2330年日本国、異世界へ   作:水野芽生

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第17話:六つの仮説

 

 ヴァルガニア帝国の首都グラディオルには、海がない。

 

 巨大な河川はある。運河もある。何百隻もの河船が行き交い、穀物や石材、鉄、木材、そして人間を運んでいる。だが、水平線はない。潮の匂いもない。港町の人間が持っている、海の向こうへの感覚も薄い。

 

 だから、東の果ての港町で起きた出来事も、最初のうちは、グラディオルでは遠い海の噂にすぎなかった。

 

 ◇

 

「人口、八千三百万」

 

 皇帝レオグラード五世は言った。

 

「一桁、多くないか」

 

 ヴァルガニア帝国の帝都グラディオル、皇宮内の小会議室。午前八時四十分。

 

 机の上には、ヴァレシア方面から届いた報告書が並んでいた。

 

 第一報は、東方の海域に未知の船が出現したこと。第二報は、その船員との接触に成功したこと。第三報は、国号が「日本」、人口が八千三百万であること。そして第四報は、ヴァレシアの王女アレシナが、日本政府の代表と、友好と連絡に関する文書に署名したこと。

 

 しかもその日本は、別の世界から国土ごと現れた可能性がある、と主張しているという。

 

「私も、最初にそこを疑いました」

 

 宰相のセルヴァン・デオラスが答えた。五十七歳。官僚として、二十年以上にわたり帝国を支えてきた男である。

 

「八百三十万なら?」

 

「まだ大国ではありますが、理解はできます」

 

「八十三万なら?」

 

「より自然です」

 

「八千三百万では」

 

「ヴァレシアの全人口の、四十倍以上になります」

 

「我が帝国の、五倍を超える」

 

「はい」

 

 皇帝は、紙に目を落とした。

 

「それだけの人口が」

 

「はい」

 

「昨日まで、誰にも知られていなかった」

 

「報告を、文字通りに信じるならば」

 

「馬鹿な」

 

 その言い方は、静かだった。怒っているわけでも、笑っているわけでもない。ただ、成り立たない数字を見たときの、官僚の顔だった。

 

「翻訳の問題だろう」

 

 レオグラードは言った。

 

「可能性はあります」

 

 セルヴァンも、否定はしなかった。

 

「現地の言葉と日本語とで数詞の体系が異なっていれば、桁を取り違えることは十分に考えられます」

 

「それでいい」

 

 皇帝は、次の紙を手に取った。

 

「次だ」

 

 ◇

 

「帆なし」

 

 軍務総監のグラウス・ヴァルヘイン元帥が、報告を読み上げた。六十歳。帝国軍の最高実務責任者である。

 

「櫂もなし」

 

「はい」

 

「外輪もなし」

 

「はい」

 

「煙もなし」

 

「はい」

 

「百歩級」

 

「現地の報告では」

 

「乗員は、三十数名」

 

「同様です」

 

 グラウスは、鼻を鳴らした。

 

「ベルカディアだな」

 

 皇帝が顔を上げた。

 

「理由は」

 

「船だからです」

 

「雑だな」

 

「東海で、ヴァレシア人の知らない新型船を作れる国といえば」

 

 元帥は、指を一本立てた。

 

「ベルカディア」

 

 二本目。

 

「ヴァレシア自身の、秘密の計画」

 

 三本目。

 

「さらに東にある、未知の海洋国」

 

「日本という名の?」

 

「その可能性も含めてです」

 

「魔法を使っていない、とあるが」

 

 皇帝が言った。

 

「それについては」

 

 会議室の端で、宮廷魔術顧問のエルゼオ・カルディスが口を開いた。六十八歳。帝国でも最高位に数えられる魔術研究者である。

 

「誤認でしょう」

 

「断定するのか」

 

「ほぼ、断定します」

 

 皇帝の眉が、わずかに動いた。

 

「説明を」

 

 エルゼオは、報告書を開いた。

 

「百歩級の船体を、帆も櫂も使わずに推進する」

 

「そうだ」

 

「風と潮流に逆らって、停止する」

 

「そうある」

 

「内部の照明」

 

「ある」

 

「冷却」

 

「ある」

 

「自動で動く扉」

 

「ある」

 

「高速の小艇」

 

「ある」

 

「言語を解析する自動の機械」

 

「あるらしい」

 

 エルゼオは、紙を置いた。

 

「これらを魔力なしで実現することは、既知の自然理論では説明できません」

 

「ならば?」

 

「魔力を使っているのです」

 

 答えは、単純だった。

 

「ただし」

 

 老魔術師は続けた。

 

「我々の知る術式とは、異なるものでしょう」

 

「古代文明か?」

 

「可能性はあります」

 

「ベルカディアの新しい体系か」

 

「それも」

 

「魔力の隠蔽は?」

 

「それが、最も現実的です」

 

 レオグラードは頷いた。

 

 筋は通っている。少なくとも、帝国の中では、非常によく。

 

