王都ヴァレシアスに最初の報が届いたのは、リヴァーノで日本人たちが祭りの灯を眺めるより前のことだった。
最初の報告は、短かった。
長距離の通信魔法は便利ではあるが、何でも送れるわけではない。大量の文章や精密な絵図を送るのには向かず、伝えられるのは簡潔な定型文と重要な事項が中心になる。
その日、王宮の通信室に記録された文章は、次のようなものだった。
『東方海域に未知国家出現』
『国号、日本』
『高度な非魔法技術を保有』
『人口、自称八千三百万』
『敵対行動なし』
『リヴァーノ領主、日本国政府使節と接触』
通信官は最後の行を三度確認してから、王宮書記官に渡した。書記官も、三度確認した。
その紙は、通常の外交報告よりはるかに速く、宮殿の奥へと運ばれていった。
◇
「八千三百万」
アルヴェリオ三世は、朝食の途中でその報告を読んだ。
五十一歳。ヴァレシア王国の国王である。細身で、左脚には古い戦傷があり、長く歩くとわずかに歩調が乱れる。威厳を演出するような王ではない。だが彼が黙ると、周囲の者も自然と黙った。
「誤報の可能性は?」
王の第一声は、それだった。
「当然、ございます」
侍従長が答えた。
「どの程度だ」
「判断できません」
「よろしい」
アルヴェリオは紙を置いた。
「では、誤報である場合と、正しい場合の両方を考える」
侍従長が、一瞬だけ瞬きをした。
「陛下」
「何だ」
「……もう少し、お疑いになるかと思いました」
「疑っている」
「ですが」
「疑うことと、無視することは違う」
王は、パンを一口かじった。
「リヴァーノ領主が酒に酔って、八千三百万と書いた可能性は?」
「低いかと」
「ガルディオという船長は?」
「酒には酔うそうです」
「報告を書いたのは、その男か?」
「書記と領主府です」
「なら、その線は薄い」
侍従長は、返事に困った。アルヴェリオは、再び報告に目を落とす。
「国号、日本」
「はい」
「聞いたことは?」
「ございません」
「古文書は」
「現在、照会中です」
「B国の航海記録は」
「確認を要請いたします」
「A国の秘密植民地という線は」
「可能性としては」
「八千三百万人を、秘密に?」
「……難しいかと」
「そうだろうな」
王は、淡々としていた。
世界の常識から外れた話だからといって、最初から否定するつもりはなかった。ヴァレシアは、そんなことができるほど安全な国ではない。
小国の統治者にとって、「そんなものは存在しない」という判断は、それだけで一つの賭けになる。存在しなければ、笑い話で済む。だが、存在した場合──笑っていた側が死ぬのだ。
◇
正午前には、王宮の小評議会が招集された。
大評議会ではない。情報が少なすぎるからだ。だが、放置するには事が大きすぎた。
集まったのは、国王、王太子ルヴェリオ、王女アレシナ、第二王子セルディオ、宰相、財務官、軍務長官、王室外交官、宮廷魔術師長、ルメリア教の首座大聖堂から派遣された高位聖職者が一名。そして、王妃エレヴィナである。
「それで」
最初に口を開いたのは、王太子ルヴェリオだった。二十八歳。父より体格がよく、軍服がよく似合う。
「東の海から、人口八千三百万の国が突然生えてきたと?」
「現在の第一報を、そのまま読めば」
宰相が答えた。
「それを信じろと?」
「信じる必要はない」
アルヴェリオが言った。
「だが、事実だった場合の準備は必要だ」
ルヴェリオは父を見た。
「リヴァーノ領主が何かを誤認している可能性の方が、高いでしょう」
「そうかもしれん」
「では」
「だが、あの男は愚かではない」
王女アレシナが、少し笑った。二十五歳。外交と法に強く、父によく似た目をしている。
「変わった方ではありますけれど」
「そこは否定しない」
アルヴェリオも認めた。
「だが、未知の船を見つけたからといって、海魔を国家と呼ぶような男ではないだろう」
「異世界から来た、という部分は?」
軍務長官が尋ねた。王は肩をすくめる。
「分からん」
「陛下」
「“別の世界”が本当かどうかは、後回しだ」
王は、指で報告書を叩いた。
「重要なのは、東の海に、我々の知らない大規模な勢力が現れた可能性があることだ」
