2330年日本国、異世界へ   作:水野芽生

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第8話:空の向こう

 

 休憩は、予定より短かった。原因は、リヴァーノ領主である。

 

「もう、よろしいでしょうか」

 

 まだ十分しか経っていない。日本側の使節団長が水を飲んでいる横で、領主は三枚目の質問紙を手に待ち構えていた。

 

 娘が父の袖を引いた。

 

「お父様」

 

「何だ」

 

「休憩という言葉の意味を、ご存じですか?」

 

「知っている。質問をしない時間だろう」

 

「その通りです」

 

「だから、十分も質問しなかった」

 

「普通は、もう少し長いものです」

 

 端の椅子で、ガルディオが笑った。

 

「閣下、海の上なら、十分休めば十分ですよ」

 

「あなたは黙っていてください」

 

 娘の返答は速かった。

 

 翻訳AIは、そのあたりの会話も、ほぼ遅延なく日本側へ伝えている。日本側の言語担当官が、小さく笑った。

 

「だいぶ分かるようになりましたね」

 

 携行端末には、こう表示されていた。

 

『一般会話:高信頼』

『政治・宗教・魔術理論:要注意』

『冗談・皮肉:推定可能』

 

 接触開始から、まだ一日余り。それでもAIは、昨日海上で交わされた会話、ネリオたちが提供した語彙、今日の群衆の発話、港務所の文書、そしてファルネの翻訳魔法の出力を、休むことなく取り込み続けていた。昨日の「単語を並べただけの奇妙な現地語」は、もうほとんど残っていない。

 

 ただし、言葉が分かることと、世界が分かることは別だった。

 

 ◇

 

「では」

 

 領主が紙を持ち上げた。

 

「日本人は空を飛べるそうですが、どのくらい高くまで?」

 

 使節団長が一瞬、科学担当を見た。科学担当は小さく肩をすくめる。

 

「どの程度まで説明しましょう」

 

「一般公開情報の範囲なら、構わないでしょう」

 

 政治担当の答えを受けて、使節団長は領主に向き直った。

 

「まず、人間自身が翼を持って飛ぶわけではありません」

 

「それは分かっています」

 

「機械に乗るのです」

 

「昨日、聞きました」

 

「航空機、と呼んでいます」

 

 翻訳AIが、現地語に近い表現を組み立てた。

 

『空を移動する機械の船』

 

「鳥のように?」

 

「方法はいくつか違いますが、結果としては」

 

「どれほど速いのです?」

 

 日本側が、一瞬黙った。

 

「民間用の普通の航空機でも、音より速いものがあります」

 

 翻訳AIが止まった。

 

『“音より速い”という概念に説明が必要』

 

 領主の眉が上がる。

 

「音より?」

 

 科学担当が、指で机を叩いた。

 

「今、この音が皆さんの耳に届くまでにも、わずかな時間がかかっています」

 

「それは知っています」

 

 ギルド代表が言った。

 

「雷光の後に、雷鳴が遅れて届く」

 

「その通りです」

 

 科学担当の顔が明るくなった。

 

「我々は、音が空気の中を進む速さを測ることができます」

 

「測れる?」

 

「はい」

 

「そして、その音より速く飛ぶと?」

 

「はい」

 

 領主は紙を置いた。

 

「……普通の乗り物が?」

 

「種類によります」

 

 娘が父を見た。父は、完全に次の質問を考えている顔だった。

 

「高さは?」

 

「通常の航空機なら、雲より遥かに高く」

 

「山より?」

 

「はい」

 

「この大陸の最高峰よりも?」

 

「十分に」

 

「では、空のどこまで?」

 

 使節団長は答えた。

 

「宇宙までです」

 

 翻訳AIが、また止まった。

 

 ◇

 

『対応概念の候補:“天の外”“星々の空間”“上天界”。宗教的な含意を避けるため、再構成します』

 

 数秒後、訳が流れた。

 

『空気がほとんど存在せず、月や星々の間へと続く空間』

 

 室内が静まり返った。領主の指が止まる。

 

「……そこへ?」

 

「はい」

 

「人が?」

 

「はい」

 

「魔法なしで?」

 

 ギルド代表が身を乗り出した。

 

