旅人のみなさん、こんにちは。
せっかくなので、盟友たちの話を書こうと思います。
あくまでも僕の妄想ですので、解釈不一致の場合はごめんなさい。
薄暗い森の中を、一人の青年が駆け抜けていた。
雷電陽。
右手には一本の刀。目指すは反対側にある森の出口。
ただ、それだけだった。
「よっと!」
陽は木々の間を縫うように走る。
足元の根を飛び越え、枝を避け、斜面を駆け下りる。
森の中は静かだった。
鳥の声。
葉擦れの音。
風が木々の間を抜ける音。
それ以外には、何もない。
――少なくとも、今はそう聞こえていた。
次の瞬間。
ヒュッ――。
「!」
陽が反射的に刀を抜く。
カァンッ!
一筋の矢が、刀身に弾かれた。
矢は地面へ落ちる。
しかし、陽は決して足を止めない。
「……来たか!」
振り返ることもない。
視線は常に前。
この先にある出口だけを見据え、再び駆け出す。
しかし。
ヒュッ!
今度は右。
陽は身体を捻る。
矢が頬を掠めた。
「くっ……!」
さらに一筋。
今度は左。
刀を振る。
カァンッ!
弾き落とす。
さらに、また一筋。
今度は背後。
陽は振り返ることなく、刀を後ろへ回した。
カァン!
矢が弾かれる。
「……!」
陽の額に汗が滲む。
速い。
矢そのものは殺傷力を抑えるため、鏃は潰されている。
だが。
放たれる速度まで遅くなっているわけではない。当たれば普通に痛い。
視界の範囲内に、敵の姿はない。
気配すら感じない。
それでも矢だけが飛んでくる。
陽は走り続ける。
森を抜ければ終わり。
出口に辿り着ければ、こちらの勝ち。
しかし。
ヒュッ!
「!」
陽が身を屈める。
頭上を矢が通過した。
その直後。
別方向から、もう一筋。
「くっ!」
刀で弾く。
さらに。
さらに。
さらに。
矢が飛んでくる。
陽はそれらを必死に弾き落としていく。
だが。
ドズッ!
森に響く鈍い音。
飛来した矢の一筋が、陽の脇腹に命中した。
「ぐあっ……!」
陽が顔を歪める。
あまりの痛みに、思わず足が止まりそうになる。
しかし。
「ああッ!」
止まれば、次が来る。
陽は歯を食いしばり、再び走り出した。
そんな彼の様子を、27間(約50m)ほど離れた木々の上から、天狗たちが見下ろしていた。
誰一人として声を出さず、気配も完全に殺している。
その中に一人だけ、陽をじっと見据える男がいた。
笹百合。
弓を扱う天狗の男であり、雷電将軍の愛将である。
彼の視線の先では、仲間の天狗たちが陽に向けて弓を引き絞っていた。
「………」
笹百合は、黙して陽の動きを見ていた。
これは、陽のために用意した稽古。森の出口まで走り抜ける間、天狗たちは木々の上から陽へ向けて矢を放つ。
決して、陽を痛めつけることが目的ではない。どこから矢が飛んでくるのか分からない状況で、敵の気配を察知し、攻撃が届くより先に反応する。
それが、この訓練の目的だった。
「……足と思考を止めるな、陽」
笹百合が小さく呟く。
そして、天狗たちは再び弓を引き絞った。
一筋、また一筋と矢が飛ぶ。
陽はそれを察知する。
音ではなく、目でもない。風の揺らぎ、木々の僅かな変化による一瞬を感じ取る。
陽は刀を振るう。
カァン!
