フェア・クラネルの嫁作り 作:パーンダ
「
そう切り出されたのは、遠征三日前。オラリオ南西のメインストリートにて、猫を撫で回していた時のことだった。
某
「ちなみに、現段階で知っているのは誰?」
聞き心地の良いソプラノの声が耳に触れる。
こぢんまりとした喫茶店の窓際の席。運ばれてきた
残念ながら猫の姿はない。店に入る時にどこかに行ってしまったので、フェアは悲しい。
「フィルヴィスさん、ベルのところのヘスティア様、アストレア様、主神様くらいですね。でも、なんでいきなりそんなこと言い出したんです?」
傍らには護衛の娘が立っているが、珍しく沈黙を貫いている。寝息が聞こえてきたような気がしたが、フェアは気にしないことにした。目は開いているし大丈夫だろう、多分。
「ベルが可哀想だと思ったのよ。あなたの親族だと知られたら
「はぁ、それはまあたしかに」
「それと、勘違いされても困るわ。あの子の魂は透明で純粋なのに、あなたと同じだと誤解されるのはどうかと思う」
「遠回しに俺が煩悩まみれだって言ってますよね。なんか当たり強くないですか、嫌なことでもありました?」
フレイヤはティーカップを口元に運び、しばし
「少し寝つきが悪かっただけ」
「そうですか。もしかして悩みでもあったり?」
「ええ。まあ、色々と
銀の瞳が退屈そうにフェアを映す。
彼女の要件は二つあった。
ベル・クラネルとの関係を伏せておくよう伝えること。そして、遠征に同行させる団員が決まったので、その伝達。
「ベルについては、宜しく。もちろん、貴方以外の家族関係についても伏せておくのよ?」
「まあ、その方が無難でしょうね。大丈夫ですよ俺と俺の周りは。無闇に広めたりはしていないんで」
アルフィアとザルドの名前は、現在のオラリオにおいては忌避されている。悪に堕ちて無辜の民を殺したのだから、当然だろう。
だから、隠しておくのが無難なのは正論だ。
しかし、フェアとしては
隠すも隠さないも本人が決めればいいと思っていたし、本人から頼まれればその通りにするつもりだった。ベルは今のところ何も言ってきていないが、フレイヤから直々に言われたのなら従おう。
「ヘスティアの方は私が対処……助言しておくから、あなたはアストレアに話しておいて頂戴。まぁ、彼女は無闇に話したりはしないと思うけれど、絶対に情報を漏らさないよう念を押すのは必要だわ」
「それはまた、過保護なことで……少し熱が入りすぎじゃないですか? いくら魂の色に見惚れたと言っても、のめり込みすぎのように見えますが」
女神フレイヤは人の子の魂が見える、特殊な『目』を持っている。
フレイヤはその『目』を持って、下界の子供達の魂の色、ひいては将来性を予想できる。
ただし、全知全能の力として知られる
「のめり込んでいる……そうね。ここまで夢中になっているのは初めてかもしれない。あんな魂は今まで見たことがなかったから。でも、それだけではないわよ。あの子自身にも好感が持てるのが大きい」
フレイヤはテーブルの上で指を絡めた。桜色の唇の角が、ゆっくりと上がる。
「いずれ迎え入れるつもりですか?」
「ええ。でも、しばらくはあまり手を出さずに見守るつもりよ。今回は少し趣向を変えて、たまには我慢するのもいいかと思ってね」
フェアは苦笑いが浮かんだ。
ここまで注目してもらえていることについて、本人が知ったらどう思うだろうか。
浮かれるか、恐縮するか、怯えるか。
少し浮かれた後に冷静になって、恐縮しながらビビり倒すような気がした。毅然とした対応をするのは無理だろう。フレイヤが本格的に動き出す前に、もう少し成長してくれることを願う。