「はい」

 

 また同じ質問だった。だが今回は、誰も笑わなかった。

 

 領主は窓の外を見た。昼の空に、太陽が輝いている。今は見えないが、この惑星には巨大な月がある。

 

「月へ行ったことも?」

 

 日本側は、少し答え方を考えた。

 

「我々の故郷の世界にあった月には、人類はずっと以前から到達しています」

 

「……到達」

 

「人間が降り立ち、施設を作り、活動していました」

 

 ガルディオが、ネリオを見た。

 

「今の、ちゃんと訳されてるか?」

 

「私に聞かないでください」

 

 翻訳AIは、自信満々だった。

 

『翻訳信頼度、九六パーセント』

 

「月は、地面なのですか?」

 

 娘が静かに尋ねた。

 

「はい。少なくとも我々の世界の月は、岩石でできた天体でした」

 

 科学担当が答えた。

 

「こちらの月も?」

 

「まだ調査中です」

 

「行けば、分かりますか?」

 

「観測だけでも、多くのことが分かります」

 

「行くことも?」

 

「技術的には、我々は宇宙を航行する能力を持っています」

 

 使節団長が答えた。

 

「ただし現在は、転移の直後です。宇宙の環境も以前とは異なるため、安全の確認が必要です」

 

 領主は口を開き、閉じ、また開いた。

 

「……少し、待ってください」

 

 娘が驚いた顔をした。父が、自分から質問を止めたのだ。

 

「どうなさいました?」

 

「想像が、追いついていない」

 

 ガルディオが笑った。

 

「閣下でも、そうなるんですね」

 

「君は黙れ」

 

 ◇

 

 ルメリア教の司祭は、予想よりずっと落ち着いていた。

 

「天へ上がることを、皆様の宗教は禁じなかったのですか?」

 

 今度は、日本側が答えに迷った。

 

「日本には、複数の宗教があります。また、特定の宗教を国家が強制する制度でもありません」

 

「神を信じない者も?」

 

「います」

 

 司祭は少し驚いた様子だったが、怒りはしなかった。

 

「それでも、空へ?」

 

「はい」

 

「月へも?」

 

「はい」

 

「神の領域を侵す、とは考えなかったのですか?」

 

 科学担当が答えようとしたが、使節団長が先に口を開いた。

 

「少なくとも我々の社会では、空も宇宙も、自然界の一部として理解されています」

 

「なるほど」

 

 司祭は静かに頷いた。

 

「こちらでは、異端とされることは?」

 

 使節団長の問いに、司祭は首を振った。

 

「我々の教義でも、世界を知ろうとすること自体は罪ではありません」

 

「そうなのですか」

 

 使節団長が興味を示した。

 

「ルメルは我々に理性を与えた、と教えています」

 

 翻訳AIが、新しい宗教用語を保存する。

 

「知らぬものを調べることを恐れるなら、理性を与えられた意味がない──そう考える者も多いのです」

 

「科学と、かなり相性が良さそうですね」

 

 科学担当が思わず言った。AIが、それを慎重に訳す。

 

 司祭は微笑んだ。

 

「あなた方の言う科学が何なのか、まだよく分かりませんが」

 

 ◇

 

「では」

 

 領主が、ようやく宇宙から戻ってきた。

 

「そのような機械を動かしている力は、何なのです?」

 

「電気が、非常に重要です」

 

「昨日も聞きました」

 

「電気そのものは、こちらの世界にも存在するはずです」

 

 科学担当が言った。

 

「雷がありますから」

 

「雷術もあります」

 

 ギルド代表が頷いた。

 

「……雷術」

 

 今度は、日本側の科学担当が身を乗り出した。使節団長がその袖を引く。

 

「今は、こちらが質問される番です」

 

「すみません」

 

 領主が笑った。

 

「後で、いくらでも聞いてください」

 

「ありがとうございます」

 

「それで、電気とは?」

 

 科学担当は、少し考えた。

 

「雷に含まれる現象の一部を、極めて精密に制御して、機械や照明、計算機、通信などに利用している──そう考えてください」

 

 ギルド代表の顔色が変わった。

 

「雷を……街中に?」

 

「安全に制御して、です」

 

