もしも薙切薊の性格がマイルドだったら   作:作者さん

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時系列は戻って紅葉狩り会。
この小説での紅葉狩り会はこんな様子のつもりで、一応意味もあります。プロットが単品用だったので、短編として読んでもいいかもしれないです。
座る場所は色々変えてます。


紅葉狩り会

 秋の深まりを感じさせる日本庭園。鮮やかに色づいた紅葉が一望できる一角には格式高い幕がぐるりと張り巡らされ、野外でありながら重厚な宴の場が整えられていた。

 朱色の毛氈(もうせん)が敷かれた座席で、秋の選抜を勝ち抜いた一年生組は、やがて訪れる「遠月十傑」の到着を待っていた。

 

 毛氈の上に胡坐をかいて腕を組み、手持ち無沙汰そうに辺りを見回していた幸平創真が、ふと思い立ったように隣の薙切えりなへと視線を向ける。

 

「なあ薙切。お前は仕事柄、十傑の人らと顔合わせる機会も多いんだろ? 実際、どんな人たちの集まりなんだ?」

 

 創真の気安い問いかけに、背筋を伸ばして座していたえりなは、酷く難しい表情を浮かべた。その眉間には重々しい皺が刻まれ、声には静かな緊張すら混じっている。

 

「……一言で言い表せるような方々ではないわ。一癖も二癖もあるけれど……料理人としての腕、実績、立ち振る舞い、どれをとっても私たちが身を引き締め、尊敬すべき偉大な先輩方よ」

 

 真摯なえりなの言葉に深く頷いたのは、その傍らに控える新戸緋沙子だった。秘書業務を通じて彼らと直接接する機会の多かった彼女は、思い返すように遠い目をしながら言葉を継ぐ。

 

「ええ。えりな様の仰る通りです。私が秘書として接した範囲でも……実に『個性的な』方々の集まりですから」

 

「ふーん……」

 

 ふたりの言葉を静かに聞いていた創真は、得心がいったように一つ頷くと、何でもないことのようにあっけらかんと言い放った。

 

「要するに、ただの変人たちの集まりってことか」

 

「なっ! なんという不敬を! 言っていいことと悪いことがあるだろう、幸平っ!!」

 

 あまりの言われように、緋沙子は表情を跳ね上がらせて創真へと詰め寄った。顔を真っ赤にして抗議する彼女に対し、近くに控えていたタクミ・アルディーニが呆れたような視線の向ける。

 

「……否定はしないのか、新戸」

 

「なっ……! ち、違う! 否定しないのではなく、敬意を込めた表現の幅としてであって——!」

 

 慌てふためき、必死に弁明しようと手を横に振る緋沙子。そのやり取りにアリスがクスクスと不敵に笑い、隣で黒木場が欠伸を噛み殺し、葉山や田所恵、美作昴もそれぞれの視線で事態を見守っていた。

 そんな一年生たちの微かな喧騒を打ち消すように、静かに佇んでいたえりなが、すっと深く息を吸い込んだ。凛とした声が、張り巡らされた幕の中の空気を一瞬で緊張させる。

 

「――来たわよ」

 

 庭園に敷き詰められた砂利を踏みしめる、重厚で規則正しい足音。幕の隙間から覗く紅葉の木々の間から、圧倒的な威圧感と異質なる存在感が漂い始める。

 一年生たちの視線が一斉に幕の入口へと注がれる中、紅葉を背に、遠月学園の頂点に君臨する十傑たちがその姿を現した。

 

(へぇ……なるほどな。薙切の言ってた通り、見事にバラバラな『変人』揃いだ。……だけど)

 

 創真はフッと口元を緩める。

 タクミや田所が緊張で身体をこわばらせる中、創真の視線は十傑たちの「手」や「身のこなし」に向けられていた。

 

(どいつの手も、しっかりタコができてやがる。毎日毎日、ハンパねぇ量の調理をこなしてる手だ。……なるほど、伊達に頂点に座ってねぇな)

 

 重厚な威圧感を纏う面々が静かに幕の内側へと足を進めてくる中、創真の視線にひと際強く引っかかる人物がいた。

 他の一年生たちが圧倒的な風格に気圧され、身体を硬くさせている中へ、一人だけずんずんと軽快な足取りで真っ直ぐこちらに向かってくる赤い髪の女性——小林竜胆だ。

 

(ん……? なんだ、あの人。まさかこっちに来てんのか……?)

 

 周囲の重々しい空気など意に介さず、迷いのない足取りで一直線に創真の前まで歩み寄ってくる竜胆。

 

(……いやいや、気のせいだろ。て、え? まだ来る?)

 

(……?? なんかどんどんこっちに来る?)

 

(????)

 

 思考が追いつく間もなく、竜胆はそのまま創真のすぐ目の前でピタリと足を止めた。八重歯を覗かせ、爛々とした瞳で至近距離からまじまじと創真の顔を覗き込んでくる。

 

「……あの、色々近いんすけど」

 

 自分の方へ来るとはまったく思っていなかった創真は、あまりの距離の近さに思わず身体を大きく引きながら、目を丸くして困惑の声を漏らした。

 

 すると竜胆は、鋭い八重歯を覗かせて「にぃ」と無邪気かつ楽し気に笑った。

 

「お前がそーまだろ? 滅茶苦茶面白い一年生が居るって、上の方でも噂になってたんだぞ」

 

 からかうように、けれど親しみやすさ全開で笑いかける竜胆。その気さくで一切の気取りがない雰囲気に、創真もすぐさま緊張を解いて表情を緩めた。

 

「え、マジっすか。そう言われると照れるっすね」

 

 初対面とは思えない軽快さで、一瞬にして距離を縮めて打ち解ける二人。創真は頭を掻きながら、ふと思い立ったように言葉を繋ぐ。

 

「そんで先輩、あー……えっと」

 

 名前を確認しようとした創真の言葉を遮るように、竜胆はポンと自分の胸を叩いた。

 

「竜胆。小林竜胆だ。特別に『りんどー先輩』って呼んでもいいぞ!」

 

「うっす、ありがとうございます、りんどー先輩!」

 

「あっはっは! いい返事だ!」

 

 驚くほど波長がぴったりと合った二人は、顔を見合わせて同時に声を上げて笑い合う。

 

 そして竜胆は、本来用意されているはずの十傑側の席になど戻る気もない様子で、そのまま創真の真向かいの毛氈の上に「よっこいしょ」とどっかり座り込んでしまった。十傑評議会第二席という最高幹部の一人でありながら、まるで放課後の中庭で駄菓子でも食べているかのような気軽さで、楽しそうに創真と話し始めるのだった。

 

「たっくさー! アタシ、秋の選抜は絶対にお前が勝つって思ってたんだけどなー!」

 

 竜胆は頬づえをつき、少し残念そうに片目を細めて見せた。

 

「やー、それはすんません。でも、葉山も黒木場もなかなかっすよ」

 

「誰が『なかなか』だ、幸平ぁッ!!」

 

 奥の席から、噛みつかんばかりの勢いで黒木場のヤジが飛んできた。葉山も不快そうに鼻を鳴らしている。創真はそれをひらひらと手で受け流しながら、ふと気になったように竜胆へと問いかけた。

 

「……でも、なんで俺なんすか? 優勝したのは葉山だし、黒木場だってスゲぇ腕すよ」

 

「んー? そりゃお前、お前が一番面白い料理人だったからに決まってんだろ!」

 

 竜胆は身を乗り出すと、目を輝かせて創真の料理を語り始めた。

 

「予選のカレーリゾットオムライスだってそうだろ? あそこのマンゴーチャツネ使ったのもいいセンスだし、本戦の弁当もビーフシチューの焼肉も、サンマのぬか漬けだってそうだ! お前の料理は常識の枠をポンポン飛び越えて開けてビックリ箱、次に何が飛び出してくるか判んねぇドキドキ感があるんだよ!」

 

 熱っぽく語られる、圧倒的な大絶賛。料理の本質と自分の姿勢を完璧に見抜いた竜胆の言葉に、創真は思わず頬を掻き、視線をごまかすように明後日の方向を向いた。

 

「……やー。そこまでストレートに言われると、流石にちょっと照れるっすね……」

 

 いつもはいかなる挑発にも不敵に笑う創真が、耳の裏をほんのり赤くして珍しく照れている。

 

 その様子を少し離れた場所から見ていた田所恵は、全身をガタガタと震わせていた。

 

(〜〜〜っっ! 創真くんが……あの創真くんが照れてる……!?)

