6時間目は小テスト。初歩的な問題が並んだ問題用紙と、前からぶにょんぶにょんと奇妙な音。
あのタコのような生物に慣れた生ぬるい教室。
そして、俺が一番驚いたのは、あの日病院で出会った少女が、隣の席に座っていたこと。
チラリと彼女の方を見ると、相変わらずその目は暗くて、だけど、初めて会った時よりもほんの少しだけ表情があるようにも見えた。
「よぉ、カルマぁ、あのバケモン怒らせてどーなっても知らねーぞ」
「またおうちにこもってた方が良いんじゃなーい」
反対側から聞こえるのは不愉快な声。
「殺されかけたら怒るのは当たり前じゃん、寺坂。しくじってちびっちゃった誰かの時と違ってさ」
「な、ちびってねーよ!!」
ドン、と響いた、寺坂の机を叩く音。
反対から短く息が漏れたのが聞こえて、あの子の方を見たかったけれど、殺せんせーに「こらそこ!テスト中に大きな音立てない!」と、注意を受けた。
「ごめんごめん、殺せんせー。俺もう終わったからさ、ジェラート食って静かにしてるわ」
そう言って、職員室で冷やしていたジェラートをペロリと舐める。
「ダメですよ、授業中にそんなもの。まったくどこで買ってきて…」
初めは俺に注意をしていた殺せんせーは、手の中にあるジェラートを見て、ハッと驚くような表情を浮かべた。
「そっ!それは昨日、先生がイタリア行って買ったやつ!」
「あ、ごめーん。教員室で冷やしてあったからさ」
「ごめんじゃ済みません!溶けないよう苦労して寒い成層圏を飛んできたのに!」
……こいつが、嫌だと思うことをしよう。
そうすれば、こいつの本性が見れるから。
「へー……で、どうすんの?殴る?」
「殴りません!残りを先生が舐めるだけです!!」
そう言ってバカ正直にこちらに向かってくる殺せんせー。
バカだなあ、何も仕掛けていない訳ないじゃん。
「!!」
また、殺せんせーの触手が弾けるように溶けた。
「あっはー!まぁーた引っかかった」
続けて銃を発泡するが、それは全て避けられる。
だけど、殺せんせーの動揺は透けるように簡単に見えた。
「何度でも、こういう手使うよ。授業の邪魔とか関係ないし……それが嫌なら、俺の親でも殺せばいい」
銃を下ろして、ゆっくりと殺せんせーに近付く。
そして右手に持っていた食べかけのジェラートを、ナイフみたいに突き刺した。
「でも、その瞬間から…もう誰もあんたを先生とは見てくれない。ただの人殺しのモンスターさ。あんたという"先生"は俺に殺されたことになる」
殺すことは何も、命を奪うだけじゃない。
「はいテスト、多分全問正解。じゃあね"先生"。明日も遊ぼうね」
ぽい、と投げつけるように小テストを手渡す。そしてそのまま教室から出た。さて、明日は何をしようか。なんて、考えながら。
***
結局、何も浮かばないまま、駅の近く。飲み物を飲みながら、ある人物を待っていた。殺せんせーについて、ちょっと詳しいらしい人物を。
「……赤羽、くん?」
そこに、鈴のように優しい声がふってきた。
「まさか同じクラスだったなんてね。しかも隣の席とか。あの時はボロボロだったのに、すっかり元気そうじゃん」
あの時は、血の通っていないように真っ白だったその顔は、ほんのり血色の入ったピンク色をしていた。
相変わらず何を考えているのか分からないその目は、彷徨うことはなく俺を見ているのに、反応はなかった。
「ちょっとなに、無視?それとも――覚えてない?」
自分が思ってるよりも、焦った声が出た。
別に、他人なんて関係ないのに。それなのに、なんで、こんなに気になるのだろう。
「……あ、……病院では、ありがとうございました。えと、花宮 秋といいます。よろしく、お願いします、ね?」
