけではなく、そこに居た全員の思い出もあった。それは次第にもつれ合い、マフラーを編むように連なり、白いほうき星を描き出した。
そのほうき星は、故郷へと向かう星。
今もなお、広い宇宙をそのほうき星は彷徨っているという――
◆
「――って話だがな」
「やっぱ彷徨う系じゃないですかぁぁ……!!!」
ボロボロと泣き出しそうなほどに声を震わせるサクラが、今の話を聞かせたクリスをポコポコと殴り始めた。ただ、クリスはじゃれ合いのような拳を受けながら言う。
「サクラ。俺が言いたいのはだな、もし宇宙船で死ぬことがあったとしても、それは一人だけじゃないって話だ」
「……というと?」
「今どきの船になぜ生命維持装置がある? 緊急時でも、ゴールまでケガ人を生かしておくためだ。だからもし、宇宙船の中で死ぬことがあったとしたら、それはクルー全員が死んじまうようなどうしようもないことが起きた時だけだ。つまり、一人じゃない」
「……確かに」
どうやら今の話は、クリスなりの励ましだったそうだ。もちろん、死んだとしても一人じゃないというのが、死を恐れる人への励ましになるかは措いておくとして。
「そう言うところは、クリスのいいところだと思うな、私」
「何様のつもりだサクラ」
ピンッとデコピンで迎撃され、悶絶するサクラである。それをサクラは、クリスの照れ隠しだと取ったようだが、クリスからしてみれば、せっかく励ましたのに馬鹿にされたようでイラっと来ただけの行動なので、やはり二人は噛み合わないと言わざるを得ない。
ところで船長はというと。
「二人とも見てよ。船長の顔が真っ青だ」
「ありゃぁ、なんか悪いことを思い出した時の顔だな。おい、試しにサクラ、聞いてみろよ」
「らじゃー!」
こういう時ばかりは仲のいい二人には呆れるしかない。
さて、そんなわけで船長に突撃するサクラ。もちろんコックピットの出入り口にはクリスが陣取っているため、逃げることはできないままだ。
「せ、ん、ちょ~! なーに思い出したんですかっ!」
「な、なにも思い出していないぞ。なにもな。別に船がどうとか、そんなことは――あ」
「ふ、ねぇ?」
と、そこでいつの間にかコックピットの出入り口から離れていたクリスが、船内放送用のマイクを手に取って一言。
「えー、船内放送、船内放送。現在、船長が面白い話を隠して独り占めしている。至急、船長の知ってる怖い話リストから船に関係する話を知っている奴はコックピットにまで来い」
「悪乗りが過ぎるぞクリス!?」
暇人のすることはとんでもない。彼らはこの宇宙空間のように何もない時間を埋めるためなら何でもするのだろう。
そうしてコックピットの出入り口から、一人のクルーが現れた。
「何やってんのクリス」
「あ、オリヴィアだ」
やってきたのは工学者のオリヴィアだった。呆れた顔をした彼女は、クリス、サクラ、船長と順番に顔を見てからため息をつく。もちろんその理由は単純で。
「面白いことをするなら私を呼びなさいと何度言ったのか忘れたの?」
「悪いなオリヴィア。突発的に始まったことだから、伝えるのが遅れた」
「まあいいわ」
そうして、そそくさと会話の輪に入るオリヴィア。船長はと言えば、操縦席に座って、ここに味方はいないのかと絶望するように脱力していた。
「それで、何の話かしら?」
「サクラの言い出しで、宇宙船で死んだ幽霊はどうなるのかってのが話の始まりだ。で、船長が船にまつわる怪談を隠してやがるから、心当たりがあるなら教えてもらおうと思ってな」
「船、ねぇ……」
顎に手を当てて思案するオリヴィア。その間に、クリスはコックピットの出入り口に戻り、船長に逃げ道を封鎖した。
「ああ、あったわそう言えば」
「お、聞かせてくれ」
「楽しみ~!」
果たしてそれが、船長の言う話と同じなのかは知らないけれど、と前置きをしつつ、オリヴィアは話し始める。
「これはあるパイロットから聞いた話なのだけれどね」
◆
アイナーというそのパイロットは、惑星と航宙母艦を行き来する運搬員の一人だった。食料を始めとして、消耗品、燃料、空気、水などなど、常に宇宙空間を漂う母艦に様々な資材を届けるのが彼の仕事だ。
宇宙船のパイロットを始めて七年、とうの昔に新人を卒業したアイナーだったけれど、そんな彼にもわからないことが一つだけあった。
それは、母艦の中に何百台と並ぶ宇宙船の中にあって、一度として倉庫から出たところを見たことがない、埃を被った宇宙船の正体だ。
忙しい時になれば、それこそ数百という宇宙船が一斉に母艦を離れ、近くの星に飛来するのが日常だけれど、そんな時ですら、その船は静かに一人、倉庫の中に居る。
パイロットが足りないわけではない。訓練生や新兵を含めれば、今ある船の三倍のパイロットが母艦にはいるわけで、全艦出動の命令を受ければ、見習いの尻を叩いてまで船を操縦させるのが、パイロットの常識だ。
それでも残っている船は、アイナーの中で大きな謎であった。
さて、その謎の真実を知るのは、母艦の食堂で件の宇宙船について、アイナーが雑談交じりに言及したときのことだった。その時、ラスクのような保存食をかじっていた彼の同僚が、冗談を語る口調で言った。
