魔法先生ギルガメッシュ 作:長LAVA
【長谷川千雨side】
翌日の放課後、私は教科書を鞄へ押し込み、職員室へ向かった。
昨夜は、思っていたほど眠れなかったわけではない。何を見せられるのか考えてはいたが、今までのように、同じ疑問を何度も頭の中で繰り返すことはなかった。
理由がある。知っている大人がいる。そして、今日になれば説明してもらえる。
たったそれだけで、随分と違ったらしい。
職員室の入口から声を掛けると、先生は既に帰り支度を終えていた。机の上の書類を揃え、近くにいた教師へ一言断ってから、こちらへ歩いてくる。
「来たか。では、行くぞ」
「本当に、どこへ行くかも教えねえんだな」
「着けば分かる。そう遠くはない」
その言い方を他の人間にされたら、ついていく気にはならなかっただろう。
だが、昨日あれだけ話を聞いてもらった後で、行き先を言わないことだけを理由に帰るのも違う。私は先生の隣に並び、校舎を出た。
途中までは、普段も通る道だった。
授業を終えた生徒たちが行き交い、遠くから運動部の掛け声が聞こえる。昨日と同じ景色なのに、先生が知っていると言ったことを思い出すと、今まで気にも留めなかった場所へまで目が向いた。
この中に、何かが混じっているのだろうか。
そんなことを考えているうちに、人通りが減った。道の両側に木が増え、その奥に、学校の施設らしくない建物が見えてくる。
ログハウスだった。
先生は迷う様子もなく玄関へ向かい、扉を叩く。少しして中から足音が近づき、開いた扉の向こうに金色の髪が現れた。
「来たか」
エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。
同じ教室で授業を受けているはずの、あの小柄な同級生が、私と先生を交互に見た。
私は玄関の前で足を止めた。
「……なんで、マクダウェルの家なんだよ」
「説明と実演に向いた場所を持っておるのでな」
「それだけの話だったはずなんだがな、相談役の話までしれっと増やしやがった」
マクダウェルの視線が先生へ向く。
初めて聞いた話ではないらしい。嫌そうな顔はしているが、追い返すために扉を閉めようとはしなかった。
「教えるのは我だ。だが、学校で何かあるたび我を探し回らせるより、同じ教室に話の通じる者がいた方がよかろう」
「私が毎回面倒を見るのは御免だぞ」
「分からぬことを聞かれた時に答えるか、必要なら我へ繋げればよい。四六時中、隣へ座っていろとは言っておらん」
「……本人の前で、面倒を見るとか押し付けるとか言うなよ」
口を挟むと、2人がこちらを見た。
先生は少し笑い、マクダウェルは鼻を鳴らす。
「お前も、何でもかんでも私に聞こうとするなよ」
「私だって、べったりくっつく気はねえよ」
「ならば話は早い。入れ」
妙な歓迎だった。
それでも、中へ通された時には、少しだけ緊張が薄れていた。何か大げさな秘密の集会でも始まるのかと身構えていたところへ、普通に文句を言われたからかもしれない。
部屋の奥から、今度は絡繰が現れる。
「いらっしゃいませ、長谷川さん」
「……絡繰までいるのか」
「はい。どうぞ、お掛けください」
示された椅子へ座りながら、私は部屋を見回した。
木の壁も、整えられた家具も、並んだ本も、普通の家のものに見える。多少変わった置物はあるが、昨日まで悩んでいたことへの答えが転がっていそうな場所ではなかった。
ただ、先生が妙に馴染んでいる。
上着を掛ける場所も分かっているし、茶を運んできた絡繰へ礼を言う様子も自然だった。学校で顔を合わせているだけの教師と生徒にしては、随分と気安い。
マクダウェルも、先生が勝手に椅子を引いたことには何も言わなかった。
「それで。そろそろ教えてくれよ」
湯気の立つカップを前にしても、飲む気にはなれない。
先生がこちらを向いた。
「うむ。まず、昨日の疑問への答えを1つ言おう。魔法は実在する」
私は黙って、その顔を見た。
笑っていない。私の反応を見て、冗談だと言い直す様子もなかった。
「……魔法」
