自宅に辿り着き、ホームヘルパーさんに挨拶。
お婆ちゃんの介護を引き継ぎして、さようならと手を振る。
「さて、お爺ちゃん。悪いけれど、クレメンスさんを庵まで案内してあげて? 私は食事の用意をするから」
「うむ。その前に――ちょっとだけな」
うん?
何か用事でもあるのか、お爺ちゃんはクレメンスさんを連れて行く。
行き先は、お婆ちゃんの部屋であった。
「どうしたの?」
「妻に挨拶をな。お前も来なさい」
食事の席でもいいんじゃないの?
私はそう思うが、一緒にお婆ちゃんの寝室まで付いていくことにした。
「さて、クレメンスさん。儂の妻を紹介しよう。志乃だ」
「おや、外国人のお客さんですか? 珍しいですねえ」
お婆ちゃんは腰を痛めている。
交通事故に遭って、信号無視のバイクに轢かれたのだ。
長く歩くこともできなければ、足を大きく上げて階段を上ることさえできない。
命に関わる症状では無いというのが、かろうじての幸いだろうが。
間違いなく寿命は少しずつ削れている。
「腰が悪くてね……。お客様に、ちゃんと立ってのご挨拶もできなくて、ごめんなさいね」
「いえ、お気持ちはありがたく。身体を労ってください」
頭を下げるお婆ちゃんを、クレメンスさんが気遣う。
あくまで彼は紳士であった。
心の底から、初めて会ったばかりの老人に敬意をもって接している。
長生きの老人であるならば、それだけで誠意を込めて心配するのが当然とばかりの態度である。
「医者には診せているのですか? ここの医師は技量に優れているようですが」
「うむ。ちゃんとお医者様には見せているが、なかなかのう。どうにもならんのです」
お爺ちゃんが困り顔を見せる。
「こんな田舎では、まあ治療に限界もあっての。せめて痛みだけでも消せればよいのだが」
「はて?」
クレメンスさんが首を捻った。
不思議なことを口にするな、とでも言いたげに。
「えーと、出来ないのですか?」
何故、そんなことも出来ないのかと。
本当に不思議そうに口にした。
「?」
クレメンスさんが、私の方を見る。
いや、私を見られても困るのだが。
あれだ、何を言いたいのか。
貴女の家はお金持ちだから、腰の痛みを消すぐらいなんとでもなるだろうと?
そりゃあ無理というものだ。
西洋医学がいくら発達しても限界はある。
東洋医学に基づいて、鍼灸師さんを家に呼んだこともあるし。
もちろんマッサージなども試みているが、まあそれでも限界というものはある。
事故による後遺症を完全に治すことは不可能だ。
痛みとて、それこそ麻酔でも使わない限りはどうにもならないだろう。
「おお、そういえばクレメンスさん。治癒魔法が使えるかね? ここは田舎で、残念ながらそういった人はおらんでの」
くい、とお爺ちゃんがクレメンスさんにヘンテコな事を口走った。
出来るわけねえだろ。
ファンタジーじゃねえんだぞ。
田舎とか都会だかの問題では無いのだ。
「おや、お気づきでしたか?」
クレメンスさんが、首を傾げて言葉を返す。
気を遣ってくれたのだろう。
ボケ老人の戯言に乗っかってくれたのだ。
「うん。お医者様には聞いたがの。確かに酷い怪我をしていたが、すでに止血は完璧だったと言っていた」
私は溜め息を吐く。
何を二人して戯れ言で遊んでいるんだか、と。
そう笑って口にしようとして。
「もしや、使い手なんじゃないかと思うての」
お爺ちゃんが、私を睨んだ。
とても肉親にするとは思えない目つきで。
クレメンスさんにも気付かれないほんの一瞬だけ、ぎろりと、お前は黙っていろと言わんばかりに。
「……」
私は沈黙した。
え、何を考えてるの、お爺ちゃん。
「きちんと謝礼は払うので、お願いできんかの」
「承知しました。私程度の技量では限界があるでしょうが……治せる範囲内でしたら」
クレメンスさんが、お婆ちゃんに近寄って。
目を薄く細め、両手をかざして。
何やら瞑想じみた集中状態に入り始めた。
まるで、損傷した器官を見極めようとしていると言わんばかりに。
「……」
