「あそこにマルヤム国王ギスカールがいるのか」
マルヤム王国の王都イラクリオンを地平線の向こうに見やるリョーツーンの声には、皮肉めいたものが多分に含まれていた。
ルシタニアの王弟。それがギスカールの出発点であったことを考えれば、マルヤム国王という現在は栄達といってよいはずだった。だが、市井の人々が彼の業績を評するとき、どうしても「パルスへの侵攻さえしなかったらなあ」という一文が付随してくるのである。
なにしろ、アトロパテネで大勝利をおさめたはいいものの、結局は大敗し、逃げ帰ってしまったのだから。
パルスで喪った諸将と兵士たち。その半分でも健在であれば、ギスカールのマルヤム支配は盤石なものになっていたはずだった。
当然のことながらパルスとの関係も友好からはほど遠いままなので、交易の拡げようもない。
「玉座にギスカールがいるかぎり、マルヤムに明るい未来は望めない。かといって、ギスカールを玉座から追い出したって、かわりにマルヤムをまとめられる人物もいない。八方ふさがりだ。マルヤムを征服したところで満足して、余計な欲をかかなければよかったのに」
もっともらしくリョーツーンはひとりごちたが、彼とて偉そうに言えた義理ではない。
この場に腐れ縁のクシャースフがいれば、苦々し気に言ったことだろう。
「リョーツーン。貴様が商売で余計な欲をかいては一文無しになったのが、一度や二度ではないのをおれは知っているのだぞ」
と。
とくに検問もなく、リョーツーンはイラクリオンに入ることができた。
「通行料をとられなかったのは、国内だけでも流通を活発にしたいって思惑があるからなんだろうが、検問も無しとは意外だな。囚われのボダンを救出しようという連中が王都に潜入してきたらどうするんだ」
そんな疑問をリョーツーンは抱いたが、イラクリオンはエクバターナとはちがい、堅牢な城壁で囲われたりはしていない。その気になれば低い石垣で囲われているところからいくらでも出入りできるのである。
「まあ、そんなことより、エステルどのの足取りをつかまんとな」
そう言って酒場に向かうと、リョーツーンはあっさりと女騎士の噂を耳にすることができた。
黄金細工の店を襲った盗賊団と、白髪の男と女騎士の二人連れが大立ち回りをしたのを大勢が酒の肴にしていたのである。
「盗賊どもは、切り傷を負わされて逃げ出したらしい。いい気味だ」
「つい昨日のことさ」
「なんといったかなあ。王宮によく出入りしているルシタニア騎士のところに世話になってるらしいぜ、その二人連れ」
「オラベリアだよ、オラベリア。たしか、そんな名前だった」
盗賊団がひどい目に会ったという話は盗賊団にひどい目に会わされたという話よりも好まれるものである。
酔客に酒を奢るまでもなく、リョーツーンはルシタニアからきたという奇妙な二人連れの話を何人かから聞くことができた。
「オラベリアってのはギスカールの腹心らしいな。すると、エステルどののギスカールへの用事ってのは、もう済んでしまってるかも知れねえ。会うのを急がないと、ルシタニアに帰っちまうかもな」
酒場を出ると、もう夜であったが、リョーツーンはその足でオラベリアの屋敷へ向かった。場所は酒場の客から聞き出してある。
着いてみると、オラベリア宅はなかなか立派な屋敷であった。
さて、なんといってエステルに取り次いでもらったものか。リョーツーンが思案していると、屋敷の中から物音が聞こえてきた。賑やか、というより物騒な、という形容が似合う物音であった。
「しめた、屋敷に乗り込む口実ができたぞ!」
喜び勇んでリョーツーンが門へ向かうと、六人の男たちが屋敷から出てくるのと鉢合わせした。
目撃者は始末してやれ。
そう言わんばかりの勢いで男たちが斬りかかってきたので、リョーツーンとしても遠慮をする必要をみとめなかった。