 ◇

 

 ただ一人だけ、何も言わない者がいた。

 

 帝国情報院長、リゼル・オルダン。四十六歳。平民の出身で、帝国中から集めた情報を疑い、分解し、比べ合わせて、その中から使えるものだけを残す仕事をしている。

 

「リゼル」

 

 皇帝が呼んだ。

 

「はい」

 

「反対か」

 

「何に対して、でしょう」

 

「全部だ」

 

「全部に反対しているわけではありません」

 

「では」

 

 リゼルは、資料に目をやった。

 

「八千三百万は、誤訳かもしれません」

 

「そうだろう」

 

「帆のない船は、ベルカディア製かもしれません」

 

「うむ」

 

「魔力を隠蔽している可能性もあります」

 

 エルゼオが頷いた。

 

「異世界という説明は、ヴァレシア側による外交上の演出かもしれません」

 

 グラウスが腕を組んだ。

 

「なら、問題はないではないか」

 

「はい」

 

 リゼルは答えた。

 

「一つずつであれば」

 

 会議室が、少しだけ静かになった。

 

 ◇

 

「一つずつ、とは?」

 

 セルヴァンが聞いた。

 

「はい」

 

 リゼルは、紙を並べ始めた。

 

「一枚目。八千三百万──誤訳」

 

「二枚目。帆のない船──ベルカディアの試作船」

 

「三枚目。魔力反応なし──高度な隠蔽術」

 

「四枚目。日本という未知の国──遠洋の国家」

 

「五枚目。別の世界から来た──ヴァレシアによる外交的な演出」

 

「六枚目。月へ行ける──宗教的な比喩か、誇張か、あるいは航海の伝説」

 

 そこまで並べてから、リゼルは皇帝を見た。

 

「陛下」

 

「何だ」

 

「一つの嘘を説明するために」

 

 彼は、指先で六枚の紙を示した。

 

「我々はもう、六つもの別々の仮説を必要としています」

 

 誰も、すぐには答えなかった。

 

 ◇

 

 最初に口を開いたのは、エルゼオだった。

 

「だからといって、荒唐無稽な説明を採用する理由にはならん」

 

「同意します」

 

 リゼルが言った。

 

「では」

 

「私は、“異世界”を信じているとは申し上げていません」

 

「なら、何が言いたい」

 

「説明できない部分を」

 

 情報院長は答えた。

 

「説明できたことにしない方がよい、と申し上げているのです」

 

 グラウスが笑った。

 

「情報屋らしい答えだ」

 

「軍人より長生きするためです」

 

「言うようになったな」

 

「元帥が長生きしておられるので、参考にしております」

 

 グラウスの口元が、少しだけ動いた。だが、皇帝は笑わなかった。

 

「結論を言え」

 

「日本という政治勢力が存在すること自体は、かなり高い確度で事実です」

 

 リゼルは答えた。

 

「根拠は」

 

「独立した情報源が、多すぎます」

 

 ◇

 

 帝国情報院が把握している情報源は、十二を超えていた。

 

 ヴァレシアに駐在する使節。帝国系の商人。リヴァーノに入港した商船。東海の漁師。ヴァレシア国内の街道を行く商人。ルメリア教の関係者。魔術師ギルドの関係者。ベルカディア系の商会の動き。そして、ヴァレシア王室の公文書。

 

「それらがすべて、同じ嘘をついている可能性は」

 

 皇帝が尋ねた。

 

「あります」

 

「あるのか」

 

「ヴァレシアとベルカディアが共同で、大規模な情報工作を行っている場合です」

 

「目的は」

 

「帝国に圧力をかけることでしょう」

 

「十分にあり得る」

 

 グラウスが言った。

 

「その場合」

 

 リゼルは続けた。

 

「彼らは、数千人規模の商人、漁師、船員、港湾労働者、聖職者に同じ虚偽を共有させ、存在しない船を見たことにさせ」

 

 一拍、間を置く。

 

「さらに、王女本人に公文書へ署名させたことになります」

 

「難しいか」

 

 セルヴァンが言った。

 

「不可能ではありません」

 

「またそれか」

 

「情報の仕事では、“不可能”と言うのを嫌いますので」

 

 皇帝が、初めて少しだけ笑った。

 

「お前は、便利な男だな」

 

「褒め言葉として、受け取っておきます」

 

 ◇

 

 その日の午後、新しい報告が届いた。

 

 それは、帝国の誤解を正すための情報ではなかった。むしろ、その逆だった。

 

 ◇

 

 リヴァーノの湾内。

 

 ヴァルガニア帝国情報院の協力者の男は、倉庫の二階から東の海を見ていた。表向きは鉱物商。だが実際には、十年以上にわたって帝国へ港湾の情報を流してきた男だ。

 

 望遠鏡の向こうには、白い「いわみ」が浮かんでいる。

 

