ヨキですが、静かに生きたいだけなんです。   作:千遇万歩

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第三章 潜入

 

 深夜。

 

 昼間の喧騒が嘘のように、中央の街は静まり返っていた。

 

 石畳の道を照らす街灯。

 

 遠くから微かに聞こえる汽笛。

 

 冷たい夜風が軍服の裾を揺らしていく。

 

 第五研究所を見上げる二つの影があった。

 

 エドワードとアルフォンス。

 

 約束の時間より少し早く到着した二人は、研究所を見上げながら静かに待っていた。

 

「……まだ来ねぇな。」

 

 腕を組みながらエドが呟く。

 

 アルも研究所から目を離さない。

 

「ヨキさんのことだから。」

 

「きっと来るよ。」

 

「分かってる。」

 

 エドは短く答えた。

 

 その時だった。

 

「待たせたかな。」

 

 穏やかな声が二人の背後から聞こえた。

 

「!」

 

 二人が同時に振り返る。

 

 街灯の光の中を、一人の軍人が歩いてくる。

 

 軍服の上から黒いタクティカルベストを着込み、腰には拳銃と警棒。

 

 さらに背中には、銃身を短く切り詰めたライフルを一本背負っていた。

 

 手入れされてきたことが分かる装備は、決して派手ではない。

 

 だが、それだけに実戦で使われる道具としての重みが感じられた。 

 

 口元には、いつもの髭。

 

 髪型も普段と変わらない。

 

 それでも。

 

 任務へ向かうために身を包んだその姿は、昼間の穏やかなヨキとはまるで別人だった。

 

 柔らかな笑みはそのまま。

 

 しかし、その立ち姿には軍人特有の引き締まった空気が漂っている。

 

「ヨキさん……。」

 

 エドは思わず目を丸くした。

 

「何だよ。」

 

「ちゃんと軍人だったんだな。」

 

 一瞬、静寂が流れる。

 

 そしてヨキは、小さく肩をすくめた。

 

「失礼だな。」

 

「これでも軍人なんだよ。」

 

 三人の間に小さな笑いが生まれる。

 

「でも。」

 

 エドは改めてヨキを見つめた。

 

「昼間と全然雰囲気が違うな。」

 

「そうかな。」

 

「ええ。」

 

 アルも素直に頷いた。

 

「とても頼もしく見えます。」

 

 ヨキは少し照れくさそうに頭を掻いた。

 

「スカーとの一件で苦労したからね。」

 

「さすがに。」

 

「何もできないままでは駄目だと思って。」

 

 そう言いながら腰の警棒を軽く叩く。

 

「あれから少し鍛えてもらっているんだ。」

 

「もちろん。」

 

「全然強くはないけどね。」

 

 その言葉にエドが笑う。

 

「いや。」

 

「前よりはずっと頼もしそうだぜ。」

 

「ありがとう。」

 

「そう言ってもらえるだけで十分だよ。」

 

 ヨキは第五研究所へ視線を向けた。

 

 その穏やかな表情が、少しだけ引き締まる。

 

「さて。」

 

「貴重な機会を逃すわけにはいかない。」

 

「行こうか。」

 

 二人は静かに頷いた。

 

 

 三人は物陰を利用しながら研究所へ近付いていく。

 

 近くで見る第五研究所は、昼間とは比べ物にならないほど異様な雰囲気を放っていた。

 

 高くそびえ立つ外壁。

 

 その上には何重にも張り巡らされた鉄条網。

 

 巡回する兵士。

 

 廃棄された研究施設とは思えないほど厳重な警備だった。

 

「……廃墟、なんだよな。」

 

 エドが小声で呟く。

 

「そう聞いています。」

 

 ヨキも視線を巡らせる。

 

「ですが。」

 

「少なくとも外から見る限りでは、廃棄された施設とは思えませんね。」

 

 まるで。

 

 何かを守っているようだった。

 

 いや。

 

 何かを外へ出さないため、と言った方が正しいのかもしれない。

 

