思いのほか有意義だった晩餐会も終わり、食後のお茶が並べられ、いよいよ本題に入ろうとしていた。
魔術師同士の会合。感情とは別の立場による振る舞いと、自己の利益を追い求める冷徹な場。貴族同士のやり取りのように、腹の探り合いや虚言が蔓延るに違いありません。本来なら、ですが。
話し合いを始めようという段階になっても、イリヤスフィールの態度は別段変わるわけでもなく、すでに彼女がシロウの味方であるとわかっています。気楽に、とはさすがに行きませんが、無用な猜疑心などは持たずに話し合えそうです。
アーチャーは片付けがあるとのことで途中参加するそうですが、マスターのリンが居るので問題はないでしょう。それに対価の料理は彼が作ってくれたのですから、後は私達が奮闘するのが筋とも言えます。
「シロウ達がここに来た理由は、キャスターの情報が欲しい。だったかしら」
紅茶を一口飲み、カップをコトリと置いたイリヤスフィールが口火を切りました。
「あぁ、昨夜イリヤに会った後、キャスターのいる柳洞寺に行った。そこでキャスターが言ってたんだ。自分の望みは『自分を縛る人類からの解放』」
「それと『今世の破壊』ね」
シロウの言葉をリンが引継ぎ答える。二人の言葉を聞いたイリヤスフィールは、平然とした態度を崩さぬまま問いを投げかけてきた。
「それで?」
彼女の態度で悟る。キャスターの望みを既にイリヤスフィールが知っていた、と。昨夜、キャスターが色々教えてくれたと彼女は言っていたが……。想定はしていたが、やはり知っていたかと言うほど安易な事態ではない。
元々キャスターのことを詳しく知っているかもしれないと来はしたが、最悪はイリヤスフィールとキャスターが手を組んでいる。改めてその可能性を示されてリンと私は気を引き締めたが、そうではない人物が一人居た。
「キャスターが本当にそんなことを望んでいるか、知ってたら教えてほしい」
シロウが動揺の欠片すら見せずに、イリヤスフィールに話しかけた。
「冬木の人間には死んでもらうことになるかもしれないとも言っていた。それが本気なら放っておけない。イリヤがキャスターの真意を知ってるなら、教えてくれないか?」
「真意、ね。うーん」
緊張をはらまずに、義理の姉弟は食事の時と変わらぬ雰囲気で会話をしていた。シロウの顔には姉に対する信頼が窺え、腕を組み唸るイリヤスフィールには弟に応えたい親愛が見受けられた。
どうやら弁が立つリンよりも、シロウを主体で話し合いに臨むという方針は正解だったらしい。
「あなた達、キャスターに会ったのよね?」
シロウと会話をしていたイリヤスフィールが、私とリンに顔を向けて問いかけてきた。
私達が頷くと、今度はシロウを含めたこちらの全員を見て、さらに問いを重ねてくる。
「キャスターに会って、彼女の印象はどうだった?」
期せずして衛宮邸で話したような内容を問われ、ちらりとシロウ達と視線を交わす。思いもよらぬ質問に誰から答えたものかと思ったが、リンがすぐに答え始めた。
「私が初めて会ったのは衛宮君の家で、キャスターが訪ねてきたのよね。同盟をしたいって。その時は自分から真名をばらすし、終始こっちの顔色を窺ってビクビクしてて、あぁはずれクラスって言われるだけあるなぁって同情したわ」
リンの言う内容に、心の中で確かにと頷きます。聖杯の望みについて個人的な欲望と答えた彼女に、召喚直後の警戒心もあって、あの時はつい噛みついてしまった。キャスターは強気を装ってはいましたが、私のことを怖がっていましたね。
「次に会ったのが昨夜の柳洞寺での戦いで、魔術師らしくどこか狂ってる……って思ってたんだけど、思い返してみると、そうでもないのよね」
ふぅと一息入れ、リンが続きを語ります。
「戦闘前こそ狂人のように振舞っていたけれど、戦闘中の会話には律義に応えてきたし、わざわざ自分が使った魔術の説明までしてくれたわ。アレ、もしかしたら教導だったのかしら」
「教導?」
「そ、魔術師なら魔術を使いこうしなさいっていう一例を見せつけられたっていうか、駄目だしされたっていうか。そう考えると狂人どころかお人好しに思えるのよね」
イリヤスフィールの疑問に即座に答えたリンが、げんなりとした顔で肩を落とした。自分は決死の覚悟で挑んだ敵に、実は訓練をつけられていたと思えばリンの態度も仕方ない。