「ベルについての話はわかりました。俺はあなたの意向に沿いましょう。今のところは強引な真似をするつもりもないようですし」
「助かるわ。ああ、それと遠征の話だったね。アレンを行かせるから、仲良くしてあげて」
「わかりました。アレンさんならやりやすい。助かります」
「そんなことを言うのは貴方くらいのものね。フェア、あなたってやっぱり変だわ」
フレイヤは口に手を当てて、くすくすと笑みを漏らす。
アレン・フローメル、Lv.6。二人いる【フレイヤ・ファミリア】副団長のうちの一人だ。管理職らしい仕事は全くしてない、極めて自己中心的な
放っておくと敵を一掃してくれるため、いてくれると凄く助かる。
「アレンさん相手なら、細かい駆け引きとか必要ないですからね。楽でいい。でも、素直に来てくれますかね? 命令無視して来なかったりしません? 大丈夫ですか?」
「ええ、問題ない」
「そうですか。ならアテにさせてもらいます」
フェアはご馳走様をして席を立った。美味しい『フィッシュサンドイッチ』であった。お会計はフレイヤ様に任せるとしよう。
「そういえば、豊穣の女主人の女将さんはフレイヤ様の眷族ですよね」
「そうだけど、ミアがどうかしたの?」
「ミアさんではなく、シルさんのことなんですけど。知ってます? 最近ベルにお弁当作ってくれてる、シル・フローヴァって子」
ナチュラルに伝票を手渡した後、少し気になっていることについて尋ねてみる。
豊穣の女主人の看板娘、シル・フローヴァ。
個人的に苦手だから近寄らないようにしているのだが、気になる存在ではあった。弟が世話になっていると聞いたので、これを機会に聞いてみる。あの酒場はフレイヤの息がかかっているので、何も知らないといことは有り得ない。
「ああ、シルね。あの子がどうかしたの?」
「あなたが変身してたりしませんよね?」
「は?」
というわけで、単刀直入に。
たまーにフレイヤっぽい雰囲気に見える時があるので、聞くだけ聞いてみた。まあ、この女神がエプロンを着て料理とか想像もつかないから、自分の気のせいだとは思うが。
「ふふ……ふふふっ。あなたね、あまり面白いことを言わないで頂戴……私があのエプロンを来て、『いらっしゃいませご主人様』なんて言うわけがないでしょう」
フレイヤはお腹を抑えて笑っている。どうやら違うようだ。でも、面白がってくれているようで何より。
女神の笑顔というのは、誰が相手であっても良いものである。
「あー、すみません。流石に突拍子がなかったですね……」
「ふふ……構わないわ。でも、もし私が肯定したらどうするつもりだったの? もしかして、言いふらそうと企んでいたのかしら?」
「まさか。あれが貴方の顔のひとつだと言うなら、秘密はちゃんと守りますよ。ただ、顔が変わっても本質は同じですよねって、知ったようなことは言ってしまうかもしれませんが」
フレイヤは軽く息を整えると、今度は「ふっ」と吹き出した。
「あなた、前にも言っていたわね。仮に姿が変わったとしてもその人はその人。変わるものではない。素敵な響きにも聞こえるけど、よく考えると残酷なことを言うものだと思ったわ」
美の女神の口角は上がったままだ。側に立っている護衛からは寝息が聞こえる。やっぱ目を開けたまま寝てるな、とフェアは確信した。
「残酷ですか」
「ええ。だってそうでしょう。仮に自分をやめたいと思っている者がいたとして、あなたはそれを否定しているのよ。誰も彼も、自分を大好きな者ばかりではないの。そのことは、身をもって知っているはずよね?」