矢が落ちる。
だが、その直後――
「――!」
別方向から矢が飛んできた。
陽は瞬時に振り向き刀を振るう。
しかし、僅かに遅い。
刀は矢を弾くことができず、肩に直撃する。
「ぐう……ッ!」
陽は僅かによろめく。
その隙に、さらに一筋。
今度は足元。
陽は紙一重で跳躍し、避けた。
息が荒い。
それでも走る。
笹百合は木の上から、その姿を見つめていた。
「戦場では、敵がどこにいるかなど誰も教えてはくれない」
静かに弓を引く。
「そして、どこから何が現れるのかも分からない」
弦が引き絞られる。
笹百合の目が細くなる。
「ほんの一瞬の差が、生死を分ける」
弦から手を離し、矢を放った、その時――
陽の目が、間違いなくこちらを捉えた。
「!」
笹百合が放った矢は、寸分の狂いなく陽へと飛ぶ。同時に、他の天狗たちが放った矢も陽目掛けて進む。
しかし、陽はーー
笹百合の矢を最小限の動きで避け、他の矢を全て弾き落としてみせた。
そして、迷わず出口へと走る。
「………」
笹百合は陽の姿を追いながら、先ほどの出来事を思い出していた。
偶然か、それとも本当に察知したのか。その問いの答えは陽にしか知り得ない。
だが――あの一瞬だけは。
陽は、新たな世界に足を踏み入れていた。
・・・・・
稽古を終えた陽は、天狗の里へと戻っていた。
「失礼いたします、陽様」
「ありがとう」
座った陽の前では、二人の女性の天狗が手当てをしている。
肩には、先ほど矢を受けた痕が残っていた。
脇腹にも大きな青痣ができている。
「少々痛むかもしれません」
「構わない」
天狗が薬を塗る。
「……っ」
陽が僅かに顔をしかめた。
「も、申し訳ありません」
「いや、大丈夫。気にしないでくれ」
「はい」
薬を塗り終えると、今度は肩に包帯が巻かれていく。
その間、もう一人の天狗が脇腹の傷にも薬を塗っていた。
先ほどまで森の中で一言も発することなく、陽へ矢を放ち続けていた者たちだ。
だが今は、陽の傷を心配そうに確認している。
「もう少し強く巻いたほうがよろしいでしょうか?」
「いや、これくらいで大丈夫だ」
「承知しました」
天狗が包帯を結ぶ。
「よし……。これで終わりです」
「ありがとう」
「とんでもございません」
天狗たちが一礼し、その場を離れていく。
それを見送った陽は、ふう、と息を吐いた。
「食らったのは二筋か……。まだまだだな」
視線を落とせば、包帯が巻かれた己の身体。もっと早く反応できていれば、無傷で森を出られたかもしれない。
怪我をしているということは、まだ矢を目で追っている証拠だ。
「影姉様なら、歩きながらでも対処できるんだろうな」
「それ以前に、射る前にこちらが鎮圧されるだろう」
部屋の隅に立っていた笹百合が口を開いた。
「間違いなっ……!」
陽は笑おうとしたが、脇腹に鋭い痛みが走る。しかし、「痛い」とは決して口にしない。
しばしの沈黙。
笹百合は陽を見つめた。
やがて、静かに口を開く。
「あの時……」
「ん?」
「お主には、何が見えていた?」
陽の表情が、僅かに変わる。
「あの時って?」
「矢を一筋避け、他の矢を叩き落とした時だ」
笹百合の声は、いつになく真剣だった。
「我が放った矢をお主は避けた。加えて、我の立つ場所を見ていた」
「……あの先にいたのは、笹百合だったのか」
陽は少し考える。
「……あれは」
陽は自分の手を見つめた。
「何て言えばいいのかな」
しばらく言葉を探す。
「矢が飛んできた、っていうより……」
顔を上げる。
「そこに、何かがいる気がした」
「………」
陽は胸の内を確かめるように続ける。
笹百合は黙って聞いている。
「そしたら本当に矢が飛んできて、簡単に避けることができた」
陽は少し笑う。
「正直、どうしてあの時だけそれができたのか、俺もよく分かってない」
「……そうか」
笹百合は目を細めた。
「なるほどな」
「笹百合は分かるのか?」
「いや」
笹百合は立ち上がる。
「まだ分からぬ」
そう言って、陽を見る。
「だが――お主は確かに、一歩進んだようだ」
「……そうか」
陽は小さく笑った。
「その感覚を[[rb:努努 > ゆめゆめ]]忘れるな。影に追いつきたいのであれば、なんとしてもそれを身につけろ」
「分かった」
陽は素直に頷いた。
その返事を聞いた笹百合は、満足そうに頷いた。
「その様子なら、今後の稽古はもう少し厳しくしてもいいかも知れんな」
「待て。待て笹百合」
陽が慌てて制止する。
「さっきまでの稽古で十分だろう?」
「何を言う。今のままでは影には遠く及ばんぞ」
「それは分かっているけど……」
陽は肩を押さえる。
「この状態でさらに厳しくされたら、俺が城へ帰れなくなる」
「ならば、帰れる程度にしてやろう」
「そういう問題じゃないんだよ」
陽が苦笑する。
笹百合も、僅かに口元を緩めた。
・・・・・
ある日のこと。
城内にある弓道場に、乾いた音が響いた。
ヒュッ――。
ドスッ!
