今日から体育は烏間さんが担当するらしい。
と、いうことは今日からは"烏間先生"と、なるのだろうか。
まあ、殺せんせーの体育の授業は、散々なものだったから、烏間さんが担当してくれるのは非常に有り難い。殺せんせーの人間離れした体育を受けるよりよっぽど役に立つだろう。
そして、烏間先生の初授業が始まった。
ジャージを身に纏いながら、わたしたちは先程から対先生ナイフを手にブンブン、と素振りを行っている。
ナイフの芯がブレればブレるほど、人相手でも狙いは外れてしまう。まずは基礎から……と、堅実な烏間先生らしい判断だ。
だけど、単調な動きに周りのみんなは少し不信感を感じているように見えた。こんなことをして意味はあるのか、と。
「でも烏間先生。こんな訓練、意味あるんスか?しかも、当の暗殺対象がいる前でさ」
ずっと素振りしかしていないせいか、前原くんが烏間先生に質問していた。
確かに暗殺対象に今の自分たちの実力を見せるのは抵抗があるのだろう。
「勉強も暗殺も同じことだ。基礎は身につけるほど役に立つ」
渚くんはその言葉の意味が理解できていないのか、ハテナを飛ばしていて。
わたしは、ただ前だけを見ながら、変わらず素振りを続けていた。
「例えば…そうだな。磯貝君、前原君。そのナイフを俺に当ててみろ」
「え…いいんですか?2人がかりで?」
烏間先生なら、素人ふたりくらい簡単にいなせるんだろう。
烏間先生の表情は変わらず、むしろ指名された2人の方が動揺しているようにも見えた。
持っていたナイフを下に下ろして、烏間先生の方を見る。他のみんなも同じようにしていて、彼らの周りにはギャラリーができていた。
「対先生用ナイフなら、俺たち人間に怪我はない。かすりでもすれば今日の授業は終わりでいい」
「え、えーと…そんじゃ」
そう言って、磯貝くんは烏間先生にナイフを勢いよく向けた。が、烏間先生はそれをスッと簡単に避ける。
前原くんも続いてナイフを刺そうとするも、烏間先生は手で払い、次々と2人の攻撃を避けていた。
「このように、多少の心得があれば素人2人のナイフ位は俺でも捌ける」
そう言いながら、烏間先生は攻撃を簡単に避け続ける。
「「くっそ!」」
磯貝くんと前原くんの声が交差する。勢いよく攻撃をしかけるも、烏間先生は手首を掴んで、2人はそのまま体勢を崩した。
「俺に当たらないようでは、マッハ20の奴に当たる確率の低さがわかるだろう」
流石は烏間先生、としか言えない。
彼は本来、こんなところで教師をしている人材ではない。本当なら戦線の一番前にいるような人間だと、改めて理解させられたような気がした。
「見ろ!今の攻防の間に奴は、砂場に大阪城を造った上に着替えて茶まで立てている」
まあ、戦線が此処にいるのだけど。
わたしも殺せんせーへ目を移すと、千利休のつもりだったりするのだろうか、お茶を立てていた。
そして、ニヤニヤと笑いながらこちらを見る姿に、クラスメイトたちは一様に腹を立てているように見えた。
「クラス全員が俺に当てられる位になれば、少なくとも暗殺の成功率は格段に上がる」
……クラス全員が、烏間先生に?
