リゼンブールを発った列車は、ゆっくりと東へ向かっていた。
車窓の向こうでは、青々とした草原が流れていく。
その景色を眺めながら、ヨキは静かに息を吐いた。
少し前まで。
自分は「未来を知っている」ことしか取り柄のない人間だと思っていた。
けれど今は違う。
ニーナを救えた。
エドワードたちへ、未来へ繋がる言葉を託すこともできた。
小さなことかもしれない。
それでも。
確かに未来は変わり始めている。
(……まだ終わりじゃない。)
(ここからだ。)
ヨキは窓へ映る自分の姿を見つめ、小さく頷いた。
◇
翌日。
東方司令部。
見慣れた建物が視界へ飛び込んでくる。
思わず頬が緩んだ。
「戻ってきたか。」
玄関をくぐると、受付の者が笑顔で敬礼する。
「ヨキ中尉、お帰りなさい。」
「ただいま戻りました。」
その言葉を返した瞬間、自分でも少し驚いた。
"帰ってきた"。
自然とそう思えたのだ。
◇
「おっ!」
廊下の向こうから聞き慣れた声が響く。
「ヨキ中尉!」
ハボックだった。
「無事だったんですね。」
「心配したんですよ。」
「ありがとう。」
「何とか帰ってこられたよ。」
ハボックはヨキの姿をじっと見つめる。
「……あれ?」
「どうかしたかい?」
「いや。」
「少し身体、締まりました?」
「そう言われるのは、少し照れるね。」
「褒めてるんですよ。」
「ははは。」
「ありがとうございます。」
その何気ない会話が、どこか心地よかった。
◇
執務室へ入る。
「お帰りなさい。」
最初に声を掛けたのはフューリーだった。
「お疲れ様でした。」
続いてファルマンが立ち上がる。
「ご無事で何よりです。」
ブレダは椅子へもたれたまま笑った。
「イーストシティの空気、忘れてませんでしたか?」
「忘れる訳ないよ。」
ヨキも笑い返す。
そのやり取りだけで、肩の力が抜けていく。
「ヨキ中尉。」
静かな声がした。
リザ・ホークアイだった。
「任務、ご苦労様でした。」
「ありがとうございます。」
ヨキは姿勢を正し、一礼する。
「ニーナちゃんは。」
「無事に預けられましたか?」
「はい。」
「とても良い人たちに。」
ホークアイは小さく微笑んだ。
「それは良かった。」
その一言だけだった。
だが、その優しさが嬉しかった。
◇
「中尉。」
奥から聞こえた低い声。
マスタングだった。
「戻ったか。」
「ただいま戻りました。」
「報告書は。」
「すでにまとめてあります。」
ヨキは鞄から書類を差し出す。
マスタングは受け取ると、軽く目を通し、小さく笑った。
「相変わらず仕事が早い。」
「性分ですので。」
「その性分は助かる。」
マスタングは書類を閉じた。
「ご苦労だった。」
「少し休め。」
「……ありがとうございます。」
その一言だけで十分だった。
◇
それから、しばらくの日々が過ぎた。
ヨキは東方司令部での生活を再び送り始めていた。
朝は書類整理から始まり。
巡回。
情報共有。
小さな事件の対応。
そして、時間を見つけては訓練場へ向かう。
派手さはない。
それでも、一つひとつが人々の暮らしを守るための立派な仕事だった。
◇
「少尉。」
「今日もお願いします。」
ヨキはハボックに声を掛ける。
「もちろんですよ。」
二人は向かい合う。
訓練は以前より長く続くようになっていた。
訓練を終えたハボックは、額の汗を拭いながら笑った。
「やっぱり変わりましたね。」
「そうかな。」
「ええ。」
「身体も締まりましたし。」
「それだけじゃない。」
「顔つきまで変わりました。」
「初めて会った頃より、ずっと武人らしくなりましたよ。」
ヨキは照れくさそうに笑う。
「そう言ってもらえると嬉しいよ。」
「まだまだだけどね。」
「その『まだまだ』って思える人ほど伸びるんですよ。」
二人は笑い合った。
◇
司令部へ戻ると、いつもの仲間たちがいた。
「ヨキ中尉!」
フューリーが通信機材を抱えながら駆け寄ってくる。
「新しい通信装置が届いたんです!」
「前より性能が良くなったんですよ!」
「そうなのか。」
「今度見せてくれるかい?」
「もちろんです!」
その横で、ブレダが笑い掛ける。
「中尉。」
「今日も訓練だったんですか?」
「ええ。」
