2330年日本国、異世界へ   作:水野芽生

20 / 20
第18話:持ち帰ったもの

 

 王女アレシナが、王都ヴァレシアスへ戻った日の午後。

 

 王宮の正門をくぐった馬車には、宝石も、珍しい香辛料も、外国の金貨も積まれていなかった。

 

 代わりに積まれていたのは、木箱が六つ、革の鞄が十一、封印された書類箱が三つ。そして、護衛の一人が妙に大事そうに抱えている、細長い包みが一つ。

 

「それは、何?」

 

 馬車を降りながら、アレシナが尋ねた。

 

「日本側からいただいた、筆記具です」

 

「まだ持っていたの?」

 

「はい」

 

「使えばいいでしょう」

 

「もったいないので」

 

「そういう扱いをするものではないと思うけれど」

 

 護衛は、納得していない顔をした。アレシナは諦めた。

 

 ◇

 

 王宮の階段を上っていく。

 

 懐かしい、とアレシナは思った。それほど長く離れていたわけではない。それなのに、なぜか妙に古びて見えた。

 

 石の壁、油を使わない魔法灯、衛兵、伝令、紙束を抱えた書記官たち。どれも、ヴァレシアでは最高水準のものだ。アレシナ自身、出発する前までは、何の疑問も持っていなかった。

 

 今も、それらに価値がないとは思わない。ただ、比べる相手を知ってしまったのだ。

 

「嫌ね」

 

 アレシナは、小さく呟いた。

 

「何がです?」

 

 同行していた王室外交官が聞いた。

 

「見方が変わってしまう、ということが」

 

「日本を見たからですか?」

 

「ええ」

 

「王都が、貧しく見えますか」

 

 アレシナは、少し考えた。

 

「違うわ」

 

「では」

 

「できないことが、前よりもよく見えるの」

 

 外交官は黙り込み、それから少しだけ笑った。

 

「それは、良いことなのでは?」

 

「たぶんね」

 

 ◇

 

 国王アルヴェリオ三世は、娘を抱きしめはしなかった。ヴァレシアの王室では、公の場でそういうことはしないのだ。

 

 ただ、会議室に入ってきたアレシナを見ると、真っ先にこう尋ねた。

 

「無事か」

 

「はい」

 

「怪我は」

 

「ありません」

 

「病気は」

 

「ありません」

 

「日本人に、連れ去られそうになったりはしなかったか」

 

「なっていません」

 

「リヴァーノ辺境伯に、何か余計なことをさせられなかったか」

 

「たくさん」

 

「やはりか」

 

 王妃エレヴィナが、横から夫を見た。

 

「最後の質問だけ、種類が違いません?」

 

「重要なことだ」

 

「あとで、ご本人に伝えておきますね」

 

「やめろ」

 

 アレシナは、久しぶりに肩の力を抜いた。

 

 部屋には、王太子ルヴェリオ、第二王子セルディオ、宰相、財務官、軍務長官、王室外交官、宮廷魔術師長、高位聖職者がそろっていた。日本について初めて議論したときの顔ぶれの多くが、また同じ部屋に集まっていたのだ。

 

 ただし、机の上に置かれているものが違う。あのときは、噂だった。今日は、文書がある。

 

 ◇

 

 アレシナは、二つの正文のうち、ヴァレシア側が保管する一通を机の上に置いた。

 

 封印と署名。王冠を代表する国王特使、アレシナ・ヴァレシア。日本国政府特別代表、榊真綾。

 

 宰相が、慎重にその紙に手を触れた。

 

「これが」

 

「はい」

 

「日本と我が国が、初めて交わした政府間の文書」

 

「そうなります」

 

 セルディオが、横から覗き込んだ。

 

「日本語の方は?」

 

「参考の対訳があるわ」

 

「見せて」

 

「あとでね」

 

「なぜ」

 

「どうせ読めないでしょう」

 

「文字を見るだけでも──」

 

「会議の後で」

 

 アルヴェリオが、机を軽く叩いた。

 

「セルディオ」

 

「はい」

 

「今日は、宇宙の話はするな」

 

「まだ何も言っていません」

 

「顔に書いてある」

 

「不公平です」

 

 ◇

 

 宰相が、文書の概要を読み上げた。

 

 相互の平和的な意思。統治権と領域の尊重。使節の安全。海難救助。検疫。許可のない軍事進入を行わないこと。交易と技術移転については、今後協議すること。そして、恒久的な外交関係に向けて、協議を続けること。

