「やれやれ、辛気臭いことになっちまったな。葡萄酒のひと樽でも戦勝祝いにふるまわれるかと思ってたのに、とてもそんな雰囲気じゃなくなっちまったよ」
カリヤーンの石切り場で、リョーツーンはひとりでぼやいた。目盛りのついた縄をつかって、石切り場の高さや長さを手慣れた様子で測ってゆく。
「ザラーヴァント卿ときたら、ただでさえ貯水池と水路の新設で忙しいのに、カリヤーン砦の普請までやらなきゃならなくなったからな。このくらいじゃ、手助けのうちにはいらんだろうが……」
ぶつぶつとつぶやきながら、角刈りの郵政官は帳面に測定結果を書き込んでいった……。
「どうした、いきなり呼びつけて。見せたいものがあるそうだが。……なんだ、これは」
王宮に参内したダリューンは怪訝な顔になった。
向かい合って座していたナルサスとザラーヴァントのあいだに、妙なものが置いてある。
小さめの食卓の上に粘土や木片や紙が盛りつけられているのだ。
「来たか、ダリューン。まずは見てくれ。リョーツーンからザラーヴァントに、こいつが贈られてきたのだそうだ」
「これは模型……というか、地図というか……。そうだ、これはカリヤーンの石切り場ではないか。すると、粘土の上に据え付けられているのは砦か」
「うむ。粘土で石切り場を小さく再現し、その上に木片や紙で砦の普請案がつくられているのだ」
「空から襲ってくる敵に対応するための櫓や投石器台も備え付けられていて、これは中々の出来かと。普請の参考になればとリョーツーン卿がもってきてくれたのですが、いっそのこと、この模型通りに築城してもよいかもしれませぬ。とりあえず、お二方の意見をうかがいたく、こちらに参ったのです」
「ふうむ。あの男がこれをつくったのだとしたら、顔に似合わず器用なものだな」
「顔は関係ないでしょう! 顔は!」
角刈りの郵政官が入室してくるなり怒鳴り声をあげた。
「そうそう、言うのを忘れていたが、リョーツーンもこちらにくる手筈になっているぞ」
涼しい顔でナルサスは親友に告げるのだった。
「しかし、見れば見るほどこれはよいな。築城だけではない。城を攻めるにしても、籠城するにしても、こういうものがあると無いでは大違いだぞ」
カリヤーン砦の模型をいろいろな角度から凝視しながら、ダリューンは賞賛の声を惜しまない。
「うむ。おれも、それには異論がない」
ナルサスも、それに同調する。
なんか、思ってた以上に好評だな。リョーツーンは予想外の展開に戸惑った。しかし、これは面倒なことになりそうな流れだぞ……。
「ザッハークの軍勢への備えのために、王都の大規模な再開発はもはや必然なのだ。ぜひとも、エクバターナの正確な模型が欲しい。頼めるか、リョーツーン」
「えーっ! エクバターナの模型ですか! いや、カリヤーン砦とは規模が違いすぎますよ。測定するだけで、どれだけの時間と金銭がかかるか……」
「予算として、金貨五千枚を前払いしよう」
「お任せください!」
「思わず引き受けちまったが……これは難物だぞ」
「ここにいたのか、リョーさん。この書類の決済だけど……うわーっ、なんだい、これ!」
部屋に足を踏み入れるなり、テライスは思わず驚きの叫びをあげた。
アルスラーンの即位以来、王宮の活動規模は三分の一程度に縮小されている。そのため、宮殿には空き部屋がいくつも生じていた。その一室を占領して、リョーツーンは王都エクバターナの模型を造っていたのである。
「いいのかい、リョーさん。王宮でこんなことをしちゃって」
「いいもなにも、こんなでかい模型をよそでつくったって、王宮にもってこれるわけがないだろうが。直接ここで作るよりほかにないんだよ」
「それはそうかも知れないけど……」
「それより、なにか用事があったんじゃないのか」
「あっ! そうだ、この書類の決済をして欲しいんだ」
「なになに……。ああ、王立手紙配達人をトゥラーン人からパルス人に引き継がせる件か」
「こんなことをしたら、トゥラーン人が失業しちゃわないかい?」
「トゥラーン人にはデマヴァント山周辺の哨戒をして欲しいんだよ。あいつらなら、ザッハークの名を聞いただけですくみあがったりはしないからな」
「デマヴァント山かあ。蛇王が復活するって噂、本当かな。カイ・ホスローの血をひいていないアルスラーン陛下がパルス国王になったからザッハークの封印が解けるんだ、なんて言い出す人までいるっていうよ」
「逆だ、逆。ザッハークが復活するからアルスラーン陛下がルクナバードを手にしてパルス国王になったんだ。歌にもあるだろう。剣もて彼の天命を継ぐ者は誰ぞ、ってな。カイ・ホスローの跡を本当の意味で継ぐのが誰になるかはわからないし、カイ・ホスローの子孫が蛇王退治するとは限らねえってこった」
「ものは言いようだなあ……」
「そうだ! ものは言いよう、考えよう。世の中の問題の八割はそれでどうにかなる!」
「残りの二割はどうするの」
「笑ってごまかせ!」
数日が経過した。
「やれやれ、もうすぐ完成するぞ」
王都の模型を前にして、リョーツーンは額の汗をぬぐった。
「すごいな、本当にできあがるとは思ってなかったよ」
テライスが驚嘆の声をあげる。
「まったくだ。副宰相どのが、あとから仕様追加しまくってくれたからな……。壕の深さも再現してくれ、とか言い出した時は軽く殺意がわいたぞ!」