 その姿にも、もう見慣れ始めていた。見慣れたといっても、理解したわけではない。ただ、何日も同じ場所に浮かんでいれば、人間は怪異にさえ慣れてしまうものだ。

 

 問題は、その朝、別の船がやって来たことだった。

 

「……帆?」

 

 男は、望遠鏡の焦点を合わせ直した。

 

 帆だった。間違いない。三本の帆柱に帆が張られ、船首が波を切っている。そして船体は、少なくとも外から見る限り、完全な木造の帆船だった。

 

 ◇

 

 日本籍の帆走実習船「あさなぎ」。

 

 四九九総トン、三檣バーケンティン型で、全長は六十メートル弱。二十四世紀の日本では珍しい船だ──というより、意図的に珍しく作られた船だった。

 

 主船体は、木でできている。外板も、骨格も、主要な甲板も木材だ。

 

 ただし、そこに使われている木材は、十六世紀の船大工が知っている木とは、同じ植物に由来するという点を除けば、かなり違う。

 

 細胞構造を調整した、高耐久の人工育林材。含水率を長期間安定させる処理に、菌類や虫害、腐朽への耐性加工。樹脂の含浸と積層。内部の応力を制御した曲げ材。接合部には耐食性の複合材が使われ、表面には火災対策の処理が施され、船底には海洋生物の付着を防ぐ透明な皮膜が張られている。

 

 それでも、木は木だった。

 

 日本が海洋文化を保存し、伝統的な造船技術を実際に教えるために、二十四世紀の技術を使って本気で木造帆船を作った──その結果が、この船なのである。

 

 帆索の操作は高度に自動化され、危険な索具の作業は補助機械が支援する。風向、船体の姿勢、帆にかかる荷重は常に計測され、操帆AIが最適な値を提案する。

 

 だが、帆は人が張るし、人の手で扱う。舵もある。帆走の実習船なのだから、帆で走らなければ意味がない。

 

 ◇

 

「日本の船か?」

 

 帝国の協力者は、船尾の旗を見た。白地に、赤い丸。「いわみ」と同じ旗だった。

 

「……帆船じゃないか」

 

 隣にいた港湾労働者が言った。

 

「そうだな」

 

「普通の、帆船だ」

 

「普通?」

 

「少なくとも、ちゃんと船の形をしてる」

 

 確かに、それは安心できる形だった。

 

 帆がある。風を受けて傾き、波に上下し、帆を縮め、索具が動く。港に入る前には、水先案内の艇と合流する。

 

 理解できるのだ。

 

 そのことがどれほど強い安心を生むのか、日本人自身は考えてもいなかった。

 

 ◇

 

「あさなぎ」がリヴァーノへ来た理由に、秘密など何もなかった。

 

 ヴァレシアとの暫定覚書が成立した後、日本側は、現地の港での航行、水先案内、帆走の慣習、海図の情報、救難の手順、そして現地の船員たちとの交流を始めることにした。

 

 いきなり巨大な動力船を何隻も入れるより、帆船の方が、互いに分かりやすいだろう──そう考えた。ただ、それだけのことだった。

 

 実際、この船はリヴァーノの船乗りたちに大人気だった。

 

「木だ!」

 

「木だな!」

 

「本当に木だぞ!」

 

 日本人からすれば、かなり失礼な喜ばれ方だった。

 

 ◇

 

 だが、ヴァルガニアの協力者にとって、この船の意味は違っていた。

 

 帆のない、巨大で、未知の動力を持つ、理解不能な白い船。その日本が、普通の木造帆船も持っているのだ。

 

「なるほど」

 

 男は呟いた。頭の中で、世界が少しだけ元に戻っていく。

 

「やっぱり、そういうことか」

 

 ◇

 

 その理解が崩れたのは、一時間後のことだった。

 

「東に、大型帆船!」

 

 監視塔の鐘が鳴り、港の人々が、また海に目を向けた。今度の船は、「あさなぎ」よりも遥かに大きかった。

 

 ◇

 

 四本の帆柱に、白い帆。黒に近い濃紺の船体。船首には、金色の装飾が施されている。

 

 そしてその船体は──鋼でできていた。

 

 ◇

 

「……ベルカディアの船か?」

 

 帝国の協力者の隣で、港湾労働者が呟いた。

 

「違う」

 

「なら、A国の?」

 

「違う」

 

「じゃあ──」

 

 船尾に、旗が見えた。白地に、赤い丸。

 

 二人とも、黙り込んだ。

 

 ◇

 

 日本国の大型帆走練習船、「海王丸七世」。

 

 二十世紀に建造された初代から、その名と役割を受け継いできた七代目の船である。

 

 大型の四檣バーク型で、鋼製の船体の全長は百二十メートルを超える。その帆装の面積は、リヴァーノの船乗りなら見上げただけで首を痛めるほど広い。

 

 船体の材料は、二十四世紀型の耐食高靱性鋼。索具の一部には高分子の複合繊維が使われている。帆は見た目こそ伝統的な帆に近いが、耐候性、形状の保持、荷重の分散性能のいずれをとっても、過去の帆布とは比べものにならない。

