翌朝のリヴァーノは、昨日とは違う意味で騒がしかった。
日本人が来たから、ではない。いや、それも間違いなく理由の一つではあった。だがこの港町には、それ以前から予定されていた大仕事があったのだ。
東海祭。初夏のリヴァーノで毎年行われる、海と船乗りの祭りである。
市場通りには朝早くから色とりどりの布が渡され、運河に架かる石橋には、花や海鳥をかたどった飾りが取り付けられていた。停泊中の漁船には青、白、橙の細長い旗が並び、港湾労働者たちは、普段なら荷役に使う木造クレーンにまで飾り紐を巻きつけている。
その光景を、日本側の使節団は港務所二階の窓から眺めていた。
「昨日より、人が増えてません?」
言語・文化担当官が言うと、携行端末が即座に答えた。
『市街中心部の推定人口密度、昨日同時刻比で一・三七倍。周辺地域からの流入と推定』
「祭りのせいでしょう」
政治・地域分析担当が、机の上の予定表に目を落とした。
「人口一万八千の街が、祭りの期間中は二万五千から三万くらいまで膨らむそうです」
「それ、昨日知りたかったですね」
「昨日は、領主閣下の質問に答えるだけで四時間使いましたから」
「今日は、こっちが質問する番ですよ」
科学担当が嬉しそうに言った。使節団長が釘を刺す。
「質問はしてください。ただし、町全体を研究試料みたいに見ないように」
「分かってます」
「昨日、窓の外で火を出していた人を、十五分くらい追跡してましたよね」
「日常魔法の使用例として、非常に貴重だったので」
「そういうところです」
◇
この日の市内視察は、リヴァーノ側から提案されたものだった。日本側がヴァレシアについて質問したいのなら、口で説明するより見せた方が早い──領主はそう主張したのである。
もちろん、領主本人も同行しようとした。そして、もちろん止められた。
「なぜだ」
「昨日、四時間も会談なさいました」
「今日は質問しない」
「絶対になさいます」
「見るだけだ」
「絶対に質問なさいます」
結局、案内役を務めることになったのは領主の娘だった。それに、昨日から顔馴染みになったネリオと港務官、都市警備兵、魔術師ギルドから一名、教会から若い司祭が一名加わった。
日本側は、使節四名と検疫官一名、護衛四名。昨日より少し人数を減らしている。十二人以上の外国人集団が街中をぞろぞろと歩くよりは、その方がいいという判断だった。
もっとも──。
「日本人だ」
「来たぞ!」
「あれ、昨日の人?」
「全員サピエンスなの?」
どれだけ人数を減らしても、目立つものは目立った。
◇
港務所を出て、一行が最初に向かったのは市場だった。
運河沿いの広場いっぱいに、露店が並んでいる。魚、野菜、豆、香草、パン、油、酒、乾物、陶器、織物、金物──ありとあらゆる品が所狭しと置かれていた。
朝獲れたばかりの魚を台に並べる者の横では、小柄なドワーフ系の職人が包丁を売っている。少し離れた店では、獣人系の女性が香辛料を量っていた。その隣では、長い耳を持つ老人が果物を値切っている。
昨日、日本人たちに衝撃を与えた「複数の知的種族」は、今日はただ買い物をしていた。
科学担当が足を止めた。
「……普通ですね」
翻訳を待ってから、領主の娘が尋ねた。
「何がです?」
「いえ」
科学担当は、少し言葉を選んだ。
「昨日は、皆さんを見て非常に驚いたものですから」
娘は周囲を見回した。人間、エルフ、小柄な種族、獣の耳を持つ者。
「種族のことですか?」
「はい」
「皆様の国には、本当に一種しかいないのですね」
「知的種族としては」
娘は、逆に不思議そうな顔をした。
「それはそれで、変わった世界ですね」
科学担当は、何も言えなくなった。
日本人がこの世界を奇妙だと思うのと同じだけ、この世界から見れば、日本もまた奇妙なのだ。
◇
市場の一角で、突然、小さな火が灯った。
日本側の護衛の視線が、一斉にそちらへ向く。
火を点けたのは、屋台の主人だった。指先に灯した小さな橙色の火を、炭へと移す。炎が上がると、主人は何事もなかったかのように魚を焼き始めた。
科学担当の端末が、即座に記録を取る。
