彼女達の未来のために 作:おっさんとチルドレン
休み時間の校庭では、東野が少し離れたところから得意げに手を振っており、その横では千里が呆れたような顔で二人の様子を眺めていた。
何を始めるのかと思って近づいてみれば、校庭の端から遊具まで誰が一番早く走れるかという、説明するほどのものでもない競争をしようとしているらしい。
「薫、今日は逃げんなよ!」
「誰が逃げんだよ。昨日は用事あっただけだろ!」
「じゃあ勝負な!」
「いいぜ!」
勢いで返事をしたものの、薫はすぐに、自分が超能力者であることと足の速さには何の関係もないという当たり前の事実を思い出した。
念動力を使えば勝つ方法はいくらでもありそうだが、そんなことをすれば競争そのものの意味がなくなるため、当然ながら自分の足だけで走るしかない。
千里が開始の合図をすると、二人は同時に地面を蹴り、遊具へ向かって校庭を駆け出した。
東野の方が身体の使い方に慣れているのか、最初の数歩でわずかに前へ出られ、薫も必死に腕を振って追いかけたものの、最後までその差を詰めきれなかった。
遊具へ先に手を触れた東野が振り返り、勝ち誇った顔で両手を上げる姿を見て、薫は息を切らしながら思いきり眉を寄せた。
「よっしゃ! 俺の勝ち!」
「一回だけだろ! もう一回!」
「負けたやつが言うなよ!」
「次は勝つ!」
その場へ追いついてきた千里が二人を見比べ、肩を揺らしながら笑った。
「薫ちゃん、B.A.B.E.L.行ってるのに普通に負けるんだね」
「超能力と足の速さ関係ねーだろ!」
「飛べば?」
「やらねーよ!」
そんなことをすれば反則どころの話ではない。
薫は口では文句を言いながらも、こうして普通に負けて悔しがれる時間が、施設で評価されることよりずっと気楽だと感じていた。
事故現場で人命救助に関わり、その結果としてB.A.B.E.L.内部の評価まで上がったとしても、学校へ戻れば自分は東野にかけっこで負ける小学一年生でしかない。
そして、その両方が今の自分なのだと思えば、特別扱いされすぎないこの生活はかなり居心地がよかった。
ただし、その日の放課後には少しだけ普段とは違う予定が待っていた。
先日の評価説明で、今後は利用できる訓練区画が増えるかもしれないと言われており、その正式な説明を秋江と一緒に聞くことになっている。
薫自身は新しい訓練設備が使える程度だろうと思っていたが、実際にどこまで行動範囲が広がるのかまでは聞かされていなかった。
放課後になり、校門で秋江と合流すると、二人はいつもの道を通ってB.A.B.E.L.の施設へ向かった。
「今日は新しい訓練の話なんだっけ?」
「たぶんな。使えるとこ増えるかもって」
「危ないことじゃないでしょうね」
「前も仕事させるわけじゃねーって言ってただろ」
「それでも確認するのがお母さんの仕事です」
胸を張る秋江を見て、薫は少しだけ苦笑した。
前の人生で自分が子どもを送り出す側だった頃にも、本人からすれば大丈夫だと言いたくなるようなことを、念のため何度も確認していた気がする。
その時には必要なことだと思っていたのだから、今の自分が同じことをされて面倒がるのは少し都合が良すぎるだろう。
施設へ到着して受付を済ませると、いつもの担当職員が二人を待っており、その手には見慣れない薄いカードが一枚あった。
薫が思わず視線を向けると、担当職員はすぐ気づいてカードを少し後ろへ引いた。
「まだ触らない」
「見るだけだろ」
「説明終わってから」
「ケチ」
「ルールです」
秋江が横で笑いながら、二人のやり取りを見ていた。
案内された説明室には、いつもの担当職員のほか、安全管理を担当する職員と、子どもの能力訓練を扱う育成担当者が一人座っていた。
前回の評価会議ほど人数は多くなく、内容も事故検証ではないため、全体的な空気はかなり穏やかだった。
「まず最初に、前回と変わらないところから確認しますね」