 

 船体の内部には、発電と蓄電の設備、自動消火装置、海水の淡水化装置、気象解析装置、医療設備、操帆の補助機構、船体の状態を監視するAI、そして港内で使う補助推進器まで、何もかもが備えられている。

 

 だが海の上では、風があるなら、普通に帆で走る。それが「海王丸七世」という船だった。

 

 ◇

 

 その日、リヴァーノ沖の風は良かった。だから「海王丸七世」は、ほぼ全帆に近い姿で現れた。

 

「……でかい」

 

 港のどこかで、誰かが言った。

 

 それは、「いわみ」を初めて見た日と同じ言葉だった。だが、その意味はまったく違っていた。

 

「いわみ」は、理解できないから怖い。「海王丸七世」は、理解できる形のまま大きいから怖いのだ。

 

 ◇

 

 ヴァレシア海軍の士官たちは、すぐに船乗りの目になった。

 

「四檣だ」

 

「鋼の船だぞ」

 

「大型だな」

 

「千トンか?」

 

「もっとある」

 

「砲門は?」

 

「見えない」

 

「商船か?」

 

「練習船だそうだ」

 

「……何だと?」

 

 日本側の連絡員が、困った顔で説明した。

 

「船員を育てるための船です」

 

 周囲が、黙り込んだ。

 

「これで?」

 

「はい」

 

「戦闘用ではないのか?」

 

「違います」

 

「貨物船でも?」

 

「主な目的は、違います」

 

「では、何のための船だ」

 

「教育です」

 

 ヴァレシア海軍の士官は、しばらく「海王丸七世」を見つめていた。

 

「日本人は」

 

 一拍、間を置いて、彼は言った。

 

「教育に、どれだけ金をかけているんだ」

 

 それは、かなり正しい疑問だった。

 

 ◇

 

 だが、ヴァルガニアの協力者が帝都へ送った報告では、その話は少し形を変えていた。

 

『日本、大型の鋼製帆船を保有』

『四檣、百歩超』

『武装は確認されず』

『用途は、自称“訓練”』

『同日、小型の木造帆船も入港』

 

 協力者は、最後に自分の分析を一文付け加えた。

 

『日本の船の体系は、帆走船を基盤とし、一部に特殊な動力船を併用するものと推定』

 

 その報告は、驚くほどの速さで、帝都へと向かっていった。

 

 ◇

 

「ほら見ろ」

 

 二日後、再び皇宮。グラウス元帥が言った。

 

「帆船を持っている」

 

 机の上には、新しい報告が置かれていた。四九九総トンの木造帆船と、大型の鋼製四檣帆船。どちらにも、日本の旗が掲げられていたという。

 

 皇帝レオグラードは、報告を二度読んだ。

 

「二隻とも、日本の船か?」

 

「はい」

 

「あの白い船と、同じ旗か」

 

「確認されています」

 

「ならば」

 

 皇帝は、少しだけ安堵した。本人は、そのことに気づいていなかった。

 

「やはり、ただの海洋国家ではないか」

 

 ◇

 

 セルヴァン宰相も、今回はかなり納得した顔をしていた。

 

「少なくとも」

 

「何だ」

 

「彼らの海運技術のすべてが、あの白い船のようなものではない、ということです」

 

「そうだ」

 

「木造の船まで保有している」

 

「そうだ」

 

「大型の船では、鋼材を使う」

 

「我々より優れた冶金技術を持っている可能性はある」

 

「しかし、帆走を利用している」

 

「つまり」

 

 皇帝が言った。

 

「世界の法則から外れた国ではない、ということだ」

 

 リゼルが、無言で皇帝を見た。

 

 ◇

 

 宮廷魔術顧問のエルゼオは、さらに強気になっていた。

 

「これで、説明がつきます」

 

「聞こう」

 

「日本には、通常の船があるのです」

 

 彼は、木造帆船の報告を指した。

 

「こちらは、一般の船」

 

 次に、鋼製帆船の報告を指す。

 

「こちらは、大型の遠洋船」

 

 そして最後に、「いわみ」の図を示した。

 

「そして、これは特殊な試験船」

 

「魔導の船か?」

 

「おそらく」

 

「しかし、魔力がないのだろう」

 

「隠蔽です」

 

「またそこへ戻るのか」

 

「陛下」

 

 エルゼオは、真剣だった。

 

「三種類の船が存在するのなら、なおさらです」

 

「どういうことだ」

 

「通常の船に帆を使っている国家が」

 

 彼は、「いわみ」の図を指した。

 

「この一隻だけ、まったく異なる原理を突然使っている」

 

「うむ」

 

「ならば、これは特殊な技術なのです」

 

 理屈は、通っていた。実に綺麗に。

 

 ◇

 

「軍事的には、むしろ安心材料です」

 

