第一章 セントラル
列車は、一定の音を刻みながら中央へ向かっていた。
窓の外では、広い草原が後方へ流れていく。
遠くに見える山々。
点在する小さな町。
やがて、それらの景色も少しずつ姿を変え。
アメストリスの中心へ近づいていることを、静かに知らせていた。
ヨキは一人、車窓の外を眺めていた。
(セントラル。)
この国の中心。
軍の中枢。
そして。
これから、多くの運命が交わる場所。
ヨキはゆっくりと目を閉じる。
原作の記憶を、一つずつ辿っていく。
エドワードとアルフォンスは、ドクター・マルコーの残した資料を読み解く。
料理の研究書に偽装された、膨大な暗号。
その先で二人が辿り着く答えは。
賢者の石の材料が、生きた人間であるという事実だった。
そして。
二人は、その研究に使われた可能性がある場所へ向かう。
元第五研究所。
そこでアルフォンスは、ナンバー66と戦う。
自分の人格も。
記憶も。
すべて兄によって作られたものかもしれない。
そんな言葉を植え付けられ。
心を深く傷つけられる。
一方。
エドワードは、ナンバー48と戦い。
瀕死の重傷を負う。
その場へ現れる。
ラスト。
エンヴィー。
そして最後には。
元第五研究所そのものが、証拠ごと爆破される。
ヨキは静かに息を吐いた。
(知っている。)
(これから起こることを。)
(少なくとも。)
(原作通りなら。)
だが。
その言葉が、胸の中で重く沈む。
(知っているからといって。)
(何が有効なのかは。)
(正直、分からない。)
未来を知っている。
だからといって、正しい選択まで分かるわけではない。
先回りしてすべてを伝えれば。
かえって違う悲劇を生むかもしれない。
エドワードたちが自ら掴むはずだったものを。
奪ってしまう可能性もある。
何かを変えれば。
その先に待つ未来も変わる。
良い方向へ向かうとは限らない。
そして。
もう一つ。
忘れてはならないことがある。
ヨキは、列車の窓へ映る自分の顔を見つめた。
(俺も。)
(ホムンクルス達に目を付けられている。)
ラスト。
ウロボロスの紋章。
列車の中で交わした会話。
その微笑み。
そして。
軍の上層部へ届いているであろう、自分の情報。
(正直。)
(いつ消されても、おかしくない立場だ。)
ニーナを救った。
マルコーの所在へ辿り着いた。
エドワードたちへ、軍への疑念を伝えた。
そのすべてが。
相手にとっては、邪魔な行動だった可能性がある。
ヨキは膝の上で、そっと拳を握った。
(それでも。)
何もしないという選択だけは。
もうできない。
(何が正しいかは分からない。)
(この先。)
(自分の選択が、良い結末を生む保証もない。)
未来を変えたことで。
誰かを救う代わりに。
別の誰かを失うかもしれない。
その恐怖は消えない。
だが。
(だからこそ。)
(その時々で。)
(後悔しない選択をするしかない。)
(きっと。)
(今の俺にできるのは、それだけだ。)
ヨキは静かに目を開く。
窓の向こう。
遠くに、巨大な都市の姿が見え始めていた。
セントラル。
アメストリスの中心。
そして。
これから自分が立つ、新しい舞台。
◇
中央駅。
列車を降りたヨキは、思わず足を止めた。
人。
人。
人。
東方の駅とは、比べものにならない。
大きな荷物を抱えた旅人。
忙しそうに歩く軍人。
新聞を売る少年。
客を呼び込む商人。
無数の声と足音が、巨大な駅舎の中で混ざり合っている。
「……凄いな。」
思わず呟く。
分かっていたつもりだった。
だが。
実際に目にする中央は、想像していた以上に大きかった。
ヨキは荷物を持ち直し。
人の流れへ紛れるように歩き出した。
◇
中央司令部。
受付を済ませ。
案内された所属部署へ向かう。
