2330年日本国、異世界へ   作:水野芽生

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第20話:人を支えるもの

 

 翌朝、ヴァレシア王国の視察団が最初に向かったのは、病院だった。

 

 ◇

 

「城ではないのですか」

 

 医師代表が言った。

 

「病院です」

 

「……本当に?」

 

「はい」

 

 日本側の担当者は、昨日から、この種の質問に慣れ始めていた。

 

 大きく、明るく、清潔な建物。それだけなら、まだ理解できる。ヴァレシアにも、王侯や裕福な商人のための療養院なら、それなりのものがある。

 

 だが、入口を通っていく人々が違った。老人、子供、働き盛りの人々、母親、職人らしい服装の男、学生。誰一人として、貴族らしくは見えなかった。

 

「ここにいる全員が」

 

 ヴァレシアの医師が尋ねた。

 

「ここで、診てもらえるのですか?」

 

「基本的には」

 

「料金は」

 

 説明が始まった。公的な医療、保険、自己負担、高額な治療、社会保障。翻訳はできた。だが、理解するには少し時間がかかった。

 

「つまり」

 

 医師が言った。

 

「金がないから診察を受けられない、ということは」

 

 日本側の医師は、少し考えてから答えた。

 

「制度の上では、それをできるだけ起こさないようにしています」

 

「できるだけ?」

 

「完全ではありません」

 

 その答えに、医師は少し安心した。

 

「日本にも、失敗はあるのですね」

 

「山ほどあります」

 

 即答だった。

 

 ◇

 

 診療区域で、最初の衝撃があった。

 

「この方は」

 

 ヴァレシアの医師が、一人の男性に目を留めた。

 

「患者さんですか」

 

「はい」

 

「お歳は」

 

 本人の許可を取ってから、通訳が尋ねる。

 

「八十九歳です」

 

「……」

 

 男性は、普通に歩いていた。杖もつかず、看護師と言葉を交わしながら。

 

「何のご病気で?」

 

「膝の関節を治療した後の、経過の確認です」

 

「膝?」

 

「軟骨の再生治療を受けているんです」

 

 医師の顔が、止まった。

 

「再生?」

 

「はい」

 

「薬で?」

 

「細胞を使った治療も含みます」

 

「軟骨を」

 

「ある程度は」

 

「生やす、と?」

 

「簡単に言えば、そうです」

 

 医師は、自分の膝に目を落とし、それから八十九歳の患者を見た。

 

「……八十九」

 

「はい」

 

「それで、歩いている」

 

「はい」

 

「膝を治して」

 

「はい」

 

 それは、昨日の「普通」という言葉とは、また違う種類の恐怖だった。

 

 ◇

 

「人間というのは」

 

 ヴァレシアの医師は、案内役の医師に聞いた。

 

「日本では、何歳まで生きるのです」

 

「平均寿命でしたら、百歳を少し超えます」

 

 数字としては、聞いていた。

 

「健康なままで?」

 

「健康寿命は、九十五歳前後です」

 

 これも、聞いていた。

 

 だが昨日は、街を歩く老人を見た。そして今日は、八十九歳の人が自分の足で病院に来ている。数字が、人間の姿になったのだ。

 

「九十五まで」

 

 医師は言った。

 

「働くのですか?」

 

「人によります」

 

「九十でも?」

 

「いますよ」

 

「兵士も?」

 

「それは、また別の話です」

 

「農民は」

 

「職業と、ご本人次第でしょうね」

 

「医師は?」

 

「いますよ」

 

 ヴァレシアの医師は、しばらく黙り込んだ。

 

「私は、五十四歳です」

 

「はい」

 

「日本でなら」

 

「はい」

 

「若い方ですか?」

 

 日本側の医師は、少し困った顔をした。

 

「若者とは言いません」

 

「そこまでではない、と」

 

「でも」

 

 彼は笑った。

 

「引退を考えるような年齢では、ありませんね」

 

 ヴァレシアの医師は、深く息を吐いた。

 

「妻に、聞かせてやりたい」

 

 ◇

 

 次は、治療の設備だった。

 

 映像、血液、臓器、骨、細胞。病気を、体の外から──あるいは体の中から見ることができる。魔法ではない。

 

「透視ですか?」

 

 魔術師の代表が尋ねた。

 

「似ている部分はあります」

 

「魔力なしで?」

 

「はい」

 

「人体の中を?」

 

「はい」

 

「切らずに?」

 

「はい」

 

 魔術師は、しばらくその機械を見つめていた。

 

「これは」

 

「はい」

 

「治療魔法より、便利な部分がありますね」

 