育成担当者が資料を開いた。
「明石薫さんの登録超度は4のままです。リミッターの条件にも変更はありませんし、学校生活や現在の通所回数を増やす予定もありません」
その説明を聞き、秋江が最初に少し安心したような表情を見せた。
「訓練が増えるという話ではないんですね」
「はい。回数を増やすのではなく、同じ訓練時間の中で選べる内容を少し広げようと考えています」
「だったらよかったです」
秋江がそう答えたあと、育成担当者は今度は薫へ視線を向けた。
「この前の事故で分かったのは、薫ちゃんは出力そのものより、細かい操作や状況に合わせた使い方の方がかなり得意だということです」
「それ、前も聞いた」
「そうだね。だから今度は、その得意なところをもう少し安全に伸ばせる訓練を用意しようという話になったんだ」
内容を聞けば、薫にとっても悪い話ではなかった。
本来の大出力を知られないまま、精密操作については普通に伸ばしていく方針を決めたばかりなので、B.A.B.E.L.側からそのための環境を用意してもらえるのはむしろありがたい。
ただし、どんな訓練が待っているのか分からないため、薫は少し前のめりになって資料へ目を向けた。
「どんなのやんの?」
「複数の物を指定位置へ維持する課題とか、動いている物の軌道を少しだけ変える訓練とか、模擬的な落下物への対応なんかかな」
「三つとかも?」
「まず二つをもっと確実にしてから」
即答され、薫は少しだけ口を尖らせた。
「分かってるって」
「今ちょっと残念そうだったけど」
「別に」
まだ二物体操作すら完全ではない以上、三つへ進むのが早いことくらい自分でも理解している。
それでも新しい訓練と聞けば、今までより難しいことを試したくなるのは自然な反応だと思うのだが、担当職員には簡単に見抜かれているらしい。
「その訓練を行うために、今までの一般訓練区画だけでは少し不便になるので、利用できる範囲を広げます」
そこで先ほどのカードが机の上へ置かれた。
「これは拡張利用証です。今使っている登録証に追加情報を入れてもいいんだけど、しばらくは訓練用の権限を分けて管理することになりました」
薫はカードを手に取り、表と裏を見比べた。
特別な装飾もなく、名前と簡単な識別情報があるだけで、見た目は思った以上に普通だった。
「……普通だな」
「何を期待してたの?」
「もっとこう、すげー感じの」
「どんな感じ?」
「知らねーけど」
自分でも具体的な想像があるわけではなく、薫は適当に誤魔化してカードを机へ戻した。
「それで、利用できるのはどこまでなんですか?」
秋江が尋ねると、安全管理担当者が施設内の簡略図を広げた。
これまで薫が自由に利用できたのは、受付から一般訓練室、更衣室、指定された休憩スペースまでの限られた範囲だった。
今回からは、そこに高度訓練用の一部区画、能力者向けの資料スペース、共用休憩室などが追加されるらしい。
「一人で歩いていいんですか?」
「許可された共用区画だけなら。ただし訓練室へ入る時は基本的に担当職員が付きますし、それ以外の区画はカードを使っても開きません」
「ログも残るんですよね?」
「もちろんです。どの扉を何時に通ったかは記録されますし、共用部にはカメラと巡回職員もいます」
秋江がそこまで確認してようやく頷き、薫も内心では当然だと思っていた。
行ける場所が増えるといっても、施設全体を自由に歩けるようになるわけではない。
職員専用区画や医療管理区域、危険度の高い訓練室、個別管理区画などはこれまで通り立入不可であり、利用証をかざしても扉そのものが開かない。
B.A.B.E.L.が六歳児へ突然自由行動を認めるほど緩い組織ではないことくらい、ここまで通っていれば十分分かっていた。
資料へ目を落としていた薫は、その端に小さく記された文字へ気づいた。
「特務適性候補?」