「各家に?」

 

「はい」

 

「常に?」

 

「はい」

 

 領主が、窓の外のリヴァーノの街を見た。

 

「夜も?」

 

「もちろんです」

 

「街全体を照らせる?」

 

「はい」

 

「火を使わずに?」

 

「はい」

 

「白い船の中、昼みたいに明るかったぞ」

 

 ガルディオがぼそりと言った。誰も反論しなかった。

 

 ◇

 

「その電気は、どこから得ているのです?」

 

「いくつもの方法があります」

 

「例えば?」

 

 使節団長は、少しだけ笑った。また長くなる。

 

「太陽の光、風、水の流れ、地熱、核分裂、核融合などです」

 

 当然、最後の二つで翻訳AIが止まった。

 

『対応概念なし。説明が必要』

 

 領主が、それを聞き逃すはずもない。

 

「最後の二つは?」

 

「原子という、物質を構成している非常に小さなものがあります」

 

「原子」

 

「それを分けたり、逆に軽い原子同士を結びつけたりすると、大量のエネルギーを得ることができるのです」

 

 ギルド代表が眉をひそめた。

 

「石を割るように?」

 

「もっと、ずっと小さな段階で」

 

「どれくらい小さい?」

 

「目には見えません」

 

「魔力視なら?」

 

「……それは、我々にも分かりません」

 

 科学担当は、本気で興味を示していた。

 

「ぜひ後で、試していただきたいです」

 

 娘が父を見た。

 

「日本側にも、お父様と似た方がいるようですね」

 

「いいことだ」

 

 騎士は、まったくそう思っていない顔をしていた。

 

 ◇

 

「その、核融合というものは」

 

 領主は、新しい言葉を慎重に発音した。

 

「日本では、普通に使われているのですか?」

 

「はい。主要なエネルギー源の一つです」

 

「燃料は?」

 

「複数あります」

 

「どれくらいの量で──」

 

「申し訳ありません」

 

 使節団長が、柔らかく遮った。

 

「技術的な詳細については、この段階ですべてをお話しすることはできません」

 

 領主が止まった。騎士が日本側を見る。空気が、少しだけ変わった。

 

「なぜです?」

 

「危険な技術も含まれるからです」

 

「兵器にもなる、と?」

 

 鋭い問いだった。使節団長は、否定しなかった。

 

「利用の仕方によっては」

 

 騎士の視線が、さらに厳しくなった。

 

「日本は、その兵器を持っているのか?」

 

 政治担当が端末を見た。回答の方針は、すでに決まっている。

 

「日本には、自国を防衛するための軍事組織があります」

 

「兵器は?」

 

「あります」

 

「あの白い船より強い船も?」

 

 ガルディオが、こちらを見た。使節団長は、少し間を置いてから答えた。

 

「『いわみ』は、軍艦ではありません」

 

 室内が止まった。

 

「……何?」

 

 最初に反応したのは、ガルディオだった。

 

「違うのか?」

 

「はい」

 

「大砲があったぞ」

 

「海上警察や、沿岸警備に近い組織の船です」

 

 翻訳AIが苦戦した。

 

『海の上で法を守らせ、救難、警備、犯罪への対処を行う政府の船』

 

 ガルディオは、椅子に深く座り込んだ。

 

「じゃあ、軍艦は」

 

「詳細については、回答を控えます」

 

 騎士がガルディオを見た。

 

「昨日、聞かなかったのか」

 

「聞いた。答えなかった」

 

「なぜ報告書に大きく書かなかった」

 

「書いただろ。“軍事情報は喋らん”って」

 

「もっと目立つように書け!」

 

 ◇

 

 領主は、笑わなかった。

 

「一つ、はっきりお聞きしておきたい」

 

 これまでとは、声が違った。好奇心だけではない。地方を治める者の声だった。

 

「日本は」

 

 彼は、言葉を選んだ。

 

「ヴァレシアを、征服するつもりがありますか」

 

 AIは、ほとんど迷わずに訳した。室内にいた全員の視線が、日本側に集まる。使節団長も姿勢を正した。

 

「ありません」

 

 即答だった。騎士は表情を変えない。

 

