ヨキですが、静かに生きたいだけなんです。   作:千遇万歩

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第四章 東方司令部

 

 リゼンブールを発った列車は、ゆっくりと東へ向かっていた。

 

 車窓の向こうでは、青々とした草原が流れていく。

 

 その景色を眺めながら、ヨキは静かに息を吐いた。

 

 少し前まで。

 

 自分は「未来を知っている」ことしか取り柄のない人間だと思っていた。

 

 けれど今は違う。

 

 ニーナを救えた。

 

 エドワードたちへ、未来へ繋がる言葉を託すこともできた。

 

 小さなことかもしれない。

 

 それでも。

 

 確かに未来は変わり始めている。

 

(……まだ終わりじゃない。)

 

(ここからだ。)

 

 ヨキは窓へ映る自分の姿を見つめ、小さく頷いた。

 

 

 翌日。

 

 東方司令部。

 

 見慣れた建物が視界へ飛び込んでくる。

 

 思わず頬が緩んだ。

 

「戻ってきたか。」

 

 玄関をくぐると、受付の者が笑顔で敬礼する。

 

「ヨキ中尉、お帰りなさい。」

 

「ただいま戻りました。」

 

 その言葉を返した瞬間、自分でも少し驚いた。

 

 "帰ってきた"。

 

 自然とそう思えたのだ。

 

 

「おっ!」

 

 廊下の向こうから聞き慣れた声が響く。

 

「ヨキ中尉!」

 

 ハボックだった。

 

「無事だったんですね。」

 

「心配したんですよ。」

 

「ありがとう。」

 

「何とか帰ってこられたよ。」

 

 ハボックはヨキの姿をじっと見つめる。

 

「……あれ?」

 

「どうかしたかい?」

 

「いや。」

 

「少し身体、締まりました?」

 

「そう言われるのは、少し照れるね。」

 

「褒めてるんですよ。」

 

「ははは。」

 

「ありがとうございます。」

 

 その何気ない会話が、どこか心地よかった。

 

 

 執務室へ入る。

 

「お帰りなさい。」

 

 最初に声を掛けたのはフューリーだった。

 

「お疲れ様でした。」

 

 続いてファルマンが立ち上がる。

 

「ご無事で何よりです。」

 

 ブレダは椅子へもたれたまま笑った。

 

「イーストシティの空気、忘れてませんでしたか?」

 

「忘れる訳ないよ。」

 

 ヨキも笑い返す。

 

 そのやり取りだけで、肩の力が抜けていく。

 

「ヨキ中尉。」

 

 静かな声がした。

 

 リザ・ホークアイだった。

 

「任務、ご苦労様でした。」

 

「ありがとうございます。」

 

 ヨキは姿勢を正し、一礼する。

 

「ニーナちゃんは。」

 

「無事に預けられましたか?」

 

「はい。」

 

「とても良い人たちに。」

 

 ホークアイは小さく微笑んだ。

 

「それは良かった。」

 

 その一言だけだった。

 

 だが、その優しさが嬉しかった。

 

 

「中尉。」

 

 奥から聞こえた低い声。

 

 マスタングだった。

 

「戻ったか。」

 

「ただいま戻りました。」

 

「報告書は。」

 

「すでにまとめてあります。」

 

 ヨキは鞄から書類を差し出す。

 

 マスタングは受け取ると、軽く目を通し、小さく笑った。

 

「相変わらず仕事が早い。」

 

「性分ですので。」

 

「その性分は助かる。」

 

 マスタングは書類を閉じた。

 

「ご苦労だった。」

 

「少し休め。」

 

「……ありがとうございます。」

 

 その一言だけで十分だった。

 

 

 それから、しばらくの日々が過ぎた。

 

 ヨキは東方司令部での生活を再び送り始めていた。

 

 朝は書類整理から始まり。

 

 巡回。

 

 情報共有。

 

 小さな事件の対応。

 

 そして、時間を見つけては訓練場へ向かう。

 

 派手さはない。

 

 それでも、一つひとつが人々の暮らしを守るための立派な仕事だった。

 

 

「少尉。」

 

「今日もお願いします。」

 

 ヨキはハボックに声を掛ける。

 

「もちろんですよ。」

 

 二人は向かい合う。

 

 訓練は以前より長く続くようになっていた。

 

 訓練を終えたハボックは、額の汗を拭いながら笑った。

 

「やっぱり変わりましたね。」

 

「そうかな。」

 

「ええ。」

 

「身体も締まりましたし。」

 

「それだけじゃない。」

 

「顔つきまで変わりました。」

 

「初めて会った頃より、ずっと武人らしくなりましたよ。」

 

 ヨキは照れくさそうに笑う。

 

「そう言ってもらえると嬉しいよ。」

 

「まだまだだけどね。」

 

「その『まだまだ』って思える人ほど伸びるんですよ。」

 

 二人は笑い合った。

 

 

 司令部へ戻ると、いつもの仲間たちがいた。

 

「ヨキ中尉!」

 

 フューリーが通信機材を抱えながら駆け寄ってくる。

 

「新しい通信装置が届いたんです!」

 

「前より性能が良くなったんですよ!」

 

「そうなのか。」

 

「今度見せてくれるかい?」

 

「もちろんです!」

 

 その横で、ブレダが笑い掛ける。

 

「中尉。」

 

「今日も訓練だったんですか?」

 

「ええ。」

 