 

 恵の胸の中に、今まで感じたことのない激しいザワつきが駆け巡る。自分の中に渦巻く感情の正体が何なのか、彼女自身にはまったく自覚がない。ただ、目の前の光景に強烈な危機感を覚えていた。

 

(な、なにこの人……っ! 気さくで美人で、十傑で……しかも創真くんの料理の凄さをあんなに分かってて、ストレートに褒めて……! も、もしかして創真くんの……滅茶苦茶強いライバル(強敵)なんじゃ……!!?)

 

「田所? なに青い顔して震えてんだ?」

 

「ひゃいっ!? なんでもないべ美作くん!!」

 

 隣で呆れ顔の美作に声をかけられ、恵は跳ね上がるようにパニックになりながら、向こうでで楽しそうに爆笑している竜胆と創真の姿から目を離せずにいた。

 二人のやり取りを困惑と呆れで見守る一年生たちの頭上から、消え入りそうな情けない声が降ってきた。

 

「り、竜胆……。せっかくいろいろ段取りとか考えてきたのに……」

 

 声の主は、遠月十傑評議会第一席・司瑛士だった。学園の頂点に立つ男とは思えないほど力なく肩を落とし、竜胆の好き勝手な行動にすっかりしおしおと萎れている。

 

「なんだよー司。どうせ後でやるんだから今やったっていいだろー。気になった奴と色々話そうぜーって!」

 

「いや、それでもさ……お茶の準備とかお茶請けとか、色々頼んでいたのに……。そういう順番を守ってくれないと、僕の胃が……」

 

 眉を八の字にして弱々しくブツブツと溢す司に対し、竜胆は「ちぇー」と大げさに唇を尖らせた。

 

「なんだよ、それならりゅーたん姉さんが一年坊たちにお茶請けを準備してやっかな!」

 

 そう言うや否や、竜胆は持っていた鞄からカサカサと怪しい音を立てるガラス瓶を取り出し、ポンと毛氈の上に置いた。透明な瓶の中にぎっしりと詰め込まれていたのは、黒々とした無数の足がリアルに残っている、極めて禍々しい見た目の「ムカデせんべい」だった。

 

「「「ひえっ……!?!?」」」

 

 それを見た瞬間、恵が短い悲鳴をあげてひっくり返りそうになり、他の一部の生徒も息をのむ。幕の中に一瞬で戦慄が走った。

 

「ほい、そーま!」

 

 竜胆は気負う様子もなく瓶の蓋を開けると、躊躇なく一枚摘み取り、創真の手元へと差し出した。

 

「お、サンキューです、りんどー先輩」

 

 周りの一年生たちが青ざめて固まる中、創真はまったく物怖じすることなくそれを受け取ると、躊躇うことなく口の中へ放り込み、パリリと軽快な音を立てて噛み砕いた。

 

 一瞬の沈黙。全員が息をのんで見守る中、創真の目が驚きに見開かれる。

 

(ゲテモノの見た目に反して……独特のえぐみや臭みが一切ねぇ。下処理が丁寧なのは勿論だけど、香ばしさと塩気の引き出し方が尋常じゃねぇぞ。……ちゃんと味の調整が完璧に計算されてやがる!)

 

「……うまっ。これ、めちゃくちゃ香ばしくてイケますね!」

 

 何事もなかったかのように感心した声を漏らす創真に、周りの一年生たちから感嘆の声が漏れる。

 

「だろー? こいつをつくった時期のムカデは一番美味いんだよなー!」

 

 竜胆は自慢げに胸を張ったが、すぐに「んー」と顎に手を当てて少し首をひねった。

 

「でもさー、実はこれ、もう一味足りねぇんだよな。旨味は完璧なんだけど、もっとこう……ガツンと引き立てるコクというか、濃厚な何かが足りねぇ気がして悩んでんだよ」

 

 食通の最高幹部らしい悩みをぼやく竜胆に、創真は顎に手を当てて一瞬考えると、ごく自然なトーンで提案した。

 

「りんどー先輩、ピーナッツバターとかどうっすか」

 

その一言に、すぐ隣の席に座っていたえりなが、信じられないものを見る目で創真を睨みつけた。

 

「幸平くん、あなたねぇ……! 先輩の本格的な料理に対してなんてゲテモノを!」

 

「マジか、お前天才かそーま」

 

「えっ」

 

 困惑した声を上げるのえりなをよそに、竜胆は目を丸くして感心したように膝を打った。

 

「ナッツ系の香ばしさと濃厚な脂分……! 案外、ムカデのえぐみを包み込んで化けるかもしんねぇぞそれ!」

 

「りんどー先輩、ありますよ、ピーナッツバター。後で寮で試作に使おうと思って持ってたんで」

 

「マジか! お前天才かそーま」

 

 創真はポケットの中にガサゴソと手を突っ込み、小振りの瓶詰めピーナッツバターを取り出してみせた。

 二人は目を輝かせると、創真が素早く瓶の蓋を開け、スプーンでたっぷりと掬ったピーナッツバターをムカデせんべいに塗りたくり、互いに1枚ずつ手にした。

 

「「いただきます(っす)!」」

 

 躊躇なく同時に口の中へ放り込み、パリリと噛み砕く二人。

 

 次の瞬間——。

 

「「……ッ!!」」

 

 二人同時に表情を歪ませ、絶句した。一瞬の沈黙の後、竜胆が大爆笑しながら自分の太ももをバシバシと叩いた。

 

「まっずぅ!! あっはっは、おいそーま、これくっそ不味いぞ! ナッツの甘みとムカデの風味が絶妙に喧嘩して地獄の味がする!!」

 

「いやー……不味いっすね! 後味が壊滅的に噛み合ってねぇっすわ!」

 

 二人して「まっず!」「不味いっすね!」と吐き出しそうな声を上げながらも、なぜか満足そうに笑い合い、そのままパリパリとムカデせんべいピーナッツバター付けを呑み込んでいく。

 

「な、なんで不味いって分かっててそのまま食べているんだ……!?」

「あいつら……正気じゃないぞ……」

 

 口を揃えて「不味い」と言いながら完食し、次の組み合わせを議論し始めた二人の姿に、緋沙子やタクミをはじめとする周囲の一年生たちは、ただただ引きつった顔でドン引きするしかなかった。

 

「ああ、もう……竜胆が好き勝手にするから……」

 

 そんな二人のやり取りから少し離れた場所では、第一席である司瑛士が、虚空に向けて力なく手を伸ばしたまま、完全にしおしおと萎れきっていた。完璧に手配していたはずのお茶会が早々にぶち壊され、彼のガラスの胃壁はすでに限界を迎えている。

 

「まーいいじゃん司サン。どうせならこのまま解散しようぜー」

 

 司の悲痛な呟きをあっさりと流し、軽い足取りで歩み寄ってきたのは第八席・久我照紀だった。彼はするりと田所恵の目の前の席に胡座をかいて座り込むと、馴れ馴れしい距離感で顔を覗き込んでくる。

 

「もう来年からこんな行事やんなくていいっしょ。マジで意味ねぇしさ。なー、おさげちゃんもそう思うっしょ?」

 

「ひゃわっ!? わ、わ、私ですか!?」

 

 いきなり距離を詰められ、同意を求められた恵は、小動物のように肩をビクッと跳ねさせて大慌てで首を横に振った。

 そんな恵の狼狽を冷ややかな目で見下ろしながら、第六席・紀ノ国寧々が静かに眼鏡のブリッジを押し上げた。

 

「……コレがこんなことを言い出したから、今年からは時間まで長めにとられて、『交流として一年生と必ず話すように』とわざわざ通達があったのだけど」

 

 呆れを含んだため息をつきながらぼやく寧々に、久我が鬱陶しそうに唇を尖らせる。

 

