ホグワーツは今日も非合理であるーー日本から来たスリザリン生の七年間 作:汐川
薬草学のあと四人で図書館へ行った日から、何日かが過ぎた。
次の日にいたのは真司とマルコムだけだった。その次の日は、エイダが先に来ていた。ベアトリスがハッフルパフの友達と別の机に座っている日もあったし、顔を見せない日もあった。
それでも、四人とも図書館にいれば、いつの間にか同じ机に座るようになった。
その日の午後は雨だった。
窓には細かな雨粒が絶えず当たり、まだ夕食には早いのに、図書館の奥はもう薄暗い。高い棚の間では、ときどき本を抜き取る音がして、そのたびに近くの肖像画がちらりと目を開けた。
真司の前には、呪文学の宿題が広がっていた。
十二インチ。
ホグワーツへ来る前には、作文の長さをインチで指定されるという考えそのものがなかった。今では十二インチがどのくらい長いか、かなりよく分かる。
長いのである。
「マルコム」
向かいで魔法史の本を読んでいたマルコムは、顔も上げなかった。
「写させないよ」
「まだ何も言ってない」
「じゃあ、何?」
「……最初のところだけ見せて」
そこでようやくマルコムが顔を上げた。
「それを写すって言うんじゃない?」
「見るだけだよ」
「見たあと、何をするつもり?」
真司は答えなかった。
「ほら」
「最初から決めつけるのはよくないと思う」
「君が言うと、ずいぶん都合のいい言葉だね」
真司が反論を考えているところへ、本が三冊、どさりと机に置かれた。
「何の話?」
エイダだった。
「シンジが僕の宿題を写そうとしてる」
「写すとは言ってない。見るだけ」
「ああ」
エイダは椅子を引いた。
「じゃあ写してないね」
「ラブレス」
「何?」
「君は話をややこしくしに来たの?」
「違うよ。本を読みに来たの」
そう言って、本当に本を開く。
マルコムはしばらくエイダを見ていたが、諦めたように自分の本へ戻った。
その少しあと、ベアトリスもやって来た。書架のところでハッフルパフの女子生徒と二言三言話してから、空いていた椅子へ鞄を置く。
「まだ呪文学やってるの?」
真司は羊皮紙を手で隠した。
「やってるよ」
「見せてとは言ってないけど」
「先に守っただけ」
ベアトリスは笑って薬草学の本を開いた。
それからしばらく、四人は本当に静かだった。
マルコムは魔法史の参考書を読み、ベアトリスは薬草の図版を見比べている。エイダは呪文学の教科書へ何かを書き込み、真司もようやく宿題を四行ほど進めた。
四行進むと、人は少し休みたくなる。
少なくとも真司はそうだった。
先日の授業を確認しようと、真司は呪文学の教科書を閉じ、脇に置いていたノートを開いた。
目当てのページはすぐには見つからなかった。薬草学の植え替え、その前には魔法史。そのさらに前には、羊皮紙について調べたときの走り書きが残っている。
向かいから視線を感じた。エイダと目が合った。
「何」
「それ、いつ見せてくれる?」
ノートを指差しながら、目を輝かせている。
真司は手帳を自分の方へ寄せた。
「見せないよ」
「やっぱりかー」
そう答えたくせに、エイダはまだ見ている。
真司がもう一枚ページをめくった、そのときだった。
「隙あり!」
「あっ」
エイダの手が伸びた。
机の上を滑るように手帳がさらわれる。真司が押さえるより、ほんの少しだけ早かった。
「エイダ!」
「待って、すぐ返すから!」
「だったら最初から取らないでよ……」
真司が身を乗り出す間にも、エイダは二、三ページめくった。
「なんで羊皮紙。紙じゃ駄目? なんで階段が動く――」
ページの端で目が止まる。
「あ、これグラントの字?」
真司もそこを見た。
羊皮紙について調べたページの余白に、見慣れた整った字で短く、
賢明
と書かれている。
「そこまで読まなくていいから」
「グラントは書いてるじゃん」
「それは前に――」
「なんで北へ行くのに南へ。葉っぱが閉じた、影? 振動? あとで確認……」
「返してよ」
真司がもう一度手を伸ばすと、今度は素直に返した。
エイダはしばらく手帳を見ていた。
「なんで、なんで、なんで……」
それから、何かを思いついたときの顔になった。
「これ、『なぜなぜ手帳』じゃん」
「違うよ」
「何が?」
「名前が」
「でも合ってるでしょ」
「ただのノートだから」
マルコムが本から顔を上げた。
「分かりやすいとは思う」
「マルコムまで」
ベアトリスが本の向こうで笑った。
「私は好きだけどな」
「採用しないよ」
エイダはもう満足したらしく、自分の本へ戻った。そしてにやりと笑う。
「なぜなぜ手帳」
*
少しして、真司は参考書を探しに席を立った。
目的の本は棚の上の方にあり、踏み台まで使ってようやく取れた。机へ戻ると、開いたままにしていたノートのそばにエイダがいた。
嫌な予感がした。
手帳を見る。
薬草学のページの端に、さっきまではなかった字が増えている。
試す?