 日本側の医師は、少し嬉しそうな顔をした。

 

「逆の部分も、ありそうですね」

 

「あります」

 

「例えば?」

 

「魔力の循環に関わる障害については」

 

 魔術師は答えた。

 

「あなた方は、まだほとんど何もご存じない」

 

「その通りです」

 

 あまりにも素直な返事だった。魔術師は、少し拍子抜けした。

 

「反論なさらないのですか」

 

「知らないことは、知らないので」

 

「……」

 

「教えていただけるのなら、助かります」

 

 昨日の魔術師は、日本を、何でも知っている国だと思いかけていた。だが、違った。この国は、知らないことを、妙に怖がらないのだ。

 

 ◇

 

「老いというものを」

 

 アレシナが尋ねた。

 

「治せるのですか」

 

 医師は、すぐに首を横に振った。

 

「そこまではできません」

 

「でも、百歳まで」

 

「老化は、します」

 

 髪は白くなり、筋力も落ち、回復も遅くなる。病気も増えていく。

 

「ただ」

 

「ただ?」

 

「悪くなったところを、昔よりも直せるようになったんです」

 

 血管、関節、目、臓器、免疫、筋肉、骨。

 

「全部を、新しく?」

 

「そんなに都合よくはいきません」

 

「若返る薬は?」

 

「限定的なものなら」

 

「二十歳に戻れる?」

 

「無理です」

 

 アレシナは、なぜか少し安心した。

 

「では」

 

「はい」

 

「百歳の人は、百歳のまま?」

 

「百歳です」

 

「ただ」

 

「昔の百歳よりも」

 

 医師は言った。

 

「元気でいられる期間が、長いんです」

 

 ◇

 

「元気でいられる、期間」

 

 ヴァレシアの医師は、その言葉を、何度も小さく繰り返していた。

 

 ◇

 

 病院を出るころには、彼の手帳は半分近く埋まっていた。

 

 だが、最後に書き留めたのは、高度な治療法のことではなかった。

 

『病気になってから治すだけではない』

 

 そして、その下に。

 

『病気にならない時間を、伸ばす』

 

 ◇

 

 次の視察先は、学校だった。

 

 ◇

 

「子供が、多いですね」

 

 当たり前の感想だった。

 

「学校ですから」

 

 日本側の担当者が答えた。

 

「そういう意味ではなく」

 

 学者代表は、少し困った顔をした。

 

「全員が、ですか?」

 

「何がです?」

 

「学んでいるのは」

 

「はい」

 

「全員?」

 

「基本的には」

 

 昨日、同じやり取りを何度繰り返しただろう。

 

 ◇

 

 ヴァレシアにも、学校はある。

 

 教会、都市、魔術師ギルド、貴族の家、商人の組合。学ぶ場所は、珍しくはない。文字の読める者も、周辺の国々と比べれば多い方だ。

 

 だが、国中の子供たちが当たり前のように学校へ通う、という意味ではなかった。

 

「農村でも?」

 

「はい」

 

「漁村でも?」

 

「はい」

 

「山の中でも?」

 

「はい」

 

「貧しい家でも?」

 

「はい」

 

「娘も?」

 

「もちろんです」

 

 学者は、一瞬アレシナを見た。

 

「殿下」

 

「何?」

 

「今の質問は、お忘れください」

 

「覚えておくわ」

 

 ◇

 

 教室に入ると、子供たちが視察団を見つめた。視察団も、子供たちを見つめた。互いに、相手が珍しかった。

 

 日本の子供たちにとっては、異世界から来た王女と魔術師。ヴァレシアの人々にとっては、ごく普通に読み書きをし、数字を扱い、世界地図を見ている、庶民の子供たち。

 

 ◇

 

「これは」

 

 学者が、教材を手に取った。

 

「何歳向けのものです?」

 

 答えを聞いて、彼は黙り込んだ。もう一度、教材を見る。

 

「……本当に?」

 

「はい」

 

 計算、自然、社会、言語、歴史。ヴァレシアであれば、専門教育に入り始める年齢になって、ようやく初めて扱う内容もある。

 

 もちろん、日本の子供たちが全員天才というわけではない。分からない子もいれば、間違える子もいる。隣の子と話していて教師に注意される子もいるし、眠そうにしている子までいる。

 

 そのことが、逆に、学者には恐ろしかった。選ばれた神童ではない。普通の子供たちなのだ。

 

 ◇

 

「教師は」

 

 学者が尋ねた。

 

「これを全部、覚えているのですか?」

 

「全部、というと?」

 

「これほど多くのことを」

 

「教師にも、それぞれ専門があります」

 