「はぁー? いま俺とおさげちゃんが楽しくお喋りしてんの。話に入ってこないでほしいんですけどー、根暗女さーん?」

 

「…………」

 

 紀ノ國は久我の煽りを完全に無視すると、すっと視線をずらし、近くで事態を見守っていたタクミ・アルディーニへと真っ直ぐに顔を向けた。

 

「いいこと、一年生。コレが十傑の最底辺だからといって、すべての十傑がコレと同類であると思わないでほしいわね」

 

「え、あ、はい……(『コレ』って……!)」

 

 突然話を振られ、しかも同じ十傑の先輩を容赦なく『コレ』呼ばわりする寧々の冷徹な態度に、タクミは引きつった愛想笑いを浮かべて曖昧に頷くことしかできない。

 徹底的に自分を「コレ」呼ばわりして存在を無いものとして扱う紀ノ國の態度に、久我の額にピキリと青筋が浮かぶ。

 

「……違いねェ。品性を母親の腹ん中に忘れちまった男だもんなァ」

 

 鼻で笑いながら嫌味たっぷりに言い放ったのは、第九席・叡山枝津也だった。金枠の眼鏡の奥の目を細め、久我へ向けて露骨な嘲笑を浮かべている。

 すると久我は、わざとらしく両手を耳の後ろに当てて、キョロキョロと辺りを見回す素振りをみせた。

 

「アレ? おさげちゃん、なんか今聞こえた? 俺さー、薙切ちゃん以外で『俺より下の席』の人の声って、ぜーんぜん聞こえないんだよねー!」

 

「なっ……!」

 

 痛いところを的確に抉る久我の煽り散らかしに、叡山の顔からスッと余裕が消え失せ、ギリッと激しい歯ぎしりの音が鳴った。

 

「テメェ……ぶっ殺されてぇのか久我ァ!!」

「あははっ、なんか野良犬が吠えてるねー!」

「あなた、本当にいい加減になさい……」

 

 バチバチと火花を散らす第八席と第九席、そして冷ややかな蔑視を投げ続ける第六席。その殺伐とした空気を和ませるように、第七席・一色慧がふわりと人の良い笑みを浮かべた。

 

「……フフ。仲がいいだろう? 僕たち二年生の十傑はさ」

 

 一色がおだやかに一年生たちへと微笑みかけた、次の瞬間だった。

 

「「「誰が仲いいだ(ですって)! 殺すぞ一色(慧)!!」」」

 

 ここまで見事にバラバラだった久我、叡山、寧々の三人の声が、ピタリと一つに重なって庭園に響き渡る。

 あまりに見事なまでの意見の一致に一色が「やれやれ」と楽しげに肩をすくめていると、その様子を見ていたアリスが不敵な笑みを浮かべて口を開いた。

 

「まぁっ。でも一色先輩、私たち一年生だって負けてないほど『仲が良い』もの! そうでしょう、皆!」

 

 先輩である一色に対抗するように堂々と言い放ち、周囲の一年生たちへと話を振るアリス。しかし、返ってきたのは容赦のない拒絶の嵐だった。

 

「あー、お嬢にはアレっすけどなれ合うつもりはねぇっす」

「勝手な括りに入れないでくれ。俺はお前と仲良くなった覚えはない」

「僕もだ! そもそも君たちとはいずれ決着をつけるライバルだからな!」

 

 黒木場や葉山、タクミたちから次々と非難囂々の言葉が飛んでくる。しかし、アリスは全くノーダメージといった様子で、むしろ「ほらね!」と自信満々にふんぞり返ってみせた。

 

『これが私たち一年生よ』と言わんばかりの誇らしげな態度に、一色は「ははは、これは頼もしいね」と堪えきれないように苦笑をこぼすのだった。

 

「……で。すっかり滅茶苦茶になったが、結局どうするんだ?」

 

 二年生と一年生たちの騒がしくも自由すぎるやり取りをよそに、巨体を揺らしてそう尋ねたのは、第三席・女木島冬輔だった。頭にニット帽を被った屈強な男の低い声が、疲労困憊の第一席へと向けられる。

 

「……司が特に纏めるつもりがないなら、もも、えりにゃんとひさにゃんのところに行くから。……他の人とは話したくないし」

 

 女木島の問いに被せるように、大きなぬいぐるみを抱えた小柄な少女——第四席・茜ヶ久保ももが、ぽつりとマイペースな声で宣言した。

 彼女は司の返事を待つ気など毛頭ない様子でトコトコと歩き出すと、そのままえりなと緋沙子の間に「すとん」と座り込んでしまう。

 

「えっ!? あ、あの、茜ヶ久保先輩……?」

 

 いきなり間に割り込んできた先輩の自由すぎる行動に、緋沙子はすっかり困惑して目を白黒させている。一方のえりなはといえば、頭痛を堪えるようにこめかみを押さえ、深々と頭を抱え込んでいた。

 二人を隣にして私に話しかけるなといわんばかりに、ももは二人の腕と一緒にぬいぐるみを抱きしめた。

 

 司は重いため息をつきながら、もはや完全に諦めたような力ない笑みを浮かべた。

 

「どうしよっか……。もう進行も何もないし、みんなそれぞれ好きに行ってもいいんじゃないかな……。はぁ……」

 

 そこまで言ってから、司はふと思い出したように女木島へと視線を向けた。

 

「……ちなみに女木島は、今年の一年の中で誰か気になったりしたのかい?」

 

「んあ?」

 

 女木島は腕を組んだまま、少しだけ考えるように視線をさまよわせ、やがて二人の生徒を真っ直ぐに見据えた。

 

「そうだな……。黒木場と、田所だ」

 

「奇遇だな。俺も同じく、その二人が気になっていた」

 

女木島の言葉にすぐさま同調したのは、その傍らに立つ五席・斎藤綜明だった。巨大な得 物を背負い、武士のような静かな佇まいを見せる男の思わぬ言葉に、名指しされた当人たちは目を丸くする。

 

「……おれすか」

 

 普段の気の抜けた様子でぽつりとこぼした黒木場は、純粋に意外そうな顔をしている。

一方の恵はといえば、久我に絡まれてパニックになっていたところへ、さらに学園のトップ3、トップ5から立て続けにロックオンされたことで、完全にキャパシティを超えていた。

 

「ひゃわわわっ!? ま、また私ですかぁっ!? な、なんでっ……!?」

 

 涙目になっておろおろと震える恵に対し、女木島は威圧感のある見た目に反して、どこか穏やかな響きを含んだ声で語りかけた。

 

「俺の専門は『ラーメン』だからな。お前らが本選でやったラーメンはかなりの完成度だったし、参考にもさせてもらった」

 

「うむ」

 

 女木島の言葉に斎藤も深く頷き、武士然とした真摯な眼差しを恵と黒木場に向ける。

 

「二人の海鮮の扱いは実に見事だった。……特に田所、貴様の『あんこうの吊るし切り』、あれは実に美しく、見応えのある太刀筋だったぞ」

 

「あ、あわわ……っ。あ、ありがとうございます……っ」

 

 上位十傑からの手放しの称賛。料理人としての技術を真っ直ぐに評価された恵は、極度の緊張で顔を真っ赤にしながらも、ペコペコと深く頭を下げるのだった。

 

「あーっ! 女木島先輩と斎藤先輩、俺がおさげちゃんと話すつもりだったのに取るんすか!」

 

 すっかり怯えきった恵を間に挟み、大げさに抗議の声を上げたのは久我だった。口を尖らせて文句を言う第八席に対し、女木島は深く重いため息を吐き出す。

 

「……どうせお前は、適当に話しかけて終わりにするつもりだっただろ」

 

「然り。婦女子の扱いもなっていない男に預けるには、勿体ない女子(おなご)だ」

 

 女木島の呆れたような指摘に、斎藤も静かに頷いて同意する。二人から飛び出した思わぬ擁護の言葉に、恵はさらに目を丸くした。

 

 完全に論破され、二人の先輩から追い払われる形となった久我は「ちぇー、いいよだ」と分かりやすく拗ねた態度をとった。しかし、すぐに気を取り直したようにくるりと踵を返す。

 