「まだまだ鍛え足りなくてね。」

 

「はは。」

 

「俺も負けてられませんね。」

 

 ヨキも笑って頷いた。

 

「お互い、頑張ろう。」

 

 さらに奥では、ファルマンが本を閉じる。

 

「そういえば中尉。」

 

「東方の古戦場について、新しい資料が見つかったんです。」

 

「また興味深い内容でして……。」

 

 その話は十分以上続いた。

 

 ヨキは最後まで笑顔で聞いていた。

 

 

 夕方。

 

 執務室を出ると、マスタングとホークアイの姿があった。

 

「訓練帰りか。」

 

 マスタングが声を掛ける。

 

「はい。」

 

「ハボック少尉に、毎日のように鍛えていただいております。」

 

「そうか。」

 

 マスタングは小さく頷いた。

 

「いい顔だな。」

 

 短い一言だった。

 

 だが、その言葉が何より嬉しかった。

 

「ありがとうございます。」

 

 ヨキは自然と背筋を伸ばしていた。

 

 

 一方、その頃――。

 

 薄暗い部屋。

 

 ラストは静かに紅茶を口へ運んでいた。

 

 傍らではグラトニーが退屈そうに椅子へ座っている。

 

「ラスト。」

 

「マルコーは?」

 

「まだ。」

 

「放っておくわ。」

 

 ラストは穏やかに答える。

 

「人柱になり得る存在だもの。」

 

「今、消す理由はない。」

 

 その時だった。

 

 部屋へ低い声が響く。

 

「その判断で構わん。」

 

 姿は見えない。

 

 だが、その声だけで十分だった。

 

 大総統――ブラッドレイ。

 

「監視を継続しろ。」

 

「エルリック兄弟。」

 

「そして。」

 

「ヨキ中尉もだ。」

 

 ラストは静かに微笑む。

 

「ええ。」

 

「彼は。」

 

「思っていたより、ずっと面白い人だったわ。」

 

 グラトニーが首を傾げる。

 

「食べちゃだめ?」

 

「まだ駄目。」

 

 ラストは小さく笑う。

 

「もう少し。」

 

「彼を見ていたいもの。」

 

 部屋は再び静寂へ包まれた。

 

 

 数日後。

 

 東方司令部。

 

 一通の封筒がヨキの机へ置かれた。

 

 見慣れた軍の封印。

 

 ヨキは静かに封を切る。

 

 書かれていたのは、たった数行。

 

 ――中央司令部勤務を命ずる。

 

 その文字を見つめたまま、ヨキは静かに目を閉じた。

 

(……来たか。)

 

 覚悟はしていた。

 

 だから驚きはしない。

 

 だが。

 

 胸の奥が少しだけ締め付けられた。

 

 

 辞令を手に、マスタングの執務室を訪れる。

 

「失礼します。」

 

「入りたまえ。」

 

 マスタングは辞令を見ると、小さく頷いた。

 

「……そうか。」

 

「届いたか。」

 

「はい。」

 

 短い沈黙。

 

 やがてマスタングは静かに笑った。

 

「おめでとう。」

 

 ヨキも微笑む。

 

「ありがとうございます。」

 

 

 荷物は多くなかった。

 

 もともと必要以上の物を持つ性格ではない。

 

「行っちゃうんですね。」

 

 フューリーが寂しそうに笑う。

 

「また通信してください。」

 

「ああ。」

 

「必ず。」

 

 ブレダが笑顔で右手を差し出した。

 

「中央でも頑張ってください。」

 

「応援してますよ。」

 

 ヨキはその手をしっかりと握る。

 

「ありがとうございます。」

 

「頑張ってきます。」

 

 ファルマンは本を胸に抱え、一礼した。

 

「歴史の続きは、また今度お話ししましょう。」

 

「楽しみにしています。」

 

 最後にハボックが右手を差し出した。

 

「中尉。」

 

「向こうでも訓練、頑張って下さい。」

 

 ヨキは力強く握手を返す。

 

「ああ。」

 

「今まで、本当にありがとう。」

 

「君のおかげで。」

 

「少しだけ、自分に自信が持てるようになった。」

 

 ハボックは少し照れくさそうに笑った。

 

「そんなこと言われると照れますよ。」

 

「でも。」

 

「次に会う時は。」

 

「もっと強くなった中尉を楽しみにしてます。」

 

「私も。」

 

「その日を楽しみにしているよ。」

 

 

 最後に。

 

 ホークアイが静かに敬礼した。

 

「ご武運を。」

 

 ヨキも真っ直ぐ敬礼を返す。

 

「ありがとうございます。」

 

 

 司令部の玄関。

 

 マスタングが最後に声を掛ける。

 

「中尉。」

 

 ヨキは振り返る。

 

「中央でも。」

 

「君らしくあれ。」

 

 その言葉に。

 

 ヨキは真っ直ぐ敬礼した。

 

「はい。」

 

「行ってまいります。」

 

 

 列車が静かに動き出す。

 

 東方司令部が少しずつ遠ざかっていく。

 

 ヨキは窓越しに、その景色をいつまでも見つめていた。

 

(ありがとう。)

 

(いい仲間に出会えた。)

 

(だからこそ。)

 

(次も。)

 

(必ず守り抜いてみせる。)

 

 列車は速度を上げる。

 

 その先に待つのは――中央。

 

 アメストリスの中心。

 

 そして。

 

 すべての運命が交わる場所だった。

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