2330年日本国、異世界へ   作:水野芽生

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第5話:白い船の報告

 

《セルカ》がリヴァーノの湾口に姿を現したのは、午後四時を少し回ったころだった。

 

 朝の出港から、まだ一日も経っていない。だが港では、すでに半日分どころではない噂が育っていた。

 

「東の怪船は三百尋もあるらしい」

 

「いや、海の上を飛んでたって聞いたぞ」

 

「船じゃない。古代人の城だ」

 

「ベルカディアが秘密裏に作った新兵器だって」

 

「ヴァルガニアの船だろ」

 

「帆なしで走るヴァルガニア船なんてあるかよ」

 

「魔物を船と見間違えたんじゃないか?」

 

 市場でも、酒場でも、荷役場でも、話題は同じだった。

 

 朝から十隻を超える船が、東方で異様な船影を目撃している。沿岸の通信魔法網を通じて届いた報告は、どれも一致していた。帆がない。煙がない。木造ではない。異様に速い。白い──あるいは遠目には灰白色に見える、巨大な船。

 

 そして昼を幾分か過ぎたころ、東へ調査に出た《セルカ》から、中継可能な海域へ戻った直後に短い魔法通信が届いた。

 

 内容は、たった三項目だった。

 

『接触成功』

『人が乗っている』

『会話に成功』

 

 それだけで、港は完全に仕事どころではなくなった。

 

 ◇

 

「《セルカ》だ!」

 

 灯台の監視員が声を上げた。防波堤の向こうに、風をはらんで膨らんだ帆が見える。

 

 普段なら、帰港する沿岸船一隻に注目する者など誰もいない。だが、今日は違った。岸壁には港湾労働者が集まり、漁師たちは手を止め、魚商人まで店を抜け出してきている。都市警備兵が、押し寄せる人垣を懸命に押し戻していた。

 

「下がれ! 荷役路を空けろ!」

 

「向こうの人間を連れてきたのか?」

 

「怪物は?」

 

「白い船はどこだ!」

 

「やっぱり魔物だったのか!」

 

《セルカ》が接岸し、縄が飛び、船員たちが係船索を巻きつけていく。その一連の作業が終わるより先に、質問が飛び交った。

 

 甲板に、船長のガルディオが姿を現した。長髪に無精髭、耳飾り、腰の湾曲刀。朝とほとんど変わらない、海賊じみた姿だ。

 

 だが、どこか妙に静かだった。

 

「ガルディオ!」

 

 顔見知りの漁師が叫んだ。

 

「どうだった!」

 

「でかかった」

 

「どれくらいだ!」

 

「ものすごく」

 

「何だそれ!」

 

 笑いが起こる中、ガルディオは甲板から降りた。

 

「人だったのか?」

 

「ああ」

 

「どこの国だ!」

 

「日本」

 

 聞き慣れない響きに、人々がざわついた。

 

「ニホン?」

 

「東にそんな国あったか?」

 

「昨日までは、なかったらしい」

 

 一瞬だけ、あたりが静まり返った。ガルディオはその隙に歩き出す。

 

「詳しくは?」

 

「領主閣下が先だ」

 

「おい!」

 

「あとで酒場に来いよ!」

 

「今日は無理だ」

 

 その返事に、知り合いの船乗りたちまでが顔を見合わせた。

 

 ガルディオが見知らぬ土地から帰ってきて、それを酒場で語らない。それだけで、今回の出来事がただ事ではないと皆に伝わった。

 

 後ろから、ネリオが降りてきた。両腕に抱えた帳面は、出港時より明らかに冊数が増えている。続いて降りてきたファルネは、まるで幽霊でも見てきたような顔をしていた。

 

「ファルネ!」

 

 魔術師ギルドの知人が駆け寄ってきた。

 

「船に術式はあったか?」

 

 ファルネは立ち止まり、何か答えようとして──結局、それだけを口にした。

 

「……それを説明すると、長くなる」

 

 ◇

 

 領主館の会議室に、港の潮の香りが持ち込まれた。

 

 ガルディオ、ネリオ、ファルネの三人の向かいに、リヴァーノ領主が座っている。その右には娘、左には直属の騎士。さらに港務官、魔術師ギルドの地方代表、ルメリア教会から派遣された司祭、財務を預かる官吏までが顔をそろえていた。

 

「それで」

 

 領主が身を乗り出した。

 

「どんな船だった?」

 