 

 読み終えると、静寂が落ちた。

 

 最初に口を開いたのは、ルヴェリオだった。

 

「つまり」

 

「はい」

 

 アレシナが答えた。

 

「まだ、同盟ではありません」

 

「それは分かる」

 

「通商条約でもありません」

 

「分かっている」

 

「正式な国交でも」

 

「それも分かっている」

 

 兄は、少し苛立った。

 

「では、何を得てきたのだ?」

 

「時間です」

 

 アレシナは答えた。ルヴェリオが眉を寄せる。

 

「時間?」

 

「互いに、いきなり敵にならずに済む時間です」

 

 部屋が静まり返った。

 

「それから」

 

 アレシナは続けた。

 

「次も話し合える、という権利」

 

 アルヴェリオが、小さく頷いた。

 

「十分だ」

 

「父上」

 

 ルヴェリオが、父を見た。

 

「最初の文書としてはな」

 

「しかし、相手は──」

 

「八千三百万」

 

「それだけではありません」

 

「分かっている」

 

 王は、文書に視線を落とした。

 

「だからこそ、いきなり軍事同盟などを結ばれても困るのだ」

 

 ◇

 

「それで」

 

 アルヴェリオが、娘を見た。

 

「見てきたか」

 

 アレシナは一瞬、その意味を考えた。

 

 出発の前に、父に言われたことだ。日本が何者なのかを見ること。友人になれるのなら、その条件を知ること。敵になる可能性があるのなら、その兆しを見逃さないこと。

 

 ──利用できるかどうかではなく、共に生きられる相手かどうかを、見てこい。

 

「見てきました」

 

「答えは」

 

「まだ、分かりません」

 

 軍務長官が、少し意外そうな顔をした。セルディオは、もっと露骨だった。

 

「そこまで行って?」

 

「そこまで行ったからよ」

 

「どういう意味?」

 

「分からないことが、増えたの」

 

 アルヴェリオが笑った。

 

「良い答えだ」

 

「褒められるとは思いませんでした」

 

「何もかも分かった、と言われる方が怖い」

 

 ◇

 

 アレシナは、一つずつ話していった。

 

 日本政府の代表、榊真綾のこと。七十一歳で、かつては皇族だった女性。だが今は、一人の外交官として、王女の前に座っていたこと。

 

「七十一?」

 

 王妃が聞き返した。

 

「はい」

 

「本当に?」

 

「ご本人がそうおっしゃっていました」

 

「見た目は?」

 

「五十前後にしか見えません」

 

 アルヴェリオが、無意識に自分の左脚を撫でた。エレヴィナはそれに気づいたが、何も言わなかった。

 

 ◇

 

「日本は」

 

 アレシナは続けた。

 

「我々を、対等な国として扱うと明言しました」

 

 王室外交官の何人かが、顔を上げた。

 

「人口の差を承知の上で?」

 

「はい」

 

「国力の差も?」

 

「はい」

 

「土地の要求は」

 

「現時点では、ありません」

 

「港湾の使用権は」

 

「要求なし」

 

「軍事基地は」

 

「要求なし。ただし、将来の可能性について、絶対に否定することはしませんでした」

 

「そこだ」

 

 ルヴェリオが反応した。

 

「兄上」

 

「将来は、要求してくる可能性がある」

 

「可能性を否定しなかった、というだけです」

 

「同じことだ」

 

「違います」

 

「何が違う」

 

「“絶対に要求しない”と今この場で約束されるよりも、その方が私は信用できます」

 

 ルヴェリオは黙り込んだ。

 

「日本側は」

 

 アレシナは言った。

 

「必要になれば、提案はするかもしれない。しかし、我々の同意なく占有することはない、と言いました」

 

「言葉だけなら、何とでも言える」

 

 軍務長官が言った。

 

「その通りです」

 

 アレシナは、あっさりと認めた。

 

「だから、文書にしたのです」

 

 少しだけ、空気が変わった。アルヴェリオが、娘を見る。

 

「その榊という女を、信用するか」

 

「個人として、ですか?」

 

「そうだ」

 

「かなり」

 

「では、日本政府は」

 

 アレシナは、少し長く考えた。

 

「信用したいと思っています」

 

「その違いは」

 

「政府は、人ではありませんから」

 

 王の口元が、少し上がった。

 