「では、子供一人に対して、何人もの教師を?」

 

「そういうことになりますね」

 

「……贅沢だ」

 

 学者は、素直に言った。日本側の教師が、少し笑う。

 

「教育には、お金がかかります」

 

「それでも、ですか?」

 

「必要なことですから」

 

 短い答えだった。

 

 ◇

 

 端末、映像、立体表示、一人ひとりに合わせた学習支援、AI。そこでも、ヴァレシアの人々は驚いた。

 

 だが、学者が一番長く見つめていたのは、機械ではなかった。教師だった。

 

 一人の子供が、問題を間違えた。教師が説明し、子供はもう一度考え、また間違えた。

 

 教師は、怒鳴らなかった。答えを教えることもしなかった。別の方法で説明し直したのだ。

 

 そして三度目、子供は自分の力で答えを出した。

 

「なるほど」

 

 学者が呟いた。

 

「何が?」

 

 アレシナが聞いた。

 

「昨日」

 

「ええ」

 

「誰がこの国を作ったのか、と申し上げました」

 

「そうね」

 

「少しだけ」

 

 学者は、教室を見渡した。

 

「その答えが、分かりました」

 

 ◇

 

 学校を出ると、校庭から子供たちの声が聞こえてきた。アレシナは、少し立ち止まった。

 

「父上が」

 

「はい」

 

「国の強さは、兵士の数だけでは決まらない、と言っていたことがあります」

 

 学者は頷いた。

 

「正しいと思います」

 

「なぜ?」

 

「兵士は」

 

 学者は言った。

 

「一世代で、死んでいきます」

 

「……」

 

「でも」

 

 彼は、校舎を見上げた。

 

「教育は」

 

 一拍、置いて。

 

「次の世代にも、残るのです」

 

 ◇

 

 午後、一行は都市を離れた。

 

 ◇

 

「ここからが、私の出番です」

 

 農業代表が、少し元気を取り戻した。

 

 病院も学校も、彼にとっては専門外だった。だが、畑なら自分の世界だ。

 

 日本がどれほど進んでいようと、土と水と種と太陽、そして作物。そこだけは変わらないはずだ──彼は、そう思っていた。

 

 ◇

 

「……人は?」

 

 最初に出てきた言葉が、それだった。

 

 ◇

 

 広い平野だった。耕地が、規則正しく続いている。

 

 だが、農民の姿がほとんど見えない。代わりに、機械が動いていた。大きなものも、小さなものもある。人の乗っていないもの、低く飛ぶもの、地面を走るもの、作物の列に沿って進んでいくもの。

 

「今日は」

 

 農業代表が言った。

 

「お休みなのですか?」

 

「いいえ」

 

「では」

 

「作業中です」

 

「誰がです」

 

 日本側の担当者は、畑に目をやった。

 

「機械が、です」

 

 ◇

 

 農業代表は、しばらく何も言わなかった。

 

 ◇

 

 土壌、水分、栄養、病気、害虫、生育の具合、天候、収穫の時期。すべてが測られ、必要な場所に、必要なだけの水と肥料と防除が施される。

 

 人間は判断し、計画し、監督し、修理をする。だが、何十人もの人が腰を曲げて、広大な土地を歩き回るわけではない。

 

「一人で」

 

 農業代表が聞いた。

 

「どれだけの広さを見るのです」

 

「昔より、かなり広い範囲を管理できます」

 

 日本側の農業関係者は、具体的な面積ではなく、そう答えた。数字を、まだ勝手に独り歩きさせないためだった。

 

 だが、ヴァレシア人にとっては、それで十分だった。

 

「だから」

 

 彼はまた、その言葉を口にした。

 

「八千三百万人を──」

 

 ◇

 

 昨日、港で、彼は同じ言葉を呟いた。だが今日、その意味は少しだけ変わっていた。

 

 ◇

 

「しかし」

 

 彼は、少し安心したように言った。

 

「これは、平地だからできることでしょう」

 

「そうですね」

 

「山では、無理でしょう」

 

「同じ方法では、難しいです」

 

「やはり」

 

 初めて、勝ったような顔をしていた。アレシナは、嫌な予感を覚えた。

 

 ◇

 

 一行は、移動した。

 

 ◇

 

 着いたのは、中山間地域だった。

 

 畑は小さく、曲がりくねっている。段差があり、斜面があり、道も狭い。ここなら、ヴァレシアにも似ている。

 

「ほら」

 

 農業代表が、少し嬉しそうに言った。

 

「機械は、入れない」

 

「大型の機械は、入りにくいですね」

 

 日本側の担当者が答えた。

 