「まず、そこからですか」

 

 娘が言った。

 

「まずそこからだろう」

 

 ガルディオは咳払いをした。

 

「でかいです」

 

 領主の目が輝いた。

 

「どの程度だ?」

 

「百歩近くはあるでしょう」

 

「百歩?」

 

 港務官が顔を上げた。

 

「少なく見積もって、です」

 

「船幅は?」

 

「うちの船を横につけたら、子供みたいなもんです」

 

「積載量は?」

 

「知りません」

 

「砲は?」

 

「船首に一門」

 

 そこで初めて、騎士が口を挟んだ。

 

「一門だけか?」

 

「あからさまなのは、ですね」

 

「大きさは」

 

 ガルディオは手で大きさを示した。

 

「俺たちの大砲とは別物です。短い。だが……」

 

「だが?」

 

「向けられたくはないですね」

 

 騎士の目が細くなった。

 

「他の兵器は」

 

「見せてないんでしょう」

 

「つまり、不明か」

 

「そういうことです」

 

 待ちきれない様子で、領主が尋ねた。

 

「帆は?」

 

「ありません」

 

「櫂は」

 

「ありません」

 

「外輪は?」

 

「ありません」

 

「では、どうやって動く?」

 

「そこから話がおかしくなります」

 

「すでに十分おかしいぞ」

 

 ガルディオが目配せすると、ネリオが帳面を開いた。

 

「彼らの説明では、“機械”というものが仕事をしているそうです」

 

「機械」

 

 領主が繰り返した。

 

「水車や歯車のようなものか?」

 

 港務官の問いに、ネリオは首を振った。

 

「そう尋ねました。しかし、それより遥かに広い意味で使っているようです」

 

「魔導機械ではないのか?」

 

 ギルド代表がそう問うと、ファルネが顔をしかめた。

 

「それが」

 

 全員の視線が、彼に集まった。

 

「魔法ではないんです」

 

 沈黙が落ちた。

 

「……何が?」

 

「船が、です」

 

 ギルド代表は笑いかけて、途中でやめた。

 

「待て。あの大きさの船を、帆も櫂もなく動かしているのだろう?」

 

「はい」

 

「ならば推進術式がある」

 

「ありません」

 

「魔力炉は」

 

「感じませんでした」

 

「魔石は?」

 

「ありません」

 

「術式盤は?」

 

「ありません」

 

「隠蔽されていた可能性は」

 

「あるかもしれません。ただ」

 

 ファルネは苛立ったように頭を掻いた。

 

「船の中を歩き回って、灯りも、扉も、空気を冷やす装置も見ました。どれもちゃんと動いている。それなのに、私が知っている魔力反応がほとんどないんです」

 

 ギルド代表の顔から、血の気が引いた。

 

「では、何で動いているのだ」

 

「それを私に聞かないでください」

 

 一方の領主は、楽しそうだった。

 

「素晴らしいな」

 

「閣下」

 

 騎士が睨んだ。

 

「いや、素晴らしいだろう」

 

「危険です」

 

「危険であることと、興味深いことは両立する」

 

「閣下の場合、その二つが両立すると、後者しか見えなくなるのが問題なのです」

 

 娘が小さく息を吐いた。

 

 ◇

 

「乗員は?」

 

 港務官が尋ねた。

 

「三十数人」

 

 ガルディオの答えを、港務官は一度聞き流しかけ──そして止まった。

 

「何人だと?」

 

「三十と少し」

 

「……あの船をか?」

 

「ああ」

 

「一交代分の人数ではなく?」

 

「船全部らしい」

 

「そんな馬鹿な」

 

「俺もそう言いたかったよ」

 

 ガルディオは肩をすくめた。

 

「《セルカ》とほとんど変わらん人数で、あの城みたいな船を動かしてるんだ」

 

 財務官が眉を寄せた。

 

「漕ぎ手は?」

 

「いない」

 

「奴隷は」

 

「いない」

 

「下働きは」

 

「もちろん仕事をする船員はいる。だが、俺たちのような数はいらないらしい」

 

 領主は指を組んだ。

 

「機械が、人間の代わりに働く」

 

「本人たちは、そう言っていました」

 

「だから船員が少ない」

 

「たぶん」

 

「面白い」

 

「またそれですか」

 

 娘が呟いた。

 

 ◇

 

「そして、彼らは言葉を学びました」

 

 ネリオが言った。

 

「誰が?」

 