新しい上司へ着任の挨拶をし。
簡単な業務内容の説明を受けた。
与えられた机は、部屋の端。
窓からは、セントラルの町並みが見える。
ヨキは鞄を机の横へ置き。
書類を整理し始めた。
仕事そのものは、これまでと大きく変わらない。
報告書。
管轄地域から届く資料。
軍内部の連絡事項。
ただ。
扱う情報の量も。
行き交う人間の階級も。
東方とはまるで違っていた。
(これが。)
(中央司令部か。)
ヨキが一冊の書類を机へ置いた、その時だった。
「失礼する!」
部屋へ響き渡る、よく通る声。
反射的に顔を上げる。
そこには。
鍛え上げられた巨体。
輝く金色の髪。
特徴的な口髭。
そして。
見る者すべてを圧倒する存在感を持つ男が立っていた。
「貴官が!」
「東方より着任した、ヨキ中尉であるな!」
ヨキはすぐに立ち上がり、姿勢を正す。
「はい。」
「ヨキ中尉であります。」
男は大きく一歩踏み出した。
「私は!」
「アレックス・ルイ・アームストロング少佐!」
「国家錬金術師!」
「豪腕の錬金術師である!」
力強い自己紹介と共に。
軍服の上着が、今にも弾け飛びそうなほど筋肉が盛り上がる。
ヨキは、その姿を見つめた。
(本物だ……。)
原作で何度も見た。
熱く。
優しく。
人情に厚い男。
アームストロング少佐。
「初めまして。」
ヨキは深く頭を下げた。
「お噂は、かねがね伺っております。」
「おお!」
「私のことを知っていたか!」
「もちろんです。」
「東方でも、その御名は広く知られておりました。」
アームストロングは感激したように両拳を握る。
「なんという礼節!」
「噂に違わぬ人物である!」
「噂、ですか。」
「うむ!」
アームストロングは力強く頷いた。
「ユースウェル炭鉱の立て直し!」
「リオールでの混乱収拾!」
「そして!」
「スカーを前にしても退かず、人命を守った勇敢な立ち回り!」
一つ挙げるたび。
少佐の声が大きくなる。
「いずれも!」
「軍人の鑑とも言うべき働き!」
「貴官のような人物が中央へ来たことを!」
「心より歓迎する!」
ヨキは少し困ったように笑った。
「ありがとうございます。」
「ですが。」
「私は、そこまで立派な人間ではありません。」
「何を言う!」
「その謙虚さ!」
「それもまた美しい!」
「ははは……。」
予想以上の熱量だった。
だが。
不思議と嫌な気持ちはしなかった。
むしろ。
原作で好きだった人物を目の前にして。
少し嬉しくさえあった。
「少佐。」
「一つ、お願いしてもよろしいでしょうか。」
「何なりと言いたまえ!」
ヨキは姿勢を正す。
「私は、まだまだ未熟者です。」
「体力も。」
「戦闘技術も。」
「軍人として、到底一人前とは言えません。」
アームストロングは真剣な表情で聞いている。
「お時間が許す時で構いません。」
「ぜひ。」
「訓練のご指導をお願いできないでしょうか。」
一瞬。
アームストロングの目が大きく見開かれた。
次の瞬間。
その両目から、滝のような涙が流れ始める。
「なんという!」
「なんという向上心!!」
「己の未熟を認め!」
「さらに高みを目指すその姿勢!!」
「このアームストロング!」
「感動した!!」
巨大な両手が、ヨキの肩を力強く掴む。
「ぜひとも!」
「我がアームストロング家に代々伝わる鍛錬法を!」
「貴官へ授けようではないか!!」
「ありがとうございます。」
ヨキは少し身体を揺らされながらも、穏やかに笑った。
「よろしくお願いいたします。」
「うむ!」
「素晴らしい!」
「実に素晴らしいぞ、ヨキ中尉!」
しばらく。
アームストロングの熱い歓迎は続いた。
◇
「それでは!」
「近日中に訓練場で会おう!」
「はい。」