『未知エネルギー変動を検出。発生時間〇・八秒。熱量推定──』
「ほら」
使節団長が言った。
「何です?」
「研究試料みたいに見てる」
「でも、今のは明らかな発火現象ですよ」
娘が笑った。
「あれくらいなら、子供でもできる者は多いですよ」
科学担当が止まった。
「子供でも?」
「才能があれば」
「何歳くらいから?」
「だから、質問攻めにしないでください」
使節団長に注意される。昨日の領主と、すっかり立場が逆転していた。
◇
市場を抜けるころ、もっと深刻な問題が発生した。匂いである。
「……これは反則でしょう」
言語担当官が呟いた。
屋台の大鍋の中で、魚介と、玉葱に似た野菜、赤い実、香草が油とともに煮込まれ、盛大に湯気を上げている。昨日から日本側が何度か目にしている、リヴァーノ名物の魚介煮込みだった。
その隣では、薄い平焼きパンにチーズと野菜、塩漬けの魚を載せて焼いている。さらに、蜂蜜を絡めた木の実の菓子まであった。祭りの前ということもあって、普段以上に食べ物が多い。
「検疫官さん」
「駄目です」
「まだ何も言ってません」
「顔で分かります」
会話の意味を聞いた領主の娘が、笑った。
「まだ、こちらの食事は召し上がれないのですか?」
「申し訳ありません」
検疫官が答えた。
「毒などを疑っているわけではなく、微生物やアレルギー、代謝上の問題を調べている最中なのです」
「昨日より、詳しいご説明になりましたね」
「翻訳が良くなりましたから」
事情を聞いた屋台の主人は、少し残念そうな顔をした。
「じゃあ、せめて匂いだけでも覚えて帰れ」
その言葉が訳されると、日本側の言語担当官は笑った。
「これは、確実に覚えます」
◇
次に向かったのは、魔術師ギルドだった。日本側の科学担当の希望である。
建物そのものは、想像していたほど神秘的ではなかった。三階建ての石造建築で、入口には杖と円環を組み合わせた看板が掲げられている。中には受付と待合室があり、掲示板には求人票や試験の予定、講習会の日程、事故報告などが張り出されていた。
「……職業紹介所みたいですね」
「実際、その役割もあります」
案内役のギルド魔術師が答えた。
「治癒術師を募集する村、船に乗る航海魔術師を探す商会、建築術師を雇いたい工房。そうした依頼を仲介しているのです」
「免許制度も?」
「免許?」
翻訳AIが概念を調整する。
『公的に職業能力を認め、一定の業務を行うことを許す資格』
「ああ。それならあります」
壁には、木札と紙がずらりと並んでいた。
「事故を起こした術師の処分も?」
「もちろんです」
日本側の政治担当が、思わず科学担当を見た。
「思っていたより、制度化されてますね」
「そりゃあ、プロの魔術師が六万人以上いる国なら……」
「今のその数字は、推定ですよ」
「そうでした」
別室では、十代半ばほどの少年少女たちが訓練をしていた。
机の上には、水の入った容器が置かれている。教師が何か説明し、一人の少女が両手をかざした。
水面が揺れた。やがて水は丸い塊となって浮き上がり、十センチ、二十センチと高さを増していく。そのままゆっくりと横へ移動し、隣の容器へと落ちた。
日本人たちは、言葉を失っていた。
その視線に気づいた少女が、集中を切らした。水が盛大に机の上へこぼれ、教室に笑いが起きる。
「ごめんなさい」
日本側の科学担当が、本気で申し訳なさそうに頭を下げた。少女は、耳まで真っ赤になっていた。
◇
「これは、何の訓練なのですか?」
「基礎制御です」
「戦闘用ではなく?」
「違います」
ギルド魔術師が笑った。
「水運び、火、消毒、保存、身体強化。まずは、安全に使えるようになることを覚えるのです」
「戦闘魔法は?」
「必要な者だけが、もっと後で学びます」
日本側の科学担当は、端末に記録した。
『魔法教育=軍事訓練ではない。生活技能・職業技能として体系化されている』
昨日まで、日本側では「魔法」という言葉を使うたびに、どこか「特殊能力」という響きがついて回っていた。
だが、この街では違う。