「おーい、アキラくん! 俺たちで話そうぜー!」

 

 久我はそのまま軽い足取りで、葉山アキラの元へと向かっていった。ずんずんと遠慮なく距離を詰めてくる久我に対し、葉山は酷く疲れたようなため息を吐き出す。

 

「……あんたねぇ」

 

 呆れ顔で頭を掻く葉山だったが、その声色には初対面ではない、どこか見知った間柄である響きがあった。

 

 一方、久我という嵐が去り、取り残される形となった恵は、再びおろおろと視線を泳がせていた。すると、頭の後ろで腕を組んでいた黒木場が、面倒くさそうに片手を出して恵を手招きした。

 

「ほら、さっさと来い」

 

「あ、うん……っ!」

 

 黒木場のぶっきらぼうだが、彼なりのフォローが込められた言葉に、恵は慌てて小走りでその隣へと移動する。

 こうして、ラーメンの達人である女木島、寿司職人である斎藤、そして海鮮のスペシャリストである黒木場。そしてそれに食らいついていった田所。魚介や出汁という共通の土台を持つ四人は、いつの間にか自然な形で車座になり、静かに、しかし熱を帯びた料理談義を交わし始める。

 

 それを区切りに一年生たちと十傑との交流は始まった。

 

――

 

「そういえば司先輩。先輩が今回の選抜で気になった一年生は、誰だったのですか?」

 

 ふわりと穏やかな笑みを浮かべた一色が、何気ない様子でそう問いかけた。

 

 遠月第一席——この学園の頂点に君臨する男が、秋の選抜で一体誰を注視していたのか。その言葉が出た瞬間、周囲で各々の会話を楽しんでいた一年生たちも、騒いでいた十傑たちも、一斉に司へと視線を向けた。

 紅葉の舞う庭園に、張り詰めたような静寂が落ちる。

 全員の注目を一心に浴びた司は、途端に居心地が悪そうに目を伏せ、困ったように頬を掻きながらぽつりと呟いた。

 

「あー、うん……美作くんだね」

 

 予想外すぎる名前に、当の美作本人を含めた一年生たちの表情が困惑に変わった。

 

 美作昴。他人の思考や手順を徹底的に調べ上げ、寸分違わぬトレースを行った上でアレンジを加え、相手の土俵で勝利を奪い去る「周到なる追跡者(トレース)」。料理人としての矜持すら投げ捨てたような戦い方を、よりにもよって『食卓の白騎士』と呼ばれる第一席が評価したというのか。

 呆然とする周囲の空気をよそに、美作はすぐにニヤリと口角を上げ、威圧感のある巨体を揺らして一歩前に出た。

 

「おいおい……先輩。俺が選抜でやってたことが何なのか、本当に分かってて言ってんのか?」

 

 自分のようなコピー野郎のやり方を、頂点に立つ人間が本気で認めるはずがない。その問いには、どこか挑戦的な凄みと自嘲が入り混じっていた。

 しかし、司は怯むことなく、どこまでも優しく純粋な瞳で美作を見つめ返した。そこに嘲笑や嫌悪の色は一切ない。

 

「うん。知ってるよ。だからこそ……すごく惜しいと思ったんだ」

 

「……あ?」

 

 怪訝そうに眉をひそめる美作に対し、司はまるで子供に事実を教え諭すような、あまりにも残酷な純粋さを持って微笑んだ。

 

「だって——最初から普段の俺のトレースをしていれば、君はそこにいる一年生全員に勝てただろう?」

 

「——ッ!」

 

 静かに放たれたその一言に、威圧感や嫌味はまったく存在しなかった。ただの『純然たる事実』として語られたからこそ、その言葉は深く、鋭く場を切り裂いた。

 それはつまり、秋の選抜でギリギリの死闘を繰り広げた創真や葉山、黒木場たちの実力はおろか、その存在すらハナから歯牙にもかけていないという、第一席としての圧倒的すぎる自負の表れ。

 「お前ら全員の全力を合わせても足元にも及ばない」と、一切の悪意なく言い放たれたに等しい事実に、創真たちの表情がスッと引き締まる。

 

 対する美作は、呆れたように微かに顔を引きつらせて首を振った。

 

「……買い被りすぎだぜ、先輩。俺の『周到なる追跡(パーフェクト・トレース)』は、相手の思考や息遣いまで同調して初めて成り立つ。十傑一席なんて底知れねぇ化物……今の俺の器じゃ、到底完璧には模倣しきれねぇよ」

 

 美作の率直な自己評価に、司はきょとんと意外そうな顔をした。

 

「えっ、そうなの? てっきり何でも完璧にコピーできるのかと思ってたよ」

 

 そして、顎に手を当てて少し考える素振りを見せると、ふんわりと人の良い笑顔を向ける。

 

「でもさ、多分美作くんの本質って、その『著しい成長性』だと思うんだよね。だから、俺について回って、俺の料理の……そうだね、7割でもマネできるようになっていれば余裕を持って勝て――あ、あれ?」

 

 ニコニコと美作へ語りかけていた司の言葉が、ふいに途切れた。会話の最中、いつの間にか辺りが異様なほどしんと静まり返っていることに気がついたのだ。

 先ほどまでの和やかな空気は霧散し、一年生たちの間にひりつくような緊張感が走った。しかし、当の司はそんな彼らの心境など露知らず、急に静まり返った場を見てあからさまにオロオロと慌て始めた。

 

(あれっ、どうしよう。俺、何かマズいこと言っちゃったかな……? あっ、そういえば美作君と二人も食戟やっていたし……もしかして、自分たちが秋の選抜やら食戟やらで先輩たちに迷惑をかけたことを思い出して、申し訳なく思っちゃったとか……?)

 

 司は致命的なまでにズレた勘違いを炸裂させると、慌てて両手をパタパタと振って必死のフォローに回った。

 

「あっ、でも誤解しないでね! 別に、君たちが食戟とかで色々迷惑をかけたことを怒ってるわけとかじゃなくてね! そりゃあまあ、裏の事務処理とか手配とかで俺が死ぬほど苦労したのは確かだけど……! だからって君たちを責めてるわけじゃないんだよ!?」

 

 本人は全力で気遣っているつもりなのだろうが、あまりにも的外れな上に、ナチュラルに恩着せがましいフォローである。一年生たちの間に、先ほどの張り詰めた緊張感とは別の、何とも言えない微妙な沈黙が流れた。

 その空気を察し、横でムカデせんべいにピーナッツバターを塗っていた竜胆が、深々とため息をつきながらジト目で司を睨んだ。

 

「……司。ちがう、そうじゃない」

 

「えっ!? 違うの!?」

 

 本気で心外そうに目を丸くする司を完全にスルーし、竜胆は創真の方へ向き直ると、ヘラヘラと笑いながら軽く片手を上げた。

 

「やー、ごめんなそーま! 司の奴、料理のこととなると壊滅的にノンデリでなー!」

 

「あー……いや、なんつーか、色んな意味でスゲェ人だなってことはよく分かりましたよ……」

 

 悪気のないトップの言葉に、創真は頬を引きつらせて苦笑を返すことしかできなかった。しかし、創真のへこたれなさは、並の料理人とは決定的に一線を画している。

 先ほどの緊迫した空気をあっさりと切り捨てるように、創真は首の後ろで手を組み、不敵な笑みを浮かべてその場にいる十傑全員を見回した。

 

「……それなら司先輩。あー、いや、りんどー先輩や、他の先輩方でも誰でもいいんすけど」

 

 創真の目に、ギラリと好戦的な光が宿る。

 

「俺と、食戟してくんないすか」

 

「「「…………」」」

 

 その言葉が放たれた瞬間、今度は十傑側にしん、と静まり返るような沈黙が落ちた。

 

「ちょっ……!? な、なに言ってるの創真くん!?」

「幸平、君という奴は……!」

 

 恵が顔面を蒼白にしてパニックになり、タクミが頭を抱える。一年生たちが「初顔合わせでいきなり何を言い出すんだコイツは」と戦慄する中——。

 

「ぶっ……!」

 

 最初に吹き出したのは、創真の目の前に座っていた竜胆だった。

 

