ベルカディア商王国の首都ルヴェナでは、情報にも値札が付く。
穀物の相場、海上保険、港湾の封鎖、疫病、王位の継承、海賊、戦争──誰よりも早く知れば、それだけで金になる。
そして、金になる情報ほど、最初はたいてい噂の姿をしてやって来るものだった。
◇
「また、リヴァーノです」
コルヴァン商会ルヴェナ本店、海運情報室。午前六時三十二分。
若い書記官が、細長い通信紙を一枚持って駆け込んできた。
「何が?」
ミレイア・コルヴァンは、朝食代わりの固いパンをかじりながら答えた。
三十四歳、平民。大商会コルヴァン商会で、海運と情報の調整を担う責任者だ。若いころは自分でも商船に乗っていた。今では船より机に向かっている時間の方が長いが、船乗りの癖だけは抜けていない。食事が速く、眠れるときに眠る。そして、怪しい話ほど、一度では捨てない。
「東海の白船です」
「まだ続いてるの?」
「はい」
「今度は何?」
書記官が読み上げた。
「帆なし。櫂なし。煙なし。推定百歩級。三十人ほどで運用」
「前にも聞いた」
「魔法を使わずに動く」
「それも聞いた」
「風がない状態で、停止位置を維持」
ミレイアの顎が止まった。
「そこ」
「はい?」
「もう一度」
「風がない状態で、海上の一定の位置を、長時間維持した、と」
「錨は?」
「不明です」
「潮の流れは」
「ありました」
「誰が見たの」
書記官は、別の紙に目をやった。
「リヴァーノ港務所の職員。コルヴァン商会リヴァーノ支店の店員が二名。現地の船主が三名」
「全員、同じ場所から?」
「別々です」
「時間は?」
「二日にまたがっています」
ミレイアは、パンを置いた。
「白船の存在は、“確実”に引き上げる」
書記官が記録を取る。
「これまでは“高確率”でしたね」
「今ので十分よ」
「“魔法なし”の方も?」
「そっちは、まだ“高確率”」
「なぜです?」
「魔法を使っていないかどうかを、素人がどうやって見分けるの?」
「なるほど」
「魔術師の証言は?」
「あります」
書記官は、別の紙を差し出した。
「リヴァーノ魔術師ギルド所属の航海魔術師、ファルネ。船内の主要な機構から、既知の魔力反応を確認できず」
「誰?」
「最初に白船へ乗った現地人の一人です」
ミレイアは数秒、黙り込んだ。
「……“魔法なし”も、確度を上げる」
◇
ベルカディアの商人は、噂を信じない。だが、噂を無視するわけでもない。
証言が一つなら、酒場の話。二つなら、偶然。三つなら、確認に値する。そして、五つの独立した情報源が同じことを言うのなら、それはもう、商売の上では事実として扱う価値があるのだ。
◇
「人口、八千三百万」
次の情報に、ミレイアは眉をしかめた。
「そこは、まだ信用しない」
「でも、複数の報告で──」
「複数の報告が、同じ日本人の発言を聞いただけなら、情報源は一つよ」
「日本側、ということですか?」
「そう」
「嘘の可能性が?」
「ある」
「誤訳は?」
「ある」
「数字の体系が違う可能性は?」
「ある」
「全部、本当だったら?」
ミレイアは、書記官を見た。
「だから、調べるのよ」
◇
午前八時。さらに一報が届いた。
今度は、リヴァーノのコルヴァン商会支店から、優先符号付きの通信だった。その内容を読んだミレイアは、椅子から立ち上がった。
「誰が署名したの?」
「支店長です」
「原本の確認は」
「済んでいます」
「現地の王室筋は?」
「一致しています」
「辺境伯府は?」
「一致しています」
「日本側は?」
「直接の確認はできていません」
「十分よ」
紙には、こう記されていた。
『ヴァレシア王国国王特使アレシナ王女、日本国政府特別代表と暫定友好・連絡文書に署名』
ミレイアは、その一文を三度読み返した。
帆のない船。魔法なし。八千三百万。空を飛ぶ。百歳まで生きる。月へ行く──そのすべてが、昨日まではまだ、巨大な噂の塊にすぎなかった。