それにしても教導とは。リン達の戦闘の様子を見た訳ではないので判断できないが、聡明なリンがそう考えたのなら、そうであった可能性はあるのだろう。
リンが話し終わり、次は自分の番かと思い口を開く。
「初見での印象はリンと同じなので省きます。私とシロウが二度目に会ったのは、雑木林でのライダーとの戦闘の後でした。そこにキャスターが突然現れ、ライダーに傷つけられた己のマスターの姿を目にして、私達がやったと勘違いされ攻撃を仕掛けられましたが……」
あの時は正面からの正々堂々とした戦いを好む珍しい魔術師かと思ったくらいだが、シロウを助けたいという思いを述べたイリヤスフィールの態度を加味すると。
「誰かを害するよりも、助けるのを優先する人物、でしょうか」
敵意がなかった攻撃は、自分のマスターの救出を最優先にしていたからと考えれば納得がいく。明らかに激昂していたにもかかわらず、そういった優先順位を見失わないのは優しいと評してもいいかもしれません。
イリヤスフィールの態度を見る前であれば、非常に冷静な魔術師とも考えられましたが、きっとリンの言う通りお人好しの優しい人物と考えるべきなのでしょうね。
だからこそ、弟のシロウと敵対して戦ったと知っても、姉であるイリヤスフィールが平然としていられるのでしょうから。
私がそれらの所感を言い終わると、皆の目がシロウへと移る。
衛宮邸の会話でもキャスターに悪い印象を持っていなかったシロウのことですから、リンや私と似たようなことを言うと思っていたのですが。
「あ~、キャスターの印象……か。…………お母さん、かな」
室内がシンと静まる。
シロウの声はしっかりと聞こえたはずが意味を理解しようとすると、ん? と疑問が浮かぶ。今、シロウはなんと言った?
「んんっ、衛宮君、悪いんだけどもう一度言ってくれる?」
「……母親みたいだって言ったんだ」
喉の調子を確かめるような仕草をして、聞き間違いかを確認したリンへ、やや赤面したシロウが恥ずかしそうに答えました。
返答を聞いてどういった態度をとるのが正しいかわからず、真面目な表情のまま聞き流した私と違い、リンは口をへの字に曲げどんよりとした目でシロウを見ています。
「違うぞ、遠坂! あくまでそういうイメージっていうか。最初に会った時に制服を直してもらったり、次に会った時には怪我を治してもらって、後遺症がないかまでしっかり確認されたりとか」
シロウの言葉を聞いているうちに、リンの表情が素に戻っていきました。
「本当ならしなくてもいい心配をしてくれて、もし母親が生きていたらこういう感じだったのかなと思ってさ」
シロウが少しだけ寂しそうに言った。昨夜の戦いを除けば、シロウの中ではキャスターはそういった印象なのですか。
衣服を繕い、治療が問題ないかの心配もする。恩を売るにしては些細な行動です。無用な心配をついしてしまう。シロウの思う母親像とキャスターの行動が重なったんですね。
「そう、シロウもそう思ったのね。そうよね。あんなことされたら、お母様みたいって思っちゃうわよね。うん、私だけじゃなくて良かったわ」
ずっと泰然としていたイリヤスフィールが、頬を赤くしてぼそぼそと独り言を呟いています。こちらに聞かせる意図がないようで内容はわかりませんが、恥ずかしがっているように見えます。
私達が彼女を見ているのに気づくと元に戻りましたが、彼女が恥ずかしがる要素はなんだったのでしょうか。
「で、私達のキャスターの印象ってこんな感じなんだけど、そっちはどうなのよ。っていうか、知ってるんでしょ? 実態がどうなのか」
リンが問いかけます。イリヤスフィールの態度から答えが予想出来てしまうせいでしょうが、あからさまに投げやりな口調です。
「そうね。まぁ私も大体貴方達と同じね」
予想に違わぬ返答。それに追加の情報が加わる。
「ちょっとした事情からキャスターのことを知る為に、アサシンやライダーにも同じような質問をしたわ。そしたら二人揃ってこう答えたのよ。『キャスターは箱入りのお嬢様だ』って。アサシン達が言うには、生前コルキスの王宮でとても大事に愛情をもって育てられ、人としての良識もしっかりと教育されたんだろうですって」