「道具が、です」

 

 司祭が、初めて眉を上げた。

 

「道具?」

 

「最初は、ほとんど話が通じませんでした」

 

 ネリオは経緯を説明した。指差し、絵、名前、数字、簡単な単語──そしてファルネの翻訳魔法。

 

「こちらの翻訳術も使いました。ただ、まるで向こうの道具が、それを見て学習しているようでした」

 

「学習?」

 

 ギルド代表が訊いた。

 

「最初は『我々、友、争わない』程度でした」

 

「それが?」

 

「数時間後には、普通の質問ならかなり通じるようになっていました」

 

 今度こそ、ギルド代表は黙り込んだ。司祭が静かに尋ねる。

 

「その道具には、意思があるのですか」

 

 ネリオは困った顔をした。

 

「分かりません」

 

「ミウラは、機械だと言ってた」

 

 ガルディオが口を挟んだ。

 

「ミウラ?」

 

「向こうの船長です」

 

「船長の名まで聞いたのか」

 

「俺の名も教えましたよ」

 

「それは良い」

 

 領主が微笑んだ。

 

「何がです」

 

 騎士が訊いた。

 

「名前を交換した相手とは、少なくとも名前を知らない相手よりも、殺し合いにくい」

 

 司祭がゆっくりと頷いた。

 

「一理ありますな」

 

「司祭殿まで」

 

「ただし、一理だけです」

 

 ◇

 

「彼らは、どこの民なのです?」

 

 娘が尋ねた。

 

「日本、という国です」

 

 ネリオが答える。

 

「島国?」

 

「そうです。地図を見せてもらいました」

 

 娘が反応した。

 

「地図を?」

 

「はい」

 

「どの程度正確なものでした?」

 

「……分かりません」

 

「写してきたの?」

 

 ネリオは少し誇らしげに、帳面から一枚の紙を取り出した。

 

「可能な範囲で」

 

 机の上に置かれたのは、細長い島々が弧を描いて連なり、複雑な海岸線を持つ──リヴァーノの誰も知らない形だった。

 

「この国が、東のどこかにあるのか?」

 

 領主が訊くと、ガルディオは首を振った。

 

「そこが一番妙なんです」

 

「妙?」

 

「昨日までは、この世界にはなかったそうです」

 

 誰も、言葉を発しなかった。

 

 窓の外から、遠くの鐘の音が聞こえてくる。領主ですら、すぐには質問しなかった。

 

 やがて、ギルド代表が低く言った。

 

「国土転移?」

 

「そんな術は知りません」

 

 ファルネが即座に答えた。

 

「お前が知らないだけかもしれん」

 

「国家一つですよ」

 

「古代文明なら」

 

「なら、なぜ日本人自身が知らないんです?」

 

 司祭が口を開いた。

 

「彼らは、それをどう説明している?」

 

「説明できない、と」

 

 ガルディオが答えた。

 

「原因を調べている最中だそうです」

 

「自分たちも知らないのか」

 

「ええ」

 

「嘘である可能性は」

 

 娘が小さく言った。

 

「あるでしょうな」

 

 騎士が答えた。

 

「異世界の民を名乗れば、出自を隠すには便利です」

 

「俺もそう思った」

 

 ガルディオが言った。

 

「でも?」

 

「嘘にしては、船がでかすぎる」

 

 騎士の目が細くなる。ガルディオは続けた。

 

「普通の嘘なら『遠い島から来た』で済むでしょう。あんな船を持ってる連中が、わざわざ誰も信じそうにない話を最初に持ち出す理由が、俺には分からん」

 

「信じるのか?」

 

「信じてはいません」

 

 少し間を置いて、ガルディオは言った。

 

「ただ、疑うなら疑うで、もっと話を聞かないと何も始まらんでしょう」

 

 騎士は、それには反論しなかった。

 

 ◇

 

「人口は?」

 

 財務官が訊いた。ネリオが帳面の頁をめくる。

 

「八千三百万です」

 

「……何だと?」

 

「八千三百万人」

 

「国全体でか?」

 

「そうです」

 

「八百三十万ではなく?」

 

 娘が聞き返した。

 

「私も三度確認しました」

 

 ネリオは紙に、現地の数字で「八千三百万」と書いてみせた。

 

 その場にいた全員が、しばらくその数字を眺めていた。

 

 リヴァーノ領内の人口など、比べものにもならない。ヴァレシア王国全体でさえ百九十万──その四十倍を超える数だ。

 