「でしょう」

 

「ですので」

 

 向こうから、人が歩いてきた。

 

 ──いや、違った。

 

 ◇

 

「……人、か?」

 

 ◇

 

 二本の足に、二本の腕。頭と胴がある。人間に近い姿だが、人間ではない。それは荷物を抱えて、畑の畝を進んでいた。その隣には、高齢の農家の人が歩いている。

 

「何です、あれは」

 

 魔術師が言った。

 

「人形?」

 

「作業用のロボットです」

 

 農業代表が、黙り込んだ。

 

「魔法の人形ですか?」

 

「魔法は使っていません」

 

「ゴーレム?」

 

「違います」

 

「では」

 

「機械です」

 

 昨日から、「機械」という言葉が、何にでも出てくる。

 

 ◇

 

 ロボットは畑で箱を運び、作物の具合を確かめていた。人間が指示を出すと、別の作業に移っていく。

 

 動きは、人間そのものではない。だが、斜面でも、狭い場所でも、車輪で走る大型の農機よりはるかに柔軟だった。

 

「これを」

 

 農業代表が尋ねた。

 

「農家が一軒ずつ持っているのですか?」

 

「必ずしも、そうではありません」

 

「では」

 

「共同で利用することも多いですね」

 

「共同で?」

 

「地域や事業者で保有して、必要なときに借りるんです」

 

「借りる?」

 

「はい」

 

「高価だからですか?」

 

「個人で何台も持つより、効率がいいので」

 

「これは」

 

 彼は、ロボットを見つめた。

 

「ものすごく、高価なのでは」

 

「高性能なものは高いですが、農作業用の一般的な型なら、比較的安価ですよ」

 

 沈黙が落ちた。

 

 ◇

 

「比較的」

 

 農業代表は、ゆっくりと繰り返した。

 

「何と、比べて?」

 

 日本側の担当者は、困った顔をした。

 

「……他の、ロボットと?」

 

 アレシナは、顔を伏せた。笑ってしまいそうだった。

 

 ◇

 

 高齢の農家の人が、通訳を介して、視察団に説明してくれた。

 

 昔、中山間地域では、人が減ると農地を維持できなくなるという問題があった。大きな機械は入りにくく、若い働き手も少ない。そこで、小型の機械や無人機、そして人型のロボットを、地域で共有するようになったのだという。

 

「あなたは」

 

 農業代表が聞いた。

 

「お幾つなのですか」

 

 農家の人は、七十代だと答えた。

 

 ヴァレシアの人々は全員、少しだけ反応した。昨日なら、驚いていただろう。だが今日は、病院を見た後だった。

 

「まだ、お若い」

 

 誰かが呟いた。

 

 今度は、日本人の方が変な顔をした。

 

 ◇

 

「この人形が」

 

 農業代表は、まだロボットのことを人形と呼んでいた。

 

「もし、なかったら」

 

「もっと大変でしょうね」

 

「何人分の働きをするのです?」

 

「作業によります」

 

「疲れないのですか?」

 

「充電は必要です」

 

「食事は」

 

「しません」

 

「眠りは?」

 

「しません」

 

「文句は」

 

 日本の農家の人は、一瞬考えた。

 

「故障すると、ある意味で、かなり文句を言いますね」

 

「喋るのですか?」

 

「警告を出すんです」

 

「なるほど」

 

 ヴァレシアの農業代表は、なぜかそこだけ納得した。

 

 ◇

 

 畑の端には、小さな建物があった。農産物の加工設備があり、販売もしていて、配送も手がけている。観光客向けの商品や、食事まで出していた。

 

「農家、なのですよね?」

 

 アレシナが尋ねた。

 

「はい」

 

「お店も?」

 

「はい」

 

「加工も?」

 

「しています」

 

「運送も?」

 

「一部は、外部に委託しています」

 

「……いったい、何屋さんなの?」

 

 日本側の担当者が、少し笑った。

 

「それは昔から、日本でも議論があるんです」

 

 ◇

 

 農業代表の手帳も、埋まり始めていた。だが、彼が最後に書き留めたのは、機械の名前ではなかった。

 

『広い土地では、巨大な機械』

 

 その下に。

 

『狭い土地では、人の形をした機械』

 

 そして少し考えてから、さらに一行。

 

『土地を捨てないために、方法を変える』

 

 ◇

 

 帰りの列車の中で、視察団は昨日よりも静かだった。

 

 驚き疲れた、というのもある。だが、それだけではなかった。

 

 昨日見たものは、大きく、速く、便利なものだった。今日見たものは、違っていた。

 

 ◇

 

「殿下」

 

