ペシャワールで奮戦を続けるパルス軍に、夜明けとともに援軍が訪れた。
グラードが手勢を率いてカーヴェリー河を船で遡上してかけつけたのである。
戦況はパルス軍の優勢に大きく傾いた。
有翼猿鬼どもを指揮していたイルテリシュは、有翼猿鬼が吊り下げる籠に乗ってペシャワールを去った。空を飛ぶ怪物どもも、それに続いて撤退していった。
「なんとかペシャワールを蛇王の手の者に渡さずにすみましたな」
イスファーンに勝利の喜びと激戦の疲労をにじませる声で話しかけられて、クバードは大きくうなずいた。
「どうやら、そのようだ。イルテリシュを討ち損じたのは、のちのちたたりそうではあるがな」
「あの男は火星の仇。ぜひとも、この手で討ち取りたいものです」
イスファーンが育てていた火星と名づけられた狼がイルテリシュに殺されたのはクバードも知っている。
「そうか。あの男をおれとおぬしで追い詰めることがあったなら、おぬしに一騎打ちの権利をゆずってやろう」
冗談めかして、そんなことを言うのだった。
「ところで、リョーツーン卿の新兵器ですが」
「うむ、話は聞いている。あの男、どういう星のもとに生まれついているのやら、思わぬところで思わぬことをやらかしてくれる。ナルサス卿ですら手を焼いているというのも、あながち冗談ではなさそうだ」
「ですが、リョーツーン卿のおかげでペシャワール城塞に避難しきれなかった住民が大勢たすかっているのは事実です」
「有翼猿鬼をずいぶんと仕留めたらしいしな。アルスラーン陛下への報告書にも、そのあたりのことを書き留めといてやろう。……おい、詳しいはなしを聞きたい。リョーツーンを呼んできてくれ」
傍らに控える部下に向き直ってクバードは命じたが、そのときには角刈りの郵政官はペシャワールを出立してしまっていた。
「自分の手柄を主張もせずにか。まったくもって、妙なやつだ」
クバードはそれを知って、口ではそんなことをいったが、目は面白そうに笑っていた……。
大儲けしそこねた失意のリョーツーンはカーヴェリー河の西岸を北上した。
「やれやれ、充分な在庫をつくる前に新兵器をお披露目しちまったのがまずかったなあ。クバード卿に兵を借りて、デマヴァント山周辺で有翼猿鬼を相手に試し打ちするつもりだったのに。かといって、あそこで出し惜しみして有翼猿鬼の被害が拡大したら、夢見が悪いだろうしなあ……」
「まあ、そう気を堕とすなよ、リョーツーンのダンナ。悪いことをしたわけじゃないんだからさ」
「それはそうだが……」
「ところで、なんでこんなところを通っているんだ?」
「なに、グラーゼ卿がシンドゥラからペシャワールまで船で来たって話をきいてな、何か儲け話につながらないかと思ったんだが……」
「なにかありそうかい?」
「だめだな。見込みなしだ。そもそも、ここいらはチュルクやシンドゥラとの国境近くだからな。商売よりも戦争の方が縁が深い。それでも何かないかと思ったんだが、せめてザッハーク一党の件が片付かないと、ここらで商売するのは無理筋だ。バダフシャーンのほうをのぞいてみたほうが、まだなにか収穫があったかもな……」
「ここからバダフシャーンは遠回りがすぎるぜ、ダンナ」
「いっそチュルクに行ってみるか」
「あそこの山道は荷馬車じゃきついな。トゥラーンも最近いったばかりだし……」
悩んだ挙句、リョーツーンは王都エクバターナに戻ることにしたのだった。
十人のパルス兵が弩を構えている。弩につがえられた矢の先にはロープの一端が固く結びつけられていた。
「撃て!」
指揮官の号令によって、同時に矢が放たれる。ロープは矢に引っ張られて空へと上っていった。
十本の矢の軌跡をロープがなぞり、即席の網を形づくった……。
エクバターナ近郊の荒地で行われていた軍事教練を見て、リョーツーンは愕然とした。
自分の考案した新兵器が、さらに洗練されて実用化されている。
「こりゃあ、ワシの新兵器なんて見向きもされんぞ」
肩を落としてリョーツーンが手紙集積所総本部に戻ると、テライスが待ち構えていた。
「やっと戻ってきたよ。どこをブラついていたの。アルスラーン陛下がお呼びになってるんだよ」
慌ててパルス王宮に参内したリョーツーンを待っていたのは笑顔のアルスラーンであった。
「よくやってくれた、リョーツーン」
「は、ははあ、どうも」
なんで賞賛されているのか、リョーツーンには心当たりがない。よくもやってくれたな、の言い間違いではないことを祈るばかりである。
わけがわからぬままに話は進み、リョーツーンは、あらたにつくられた「郵政官長」なる官職に就くことが決定した。今後、郵政官には複数人が任ぜられることになり、その統括をリョーツーンがおこなうのである。
「なにがどうなっとるんだ。たしかに手紙配達事業がずいぶんと成長して、今までの組織では手が足りなくなってきてはおるんだが……。なんというか、功績をたたえての昇進、みたいな雰囲気じゃなかったか? 手柄らしい手柄をたてた覚えはないんだがな」
首をひねりながら角刈りの郵政官長が王宮から退出したあとで、アルスラーンは気付いた。
「どうもリョーツーンといまひとつ話がかみ合ってなかったような気がする。そういえば、これが有翼猿鬼退治の新戦法を編み出した功績に報いるためのはなしだと、誰かが本人にはっきり伝えてあったのだろうか……」
「あれだけの手柄に、まさか気付いてないとは思えませぬが。もしも、そうだったとしても、わざわざ伝えることもありますまい。あの御仁が有能なのは疑いありませんが、調子にのると、ろくなことをせぬようです」
「うむ。あの男については、毒のような薬なのか、薬のような毒なのか、しばしば判断に悩むことがあるからな」
ナルサスの提案を、ダリューンが真面目くさって肯定する。
リョーツーンより先にペシャワールからエクバターナに帰還した諸将から「リョーツーンの新兵器」について聞かされたナルサスは、それに即座に改良をくわえて新戦術として運用できるようにしたのだ。
エラムなどはナルサスの手腕を讃えるのに言葉を惜しまなかったものだが、ナルサス本人は増長することなく言ったものである。
「無から一を生み出すのは、一を十にするよりも困難なことがあるのだ。わたしとて、リョーツーンの案が無ければ、あの新戦術にたどり着くにはかなりの時間を必要としただろうな。……あの男の知恵と行動力は余人をもってかえがたいものがある。ただ、もう少し分別というものを身に着けてくれたらなあ」
毒にも薬にもなる男は、パルス随一の智者をして嘆かせるのであった。