「しかも、その勢力がリヴァーノと話している」
王妃エレヴィナが、静かに言った。
「そうだ」
「なら、その存在そのものが、もう外交問題ですね」
王は妻を見た。
「その通りだ」
◇
一番落ち着いていられなかったのは、セルディオだった。
十八歳。魔法、天文学、地理、古代文明──要するに、今回の報告に含まれる要素が、すべて彼の好物だったのである。
「非魔法技術、というのは、具体的に何なのです?」
彼は宮廷魔術師長に尋ねた。
「分かりません」
「船が、魔法を使わずに動くと?」
「報告には、そうあります」
「帆は?」
「ない、と」
「櫂は?」
「ない、と」
「魔石は?」
「確認されていません」
「では、何で動いて──」
「殿下」
王妃が口を挟んだ。
「魔術師長を追い詰めても、答えは出ませんよ」
「ですが、母上」
「あなたが聞きたいことは、たぶん、ここにいる全員が聞きたいことです」
セルディオは少しだけ黙った。三秒ほどだった。
「月まで行けるかどうか、聞いてみたいです」
今度は、アレシナが弟を見た。
「なぜ、そこまで話が飛ぶの?」
「非魔法技術が高度なら、当然でしょう」
「当然ではないわ」
「当然です」
「あなたの中では、ね」
アルヴェリオが、珍しく小さく笑った。
「その質問は、覚えておけ」
「では、私がリヴァーノへ──」
「駄目だ」
即答だった。
「まだ何も言っていません」
「お前が何を言うかは分かる」
「父上まで」
◇
午後になって、第二報が届いた。
今度は、少し長かった。海上で最初に日本側と接触した船員たちの報告である。
白い巨大な船。全長はおよそ百歩。三十数名程度で運用されている。帆も、櫂も、外輪もなく、煙も出していない。船内は常に明るく、扉がひとりでに動き、内部の空気を冷やす装置がある。高速で走る小艇。未知の言語を急速に学習していく機械。
そして、日本側が自称する人口──八千三百万。
「百歩の船を、三十人で?」
軍務長官が言った。今度は、誰も笑わなかった。
「その人数なら、こちらの中型帆船より少ない」
「機械が、仕事を代わりに行っているそうです」
宰相が報告を読み上げると、財務官の表情が変わった。
「もし、それが事実なら」
「何だ」
国王が尋ねた。
「軍事以前に、経済の構造が違いすぎます」
「説明しろ」
「人間一人が行える仕事の量が、我々とは桁違いなのかもしれません」
財務官は紙に目を落とした。
「三十人であの大きさの船を動かせるのなら、港湾でも、工房でも、農業でも、同様の技術を使っている可能性があります」
「人口八千三百万」
王妃が言った。
「しかも、その人口を養えている」
「そこです」
財務官が頷いた。
アルヴェリオの顔が、わずかに険しくなった。武器よりも先に、そこを見る。それが、この王の性格だった。
「国の力は、兵士の数だけではない」
誰に言うともなく、王は呟いた。
「食わせ、運び、作り、税を集め、命令を隅々まで届かせられるかどうかだ」
それは、彼自身がヴァレシアを中央集権化しようとしている理由でもあった。
地方ごとに税制が違う。道路の整備は領主の都合次第。戦争になれば、兵士を集めるだけで何週間もかかる。若いころに経験した戦争で、それがどれほど多くの人を死なせるのかを、彼は知っていた。
「八千三百万人を、機械で支える国か」
アルヴェリオは低く言った。
「本当なら、怖いな」
「やはり、軍事的な脅威だと」
ルヴェリオが父を見た。
「違う」
「では」
「国家として、強いということだ」
王は答えた。
「軍艦の砲が何門あるかより、その方がよほど重要だ」
◇
数日後。ついに、詳細な文書が到着した。通信魔法だけでは送ることのできなかったものだ。
書き写された日本列島の地図。ガルディオによる船上での報告。ネリオの会話記録。ファルネによる翻訳魔法の観察記録。リヴァーノ領主自身の報告。日本側使節との会談の概要。そして、七枚の質問事項と、その回答。
国王は、その日の午後のほとんどを、報告書を読むことに費やした。誰にも代読させず、自分の目で読んだ。
途中で一度だけ、ページを戻した。
「貴族がいない」