「また、そんな憎まれ口を……。予算も追加されたんだから、いいじゃないか」
「その予算だって、国庫から出てるんじゃねえか! 副宰相どのの懐はこれっぽっちもいたんでないんだぞ。……なんかハラがたってきたな」
「まあまあ、落ち着いて。で、あとは何をすれば完成なの?」
「これだ」
リョーツーンが取り出してきたものを見て、テライスは不思議そうな顔をした。
「随分と小さな旗だね」
「重要な施設や場所に、その名前を旗に書いて立てるんだよ。……ここは北門、ここは東門、と」
旗に小さなパルス文字を書き込んでは、模型に突き刺していく。
「ここがダリューン邸、と。次は……ナルサス邸か。こうしてみると、いい家に住んでやがるな。独身なのに。だいたい、アルフリードの嬢ちゃんを何年ほっとくんだ。あんな気立てのいい娘に、あれだけはっきりと意思表示されてるのによ。このまま逃げ切るつもりじゃねえだろうな。……ようし」
リョーツーンがにやりと笑って旗に書き込んだ内容を見たテライスは泡を食った。
「リョーさん、これはまずいよ!」
「おまじないみたいなもんだ。納品の前には直すさ」
「忘れないでよ、本当に」
王都在住のアルスラーン臣下の主だった面々を集めて、エクバターナ模型のお披露目が行われた。
「ほほう、よくできてますなあ」
「ルシタニアが攻めてきたときに、これが敵にあったらと思うとぞっとするな」
「こうして見てみると、市内のこことここに詰所を兼ねた櫓が欲しくなりますぞ」
「ダリューンはもう少し広い家を持ってもよいのではないか。所帯をもったら手狭になってしまうと思うが」
「いや、それを言うならナルサスの邸だろう。今すぐ結婚しても、そのまま新居に……なんだ、これは」
キシュワードにうれしくない話題を振られたダリューンが、その標的になるのをナルサスに擦りつけようとして、ちょっとした違和感に気付いた。
「ナルサスさまの家に立てられてる旗に……『ナルサスとアルフリードの新婚家庭』だってえ?」
素っ頓狂な声をあげたのはエラムである。
「この模型は、ナルサス卿の依頼によって制作されたはずだが、はて、するとこれはどういう意味がこめられているのだろうか」
「宰相どの。こういうときは、察して黙するべきではありませんかな。遠回しな求婚を、声に出して説明するのは野暮というもの」
ルーシャンの笑いをこらえながらの疑問を、ギーヴが笑顔で受け取る。
「ナルサス……。これって、そういうことなの……?」
アルフリードが頬を染めながらナルサスの顔を見上げた。
「いや、これはその……」
思わぬ窮地に、大陸公路に冠絶する智者はたすけを求めて周囲を見回した。
「ようやく責任をとる決心をしたか。責任をとらぬよりは、めでたいことだ」
親友はにやにやと笑っている。
「そうか。このところ凶報つづきだったが、こういう善い報せもあるのだ。希望を捨てるのは愚者のすることだな」
主君は邪気のない笑顔で喜んでいた。
「リョーツーン、これはいったいどういうことだ!」
この窮地の元凶であろう男の名をナルサスは呼んだが、角刈りの郵政官は、いつの間にか部屋から姿を隠してしまっている。
「やっべー、直すのをすっかり忘れてたぜ」
ぼやきながら、リョーツーンは王宮の門を駆け抜けていた。
「よし、この慶事に即興詩を捧げようではないか。題名は『宮廷画家どのは素直になれないの』だ」
ギーヴが琵琶を奏ではじめた……。
かくして。
「リョーツーンの馬鹿はどこだ! でてこいリョーツ!」
「リョーツーンからの伝言です! 『照れ隠しにブチ切れるのは勘弁してください』だそうです!」
ナルサスが手紙集積所総本部に怒鳴りこみ、テライスが大声を張り上げることになったのである。
パルスの平野を孤影がゆく。
「やれやれ、今度は副宰相どのを怒らせちまった。軍師どのの頭が冷えるまで、今度はどこに行こうかな……」
行く当ても決まらぬままにエクバターナを逃げ出して騎行するリョーツーンであった。
「パルス軍の目が光ってるだろうから、デマヴァント山の方には行きたくないな。となれば、パルスの西か。マルヤムにするか、ミスルにするか。メシと酒が旨そうなのは、ミスルの方だが、黄金仮面とかいう道化師がうるさそうだな。ミスルの夏は、暑さが堪えるときくし……」
リョーツーンは落日の方角へ馬首をめぐらした。
「よし、マルヤムへ行こう。あの辺の内情を探って手土産にすれば、副宰相どのもゆるしてくれるかも知れん。パルスに知られていない珍味のたぐいがあるかも知れんしな!」
ようやくナルサスにも「リョーツーンの馬鹿はどこだ!」と言わせることができました。これであらすじに偽りなしです。
さあーて、どうにかこうにかマルヤム編に突入しましたよ。
こっからどうしよう!
いや、こっから先はストックがゼロなんです。マジで。
いままでは、最悪でも次話を三行くらいは書いてたんですけどねえ。
未回収の伏線を放り投げて、俺たちの戦いはこれからだエンドにするわけにもいかないしなあ。
今までより投稿ペースが落ちるかもしれませんが、ザッハークとの決着をつけるまで、お付き合いくださいましたら幸いです。
あ、カクヨムでは自転車ロードレースを題材にしたベッタベタな学園スポ根モノを書いてます。興味がおありでしたら、是非、のぞいてみてください。