「続けろ」

 

「人は誠実でも、国の事情は変わります。政権も変われば、利益も変わる」

 

「日本人に教わったのか?」

 

「父上に、です」

 

「そうだったか」

 

「お忘れですか?」

 

「最近、物忘れがな」

 

「平均寿命百歳の国と付き合うには、困りますね」

 

 エレヴィナが笑った。

 

 ◇

 

 次は、軍事の話だった。

 

 ここでは、報告できることが少なかった。日本側が、詳細を明かしていないからだ。ただ、一つだけ言えることがあった。

 

「『いわみ』は、やはり軍艦ではありません」

 

 アレシナが言うと、軍務長官の顔が曇った。

 

「何度聞いても、嫌な話だ」

 

「海の上の治安維持、救難、法の執行を担当する組織の船だそうです」

 

「それに、砲が付いている」

 

「付いています」

 

「軍艦は?」

 

「見ていません」

 

「見せてもらえなかったのか?」

 

「こちらからは、求めませんでした」

 

 ルヴェリオが、アレシナを見た。

 

「なぜだ」

 

「何のために?」

 

「相手の戦力を知るためだ」

 

「初めて正式に会った国に、“軍艦を見せろ”と?」

 

「……」

 

「兄上なら、そう言いますか?」

 

 ルヴェリオは、口を閉ざした。

 

「私は、宇宙船を見せてほしい」

 

 セルディオが小声で言った。

 

「あなたは黙っていて」

 

 ◇

 

 財務官が、別の資料を開いた。

 

「経済については、いかがでしたか」

 

「日本側も、自国の状況を再計算している最中です」

 

「再計算?」

 

「この世界に来たことで、外国との交易を、ほぼすべて失ったそうです」

 

 財務官が止まった。

 

「ほぼ、すべて?」

 

「はい」

 

「それは」

 

 財務官は、少し考えた。

 

「国家的な破局なのでは?」

 

「普通なら、そうでしょう」

 

「日本は違うと?」

 

「食料も資源も、無限ではないそうです」

 

「当然でしょう」

 

「ただ」

 

 アレシナは、日本側から説明された範囲で話した。

 

「食べ方を変えれば、自国民を養い続けることは、おそらくできる、と」

 

 財務官の眉が上がった。

 

「八千三百万人を?」

 

「はい」

 

 部屋が、少しだけ静かになった。

 

 アルヴェリオは、最初の報告を読んだとき、武器よりも先にそこを見ていた。

 

「やはりな」

 

 王が呟いた。

 

「何がです?」

 

「国家として、強い」

 

 ◇

 

「しかし」

 

 財務官が言った。

 

「それなら、日本が我々から買うものなど、あるのですか」

 

「あります」

 

「何を」

 

「食料です」

 

「……食料?」

 

「それに、嗜好品、木材、鉱石、薬草、魔法に関係する品物。その他は、まだ調査中です」

 

「食料を」

 

 財務官は、もう一度繰り返した。

 

「日本が?」

 

「日本人も、食事をしますから」

 

「それは分かります」

 

「では」

 

「そういう意味ではなく」

 

 財務官は、額を押さえた。

 

「八千三百万人を養える国が、我々の小麦や魚を買うと?」

 

「買う可能性がある、ということです」

 

「なぜです」

 

「自国で作れることと、外国から買いたくないこととは、別のことだそうです」

 

「なるほどね」

 

 王妃が言った。

 

「お分かりになるのですか?」

 

「自分で縫えるからといって、服を全部自分で縫いたいと思う?」

 

 財務官は黙り込んだ。

 

「……非常に、分かりやすいです」

 

 ◇

 

 だが、日本からの輸出の話になると、空気が変わった。

 

「日本からは、何を売ってもらえる?」

 

 アルヴェリオが尋ねた。

 

「決まっていません」

 

「なぜだ」

 

「売れるものが、多すぎるからです」

 

「多すぎる?」

 

 財務官が顔を上げた。

 

「そして」

 

 アレシナは言った。

 

「売ってはいけないものも、多いのです」

 

「武器か」

 

 ルヴェリオが言った。

 

「軍事技術は、原則として提供しない、と」

 

 王太子の表情が、露骨に険しくなった。

 

「一切か?」

 

「少なくとも、現段階では」

 

「我々がヴァルガニアから圧力を受けていると、知っていてもか?」

 

「知っています」

 