だが、王女が国王の名代として、公文書に署名したとなれば、話は別だ。
「政府に売るわ」
書記官が顔を上げた。
「もうですか?」
「今すぐ」
「価格は?」
ミレイアは笑った。
「高く」
◇
「国家に売りつけるんですか」
「国家だから、高く売るのよ」
「愛国心は?」
「あるわよ」
「なら、安く」
「国は払えるもの」
「……理屈が、商人ですね」
「商人だもの」
◇
ルヴェナは、人口二十五万の都市である。
巨大な天然の湾の奥に河口があり、内港と外港が広がっている。倉庫、商館、造船所、王宮、そして無数の帆柱。朝から数百隻の船が出入りし、埠頭では荷役夫が叫び、商館では為替表が書き換えられ、保険業者たちが昨日沈んだ船をめぐって争っていた。
ヴァレシアスが王国を統べる首都だとすれば、ルヴェナは、世界そのものを値段に変える都市だった。
◇
その都市の中央、王宮と商会館の中間に、王冠評議会の庁舎がある。午前十時十三分。
「高いな」
フェルディオ四世は言った。
五十八歳。ベルカディア商王国の国王である。その目の前には、コルヴァン商会から提出された情報の価格が置かれていた。
「陛下」
ミレイアが答えた。
「内容をお読みになってから、おっしゃってください」
「読む前だから、言えるのだ」
「お読みになった後は、もっと高いとお感じになるかもしれません」
「それは困るな」
隣では、宰相兼首席商務卿のオルシア・ヴァレンティが、冷ややかな目で二人を見ていた。
「国家の緊急情報の値切り交渉を、私の前で始めないでいただけます?」
「余は、買う側だ」
「私は、売る側です」
「お二人とも、黙ってください」
オルシアは四十九歳。ベルカディア最大級の金融・海運一族の出身で、数字を見ると機嫌が良くなり、根拠のない形容詞を見ると機嫌が悪くなる。
今の彼女は、機嫌が良くなかった。
「まずは、情報を」
◇
ミレイアが資料を開いた。
「リヴァーノ東方の海域に未知の船が存在することは、確実と判断します」
「根拠は」
「独立した十七の情報源です」
「同じ噂を書き写しただけのものでは?」
「除外済みです」
「船の形は」
「百歩前後。白色。帆、櫂、外輪はなし」
「乗員は」
「三十名前後との現地報告があります」
「大きさの割に、少なすぎる」
フェルディオが言った。
「はい」
「魔法は」
「既知の魔力による駆動は、確認されていません」
オルシアが眉を寄せた。
「“既知の”」
「重要な点ですので、残しました」
「よろしい」
「速度は」
「正確な測定はありません。ただし、現地の帆船より著しく高速です」
「十ノット?」
「それ以上の可能性があります」
「二十?」
「可能性はあります」
「海流と追い風込みでか?」
会議室の奥で、一人の男が初めて口を開いた。
ヴァルド・セレク。五十六歳。ベルカディア王立海軍の総司令で、子爵の位を持つ。もとは平民の船乗りだった男だ。
「帆がありません」
ミレイアが答えた。
「それは聞いている」
「向かい風の中でも進んだ、という報告があります」
セレクは、黙り込んだ。
「旋回の性能は」
「高いようです」
「停船は」
「風と潮の流れの中で、長時間、ほぼ同じ位置を維持しています」
「錨は」
「使用は確認されていません」
「なるほど」
セレクは、椅子の背にもたれた。
「船だけに関して言えば、本物らしいな」
◇
フェルディオが、紙をめくった。
「日本」
「国号とされています」
「人口、八千三百万」
「未確認です」
「ヴァレシアの四十倍以上か」
「はい」
「我が国の、十倍近い」
「はい」
国王は、オルシアを見た。
「どう思う」
「人口だけなら、意味はありません」
「出たな」
「何がです?」
「お前が、人口の話をしているのに人口を無視するときの顔だ」
「無視はしていません」
