面倒臭い元カップル(完結済み) 作:一般指揮官
今回のお話で一端、区切りとさせて頂きます。この短編を叩き台にして連載するかどうかは未定ですが…ここまでのお付き合いありがとうございましたm(__)m
尚、当協会は厳正なる審議の結果、この関係性を元カレ・元カノのそれとして認定する──と明記しておりますが、異議がある場合については感想等にてご連絡をお待ち申し上げております。
──腕が、そろそろ痺れて来た
額へ冷却シートを貼り付けた
元カレである相馬龍哉──彼も平素から日課のトレーニングは欠かしていない。勿論、仕事の都合上で取れない場合もあるが、常人以上に鍛えられているのは間違いない。
とはいえ、同じ姿勢のままだ。身動ぎしただけで元カノを起こしてしまうことを危惧し、必要以上の挙動は取れないのである。腕が痺れ始めるのも仕方あるまい。
スラックスのポケットへ仕舞っている私用の携帯端末、そして
もう少しは休めるだろう──彼は僅かに身体の緊張を抜いた。
カンサイが寝入ってからは、彼も夜勤明けの身体を休める為、30分刻みの浅い睡眠を繰り返している。
30分が経てば自然と目が覚め、周囲を確認する。同時に胸元の元カノの様子を観察した後、再び目を閉じて浅い睡眠を取る。その繰り返しだ。
時刻は正午を過ぎる頃だろう。
今夜も会社へ出勤するシフトが組まれている。昼勤と夜勤の
それを脳裏に思い浮かべながら、彼が再び浅い微睡みの中へ入ろうとした直後だ。
──アパートの敷地内、駐車場方面に気配と足音を感じた。
閉じられた彼の双眸がたちまち見開かれる。
アパートの住人が帰ってきたのだろうか。
その気配と足音が動き始めた。アパートの2階へ続く階段を通過し──1階の通路へ足を踏み入れた反響が微かに彼の鼓膜を震わせた途端、力を抜いていた全身へ適度な緊張を走らせる。
足音と気配が──カンサイが借りている部屋、106号室の玄関前で立ち止まった。
全身へ適度な緊張を走らせつつ、元カレはいつでも彼女の頭の下へ差し入れた腕を引き抜けるよう備えた。
1Kの間取りだ。玄関までの距離はそう遠くはない。一方通行のみである。
必要とあらば、玄関の直ぐ近くには台所がある。武器──刃物──包丁が存在する。
内鍵は施錠していた。外側からドアノブを捻り、施錠されていると認めたのだろう。シリンダーへ鍵が挿し込まれる音が響いた。
合鍵を持っているか、それかマスターキーの類か。
施錠が解かれ、ドアノブが回される。開いた扉の向こうから覗いた顔立ちと姿を認め──元カレは全身へ適度に走らせていた緊張を解除する。
「──あれ……?」
玄関には見慣れた女物の靴の横へ揃えられた男物の革靴が置かれている。黒革のストレートチップの革靴は丹念に手入れされていることが伺えた。良く磨かれ、特に爪先などは鏡面のようだ。
覗き込んだ自身の顔──伸びた前髪で目元が隠れているが、それを掻き上げると実姉に似ていると評される西春蘭は首を傾げた。その傾げた動きすらも革靴の爪先に映り込んでいる。
──姉ちゃんの部屋に、男?
髪色こそ異なるが、実弟としての素朴な疑問が脳裏を過った。革靴のサイズは──29cmやそこらだろう。間違いなく男物だ。
町田の親戚筋の家へ居候している身である彼は、実姉から借りていた漫画を返しに足を運んだのだが、随分と間が悪い時に来てしまった、と若干の後悔を胸中に芽生えさせた。
実姉が過去の交際について引き摺っている点は彼も聞き及んでいる。それに踏ん切りを付けたのだろうか。それはそれで喜ばしいのだろうが、内心は複雑でもある。
関西の実家、正確にはまだ子離れが出来ていない母親から実姉が言うところの
律儀な性格の持ち主──数える程度だが、春蘭も実姉の元カレとは面識がある。背が高く、体格も良い。姿勢も背筋が伸びていて、生真面目そうな、同時に少しばかり要領が悪そうな印象を受けた。
実姉と元カレが並ぶと──互いに長身なのもあり、良く似合っていたと春蘭は思い出しながら、恐る恐る、彼自身も内心で驚くほど慎重に顔を上げた。実姉と
目元が隠れた前髪に覆われた顔を上げ、色素の薄い前髪の隙間から1Kの間取りの奥を見詰める。ベッドの上──布団がこんもりと盛り上がっていた。
──ヤッベ……
フラグが立っている気配しかない。漫画だけ玄関に置いて──いや、郵便受けに投函して帰ろうと春蘭が静かに退室しようとした矢先だ。
「──春蘭くん、か?」
実姉の部屋の奥──ベッドの方角から、囁かれる程度の声量が春蘭の耳介へ届いた。記憶に残る元カレの落ち着いた低い声と同じものだ。
「──え?……相馬さん、っすか?」
改めて春蘭は玄関に立ったままジッとベッドを見詰める。こんもりと盛り上がった布団から顔が覗いた。今風のイケメンとは言い難いが、顎や鼻筋がはっきりとして比較的太めの眉、黒髪を短く刈り上げた精悍な顔立ちの男性──実姉の元カレだった。
──なんだ、相馬さんか。──え、いや、なんで?