わたしは自分の手に持つナイフを眺めながら、眉を下げる。わたしにはきっとできない、そう思ってしまったから。
「ナイフや狙撃暗殺に必要な基礎の数々、体育の時間で俺から教えさせてもらう!」
烏間先生がそう言うのと同時に、チャイムが鳴る。
こうして、烏間先生の初めての体育は終了した。
汗が少し滲むジャージ。額から垂れる汗を袖で拭きながら、わたしは校舎の入り口を目指した。
すると、近くにいた速水さんと倉橋さんが楽しそうに談笑をしていて。
「烏間先生、ちょっと怖いけどかっこいいよね」
「ねー!ナイフ当てたらよしよししてくれんのかな~」
それは、烏間先生の話題で。
わたしは倉橋さんの「よしよし」という言葉が想像できなくて、複雑な表情を浮かべた。
「花宮さんは、烏間先生のこと、どう思う?」
聞いていたのに気付かれたのか、速水さんがこちらを見てそう尋ねた。
それに対して、わたしはどう答えるのが正解か分からなくて。迷いながら、2人に賛成するような言葉を返した。
「え、えっと……強い男の人って、憧れ、ますよね」
さぐりさぐりに。
この言葉が、正解であってほしいと、願いながらそう言った。
「やっぱ、強いとかっこいいよね」
「本当、本当~!」
2人の反応を見るに、それが間違いでなかったことにホッと息を吐く。
そこに、ひとつの影が落ちて。わたしは、その影を追いかけるみたいに視線をそちらに向ける。
そこには、赤の髪を揺らす少年が立っていて。
それは、病院で出会った、あの少年だった。
ひやり、と冷たい風を感じた気がした。
***
「よー、渚君。久しぶり」
「カルマ君……帰って来たんだ」
渚くんと仲が良さそうに、だけど、少し他人行儀に会話をしていて。それが少し気になった。
そして、渚くんが呼んだ彼の名前が、はじめてこの校舎に来た時に聞いた隣の席の人物と同じだと気付くのに少しだけ時間がかかった。
「わ。あれが例の殺せんせー?すっげ、ほんとにタコみたいだ」
愉快そうに、その少年は殺せんせーに近づいていく。意図が読めなくて、わたしはその行動に思わず見入ってしまう。
「! 赤羽カルマ君…ですね。今日が停学開けと聞いてました」
「あはは、生活リズム戻らなくて。下の名前で気安く呼んでよ。とりあえずよろしく先生」
赤羽くんは、フレンドリーに、それは握手を求めるよう手を差し出していた。
だけど、チリと感じるわずかな悪意にわたしは、思わず彼を追っていて。視線が外れなくなった。
「こちらこそ。楽しい1年にしていきましょう」
そう言って、殺せんせーが赤羽くんの手を握った刹那――触手がどろり、と溶けた。
そして、続け様に袖からナイフを取り出して、殺せんせーに向けて思いっきり振りかざす。
「…へー…ほんとに速いしほんとに効くんだ、対先生用ナイフ。細かく切って貼っつけてみたんだけど」
殺せんせーは動揺しているのか、思わず、赤羽くんと距離を取っているように見えた。
赤羽くんは、細かく切られたナイフが貼り付けられた手のひらを殺せんせーに向ける。それは、まるでおもちゃを見つけた子どもみたいに楽しそうで。
だけど、チリチリと痛い悪意がすごくちぐはぐに思えた。
「けどさぁ先生、こんな単純な手に引っかかるとか…しかもそんなとこまで飛び退くなんてビビり過ぎじゃね?」
3年E組で、初めて殺せんせーにダメージを与えた人。他のクラスメイトと違う、何かを纏った人。
「殺せないから"殺せんせー"って聞いてたけど…あっれぇ、せんせーひょっとしてチョロいひと?」
殺せんせーは分かりやすくこの挑発に乗っていた。
真っ赤な殺せんせーと、飄々とした表情の赤羽くん。
教室に向かうのか、こちらに歩いてくる赤羽くん。
その姿をただ目で追うことしかできなくて。だけど、すれ違い様、一瞬驚いた顔をしてから、「……へえ、」と愉しそうな声が聞こえた。
彼の目には、病院の時で見たような迷いはもう消えていて。だけど、チクリと痛い悪意がその目に含まれているように見えた。
その目はもうわたしを見ていない。
「……、」
だけど、わたしはその強烈な赤から、目が離せなかった。