オルシアは、資料を手元に引き寄せた。
「仮に八千三百万人がいるとして、その人間たちが何を食べているのか」
「穀物だろう」
「どれだけの量を」
「余に聞くな」
「輸送は?」
「知らん」
「都市の人口は?」
「知らん」
「道路網は?」
「知らん」
「食料の備蓄は?」
「知らん」
「なら、人口八千三百万というだけでは、何も分かりません」
「リヴァーノ側の会談記録によれば」
ミレイアが口を挟んだ。
「通常時には、大規模な飢饉はほとんどない、と」
オルシアが止まった。
「出典は」
「日本側の使節の回答を、リヴァーノ側が記録したものです」
「確度は」
「中程度」
「他には」
「国民のほぼ全員が、読み書きできる」
「確度」
「中程度」
「平均寿命、百歳超」
「中程度」
「大きな都市は、数千万規模の都市圏を持つ」
「中程度」
「空を飛ぶ機械」
「目撃情報はまだで、伝聞が複数あるのみ。低から中程度」
「月へ行く」
「日本側の申告のみ。低」
オルシアは、しばらく何も言わなかった。
「仮に」
「はい」
「その半分だけが本当だったとしても」
「はい」
「物流の能力は、我が国とは比べものになりません」
フェルディオの顔から、笑みが消えた。
「やはり、そこか」
「私は、軍艦を見る前に倉庫を見ます」
「お前らしい」
「八千三百万もの人間を、平時に飢えさせずに維持できる国なら」
オルシアは言った。
「兵士を何人持っているかより、その兵士に何をどれだけ届けられるかの方が、問題です」
◇
「軍事面は」
国王が、セレクを見た。
「どう見る」
「情報不足です」
「それで終わりか?」
「終わりません」
提督は、「いわみ」の概略図に目を落とした。
「ベルカディアにも、百歩級の船はあります」
「そうだな」
「だから、船体の寸法はどうでもいい」
「ほう」
「重要なのは、三十人前後という点です」
提督は、図面を指した。
「帆を扱う作業がないとしても、少なすぎる」
「機械が仕事をする、と言っていたな」
「それも重要です」
「速度は」
「帆走船の発想で、追いかけるべきではありません」
「武装は」
「前方に、小型の砲らしきものが一門」
国王が、少し笑った。
「それなら、我が国の大型軍艦の方が、火力は上だな」
「陛下」
セレクは、まったく笑わなかった。
「この船は、軍艦ではないそうです」
部屋が静まり返った。
「ヴァレシア側の報告では、日本の海上治安組織に所属する船だと」
「確認は取れているのか」
「日本人自身が、そう説明したそうです」
「嘘かもしれん」
「はい」
「なら──」
「嘘でなければ、もっと悪い」
フェルディオは、提督を見た。
「なぜだ」
「軍艦は、別にあるということだからです」
短い答えだった。
「沿岸警備の船が、百歩で、三十人で、帆がなく、高速」
セレクは、紙を置いた。
「これを見て“我が海軍の方が大砲が多い”と安心するような者がいたら、そいつは艦隊の指揮から外してください」
「余が、安心しているように聞こえたか?」
「陛下は、時々わざと馬鹿なことをおっしゃいますので」
「私は、それが嫌いです」
オルシアが横から言った。
「余もだ」
◇
「それで」
国王が言った。
「ヴァレシアは、何をした」
ミレイアが、最後の文書を置いた。
「これです」
王女アレシナと、日本政府の特別代表による、暫定友好・連絡覚書。
「内容は」
「相互の非敵対」
「うむ」
「統治領域の尊重」
「うむ」
「使節の安全」
「うむ」
「海難救助」
「うむ」
「検疫」
「うむ」
「無断での武力進入の禁止」
「うむ」
「交易と技術移転は、継続して協議」
「うむ」
フェルディオの指が止まった。
「最後は」
「恒常的な外交関係の樹立を目的として、協議を継続する」
「つまり」
オルシアが言った。
「ヴァレシアは、先に席を取ったということです」
