俺がマギカなのか……?改   作:きのこ大三元

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第17話 鹿目さんとの出会いをやり直したい

 音が、遠かった。

 

 何かが燃えている。瓦礫が崩れる音もする。どこかではまだ風が吹き荒れているはずなのに、それら全部が厚い壁を一枚挟んだ向こう側から聞こえてくる。

 

 身体を動かそうとした。

 

「……っ」

 

 右腕は瓦礫の下に埋まり、左脚も感覚が薄い。息を吸うたび胸の奥が痛み、喉には鉄臭いものが張りついている。視界も半分ほど塞がれ、瞬きをするたび砂埃が睫毛へ絡んだ。

 

 それでも意識だけは残っていた。どうして生きているのか、自分でも分からない。

 

 少し離れた場所には、マミさんがいた。

 

 もう動かない。

 

 黄色い衣装は瓦礫と煤に汚れ、頭部の髪飾りにあったはずのソウルジェムは砕けている。千切れかけたリボンの端だけが風に揺れ、地面を擦っていた。

 

 さっきまで前にいた。誰よりも多く撃って、俺とまどかを守って、まだ戦えると言っていた。呼吸が荒くなっても、着地で足を滑らせても、最後まで一度も俺たちの前から退かなかった。

 

「……マミ、さん」

 

 喉が動いただけで、声にはならなかった。

 

 その少し先には、まどかも倒れている。桃色の衣装は裂け、握っていた弓はもう消えていた。いつもなら肩の動きに合わせて柔らかく揺れていた髪が、今は煤と埃に汚れて地面へ広がっている。

 

 三人で戦った。原作より準備もして、マミさんも生きていて、俺までいた。それでもワルプルギスの夜は、そんな違いごと全部まとめて踏み潰した。

 

 街も同じだった。見える範囲にまともな建物はほとんど残っていない。道路は瓦礫で埋まり、折れた鉄骨の向こうでは火の手が上がっている。熱で歪む空気のさらに向こうには、あの巨大な影がまだ浮かんでいた。

 

 何度撃っても、斬っても、止めても、あいつは最後まで俺たちを敵として見ていたのかすら分からなかった。

 

 原作を知っていたって。何かを少し変えたって。

 

届かなかった。

 

 その時だった。

 

「鹿目さん……?」

 

 震えた声が聞こえた。

 

 眼鏡。三つ編み。泥だらけの制服。

 

 暁美ほむらが、瓦礫の間をよろめくように歩いてきた。

 

「鹿目さん……」

 

 もう一度、まどかを呼ぶ。

 

 返事はない。

 

 途中で一度躓き、膝をついた。手のひらが瓦礫に擦れても気にせず、すぐに立ち上がる。そのまままどかの傍まで来ると、ほとんど崩れ落ちるように膝をついた。

 

「鹿目さん……起きてください。もう……終わったんですよね? 魔女は……もう……」

 

 最後まで続かなかった。

 

 まどかは答えない。ほむらの指だけが震えている。肩を揺らそうとして途中で止まり、代わりにまどかの手を握った。両手で包み込むようにして、離さない。

 

「鹿目さん……」

 

 もう分かっている。ほむらだって、分かっている。

 

 それでも呼んでいた。何度も。

 

 俺は動けないし、声も出せない。でも今は、それでいいのかもしれない。

 

 ここは俺の場面じゃない。

 

 このあと何が起きるのかは知っている。だからこそ。

 

ここだけは、見届ける。

 

 ◇

 

「巴さんも……」

 

 ほむらが少し離れた場所を見た。

 

 マミさん。

 

 視線が止まる。砕けたソウルジェムの残骸を見て、その意味が追いつくまで数秒かかった。

 

 それから、ほむらは周囲を見回した。

 

「田中さん……?」

 

 胸の奥が縮んだ。

 

「田中さん……どこですか……?」

 

 瓦礫の隙間へ顔を向ける。

 

「田中さん……!」

 

 少し声が大きくなる。

 

 答えられない。俺はここにいる。でも今の俺は、マギカだ。

 

 学校でほむらと話した田中と、魔女の結界で自分を助けたマギカ。ほむらにとっては別々の二人で、今の彼女は、そのどちらもこの街のどこかで失ったと思っている。

 