文字を学び、計算を学び、船の操り方を学び、傷の治し方を学び、火の灯し方を学ぶ。その延長線上に、魔法がある。超常の力ではない。社会の一部だった。
◇
ギルドを出ると、一行は教会付属の治癒院へ向かった。ルメリア教の施設で、入口には円環の中央に炎を描いた印が掲げられている。
院内は明るかった。石壁に大きな窓、清潔な布、薬草の匂い。
日本側の検疫官の顔つきが変わった。専門家の顔だった。
「患者を分けていますね」
「病気ごとに?」
「いや、少なくとも、感染性が疑われる患者を別室にしている」
検疫官は、案内してくれた治癒師に尋ねた。
「手を洗う場所が多いのは?」
「患者から患者へ、病を移さないためです」
検疫官は頷いた。
「消毒は?」
「煮沸、酒精、薬液、それに浄化術です」
「浄化術?」
「ご覧になりますか?」
使節団長は、嫌な予感を覚えた。だが検疫官は、もう頷いていた。
◇
治癒師は金属の器具を台に置き、その上に手をかざした。
淡い白光が広がり、日本側のセンサーが反応する。
『未知現象を検出』
数秒後、光が消えた。
「これで?」
「微生物や、腐敗の原因になるものを、大きく減らすことができます」
検疫官の顔から、表情が消えた。
「……効果を、測定させていただいても?」
「もちろん」
科学担当まで寄ってきた。使節団長は諦めた。
小型の無菌採取器を使い、術の前後で器具の表面から試料を採取する。数分後、端末に結果が表示された。
検疫官と科学担当が、同時に黙り込んだ。
「どうでした?」
治癒師が尋ねた。
「非常に」
検疫官は、言葉を選んだ。
「効果があります」
菌の量、芽胞、そして未知の微生物。完全ではない。だが、どれも明確に減っていた。
「……原理は?」
「浄化術です」
「その、浄化術の原理です」
「魔力で、不浄なものを除くのです」
「魔力は、どうやってそれを区別しているのですか?」
「術者が──」
二人の会話が、どんどん加速していく。領主の娘が、使節団長を見た。
「止めますか?」
「少しだけ、好きにさせましょう」
昨日、領主を止め続けていた彼女が、少し笑った。
「そちらも、大変ですね」
「お互い様のようです」
◇
昼過ぎ、一行は運河を渡り、造船所へ向かった。
リヴァーノの造船所は、ヴァルカッサほど大きくはない。それでも、沿岸商船や漁船、軍用の小型船を建造することができる。
船台では、新しい帆船が組み立てられている最中だった。竜骨に肋材が組まれ、厚い板が張られていく。木工職人、鍛冶職人、縄職人、そして魔術師たちが、それぞれの持ち場で働いていた。
技術者ではなく外交使節であるにもかかわらず、日本側の全員がしばらく見入っていた。
「木造船って、こうやって造るんですね」
護衛の一人が呟いた。
「博物館でなら、見たことありますけど」
巨大な木材を、数人がかりで運んでいる。その横で、小柄で極端に頑丈な体格の職人が、木材の端に手を当てた。その身体の周囲で、センサーの値が跳ね上がる。職人はそのまま、本来なら数人がかりの材木を一人で持ち上げてみせた。
「身体強化……」
科学担当が呟いた。現地の人々にとっては、何でもない作業だった。
◇
造船所の棟梁は、日本側の一行を見るなり尋ねてきた。
「あの白い船は、本当に木を使ってないのか?」
直球の質問だった。
「主要な構造には、使っていません」
「鉄か?」
「金属を中心とした、複数の材料です」
「それで沈まないのか?」
日本側の言語担当は一瞬笑いそうになったが、すぐに真面目に答えた。
「船の内部に、水より軽い空間が大量にあるため、全体として浮力を得ているのです」
棟梁は黙り込み、地面に指で簡単な船体の断面を描いた。外殻と、内部の空間。
「つまり、材料が水より重くても、船全体の体積で考えるということか?」
今度は、日本側が驚く番だった。
「その通りです」
「なら、理屈は木造船と同じだ」
「基本的な原理は」
「なるほど」
棟梁は、満足そうに頷いた。
未来の人間から見れば、前近代的な造船所かもしれない。だが、そこで働く人々が愚かなわけではない。使える材料と技術が違うだけだった。
◇