アルヴェリオが呟いた。隣では、アレシナが資料を読んでいる。
「法的な世襲貴族の階級はない、という意味のようです」
「天皇はいる」
「しかし、統治はしない」
「国王ではない」
「彼らの説明では、そうです」
「内閣が行政を行う」
「はい」
「議会を、国民が選ぶ」
「はい」
「地方の統治者も、世襲ではない」
「基本的には」
王は黙り込んだ。アレシナは、少し警戒した。
「お気に召しませんか?」
「いや」
アルヴェリオは紙を置いた。
「気に入るかどうかを決めるには、分からないことが多すぎる」
「では?」
「よくもそれで、国が割れずに済んでいるものだと思っている」
「向こうから見れば、こちらも同じように思われているでしょう」
「それは、そうだな」
◇
教育の項目で、王はさらに長く手を止めた。
国民のほぼ全員が、読み書きができる。貧しい家の子でも、基礎的な教育を受けられる。高等教育も広い階層に開かれており、才能があれば、身分に関係なく専門職へ進める仕組みがある。
もちろん、格差は残っている。完璧ではない。それでも──。
「……全員か」
アルヴェリオが言った。向かいには、王妃エレヴィナが座っていた。
「そこが一番、気になるのですか?」
「一番ではない」
「嘘」
王は妻を見た。
「長い付き合いだな」
「三十年近くになりますから」
アルヴェリオは、もう一度報告に目を落とした。
「兵士を増やせば、軍は強くなると思っている者は多い」
「あなたは違う」
「読み書きのできる兵士が増えれば、軍は強くなる。計算のできる役人が増えれば、税が集まる。技師が増えれば、橋ができる。医師が増えれば、兵が死なずに済む」
「だから、学校を増やしたい」
「だからだ」
だが、日本はそのさらに先にいる。国家のほぼ全人口を教育しているのだ。アルヴェリオにとって、それは空を飛ぶ話と同じくらい、巨大な話だった。
◇
「平均寿命、百歳超」
今度は、エレヴィナが読み上げた。
「健康寿命、九十五歳」
王は、自分の左脚に目をやった。
「治ると思うか?」
王妃は一瞬、黙った。
「脚のことですか?」
「昔の傷だ」
「期待していらっしゃる?」
「少しな」
「珍しいこと」
「私だって、人間だ」
報告には、老化抑制、再生医療、身体組織の修復、限定的な若返り──そんな言葉が並んでいた。翻訳が不完全なため、詳しいことはよく分からない。だが、その意味だけは十分に伝わってきた。
「九十歳でも、我々の六十から七十歳くらいの壮健さ、ですって」
エレヴィナが読み上げた。
「日本人は、老人になるまで随分とかかるのね」
「羨ましいか?」
「当然でしょう」
「私もだ」
「では、日本との最初の条約で、不老の薬を要求なさいます?」
アルヴェリオは、鼻で笑った。
「そんなことをしたら、リヴァーノ領主と同類になる」
「もう十分、似ていらっしゃいますよ」
「それは、認めたくない」
◇
そして、宇宙。
セルディオがその箇所を見つけたときは、実際に椅子から立ち上がった。
「父上」
「何だ」
「月へ行っています」
「読んだ」
「人が、ですよ?」
「そう書いてある」
「施設まで作ったと」
「ああ」
「宇宙船です」
「ああ」
「惑星間の航行まで」
「聞こえている」
セルディオは、報告書を机に置いた。
「私を行かせてください」
「どこへだ」
「リヴァーノへ」
「駄目だ」
「なぜです!」
「お前を送ったら、日本人に一晩中質問するだろう」
「領主だって、しているではありませんか!」
「だから、二人も要らん」
アレシナが、笑いを堪えていた。
「姉上は笑っていますが」
「だって」
「私は真剣です」
「知ってるわ」
「日本側の宇宙航行理論を──」
「殿下」
宮廷魔術師長が、静かに言った。
「おそらく、最初から理解できないでしょう」
セルディオが止まった。
「……なぜです」
「我々が、初歩から積み上げていないからです」
その一言は、効いた。王子は、ゆっくりと腰を下ろした。
「では」
少し考えてから、彼は言った。
「初歩から、教えてもらえばいい」
アルヴェリオは、頭を抱えた。
◇
軍事に関する部分に入ると、空気が変わった。