 グラウスも頷いた。リゼルが、顔を上げる。

 

「安心、ですか?」

 

「少しだけだ」

 

「理由は」

 

「あの白い船が、日本の船の標準ではない可能性が高い」

 

「帆船があるから、ですか?」

 

「そうだ」

 

「帝国陸軍にも、馬車がありますね」

 

 グラウスの眉が動いた。

 

「何が言いたい」

 

「だからといって」

 

 リゼルは答えた。

 

「帝国軍の最先端の輸送手段が馬車だとは、限りません」

 

 沈黙が落ちた。セルヴァンが、少しだけ笑いそうになる。

 

「院長」

 

 グラウスの声が、低くなった。

 

「日本の帆船と、帝国軍の馬車が同じだと?」

 

「同じだとは、申し上げていません」

 

「なら」

 

「古い方式を残していることは、新しい方式を持っていない証拠にはならない、と申し上げているのです」

 

 リゼルは、木造帆船の報告を指した。

 

「むしろ」

 

「何だ」

 

「四九九トンの木造船を、彼らがなぜわざわざ建造しているのか」

 

 誰も、答えなかった。

 

「大型の鋼製帆船を、なぜ“教育”に使っているのか」

 

「技術の過渡期なのだろう」

 

 エルゼオが言った。

 

「かもしれません」

 

「またそれか」

 

「はい」

 

 ◇

 

 リゼルには、一つ気になる部分があった。

 

「乗員の数は?」

 

 情報官が答えた。

 

「木造船については、二十名前後を確認しています。ただし、実習者を含む可能性があります」

 

「鋼製帆船は」

 

「百名を超える人影がありました」

 

「普通ではないか」

 

 グラウスが言った。

 

「船体の規模からすれば」

 

 リゼルは言った。

 

「ベルカディアの大型艦より、少ない可能性があります」

 

「帆を操る機構に、魔法を使っているのだろう」

 

 エルゼオが言った。

 

「魔力の反応は?」

 

「遠距離からの観測では、不明です」

 

「なら、分からん」

 

「はい」

 

 リゼルは、もう一枚の報告に目を落とした。

 

「海王丸、七世」

 

 彼は呟いた。

 

「七世?」

 

 セルヴァンが反応した。

 

「何だ」

 

「船の名前です」

 

「それが、どうした」

 

「“七世”とあります」

 

「七代目、ということだろう」

 

「船を、七代も」

 

「長い歴史があれば、珍しくはない」

 

「はい」

 

 それは、その通りだった。だからリゼルも、そこで話を止めた。情報が、足りない。

 

 ◇

 

 そして、その日の午後、もっと大きな情報が届いた。ベルカディアが動いたのだ。

 

「正式なものか?」

 

 皇帝が尋ねた。

 

「はい」

 

 セルヴァンが答えた。

 

「ベルカディア商王国政府が、ヴァレシアへ正式な文書を送付しました」

 

「内容は」

 

「日本国政府との外交接触を希望する、と」

 

 グラウスの顔色が変わった。

 

「速いな」

 

「ベルカディアですから」

 

「勝手に、リヴァーノへ船を送ったのか?」

 

「いいえ」

 

「では」

 

「ヴァレシア政府に、事前の協議を申し入れています」

 

 皇帝は、少し黙り込んだ。

 

「礼儀正しいな」

 

「非常に」

 

「気持ちが悪い」

 

「陛下」

 

「褒めているのだ」

 

 ◇

 

 問題は、そこだった。

 

 ベルカディアは、嘘の匂いに敏感な国である。金が動くからだ。そして海運国家でもある。船の噂を、ヴァルガニアよりも正確に評価できる。

 

 そのベルカディアが、日本との正式な接触を求めたのだ。

 

「ベルカディアは、日本の存在を事実と判断したということか?」

 

 皇帝が言った。

 

「少なくとも」

 

 リゼルが答えた。

 

「“存在しない可能性に賭けるのは危険だ”と判断したのでしょう」

 

「ヴァレシアの情報工作に乗った可能性は」

 

「あります」

 

「ベルカディア自身が関与している可能性は」

 

「あります」

 

「日本を利用して、我が国を牽制する可能性は」

 

「あります」

 

「では」

 

「ただ」

 

 また、その言葉だった。皇帝が、リゼルを見る。

 

「何だ」

 

「ベルカディアが関与しているのなら」

 

「うむ」

 

「なぜ日本の船は、ベルカディアの船ではないのでしょう」

 

 皇帝の指が、止まった。

 

 ◇

 

「船の形を隠しているのだ」

 

 グラウスが言った。

 

「では、旗は?」

 

「偽の旗だ」

 

「日本語は?」

 

「作られた言語だ」

 

「八千三百万は」

 

「誇張だ」

 

「王女との文書は」

 

「ヴァレシアとの共同工作だ」

 

「木造帆船は」

 

「偽装だ」

 

「大型の鋼製帆船は」

 

「同じことだ」

 