 領主の顔から、初めて表情が完全に消えた。

 

「間違いではないのか」

 

「向こうの道具が、数字を表示しました」

 

「国土は?」

 

「正確な面積は聞いていません。ただ、人口は確かです」

 

 財務官が小声で計算を始めた。騎士は、別のことを考えていた。

 

「その八千三百万を養える国が」

 

「はい」

 

「一隻の船を三十人で動かす技術を持っている」

 

「はい」

 

「そして、我々の知らない動力を使う」

 

「はい」

 

 騎士は椅子の背へ身体を預けた。

 

「……最悪だな」

 

「何がだ?」

 

 領主が振り向いた。

 

「敵だった場合です」

 

 その一言で、会議室の温度が下がった。

 

「敵対行動は?」

 

「ありません」

 

 ガルディオが即答した。

 

「一度もか?」

 

「一度も。こっちに大砲を向けもしなかった」

 

「こちらは武装していたのだろう」

 

「ああ」

 

「にもかかわらず?」

 

「むしろ、こちらが武器を下げたら、向こうも距離を詰めてきた」

 

「客人として扱われたのですか?」

 

 司祭の問いに、ガルディオは少し考えた。

 

「そうですね」

 

「侮辱されたことは?」

 

「なし」

 

「脅されたことは?」

 

「なし」

 

「何か要求されたことは?」

 

「なし」

 

「では、少なくとも現時点では」

 

 司祭は、胸元にある円環と炎を象った小さな聖印に触れた。

 

「彼らを敵と断じる理由もありません」

 

「ですが、安全とも言えません」

 

 騎士が言った。

 

「もちろんです」

 

 司祭は穏やかに返した。

 

「慎重であることと、無礼であることもまた、同じではありません」

 

「そういうことだ」

 

 領主が嬉しそうに頷いた。

 

「閣下がおっしゃると不安になるのは、なぜでしょうね」

 

 ◇

 

 領主が立ち上がった。

 

「では、私が会おう」

 

「なりません」

 

 騎士、娘、港務官──三方向から同時に声が飛んだ。領主が瞬きをする。

 

「まだ何も説明していないが」

 

「十分です」

 

 娘が答えた。

 

「日本人を招くのでしょう?」

 

「ああ」

 

「そして、ご自身で港まで迎えに行く」

 

「よく分かったな」

 

「お父様ですから」

 

「なら話が早い」

 

「早くありません」

 

 騎士が机に両手をついた。

 

「相手は、我々の王国全体より遥かに人口の多い、未知の国家です」

 

「だからこそ、領主本人が出る意味がある」

 

「相手が閣下を拘束したら?」

 

「なぜ拘束する」

 

「それを確認している最中なのです!」

 

「では、君も来ればいい」

 

 騎士は口を閉じた。眉間に深い皺が寄る。

 

「……そういう問題ではありません」

 

 ガルディオが横を向いて、笑いを堪えていた。

 

「笑うな」

 

「笑ってませんよ」

 

「顔が笑っている」

 

「生まれつきです」

 

 ◇

 

 その後の一時間は、日本人よりも、領主をどう扱うかの方が難航した。

 

 日本との接触そのものについては、意外なほど早く意見がまとまった。接触を断つ理由はない。むしろ、未知の巨大国家が沖合に存在する以上、情報を得ない方が危険である。交易の可能性、医学、造船、言語、自然哲学、そして魔法を使わない技術──聞くべきことは多すぎるほどだった。

 

 ただし、無制限に市内へ入れるわけにもいかない。最終的に決められた条件は、明快なものだった。

 

 日本側の正式な訪問団は少人数とし、指定の岸壁を使用すること。武装は護衛に必要な最低限にとどめ、無断での武器や魔法の使用は禁じる。市内の移動にはリヴァーノ側の案内を伴い、第一回の会談は港務所で行う。疫病その他の危険については、双方で確認する。

 

 そして日本側がこれを受け入れるなら、リヴァーノは彼らを公式な客人として迎える。

 

「妥当でしょう」

 

 娘が言った。

 

「異論はありません」

 

 騎士も頷き、港務官が記録を取る。

 

「では、迎賓の担当を──」

 

「私が」

 

「閣下」

 

 また始まった。領主は真顔だった。

 

「外国の正式な使節が、領内へ来るのだぞ」

 

「正体不明の外国です」

 

「だからこそだ」

 