「それでもか?」

 

「はい」

 

 沈黙が落ちた。ルヴェリオは、椅子に深く座り込んだ。

 

「都合のいい友人だ」

 

「兄上」

 

「事実だろう」

 

「日本は、まだ友人ですらありません」

 

 アレシナは、静かに返した。

 

「友人になれるかどうかを、話し合っている途中なのです」

 

「だからこそ──」

 

「それに」

 

 アレシナは、兄を見つめた。

 

「ヴァレシアは、日本の武器をもらわなければ自分を守れない国になるのですか?」

 

 それは、かなり強い言葉だった。ルヴェリオの目が細くなる。軍務長官も黙り込んだ。

 

「私が」

 

 アレシナは続けた。

 

「日本を見て一番怖かったのは、軍艦ではありません」

 

「では、何だ」

 

「頼りたくなってしまうことです」

 

 ◇

 

 誰も、すぐには答えなかった。

 

「道路を作ってほしい。病気を治してほしい。作物を増やしてほしい。兵器をくれ。学校を作ってくれ。ヴァルガニアから守ってくれ」

 

 アレシナは、一つずつ指を折っていった。

 

「たぶん、頼めばできることが、いくつもあるのでしょう」

 

「それは、悪いことか」

 

 アルヴェリオが聞いた。

 

「全部が悪いとは、思いません」

 

「なら」

 

「でも」

 

 アレシナは、一度、息を吐いた。

 

「それを全部日本にやってもらった後で、ヴァレシアには、いったい何が残るのでしょうか」

 

 ◇

 

 国王は、しばらく答えなかった。王太子も、宰相も、財務官も。誰一人として、軽く扱える問いではなかった。

 

 最初に口を開いたのは、王妃エレヴィナだった。

 

「それを、ずっと考えながら帰ってきたの?」

 

「ずっと」

 

「日本人に、そう言われたの?」

 

「いいえ」

 

「なら」

 

 王妃は、微笑んだ。

 

「行かせて、よかったわね」

 

 アルヴェリオが、娘を見た。

 

「私も、そう思う」

 

 ◇

 

「逆の面も、あります」

 

 宮廷魔術師長が言った。

 

「逆?」

 

「日本側は魔法について、我々よりはるかに無知です」

 

「そうです!」

 

 セルディオが、ようやく自分の出番を見つけたという顔をした。

 

「お前は黙っていろと言ったはずだ」

 

「魔法は、宇宙ではありません」

 

「屁理屈を覚えるな」

 

 魔術師長が、少し咳払いをした。

 

「日本人自身にも、魔法に似た現象が発現し始めているのでしたな」

 

「はい」

 

 アレシナが頷いた。

 

「ならば」

 

 魔術師長は、慎重に言葉を選んだ。

 

「日本にとって我々は、単に貧しく遅れた国ではないのかもしれません」

 

「向こうも、同じことを言っていました」

 

「何と?」

 

「魔法については、自分たちが学ぶ側だ、と」

 

 魔術師長は、少し嬉しそうな、それでいて警戒するような顔になった。

 

「そうですか」

 

「嬉しいですか?」

 

「少し」

 

「怖いですか?」

 

「かなり」

 

「なぜです?」

 

「学ぶのが、速そうですから」

 

 アレシナは笑った。

 

「同感です」

 

 ◇

 

 会議は、夕刻まで続いた。

 

 外交、交易、魔法、宗教、検疫、海路、日本人の入国、ヴァレシア人の日本への渡航、技術、教育、ヴァルガニア、ベルカディア。議論すればするほど、議題は増えていった。

 

 最後に、アルヴェリオは椅子に座ったまま言った。

 

「結論を出す」

 

 全員が、口を閉じた。

 

「第一に」

 

 王は、指を一本立てた。

 

「日本との暫定覚書を、王国政府として正式に承認する」

 

「はい」

 

「第二に」

 

 二本目。

 

「恒久的な外交関係を結ぶための協議を、続ける」

 

 アレシナが、顔を上げた。

 

「第三に」

 

 三本目。

 

「日本への視察使節を、準備する」

 

 セルディオが、立ち上がりかけた。

 

「座れ」

 

「まだ何も言っていません」

 

「お前は、分かりやすすぎる」

 

 王妃が笑った。

 

 ◇

 

「視察団の目的は、何といたしましょう」

 

 宰相が尋ねた。

 