 しばらく観察した後、ヨキが静かに口を開いた。

 

「エド君。」

 

「錬金術で入口を作ることは可能ですか。」

 

 エドはすぐに首を振る。

 

「できる。」

 

「でも、その瞬間に錬成反応の光が出る。」

 

「見張りに気付かれると思う。」

 

「なるほど。」

 

 ヨキは小さく頷いた。

 

「では。」

 

「正面突破はやめましょう。」

 

 少し考えた後、アルが一歩前へ出る。

 

「兄さん。」

 

「ああ。」

 

 二人はすぐに意図を理解した。

 

 アルが両手でエドを持ち上げる。

 

 軽々と外壁の高さまで持ち上げられたエドは、機械鎧の右腕で鉄条網を慎重に押し上げた。

 

 金属が僅かに軋む。

 

 しかし。

 

 夜風の音に紛れる程度だった。

 

「よし。」

 

 続いてヨキが持ち上げられる。

 

 外壁へ静かに身を乗せると、そのまま音もなく内側へ降り立った。

 

 最後にアルは、ずらした鉄条網を即席のロープ代わりにして、自ら外壁を登ってくる。

 

 わずか数十秒。

 

 見張りは誰一人として異変に気付かなかった。

 

 鼠一匹入り込めないよう設計された堅牢な外壁。

 

 しかし。

 

 鋼の錬金術師。

 

 鎧の巨人。

 

 そして、一人の軍人。

 

 三人が力を合わせれば、その壁も決して越えられないものではなかった。

 

 研究所の敷地内へ侵入した三人は、建物の周囲を慎重に確認していく。

 

「入口は……。」

 

「全部閉まってるな。」

 

 エドが小さく舌打ちする。

 

 正面入口。

 

 裏口。

 

 窓。

 

 どれも厳重に封鎖されていた。

 

「そう簡単には入れてくれませんか。」

 

 ヨキは建物を見上げる。

 

 その視線が、一か所で止まった。

 

「……あそこ。」

 

 二人も見上げる。

 

 壁の高い位置。

 

 小さな換気ダクトが設置されていた。

 

「私とエド君なら。」

 

「ここから侵入できそうですね。」

 

 エドはダクトを見て頷く。

 

「アルは無理だな。」

 

「ええ。」

 

 ヨキはアルへ向き直る。

 

「アル君。」

 

「私たちが中へ入ります。」

 

「その間、外の警戒をお願いできますか。」

 

「はい!」

 

 アルは力強く頷いた。

 

 ヨキは穏やかに微笑む。

 

「それと。」

 

「アル君も十分気を付けてください。」

 

「はい!」

 

 ヨキがダクトの蓋を外す。

 

 ヨキが中へ身体を滑り込ませ。

 

 最後にエドが続く。

 

 ダクトの蓋が静かにアルによって閉じられる。

 

 その瞬間。

 

 アルは一人、夜空を見上げ。

 

「……気を付けてください……か。」

 

 その小さな呟きは、夜風に乗って静かに消えていった。

 

 

 狭いダクトの中を、二人は身体を低くして進んでいく。

 

 先頭はヨキ。

 

 その後ろをエドが続く。

 

 金属を擦る音だけが、小さく響いていた。

 

(こういう時だけは……。)

 

(小さくて良かったな。)

 

 そんなことを思ってしまったエドの自己嫌悪混じりのぼやきが、ヨキの後方から聞こえる。

 

 ヨキが僅かに口元を緩めていた。

 

(ああ。)

 

(この場面か。)

 

 懐かしい記憶が蘇る。

 

 前世で何度も読み返した、鋼の錬金術師。

 

 その一場面を、自分は今、当事者として歩いている。

 

(本当に。)

 

(ここまで来たんだな。)

 

 小さな笑みが溢れた後、ヨキは再び真剣な表情へ戻る。

 

 ダクトの先には、薄暗い研究所内部が静かに待っていた。

 

 

 ダクトを抜けた二人は、音を立てぬよう静かに床へ降り立った。

 