だがまあ、数秒待っても何も起きやしない。
当たり前である。
これは――ひょっとして。
お爺ちゃんはボケてきていて、クレメンスさんのことをファンタジー世界の騎士だと思っているし。
クレメンスさんもちょっとヒグマに敗れた際の衝撃で、頭か何処かを打ったのかもしれない。
ひょっとしたら、現状は本気で自認ファンタジー騎士なのかもしれない。
そう思う。
この不自然な状況を、私は本気で心配し始めた。
「その――」
二人とも正気に返れと、私は泣き言を漏らしそうになって。
声が止まった。
クレメンスさんの両手が光り始めたのだ。
「ええ!?」
私は戸惑いと驚愕の感情を綯い交ぜにして、声を漏らした。
クレメンスさんは極端な集中状態に入っているのか、それに気付かないでいる。
お爺ちゃんだけが、真剣な表情で――
「やはりか」
一言、声を漏らした。
数秒して、両手の発光が収まって。
ふう、とクレメンスさんが額を拭った。
私とお爺ちゃんの反応には気付かず。
「終わりました。志乃さん、調子はどうですか?」
どこまでも紳士に、様子を尋ねる。
お婆ちゃんは、本当に不思議そうに、自分の腰を一撫でしたあとに。
「……ええ? 痛くないわ」
私と似たように、戸惑いと驚愕の感情を綯い交ぜにして声を上げた。
「というか、歩けるんですが。ええ!?」
「身体を労ってください。損傷した組織は治ったと思いますが、若返ったわけではないので」
椅子から立ちあがり、持っていた杖など投げ捨てて。
お婆ちゃんは介助が必要な状態から回復を遂げた。
「……」
私はドン引きしている。
ハッキリ言えば、お婆ちゃんが治った喜びよりも、怖かった。
何してんの、クレメンスさん。
いや、本当に何をやったの!?
魔法!?
「……」
そのクレメンスさんも、私の顔を見て停止した。
気付いたのだ。
『そんなことは普通出来ない』という私の顔に気付いたのだ。
常識外の、それこそ通常の理解範疇から外れた行動であることに。
彼が、お爺ちゃんに視線を移す。
「まずは礼を言おう、クレメンスさん。儂の愛妻を治療してくれたことに感謝をしなければならない」
お爺ちゃんはあくまで好々爺とした態度で。
声色も優しいものであったが。
確かに、権力者としての気迫と威圧が込められていた。
「そして騙して申し訳ないが、この世界に魔法なんて無いんじゃよ。魔法の代わりに発展した科学があるだけでの。いや――厳密には魔法はあるが、この世界の人間には使えないんじゃ」
クレメンスさんを諭すように、そして怒りを覚えさせぬよう。
誠意を込めた視線を送り、そして口にした。
「だから――ちょっと、話をしようか。色々と役人にも会ってもらわねばならん。何、安心してくれ。我が孫娘を救い、そして妻を治してくれた御方を。決して悪いようにはせんでの。この爺は善意で行動していることを分かって欲しい。別に、異世界からの来訪者は貴方が初めてというわけでは無いのだから」
クレメンスさんが異世界人であること。
そして、別に彼が初めてではなくて。
――お爺ちゃんは、それを理解していて、クレメンスさんを罠にはめた。
「ええ……クズすぎない、お爺ちゃん。あのね、人にはやっていいことと悪いことがあってね。他にも方法が」
私はお爺ちゃんの、伊藤清十郎の卑劣さにドン引きした。
そして真顔で非難した。
孫娘として、本日この場でクレメンスさんを騙したことを詫びねばならぬのだ。
「やめて!? 儂は儂なりに、考えて行動してるからね? 真偽を見分けるためには、他には方法がなかったからね!?」
お爺ちゃんは、儂とてこんなことしたいわけじゃないと、言い訳じみて否定する。
クレメンスさんは、その、そんな私たちのやりとりを見ながら。
「……委細承知しました。何、おそらく、清十郎さんには怪しまれていると思ってはいたのです。大人しくしていることにしましょう。貴方を信用します」
最後の最後まで紳士的に、そして観念したように笑った。
このイケオジは、その観念した笑顔までもがチャーミングであった。