 学者が言った。

 

「何?」

 

「日本は」

 

「ええ」

 

「なぜ、強いのでしょう」

 

 アレシナは、すぐには答えなかった。

 

「船かしら」

 

「違うと思います」

 

「兵器?」

 

「それも、結果でしょう」

 

「人口?」

 

「それだけなら──」

 

 学者は、窓の外を見た。農地、住宅、遠くの町。

 

「八千三百万もの人が、百年近く健康に生きる。ほぼ全員が学ぶ。少ない人数で、広い土地を耕す。そして、それを」

 

 少し考えてから、彼は言った。

 

「何世代にもわたって、続けている」

 

 アレシナも、窓の外を見た。

 

「父上が、言っていたわ」

 

「何と?」

 

「弱い王国に、自由も独立もない、と」

 

「はい」

 

「私は」

 

 一拍、置いて。

 

「強い国というのは、大きな砲をたくさん持っている国のことだと思っていた」

 

「今は?」

 

「分からなくなったわ」

 

 ◇

 

「私は、少し違います」

 

 前の席から、医師代表が会話に加わった。

 

「何が?」

 

「強い国というのは」

 

 彼は、自分の手帳を閉じた。

 

「人が、簡単には死なない国なのかもしれません」

 

「食えなくならない国」

 

 農業代表が言った。

 

「知らないままにしない国」

 

 学者が言った。

 

「知らないことを、認められる国」

 

 魔術師が言った。

 

 そして最後に、商人代表が言った。

 

「それでいて」

 

「何?」

 

「金を払って、外国の食べ物を買いたがる国」

 

 数秒の静寂の後、アレシナが笑った。全員も、少し遅れて笑った。

 

 ◇

 

 その夜、アレシナは、王都へ送る中間報告を書いた。

 

 何から書くべきか、迷った。病院、学校、農業。どれも重要だった。何度か文章を書いては、消した。

 

 最後に、冒頭にこう記した。

 

 ──日本国の力を、保有する兵器のみから判断することは適切ではない。

 

 一行、空ける。

 

 ──彼らの強さは、日常の生活を維持する能力そのものにある可能性が高い。

 

 また、手が止まる。それから、続けた。

 

 ──高齢者を長く健康に保つ医療。

 

 ──国民に広く行き渡った教育。

 

 ──人口が減る中でも、農地を維持する自動化。

 

 ──そして、それらを一部の富裕層の特権としてではなく、社会の制度として、広く運用していること。

 

 そこまで書いて、アレシナは思った。

 

 これを、父はどう読むだろう。

 

 ◇

 

 同じころ、ヴァレシアの王宮では、アルヴェリオ三世が、まだ届いていない報告を待ちながら、別の文書を読んでいた。

 

 ベルカディア、ヴァルガニア、東海岸、商人、諸侯。日本が現れてから、紙が増えた。

 

「陛下」

 

 宰相が言った。

 

「王女殿下は、今ごろ」

 

「驚いているだろうな」

 

「何に、でしょう?」

 

 アルヴェリオは、少し考えた。

 

「軍艦ではないと思う」

 

「では」

 

「分からん」

 

 王は、机の上の日本関係の資料を見つめた。

 

「だから」

 

 一度、息を吐く。

 

「行かせたのだ」

 

 ◇

 

 その答えの要旨が届いたのは、翌朝のことだった。

 

 王は報告の最初の数行を読むと、しばらくのあいだ動かなかった。

 

「何と?」

 

 宰相が尋ねた。アルヴェリオは、紙から目を離さずに言った。

 

「やはり」

 

「はい」

 

「船では、なかった」

 

 ◇

 

 ヴァレシアの人々は、日本へ来る前、八千三百万という数字に驚いた。その人口を養う国力に、恐怖した。「いわみ」を見て、その技術に驚いた。宇宙の話を聞いて、理解することを諦めた。

 

 だが、実際に日本を歩いてみて、少しずつ、違うものが見え始めていた。

 

 日本の強さとは、一隻の船ではない。一機の航空機でも、一門の砲でもない。

 

 百歳近い人が、朝、自分の力で起きる。子供が、当たり前に学校へ行く。広い平野を、少ない人数で耕す。山あいの小さな畑を、機械と老人が守る。水が出て、列車が走り、病院が開き、学校が始まり、畑に作物が育つ。

 

 そして翌日も、同じことが続いていく。それを八千三百万人分、何十年も、何百年も続けてきたのだ。

 

 それが国家というものなのだとしたら、ヴァレシア王国が日本から本当に学ぶべきものを、視察団はまだ、何一つ持ち帰れてはいなかった。

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