「あっはっはっはっは!! ひーっ、お前、本当っに面白い奴だなそーま!!」

 

 腹を抱えて爆笑し始める竜胆。つられるように、一色がおかしそうに肩を揺らし、女木島がフッと息を吐き、寧々でさえも微かに口角を上げている。よく見れば、一部を除く十傑の何人かが、明らかに笑いをこらえている様子だった。

 

「あのー……なんか俺、そんな面白いこと言いましたかね?」

 

 自分としては大真面目に宣戦布告をしたつもりだった創真は、予想外の大ウケっぷりに、ふてぶてしく首を傾げてみせた。

 

「いやー、マジで面白い! だってさ、普通いないだろ! 十傑の初顔合わせの席で、いきなり先輩に食戟挑んでくるような命知らずの一年生なんてさぁ!」

 

 竜胆は目尻に浮かんだ涙を指で拭いながら、これ見よがしにニヤニヤと笑い、少し離れた席にいる人物へと視線を向けた。

 

「――そうだよなぁ、くがー!!」

 

「〜〜〜〜っっ!!」

 

 竜胆に名指しされた久我は、顔を真っ赤にして小刻みにぷるぷると震えていた。

 

 その様子に追い打ちをかけるように、斎藤が深く頷き、真顔のまま口を開く。

 

「うむ。己より遥かに高き壁を前にして、なお乗り越えようとするその心意気……実に立派なものだ。貴様もそう思うだろう、久我」

 

「っっ!!」

 

 さらに、えりなの隣に座っていたももが、抱き抱えていたぬいぐるみ(ブッチー)に顔を埋めながら、マイペースな声でぽつりと呟いた。

 

「すごいねー……ブッチー君もびっくりするぐらいの身の程知らず。出会って早々、あんな可愛くないことする一年生なんて、全然見たことないよねぇ。……ね、くーちゃん」

 

「あーっ!! うっせうっせうっせぇ!先輩方!!!」

 

 ついに限界を迎えた久我が、立ち上がってバンバンと先輩たちへ向けて指を指しながら絶叫した。

 

「今は俺の話してないでしょ!! なんでもかんでもすぐ俺に話を振るな!! ムカつく!!」

 

 顔を真っ赤にして激怒する第八席の姿と、それを見て楽しそうにゲラゲラ笑う上位陣。

 

 そのやり取りを見ていた創真を含めた一年生たちは、全員の心の中で見事に一つの理解を共有していた。

 

(ああ……なるほど)

(久我先輩も、一年生の時に幸平とまったく同じことをやったんだな……)

 

 先ほどまでの威圧感や底知れなさはどこへやら。頂点に立つ者たちの意外すぎるほど人間臭い内輪揉めを前に、一年生たちの間に漂っていた緊張感は、すっかり毒気を抜かれてしまうのだった。

 

「あーもうっ! おい一年坊!!」

 

 すっかりおもちゃにされ、顔を真っ赤にして怒り狂っていた久我は、半ばヤケクソ気味にずかずかと創真の目の前まで歩み寄ると、ビシッと指を突きつけた。

 

「上等じゃん、その身の程知らずな挑戦、この俺が直々に受けてやる!」

 

 久我が堂々と受けて立ったその瞬間、彼の背後から二年生十傑たちのひそひそ声で、しかしバッチリ聞こえる音量で響いてきた。

 

「アレが負けた時に払うものは何にするべきだと思う?」

「……ケッ、八席の座でいいだろ。どうせその程度だ」

「よし、じゃあ久我くんが負けたら『八席の座を剥奪』ということで決まりだね」

 

「俺の命運を勝手に決めてんな!!」

 

 紀ノ國、叡山、そして一色による、あまりにも血も涙もない即決。

 振り返りざまに激しくツッコミを入れる久我だったが、二年生組はどこ吹く風といった様子だ。そこへ、第一席の司がひょっこりと顔を出した。本気で心配そうな、底抜けに人の良い顔で久我の肩をぽんと叩く。

 

「大丈夫? 久我。……もし負けそうで心配なら、俺が代わってやろうか?」

 

「あんたのそれが一番失礼だっつーの!!」

 

 完全にナチュラルな見下し発言——しかも本人に悪気が一切ないという最悪のコンボに、久我は本日最大音量の怒号を響かせた。

 トップの司からすれば「後輩をフォローしてあげよう」という純粋な善意なのだが、言われた側からすればプライドを粉々に砕かれる残酷極まりない一言である。

 

「よーし! それじゃあ竜胆ねーさんが、敗北者用にビックリするぐらいの虫菓子を用意してやるか!」

 

 ポンと手を打って勝手に盛り上がり始めたのは竜胆だ。彼女は爛々とした瞳で鞄をガサゴソと漁る素振りを見せる。

 

「ウマいんだけどさ、あまりにもグロくて人前に出せないから試食に困ってたんだよなー! ちょうどいいどれにするかな!」

 

「いやそれ罰ゲームっていうか、先輩がただ試食係欲しいだけっすよね!?」

 

 創真がすかさず的確なツッコミを入れたが、竜胆は「あっはっは! 細かいことは気にすんなって!」と豪快に笑い飛ばし、虫菓子の選定に入ろうとしている。

 

「はぁ…………」

 

 もはや先輩たちに何を言っても無駄だと悟った久我は、心底疲れたような深いため息を吐き出した。ドッと肩を落として数秒ほど天を仰ぐと、気を取り直すように創真へと向き直る。

 

「……ま、そういうわけだからさ」

 

 久我は口元に不敵な笑みを浮かべ、挑発するように腕を組んだ。

 

「テーマはお前に決めさせてやるよ、幸平ちん。何で勝負したい?」

 

 食戟の行方を左右する最初の選択。久我は余裕の態度で、テーマ決めのボールを創真へと投げ渡した。

 

――

 

 ほどなくして一行が到着した調理場は、遠月学園の中でもトップクラスの設備を誇る広大な厨房だった。

 ピカピカに磨き上げられた調理台、ずらりと並ぶ最新鋭の機材、そして壁一面に備え付けられた巨大な冷蔵庫。その中には世界中から集められた最高級の食材が、いつでも使用可能な状態で管理されている。

 

「それじゃあ改めて」

 

 久我は自身の調理台の前に立つと、作業用のエプロンをきゅっと引き締め、先ほどまでのふざけた態度をわずかに潜めた。

その瞳に、料理人としての鋭い光が宿る。

 

「テーマは何で勝負したい? 幸平ちん」

 

「んー……そうだな」

 

 創真は腕を組み、ぐるりと厨房を見渡してから、ニッと笑って答えた。

 

「じゃあ、シンプルに『鶏肉』でいこうぜ」

 

「おっけー。鶏肉ね。じゃ、パパッと終わらせちゃおっか」

 

 久我は余裕の笑みを浮かべると、すぐさま調理台の上に自身の道具や調味料を広げ始めた。

 彼が次々と並べていくのは、見慣れた醤油や塩といった調味料ではない。大小様々なガラス瓶に入った、赤、黄、茶、緑といった色彩豊かな粉末やホールスパイスの数々だった。

 それらが蓋を開けられるたび、厨房の空気が一気に塗り替えられていく。鼻腔をくすぐる、複雑でいて鮮烈な香り。

 

 その香りを嗅いだ瞬間、観客席の端で腕を組んでいた葉山の表情がピクリと動いた。

 

「……ッ、おい。また勝手にゼミのデータ漁ったな、アンタ」

 

 呆れたような、しかしどこか納得したような葉山の声が厨房に響く。

 創真が「ん? お前ら知り合いなのか?」と目を丸くすると、久我はパチンと片目でウィンクをして見せた。

 

「『また』って人聞き悪いなぁ、アキラくん! 俺はただ、十傑の正当な権利を行使しただけだっての!」

 

「十傑の権利?」

 

「そ。俺たち遠月十傑はね、学園内のあらゆる施設や予算はもちろん、各ゼミが持ってる『最新の研究データ』にもある程度自由にアクセスできる権限があんの。汐見教授のスパイス研究って学園でもトップクラスじゃん?」

 

 久我は小瓶に入ったスパイスを指先で弄りながら、得意げに語る。

 