自分をやめたい。
身をもって知っているはずと言われても、フェアは自分をやめたいと思ったことはない。どこまでいっても自分は自分だ。選択できるとしたら、やめるのではなく終わらせる。そういう話になると思う。
「身をもって知っているのだろうか……」
「私に聞かれても困るわ。ふふ、本当に変な子。──そういえば最近、あなたに言われたのと同じようなことを言われたわ。フレイヤはフレイヤで、それ以上でも以下でもないでしょうってね。あなたに言われた時はイラッとしたけど、その子の話はちゃんと聞けたの。素敵でしょう?」
フレイヤはゆっくりと席を立つと、フェアの右腕に手を伸ばしてきた。微笑を浮かべたまま、手首の肉を
「痛い痛い痛い! ちょっとだけ痛い!」
「ふふ、知ったようなことを言った罰よ。ていうか全く痛くないでしょう。お芝居はやめなさい、しょうもない」
本当に少しだけ痛かったのだが、美の女神は理不尽である。
「はぁ……なんだか脱線しちゃいましたね。シルさんの話なんですけど、彼女、
「は? 意味がわからないのだけれど、何をどう見たらそんな感想が出てきたの?」
銀の瞳が興味深そうに、次には呆れた様子で見つめてきた。
フェアは思ったことをそのまま告げる。
「いや、別人なんじゃないかと思うことがあって。喋る機会はほとんどないですけど、前々から感じてて……最近は遠目で見てもアレ? って思うことがあるんですよね。なんか変わったかなって」
フレイヤは伝票を片手に歩き出した。フェアに背を向けると、今日最も大きな笑みを漏らす。
「ふふっ! 的外れなことを自信満々に……ふふっ。質問に対する答えはノーよ。シルの精神状態は普通だし、二重人格だなんて聞いたこともないわ。もちろん、私から見ても異常はない。元々は孤児だったから元気がないこともあったけどね、すくすくと育って今は元気よ」
だから完全に気のせいだと断言され、フェアはそうですかと返事をした。
本当にただの興味本位だったので、しつこく追求しようとは思わなかった。ナチュラルに飲食代を払ってもらい、店を出た。
もちろん、常に奢ってもらっているわけではない。
アストレア相手ならむしろ自分が出そうとするし、ハトホルでもそうするし、フィルヴィスやアミッドに対しても誠意は見せる。
これはそう、女神フレイヤの財力に対する信頼のあらわれ。軽んじているわけではないから問題はないはずだ、多分。
◆
ダンジョンの壁がひび割れ、不気味な音をたてて破れる。
壁面を内側から吹き飛ばして出てきたのは、脂ぎった豚頭だった。砕け散った迷宮壁が、卵の殻のようにぼろぼろと落ちる。
『ブギッ…………ォオオオオオオオオ……!』
潰れた産声を上げるのは、歪んだ豚の頭部を持つモンスター、『オーク』。
見上げるほどの巨体は圧巻で、その図体に相応しい怪力は脅威の一言。
「まだ出てきますよ、ベル様。やはり11階層は侮れませんね」
更に、壁の破壊音が続く。
周囲の壁面が連続して砕け散り、四方八方からモンスター達が飛び出してきた。
ダンジョン上層において、10階層からは瞬間的なモンスターの大量発生が起こりうる。ギルドでもしっかり注意喚起されている情報だ。
その名も『
言うまでもなく危険度大。僕達が『ルーム』と呼ばれるひらけた場所は広いから、すぐに包囲される心配はないけど
「のんびりしてると囲まれる。リリ、ヴェルフ、ささっと倒していこう」
「そうですね。オークよりも問題はインプの群れかと。ざっと数えて十一匹ですか」