声に出した瞬間、秋江の視線がすぐそちらへ向いた。
「特務?」
担当職員が「あ」と小さく声を漏らし、育成担当者が苦笑しながら説明を引き取った。
「そこは少し言葉が大げさなんですけど、今すぐ仕事へ出すという意味ではありません」
「ですよね?」
秋江の声が少し低くなる。
「もちろんです。将来的に本人が希望して、年齢や能力、安全性、精神面などの条件が揃った時に、高度な能力運用へ適性があるかもしれないという内部上の分類です」
薫は資料と職員の顔を交互に見た。
「候補の候補みてーなもん?」
「ものすごく雑に言えば、そうかな」
「じゃあ、たいしたことねーじゃん」
「響きだけで期待してた?」
「してねーよ」
少しだけしていた。
しかし、実態が高度訓練を受けられるかもしれない登録児童という程度なら、今の年齢を考えればそのくらいがちょうどいい。
秋江はまだ少し心配そうな表情を残していた。
「能力があるからって、大人の仕事まで早くから背負わせるようなことはしないでください」
その言葉には冗談らしい軽さがなく、薫も横から母親の表情を見た。
「そのつもりはありません」
育成担当者もすぐ真剣な顔で答えた。
「子どもの能力を伸ばすことと、子どもへ責任を背負わせることは別だと考えています。今は安全な使い方と、本人が自分の力を理解することが目的です」
薫はそのやり取りを聞きながら、昔の自分ならどう考えただろうと思った。
子どもに何か得意なことがあれば、できるだけ伸ばしてやりたいと思うのは親として自然だった。
しかし、できるからといって、その能力を誰かのために使う責任まで当然のように背負わせていいわけではない。
才能を伸ばすことと役割を押しつけることは違う。
その区別は簡単なようでいて、守る側へ回ると見失いやすいものなのかもしれなかった。
説明が一通り終わると、薫は新しい利用証を受け取り、担当職員と一緒に今回追加された区画を見て回ることになった。
秋江も最初は同行する予定だったが、安全上問題のない場所だと分かったため、途中から休憩スペースで待つことにした。
いつも使っていた廊下の途中から別方向へ曲がり、これまで通ったことのない扉へ担当職員がカードをかざす。
電子音とともに扉が開くと、その先には似たような白い廊下が続いていたものの、壁へ表示されている訓練区画の番号は全く見覚えのないものだった。
「こんなとこあったんだな」
「そりゃあるよ。薫ちゃんが今まで使ってたの、施設全体から見たらほんの一部だから」
言われてみれば当然だった。
自分は何度もB.A.B.E.L.へ通っているが、それはあくまで登録児童として必要な場所へ案内されていただけで、職員でも関係者でもない。
見えている範囲だけで施設全体を知った気になっていた方が、むしろ少し傲慢だったのかもしれない。
最初に案内された訓練室へ入ると、薫は思わず小さく声を漏らした。
「おお……」
一般訓練室より広い室内には、床や壁へ可動式の装置が組み込まれ、天井にも複数のセンサーや保護設備が並んでいる。
事故現場ほど大きな構造物はないものの、模擬的な障害物や動く足場まで用意されており、明らかに今までより複雑な訓練ができる場所だった。
「やっぱこういうの好きだね」
「でかい装置あると気になるだろ」
「この前も同じこと言ってた気がする」
担当職員が笑いながら、中央にある小型の可動台へ二つの軽い物体を置いた。
「今日は体験だけだから、難しいことはしないよ。この二つを浮かせたまま、台がゆっくり動いても位置を保てるかやってみよう」
「動かすのはあたしじゃねーの?」
「今日は対象を動かすんじゃなくて、外から動かされた時に維持する練習」
説明を聞いた時には、それほど難しくないように思えた。
薫は二つの物体へ念動力を伸ばし、台から少し浮かせた状態で同じ高さへ保つ。
「じゃあ動かすよ」
担当職員が操作盤へ触れると、台がゆっくり右方向へ動き始めた。