「そうだ。麻帆良には、それを使う者がいる。お前が今まで見てきたものにも、魔法が関わっている」
用意していたはずの質問が、うまく出てこない。
超能力でも、秘密の技術でも、何でもいいから説明が欲しいとは思っていた。だが、実際にそう言われると、今度はその言葉をどこから疑えばいいのか分からなくなる。
「信じろと言われても、困るだろう?」
「……当たり前だろ」
「だから見せる。エヴァ、その前に約束の対価だ」
先生が、何もない場所へ右手を伸ばした。
指先の少し先で、空間が金色に揺れる。
反射的に椅子の背へ体を引いた。壁に何か映しているわけじゃない。先生の手と部屋の奥との間に、丸い光のようなものが浮かび、その内側へ腕が沈んでいく。
「おい、今――」
言い終える前に、先生が何かを引き抜いた。
鞘に収まった、1本の剣だった。
映画の小道具よりも、博物館の展示品を思わせる代物だ。派手に飾り立てているわけではないのに、柄や鍔の細かな造りへ目が引かれる。
だが、私より明らかに大きく反応したのは、マクダウェルの方だった。
椅子へ預けていた体を起こし、先生の手元を凝視している。
「……待て。何を出した」
「
「名前を聞いているんじゃない。貴様、その剣――」
「魔剣グラムや、
マクダウェルが黙った。
さっきまで面倒そうにしていた顔から、完全に表情が消えている。
私も、聞き覚えのある名前に引っ掛かった。
「エクスカリバーって、あのアーサー王の?」
「他にどれがある」
「いや、他にって言われても……」
「千雨、少し待て」
マクダウェルが片手を上げ、私の質問を止めた。
その目は、剣から離れない。
「星が鍛えた神造兵装とされる、あの聖剣の原型だと?」
「そう言ったであろう」
「……それを、何の対価に出すつもりだと?」
「今日の場所と補助、それから学校で千雨の相談に乗ってもらう分だ。さっきからその話をしておる」
「釣り合いがおかしいと言っているんだ!」
とうとう声が大きくなった。
私は先生と剣とを見比べた。魔法があると言われた直後に、伝説の武器まで持ち出されても、正直、頭が追いつかない。
ただ、マクダウェルが本気で驚いていることだけは分かる。
「今の魔法使いどもに、これへ値をつけさせてみろ。いくら積んでも買えんものを、相談役の報酬にする奴があるか」
「ここにおろう」
「そういうことを言っているんじゃない!」
先生はまるで気にせず、鞘ごと剣を差し出した。
マクダウェルはすぐには受け取らなかった。刃物を扱うことを怖がっているようには見えない。ただ、渡す側と受け取る側で、物の重さが違いすぎるらしかった。
「……後で返せと言っても、返さんぞ」
「譲ると言ったものを、気が変わったから取り上げるほど狭量ではない。宝といえど道具よ、死蔵するより使った方がマシというものだ。一人の人生よりかは安かろう」
ようやく、小さな手が鞘へ伸びる。
受け取った剣を、マクダウェルは慎重に持ち直した。それから、少しだけ刀身を覗かせる。鋼の色が光を返した瞬間、彼女の目つきが変わった。
さっきまでの不機嫌とは違う。
欲しかった本を見つけた時のような、何かを確かめたくてたまらない顔だった。
私は嫌な予感がして、先生を見る。
「私、その剣の分まで何かやれとか言われねえよな」
「なぜお前に請求する。我が頼み、我が払った。それだけの話だ」
「だよな。そこは一応、聞いておきたかった」
「心配するな、長谷川。引き受けたのは私だ。お前に貸しをつける話ではない」
マクダウェルもそう言い、剣を丁寧に卓の脇へ置いた。
先生が、その様子を見て口元を緩める。
「試すのは後だぞ」
「分かっている!」
分かっている奴の目ではなかった気がする。
絡繰が何事もなかったように茶を注ぎ直す横で、私はようやくカップを持ち上げた。
まだ最初の説明すら終わっていないはずなのに、既に疲れ始めていた。
◆
次に見せられたのは、大きな球だった。
中には小さな建物や景色が収まっている。精巧な模型に見えたが、ここまで来て単なる置物ですと言われても、その方が信じられない。