日本側は、詳細を答えていない。兵員の数、軍艦の数、兵器の性能、その配置──いずれも非公開だ。
だが、一つだけ分かったことがあった。あの白い巨大な船「いわみ」は──軍艦ではない、ということだ。
「沿岸警備の船」
ルヴェリオが言った。
「それが、百歩近くある」
「はい」
軍務長官が答えた。
「三十人で動く」
「はい」
「大砲は一門」
「少なくとも、確認できたものは」
「本格的な軍艦は?」
「日本側は、回答していません」
ルヴェリオは、椅子の肘掛けを指で叩いた。
「やはり、危険です」
「当然だ」
国王が言った。
「ならば」
「危険だから、話すのだ」
王太子は父を見た。
「危険だから距離を置く、のではなく?」
「距離を置けば、消えてくれるのか?」
「……いいえ」
「日本は海の向こうにいる。人口八千三百万を称し、我々の知らない船を持ち、リヴァーノとすでに話している」
王の声は、平坦だった。
「目を閉じれば安全になる相手ではない」
その考え方こそが、アルヴェリオ三世という王の根にあるものだった。
弱い国には、世界を自分の都合で解釈する余裕がない。嫌な情報でも受け入れる。理解できないものでも数に入れる。勝てない相手なら、まずその相手が何者なのかを知る。それが、生き残るための現実主義だった。
◇
「異世界という部分については?」
高位聖職者が尋ねた。
「保留だ」
王が答えた。
「否定はなさらない?」
「否定する根拠がない」
「信じる、と?」
「信じる根拠もない」
聖職者は微笑んだ。
「非常に、陛下らしい」
「褒めているのか?」
「もちろんです」
「疑わしいな」
「ただし」
宮廷魔術師長が口を開いた。
「国土規模の空間移動という点では、既知の魔術理論に該当するものはありません」
「不可能だと?」
「“我々にはできない”ということと、“不可能”であることは、同じではありません」
アルヴェリオは、満足そうに頷いた。
「それでいい」
「日本人と同じですね」
セルディオが横から言った。
「何がだ」
「分からないものを、分からないと言うところです」
王は、少し考えた。
「そうらしいな」
◇
夕刻、正式な王室小評議会が再開された。
議題は、一つ。日本への対応である。
宰相が、案を読み上げた。
「第一。リヴァーノ領主の初動について、王権を逸脱した外交行為とは見なさないこと」
ルヴェリオが、わずかに眉を上げた。王は頷く。
「続けろ」
「第二。日本側との現在の接触を、王国として追認すること。ただし、条約の締結その他の国家としての外交権限は、王冠へ移すこと」
「異論なし」
「第三。リヴァーノへ国王特使を派遣し、日本政府の代表と直接接触を行うこと」
「誰を送るのです?」
軍務長官が尋ねた。
部屋の視線が、自然と王太子に向いた。ルヴェリオ本人も、姿勢を正す。
アルヴェリオは言った。
「アレシナだ」
沈黙が落ちた。王女自身が、父を見つめる。
「私、ですか?」
「お前だ」
「父上」
ルヴェリオが反応した。
「何だ」
「私ではなく?」
「ああ」
「理由を伺っても」
「お前を送れば、軍事使節に見える」
「私は王太子です」
「だからだ」
「日本は、我々より遥かに強い可能性があります。ならば、王位継承者が直接──」
「未知の国家との最初の外交に、王太子を放り込む王がどこにいる」
ルヴェリオは、言葉を止めた。
「リヴァーノ領主は、ご本人が行かれましたよ」
セルディオが、余計なことを言った。
「彼は地方領主だ」
「本人に聞かれたら、怒られますよ」
「黙っていろ」
◇
アルヴェリオは、娘を見た。
「お前は、B国を知っている」
「はい」
「外国の商人とも話ができる」
「はい」
「法も分かる」
「一応は」
「そして、お前は日本を怖がっている」
アレシナは、少し驚いた顔をした。
「……はい」
「それでいい」
「よろしいのですか?」
「好奇心だけの者を送りたくはない」
部屋の端で、セルディオが何か言いたそうな顔をした。
「敵意だけの者もだ」
ルヴェリオが、父を見た。
「お前がそうだと言っているわけではない」
「そのように聞こえます」
「外交とは、そういうものだ」
アレシナは苦笑した。
「では、私の任務は?」