その瞬間、二つの物体が台へ引っ張られたように右へ流れ、薫は慌てて止めようとしたものの、今度は一方だけが左へ戻りすぎた。
「うわ、むずっ!」
二つをいったん台へ戻し、薫は思わず顔をしかめた。
「だからここで練習するんだよ」
「動いてんの台なのに、なんでこっちまで変になるんだよ」
「見てる基準が台の方へ引っ張られたんじゃない?」
言われてみると心当たりがあった。
自分では空間の同じ位置へ物体を残すつもりでも、目が動く台を追ってしまったため、無意識に物体まで一緒に動かしていたらしい。
二回目は壁の一点を基準にしながら浮かせると、最初より流れは少なくなったものの、今度は台の移動が止まった瞬間に二つの高さがずれた。
評価が高いからといって何でも簡単にできるわけではなく、新しい条件が一つ加わるだけで今までの操作が簡単に崩れることへ、薫は悔しさより面白さを感じていた。
「もう一回」
「今日は体験だから、あと二回ね」
「少なくね?」
「最初から飛ばさない」
「分かってるって」
三回目では、二つを同時に維持しようとするより、一方を基準位置へ置いてから、もう一方をその相対位置へ合わせる方法を試した。
完全に安定するところまではいかなかったものの、最初のように二つとも大きく流れることはなくなり、担当職員からも今はそれで十分だと言われた。
新しい区画へ入っただけで急激に何でもできるようになるわけではない。
むしろ、まだ知らない課題がいくらでも存在することを目の前で見せられたようで、薫は少し嬉しかった。
その後は訓練室を出て、同じ区画内にある資料スペースへ案内された。
能力者向けの安全教材や訓練資料が並ぶ棚の横には、子ども向けの本や雑誌まで置かれており、その中には普通の漫画もいくつか混じっている。
「漫画あんじゃん」
「教材だけ置いても子ども来ないからね」
「分かってんじゃん」
「何を?」
「そういうとこ」
休憩できる机や飲み物の自動販売機もあり、今後は訓練と訓練の間にここで待つこともできるらしい。
これまでのB.A.B.E.L.は、薫にとって決められた訓練を受けて帰る場所という意味が強かったが、利用範囲が広がれば少し長く滞在することも増えそうだった。
資料スペースから共用休憩室へ移動すると、そこには薫より年上の能力者や職員が何人かおり、それぞれ飲み物を飲んだり資料を読んだりしていた。
誰も薫を特別扱いするわけではなく、登録児童の一人として簡単に挨拶されるだけだったため、その普通さには少し安心する。
「ここまでは一人で来てもいいからね。ただし、決められた道から外れないこと」
「カード通んねーとこは行けねーんだろ?」
「そうだけど、試しに全部触って回らないように」
「そんなことしねーよ」
担当職員が疑わしそうな顔をしたため、薫も少し不満そうに睨み返した。
案内の終盤、二人はこれまで使っていた区画とは少し離れた廊下を歩いていた。
途中には許可された共用スペースへ繋がる扉だけでなく、明らかに雰囲気の違う頑丈な扉もいくつか並んでいる。
薫は好奇心から自分の利用証を一枚目の端末へ近づけてみたものの、すぐ赤い表示と短い警告音が返ってきた。
「そこは駄目」
「分かってるよ。試しただけ」
「試すな」
「開かなかったからいいじゃん」
「そういう問題じゃない」
軽く叱られ、薫は利用証をポケットへ戻した。
扉の横には管理区域であることを示す表示があり、職員専用と思われる通路がその先へ続いているようだった。
ただ、壁際に置かれた備品の中には少し小さなサイズのスリッパが混じり、注意表示も低い位置に掲示されているため、完全に大人だけが利用する区域ではないらしい。
子どもも使う場所なのか。
その程度の疑問は浮かんだが、B.A.B.E.L.には自分以外にも多くの未成年能力者が登録されている以上、それだけで特別な意味を考える理由はなかった。