「なら、俺がオークをやる。連戦はベルの方が圧倒的に強いからな。いや、連戦じゃなくてもベルの方が強いのはわかってるが」
リリが冷静に戦況を分析し、ヴェルフはオークを所望した。僕もそれでいいと思う。オークは怪力こそ脅威だが、動きは鈍い。Lv.1のヴェルフでも回避と攻撃を繰り返せば問題なく倒せる。
「じゃあそれで行こう。インプは僕が倒せるだけ倒すから、リリはちゃんと自分の身を守ってね」
「わかりました。ヴェルフ様の援護はこっちでやりますから、ベル様は好きなだけ暴れてください」
「お? 援護してくれるのか? 俺のことが気に食わないんだろう?」
「あのですね……ここはダンジョンですよ。そんなこと言っていられないでしょう」
それぞれの武器を携えて特攻準備。
僕は軽く脚を伸ばしてから、草原の上を駆け出した。
◆
インプの動きは俊敏だ。
全体の色は黒く、痩せこけていて、鉤のついた長い尻尾が特徴的。丸頭に生えた一本の角は、小鬼の姿を連想させる。
『ヒィエ!』
『ヒッギャァ!』
鳴き声は甲高く、不快。
飛び込んできた僕に投げつけられる威嚇の声。いきなり二匹倒して、残り九匹。しかしすぐに新たな個体が生まれ落ち、一気に十四匹まで増える。
──数を数える余裕がある。
上体を更に倒して短剣を横に。左足を地面に叩きつけ、その反動でぐるりと一回転。骨ごと肉を断つ音が連鎖した。
『──ヒュッ?』
何が起こったかわからない表情で、インプの首が飛んでいく。一、二、三、四。一瞬で四匹の仲間を失った
「──ふッ!」
『ア?』
『ヒッ?』
神様から貰った漆黒の短剣が、更に二体のインプを瞬殺した。常に先制。攻撃される前に一撃必殺を繰り返し、圧倒。
相手は全く僕の動きについてこれていない。
それもそのはず。攻撃も速度もLv.1の時とは桁違いに上がっている。これが【ランクアップ】。
個々が持つ可能性を効率的に開花させてくれる、神の恩恵。
「はあッ!」
『──ッッ』
「まだまだ!」
『オオッ!?』
新たに生まれたオークもついでに、走り抜けざまに瞬殺する。羽が生えたように体が軽い。そこまで力を入れなくても敵が壊れる。
ランクアップした際の身体能力の向上は破格。
話には聞いていたけど、まさかこれほどまでだとは思わなかった。
「こっちは片付いた! ヴェルフ!」
「おお! ほぼ終わりだな! 後は──」
残りはヴェルフが仕留め損ねたインプが一匹。それだけだと勝ちを確信した瞬間、
『────オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!』
耳を
音がしたのはルームの南方向から。他の地点に繋がる通路口から、琥珀色の
体長五
「マジかよ! この短期間で二匹目とか、俺達はついてるなぁ!?」
「なにを呑気に喜んでいるのですかっ! だったらヴェルフ様が倒してください!」
「すまんそれは無理だ!」
ヴェルフとリリが言い合いを始めたのを横目に、僕はぐんと加速した。たしかに
現時点で、どれだけ
魔法は封印して真っ向勝負。ギョロギョロとした赤い瞳が僕の姿を追いかける中、脆くなった迷宮床を蹴り砕く。
「──」
『ッ!?』
右に角度をつけて、一気に間合いを食らいつつ死角へと。側面から一撃を見舞う。すさかず二発目。最後は両手に握った短剣を同時に、インファント・ドラゴンの巨大な体躯に叩きつけた。
◆
恐らく、中層のモンスター相手でも大丈夫。
ミノタウロスも含めて、十分に渡り合える。