「だからさ、俺の料理のインスピレーションをもらうために、こないだデータ閲覧の許可を貰いにゼミへ遊びに行ったわけ。そしたらアキラくんが居てさー! その時、ちょっと一緒にお料理した仲なんだよねー!」

 

「料理って……。アンタが『研究の邪魔だから帰れ』って言う俺たちを無視して、勝手に厨房に居座って鍋振り始めただけだろうが」

 

「えー? でも汐見ちゃん滅茶苦茶うまいラッシーとか出してくれたのに。俺、すっげー歓迎されてると思ったんだけどなぁ」

 

 口を尖らせて不満げに言う久我に、葉山は深々とため息をつき、こめかみを押さえた。

 

「……アレは単に、お茶出しのついでに早くアンタに帰ってほしかっただけだ。だいたい、なんで一回りも上の教授を『ちゃん』付けで呼んでんだよ。ほんと……遠慮ってもんを知らねぇな、アンタは」

 

「あっはっは! 細かいことは気にしないの! あっ、ちなみについ最近このスパイスのデータもらってきたときは、汐見ちゃん新しい調合のチャイ出してくれたから。滅茶苦茶美味かったし後で頼んでみなっ」

 

「この男は……」

 

 葉山の本気の呆れ声すら、久我はどこ吹く風と笑い飛ばす。

 

(……なるほどな)

 

 二人のやり取りを見ていた創真は、ふっと息を吐き、目の前の小柄な先輩を改めて見据えた。

 ただのチャラい先輩ではない。あの秋の選抜で頂点を争った葉山や、教授のプライベートスペースにまで土足で上がり込み、自分のペースに巻き込んでしまう図太さ。

 遠月の頂点に君臨する十傑の第八席。学園のあらゆる知識を喰らい、自分の力に変えることができるバケモノの一人なのだ。

 

「ま、そういうわけだからさ」

 

 久我は手元に視線を落とし、流れるような手つきでスパイスの調合を始めながら、創真に向かってニヤリと笑った。

 

「せいぜい俺を楽しませてよね、幸平ちん」

 

「上等っ」

 

――

 

「さーて、こっちも取り掛かるとするか」

 

 創真はトレードマークの白い手ぬぐいを頭にキリッと巻き直すと、まな板の上の丸鶏に向き直った。

 手際よく部位ごとに解体していくその包丁捌きは、一年生とは思えないほど滑らかで淀みがない。だが、周囲の目を釘付けにしたのはその技術ではなく――彼が調理台の端にドンッと置いた、一つのガラス瓶だった。

 

「ほい、ピーナッツバターっす!」

 

 琥珀色のペーストがたっぷり詰まったその瓶を見た瞬間、ギャラリーからどよめきが起こった。

 

「おいおい幸平ぁ」

「十傑相手の食戟だぞ!? なんであんな市販の、しかも甘ったるいパンのお供なんか出したんだ!」

 

 ざわめく生徒たちの中で、ただ一人、竜胆だけが「あっはっは!」と腹を抱えて大爆笑していた。

 

「おまっ、それさっきのゲテモノ試食で使ったやつじゃんか! マジで実戦投入する気かよ、そーま!」

 

「へへっ。強烈なナッツの香ばしさと、暴力的なまでの油分とコク。使い方次第じゃ、エグみすら極上の旨味に化けさせる最高の隠し味になる……さっき先輩が身をもって教えてくれたことっすよ」

 

 創真はニヤリと笑うと、ボウルに入れた鶏肉に、躊躇いなくそのピーナッツバターをたっぷりと絡め始めた。醤油や酒、そしていくつかの調味料が混ざり合い、これまでにないねっとりとした特製のタレが形成されていく。

 

 一方、自身の調理台で流れるようにスパイスの調合を終え、下ごしらえに入っていた久我は、ふとその騒ぎに視線を向けた。

 

(ピーナッツバター……? なんでまた、あんな香りの強いもんを)

 

 最初は「奇を衒っただけの素人じみた発想だ」と鼻で笑いそうになった久我だったが、創真の手元と、その周囲に用意された他の食材を見た瞬間――ピタリと、その手が止まった。

 

(……ッ、なるほど。あいつ、あのピーナッツバターの分厚い油分とコクをベースにして、淡白な鶏肉に旨味のレイヤーを強制的に重ねるつもりか……)

 

 久我の脳内で、創真の作ろうとしている料理の完成図が凄まじい速度で組み上げられていく。

 

(確かに面白いアプローチだ。だが、それだと後半の香りの立ち上がりがどうしても鈍る。ピーナッツの風味が強すぎて、一口目のインパクトだけで終わっちまうはずだ。……いや、待てよ?)

 

 久我の鋭い視線が、創真が別のボウルで準備している『あるもの』を捉える。

 

(あそこの酸味……! そういうことか。あの強烈なコクを、あえて和の酸味でぶった斬って全体のバランスを取る気か……!)

 

 完璧に計算された足し算と引き算。

 ただの思いつきを、一瞬にして実戦レベルの「己の刃」へと昇華させるその異常なまでの吸収力と柔軟な発想。

 

(……へぇ)

 

 久我の口角が、自然と吊り上がった。

 それは、余裕ぶった先輩としての顔でも、相手を見下す十傑としての顔でもない。純粋に「面白い料理を作る料理人」を見つけた、一人の料理バカとしての悪戯な笑顔だった。

 

「……やるじゃん、幸平ちん。だけどそいつは…」

 

 誰に聞こえるでもなく小さく呟いた久我は、そのままふっと自身の包丁をまな板に置いた。

 

 数瞬の静寂。

 久我は、自身の調理台に置いたままの包丁には目もくれず、ただじっと、創真の手元やその一挙手一投足を追い続けていた。

 その不可解な行動に、厨房を囲むギャラリーのざわめきは、次第に不安げな困惑へと変わっていく。

 

「久我先輩、なにをしているのかしら? 調理を止めて、じっと幸平君を見て……まさかっ」

 

「……そのまさかは本当に普通の意味のまさかなんすか、お嬢」

 

「もう、私を何だと思ってるのリョウ君! でもおかしいわね、久我先輩、一年生相手に焦ってるの?」

 

 久我の行動は作業内容――具体的にスピードと言う意味でを見れば違和感があったのだ。

 創真は、自身に向かう強烈な視線を感じながらも、ただただ自身の料理に集中していた。特製のピーナッツバターダレを絡めた鶏肉を、油の中に静かに沈めていく。パチパチと小気味良い音が厨房に響き、香ばしい匂いが立ち上り始めた。

 

「……ねぇ、幸平ちん」

 

 油の弾ける音に混じって、久我の、驚くほど気さくな声が響いた。

 

「そっちはもう、出来上がりそうじゃん?」

 

 久我は、いつの間にか自身の調理台に肘をつき、創真を屈託のない笑顔で見つめていた。

 

「……え? ああ、まあ、あとは盛り付ければ完成っすけど」

 

 創真は、油の温度から目を離さずに答えた。

 

「そっか。……じゃあさ、悪いんだけど」

 

 久我は、悪戯っぽく笑うと、創真に向かってポンと手を合わせた。

 

「先にそっち、審査員に出しちゃってよ」

 

「……え、なんでっすか?」

 

 創真の言葉を、久我はあっさりと、しかし有無を言わさぬ響きで遮った。

 

「俺さ、もうちょっと仕上げに時間がかかりそうなんだよね。まぁあとは待つだけだから俺も幸平ちんの料理食ってみたいしさ」

 

 創真は、久我の気さくな笑顔の奥にある、十傑としての圧倒的な余裕を感じ取り、口元に好戦的な笑みを浮かべた。

 

「……へっ。わざわざ先行させてくれちゃって、どうもっすね。……だったら」

 

 創真は油から黄金色に揚がった鶏肉を素早く引き上げると、バットの上で小気味良い音を立てて油を切った。

 

「先輩が後悔するぐらい、最高に美味い状態で審査員の脳裏に焼き付けてやりますよ」

 

「おーおー、言ってくれるねぇ! 楽しみに待ってるよん!」

 

