デマヴァント山周辺の草原。
その空に黒雲が広がっていた。
いや、雲ではない。
有翼猿鬼の群れである。何百匹という有翼猿鬼の大軍であった。
その中の一匹が、眼下の草原に、あるものを見つけてキキ、と鳴いた。獲物を見つけた歓喜の鳴き声であった。
人間たちの集落だ。
見慣れた家屋ではなく、天幕が集まっているが、人間たちの集落に間違いない。きっと女子供もいるだろう。
寄り集まっている天幕に向けて一匹が飛んでいくと、やがて群れ全体がそれに続いた。
小さな人影を見つけて、蝙蝠の羽根と猿の顔をもつ怪物どもはにたりとわらった。
人間の子供だ。空中につかみ上げて、地面に叩きつけてやれば頭蓋がたやすく割れるだろう。その中身をすすってやろうと、何匹もの有翼猿鬼が我先にと殺到する。
子供の肩をつかんだ怪物は違和感に気づいた。
これは人形?
子供に群がる有翼猿鬼が異変に気づくのと、何本もの矢が放たれたのは、ほぼ同時であった。
「ヒャッハー! かかりやがったぜえ!」
雄叫びをあげながら、トゥラーン風の甲冑を着込んだ男たちが草むらの中から姿を現す。
罠か!
そう理解できたのか、どうか。
矢に貫かれなかった有翼猿鬼たちは、即座にトゥラーン兵に襲い掛かった。
トゥラーンの直刀を抜きはなった男たちの上空に固まって飛び、急降下する時機をうかがう。
すると、すこし離れた草むらから、別のトゥラーン兵たちが待ちかねたように立ち上がり、弩を構えた。それにつがえられた矢の戦端には、長いロープの一端が結びつけられている。
有翼猿鬼の群れの、すこしだけ上空へ向かって何本もの矢がほぼ同時に放たれ、ロープがその軌跡をなぞり、即席の網と化して有翼猿鬼の群れに覆いかぶさった。
自分の身体や羽根に絡みつくロープをはねのけようとして、怪物たちは悲鳴をあげた。
ロープには等間隔でかぎ爪が仕込まれており、しかも芸香の汁が塗られていたのである。
「蜘蛛の矢」
リョーツーンが考案し、ナルサスが改良した新兵器には、そんな名前がつけられていた。
有翼猿鬼に爪が喰い込み、芸香の汁がしみ込んでくる。
均衡をくずし、激痛に耐えかね、苦しむ仲間に手足を捕まれて、有翼猿鬼は次々と落下した。
「銀貨が落ちてきたぞ!」
「一枚も逃すな!」
さらに何十人ものトゥラーン兵が草むらから飛び出してきて、地面でのたうち回る有翼猿鬼に襲い掛かった。
「空を見ろ! まだ銀貨はいくらでも飛んでいるぞ!」
「逃がすかよ!」
「ヒャッハー!」
雄叫びとともに、蜘蛛の矢が放たれ、有翼猿鬼に襲い掛かった。
じつは、この有翼猿鬼の群れには、一体の鳥面人妖が同行していた。
有翼猿鬼に比べれば、多少の知恵が回るこの怪物は、あわてて飛び去ったりはしなかった。
草むらの中に身を隠し、息をひそめる。
「人間どもめ。罠をしかけ、われらを待ち伏せするとは、悪辣な真似を。とにかく、他の連中にこのことを報せねば。有翼猿鬼では、この事態を説明するのは到底できまいからな」
無意識のうちに針のような歯で器用に歯ぎしりしながら思案する。
「みぃつけたぁ」
背後から上機嫌な声をかけられて、鳥面人妖は背筋が凍る思いをした。
ほとんど反射的に翼をひろげる。
飛び立つべく地面を蹴った足は、だがトゥラーン兵につかまれた。
「逃がさないよお、金貨ちゃ~ん」
鳥面人妖をつかんだ手は、力まかせにザッハークの眷属を地面に叩きつけた。鳥面人妖は地面にころがっていた石に望まぬ接吻を強いられた。
「うわ……鼻血が止まらない……」
この怪物の、それが最後の言葉となった。
「金貨をとったぞお!」
直刀の先端に刺された鳥面人妖の首をトゥラーン兵が高く掲げると、どっ、と歓声があたりに満ちた。
「どっちが怪物か、わからんぞ。こりゃあ」
その光景を見て、リョーツーンはぼやいた。
「何を言ってるんだ。有翼猿鬼の首ひとつで銀貨一枚、鳥面人妖の首ひとつで金貨一枚と交換する。それを言い出したのは郵政官長どのだと聞いているぞ」
その隣でジムサの弟ブルハーンが怪訝そうな声をあげた。
「そりゃまあ、そうなんだがな……」
リョーツーンの声は苦々しい。
「ザッハークの眷属に賞金でも懸けてみたらどうです」
副宰相に角刈りの郵政官長がそう言ったのはたしかである。ただし、その場かぎりの冗談として。
「なんにしても、トゥラーンとしてはありがたい話なんだ。これで、われらの暮らしぶりは、飢え死にせずに済む、から、飢えずに済む、になるだろうからな」
トゥラーン人が狩りたてた鳥面人妖や有翼猿鬼の首は、ペシャワールで金貨や銀貨に交換される。その金銭でトゥラーン人は食料や薬や布などをパルスで買い込んで故郷へ持ちかえるのだ。
パルスとしては、トゥラーンに生活必需品を提供することでザッハークの軍勢を削れる。トゥラーンとしてはザッハークの軍勢を撃ち減らすことで生活必需品を手に入れられる。結果だけ見れば、そういうことになる。
「人肉を好んで喰らう人妖が相手だ。いくらやっても、やりすぎということはないはずなんだが、どうにもな……」
笑顔で有翼猿鬼の首を斬り落とすトゥラーン兵たちを見ていると、なにか取り返しのつかないことをしてしまったのではないか、という思いが湧き上がってくるのだ。
「はやいところザッハークを斃してしまわないと、まずいんじゃないか……」
怪物を殺しつづけるものは怪物になる、だったか。
どこかで聞いたことわざを、リョーツーンは思い出すのだった……。