思いついたことが頭からそのまま出てきたような走り書き。
「……エイダ」
「何?」
本人は本から顔も上げなかった。
「これ書いたでしょ」
「バレたか」
「勝手に書かないでよ」
そこでようやくエイダが顔を上げた。
「グラントは書いてるじゃん」
「マルコムは――」
真司は言いかけた。
マルコムは前から書いている。
だからいい。
そう言おうとして、あまり理由になっていないことに気づいた。
「……前からだから」
「じゃあ私も今日からー」
「そういう決め方なの?」
「駄目?」
「駄目っていうか――」
真司はもう一度、二文字を見た。
試す?
「……駄目じゃないけど」
エイダがにやりとした。
ベアトリスが小さく笑った。
真司は結局、その二文字を消さなかった。
*
雨が弱くなったころには、図書館の生徒もずいぶん減っていた。
窓の外はすっかり暗くなり、真司の呪文学の宿題も、どうにか終わりが見えるところまで来ている。
最初に席を立ったのはベアトリスだった。
「私、そろそろ戻るね。ハッフルパフの子と約束してるから」
「夕食?」
「その前にちょっと。借りてた本も返さなきゃいけないし」
ベアトリスは自分の本を重ね、真司の羊皮紙をちらりと見た。
「あと少し?」
「たぶん」
「その『たぶん』、さっきよりは信用できそう」
「さっきは?」
「してなかった」
それだけ言って、ベアトリスは笑いながら手を振った。
しばらくして、入口の方からエイダを呼ぶ声がした。レイブンクローの生徒が二人、扉のところに立っている。
エイダが時計を見る。
「あ、忘れてた」
「何を?」
「約束」
「それは忘れたら駄目なやつじゃない?」
「思い出したからセーフ!」
鞄へ本を押し込み、一冊だけ入りきらなくて向きを変え、それでも駄目で小脇に抱える。
「じゃあね」
「うん」
「明日、あの葉っぱ試そうよ」
「先生に聞いてから」
「じゃあ聞こう」
そこだけは妙に素直だった。
エイダは入口で待っていた二人のところへ走っていった。
机には真司とマルコムが残った。
マルコムはしばらく本を読んでいたが、やがて閉じた。
「終わった?」
「あと二インチ」
「ずいぶん進んだじゃないか」
「まあね。僕だってやればできるさ」
真司は残りの羊皮紙を見た。
どう考えても、ここから二インチ書くより夕食の方が大事だった。
「帰ろう」
「宿題は?」
「夕食のあと」
マルコムは何か言いかけたが、結局、本を鞄へしまった。
二人は図書館を出た。
廊下を進み、階段を下りる。途中まではレイブンクロー塔へ行く道も、ハッフルパフの地下室へ向かう道も近いが、最後には別々になる。
真司とマルコムは、そのまま地下へ下りていった。
*
翌日の放課後。
図書館へ入ると、昨日の机にはもうエイダがいた。
真司たちを見るなり、手を上げる。
「遅ーい」
「約束してないだろう」
マルコムが言った。
「してないけど、私の方が先だった」
「それは僕たちが遅い理由にはならないよ」
エイダは少し考えた。
「でも私が待った理由にはなる」
「待ってたの?」
「本読みながら」
「それ、待ってたって言うのかな」
真司が椅子を引こうとして、一冊の本に気づいた。
残った席に、黄色い栞の挟まった薬草学の本が置いてある。
「これ、ベアトリスの?」
「うん。棚を見に行ってる」
エイダは自分の本へ目を戻した。
「すぐ戻るってー」
真司は鞄を置き、手帳を取り出した。
ほかの机が空いているかどうかは、見なかった。