「ザッハークの眷属ども、地の底から際限なく湧き出てきているとしか思えぬ」
ナルサスはパルス王宮にて、ダリューンに向かって嘆息した。
ザッハークの眷属に賞金を懸けて以来、鳥面人妖や有翼猿鬼の首はペシャワールだけでなくエクバターナにも届けられてくる。
水のほとんどが引いた暗黒神殿でも、賞金目的の腕自慢たちが徒党を組んで人妖を狩りたてた。それによる犠牲者も少なからず出たのだが、ともかく暗黒神殿に潜むザッハークの眷属は全滅した。
そのためか、ザラーヴァントが率いる暗黒神殿の調査隊も、無事に任務を終えて帰還し、アルスラーンを喜ばせた。もはや暗黒神殿には人妖の気配も魔道士の気配もなかったのである。水が完全に引けば、いずれ生贄にされた人々の慰霊がおこなわれるであろう。
「鳥面人妖の首や有翼猿鬼の首と引き換えに、いったい何百枚の金貨、何万枚の銀貨を支払ったことか。だというのに、デマヴァント山周辺の空は、相変わらず人妖が黒雲のような群れをなして飛び回っている」
ダリューンは親友の嘆きに同調しなかった。
「それは何百という鳥面人妖、何万という有翼猿鬼を仕留めたということだろう。懸賞金を懸けていなければ、デマヴァント山どころかパルスの空が人妖どもで覆い尽くされていたかも知れぬのだ。そう嘆くようなことではないと思うが」
「うむ……」
「それに、おぬしの考案した蜘蛛の矢に精通した弓箭隊の訓練、配備も順調にすすんでいる。空を飛ぶ軍勢も、以前ほど脅威ではなくなりつつあるのだ」
「いや、蜘蛛の矢を考案したのはリョーツーン卿だ。おれはそれに改良を施しただけにすぎぬよ」
ナルサスは律儀に訂正した。他人の手柄を横取りするのは、この男の矜持が許さない。
「ペシャワールも、リョーツーン卿考案の蜘蛛の矢に精通した弓箭隊の配備がすすんでいる。魔将軍イルテリシュが有翼猿鬼を率いて襲来しても、前回のようにはゆくまいよ」
親友の妙な律義さに笑いだすのをこらえながら、ダリューンは訂正して見せた。
「じつはな、ダリューン」
「どうした、ナルサス」
「おれは、ペシャワール城塞を放棄するようアルスラーン陛下に進言するつもりだったのだ」
これにはパルスの剛勇を象徴する男も唖然とせざるをえなかった。
「ペシャワールだぞ? 大陸公路を守護する要だぞ? それを放棄するだと?」
「まあ、落ち着け」
「これが落ち着いていられるか!」
「ペシャワールが空になれば、どうなると思う?」
「たちどころに他国に占領されるだろう!」
「他国か。例えば?」
「まず、シンドゥラのお調子者! チュルクの穴熊! 魔将軍イルテリシュも黙ってはいまい!」
「その誰かがペシャワールを占領しようとしたとして、残りの二者が黙って見ていると思うか?」
そこまで言われて、ダリューンはナルサスの真意を察した。
「おぬし、ペシャワールを餌にして、ザッハークとチュルクとシンドゥラを互いにかみ合わせるつもりだったのか!」
宮廷画家は人の悪い笑みを浮かべて返答にかえた。
「しかし、蜘蛛の矢という新戦法を得た今では話が変わってくる。鳥面人妖や有翼猿鬼の軍勢への対抗策がある以上、ペシャワールをみすみす失うこともない。むしろ、ペシャワールを餌としてイルテリシュの魔軍をおびき出し、迎撃してもよい。デマヴァント山への半包囲網拠点を手放すのは、それはそれで痛手なのだからな」
「おぬしの頭蓋のなかには百万の軍勢が潜んでいるようだな」
「おほめにあずかり恐悦至極だが、この百万の軍勢でもおぬしの驍勇に対抗できるかどうか、はなはだ心もとなくてな」
二人は視線を交わし、悪童のような笑顔を浮かべるのだった。
ただならぬ地響きが起こったのは、そのときである。
「見ろ! デマヴァント山が火を噴いている!」
その日、どれほどの人々が、その叫びを口にし、耳にしたのであろうか。
「蛇王ザッハークが復活したのではないか」
これから、どれほどの人々が、そのささやきを口にし、耳にするのであろうか。
解放王アルスラーン最大の試練が始まろうとしていた。