「あの船は呪われてるのさ」
「呪い?」
そんな非現実的な、とアイナーは口走る。恒星間航行時代に突入した人類は、科学の光が夜を消した時よりも多くのオカルトの正体を白日の下に晒して来た。
だというのに、呪いだなんて。冗談にしても性質が悪い。だが、同僚は語った。
「どうもあの船は、予定外の故障が多く起きるそうだ。だが、原因は不明。何にも問題はないってわけで、廃棄するわけにもいかず、誰も使いたがらないもんだから、あそこに仕舞ってあるって話だぜ」
「それは、上層部も認識しているのか?」
「そうじゃなきゃ、発進命令の無視ができるかよ」
その時、アイナーが感じたのは、じわじわと頭から体へと広がるような怒りだった。頑固で生真面目なアイナーは、特別扱いというのがどうにも気に入らない。規律があり、それに従う調和こそが彼の愛する世界であり、パイロットとして規律に従う自分に、彼は誇りを持って生きて来た。
だからこそ、規律から外れた船というのが、どうにも許せなかったのである。それが呪いだなんて、非科学的な理由ともなればなおさらだ。
「私が上層部に掛け合って、件の船の乗船許可をもらってくる。そうすれば、そんな噂がくだらない妄言だということが証明できるはずだ」
そう言って立ち上がったアイナーに向けて、同僚は言った。
「それが成功することを祈っているよ」
まるで、アイナーの方が間違っているとでも言うように。
かくして上層部に掛け合ったところ、あっさりと件の船の乗船許可は下りた。もとより、誰も使いたがらないからこそ、使われていなかった船である。ただ、一つ気になることがあるとすれば、行動のすべてを自己責任とする書類に署名をさせられたことだろうか。
アイナーはそれを、航宙母艦の上層部が、未だ旧時代的で非現実的な妄想に支配されている証拠だと憤慨した。
ともあれ、すぐにその噂も消えることだろうと、彼は確信している。それは彼の七年の経歴から来る自信によるものであり、また自分の仕事を支える現代科学への信奉に依るところもある。
ともかく、件の宇宙船に乗り込み、アイナーは自分の仕事に出た。噂のせいもあってか、乗組員はアイナー一人だけ。もちろん、大方の操作は管理AIの仕事であり、アイナーがすることと言えば、離着陸の微調整程度なので、大きな問題はなかった。
――大きな異常もなし。くだらない噂だ。
補給先の星へと向かう道すがら、操縦席に座ったアイナーはそう思った。このまま何事もなく星にたどり着けば、呪いだなんて冗談は二度と語られなくなるだろう。そう、期待していたアイナーであったけれど――
「なんだ」
その時、ぐわんと大きく機体が揺れた。大気圏突入に向けて、船はゆっくりと惑星の重力圏に移動していたはずが、急激に方向転換したのが原因である。
「おい、管理AI! どうなっている!」
「問題はありません」
「予定航路を外れているぞ! これのどこが問題ないんだ!」
「問題はありません」
「おい!」
怒りのままにアイナーは叫ぶけれど、管理AIは一つの言葉を反復するばかり。問題ない。それがまったくの嘘であることは、どんどんと進路を惑星から宇宙へと変えている船を見れば、一目でわかることだった。
「くそっ、何だ、何が起きている!」
原因不明の非常事態に困惑するしかないアイナーは、ひとまずこのままではどこか見知らぬ宇宙へと旅立ってしまいそうな船を停めるために、管理AIによる自動航行を緊急停止させた。
それはガラスのカバーを掛けられた非常スイッチを押すだけで終わる簡単な動作だったけれど、ガラスカバーを叩き割る直前で、アイナーは振り上げたこぶしを止めてしまった。
なぜなら、彼の脳裏にはある言葉が何度も何度も繰り返し反響していたからだ。
「それが成功することを祈っているよ」
あの自分のことを小ばかにしてきた同僚の言葉が、今になって明瞭に聞こえてくる。もし、このスイッチを押し、手動操縦に切り替えてしまったら、それはもう自分が、呪いの存在を認めたも同然ではないか、だなんて想像が、彼の脳裏に過ったのだ。
あれほどまでに声高に存在を否定し、更には上層部にまで言った行動が勇み足だったなんて、認められるわけがなかった。
しかし――
「あ……」
その時、彼の目の前の計器がある一文を示した。
――死にたくない。
何かおかしなエラー文だ。それは船体の故障個所を教えてくれるディスプレイのはずなのに、こんな私的な言葉が刻まれるわけがない。そう思い、今度は船外を写すディスプレイにアイナーは目を向けた。
そして、今度は僅かな言葉すら出ず、唖然とするほかなかった。
帰りたい。
死にたくない。
帰りたい。破損。空気。酸素。苦しい。地球。死にたくない。帰らなきゃ。お母さん。やだ。逃げられない。使命。仕事。責任。責任。責任。仕事。隕石。故障。破損。漏洩。やだ。死ぬ。仕事。死ぬ。死にたくない。死にたくない。死。死死死死死死死死死死死死死死――
――死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死
ガシャン!!!