「いけねえ、こいつら、まさかオラベリアの家人じゃねえだろうな」
六人の男たちを六人の死者にしてから、リョーツーンがぼやいていると、屋敷の中から声がかけられた。
「そこにいるのは誰だ」
女性の声であった。
長剣を油断なく構えながら、茶褐色の髪に蜂蜜色の目をした女騎士が門からその姿をあらわした……。
「そうか、あの六人は黄金細工の店を襲った盗賊団か」
「ああ。どうやら逆恨みして、パラフーダ……ドン・リカルドを襲ったようだ」
女騎士エステルは沈んだ声を出した。
「マルヤムは王都でもこんなに治安がわるいのか。エクバターナじゃ考えられんよ」
リョーツーンは苦々しげに言ったが、エクバターナはエクバターナで、魔道士だの有翼猿鬼だのが出てくるのである。どちらがまだましなのかと問えば、不毛な論議を呼ぶだけであろう。
「ところでリョーツーン。あなたは旅商人だとのことだが、この武勇、とても一介の商人のものとは思えぬのだが」
「そう言われても、旅商人なのは事実だからな」
正確に言えば元旅商人なのだが、リョーツーンはとぼけた。まさか、ギスカールが国王をしているマルヤムで、パルスの郵政官などと名乗るわけにもゆかない。
「……まあ、世の中には王子らしくない王子もいるのだからな」
小さくつぶやいて、エステルはリョーツーンを屋敷の中に招いた。屋敷の主はまだ王宮から帰っておらず不在だが、この「旅商人」をとどめておかねば、屋敷の前に散乱する盗賊たちの死体について役人に申し開きするときに不都合が生じるであろう。
さっきの盗賊に頭を殴られた拍子に記憶喪失が治ったばかりだという白髪の男パラフーダ、本名ドン・リカルドとリョーツーンが自己紹介をかわしあったところで、あらたな来訪者がオラベリオ邸に押し入ってきた。
ルシタニア兵の一団であった。人数は十二、三人ほど。ルシタニア風の甲冑を着込んでいるが、正確にはマルヤム兵というべきかもしれぬ。
「ボダン教皇殺害の下手人ども」
いきなり、そう決めつけられて、リョーツーンもエステルもドン・リカルドも仰天した。
「おまえら、そんなことをしたのか」
「知らん、知らん。ボダン総大主教の名前など、今の今まで忘れていたぞ!」
リョーツーンの問いかけに、ドン・リカルドは激しく頭を振って否定した。
「なにかの間違いだ。われわれはそんなことはしていない」
エステルは抗弁したが、兵士たちは聞く耳を持たなかった。
「エステルどの、身の潔白を訴えても無駄だ。こいつらの顔にうかんでるイヤーな笑いを見ればわかる。おれたちが濡れ衣をきせられてるとわかってて捕らえようとしているのさ」
リョーツーンがそう言っても、兵士たちは冷笑をひっこめたりはしなかった。
「こいつらはたぶんルシタニア人だ。できれば命だけはたすけてやってはくれぬか、リョーツーン」
そう言ったのはドン・リカルドである。
「われらを侮辱するか!」
激昂したのは兵士たちであった。
「しょうがないな、わかったよ」
こともなげに引き受けたのはリョーツーンであった。
ややあって。
「すまんな。生きたまま追い返せたのは五人をこえたかどうか、てとこだ」
七人の兵士の死体が転がる部屋で、角刈りの「旅商人」が言うと。
「気にするな。おれも二人を斬り殺してしまった」
白髪の男が苦々しげに口元をゆがめた。
「これからどうしよう……」
若い女騎士がつぶやく。
「逃げるしかないだろう。冤罪で処刑されたくなかったらな」
ひとりが提案し、残るふたりは賛同するより他になかった。
……騎士オラベリオが王宮からあわてて屋敷にもどったとき、ドン・リカルドの姿もエステルの姿も消えていた。もちろん、屋敷の前の路上で盗賊団を退治したという「謎の旅商人」の姿もなかったのである。