「日本を見ることだ」

 

 アルヴェリオが答えた。

 

「軍隊を、ですか」

 

「違う」

 

「産業を?」

 

「それだけでもない」

 

 王は、少し考えた。

 

「国を、だ」

 

 全員が、続きを待った。

 

「八千三百万人が、どう暮らしているのか。どう食べ、どう働き、どう学び、どう病を治し、どうやって国を動かしているのか」

 

 かつてアルヴェリオは、日本の軍艦よりも、八千三百万人を支えられる国家の仕組みの方を恐れた。ならば、見に行くべきものも、そこにあった。

 

「軍人だけを送るな」

 

「はい」

 

「外交官だけでも駄目だ」

 

「では」

 

「医師」

 

「はい」

 

「商人」

 

「はい」

 

「魔術師」

 

「はい」

 

「学者」

 

「はい」

 

「農業を知る者」

 

「はい」

 

「船を知る者も」

 

「承知いたしました」

 

 セルディオが、手を挙げた。

 

「天文学者も」

 

 王は、息子を見た。

 

「……一人だけならな」

 

「父上!」

 

「うるさい」

 

 ◇

 

 そのとき、扉の外で足音がした。侍従が入ってくる。

 

「陛下」

 

「何だ」

 

「ベルカディア王冠政府より、優先の外交通信が届いております」

 

 今度は、部屋の空気が別の意味で変わった。

 

 アルヴェリオは紙を受け取り、一度読み、もう一度読んだ。

 

「何と?」

 

 ルヴェリオが尋ねた。王は、紙を机に置いた。

 

「日本との接触の成立を、祝うそうだ」

 

「それだけですか?」

 

「いや」

 

 アルヴェリオは続けた。

 

「ベルカディアも、日本政府との平和的な外交接触を希望している」

 

 財務官が、息を吐いた。

 

「やはり、来ましたか」

 

「そして」

 

 王は、わずかに笑った。

 

「勝手に行くのではなく、我々と事前に協議したいそうだ」

 

 アレシナも、少し笑った。

 

「ベルカディアらしいですね」

 

「分かっていたのか」

 

「来ると思っていました」

 

「なぜだ」

 

「商人の国ですよ」

 

 アレシナは言った。

 

「八千三百万人の市場を、放っておくはずがありません」

 

 ◇

 

 アルヴェリオは、日本との覚書と、ベルカディアからの文書を、二つ並べてみた。

 

 ついこの前まで、東の海には何もなかった。少なくとも、ヴァレシア人の世界地図の上では。

 

 だが今、そこには日本がある。そして日本が現れたことで、ベルカディアが動いた。ヴァルガニアも、いずれ動くだろう。他の国々も、海商も、魔術師も、学者も、王たちも──そして、この王国自身も。

 

「世界が」

 

 アルヴェリオが言った。

 

「狭くなったな」

 

 セルディオが、首を傾げた。

 

「日本が増えたのに?」

 

「そういう意味ではない」

 

「では、どういう──」

 

「遠かった国が、近くなったということよ」

 

 アレシナが、弟を見て言った。

 

「でも日本は、もともとありませんでしたよ」

 

「あなたって、本当に」

 

「何です?」

 

「いいわ」

 

 ◇

 

 夜。アレシナは、久しぶりに自分の部屋へ戻った。

 

 机、本棚、窓、そして壁に掛けられた亜大陸東部の地図。何もかもが、以前と同じだった。

 

 ただ、地図の右端──海しか描かれていなかった場所に、新しい紙片が貼られていた。日本側から提供された、日本の大まかな位置だ。王国の地図には、まだ正確な海岸線すら写し切れていない。

 

 アレシナは、そこを見つめながら、榊真綾の言葉を思い出していた。

 

 ──強い側に、相手を国ではないことにする権利があるとは、考えていません。

 

「なら」

 

 アレシナは、小さく呟いた。

 

「こちらも、同じことね」

 

 日本を、便利な武器庫にしてはいけない。万能の守護者にしても、奇跡を売る商人にしてもいけない。国として、付き合うのだ。

 

 言葉にすれば、簡単だった。だが、実際にそれをやり遂げるのは、たぶん、とても難しい。

 

 ◇

 

 同じ夜、国王の執務室。

 

 アルヴェリオは、覚書をもう一度読み返していた。最後の一文──恒久的な外交関係に向けて、協議を継続する。そこで、指が止まる。

 