 リゼルは、静かに、六枚の紙をもう一度並べてみせた。

 

「増えましたね」

 

 グラウスの顔が、硬くなった。

 

「何がだ」

 

「仮説が、です」

 

 ◇

 

 皇帝レオグラード五世は、長いあいだ何も言わなかった。

 

 彼は、愚かな男ではない。三十一年にわたって帝国を治めてきた。二度の戦争、三度の大飢饉、王位継承の危機、地方の反乱、疫病、ベルカディアとの海上紛争、ヴァレシアへの外交圧力──あらゆる問題を、現実的に処理してきたのだ。

 

 その経験が、彼に一つの確信を与えていた。

 

 世界は複雑だ。だが、人間が動かしている以上、そこには必ず利害がある。国が動くのなら、その裏には金か、土地か、権力か、恐怖か、安全保障か──何かがあるはずだ。

 

「仮に、日本が」

 

 皇帝は言った。

 

「本当に八千三百万人の国家だとしよう」

 

 全員が、皇帝を見た。

 

「陛下?」

 

 セルヴァンが言った。

 

「仮定の話だ」

 

「はい」

 

「本当に、突然現れた」

 

「はい」

 

「本当に、ヴァレシアより遥かに強い」

 

「はい」

 

「ならば」

 

 皇帝は、指を組んだ。

 

「なぜ、ヴァレシアに従う」

 

「従ってはいません」

 

 リゼルが言った。

 

「港に入る許可を求めた」

 

「主権の尊重でしょう」

 

「軍事行動を控えた」

 

「同じことです」

 

「領土を要求しない」

 

「日本側の外交方針かと」

 

 皇帝は、そこに疑問を抱いた。

 

「そんな国があるか?」

 

 部屋が、静まり返った。

 

 ◇

 

 ヴァルガニアの常識では、強い国は、その強さを使うものだ。

 

 使い方の程度は違う。征服、条約、関税、港湾の権利、貢納、軍の通行権、婚姻、保護国化。だが、力があるのなら、その力は外交上の利益へと変換される。それが国家というものだった。

 

「八千三百万の人口」

 

 皇帝は言った。

 

「未知の技術を持つ白い船。巨大な鋼の帆船。それだけの力を持ちながら」

 

 彼は、机を指で叩いた。

 

「人口百九十万のヴァレシアに、“入ってもよろしいですか”と聞く」

 

「はい」

 

「何も欲しがらない」

 

「少なくとも、今のところは」

 

「それが」

 

 皇帝は、少し笑った。

 

「一番、信じがたい」

 

 ◇

 

 リゼルは、反論しなかった。

 

 実のところ、彼にも理解できなかったからだ。

 

 日本の制度。日本の倫理。国際法。主権の平等。植民地主義を経験した歴史。技術移転への警戒。そうしたものを、ヴァルガニアはまだ何も知らない。知らない以上、日本の行動は、ヴァルガニア自身の国家観で解釈するしかない。

 

 そして、その国家観の中では、強い国が何の見返りもなく小国の主権を尊重する、という説明の方が、異世界からの転移よりも、ある意味では理解しづらかったのだ。

 

 ◇

 

「裏がある」

 

 グラウスが言った。

 

「当然です」

 

 セルヴァンも同意した。

 

「ベルカディアか?」

 

 皇帝が言った。

 

「可能性はあります」

 

 グラウスが答える。

 

「ヴァレシアの王家か?」

 

「可能性はあります」

 

「東方にある、別の大国か?」

 

「可能性はあります」

 

「日本の内部に、複数の勢力がある可能性は?」

 

 そこで、リゼルが少し顔をしかめた。

 

「それは、あり得ます」

 

 皇帝が、リゼルを見た。

 

「ほう」

 

「八千三百万という人口が事実なら、単一の意思で動く集団とは考えにくいでしょう」

 

「王がいない、という話もあったな」

 

「はい」

 

「ならば」

 

 皇帝はようやく、自分に理解できる道を見つけた。

 

「日本を、動かしている者がいる」

 

 リゼルは、返事をしなかった。

 

 ◇

 

「情報院に命ずる」

 

 皇帝の声が変わった。全員が、姿勢を正す。

 

「日本という存在を、否定するな」

 

 リゼルの目が、わずかに動いた。

 

「はい」

 

「しかし、報告を文字通りに信じるな」

 

「はい」

 

「リヴァーノの帝国系商人を使え」

 

「すでに使っております」

 

「ヴァレシアに駐在する使節は」

 

「照会中です」

 

「ベルカディアの商会は」

 

「監視しています」

 

「船は」

 

「観測を継続しています」

 

「日本語は」

 

「資料の入手を試みます」

 

「日本人とは」

 

「接触いたしますか?」

 

 皇帝は、少し考えた。

 

「まだ早い」

 

「承知いたしました」

 

「まず」

 

 皇帝は、机に指を置いた。

 

「日本が何者なのかを──」

 