 田中は、転校直後の自分へ話しかけてくれた少女だった。体育で倒れた時も、学校で戸惑っていた時も何となく近くにいて、危険なことをしそうになれば止めた。まどかのことを気にしているのも、たぶん誰より早く気づいていた。

 

 マギカは、魔女の結界で自分を助けた魔法少女だった。まどかやマミさんと一緒に戦い、最後までワルプルギスの夜へ向かった。

 

「マギカさん……」

 

 今度は別の名前を呼ぶ。

 

「……マギカさんも」

 

 その声を、瓦礫の隙間から聞いていた。

 

 一か月。

 

 たった一か月だ。

 

 ほむらはこの街へ来て、まどかと知り合った。マミさんと出会った。田中と話した。マギカにも助けられた。

 

 そして今日、そのほとんどを失ったと思っている。

 

原作より、失ったものが増えている。

 

 俺がこの世界へ来たことで、少しは何かを良くできたと思っていた。さやかはまだ普通の女の子のままだった。マミさんとは友達になれた。ほむらにも、前より少しだけ穏やかな時間があったかもしれない。

 

 でも、増やしたものは幸せだけじゃない。

 

 失う相手も増やした。

 

 それが良かったのか悪かったのか、今は考えたくなかった。

 

「随分、辛そうだね」

 

 白い影が歩いてきた。

 

 キュゥべえ。

 

 瓦礫の上を、いつもと何も変わらない足取りで進んでくる。足元が煤で黒く汚れても気にした様子はなく、まどかの傍で膝をつくほむらへ真っ直ぐ近づいていった。

 

 ほむらが顔を上げる。

 

「……あなたは」

「僕はキュゥべえ」

 

 街が壊れても、人が死んでも、こいつはいつもと同じだ。

 

「暁美ほむら。君には、まだ可能性がある」

 

来た。

 

 身体は動かないのに、その瞬間だけ意識が妙にはっきりした。

 

 知っている。この場面を何度も見た。ここから始まる。

 

 でも、本当に同じなのか。

 

 自分がいる時点で、もう原作とは違っていた。さやかは契約していない。マミさんはここまで生き残った。田中もいる。マギカもいる。ほむら自身だって、本来なら出会わなかった人間と出会っている。

 

 なら、この願いまで同じだなんて誰が保証する。

 

「僕と契約すれば、君の願いを一つ叶えることができる」

 

 キュゥべえの声は、瓦礫の中でも妙に聞き取りやすかった。

 

「どんな願いでも?」

「ああ。君の素質で実現可能な範囲ならね」

 

 ほむらがまどかを見る。

 

 長い沈黙だった。風が瓦礫の間を抜け、燃えているものが弾ける。ほむらの頬に煤で汚れた髪が張りついても、払おうとはしない。

 

 まどかの手を握ったまま、じっとその顔を見ていた。

 

 その横顔を見ながら、俺の方が怖くなっていた。

 

 もし違う願いをしたら。田中を助けたい、マミさんもまどかも全員生き返らせたい、あるいはワルプルギスそのものを倒したい――今のほむらなら、どれを願っても不思議じゃない。

 

 俺がいるせいで、この一か月が原作とは違ったせいで、ここまで変わっていたら、その先だって変わっていておかしくない。

 

「私……」

 

 ほむらが口を開いた。

 

 声はまだ震えていた。それでも、さっきまでまどかを呼んでいた時とは少し違う。一度だけ息を吸い、まどかの手を握ったまま顔を上げた。

 

「鹿目さんとの出会いをやり直したい」

 

 息が止まった。

 

「彼女に守られる私じゃなくて……」

 

 俯いたほむらの眼鏡の下から、一粒だけ涙が落ちる。まどかの手を握る指へ力が入った。

 

「彼女を守る私になりたい」

 

 胸の奥から、張りついていた息が漏れた。

 

 未来はもう変わっている。俺が知っていた通りにならなかったことだって、いくつもある。

 

 それでも。

 

ここだけは変わらなかった。

 

 ほむらが、まどかを救いたいと思うことだけは。

 