午後になると、街全体がはっきりと祭りの顔に変わっていった。
商店は通常の営業を早めに切り上げ、子供たちが色布を持って走り回る。広場には簡易の舞台が組まれ、港には競漕用の細長い艇が並べられ、酒樽が次々と運び込まれていく。
そして運河沿いのあちこちに、小さな透明の球が吊るされ始めた。
「照明ですか?」
言語担当官が尋ねた。
「夜になれば、分かります」
領主の娘は、それだけ答えた。
◇
夕暮れ。日本側の一行は、港を見下ろす小高い丘へ案内された。
ここからは、岬に立つ魔法灯台がよく見える。リヴァーノの海は橙色に染まり、沖を行く帆船が黒い影になっていた。
そのさらに向こうに、肉眼では小さくしか見えないが、白い「いわみ」が浮かんでいた。
「まだいるな」
いつの間にか合流していたガルディオが言った。
「そりゃあ、いますよ」
ネリオが答える。
「ミウラは?」
「船長は、船に残っています」
日本側の言語担当が答えると、ガルディオは明らかに残念そうな顔をした。
「酒を飲ませようと思ってたのに」
「まだ検疫中です」
「またそれか」
「健康のためです」
「酒も健康のためだ」
翻訳を聞いた検疫官が、即座に首を振った。
「それは支持できません」
◇
日が沈み、最初の鐘が鳴った。
街のざわめきが、少しずつ静まっていく。二度目の鐘、そして三度目の鐘。
岬の灯台の上部では、昼間は暗かった巨大な水晶状の構造物に向かって、魔術師たちが手をかざしていた。
日本側のセンサーが、一斉に反応した。
『未知エネルギー密度、上昇』
淡い光が灯った。最初は青く、次に白く、そして金色へと変わっていく。光は膨らみ、海の上へと長く伸びていった。
日本人たちは、誰一人として言葉を発しなかった。
リヴァーノの住民にとっては、毎年見慣れた光景だ。だが日本側にとっては違う。電球ではない。レーザーでもない。ホログラムでもない。未知の自然法則を利用して、人間が生み出している光だった。
だが、不思議なのはそれだけではなかった。
◇
運河沿いに吊るされていた透明な球が、一つ、また一つと光り始めた。青、緑、橙、淡い紫。
石橋に並んだ子供たちが手をかざすと、小さな光の球が水面に浮かび、風に揺れながら流れていく。広場では若い魔術師が、鳥の形をした光を空へ飛ばしていた。別の場所では、魚や星、花の形をした光が生まれ、夜の街を漂っていく。
「何かの術式実験ですか?」
科学担当が尋ねると、領主の娘は笑った。
「飾りです」
「……飾り」
「綺麗でしょう?」
科学担当は、しばらく光を見つめていた。手元の端末には、センサーの大量のデータが流れ続けている。
だが彼は、その端末を閉じた。
「はい。綺麗です」
◇
その瞬間、日本側は初めて理解したことがあった。
魔法は、兵器ではない。動力でもない。治療法でもない。研究対象ですらない──少なくとも、それだけではない。
子供たちが遊び、恋人たちが眺め、船乗りが祈り、死者を偲び、祭りを彩る。それが魔法だった。
日本人にとっての電気が、単なる電磁現象ではないように。リヴァーノの人々にとっての魔法もまた、ただの自然現象ではない。
──それは、文化だった。
◇
驚いていたのは、日本側だけではなかった。
広場の端で、十歳くらいの少年が日本人たちを見ていた。少年が手のひらに小さな光の球を浮かべると、日本側の科学担当が目を丸くしてそれを見つめた。
少年は、少し得意になった。
光を二つに増やす。日本人がさらに驚く。三つ、四つ──最後の一つが弾けて、少年は慌てた。周囲から笑い声が上がり、科学担当も一緒に笑った。
「本当に、魔法を見たことないの?」
少年が、隣の母親に訊いた。翻訳端末が、その声を拾った。
科学担当はしゃがみ込み、直接触れない距離を保ったまま答えた。
「昨日まで、一度も」
「一度も?」
「一度も」
少年は、信じられないという顔をした。
「かわいそう」
その言葉が訳された瞬間、科学担当は固まった。周囲で、また笑いが起きる。
「……そういう評価になるのか」
使節団長が、その肩を叩いた。
「未知文明の研究、勉強になりますね」
「ものすごく」
◇