 そこで、一瞬、言葉が止まった。

 

「いや」

 

 皇帝は、言い直した。

 

「誰が日本を動かしているのかを、調べろ」

 

 リゼルだけが、ほんの少し、目を伏せた。

 

「承知いたしました」

 

 ◇

 

 次は、外交だった。セルヴァンが、文書の案を開いた。

 

「ヴァレシアへ、照会いたします」

 

「内容は」

 

「東方より来訪した勢力について、地域の安定という観点から、情報の共有を求める、と」

 

「柔らかいな」

 

「文面は」

 

「意味は」

 

「我々に隠すな、です」

 

「よろしい」

 

「日本との覚書についても、写しを要求します」

 

「当然だ」

 

「ベルカディアの使節派遣については」

 

「把握している、と伝えろ」

 

 セルヴァンが、少し止まった。

 

「牽制いたしますか」

 

「軽くな」

 

「どの程度で」

 

「ヴァレシアが」

 

 皇帝は言った。

 

「日本というものを得たからといって、既存の問題まで消えたと思わない程度にだ」

 

 グラウスが、頷いた。

 

 ◇

 

 それが、この日ヴァルガニアが犯した、二つ目の間違いだった。

 

 以前からヴァレシアに要求していた関税、帝国商人の権利、国境の砦、港湾の利用、通商の条件──それらを、撤回もしなければ、延期もしない。日本が現れたからといって、既存の問題は別だ、というわけである。

 

 国家としては、ごく普通の判断だった。弱みを見せない。新しい駒が盤上に出たからといって、急に態度を変えない。

 

 それは、これまでなら、正しい判断だったのだ。

 

 ◇

 

 会議が終わり、人々が退室していった。最後に残ったのは、皇帝と宰相、そしてリゼルだった。

 

「院長」

 

「はい」

 

「まだ、何かあるな」

 

 情報を隠している人間の顔を、レオグラードは三十一年間見てきた。リゼルは、少し迷った。

 

「陛下」

 

「言え」

 

「日本の木造帆船について」

 

「四九九トンの、あれか?」

 

「はい」

 

「それが、どうした」

 

「港の船大工が見学した、という報告があります」

 

「ほう」

 

「その感想が」

 

 リゼルは、紙に目を落とした。

 

「“木造船として理解できる。しかし、理解できる部分ほど異常だ”と」

 

 皇帝が、眉を寄せた。

 

「どういう意味だ」

 

「木材の継ぎ目が、少ない」

 

「技術が高いのだろう」

 

「腐朽が、ほとんどない」

 

「新造船だからだろう」

 

「金属部品に、錆がない」

 

「手入れがいいのだろう」

 

「索具の太さに対して、強度がおかしい」

 

「新しい素材だ」

 

「帆を扱う人数が、少なすぎる」

 

「魔法だ」

 

「魔力の反応は、確認されていません」

 

 少し、沈黙が落ちた。

 

「そして」

 

 リゼルは続けた。

 

「日本側は」

 

「何だ」

 

「この船を、“古い船の作り方を残すために、新しい技術で作った”と説明しているそうです」

 

 皇帝は数秒間、その意味を理解できなかった。

 

「古い船を」

 

「はい」

 

「新しい技術で」

 

「はい」

 

「なぜだ」

 

「文化の保存と、教育のためだそうです」

 

 セルヴァンが、小さく息を吐いた。

 

「また、教育か」

 

「はい」

 

 ◇

 

「鋼製の帆船の方は」

 

 皇帝が聞いた。

 

「海王丸七世ですね」

 

「それだ」

 

「日本側の説明では」

 

 リゼルは、紙を見た。

 

「伝統的な帆船の運航を学ぶための、大型の練習船だと」

 

「それだけか?」

 

「それだけです」

 

「軍艦ではない」

 

「違う、と」

 

「商船でもない」

 

「はい」

 

「大型の鋼船を」

 

「はい」

 

「わざわざ帆で走らせて」

 

「はい」

 

「若者を教育する」

 

「そうです」

 

 皇帝は、椅子の背に身体を預けた。

 

「日本人は、暇なのか?」

 

 セルヴァンが、初めて声を出して笑った。

 

 ◇

 

 リゼルだけは、笑わなかった。

 

「陛下」

 

「何だ」

 

「もし」

 

「また仮定か」

 

「はい」

 

「言え」

 

「彼らが本当に」

 

 リゼルは、少し言葉を選んだ。

 

「我々より遥か先の技術を持っているのだとしたら」

 

「うむ」

 

「木造帆船を作ることと」

 

 一拍、間を置いて。

 

「木造帆船しか作れないこととは、別のことです」

 

 そう、彼は言った。

 

 ◇

 

 皇帝は、しばらくリゼルを見つめていた。

 

「覚えておこう」

 

「ありがとうございます」

 

「だが」

 

「はい」

 

「私はまだ」

 