元カレになった──とは実姉が漏らしていたが、正式に別れた、などと言っていたかどうか。その点は春蘭の記憶は曖昧だ。
疑問を抱きながらも、数回の面識しかない相手だが、知らぬ人間ではないのもあり、春蘭は靴を脱いで部屋へ上がろうとする。
同時に春蘭の視線の先で、布団から顔を覗かせた実姉の元カレが片手の人差し指を立て、自身の口元へ翳す仕草を取る姿が見える。静かに、というジェスチャーだ。
それに頷いた春蘭は、靴を脱ぐと足音をなるべく響かせないよう室内を歩き──やがてベッドの横へ立って覗き込む。
同じ布団の中で同衾する若い男女──字面にするとだいぶ危うい雰囲気になるが、良く観察すると互いに服を着ていて、女の方は額に冷却シートを貼り、男の腕枕で眠っている。
「──姉ちゃん、具合悪いんっすか?」
「──あぁ。風邪と……まぁ、うん、学校の保健体育で習う女性のアレが……」
はっきり生理と言えば良いのに、随分を気を遣った言い回しだ。カンサイの弟──年下であることを加味しての物言いだろう。
相変わらず生真面目というか、不器用というか、要領が悪いというか──形容しがたい感覚を捉えながら春蘭は微かに苦笑いを浮かべた。
「……久しぶり。元気だったか?」
「あ〜はい。お久しぶりっす。まぁ、ぼちぼち」
「それは良かった」
腕の中で僅かに
「……漫画、返しに来たのか?」
「うっす」
「……そうか。見ての通り、
「了解っす。ここに置いとくんで」
春蘭は事情を概ねだが察しつつ、彼に見えるよう返却する漫画を実姉が用いているPCの横へ置いた。
あとはこのまま帰っても良いのだが──春蘭はベッドの隣へ腰を下ろした。胡座を掻きながら座り込み、ベッド上で横たわりつつ実姉へ腕枕を続ける元カレへ前髪越しに視線を向ける。
「──姉ちゃんから……相馬さんとは別れたって……」
「……まぁ、そうだな……喧嘩別れした訳じゃないが……」
「そっすか。……あ、お袋が毎年の御中元と御歳暮、めっちゃ喜んでました」
「それは良かった」
世間話のまま、春蘭はベッド上の元カレの服装──布団から垣間見えるそれと、室内に掛けられた男物の黒い背広を確認する。
「……仕事抜け出して来たんっすか?」
「いや、夜勤明けだな」
「……マジっすか?」
「薫子から連絡を貰って来たんだが……どうかしたか?」
元カレと元カノ──この関係性は世間一般で、あくまでも一般論ではあるが、ここまで親密なものになるだろうか。
それこそ夜勤明けでクタクタだろう身体に鞭打って、体調を崩した元カノの自宅へ駆け付けて甲斐甲斐しく世話を焼いて看病する──存在自体は全くのゼロではないだろうが、極少数に留まるだろう。
「……疲れてんじゃ……寝なくて大丈夫すか?」
「寝てるよ。ちょっとずつ」
「……そっ、すか……」
ちょっと理解が追い付かないので春蘭は考えるのを止めた。
同時に暫く会話が止まる。
春蘭は──視線を精悍な顔立ちの元カレから、自身に背を向ける格好で深く寝入っている実姉へ眼差しを移し、小さく呟く。
「──姉ちゃん、寂しがってました」
「…………」
「──相馬さんも仕事が忙しいんだ、って口では強がってましたけど……会いたそう、でした」
「……そうか」
元カレの視線が、胸元へ、腕を枕にして深く寝入る
微かな溜め息が乾燥気味の唇から漏れ出ていた。
「……まぁ、姉ちゃんも意地っ張りすからね」
「……知ってるよ」
──
とは口にしないだけ、春蘭は大人なのかもしれない。
漫画を返すという目的は果たした。邪魔にならぬよう、さっさと帰ろう。春蘭は胡座を解いて腰を上げる。
「じゃ、帰るんで」
「あぁ、気を付けて」
「あざっす」
ペコリと会釈程度の礼をして、春蘭は玄関へ歩みを進め──台所の流し台前で不意に立ち止まった。
「──相馬さん」
振り向かずに指向された声は自身を指名している。それを聞き取った彼が身を僅かに──ただし寝入っている彼女を起こさぬよう、顔だけを上げる気配を春蘭は察しながら唇を開く。