やがて、音楽が始まった。弦楽器、笛、太鼓。街のあちこちで、人々が踊り始める。
まだ本祭ではない。今日は前夜で、明日が東海祭の本番だった。それでもリヴァーノの夜は、昨日とはまるで別の街のように明るかった。
日本側の使節団長は、沖を見た。
白い「いわみ」の船体には、日本の灯火が点っている。電気の光だ。そして街には、魔法の光。二つの文明の灯りが、同じ海に浮かんでいた。
領主の娘も、同じ方角を見ていた。
「不思議ですね」
「何がですか?」
「あなた方の船の光です。魔力がないのに、ずっと消えない」
使節団長は、リヴァーノの街を見た。
「こちらからすると、皆さんの方が不思議です」
「そうでしょうね」
二人は、少しだけ笑い合った。
◇
そのころ、沖合の「いわみ」の艦橋では、三浦と高瀬、神谷が、望遠映像でリヴァーノの様子を見ていた。夜の海岸に、無数の灯りがきらめいている。
「増えましたねぇ」
高瀬が言った。
「電力消費は──」
言いかけた神谷を、高瀬が見る。
「……違いますね。魔力消費、ですか?」
「それも分かりませんよ」
OICでは、未知エネルギーの観測値が跳ね上がっていた。研究部門は大喜びだろう。
だが三浦は、それよりも港に浮かぶ小さな灯りを見ていた。
「祭りだそうだ」
「明日が本番でしたっけ」
「ああ」
「行きたかったですねぇ」
高瀬が微笑んだ。
「勤務だ」
「分かってますよ」
神谷が画面を拡大した。
「船長」
「何だ」
「灯台です」
岬の魔法灯台の光が、色を変えていた。これまで海上へ向けられていた光が、ゆっくりと東へ──「いわみ」の方向へと向きを変えていく。
神谷の表情が変わった。
「高エネルギー反応」
「警戒しろ」
三浦が即座に言った。
「ただし、武器は向けるな」
「了解」
艦内の空気が、一瞬で張り詰めた。高瀬も穏やかな表情のまま、兵装情報を確認している。
光が強まっていく。
そして、一本の青白い光が海を渡った。
光は「いわみ」の手前、数百メートルほどの海面を照らし、そこでゆっくりと円を描いた。攻撃ではない。何かの図形だ。
続いて、リヴァーノ側から通信が入った。翻訳AIが解読する。
『東海祭前夜の、海上安全祈願。リヴァーノ領主府より、日本船いわみ、およびその乗員の航海の無事を祈る』
艦橋が静まり返った。
「……安全祈願」
神谷が言った。
「そうらしいな」
三浦が答える。高瀬は、窓の外を見ていた。
「きれいですねぇ」
神谷はセンサーの表示を見る。
「観測値は、全然きれいじゃないですけどね」
「そういうこと言わない」
三浦は、少しだけ笑った。
「返信できるか」
「はい」
通信担当が答えた。
「何と送りますか?」
三浦は、一瞬考えた。
「難しくする必要はない」
日本語で吹き込まれた言葉を、AIがヴァレシア語に変換し、外部へ送信する。
『リヴァーノの皆様の祈りに、感謝します』
少し間を置いて、もう一文。
『皆様の船もまた、安全に海を航れることを願います』
◇
街では、その返答を聞いたガルディオが笑っていた。
「海の男らしい返事じゃないか」
「船長本人が言ったかどうか、分かりませんよ」
隣でネリオが言う。
「ミウラだ」
「なぜ分かるんです?」
「勘だ」
「またですか」
「五十年も海で生きてりゃ──」
「その話、もう聞きました」
◇
前夜祭の光が、水面に揺れていた。
ほんの二日前まで、この海の東と西には、互いの存在すらなかった。片方は魔法を知らず、片方は科学という言葉を知らない。片方は八千三百万人の国家を築き、片方は帆と石と魔法で港町を営んでいた。
だが今夜、同じ海の上で、両者は互いの航海の無事を祈っていた。
明日は、東海祭の本祭だ。
リヴァーノ側はまだ知らない。日本人が初めて、自分たちの食べ物を口にできるかもしれないことを。
日本側もまだ知らない。祭りには競漕も、魔法の試合も、船乗りたちの馬鹿騒ぎもあることを。
そして、この小さな港町で生まれ始めた交流の噂が、すでに別の国へ向かう商船に乗り、海の向こうへと運ばれ始めていることも。
日本という名は、もはやリヴァーノだけの秘密ではなかった。