 机の上には、「あさなぎ」と「海王丸七世」と「いわみ」の報告が並んでいる。三種類の船、三種類の技術。そして、同じ旗。

 

「国が別の世界から落ちてきた、という話よりも」

 

 皇帝は言った。

 

「どこかに、普通の説明があると思っている」

 

 リゼルは頷いた。

 

「それで、よろしいと思います」

 

 皇帝は、少し意外そうな顔をした。

 

「止めないのか」

 

「止めません」

 

「なぜだ」

 

「私も、そう思いたいからです」

 

 そのとき初めて、リゼルが少しだけ笑った。

 

 ◇

 

 その夜、帝国情報院に、日本関連の情報を集めるための専用の卓が設けられた。

 

 分類名は、『東方未確認海上政治勢力』。その下に、括弧付きで『通称、日本』と記された。

 

 確度の評価は、次のようなものだった。

 

『存在──高』

『ヴァレシアとの接触──高』

『独自の旗──高』

『木造帆船──高』

『大型鋼製帆船──高』

『白色無帆船──高』

『人口八千三百万──中』

『魔法を使わない技術──低から中』

『国民の高い識字率──低から中』

『平均寿命百歳超──低』

『空を飛ぶ機械──低』

『月への到達──極低』

『異世界からの転移──判定不能』

 

 担当官は、最後に備考欄を書いた。

 

『複数の情報が、相互に矛盾』

 

 少し考えてから、彼はそれを書き直した。

 

『複数の情報は、一見、相互に矛盾するように見える』

 

 さらにその下に、情報院長リゼル・オルダンが、自らの筆で一文を書き加えた。

 

『矛盾しているのは情報ではなく、我々の前提である可能性を、排除するな』

 

 ◇

 

 だが、その警告は、帝国の中を上へと進むにつれて、少しずつ薄められていった。

 

 情報院では──『未知の高度技術国家である可能性を排除できない』。

 

 宰相府では──『東方に、新たな海洋政治勢力が出現』。

 

 軍務府では──『ヴァレシアおよびベルカディアと関係を持つ、新興の海洋勢力』。

 

 地方の軍司令部では──『東方の新興国、日本』。

 

 そして、ある貴族の夕食会では──「ベルカディアが、どこかの島国を連れてきたらしい」。

 

 そこまで、縮んでしまった。

 

 ◇

 

 同じ夜、リヴァーノ沖。

 

「海王丸七世」は、夜風の中で静かに錨を下ろしていた。帆は畳まれている。甲板では、日本の実習生たちとヴァレシアの若い船員たちが、索具の名前を互いの言葉で教え合っていた。

 

「これは?」

 

「シート」

 

「シート?」

 

「帆脚索」

 

「何だって?」

 

「……翻訳機」

 

 笑い声が起こった。

 

 少し離れたところでは、「あさなぎ」の木造の船体が、波に揺られて小さく軋んでいる。そのさらに沖には、白い「いわみ」が浮かんでいた。

 

 同じ国旗を掲げた、三隻の船。木造の帆船、鋼製の帆船、そして動力の巡視船。

 

 それを見ていたリヴァーノの人々は、少しずつ理解し始めていた。

 

 日本は、一隻の船ではない。一つの技術でもない。一つの時代でもない。

 

 ──巨大な社会、そのものなのだ。

 

 ◇

 

 だが、何百里も離れたグラディオルでは、同じ三隻の存在が、まったく逆の結論を生んでいた。

 

 木造帆船がある。ならば、理解できる。鋼製帆船がある。ならば、高度な海洋国家だ。白い船がある。ならば、特殊な試作船なのだろう。

 

 八千三百万は、誇張だ。月へ行くというのは、神話だ。異世界というのは、外交上の演出だ。

 

 そして、ヴァレシアがその日本と手を結んだのなら、そこには誰かの意図があるはずだ──と。

 

 それは、愚かな判断ではなかった。この世界でこれまで生き抜いてきた国家なら、むしろ当然の判断だった。

 

 ◇

 

 問題は、今回に限って、最も単純な答えが、一番あり得ない答えだったことだ。

 

 日本は、本当に日本だった。八千三百万人は、本当に八千三百万人だった。白い船は、本当に魔法で動いてはいなかった。木造の帆船も、本当に二十四世紀の船だった。「海王丸七世」も、本当にただの練習船だった。

 

 そして、日本を裏から操っているベルカディアも、ヴァレシアも、古代文明も、秘密結社も──どこにも存在しなかった。

 

 ◇

 

 その夜、皇帝レオグラード五世は、最後の報告書に、自ら一行を書き加えた。

 

『日本の背後関係を、最優先で確認せよ』

 

 それが、帝国の対日政策における、最初の正式な命令となった。

 

 そして後世の歴史家たちは、この一文を何度も引用することになる。

 

 ヴァルガニア帝国が日本を軽視した証拠として、ではない。むしろ──日本を理解しようとして、あまりにも真面目に間違えた、最初の瞬間として。

 

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