 創真は頭の手ぬぐいをきゅっと引き締めると、完成したばかりの熱々の料理を、最高の状態で審査員の前に出すべく、流れるような手つきで盛り付けに入った。そして――

 

「おあがりよ! 『幸平流・特濃ピーナッツバターチキンカツレツ』っす!」

 

 審査員席として急遽用意されたテーブルに、創真の皿がトン、と置かれた。

 揚げたての黄金色に輝くチキンカツ。その上には、琥珀色をしたとろみのあるソースがたっぷりと掛けられ、刻んだ青ネギと白ごまが散らされている。熱々の衣から立ち上る香ばしい匂いが、厨房の空気を支配し始めていた。

 審査員として席に着いたのは、十傑から竜胆、一色、そして半ば強引に座らされたえりなの三人だ。

 

「……正気かしら。いくらなんでも、あの市販の甘ったるいピーナッツバターをそのままソースのベースにするだなんて」

 

 えりなは、信じられないものを見るような目で皿を見下ろした。彼女の持つ『神の舌』が、食べる前からソースのジャンクな構成を脳内に弾き出し、拒絶反応を示している。

 

「下品極まりないわ。こんなもの、一口食べただけで胸焼けが……」

 

「まあまあ薙切ちゃん、細かいことは気にせず食おーぜ! いただきまーす!」

 

 えりなのぼやきを遮り、竜胆がウキウキとした様子でカツを一切れフォークに刺し、大きな口を開けてパクリと放り込んだ。一色も「では、僕も」と上品に口へ運ぶ。えりなも渋々といった様子で、小さく切り分けた肉を口に含んだ。

 

 サクッ。

 

 軽快な衣の音と共に、三人の動きがピタリと止まった。

 

(……っ!? な、なにこれ……っ!)

 

 えりなの瞳が、驚愕に大きく見開かれる。

 危惧していたピーナッツバターの暴力的な甘ったるさなど、微塵も存在しなかった。口の中に広がったのは、圧倒的なまでの『コク』と『旨味』の奔流。

 ピーナッツバター特有の強烈なナッツの香ばしさと分厚い油分が、淡白な鶏肉の旨味を何重にもコーティングし、噛むほどに爆発的な満足感を生み出している。

 

「……っはは! こいつはいい!!」

 

 最初に沈黙を破ったのは、竜胆だった。机をバンバンと叩きながら歓喜の声を上げる。

 

「あの甘ったるいピーナッツバターが、完璧な極上ソースに化けてやがる! 濃厚なのに全然しつこくねぇ! なんだこれ、無限に食えるぞ!」

 

「ええ……本当に素晴らしい。この分厚いコクの正体はピーナッツバターですが……それを下支えしているのは、この絶妙な『酸味』と『塩気』ですね?」

 

 一色が感嘆の溜め息をこぼしながら創真へ視線を向けると、創真は首の後ろで手を組み、ニシシと笑った。

 

「お察しの通りっす。ピーナッツバターに、醤油と黒酢、それに隠し味にちょっとだけ柚子胡椒を混ぜて火にかけてあるっす。ピーナッツバターの強烈なコクだけを残して、甘ったるさやしつこさは、和の酸味と辛味で完全にぶった斬った『特製ダレ』っすよ」

 

「なるほどねー! さっきアタシとムカデせんべい食った時に閃いたんだろ!? あのゲテモノの強烈な油分と香ばしさが、使い方次第でエグみすら旨味に化けさせるってことに!」

 

 竜胆の解説に、厨房を囲んでいた一年生たちの間にどよめきが走った。

 

「和の調味料と酸味でピーナッツバターの重さを中和し、旨味だけを抽出したのか……! 相変わらず、常識外れな発想力だ」

 

 タクミが感心したように息を吐き出す。

 

「なるほどねー。あの即興でそこまでバランスを取るなんて、やっぱり幸平くんは面白いわ!」

 

アリスも目を輝かせて頷き、黒木場は緩く視線を向けつつも、その完成度の高さを認めている様子だった。

 

 創真が料理を他の者たちにも取り分けていく。その評価は様々だが、他の十傑たちも、一年生たちも創真の料理に確かな評価を下していた。

 

「うむ……悪くない」

 

 斎藤綜明が静かに頷く。女木島も「ああ。秋選抜でも思ったが機転をよく効かした料理だ」と呟く。「へへ、だろー?そーまの奴やっぱ面白いな!」と竜胆。舌打ちはしつつも叡山も料理を残すことはしなかった。

 

「……これなら、いけるんじゃないかな!? 創真くんなら……!!」

 

 田所のつぶやきに、一年生たちの間に、「もしかしたら勝てるかもしれない」という希望の光が差し込んだ。

 だが、ギャラリーの端でその熱狂を静かに見つめていた葉山アキラだけは、一人だけ酷く険しい顔をしていた。取り分けられた料理を口にし、それは決して悪い評価ではなかった。

 

「……確かに、ピーナッツバターの香りと酸味のバランスは完璧に近い。あの短時間でよくもまとめ上げたもんだ。……ただ」

 

「ただ……なに? 葉山くん?」

 

 隣にいた田所恵が不安そうに尋ねると、葉山は忌々しそうに自身の鼻の頭を指でこすった。

 彼の『鼻』は、先ほど久我が展開したスパイスの配合と、今まさに久我の調理台から漂い始めている微かな香りを、完璧に捉えていた。

 

(……もし、先に『あの料理』を出されていれば……)

 

「……」

 

「葉山君?」

 

「いや、あの人は」

 

 葉山が言い淀んだ、まさにその時だった。

 

「――おっうま。いやー、マジで大したもんじゃん。幸平ちん」

 

 パン、パン、パン、と。

 マイペースで軽い拍手の音が、熱狂し始めた厨房の空気を、冷や水をぶっかけるように静まらせた。

 

 皆が視線を向ける先。

 自身のも創真の料理を食していた久我が、心底感心したような、しかしどこまでも余裕を崩さない笑みを浮かべてこちらを見ていた。

 

「一年生でそこまでの足し算と引き算ができるなんてさ、正直ビックリした。いや、俺が先に料理を出させて正解だったよ。ホント、素晴らしい完成度だわ」

 

 久我はそう言って歩み出ると、自身の調理台から、先ほどまで丁寧に火を入れていた一皿をふわりと持ち上げた。

 

「それじゃあ次は俺の料理を楽しんでもらおうかなー」

 

 久我が審査員席に差し出したのは、オーブンで豪快に焼き上げられた丸鶏だった。

 

「おまちどー! 『多国籍風(マルチカルチャー)・丸鶏のスパイスロースト』!」

 

トン、と大皿がテーブルに置かれた瞬間――厨房の空気が、文字通り「爆発」した。

 

「……ッ!!」

 

「な、なんだこの香りは……!」

 

 それは、先ほどまで空間を満たしていた創真のピーナッツバターの香ばしさなど、まるであったことすら忘れさせるほどの『香りの暴力』だった。

 何十種類ものスパイスが複雑に絡み合い、熱と共に立ち上る。クミン、コリアンダー、カルダモン、シナモン、クローブ……それぞれが自己主張しながらも、一つの巨大な奔流となって鼻腔を容赦なく蹂躙していく。

 

「いただきます」

 

 一色がナイフを入れた瞬間、パリッと弾けた皮目から、閉じ込められていた肉汁とスパイスの香りがさらに激しく噴出した。

 竜胆が目を輝かせて肉を口に運ぶ。えりなもまた、その圧倒的な香りに抗えず、吸い寄せられるように肉を口に含んだ。

 

「――っっ!!」

 

えりなの『神の舌』が、悲鳴に近い歓喜を上げた。

一口噛み締めた瞬間、口内を支配していた創真のピーナッツバターと酸味の余韻が、ものの見事に『消去(上書き)』されたのだ。

ただの一欠片も残さず、完膚なきまでに。

 

「……いいねぇ……」

 

 竜胆が目を見開き、恍惚とした表情で咀嚼を続ける。

 

「肉の旨味を引き出すためだけの、完璧に計算し尽くされた香りの暴力。さっきのそーまの濃厚なカツレツの後に食ってんのに、ちっとも重たくねぇ! むしろスパイスの刺激が食欲を無限にブーストさせやがる!」