「日本が何者なのかを、見ることだ」
「それだけですか?」
「まずは、それだけだ」
王は続けた。
「友人になれるのなら、その条件を知れ」
「はい」
「敵になる可能性があるのなら、その兆しを見逃すな」
「はい」
「利用できるかどうか、ではない」
そこで、王は少し間を置いた。
「共に生きられる相手かどうかを、見てこい」
アレシナは、真剣な顔になった。
「承知いたしました」
◇
「護衛は?」
ルヴェリオが尋ねた。
「王室近衛から、二十名」
「少なすぎます」
「五十人も連れていけば、日本側がどう見る」
「王女なのですよ」
「だから、二十だ」
「宮廷魔術師は?」
「三名」
「外交官は」
「四名」
「財務官は」
「一名」
「教会の代表は」
「一名」
セルディオが、手を挙げた。
「天文学者も」
「不要だ」
「必要です!」
「今回は外交だ」
「宇宙へ行く国ですよ!」
「お前は留守番だ」
「せめて、質問状を」
「五枚までだ」
「少なすぎます」
アレシナが弟を見た。
「リヴァーノ領主と張り合わないで」
◇
会議の最後に、宰相が尋ねた。
「陛下。リヴァーノ領主には、どのように返答いたしますか」
アルヴェリオは、机の上の報告書に目をやった。その最後には、こう書かれていた。
──彼らを恐れるべき理由は多い。しかし、話さずに済ませられる相手ではありません。
「このまま褒めると、調子に乗るな」
「ええ」
王妃が笑った。
「では、こう書け」
書記が筆を取った。
「未知の国家との接触を、平和裏に処理したことを評価する」
筆が走る。
「日本の使節の安全を、引き続き保障せよ」
「はい」
「王国の名誉を損なうような、軽率な約束はするな」
「はい」
「軍事と領土に関する取り決めは、王命を待て」
「はい」
「そして」
王は、少し考えた。
「国王特使として、王女アレシナを派遣する。到着までのあいだ、日本側との友好関係を維持せよ」
書記が書き終えると、アルヴェリオは最後に付け加えた。
「それから、私信で」
「私信、ですか?」
「『よくやった。ただし次からは、未知の八千三百万人の国家に自分から会いに行こうとする前に、王都へ相談しろ』」
王妃が笑った。
「ご自分でも、似たようなことをなさりそうなのに」
「私は国王だから、いいのだ」
「そういうところですよ」
◇
夜。アルヴェリオは、王宮の高い窓から東を見ていた。
もちろん、日本など見えるはずもない。見えるのは、山と河川、その向こうへ続く街道だけだ。さらに何百里も先にはリヴァーノがあり、そのさらに東には海が広がっている。そしてその海の向こうに、今まで誰も知らなかった国がある。
人口八千三百万。魔法を知らず、空を飛び、月へ行き、百歳を超えて生き、貴族を持たず、それでも国家を維持しているという。
信じがたい話だ。だが──。
「世界は、こちらの信じやすさに合わせてはくれない」
王は、独り言を呟いた。
「何かおっしゃいました?」
背後から、王妃の声がした。
「いや」
アルヴェリオは窓を閉めた。
「アレシナは、何日で出せる」
「もう、旅支度を始めていますよ」
「早いな」
「あなたの娘ですもの」
「それは心配だ」
「今さら?」
王は、少しだけ笑った。
◇
同じころ、王女アレシナの部屋。
机の上には、日本に関する報告書と地図、数字の書かれた紙、日本語を写し取った紙が広げられていた。そしてもう一枚、弟のセルディオが勝手に置いていった質問状がある。
『一、日本人の宇宙船は、どうやって空へ上がるのか』
『二、日本の月までの距離は、いくらだったのか』
『三、他の惑星にも、人がいるのか』
『四、恒星の組成を、どうやって調べるのか』
『五、宇宙で魔法は使えると思うか』
五枚という制限を、「五問」と解釈してくれた弟に、アレシナは少しだけ感謝した。
ところがその下に、小さく追記があった。
『六、もし余裕があれば──』
アレシナは、紙を裏返した。
「駄目」
そう言いながら、少しだけ笑った。
数日後、王都から東へ向けて、王室の旗を掲げた一行が出発する。
リヴァーノによる地方外交は、ここで終わる。次に日本と向き合うのは──ヴァレシア王国そのものだった。