「──姉ちゃんを泣かせないで下さいね。……俺の姉ちゃん、っすから」
実姉の弟として、血の繋がった家族として、それだけは看過できない──紡がれたそれの意味を元カレが何処まで正しく解釈したかは分からない。
玄関で靴を履こうとした春蘭の背へ、部屋の奥から声量を抑えた落ち着いた低い声が届いた。
「──絶対は、保証できない。だが、最大限努力する。それは約束する」
もっと堂々と、それこそ断言すれば良いものを曖昧にするのは如何なものか。
しかし、これが元カレ──相馬龍哉という人間が返せる精一杯の誠実さである、と春蘭は肌感覚で理解できてしまった。
律儀なのか、不器用なのか、要領が悪いのか──いや、もしかすると全部なのかもしれない。
「──そっすか。じゃ、ヨロシクお願いしまっす」
軽薄な調子のまま春蘭は振り向きもせず、背後から視線を向けているだろう元カレへ対して手を緩く振りながら玄関の扉を開けた。
──次会ったら、
無論、その時は隣へ実姉がいる状況で。からかって、冷やかして呼んでみよう──内心で春蘭は期待に胸を膨らませる。
静かに閉じられた扉に、再び鍵が掛けられ、通路を歩いて立ち去る気配と足音を捉えながら──元カレは脱力し、小さな溜め息を漏らす。
──とんでもない逃げ口上もあったものだ
そう返すしかなかった──と言えばそれまでだが、もう少し捻りがあっても良かっただろう。今更のことになってしまうが。
再度の溜め息を漏らす最中、彼の腕の中でカンサイが胸元へスリと顔を擦り寄せ、時折、特徴的な耳介をピクピクと震わせていた。
まだ深い眠りの中にいるのは結構なことだ。睡眠こそ体調を崩した時に必要なこと──ではあるのだが。
──そろそろ起きてくれないだろうか
いよいよ、本格的に腕が痺れて来た。感覚が失せ始めていた。
カンサイが目覚めたのは夕方だ。しっかり食事を摂り、薬を飲んで睡眠を取ったからか、体温は微熱にまで下がっていた。
それに安堵しながら彼女は帰路へ就く元カレを見送ろうとカーディガンを羽織る。しかし彼は安静にしていろ、と断る始末だ。
「──そない病人扱いせんでええて。もう治りかけやし」
「……病み上がりが気を遣う時期なんだぞ」
磨き上げられた革靴を履く彼へ続き、カンサイは隣でサンダルを履いた。
内鍵を外し、ドアノブを捻って外へ。
通路を歩き、駐車場へ向かう短い道すがら、彼は何度もカンサイへ念押しする。
ぶり返す可能性もあるので部屋に戻ったら安静にするよう口酸っぱく告げ、それに彼女が承知している旨を軽く返しながら駐車場へ出ると──1台の軽トラに続き、カンサイには見慣れた複数の人影がアパートの敷地内へ入って来た。
軽トラには──コーポ大谷の大家。敷地内へ入って来た複数の人影は、ヤニねこ、ヤクねこ、そして
──いや、なんでやねぇぇぇん!!
よりにもよってアル子以外の全員が雁首揃えてお出ましである。
どんな確率でそんなことになるのか。彼女は内心で盛大なツッコミを響かせる。
「──お、相馬くん」
「──あぁ、どうも大家さん。お久しぶりです」
「──こちらこそ。いやぁ、何年ぶりかな」
「──御無沙汰してました。お元気そうでなによりです。今、クルマ動かしますんで」
──なんでアンタは焦ってないねん!!
自分だけがおかしいのか──軽トラから降りてきた大家と元カレが挨拶を交わす光景を見ながらカンサイは尚も内心でツッコミが止まらない。
「──薫子。お大事にな」
「ん、あ、あぁ。……気ぃ付けて」
施錠を解除したセダンへ乗り込む寸前、元カレがカンサイへ別れの挨拶を済ませる。それに彼女は頷き、エンジンが掛けられたクルマがゆっくりと駐車場を出ていく様子を見送った。
「──
「──カンサイさん、今のって……もしかして……」
「──カンサイ、ヤニくれにゃ」
さて、なんと説明したら良いか──カンサイは溜め息を吐き出した。
今作を叩き台にして不定期更新の連載をするようであれば……タイトルは【面倒臭い元カップル〜或いはこの二人はいつになったらヨリを戻すのか〜】というそれになるかもしれません。