 

「……ええ。驚異的です」

 

 一色もまた、目を見張った。

 

「複雑怪奇なスパイスの配合でありながら、決して喧嘩していない。鶏肉という淡白な素材が、ここまで鮮烈で野性的な味わいに化けるとは……」

 

 圧倒的な完成度。審査員たちの反応、そして厨房を満たす熱狂的な香りの中で、創真はただ立ち尽くしていた。

 

 負けた。

 それも、手も足も出ないほどの、次元の違う敗北。

 

 自身の全力を尽くした即興のアイデア料理が、格上の遊び半分のひと振りで、跡形もなく消し飛ばされたのだ。

 

「……ははっ。こりゃあ、完敗っすわ」

 

 額に滲んだ汗を拭いながら、創真は潔く負けを認めるように息を吐いた。悔しさはある。だがそれ以上に、目の前にそびえ立つ十傑というバケモノの底知れなさに、心が震えていた。

 

「いやー、マジですげぇっすよ、久我先輩。こんなすげぇスパイス使い、葉山のアテンド抜きでやれるなんて……」

 

 創真の素直な賞賛。

 しかし、それを受けた久我は、心底きょとんとした顔で小首を傾げた。

 

「ん? 何言ってんの幸平ちん。これくらいのスパイス使いなら、アキラくんの方が上手にできるよ?」

 

「……は?」

 

 創真の動きが止まる。ギャラリーの葉山が、腕を組んだまま、フンと鼻を鳴らしたのが聞こえた。

 久我は悪びれる様子もなく、カラカラと笑いながら言葉を続けた。

 

「だって俺の専門、スパイスを使った多国籍料理とかじゃないもん。俺の真髄は中華の『四川料理』。今回のはさ、せっかくアキラくんとこのデータ借りたから、専門外の料理でちょっと遊んでみただけなんだよねー」

 

「あそ……び……?」

 

 ギャラリーの一年生たちが絶句する。

 あの葉山の料理を思わせるほどのスパイスの暴力。完璧な足し算と引き算で組み上げられた至高の一皿。

 それが、十傑第八席にとっては、己の土俵にすら上がっていない「ただの遊び」だったというのか。

 

 久我は調理台にひょいと腰掛けると、片膝を立てて創真を見下ろした。

 先ほどまでの気さくな先輩の顔は鳴りを潜め、そこにあるのは、遠月学園の頂点に座す者としての圧倒的な『格の違い』を示す顔だった。

 

「幸平ちんの料理、面白かったよ。でもさ、まだまだ荒削りだし、俺の『本気』を引き出すには全然足りないかな」

 

 久我はニヤリと笑い、人差し指で創真をビシッと指差した。

 

「俺も司先輩に受けてもらった義理があるから幸平ちんの挑戦を受けたけどさ、本当は受ける理由なんて何一つないのよ。俺たち二年もさ、本気で狙ってる『上』がいるからね」

 

 そう言って久我がちらりと顎で示した先では、学園の頂点に君臨する三年生の十傑たちが、久我の作ったローストチキンを囲んで好き勝手に寛いでいた。

 

「うっひょー! やっぱ久我のスパイス使いは最高だな! 専門外でこれとかマジ最高だぞ!」

 

 竜胆が豪快に骨付き肉にかぶりついて大絶賛すれば、ももはぬいぐるみを抱えたまま「……ちょっと辛い。でも肉汁の閉じ込め方は合格……」と小刻みにチビチビと味わっている。

 その横で司は「……いいね、美味いな。……でも、使ったスパイスの瓶はちゃんと元の棚に戻してね……?」と一人で勝手に胃を痛めながら肉を口に運び、女木島と斎藤は黙って静かに、しかし豪快に肉塊を口に入れている。

 

 第一席の首を狙い続ける久我にとって、自分より下からの挑戦に付き合っている暇など本来はないのだ。久我は視線を創真へと戻し、軽快なトーンのまま、しかし一切の妥協を許さない瞳で言い放つ。

 

「だからさ、どうしても本気の俺と食戟がしたいなら、なんか一つでも俺よりとびぬけたもんを用意してよ。……正直、今の段階で俺がわざわざ受けてやってもいいって思えるのは、選抜で優勝したアキラくんぐらいだしね」

 

 秋の選抜優勝という、一年生にとっての最高峰の栄誉ですら、十傑にとっては「挑戦を検討する最低条件」に過ぎない。

 その場に居合わせた一年生たちが、底知れない十傑の壁の高さに息を呑む中、ギャラリーの端で腕を組んでいた葉山が静かに口を開いた。

 

「……久我先輩」

 

「んー? なに、アキラくん」

 

 振り返った久我に対し、葉山は鋭い視線を射抜くように向けた。

 

「あんた……もし最初に自分の皿を出していれば、幸平の勝ち目は文字通り『ゼロ』にできたはずだ。あのスパイスの暴力で審査員の舌を完全に支配してから幸平の皿を食わせれば、ピーナッツバターの風味なんて欠片も感じさせずに終わらせられた。……なのに、なんでわざわざ自分の作業を遅らせてまで、あいつに先に出させたんだ?」

 

 葉山の指摘に、一年生たちの間にハッとした空気が流れる。確かにその通りだ。久我のスパイス料理の後に創真の料理を出していれば、味覚が上書きされて創真の敗北はさらに悲惨なものになっていた。

 しかし、当の久我はきょとんと目を丸くすると、さも当然だと言わんばかりにあっけらかんと答えた。

 

「え? なに言ってんのさ。そりゃあ審査員も俺らも、料理を一番美味い状態で食べたいからじゃん。当たり前っしょ?」

 

 盤外の駆け引きなど微塵も気にしていない、純粋な料理人としての答え。拍子抜けするほどシンプルなその理由に、葉山は小さく息を吐いて肩をすくめた。

 

「そんじゃ、俺も腹減ったし食おうかなー!」

 

 久我はひらひらと手を振り、そのまま自身の料理をつまんでいる二年生の十傑たちのもとへと歩いていく。

 近づいてきた久我を一瞥し、叡山が鼻で笑った。

 

「ケッ。死んでねぇのか、見込み違いだな。まぁ、あのガキのあの面を拝めただけでも上々か」

「相手を舐めて、そのまま死ねばよかったのに」

 

 叡山の嫌味に被せるように、紀ノ国も冷ややかな視線を投げかける。

 

「うっせぇ!! 文句言うなら俺のメシ食うんじゃねぇよ根暗女とヤンキーメガネ!!」

 

 ギャーギャーと騒がしく噛み付き合う二年生組の姿は、やはりどこまでもマイペースで自由だ。

 

 そんな彼らの喧騒を遠巻きに眺めながら、タクミ・アルディーニはふんと鼻を鳴らした。

 

「……気を遣われてそのうえで加減してくれた、ということか。随分と舐められたものだな、幸平。どうするんだ?」

 

 隣に立つライバルへ向けられた、静かなる発破。

 問われた創真は、手ぬぐいを外した頭をガシガシと掻きながら、圧倒的な実力差を見せつけられた久我の後ろ姿を見つめた。手も足も出なかった完全な敗北。

 しかし、創真の瞳に絶望の色は一切ない。それどころか、ギラギラとした強烈な熱が宿っていた。

 

「……あー。ハンパなく悔しいけどよ」

 

 創真はニッと口角を吊り上げ、拳を強く握りしめる。

 

「俄然、燃えてきたぜ」

 

 目の前にそびえ立つ、とてつもなく高く、そして面白い壁。それを前にして湧き上がる抑えきれない闘志。

 決して折れないその言葉を聞いて、タクミもまた満足げに口元を緩めた。

 

「……それでこそだ」

 

 騒がしい十傑たちの輪の中から、ふと久我が振り返る。

 真っ直ぐに自分を睨み据える創真の熱のこもった視線を受け止めた第八席は、嬉しそうに、そして不敵に笑い返した。




やりたかったことリスト
・CP論争で一定の人気が出そうな竜胆。焦る田所。
・美作を評価する司
・弄られる久我。遊びで汐見ゼミのスパイスを使って創真を圧倒する久我
・十傑ってすごい!
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