それが現時点で僕が出した結論だった。そして、それなら早く挑戦してみたい。やるべきだと思った。
ヘイズさんはああ言っていたけど、なにも一気に進まなくてもいいんだから。途中まで行って引き返してくればいいんじゃ──と相談したら、それはそうだとアッサリ言われた。『そんなことわかってるに決まってるじゃないですかー』とも。
『床が抜けて退却不可能になることもありますからね。中層の前半は竪穴だらけなんで、おっこちる可能性もありますよ。その辺のことも想定しつつ、判断すればいいと思います。まあ、ひとまず入口付近をウロウロしてみるのは大丈夫でしょう。そこまでは私も太鼓判を押しますよー』
中層前半の情報は既に頭に入ってる。
ヘイズさんに言われたこともわかっていて、その上で辿り着くのは同じ結論。
今のパーティでガンガン進むのは危険だ。
退却不可能になった時点で
慎重すぎると思わなくもないけど、
「もう一人、Lv.2がいれば挑戦してみてもいいなって、そう思ったから探してたんですけど……」
「見つからなかったと。それはそうでしょう。
夜。
酒場にお弁当箱を返却しに来たついでに、シルさんに愚痴を吐いてしまった。
僕と同じくらい戦える仲間を探してみたけど、いませんでした。世間は厳しいですねって。そうしたら思い切り苦笑いされてしまった。心の中ではバカにされているのかもしれない。
「まあ、Lv.2の人がもう一人いれば、かなり安定はするでしょうね〜。Lv.2かぁ、うーん」
「誰かいませんかね。酒場のお客さんで、信用できそうで、それでいてどこのパーティにも入っていない冒険者」
「残念ですが……そんなお客さんはいません」
「ですよねぇ……」
色んな冒険者と顔見知りのシルさんなら、もしかして……と思ったけど、ダメだった。
やっぱり地道にやっていくしかなさそうだ。
早くアイズさんに追いつきたいし、金髪エルフのリュー・リオンさんに話しかけるためにも、ガンガン強くなっていきたいところだけど……。兄さんの背中も遥か彼方だし、急ぎたいのは山々だ。
でも、人はすぐ死んじゃうものだから。
僕の都合でリリとヴェルフに無理をさせるわけにはいかない。しっかり地に足つけて頑張っていこうと、僕は逸る気持ちに蓋をした。
次の瞬間。
「ベルさん、そういうことなら私がお手伝いしましょうか? 中層くらいならいけると思うんで」
「へ?」
思わぬ申し出に、僕は変な声が出た。
シルさん自身が手伝ってくれる。彼女は確かにそう言った。でも、そもそも冒険者ですらないし、一体何をしようというのだろうか。まさかからかっているのかと考え込んでいると、シルさんはお弁当箱をクルクル回しながら告げる。
「向いていないので冒険者はやめちゃったんですけど、実は中層は踏破したことがあるんですよ」
「エッ」
「ああ、どうして隠していたか! という疑問はもっともですよね。それはですね、ミアお母さんにダメって言われていたからです。看板娘が死んだら売上に響くってことでダンジョン禁止だったんですけど、最近はあまり口うるさくないので、いけると思いますよ〜」
「えっ」
「他にも行けない理由があったんですが、最近かなり事情が変わってきまして。ですので同行自体は問題なくできると思いますよ。ちなみにLv.2でミノタウロスくらいなら倒せます。どうします?」
「ええ……ええええぇ……?」
明かされる衝撃の事実。
良質な街娘は元冒険者だった。今の姿からは全く想像つかないけど、そういえば蹴られたりビンタされたりした時、普通の街娘にしては攻撃力が高すぎたような……?
