ホグワーツは今日も非合理であるーー日本から来たスリザリン生の七年間 作:汐川
十一月の終わりごろには、ホグワーツもすっかり冬らしくなっていた。朝の窓には白い曇りが残り、敷地の芝生には霜が降りる。遠くに見える山々も、いつの間にか上から下まで白くなっていた。
十二月に入ると、今度はクリスマスの飾りつけが始まった。
ある朝、大広間の隅に大きなモミの木が一本立っていた。翌日にはもう一本増え、その次の日には廊下の手すりに柊が巻きついていた。昨日までは何もなかった石のアーチから銀色の飾りが垂れているのを見つけて、真司は朝食へ向かう足を少し緩めた。
「またハグリッドかな?」
「あとは、屋敷しもべ妖精じゃない?」
マルコムは見上げもしなかった。
「屋敷しもべ妖精?」
「えーと、なんというか、そう! お手伝いさん、そんな感じの妖精」
ここ最近のマルコムは真司のなぜなぜを振り切る一言の説明を考えるのがうまくなっていた。もっとも初めて出会う「屋敷しもべ妖精」という言葉に対して、今の返答はなんの効果ももたらさなかった。
*
その日の夜、真司はスリザリンの談話室で変身術の宿題をしていた。暖炉の近くでは上級生が数人ソファを占領していて、ときどき笑い声がこちらまで飛んでくる。
三度目も同じ一文を読み直したところで、その笑い声が急に大きくなった。
「おい、返せよ!」
「返してるだろ!」
「これのどこが俺の杖なんだよ!」
真司が顔を上げると、上級生の一人が黄色いゴムのニワトリを握っていた。どうやら、ついさっきまで杖だったらしい。向かいに座った生徒は腹を抱えて笑っている。
「ウィーズリーのやつだよ。知らなかったのか?」
「知ってたら触るか!」
真司は羽根ペンを置いた。少し迷ってから立ち上がり、ゴムのニワトリのところまで行った。
「それ、何ですか?」
「これ?」
笑っていた上級生がニワトリを指した。
「トリック・ワンド。ウィーズリー・ウィザード・ウィーズの」
「杖だったんですか?」
「握るとな。何になるかはいろいろ」
真司はもう一度ニワトリを見た。こういう物を見せたら、エイダはたぶん、笑うより先にどういう仕組みなのか知りたがる。
「どこで売ってます?」
「ダイアゴン横丁」
「……遠いなぁ」
思ったまま口にすると、上級生が笑った。
「通信販売してるぜ?」
「通信販売?」
「梟で注文するんだよ。カタログ見て、欲しいの選んで、注文書と金を送る。学校にも届く」
「俺なんか先月三回頼んだ」
別の上級生が横から口を挟んだ。
「そのうち二回没収されたけどな」
「自業自得だ」
上級生はテーブルの下から、派手な冊子を一冊引っぱり出した。表紙では赤い文字が膨らんだり縮んだりし、その横を小さな花火が走っている。
「見るか?」
「見ます」
中身は表紙以上に落ち着きがなかった。煙を吐く箱や、勝手に走り回る小さな物、こちらへ噛みつこうとする菓子まで載っている。何に使うのか分からないものも少なくなかったが、真司は何ページかめくったあと、トリック・ワンドのところへ戻った。
「注文書は最後な」
「これ、明日まで借りてもいいですか?」
「いいけど、なくすなよ」
「はい」
冊子を抱えて自分の席へ戻ると、向かいにいたマルコムが本から目を上げた。
「何それ」
「カタログ」
「見れば分かるよ」
「じゃあ聞かなくていいだろ」
マルコムは表紙を眺めた。
「ウィーズリー?」
「うん」
「何か買うの?」
真司は冊子を閉じた。
「まだ内緒」
「ということは、僕に?」
「なんでそうなるの?」
「隠したから」
「マルコムに見せたくないものが、全部マルコムの物とは限らないよ」
「それは残念」
マルコムは何事もなかったように本へ戻った。真司もカタログを開き直し、トリック・ワンドの頁へ紙を一枚挟んだ。
*
ベアトリスへの贈り物は、それより少し前から考えていた。
この数か月、デザートの話になると、ベアトリスが少し嬉しそうになるのを何度か見ていた。とくにチョコレートのある日は分かりやすい。本人はたぶん、自分がそんな顔をしているとは思っていなさそうだが。
それなら食べ物がいい。甘いもの。どうせなら、真司自身が好きだったものを食べてもらいたかった。
アポロ、ポッキー、コアラのマーチ、チロルチョコ。
魔法界には変わった菓子がいくらでもあるので、珍しさで張り合うのはやめた。普通においしいものなら、それでよかった。
ただし、日本のお菓子となると、ホグワーツで思いついてすぐ手に入るわけではない。エディンバラで全部揃うとも限らず、取り寄せるなら時間もかかる。そこで真司は、まだ十一月のうちに母さんへ手紙を書いていた。
『ベアトリスっていう友達にあげたいので、僕が好きだった日本のお菓子を少し送ってください』
数日後に返ってきた手紙には、
『ずいぶん早いクリスマスの相談ですね』
と母さんの字で書かれていた。その下には父さんが、
『女の子か?!』