「そういうことです」
ミレイアが答えた。
◇
国王は、椅子に深く座り込んだ。
「日本が本当に存在するかどうか、という会議は、これで終わりだな」
誰も、反論しなかった。
「正確に言えば」
オルシアが言った。
「日本側の自己申告がどこまで本当なのかは、まだ検証が必要です」
「それは当然だ」
「ただし」
「日本という政治主体と、高度な未知の船が存在することは?」
「事実として扱います」
フェルディオは頷いた。
「それでいい」
◇
「問題は、A国です」
王室の外交担当が言った。その一語で、空気が少し変わった。
「向こうも、いずれ知ることになる」
フェルディオが言った。
「すでに知っている可能性もあります」
オルシアが言う。
「日本へ、先に使節を出しますか?」
外交官が尋ねた。
「急いで出せば、どう見える?」
「接触に意欲的だ、と」
「悪く言えば?」
「焦っている、と」
「それは嫌だな」
「ですが、出遅れる方が嫌です」
オルシアが、即座に言った。
「お前は、いつもそうだ」
「商業国家ですから」
◇
「軍艦は、出さないでください」
セレクが言った。国王が、彼を見る。
「まだ何も言っていないぞ」
「先に申し上げておきます」
「なぜだ」
「向こうの軍事能力が不明だから、というだけではありません」
「では」
「ヴァレシアの港に我が国の大型艦が突然入れば、日本より先に、ヴァレシアが警戒します」
「その通りだ」
「さらに、日本の側から見れば」
提督は続けた。
「未知の国家の大型武装艦が、自分たちと接触したばかりの国へ、突然近づいてくることになります」
「良くないな」
「非常に良くありません」
「では、何を出す?」
「外交使節なら、高速の公船か、ほぼ非武装の大型商船でしょう」
「商船?」
ミレイアが、すかさず反応した。
「誰の商船です?」
セレクが、彼女を見た。
「食いつくな」
「商機ですから」
「だから、怖いんだ」
◇
フェルディオが、机を軽く叩いた。
「まず、ヴァレシアへ正式に連絡する」
「内容は」
「日本との接触の成功を、祝う」
「はい」
「我が国も、日本政府との外交接触を希望する、と」
「はい」
「そして、ヴァレシア側の主権と、既存の合意を尊重する、と」
オルシアが、ちらりと国王を見た。
「そこまで明記なさいますか?」
「する」
「理由は」
「日本に、読まれるからだ」
部屋が静まり返った。
「勝手にリヴァーノへ船を送れば」
国王は言った。
「ヴァレシアには無礼。日本には横柄。そしてA国には、我々が焦っていると教えることになる」
「三方損ですね」
「商売なら、やらんだろう」
「絶対に」
ミレイアが答えた。
「外交でも、同じことだ」
◇
「日本との関係の目的は」
オルシアが尋ねた。
「友好ですか?」
「当然だ」
「交易は?」
「当然だ」
「軍事協力は?」
「まだ早い」
「A国への対抗は」
「もっと早い」
「では」
フェルディオは、少し考えた。
「まず」
指を一本、立てる。
「日本が、何を欲しがる国なのかを知る」
二本目。
「何を恐れる国なのかを知る」
三本目。
「何を売る気があるのかを知る」
四本目。
「何を絶対に売らないのかを知る」
そして、五本目。
「A国に行かれる前に」
国王は笑った。
「ベルカディア人の顔くらいは、覚えてもらう」
オルシアが頷いた。
「妥当です」
◇
「交易については」
ミレイアが言った。
「民間の接触を先に認めていただければ──」
「駄目です」
オルシアが即答した。
「まだ最後まで言っていません」
「言う前から分かります」
「日本側が買いたがる商品を、調べるだけです」
「お酒でしょう」
「お酒も」
「香辛料」
「それも」
「魔法用品」
「もちろん」
「魔法用品、か」
国王が反応した。
「売れると思うか」
ミレイアは、少し笑った。