「こちらの安全確認が終わるまで、お待ちください」

 

「それでは相手に失礼だ」

 

「閣下が亡くなられる方が困ります」

 

「私は、そんなに簡単には死なない」

 

「向こうの船を見たあとだと、それ、あんまり説得力ないですぜ」

 

 ガルディオが呟くと、領主は彼を見た。

 

「君までか」

 

「俺は閣下に金を借りてますから。死なれると寝覚めが悪い」

 

「返す気はあるのか?」

 

「もちろん。いつか」

 

 娘が額に手を当てた。

 

 ◇

 

 最終的な妥協案は、こうなった。

 

 日本側の使節が上陸したら、まず港務官と警備隊が接触し、危険がないことを確認する。その後、港務所前の広場で領主本人が正式に迎える。領主は岸壁そのものには出ない。

 

「岸壁から百歩以上は離れていただきます」

 

 騎士が言った。

 

「五十」

 

「百」

 

「七十」

 

「百」

 

「……分かったよ」

 

「護衛を減らそうともなさらないでくださいね」

 

 娘が横から付け加えた。

 

「威圧的ではないか」

 

「三十人です」

 

「二十」

 

「三十」

 

「君まで」

 

「お父様ですから」

 

 領主は不満そうに椅子へ座った。だが、その顔には隠しきれない期待が浮かんでいた。

 

 机の上には、ネリオが写した日本列島の地図と、ガルディオが描いた白い巡視船の絵。そして、大きく書かれた八千三百万という数字。

 

 領主はそれらを眺めた。

 

「別世界、か」

 

 誰にともなく呟く。

 

「本当に、そんな場所から来たのなら」

 

「どうされます?」

 

 娘が父を見た。

 

「聞くさ」

 

「何を?」

 

 領主は少し考えた。

 

「全部だ」

 

 騎士が、深いため息をついた。

 

 ◇

 

 その夜、リヴァーノでは、いつもより遅くまで灯りが消えなかった。

 

 酒場では白い船の話で持ちきりになり、商人たちは未知の交易相手について算盤を弾いた。魔術師たちは「魔法を使わない機械」という矛盾について議論を交わし、ルメリア教の司祭たちは、異世界から来たという人々をどう理解すべきか話し合った。

 

 港の子供たちは、帆のない船の絵を描いた。もちろん、誰一人として正確には描けなかった。

 

 そして、領主館では。

 

「お父様」

 

「何だ」

 

「寝てください」

 

「あと少しだ」

 

 領主は机に向かっていた。紙には、びっしりと質問が並んでいる。

 

 日本には王がいるのか。八千三百万もの民をどう養っているのか。なぜ三十人で巨大な船が動くのか。魔法なしで、どうやって光を作るのか。どのような文字を使うのか。どれほど遠くまで航海できるのか。病を治せるのか。空を飛べるのか。彼らの世界はどんな形をしていたのか。そして、なぜここへ来たのか。

 

 娘は、その紙に目を落とした。

 

「……これ、明日全部聞くおつもりですか?」

 

「もちろん」

 

「相手も疲れますよ」

 

「では、途中で食事を出そう」

 

「そういう問題ではありません」

 

 首を傾げる父を見て、娘は諦めた。

 

 窓の外、東の海は暗い。

 

 その遥か向こうに、日本という国がある。昨日まで存在しなかった国が。

 

 ◇

 

 翌朝、リヴァーノの東方監視塔で、見張りが鐘を鳴らした。

 

 一度、二度、三度。ただの船ではないことを示す合図だ。

 

「東方に大型船!」

 

 望遠鏡を握った監視員が叫んだ。港務官が塔の階段を駆け上がってくる。

 

「特徴は!」

 

「白い船体です!」

 

 朝日を受けて、水平線の向こうに白い船が浮かび上がっている。監視員は息を呑んだ。

 

「昨日の船です!」

 

 巡視船「いわみ」。その後部では、一隻の小型艇が発進の準備に入っていた。乗り込むのは、先遣使節の四名と護衛、そして検疫官。

 

 日本人が初めて、ヴァレシア王国の地に足を踏み下ろす朝が来たのだ。

 

 そして港務所では、その報告を聞いた領主が真っ先に立ち上がっていた。

 

「よし。迎えに──」

 

「まだです、閣下」

 

 騎士が即座に扉を塞いだ。

 

 リヴァーノの長い一日は、まだ始まったばかりだった。

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