「日本政府は現在、自国民の安全確保と、この世界の状況把握、そして周辺の方々との平和的な関係の構築を優先しています」

 

「領土を要求しないと?」

 

「現時点で、その意図はありません」

 

「“現時点で”?」

 

 娘が、その言葉を拾った。使節団長は慎重に答えた。

 

「外交官として、未来永劫について無責任な約束はできません。しかし少なくとも、現在の日本政府に、ヴァレシア王国を征服する政策はありません」

 

 騎士が初めて、ほんのわずかに頷いた。領主も、真剣な顔で日本人たちを見つめている。

 

「我々が弱いから、そうおっしゃっているのでは?」

 

「強いか弱いかに関係なく、他国の主権を尊重することが、我々の基本方針です」

 

「主権」

 

 AIが補足した。

 

『自らの土地と政治を、自ら決める権利』

 

「自ら決める権利」

 

 領主の娘が、その言葉をゆっくりと繰り返した。

 

「はい」

 

 その言葉が、この王国でどれほど重い意味を持つのか──日本側は、まだ知らなかった。ヴァルガニア帝国とベルカディア商王国、条約、港、そして圧力。リヴァーノが、そのはざまで生きていることも。

 

 ◇

 

「では、今度はこちらから質問してもよろしいですか?」

 

 使節団長が言うと、領主の表情がぱっと明るくなった。

 

「もちろんです」

 

「答えられる範囲で、です」

 

 娘がすぐに付け加えた。

 

「分かっている」

 

「毎回言う必要がありますか?」

 

「君が毎回言うからだ」

 

 日本側の政治担当が、最初の質問を出した。

 

「ヴァレシア王国について、基本的なことを教えていただきたいのです」

 

「何から?」

 

「まず、この国を統治している方について」

 

「国王陛下です」

 

「お名前は?」

 

「アルヴェリオ三世陛下」

 

 日本側の端末に、その名が記録された。

 

「リヴァーノ領は、国王から領主閣下に任されているのですか?」

 

「大まかには」

 

 領主が答えた。

 

「だが、土地のすべてが私の私有物というわけではない。都市には都市の権利がある。教会にも、商会にも、村にも、それぞれ古くからの権利がある」

 

 政治担当が、一瞬止まった。

 

「かなり複雑ですね」

 

「あなた方に言われたくはありません」

 

 領主が即答した。翻訳AIが『軽い皮肉』と表示した。

 

 ◇

 

「周辺国との関係は?」

 

 その問いに、娘の目がわずかに細くなった。騎士も日本側を見る。

 

 ここから先は、歴史ではない。政治だ。

 

「ヴァレシアは、小さな王国です」

 

 領主が答えた。

 

「人口百九十万人、でしたね」

 

「そう」

 

「近隣には?」

 

「多くの国があります」

 

 領主は、机の上に大きな紙を広げさせた。

 

 亜大陸東部の地図だった。日本側が初めて目にする、現地の人々自身が描いた地図だ。海岸線、山脈、河川、国境、そして文字。その中に、リヴァーノのある半島が東へ突き出していた。

 

「ここが、我々です」

 

 領主の指が、半島を示した。

 

「北東から北にかけてがベルカディア商王国」

 

 指が、別の領域へ動く。

 

「西から南西へ、影響を伸ばしているのがヴァルガニア帝国です」

 

 日本側のAIが、名称を記録した。

 

「仲が悪いのですか?」

 

「それは」

 

 娘が答えた。

 

「簡単すぎる表現です」

 

「ヴァルガニア帝国は強い」

 

 騎士が続けた。

 

「軍事的に、ですか?」

 

「軍事、経済、人口、すべてにおいて」

 

「ヴァレシアとの関係は」

 

 一瞬の間があった。

 

「友好国ではない」

 

 騎士はそう答えた。領主が横から付け加える。

 

「ただし、現在戦争中というわけでもない」

 

 日本側の政治担当は、その言い回しを記憶に刻んだ。

 

 ◇

 

「ベルカディア商王国は?」

 

「友好的です」

 

 娘が答えた。

 

「ですが、無条件の友人ではありません」

 

「利益がある、と?」

 

「国家ですから」

 

 使節団長が微笑んだ。

 

「その点は、我々の世界と変わりませんね」

 