「ちょ、ちょっと現実を受け止めきれてないんですけど……それならどうして、シルバーバックに追いかけられた時は」
そうだ。仲良くシルバーバックに追いかけられた怪物祭の日。あの時は普通の街娘そのもので、戦う素振りすら見せていなかったはずだ。
僕は死にかけてたのに、戦えるなら助けてくれても良かったんじゃないだろうか。
「知っていますかベルさん。冒険者は冒険しないと強くはなれません。私ごときが機会を奪うわけにはいかないと思ったので、大人しくしていたんです」
「……えぇぇ?」
そのことについて指摘するも、シルさんは悪びれもせず、屈託のない笑みを浮かべる。
その後、試しにと言われて腕相撲をさせられ、危うく負けそうになった。僕は天井を仰いだ。
普通の街娘だと信じてた人がミノタウロスを倒せる能力を持っていた。オラリオこわい。
◆
「えー、女心と秋の空という言葉があります。女性の気持ちや愛情は秋の天気のように変わりやすい……みなさんも心当たりがあるんじゃないですか?」
真っ白な紙を片手に、椅子に座った神様たちをぐるりと見渡す。
場所は【ミアハ・ファミリア】
自分は何をしているのだろう。いや、何をやらされているのだろう、と。
扉の前、ナァーザが起立したまま神様達の様子を見ている。神様達は三名だ。優男のミアハ様と、ミアハ様の友人のタケミカヅチ様、そしてお二方のご
「そうだね! ボクはよくわかるよ! たしかに女心っていうのはそういうものだ! でもね、それは気分の浮き沈みがあるってだけで、愛がなくなることはないんだ! だから、君からそれとなくベル君に伝えておいてくれないか! そうすればベル君に変なことを教えたことについては水に流そう!」
ヘスティアさまはぴん! と挙手しながら、ハキハキとご意見を仰られた。前半はハトホル様と同じような内容で、ちゃんと理解できた。後半はよくわからん。俺は変なこととか教えてないぞ。
「さすがヘスティア様。ところでタケミカヅチ様とミアハ様は?」
「俺もわかるぞ。風情があっていい言葉だ。極東を思い出すな、ははは」
「それは何よりです。ミアハ様は?」
「うむ。つまり、女心は秋の空のようによくわからんということだな。なぜ突然怒り出すのか、言った通りにしたのになぜ怒るのか……秋の空というよりは、秋の嵐と言った方がしっくり来るな」
「おお! たしかにそうだな! 俺もそう思う! わけがわからん!」
タケミカヅチ様とミアハ様は盛り上がっている。
さて、俺は何をしているのだろうか。何をさせられているのだろうか。
答えは講師である。
ナァーザに頼まれたのだ。女心がわかってない人達に、女子のなんたるかを教えてやって欲しいと。深刻そうだったから引き受けたら、なぜかヘスティア様も出席することになって、今に至る!
「そういえば……この前、
「タケミカヅチよ。
「し、しまった……そこまでは気が回っていなかった。あいつの分もなくなってしまったんだ。帰ったら謝っておく。恩に着るぞミアハ」
あの人たちは何を言っているんだ。
ちらりとナァーザを見ると、しっぽが変な方向に折れ曲がっていた。どうやら引いているようだ。
「おいおい二人とも、それは違うぜ! その場合はタケミカヅチが食べなきゃ意味ないよ! それが女心ってもんさ!」
ここでド正論を述べるヘスティア様。なんて素晴らしいお方なんだろうか。ベル、とても良い主神に会えて良かったな。莫大な借金を抱えていそうなことは、ベルには黙っておこう。世の中には知らない方がいいこともあるのだ。
ベルが貰ったという、偉大な鍛治神ヘファイストス様
「ヘスティア、どういうことだ。俺は親だぞ。子供達に沢山食べて欲しい。この気持ちが間違っているってことか?」
「そうじゃないけど! タケミカヅチに食べて欲しかったんだよ! これ以上は言わせるなよ!」
「ヘスティアよ、それはそうだろう。タケミカヅチの子達は主神を尊敬している。しかし、タケミカヅチもまた子供達を尊んでいるのだ」
「だから、そういうことじゃないんだって! おいフェア君! キミは講師だろ! なんとかしろ!」
タケミカヅチとミアハ様に女心をわからせるのも、絶対無理な気がする。
ヘスティア様は簡単に言うけど、俺が何を喋ってもぽかんとしてるもん。それか見当はずれなことを言って、二人して頷き合ってたり……もうヤダ帰りたい。
帰ろうと扉に向かって歩き出すと、ナァーザが行く手を遮ってきた。
「ダメだよ。ちゃんと教えて」
「諦めろ。あの方々は手遅れだ」
この後、日付けが変わるまで講義は続いた。
結果、何も分かってもらえなかった。