「まだまだ鍛え足りなくてね。」
「はは。」
「俺も負けてられませんね。」
ヨキも笑って頷いた。
「お互い、頑張ろう。」
さらに奥では、ファルマンが本を閉じる。
「そういえば中尉。」
「東方の古戦場について、新しい資料が見つかったんです。」
「また興味深い内容でして……。」
その話は十分以上続いた。
ヨキは最後まで笑顔で聞いていた。
◇
夕方。
執務室を出ると、マスタングとホークアイの姿があった。
「訓練帰りか。」
マスタングが声を掛ける。
「はい。」
「ハボック少尉に、毎日のように鍛えていただいております。」
「そうか。」
マスタングは小さく頷いた。
「いい顔だな。」
短い一言だった。
だが、その言葉が何より嬉しかった。
「ありがとうございます。」
ヨキは自然と背筋を伸ばしていた。
◇
一方、その頃――。
薄暗い部屋。
ラストは静かに紅茶を口へ運んでいた。
傍らではグラトニーが退屈そうに椅子へ座っている。
「ラスト。」
「マルコーは?」
「まだ。」
「放っておくわ。」
ラストは穏やかに答える。
「人柱になり得る存在だもの。」
「今、消す理由はない。」
その時だった。
部屋へ低い声が響く。
「その判断で構わん。」
姿は見えない。
だが、その声だけで十分だった。
大総統――ブラッドレイ。
「監視を継続しろ。」
「エルリック兄弟。」
「そして。」
「ヨキ中尉もだ。」
ラストは静かに微笑む。
「ええ。」
「彼は。」
「思っていたより、ずっと面白い人だったわ。」
グラトニーが首を傾げる。
「食べちゃだめ?」
「まだ駄目。」
ラストは小さく笑う。
「もう少し。」
「彼を見ていたいもの。」
部屋は再び静寂へ包まれた。
◇
数日後。
東方司令部。
一通の封筒がヨキの机へ置かれた。
見慣れた軍の封印。
ヨキは静かに封を切る。
書かれていたのは、たった数行。
――中央司令部勤務を命ずる。
その文字を見つめたまま、ヨキは静かに目を閉じた。
(……来たか。)
覚悟はしていた。
だから驚きはしない。
だが。
胸の奥が少しだけ締め付けられた。
◇
辞令を手に、マスタングの執務室を訪れる。
「失礼します。」
「入りたまえ。」
マスタングは辞令を見ると、小さく頷いた。
「……そうか。」
「届いたか。」
「はい。」
短い沈黙。
やがてマスタングは静かに笑った。
「おめでとう。」
ヨキも微笑む。
「ありがとうございます。」
◇
荷物は多くなかった。
もともと必要以上の物を持つ性格ではない。
「行っちゃうんですね。」
フューリーが寂しそうに笑う。
「また通信してください。」
「ああ。」
「必ず。」
ブレダが笑顔で右手を差し出した。
「中央でも頑張ってください。」
「応援してますよ。」
ヨキはその手をしっかりと握る。
「ありがとうございます。」
「頑張ってきます。」
ファルマンは本を胸に抱え、一礼した。
「歴史の続きは、また今度お話ししましょう。」
「楽しみにしています。」
最後にハボックが右手を差し出した。
「中尉。」
「向こうでも訓練、頑張って下さい。」
ヨキは力強く握手を返す。
「ああ。」
「今まで、本当にありがとう。」
「君のおかげで。」
「少しだけ、自分に自信が持てるようになった。」
ハボックは少し照れくさそうに笑った。
「そんなこと言われると照れますよ。」
「でも。」
「次に会う時は。」
「もっと強くなった中尉を楽しみにしてます。」
「私も。」
「その日を楽しみにしているよ。」
◇
最後に。
ホークアイが静かに敬礼した。
「ご武運を。」
ヨキも真っ直ぐ敬礼を返す。
「ありがとうございます。」
◇
司令部の玄関。
マスタングが最後に声を掛ける。
「中尉。」
ヨキは振り返る。
「中央でも。」
「君らしくあれ。」
その言葉に。
ヨキは真っ直ぐ敬礼した。
「はい。」
「行ってまいります。」
◇
列車が静かに動き出す。
東方司令部が少しずつ遠ざかっていく。
ヨキは窓越しに、その景色をいつまでも見つめていた。
(ありがとう。)
(いい仲間に出会えた。)
(だからこそ。)
(次も。)
(必ず守り抜いてみせる。)
列車は速度を上げる。
その先に待つのは――中央。
アメストリスの中心。
そして。
すべての運命が交わる場所だった。