「そっちは許可外だから、行くよ」
担当職員から声をかけられ、薫も特に質問せずその場を離れた。
今の自分には、その先へ行く理由がない。
誰がいるのかも知らず、何が管理されているのかも分からない場所へ、好奇心だけで入り込むほど無謀ではないつもりだった。
一通りの案内を終えて秋江と合流すると、母は最初に新しい訓練が危険ではなかったか確認した。
「どうだった?」
「むずかった」
「危なかった?」
「全然。動いてる台の上で二個浮かせるやつやったけど、めちゃくちゃずれた」
薫が少し悔しそうに話すと、秋江はむしろ安心したように笑った。
「難しいけど面白かったなら良かったじゃない」
「まあな。今度もうちょいやりたい」
「無理しない範囲でね」
「分かってるって」
帰宅後は特別なことをするでもなく、薫はいつものように学校の宿題を済ませ、秋江と夕食を食べて風呂へ入った。
B.A.B.E.L.では特務適性候補などという大げさな言葉を使われたのに、家へ帰れば明日の時間割を確認し、鉛筆を削ってランドセルへ入れる小学一年生である。
机の上には明日の宿題と時間割、その横へ今日受け取った拡張利用証が置かれていた。
本当の力を知られたくなくて超度4へ抑え、その数字の中で精密操作を磨いていたら、今度はその技術を評価されて行ける場所が増えた。
目立たないようにした結果として別の形で評価され、その評価がさらに自分の自由を少し広げることになるとは、能力が発現した頃には考えてもいなかった。
それでも嫌な気持ちはなかった。
今回与えられたものは、知らない仕事を押しつける責任でも、危険な現場へ出る義務でもなく、自分が選んだ技術を伸ばすための場所だった。
自分の力を隠しながら暮らすことと、今持っている能力を上手に使えるようになることが、必ずしも反対方向ではないと少しずつ分かってきている。
机の端にはいつもの紙玉も二つ置いてあったが、今日は新しい訓練で普段より頭を使ったため、薫は手を伸ばしかけてからそのまま戻した。
練習できる日だからといって毎回やる必要はない。
疲れている時に雑な操作を繰り返すより、今日はきちんと休んで、次に集中できる状態で試した方がいい。
そう考えられるようになったことも、以前とは少し違うところだった。
薫は利用証を机の引き出しへしまい、明日の時間割をもう一度確認してから部屋の電気を消した。
特務適性候補という響きだけ聞けば随分特別なものに思えるが、明日学校へ行けば東野がまた勝負を仕掛けてきて、千里が横から笑うのだろう。
特別な能力を持っていることと、普通の小学一年生としてくだらないことで笑ったり悔しがったりすることは、どちらか一つを選ばなければならないものではない。
その両方を持ったまま生きられるなら、それが一番いい。
数日後の訓練日、薫は初めて担当職員の付き添いなしで、新しく許可された資料スペースまで移動することになった。
受付で利用証をかざし、いつもの廊下から一つ奥の区画へ入ると、前回担当職員と歩いた道が今日は少し違って見えた。
誰かに連れて行かれるのではなく、自分で目的地へ向かっているだけなのに、行ける範囲が広がったことを思った以上にはっきり感じる。
途中の案内表示には、資料スペースや共用休憩室へ向かう矢印と並んで、前回見た扉の先が「管理区画」とだけ記されていた。
薫はほんの一瞬だけそちらへ視線を向けたものの、そのまま立ち止まらず資料スペースへ向かった。
中に何があるのかは知らない。
誰がいるのかも知らない。
そして今は、知る理由もない。
ただ、これまで自分が歩けると思っていた世界のすぐ向こう側に、まだ知らない場所が存在していることだけは分かった。
超度4という数字は何も変わっていないのに、その数字の中で積み重ねたものによって、自分が見られる世界はほんの少しだけ広くなった。
その一歩先に何が待っているのかを、この時の薫はまだ知らなかった。