「魔法を知らなかった国なのでしょう?」
「そう聞いている」
「なら」
その目が、商人の目になった。
「我々にとってありふれたものが、向こうでは、世界で初めての商品になるかもしれません」
「逆も、成り立ちます」
オルシアが、即座に返した。ミレイアの笑みが、少し消える。
「日本人にとってありふれたものが」
「はい」
「我々の商業を、壊してしまうかもしれない」
「その通りです」
オルシアは、淡々と言った。
「交易は、宝箱ではありません。洪水にもなり得るのです」
ミレイアは、数秒考えた。
「だからこそ、最初に見ておく価値がある」
「その点は、同意します」
◇
昼前、会議は一度休憩に入った。
フェルディオ四世は、窓際へ歩いていった。
眼下にはルヴェナの港が広がっている。数百の帆、船、倉庫──ベルカディアの力そのものだ。海を使い、情報を使い、金を使って、この国は大国の隙間で生き延びてきた。
その東、さらに海の向こうに、突然、見たこともない国が現れたのだ。
「陛下」
セレクが、隣にやってきた。
「何だ」
「日本が、本当に月まで行く国なら」
「うむ」
「我々の海軍は」
少し間を置いて、提督は言った。
「おそらく、比べる意味がありません」
フェルディオは、笑わなかった。
「怖いか?」
「はい」
即答だった。
「それでも、接触すべきか?」
「はい」
「なぜだ」
「海で」
提督は、港を見下ろした。
「正体不明の船を見つけたとき、一番危険なのは」
「何だ」
「見えないふりをすることです」
フェルディオは、頷いた。
「同感だ」
◇
午後、ベルカディア王冠政府から、ヴァレシア王国へ、優先の外交通信が送られた。内容は、簡潔なものだった。
『日本国との平和的接触の成立を、祝意をもって受け止める』
『ベルカディア商王国は、ヴァレシア王国と日本国との既存の合意を尊重する』
『我が国もまた、日本国政府との平和的な外交接触を希望する』
『そのための使節派遣について、ヴァレシア王国政府と事前に協議したい』
その文面を確認したオルシアは、一文だけ付け加えた。
『本件については急を要するが、礼を失するほどには急がない』
フェルディオが、それを読んだ。
「これは、必要か?」
「陛下への戒めです」
「文書に書くな」
「では、削ります」
◇
同じころ、コルヴァン商会では、ミレイアが部下たちに命令を出していた。
「リヴァーノから入る日本関連の情報は、全部優先して」
「全部ですか?」
「酒場の話までよ」
「信頼度が──」
「それは、こっちで仕分ける」
「日本が欲しがりそうな商品は?」
「調べて」
「候補は」
「魔法用品、薬草、香辛料、染料、美術品、書物、鉱石」
「食料は」
「当然」
「お酒は」
「最優先」
「やっぱり」
「ただし、勝手に売らないこと」
書記官が、驚いた顔をした。
「珍しいですね」
「珍しい?」
「真っ先に売りに行きそうなのに」
「相手は、月へ行くかもしれない国よ」
「はい」
「最初の商談くらい」
ミレイアは笑った。
「ちゃんと、相手の財布を見てからにするわ」
◇
夕方、ルヴェナの港から、一隻の高速商船がリヴァーノ方面へ向けて出港した。
積み荷は、いつも通りだ。布、金属製品、書類、そして商業通信。
だが、船長に渡された指示書には、これまで存在しなかった一語が記されていた。
──「日本」。
数日前まで、ベルカディアでその名を知る者は、ほとんどいなかった。
今日、王宮が知った。商会が知った。海軍が知った。銀行家たちも、知り始めている。明日には、市場が知ることになるだろう。
そして商業国家というものは、市場が何かを知った瞬間から、もう元には戻れない。
ベルカディア商王国は、日本という存在を、新しい世界の噂としてではなく、新しい取引相手として──そして、国家戦略上の新たな現実として、帳簿に書き込んだのである。