「おっけー、秋ちゃんね。俺のことも、カルマでいいよ」
秋ちゃんという不思議な女の子はそれに困ったように、俯いて。そして、彼女の目が一瞬、外へ向けられる。そこに見えたのは渚君で。俺が待っていた人物でもあった。
「うっわ最悪。マジ死んでもE組に落ちたくねーわ」
頭の悪そうな奴が、渚君にそう言っていた。
俺は空き瓶を手に持って、それをそいつに向かって叩きつけた。
「えー、死んでも嫌なんだ……じゃ、今死ぬ?」
渚君にからんでいた生徒は「あっ、赤羽!!」「うわぁっ!」と言って逃げていく。
そういえば、去年、同じクラスで見たことあったような気がしたが、今となってはまるで興味がない。
「渚くん、……だ、大丈夫でしたか?」
心配そうな声で、秋ちゃんは渚君に話しかけて、手を差し伸べている。
それを横目に、気にしていない素振りで俺は笑いながら、口を開いた。
「あはは、殺るわけないじゃん」
「…花宮さん、カルマ君」
「ずっと良いオモチャがあるのに、また停学とかなるヒマないし」
あの"先生"を殺して。でも、殺したら、どうなるんだろう。何が変わるんだろう。
駅のホームに向かう途中、俺は本題に入った。
「でさぁ、渚君。聞きたいことあるんだけど、殺せんせーのこと、ちょっと詳しいって?」
渚君は歯切れ悪そうに「…う、うん。まあ、ちょっと」と肯定をした。
「あの先生さあ、タコとか言ったら怒るかな」
だけど返ってきたのはむしろタコがトレードマークだという回答。
だけど、ふっと笑みが溢れる。それは、すごくくだらないことを思いついたからだった。
「……カルマ君、次はなにを企んでんの?」
「俺さあ、嬉しいんだ。ただのモンスターならどうしようかと思ってたけど、案外ちゃんとした先生で」
ちゃんとした先生だから。
「ちゃんとした先生を殺せるなんてさ、前の先生は自分で勝手に死んじゃったからさ」
――殺しちゃったら、どうなるんだろう。
***
帰る方面の電車に乗ると、目の前には秋ちゃんがいて。混んでる車内の中、俺たちは向き合うように立っていた。
触れるか、触れないかギリギリの距離。上から見える小さくて細い身体が、揺れに反応して倒れそうにも見えた。
「混んでるけど、大丈夫?」
「え、と、はい……大丈夫、です」
緊張を含んだその声に、胸が少し痛くなる。
彼女はずっと下を向いていて、俺とは目が合わない。
「……俺のこと、怖い?」
怖いと言われたらどうしようか。
彼女の目の前で何度も、暴力を振るっている。普通の女の子なら、怖いと言われても仕方ない。
――だけど、彼女は予想もしない行動をした。
はじめて会った時と同じように、ふわりと俺の手を包み込む、小さい手。その手は氷のように冷たかった。
「……暴力は、嫌いです」
下を向いていたその顔が、こちらを向いた。
少し怯えたように揺れる瞳。震える手。
だけど、真っ直ぐにこちらを見る、秋ちゃんの瞳。
「……だけど、赤羽くんは、誰かを守れる人、だから……優しい赤羽くんは、怖くないです」
誰かを守れる。優しい。怖くない。
はじめてもらった評価に、どう受け取ったらいいか分からない。俺が優しいなんて言うのはきっと、この子は最初で最後だろう。
だけど、嘘に聞こえないその声と真っ直ぐに俺を見る目が、俺を離さない。
俺に似合わない言葉のはずなのに、秋ちゃんに言われると、心がくすぐったい。
「やっぱ、カルマって呼んでよ。秋ちゃんには、そう呼ばれたい」
だから、もっと近付きたいと思った。
もっとこの子を知りたくて、無表情以外の顔が見たい。笑わない君の笑顔が、見たい。
「……か、カルマ、くん」
小さくて、か細い声。
だけど、確かに届いた俺の名前を呼ぶ声が嬉しくて、思わず口角が上がっていた。