 田中を失ったと思っていても、マミさんを失っていても、マギカを失ったと思っていても、最後に選んだのは鹿目まどかだった。

 

 誰かに言われたからじゃない。俺が誘導したからでもない。

 

 まどかに守られた少女が、自分で選んだ。

 

 今度は、自分がまどかを守ると。

 

 それが、少しだけ嬉しかった。

 

 ◇

 

「契約は成立だ」

 

 キュゥべえの声と同時に、光が溢れた。

 

 白い光がほむらの身体を包み込む。彼女が目を閉じると、胸元から抜き出されるように光が集まり、一つの宝石へ形を変えていった。

 

 ソウルジェム。

 

 新しい魔法少女が、生まれる。

 

 暁美ほむら。

 

 眼鏡もある。三つ編みもそのまま。見た目だけなら、さっきまでと大して変わらない。

 

 それなのに、もう同じ少女には見えなかった。

 

 鹿目さん、と何度も呼んで、後ろからまどかについて歩いていた少女。体育で倒れ、学校でも自信がなく、危ないことをしないよう俺に止められていた。魔女とまともに戦うことすらできず、ずっと誰かに助けてもらう側だった。

 

 本人だって、たぶんそれを一番よく分かっていた。

 

 それでも今、自分から願った。

 

 守られる側ではなく。

 

守る側へ行くことを。

 

「……ここからなんだ」

 

 掠れた声がようやく漏れた。誰にも聞こえなくていい。

 

 俺が知っている暁美ほむらは、ここから始まる。

 

 最初から強かったわけじゃない。最初から冷たかったわけでもない。銃を撃てたわけでも、爆弾を扱えたわけでもない。

 

 今ここで、まどかの手を握ったまま震えている少女が、何度も失敗して、泣いて、また戻る。その繰り返しの中で、少しずつあの暁美ほむらになっていく。

 

 知っていたはずなのに、実際に目の前で見ると全然違った。

 

 これは物語の過去じゃない。

 

一人の少女が、これから自分の人生を全部使ってでも守りたい人を決めた瞬間だった。

 

 ◇

 

 最初に変わったのは、音だった。

 

 遠くで燃えていた炎の音がふっと遠ざかり、次に風の流れが変わる。舞い上がっていた灰が、ほむらの周囲だけ不自然に逸れた。

 

「……?」

 

 ほむら自身も異変に気づいたらしい。

 

 新しく生まれたソウルジェムが光り、周囲の空気が歪む。瓦礫も炎も煙もそのままなのに、ほむらの周囲だけが別の場所へ切り離されていくようだった。

 

 目の前にいるはずなのに、少しずつ輪郭が遠くなっていく。

 

 時間遡行。

 

 遂に始まった。

 

 ほむらは過去へ戻る。鹿目まどかとの出会いをもう一度やり直し、今度は守る側になるために。

 

 輪郭が薄くなる。瓦礫の向こうへ消えるんじゃない。壊れた街をその場へ残したまま、彼女だけが別の時間へ抜けていく。

 

 俺は動かない身体のまま、それを見送った。

 

 ここまで見届けられた。それだけで、胸の奥に張っていたものが少し緩んだ。

 

 やっと、ほむらが俺の知っている道へ進み始めた。

 

 でも、もう同じ道ではない。

 

 田中を知っている。マギカを知っている。マミさんと過ごした時間も、まどかと過ごした時間も、俺が知っていたものとは少しずつ違っている。

 

 それでも、ほむらが次の時間軸へ行けば、また新しい一か月が始まる。

 

 そして俺は――

 

「…………」

 

 そこで、ようやく本当に今さらなことに気づいた。

 

 ほむらは行ける。当然だ。そのための願いを叶えて、時間を越える魔法を今手に入れたのだから。

 

 だったら。

 

 ほむらの輪郭がさらに薄くなる。壊れた街はそのまま。炎も、瓦礫も、マミさんも、まどかも、ここに残っている。

 

 移動しているのは、ほむらだけ。

 

 俺はそれを見ながら、一つだけ残った疑問を飲み込めなかった。

 

 ほむらは行ける。

 

 じゃあ。

 

俺は?

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