ガラスが叩き割られ、管理AIの権限が全停止された。一時的に電気システムすら停止し、緊急航行用のシステムに切り替わり、真っ暗になった船内にぽつぽつと光が戻ってくる。
ディスプレイに、今しがた見た文字列は影も形もなかった。
その事実にアイナーは安堵しながら、操縦桿を握る。目標は眼下の惑星。
その後、この事実をもってして、自らの認識を改める旨を、彼は上層部に提出した。
今もその船は、ある航宙母艦の倉庫の中に眠っているという――
◆
「――って話ね」
「大変だサクラ、船長が倒れちゃった!」
「うわぁ、大事件!」
さて、話が終わったところで、船長の緊張も限界を迎えたのであろう。ばたりと操縦席に座っていた船長が、放心した様子で地面に転がった。
「呪い、ね。もしかしたら、その呪いの主は母星に帰りたかったのかも、なんて話かい?」
「それで管理AIのシステムを乗っ取れるだなんて、とんでもないコンピュータウィルスだけれどね」
大げさな反応で青ざめる船長とは正反対に、クリスはケロリとした様子で今の話を分析していた。
「せんちょー。せんちょー? だいじょうぶー?」
「……大丈夫に見えるか?」
「大丈夫そうだね」
なお、サクラ基準では船長の様子は大丈夫らしい。
サクラの目は腐っていると、船長は唾を吐いた。
「んで、船長」
「なんだよ」
「あー……」
しっかりとした怪談を聞かされたからだろう。いつにもまして不機な船長のぶっきらぼうな返事が、クリスを刺す。そんなものだから、流石のクリスもやり過ぎたな、と反省した様子だ。
「いや、今の話が、船長の隠していた話か?」
そうだ。と、サクラはここで今の話の本題を思い出す。つまり船長が隠した、面白そうな怪談なのだけれど。
船長は首を横に振って言う。
「違う」
「そうかぁ」
「んー、やっぱり難しいわね」
「残念」
「ほかにないのか、船に関する話は」
船長の否定に、一人ずつ残念がる声を上げた。
ただ、最後に声を上げたクリスは、どうも反省しきっていない様子。いや、反省したところで止まらないと言ったところだろうか。
果たしてこの男はどこで止まるのだろうか。と、ここで船長が続けて口を開いた。
「そんなに怪談が聞きたいなら、とっておきのを聞かせてやるよ」
船長のそんな言葉に、この場に居た三人は目を丸くする。あれほどまで怪談嫌いな船長がなぜ? そんな疑問符が無重力の中に浮かび上がる。
「これは昔から、宇宙船パイロットに伝わってる話だ」
ただ、そんな三人を置いてけぼりにして、真面目な顔をした船長が語る。
「宇宙船の旅ってのは、長い長い暇な時間がある。理解しているな?」
その通りだ。おおよその航行を管理AIに任せている手前、生活上発生する雑務と、宇宙船のメンテナンスぐらいしかやることのない船内生活において、何もしない時間というのはあまりにも長い。
だから今日も、こんな風に船長の反応を楽しみながら、怪談話に花を咲かせていたわけだけれど。
「どうもこのとんでもなく広い宇宙で暇つぶしをしたいのは、私たちだけじゃないらしい」
「と、言うと?」
船長の言葉に、サクラが聞き返した。
まだその話の全容を掴めずにいる彼女は、やはりはてなを空中に浮かべている。ただ、次の話を聞いて、浮かべていたはてなは霧のように消えてしまった。
「気づいていないのか?」
船長は言った。
「一人多い」