放たれた矢が、遠く離れた的の中心を正確に射抜く。
「……すごいな」
陽は思わず声を漏らした。
隣では、笹百合が静かに弓を下ろしている。
「全部、真ん中だ」
陽は遠くの的を見つめる。
一本だけではない。
先ほどから放たれた矢は、すべて寸分違わず中心に集まっていた。
しかし、笹百合は表情を変えない。
「これくらいできなければ、天狗の名に泥を塗るも同然」
「へぇ……」
陽は感心したように頷く。
「じゃあ、どこが限界なんだ?」
その何気ない一言に、笹百合の眉が僅かに動いた。
「限界、だと?」
陽は遠くの的を見ながら頷いた。
「どこまで離れても、真ん中を射抜けるのか気になってさ」
「……なるほど」
笹百合は少し考える。
そして、ふっと笑った。
「ならば、確かめてみるか」
「いいのか?」
「無論だ」
笹百合は弓を手に取る。
「この道場では狭い。表へ出よう」
そう言って、二人は的を持って弓道場を出た。
城内の広い場所まで移動すると、近くで警備に当たっていた兵士たちが何事かと駆け寄ってくる。
「陽様、笹百合様、いったい何を……?」
「ちょっとした試しだよ」
陽が答える。
兵士の一人が、運ばれてきた的と二人を見比べる。
「まさか……ここで?」
「そうだ」
「しかし、ここまで離して射るのは危険ではありませんか?」
「心配ない」
陽は何でもないように答える。
「万が一外したら、全部笹百合の責任だから」
「……陽」
笹百合が呆れたように振り返る。
「我が外すなど、あり得ぬ」
「ほら、本人もこう言ってる」
「いや、そういう問題ではなくて……」
兵士たちは困ったように二人を見る。
「このことがもし将軍様に知られたら……」
「外さなければ、丸く収まる」
笹百合が即答する。
一方の兵士は、諦めたように息を吐いた。
「……承知しました。ただし、何かあっても我々は助けられませんからね」
「分かった」
陽が頷く。
「じゃあ、始めようか」
「うむ」
笹百合は弓を構えた。
陽は少し離れた場所から、その姿を見つめている。
「まずは、ほどでいいか?」
「うむ」
的までの距離は、およそ27間。
笹百合が静かに弦を引く。
一度は散ったはずの兵士たちもやはり気になるのか、少し離れた場所から様子を見守っていた。
「………」
笹百合の目が的を捉える。
そして――
ヒュッ
ドスッ!
矢は寸分違わず、的の中心へ突き刺さった。
「おお……」
兵士たちから、思わず声が漏れる。
「どうだ?」
笹百合が振り返る。
「すごいな、真ん中だ」
陽からの言葉に、笹百合は胸を張る。
「これくらい、造作もない」
「じゃあ、もう少し離してみよう」
「よかろう」
陽と笹百合はさらに後へ下がる。
距離は、およそ38間(70m)。
「この距離でも?」
陽が尋ねる。
「無論」
笹百合は迷わない。
再び静かに弓を引く。
ヒュッ――。
ドスッ!