名乗った時の仕草や細かい所作から、王族としての教育をされていたのは窺えましたが、傍にいてわかるほどの良識もですか。キャスター陣営のサーヴァントからの情報であれば欺瞞の可能性も考えるべきですが、自然と真実なのだろうと受け入れました。
「つまり、キャスターは悪ぶってるだけの良い人ってことなのか?」
ここまでの話の内容を要約した疑問を、シロウがイリヤスフィールにぶつけると。
「えぇ、悪徳を行っていない限り、敵対したって殺されることはない程度には善人ね」
イリヤスフィールの回答を聞いて、肩の力がガクリと抜ける。そうなったのは私だけではなく、隣のリンも同じように深いため息をついていた。
「じゃあなに? 街中の吸精の刻印や今世の破滅を願うとかもブラフって訳? なによそれ……。世界の危機かもって思った私がバカみたいじゃない」
リンの言葉がグサリと私の胸を刺す。私も似たような思いで昨夜宝具を使用したが、その行動が見当違いの危惧からだと思うと恥じ入ってしまう。
見事にキャスターに騙されたと項垂れる私達を置いて、シロウとイリヤスフィールの会話は続きます。
「それじゃあ桜は――――あ~、ライダーのマスターの家族は無事なのか?」
「マキリの事?」
「マキリ?」
「あぁ、そうだったわ。確かマトウって名乗っているんだったわね。残念だけど、マトウの当主は魂が歪み人を喰らう魔性と化していたから、キャスターに退治されたわ」
キャスターがライダー陣営を襲ったと思っていた出来事も、真実は人を喰らう化け物退治だったと。だとするなら、リンの妹のサクラの安否は。
「それとサクラは、キャスターに保護されてるわ。……ライダーの依り代にされて魔力を吸われ続けて、治療が必要だったそうよ」
一瞬、イリヤスフィールが口籠ったような? そんな私の些細な疑問もシロウの明るい声にかき消され、すぐに霧散しました。
「そうか、桜は無事なのか。良かったな。遠坂」
「えっ、あ、うん、そうね」
あまりにも自然に笑顔で声をかけられてしまい、珍しくリンの方が動揺しています。妹が無事だとわかった安心感からの隙を突かれたのでしょう。嬉しさも恥ずかしさも隠せていません。
降って湧いた朗報に嬉しそうにしていたリンだったのですが、突如ピシリと表情が固まり下を向いてしまいます。
「あれ? 妹を助けてくれた恩人に私、イカれた懐古趣味とか言っちゃった……?」
キャスターに対するリンの罪科が増えた瞬間でした。
「安心するのは早いわよ」
喜んでいた私達に、イリヤスフィールから警告が飛びます。見れば先程まで柔和だった雰囲気が一変し、表情を消して冷たい印象に変わりました。
「貴方達を招いた理由を忘れたの?」
「キャスターの情報を衛宮君に教える為でしょ?」
「違うわ。貴方達が、セカンドオーナーとして話を聞きに来たって言ったからよ」
森でのいざこざをすっかり忘れていたのかリンがハッとします。リンの様子を見てイリヤスフィールが思わずと言った感じでため息を吐き、雰囲気が戻りかけましたが。
「キャスターが善人だからといって誰も恨んでいない。なんてことはないのよ」
感情を消して淡々と語るイリヤスフィールに、シロウもリンも笑顔を消して聞き入りました。もちろん私も。
「彼女が国を追われ、放浪することになった元凶。イアソンに加護を与え、キャスターの心を惑わした女神ヘラに対しては未だに恨んでいるわ」
「それはわからなくもないけど、キャスターがいくらヘラを恨んでいたって、もう現代には神々は居ないんだし、恨みを晴らそうったってどうしようもないでしょ。それがどうして冬木に関係するのかしら?」
リンが土地を守る魔術師としての質問をすると、ようやく本題に入れたからかイリヤスフィールはニヤリと笑い応えました。
「私のバーサーカー、真名をヘラクレスって言うんだけど、最期どうなったか知っている?」
生前かなりの勇名を馳せた英霊だろうとは思っていましたが、バーサーカーの正体がギリシャの大英雄だったとは。どうりであれほどの強さな訳です。
「ヘラクレスって言ったら、確かヒュドラの毒を受けて不死を手放して亡くなったんだよな」
「えぇ、その後オリンポスの神々に認められて神の座に上がったのよね」
二人の言葉を聞いて満足そうに頷いたイリヤスフィール。
ここまでは私も知っていることですし、驚きもありません。ですが次にイリヤスフィールが語った内容は、シロウ達魔術師はもちろん、サーヴァントである私でも脅威を感じる内容でした。