と書き足している。
マルコムには『ホビットの冒険』を選んだ。マグルが書いた、魔法使いやドラゴンの出てくる物語である。実際の魔法界とはずいぶん違うだろうが、マルコムなら、その違いを見つけることも含めて楽しめるだろう。何しろ、真司の「なんで?」にこれまで付き合ってきたのである。
エイダの分は、ウィーズリーの通信販売で頼んだ。
三人分が決まると、真司はようやく安心した。何を贈るか考える方が、宿題よりずっと時間がかかった。
*
十二月も半ばを過ぎたころ、家から小包が届いた。
マルコム用の本、それからベアトリス用の菓子が入っていた。アポロも、ポッキーも、コアラのマーチも、チロルチョコもきちんと揃っている。
母さんからの手紙には、
『全部入れました。喜んでくれるといいね!』
とだけ書かれていた。
同じ週には、ウィーズリー・ウィザード・ウィーズからも梟がやってきた。箱を開けて中身を確認した真司は、三人分の贈り物をそれぞれ包むことにしたのだが、これが思ったより難しかった。
「曲がってる」
向かいからマルコムが言った。
「見ないでよ」
「見えるんだよ」
「見ないふりして」
「それは難しいな」
真司は包み紙の角を押さえ直した。
「ところで、それ僕の?」
「違う」
真司は顔を上げた。マルコムが笑っている。
「もう! 見ないで!」
*
休暇前日の夜、マルコムは開いたトランクの前に立っていた。ベッドの上にはローブやシャツ、本、靴下、それに細々とした物がきれいに並べられている。
「そんなに入る?」
「入れるよ」
マルコムは杖を抜き、ベッドの上へ向けた。
「《パック!》」
荷物が一斉に動いた。シャツはぱたぱたと畳まれ、靴下は二足ずつまとまり、本は背表紙を揃えたままトランクの底へ滑り込んでいく。小物まで空いた隙間へ器用に収まり、最後にローブがふわりと浮かんだ。
「便利だな、それ」
「家族は普通に使うよ」
ローブがするりと収まり、トランクの蓋が閉じた――ただし、濃い緑色の袖が一本だけ外へ垂れていた。
真司がそこを指すと、マルコムは少し眉を寄せた。
「出てるよ」
「見えてる」
「普通に使うんじゃなかった?」
「普通に使うのは家族。僕が上手に使えるのは別だろ」
マルコムは袖だけ引っぱり出して手で畳み直し、今度こそ蓋を閉じた。
それから、真司のベッドの下に収まったままのトランクへ目をやった。
「本当に帰らないんだね」
「うん」
「エディンバラなら、そんなに遠くないのに」
言ってから、マルコムは「ああ」と声を漏らした。
「ロンドンからが遠いんだね」
「そう」
ホグワーツを出て、そのまま北東へ帰れるわけではない。一度ロンドンまで南へ下り、そこからまた北へ戻ることになるうえ、父さんも母さんも休暇中ずっと仕事が休みというわけではなかった。
「夏には帰るよ」
「ならいいけど」
「何が?」
「別に」
マルコムはトランクをベッドの脇へ寄せた。
真司は机の下から小さな包みを一つ取り出した。
「マルコム」
「何?」
「これ」
包みを受け取ったマルコムは、一度裏返した。
「僕に?」
「メリークリスマス」
「今開けていい?」
「クリスマスにね」
マルコムは少し残念そうに包みを眺め、それからトランクの上へ置いた。
*
翌朝の玄関広間には、いつもよりずっと物が多かった。生徒とトランクと梟籠が入り交じり、忘れ物に気づいた生徒が人の流れに逆らって城の奥へ走っていく。
エイダは、その中でも目立つ大きな鞄を肩にかけていた。
「何入ってるの?」
「いろいろ!」
詳しく聞いても、たぶん同じ答えしか返ってこない。
真司は鞄から包みを一つ取り出した。
「これ、エイダに」
「私?」
受け取った途端、エイダは振った。
「振らないでよ」
「壊れる?」
「たぶん壊れないけど」
「じゃあいいじゃん」
「そういう問題じゃない」
真司はもう一つの包みを取り出した。
「はい。ベアトリス」
「私も?」
「うん」
ベアトリスは両手で受け取った。
「ありがとう」
「暖かいところには置かない方がいいかも」
彼女は包みを見て、それから真司を見た。
「食べ物?」
「……今ので分かった?」
「少し」
ベアトリスは笑って包みを鞄へしまった。
「じゃあ、クリスマスに開けるね」
「うん」
*
帰省する生徒たちの列が、少しずつ動き始めた。
マルコムがトランクを引き寄せる。
「じゃあ、一月に」
「うん。一月に」
列が一歩進んだところで、ベアトリスが真司を振り返った。
「シンジ」
「何?」
「またね」
「うん」
「一月に」
「一月に」
マルコム、エイダ、ベアトリスの三人が手を振る。
三人はそのまま人の流れへ混じり、やがて見えなくなった。
真司は少しのあいだそこに立って、それから城へ戻った。
*
昼食の時間、大広間へ入ると、いつものスリザリン卓にも空席が目立った。
真司は自分の席へ座った。
向かいには誰もいなかった。
大広間は、昨日までよりずっと広かった。