「安心しました」

 

「皆さん、それをよくおっしゃいますね」

 

 ◇

 

 次は、科学担当の番だった。

 

「魔法について、伺いたいのです」

 

 ギルド代表が、待っていましたと言わんばかりに姿勢を正した。

 

「どのくらいの人が、魔法を使えるのですか?」

 

「“使える”の意味によります」

 

 その答えは、日本側の予想していなかったものだった。

 

「まったく才能のない人は?」

 

「います」

 

「少しなら?」

 

「かなり多い」

 

「職業としてなら?」

 

「もっと少ない」

 

「訓練で伸びますか?」

 

「もちろん」

 

「遺伝しますか?」

 

「ある程度は」

 

「環境は?」

 

「影響します」

 

「食事は?」

 

「影響する場合があります」

 

「年齢は?」

 

「幼いころから適性は見えますが──」

 

 今度は、日本側の科学担当の質問が止まらなくなった。領主が嬉しそうに娘を見る。

 

「ほら」

 

「何がです」

 

「私だけではない」

 

「安心しないでください」

 

 ◇

 

 数十分後、窓の外で誰かが鐘を鳴らした。時を告げる鐘だった。

 

 使節団長が時刻を確認すると、会談開始からすでに四時間近くが経っていた。当初の予定は九十分。完全に崩壊している。

 

 領主の質問紙は、まだ残っていた。日本側の質問も増える一方だ。

 

「今日は、ここまでにした方が」

 

 娘が言った。領主は不満そうな顔をしたが、今度は日本側の科学担当まで、少し残念そうだった。

 

 使節団長が笑った。

 

「続きは、また改めてお願いできますか」

 

「もちろんです」

 

 領主は即答した。

 

「明日でも」

 

「日程は、双方で調整いたします」

 

 騎士が割って入った。

 

「……そういうことです」

 

 ◇

 

 会談が終わり、日本側が席を立った。最後に、領主がもう一度口を開いた。

 

「一つだけ」

 

 娘が父を見る。

 

「本当に、一つだけだ」

 

「どうぞ」

 

 領主は窓の外の、青い空を指さした。

 

「あなた方が月へ行けるというのなら」

 

 少し間を置いて、彼は尋ねた。

 

「この世界の月にも、いつか行くおつもりですか?」

 

 使節団長は、すぐには答えなかった。科学担当を見て、政治担当を見て、それから領主に視線を戻す。

 

「必要があり、安全に行けると分かれば」

 

 翻訳AIが、静かに訳していく。

 

「行く可能性はあります」

 

「そうですか」

 

 領主は空を見上げた。その声だけは、好奇心というより、憧れに近かった。

 

 ◇

 

 同じころ、リヴァーノ沖。

 

 巡視船「いわみ」のOICでは、上陸班から送られてくる情報の整理が続いていた。

 

 ヴァレシア王国。人口百九十万。国王アルヴェリオ三世。周辺の大国A、海洋商業国B。複数の知的種族、魔術師ギルド、ルメリア教、魔法、そして政治情勢。

 

『現地側は日本を、単なる漂着集団ではなく、国家として認識し始めている』

 

 三浦は、その要約に目を通した。

 

「そりゃあ、そうなるか」

 

「八千三百万人ですものねぇ」

 

 高瀬が横から言った。

 

「それを最初に教えたのは、早すぎたかもしれんな」

 

「隠しても、すぐに分かりますよ」

 

 神谷は、別の情報を見ていた。

 

「ヴァルガニア帝国、ですか」

 

「気になるか」

 

「はい」

 

 画面には、現地の手描きの地図を日本側のAIが補正したものが表示されていた。神谷は、それを指で拡大した。

 

「これ、ヴァレシアだけ見ていれば済む話じゃなさそうですね」

 

 三浦は、何も答えなかった。

 

 白い巡視船の向こうには、リヴァーノの石造りの街がある。さらにその背後には、日本がまだ見たことのない大陸が続いている。

 

 今日、日本は一つの港町と話した。明日は王国と、その次は周辺の国々と。そしてやがては、この世界そのものと話すことになるだろう。

 

 その最初の扉が、ようやく開いたばかりだった。

 

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