 研究所の内部は薄暗く、冷たい空気が流れている。

 

 廊下には人の気配はない。

 

 だが。

 

 床には新しい靴跡が残り、ところどころ埃の薄い場所も見受けられた。

 

「……やっぱり。」

 

 ヨキが小さく呟く。

 

「現役ですね。」

 

 エドも周囲を見回しながら頷いた。

 

「ああ。」

 

「廃墟なんてもんじゃねぇ。」

 

「今でも使われてやがる。」

 

 二人は慎重に廊下を進んでいく。

 

 

 やがて、一つの大きな部屋へ辿り着いた。

 

 エドがゆっくりと扉を押し開く。

 

 重い音が静寂を破る。

 

 その先に広がっていた光景に、二人は思わず足を止めた。

 

 床一面を覆う巨大な錬成陣。

 

 黒く染みついた床。

 

 言葉では表せない異様な空気が、その部屋を支配していた。

 

「……ビンゴだ。」

 

 エドが静かに呟く。

 

 ヨキも錬成陣を見つめ、小さく頷いた。

 

「これだけの規模の錬成陣……。」

 

「やはり。」

 

「ここでしたか。」

 

 短い言葉だけが部屋へ落ちる。

 

 ここが。

 

 賢者の石を生み出していた場所。

 

 その事実だけで十分だった。

 

 エドは錬成陣から目を離さず口を開く。

 

「やっぱり。」

 

「俺の考えで合ってた。」

 

 ヨキは穏やかに微笑んだ。

 

「流石ですね。」

 

「第五研究所へ辿り着いた推理は、正しかった。」

 

 そして、静かに研究所の奥へ視線を向ける。

 

「ですが。」

 

「思考実験を思い出してください。」

 

「証拠を残している以上。」

 

「守る者も必ずいます。」

 

 エドは静かに頷く。

 

「ああ。」

 

「俺もそう思う。」

 

 ヨキは小さく息を吐いた。

 

(ここまでは。)

 

(原作通りだ。)

 

 ほんの少しだけ胸を撫で下ろす。

 

 だが。

 

(だからこそ。)

 

(油断はできない。)

 

 

 一方、その頃。

 

 第五研究所の外。

 

 アルフォンスは静かに周囲を警戒していた。

 

 夜風だけが静かに吹き抜ける。

 

 その時だった。

 

 ガシャン――。

 

 アルが音のする方に振り返る。

 

 そこに、一体の鎧が静かに立っていた。

 

 鎧はゆっくりと帯刀している刀へ手を掛ける。

 

「私は、この施設の守護を任されている者。」

 

「ナンバー48。」

 

「悪く思うな。」

 

「ここへ入り込んだ部外者は、すべて排除するよう命じられている。」

 

 アルも静かに拳を構える。

 

「……そうですか。」

 

 互いに一歩も動かない。

 

 武人同士が向かい合うような、静かな緊張だけが流れていた。

 

 

 一方、研究所内部。

 

 静まり返っていた空間へ、突然甲高い笑い声が響き渡る。

 

「げっへっへっへっ!!」

 

 エドとヨキは素早く振り返る。

 

 研究所の奥。

 

 暗闇の中から、一体の鎧が陽気な足取りで歩いてくる。 

 

「おいおい!」

 

「侵入者がいるって聞いたから来てみりゃよォ!」

 

「チビと、おっさんじゃねぇか!」

 

 ヨキはその姿を静かに見つめた。

 

 表情は変えない。

 

 しかし。

 

(……違う。)

 

 一瞬だけ思考が止まる。

 

(本来なら。)

 

(ここに現れるのは。)

 

(こいつじゃない方――。)

 

 そこで思考を止めた。

 

 未来は。

 

 確かに変わり始めている。

 

 その事実だけを静かに受け入れ、ヨキはライフルへ静かに右手を伸ばした。

 

 深夜の第五研究所。

 

 原作とは異なる運命が、静かに動き始めていた。

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