「そう、ヘラクレスはオリンポスの神々の末席に加わることになり、その魂は神々の御座に引き上げられた。それなのに……ねぇ、どうして神々の御座に居るはずのヘラクレスが、英霊として召喚できたと思う?」
イリヤスフィールは返答を待たずに続きを語る。
「キャスターは聖杯戦争に召喚され、ヘラクレスが居るのを知ってこう考えたのよ。神々は黄昏を迎え滅びが確定していた神の御座を捨て、人の英雄の魂が集う英霊の座に移動することで生き永らえているのではないか? だからこそ、神の御座に魂があるのはずのヘラクレスが、英霊の座より召喚されたのではないか? って」
キャスターの想いを乗せてなのだろう。イリヤスフィールの言葉に憎悪が含まれていく。
「私達にとって概念に近い英霊の座への干渉は、キャスターでも実質不可能。たとえ神々が英霊の座に潜んでいるとしても、どうすることもできない。普通なら、ね」
「そこで聖杯、か」
キャスターの目的が見えてきて、絞り出すように言ったリンの言葉に我が意を得たりとイリヤスフィールが喜色を示す。
「そう、聖杯を使えば英霊の座にすら干渉が可能でしょうね。隠れ潜む女神ヘラを引きずり堕とすことすらも」
神降ろし。天より神を地上に堕とす行為。ヘラクレスと言う英霊が怨敵の所在を教え、聖杯と言う手段が手の届くところにあった。神であれど目の前に実像として顕現すれば、彼女ほどの魔術師なら害する手段などいくらでもあるのでしょう。
周りからお人好しと評されたキャスターではあるが、復讐に走らずにはいられなかったのだろう。
恨む相手が居なくなっていれば。或いは恨みを晴らす手段がなければ。どちらかでも欠けていればよかったのでしょうが、この第5次聖杯戦争と言う場が、彼女にとって整い過ぎていた。
「神降ろしなんてしたら、冬木がどうなるかわかったもんじゃないわね」
リンの言葉が重く響く。
冬木に女神ヘラが降臨しようものなら、神秘の薄いこの時代にどのような影響があるか計り知れない。冗談でもなんでもなく、冬木どころか世界さえも滅ぶかもしれない。
教えられた衝撃的な事実に口を開けずにいたら、イリヤスフィールの後ろに待機していたセラが突然上を向いてから、すぐに主へと顔を向けた。
「お嬢様、これは」
「えぇ、侵入者……いえ……リズ、窓を開けなさい」
指示を受けたリーゼリットが窓を開けると、淡く紫に光る鳥が室内へ入ってきた。それは細やかに作られた芸術的な針金細工のような鳥だった。ただの針金細工が空を飛ぶ訳もなく、おそらく誰かしらの使い魔なのだろう。
イリヤスフィールが右腕を軽く上げると、部屋をぐるぐると回っていた使い魔が、彼女の腕の上にそっと降り立った。
「この術式は、まさか」
「うちの魔術の模倣ね。シュトルヒリッターを真似たものかしら。見せた覚えはないのに、流石ね」
セラとイリヤスフィールが使い魔を見て驚いていた。話から察するにイリヤスフィールは使い魔の主が誰なのかわかっているようだ。
イリヤスフィールの腕にとまった使い魔は、彼女が目を合わせると少しだけ発していた光源が強くなり、そしてそのまま空気に溶けるように消えてしまう。
使い魔が消えた後に数秒ほど虚空を見つめていたイリヤスフィールだったが、目の焦点が戻ると深いため息を吐いた。
その様子に不満を表したのがリンだった。
「ちょっと、一人で納得してないで説明しなさいよ」
話し合いの最中に突然の侵入者。それも高度な魔術で編まれたらしき使い魔。気にならない訳はなく、リンの言葉はシロウと私の代弁でもある。
説明を促されたイリヤスフィールは、私を見てから再度深いため息を吐いた。自分を見てため息を吐かれ、むっとするより困惑した。なぜ私を見てため息を吐くのでしょうか。
「キャスターからの連絡と警告よ」
「連絡と、警告?」
「そう、警告。それも可能ならセイバーにもって」
「は? 私にですか?」
唐突に名を呼ばれ思わず声が出た。イリヤスフィールとキャスターに繋がりがあるのはもはや周知の事実ではあるが、まさかキャスターから私宛に警告があるとは思いもしなかった。
予想外の言葉はシロウからからも続きます。
「あ、そういえば昨日の戦いの終わりに、キャスターからセイバーへ伝言があった」