「よろしくお願いいたします。」
アームストロングは豪快に笑い。
嵐のように部屋を去っていった。
閉じられた扉を見つめ。
ヨキは小さく息を吐く。
「……熱い方だったな。」
「だろ?」
突然。
背後から声がした。
振り返る。
黒髪。
眼鏡。
穏やかな笑み。
片手には、書類の束。
「初対面であれだけ歓迎されるなんて。」
「なかなかないぜ。」
ヨキは、目の前の男を見つめた。
マース・ヒューズ。
軍内部の異変へ誰よりも早く近づき。
そのために命を奪われる男。
ヨキは、胸の奥に生まれた感情を隠し。
静かに姿勢を正した。
「初めまして。」
「ヨキ中尉です。」
「ああ。」
「知ってる知ってる。」
ヒューズは軽い調子で笑う。
「俺はマース・ヒューズ中佐。」
「ここの軍法会議所で仕事をしてる。」
「よろしくな。」
「こちらこそ。」
二人は握手を交わす。
ヒューズはヨキの顔を興味深そうに眺めた。
「ロイから聞いてるぜ。」
「真面目で。」
「仕事が早くて。」
「人助けが趣味みたいな変わった中尉がいるってな。」
「大佐が、そのようなことを。」
「まあ。」
「褒めてたんだと思うぜ。」
「きっとな。」
ヨキは苦笑する。
「それなら、光栄です。」
「そうだ。」
ヒューズは嬉しそうに胸ポケットへ手を入れた。
「うちの娘の写真、見るか?」
一枚の写真を差し出す。
そこには、小さな女の子が満面の笑みを浮かべていた。
「とても可愛らしいお嬢さんですね。」
「だろう!」
「世界一可愛い娘なんだ!」
「毎日見ても飽きない!」
「家族は俺の宝だからな!」
そう言って写真を大切そうに胸ポケットへ戻す。
ヨキは穏やかに微笑んだ。
「本当に。」
「幸せそうですね。」
「ありがとよ。」
「そういえば。」
「鋼の坊主たちとも、随分親しいらしいじゃないか。」
ヨキの表情が僅かに変わる。
「エドワード君たちは。」
「今、中央にいるのでしょうか。」
「ああ。」
「いるぜ。」
「少し前から、紙と睨めっこだ。」
ヒューズは手にした書類を軽く持ち上げる。
「そうですか。」
間に合った。
ヨキは、ほんの少しだけ胸を撫で下ろす。
「差し支えなければ。」
「居場所を教えていただけませんか。」
「もちろん。」
ヒューズは紙の端へ、簡単な場所を書き込む。
「この棟の三階。」
「奥から二つ目の部屋だ。」
「入口に護衛がいる。」
「ロス少尉とブロッシュ軍曹。」
「名前を出せば通してくれる。」
「ありがとうございます。」
「助かります。」
「気にすんな。」
ヒューズは笑い。
書類を抱え直した。
「それじゃ。」
「俺は仕事に戻る。」
「今度ゆっくり話そうぜ。」
「ロイの恥ずかしい話なら、山ほどあるからな。」
「それは興味がありますね。」
「ですが。」
「ご本人の前では、内緒にしておきます。」
一瞬。
ヒューズは目を丸くした。
そして豪快に笑う。
「はははは!」
「そういう気遣いができる奴は好きだ!」
「またゆっくり話そうぜ!」
ヒューズは笑いながら、廊下へ出ていく。
その背中を。
ヨキは黙って見つめていた。
明るく。
人懐こく。
家族を愛し。
仲間を愛し。
そして。
誰よりも早く、軍の闇へ辿り着いてしまう男。
(あの人は。)
ヨキは静かに拳を握る。
(救わなければならない。)
方法は、まだ分からない。
何を伝えるべきかも。
いつ動くべきかも。
まだ決められない。
それでも。
今度こそ。
知っていながら、見送ることだけはしたくない。
ヨキは机の上を整えると。
ヒューズから渡された場所を、もう一度確認した。
そして。
静かに歩き出す。
向かう先は。
エドワードとアルフォンスが待つ部屋。
賢者の石の真実へ。
そして。
元第五研究所へと続く。
最初の扉だった。