またしても、中心。
「おおっ!」
今度は兵士たちから、はっきりと歓声が上がった。
いつの間にか、先ほどの兵士だけではない。
近くにいた者たちまで足を止め、こちらを眺めている。
「笹百合様、あの距離を……」
「一体どこまで届くんだ?」
「さあ……」
そんな声が聞こえてくる。
陽も楽しそうに笑った。
「じゃあ、次は一町だ」
「一町?」
笹百合が遠くを見る。
「これ以上となると、的には当たっても中心は射抜けぬかもしれぬ」
「じゃあ、ここが限界なんだな」
「まだ射っておらぬぞ」
笹百合は的を見据える。
「それに――」
弓を構える。
「限界というものは、自ら確かめてみなければ分からぬ」
一町、およそ100m。
風が吹いている。
的の周囲にある草木が、風に揺れていた。
笹百合はしばらく風の流れを見つめる。
「陽」
弓を握る手に、風が集まり始める。
「主に、我の力を見せてやろう」
「……え?」
周囲の兵士たちもざわめいた。
矢を包み込むように、淡い風が纏わりついていく。
「笹百合、それは……」
「見ていろ、陽」
笹百合の目が鋭くなる。
「我の矢は、何者にも止められん」
弦が、限界まで引き絞られる。
そしてーー
ヒュッ!
矢が放たれた。
一直線に、一町先の的へ向かって飛んでいく。
矢を起点とし、風が回転。横からの風を完全に受け流す。
そして、矢は完璧に的の中心に――
ドガァァァン!!
「「「「あ。」」」」
轟音とともに、大量の土煙が巻き上がった。
「……?」
陽が目を細める。
あまりにも大きな音だった。
ただ的に矢が刺さっただけなら、こんな音がするはずがない。
「笹百合」
「……ああ」
二人は同時に駆け出した。
土煙の向こうへ。
やがて風が吹き抜け、視界が少しずつ晴れていく。
「…………」
「…………」
二人は立ち止まった。
そこにあるはずだったものが――ない。
的があった部分の城壁が、跡形もなく消えている。
そしてその向こうには、青い海が広がっていた。
「…………」
「…………」
陽と笹百合は、しばらく何も言わなかった。
やがて。
「……笹百合」
「なんだ、陽」
「城壁、どこいった?」
「我に聞くな」
「だって、矢を射ったのは笹百合だろ」
「お主が射ろと言ったのだろう!」
「いや、射るのはいいけど、壊せとは言ってない!」
「我も壊すつもりなどなかった!」
「じゃあ、なんで壊したんだよ!」
「知らぬ!」
「知らぬじゃないだろ!」
二人の言い争いを、周囲の兵士たちは呆然と見つめていた。
「……そもそも、お主が余計なことを言わなければ――」
「笹百合が勝手に風元素を使ったんだろ!」
「限界を見せろと言ったのはお主だ!」
その時。
「二人とも……これはどういうこと?」
「「!」」
背後から、聞き慣れた声が響いた。
二人が振り返る。
そこには、騒ぎを聞きつけて駆けつけた眞が立っていた。
そして、その視線の先には――
ぽっかりと開いた城壁。
その向こうに広がる、青い海。
眞はしばらく、それを見つめる。
「………」
陽と笹百合も黙る。
やがて二人は顔を見合わせ――
「……手遅れか」
「だな」
――後日。
壊れた城壁の前。
「そこ、もう少し右だ」
「こうか?」
「ああ。それでいい」
黙々と城壁の修理をする陽と笹百合を見た影は、人知れず頭を抱えるのだった。
つづく
陽→笹百合について……
笹百合は厳しい。稽古となれば一切の妥協を許さないし、俺が少しでも気を抜けばすぐに叱られる。
でも、あいつは優しい。俺が困っている時は必ず手を貸してくれるし、何も言わずに隣にいてくれることもある。
厳しくて、頼りになって、少し意地っ張りで。俺にとっては尊敬する師匠であり、大切な友だよ。
笹百合→陽について……
陽は……不思議な男だ。魔神でありながら、人の中へ入っていくことを恐れぬ。民の声を聞き、子供と遊び、時には我ら天狗や他の妖怪とも酒の席を共にする。あれほど他人を惹きつける者を、我は他に知らぬ。
戦いに関しては、まだまだ未熟だ。だが、それを恥じることなく学ぼうとする。……そして何より、あやつといると退屈せぬ。
我にとって陽は、守るべき主君の一人であると同時に――かけがえのない友でもある。