「え?」
「確か『貴女は対価を払っていない』だったっけ。伝えるのが遅くなって悪い」
「い、いえ」
「そんなことまで言ったの? キャスターが? セイバーに?」
「ああ、そうだよな? 遠坂」
「ええ」
キャスターからの伝言を聞いたイリヤスフィールがシロウに再確認をし、何故か口をぽかんと開けて驚いています。
私はと言えば、どう反応するべきかもわからず困惑したままでした。イリヤスフィールに託した私への警告も気になりますし、シロウが伝えてくれた伝言の意味もわかりません。
シロウとリンが、どういう意味? と視線で問いかけてきてはいます。ですが私自身に対価と言われても思い当たる節もありません。
「はぁ、なんでセイバーに忠告までしてるの。私が程よく危機感を煽ろうとしたのに台無しじゃない。もしかしてランサーと仲良くなってたりしないわよね。キャスター、大戦でも起こす気なのかしら」
イリヤスフィールの呆れた声が止めとばかりに、部屋全体に弛緩した空気広がっていきます。女神云々で緊張していたはずが、使い魔一つでこうも変わるとは。
「でもそうね。もうすぐ終わると言うなら……彼女が居るうちにやりたかったことを代わりにやるのが、恩返しになるのかな」
呆れていたイリヤスフィールですが、どこか寂しさを含んだ静かな声で呟きました。
そして再び私へと視線を向けた彼女が、厳かな響きをもって言ってきます。
「セイバー、いえ、アーサー王。あなたに聞きたいことがあるの」
聞きたいと言った内容を明かされる前に、我々は場所を移していた。私が知っているよりも華やかに彩られた中庭の庭園へと。
忘れもしないその場所に私は立っていた。
この場所に来てから感じる重圧。それは間違いなくあの時のことが原因だろうが、それだけではなく、これから起こるであろうことに対する焦燥かもしれない。
庭園の中央には私とイリヤスフィールが向かい合うように立ち、シロウとリンの二人はいつかのアイリスフィールのように下がった位置に佇んでいる。
数分程、無言のまま対面を続けていると、セラがワインボトルと酒杯を載せたワゴンをひいてきた。彼女は一礼をしてから酒杯にワインを注ぎ、私とイリヤスフィールにそれぞれ渡して下がっていった。
手に持つ酒杯に目を落とす。澄んだ夜空の下、黄金の杯に綺麗な色の酒。杯と収まる酒精の質は落ちるだろうが、まるであの時の再現のような状況。
「セイバー」
呼びかけられ思わず体がビクッと震えた。図らずも自身の反応で、自分が緊張していると思い知らされる。
内心の緊張を抑えつつ、顔を上げ正面を見た。
「誉れ高きブリテンの王、アーサー・ペンドラゴン。この酒杯にて問うわ。あなたにとっての王とは、王道とは?」
問いかけ自体は予期していたものではあったが、すぐに応えることは出来なかった。二人の王に否定された我が王道。言葉だけであったのなら、暴君の戯言と切って捨てられた。
だが征服王の見せた輝き。王とは孤高にあらずと言い切った彼の宝具。あの眩い光景を見せられ、何も思わぬところがなかったかと言えば否であろう。
だとしても。そうだとしても。
一息に杯を呷り、真っすぐにイリヤスフィールを見て宣言する。
「王とは、民と国に身命を捧げ、誰よりも正しくあろうとする者だ。臣民が望む正しき統制、正しき治世を敷くことが、そこを目指すことこそが王の道に他ならない」
そうだ。それこそが私が理想とした王の姿だった。だからこそ、私は叶えなくてはならない。息を吸い、先ほどよりも声を上げ、ここに居たはずの彼らにも届くように再び決意を露にする。
「故に私は願う。誤った治世を正し、滅びた故国の救済を! 万能の願望機をもってして、滅びゆくブリテンの運命が変わらんことを!」
叫びのような声を発し、自らの願望を吐き出した。
イリヤスフィールは私を見ているだけで言葉を返さず、代わりのように冷たさを感じる風が頬を撫でる。冬風が吹き終わると背後から動揺したシロウの声が聞こえた。
「セイバー……それは……」
振り向かずともわかってしまう。沈むような響きの中に否定的な思いがあることを。信頼に足るマスターにさえも否定され、耐える為に顔を俯かせてしまう。
「コルキスの王女メディアに代わり、イリヤスフィール・フォン・アインツベルンがアーサー王に告げる」