 向かいに、王妃エレヴィナが座った。

 

「国交を、結ぶおつもり?」

 

「まだ決めていない」

 

「嘘」

 

「今日は、皆に嘘だと言われる日だな」

 

「三十年近く、あなたを見てきましたから」

 

 王は、苦笑した。

 

「結びたいとは、思っている」

 

「なら」

 

「だが」

 

 王は、窓の向こうの夜の王都──その東を見た。

 

「国交というのは」

 

 少しだけ、間を置く。

 

「巨大な国と、握手をすることではない」

 

「では、何なのです?」

 

「その手を」

 

 アルヴェリオは言った。

 

「明日も握れると、約束することだ」

 

 王妃は、しばらく夫を見つめていた。

 

「では」

 

「何だ」

 

「ちゃんと相手を見てから、約束しましょう」

 

「ああ」

 

 アルヴェリオは頷いた。

 

「そのために」

 

 彼は、机の上に置かれた視察団の案に目をやり、わずかに笑った。

 

「今度は、こちらが日本へ行く番だ」

 

 ◇

 

 ヴァレシア王国と日本国が正式に国交を樹立するまでには、まだいくつもの話し合いが必要だった。

 

 だがこの日、王都ヴァレシアスでは、一つの方向が定まった。

 

 日本に守ってもらうためではない。日本を利用するためでもない。日本を恐れて、閉じこもるためでもない。

 

 隣国として付き合うために──まずは、その国を見に行くことになったのだ。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
点
一言
0文字 一言(任意:500文字まで)
※評価値0,10は一言の入力が必須です。参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

読者層が似ている作品 総合 二次 オリ

日本国召喚~帰還艦隊~(作者:シェリダン)(原作:日本国召喚)

もし大日本帝国海軍東遣艦隊及び陸軍第〇軍が帰還した先が、転移後の現代日本だったら?というお話です。旧日本軍の兵器を魔改造したりやりたい放題な作品です。▼※執筆にはAIが書いたものを修正等を行ってます。


総合評価:367/評価:8.42/連載:20話/更新日時:2026年07月16日(木) 02:26 小説情報

日本国召喚 〜P’世界線〜(作者:空軍系AC乗り)(原作:日本国召喚)

▼ 時は2050年1月1日!第二次冷戦の最中!日本は異世界へと転移してしまう!▼ チート日本国による異世界の蹂躙が、今始まる!▼※n番煎じ過ぎない?▼※本作はAIを使用して文を書いています。▼※作者は年単位でサボる不定期更新者です。▼※見切り発車です。▼※それでも良ければゆっくりしていってね!


総合評価:147/評価:9/連載:7話/更新日時:2026年09月29日(火) 12:12 小説情報

思いつき二次小説召喚(作者:エノメン)(原作:日本国召喚)

日本国召喚の二次が好きで色々調べていたのですが、更新が待ちきれなかったので自分で書くことにしました。▼初投稿なので甘く見てください。▼完全自己満足で書くので、気に入らないところがあったらブラウザバックして他の方の二次小説を読みましょう。▼日本国召喚の二次は良いもので溢れております故。▼あと小説タイトルとあらすじは、話の方向性がまとまったらちゃんとしたものに変…


総合評価:727/評価:8.83/連載:17話/更新日時:2026年10月08日(木) 08:00 小説情報

TFR日本国召喚(作者:ちんすこー)(原作:日本国召喚)

歴史戦略シュミレーションゲームhoi4▼そのmodであるThe Fire Rises世界の日本が召喚されます。


総合評価:72/評価:-.--/連載:3話/更新日時:2026年08月03日(月) 22:39 小説情報

何が悲しくて異世界は帝国を召喚したか(作者:太田目黒)(原作:日本国召喚)

 “ノモンハンの屈辱”により対ソ復讐戦争を終え、その後の世界大戦参戦により連合国の太平洋植民地を獲得すると、彼の帝国はアジア一の地域大国にのし上がることとなった。▼ その後の冷戦、東印度事変(インドシナ独立戦争)、国軍蹶起、70年代・昭和デモクラシー、20世紀末世界恐慌、二度目の国軍蹶起を経て民主化を果たした彼の帝国は、2029年12月31日深夜をもって世界…


総合評価:172/評価:9/連載:6話/更新日時:2026年10月12日(月) 18:00 小説情報


小説検索で他の候補を表示>>