シロウにも否定されて、またなのかと俯いていた私に、その声はあまりにも優しく聞こえた。否定や嘲りが一切ない、むしろ喜びを感じているようなイリヤスフィールの声を聞いて、私は自然と顔を上げていた。
「人が、母なるものが自身より我が子を優先し、無償の愛を注ぐのは当然の想い。誰かに、何かに無償の愛を注ぐのは私達女が持つ母性の発露。滅びに瀕した国を憂い、苦しみにあえぐ人々を憂い、我が身を顧みずに救いたいと願った自らの大いなる愛に胸を張りなさい」
私を肯定してくれた彼女の言葉は嬉しく思う。確かに私は国を愛し、そこに住まう人々を愛していた。だからこそ認められないのだ。
「しかし私は! 私は……! ……救えなかった! 理想にはほど遠く、人の心がわからぬ王と言われ、結果国を割り滅びを迎えてしまった! 私が……私が王になったばかりに!」
想いはあった。理想に違わず正しくあろうともした。けれどそうはならなかった。国と人々を救いたいという想いは、ついぞ遂げられることはなかったのだ。
ならば何かが間違っていたに違いない。理想が間違っていたとは思わない。であるならば、体現できなかった私こそが間違いなのだ。
聖杯を求める私の根本。私の理想を、王としての在り方を認めてくれた相手だからこそ言わずには居られなかった、己と言う過ちを告発する慟哭。
これに対してイリヤスフィールから、強い口調の反応が返ってくる。
「アーサー王配下の円卓は割れ、確かにブリテンは滅びを迎えた! アルトリアと言う名の少女の願いは叶えられることはなかった! けれど!」
イリヤスフィールはコクリと葡萄酒を一口飲み、さらに力強い声風で言葉を続けた。
「あなたの死後、ブリテンに住む人々はあなたのことをこう呼んだわ! いずれ蘇りし王と! この地が危機に瀕した時、再び現れ救ってくれる王だと! 民を救う王であると! アーサー王は民に求められる王であったのよ!」
ドクンと心臓が跳ねるように鼓動した。
「民だけではないわ。9偉人。騎士道を体現する偉大なる英雄の一人として、後の貴族や騎士達にさえも認められている。あなたの在り方こそ、理想の騎士であると多大な影響を与えた」
体から力が抜け、よろめいて半歩下がる。
「あなた亡き後の亡国の地は混乱し、辛い日々を送った人々も大勢いたでしょうね。私欲を満たそうと支配を目論む王侯貴族もいたはずだわ」
いったん目を閉じたイリヤスフィールは大きく息を吸った。それからゆっくり目を開き、穏やかな雰囲気へと変わっていく。
「でも、あなたに続く王も居たわ。王冠の欲望に支配されても、友の言葉で目覚め争いを失くそうとした王が。あなたと同じように私心を捨て、命のやり取りをしたにもかかわらず、宿敵の息子を後継者にした女王が。
そして現在、グレートブリテン及び北アイルランド連合王国と呼ばれる国は、世界有数の強国として在る。人々が日々を安寧に過ごし、明日への夢を持てる平和な国として」
微笑みをたたえるイリヤスフィールから、目を逸らすことができなかった。
「ブリテンは滅びた。それでも残るものはあった。苦難の民が望んだ理想の王の姿。明日を信じる希望。あなたが残したものは、しっかりと今と繋がっている」
手に力が入らず持っていた杯を落としてしまい、カランと乾いた音が響いた。膝も崩れ倒れそうだったが、必死に足を延ばし立ち続ける。私は聞かなくてはいけないのだから。
「……ブリテンの民は、幸せ、なのですか?」
「ええ。あなたが守ろうとした民の子孫は、平和の中で幸せに暮らしているわ」
「あぁ……そうなのですね……」
ぽとり、ぽとりと地面に何かが落ちていく。気づけば私は膝を折り手で顔を覆い涙を流していた。
間違っていなかった。選定の剣を引き抜く時に夢見た理想は、願いは、決して間違いではなかった。王としての在り方も、我ら円卓が駆けた試練の日々も。
いや……。たとえ間違いだったとしても、無駄ではなかった。理想の王であろうとした辛苦も。友との争いも。望まぬ悲劇も。無駄ではなかった。
私達が果たせずとも望みは叶ったのだ。あの日、人であることをやめた少女の願いは、時を越えて叶っていたのだ。
満天の星空の下、騎士の王ではなく一人の人間として涙を流し続けた。悲嘆にくれた嘆きを伴ったものではない、喜びの雫を。