「ダイオラマ魔法球だ。実演は、この中でやる」
マクダウェルの説明を聞き、私は球と彼女の顔を交互に見た。
「中?」
「そうだ。外で余計な騒ぎを起こされても困るからな」
「入れる大きさじゃねえだろ」
「だから、魔法だと言っておる」
先生にそう返され、私は額を押さえた。
「便利な一言で済ませるなよ。昨日まで、自分の目を疑ってた人間だぞ」
「済ませる気はない。入ってから説明する。ただし、中と外では時間の進み方も違う。帰る時刻は見ておくから、そこは心配するな」
「待て、今また変なことを増やしただろ」
説明を1つ聞くたび、質問が2つ増える。
先生はそのことまで見越していたように、少し笑ってから、私が頷くのを待った。無理やり連れ込む気はないらしい。
私は球の中をもう1度覗き込んだ。
ここで引き返すために来たんじゃない。
そう思い直し、言われた通りに手を伸ばす。
足元の感覚が、一瞬だけ曖昧になった。
部屋の床を踏んでいたはずなのに、次に靴底へ伝わったのは、外を歩いている時の硬い感触だった。顔を上げると、木の天井がなくなっている。
空が、あった。
青く、広く、雲が浮かんでいる。
風が頬を撫でた。さっきまでいたログハウスの室内とは違う、暖かく湿った空気だった。遠くには水面が広がり、建物の白い壁が日差しを照り返している。
私は後ろを振り返り、それからもう1度前を向いた。
どちらにも、部屋の壁はなかった。
「……おい」
「何だ」
「私、あの球に入ったんだよな」
「そうだ」
「だったら、あの球よりこっちの方が広いのはおかしいだろ」
「考えたらわかるであろう、あの球がそういうものということよ。普通に考えてみよ」
「だから、普通は入らねえんだよ!」
思わず言い返すと、マクダウェルが笑った。
先生まで笑っている。
こっちは真面目に聞いているのに、随分と楽しそうだ。
手近な欄干へ触れてみる。指先に当たる石は、日差しを受けて温かかった。足元には自分の影があり、風が吹けば制服の裾が揺れる。
目を閉じても、何もなくならない。
先生は私が確かめる間、急かさず待っていた。
「見せかけだけではない。ここで歩けば足も疲れるし、転べば痛い。外とは切り離された空間が、あの球に収められていると考えればよい」
「考えればいいって言われても……いや、見てるけどさ」
「分からぬところは後から覚えろ。今は、こういうことが実際にできると知れば十分だ」
全部を理解しろとは言われない。
それで、少しだけ考えやすくなった。
仕組みが分からないことと、目の前で起きていないことは別だ。今まで自分でもそう思ってきたのだから、ここで逆のことを言うわけにもいかない。
案内されたのは、見晴らしのよいテラスだった。
絡繰が椅子を用意してくれる間、先生は少し離れた場所へ立ち、片手を上げる。
「まずは、目の前の現象からだ」
短く、聞き取れない言葉を口にした。
指先に小さな光が灯る。
金色の穴とは違う。今度は丸い光そのものが、先生の手の上に浮いていた。眩しすぎるほどではないが、日差しの中でもはっきりと見える。
先生が指を動かすと、光もそれに従って移動した。
「これが魔法によって起こした現象の1つだ。魔力を使い、術に従って光を生じさせている」
「今、何か唱えたのが、その術なのか」
「発動のための言葉だ。言えば誰でも同じことが起こせるわけではない。必要な力を用意し、それをどう働かせるかも覚えねばならん」
光が、先生の手から離れた。
私の前までゆっくり近づき、そこで止まる。すぐ近くに仕掛けがあるようには見えないし、細い糸も見当たらない。
顔を近づけると、先生がそれを少し上へ動かした。
「光を作る、物を動かす、熱を加える、外からの力を防ぐ。同じ魔法と呼んでも、何をするかは様々だ。今から見せるものも、そのごく一部にすぎん」
今度は、机の上にあった木片が浮き上がった。
先生の手は触れていない。木片はゆっくり回り、私が横から覗き込んでも、そのまま空中に留まっている。
次に、それが先生から少し離れた場所へ飛んだ。
何もないはずのところで、乾いた音がする。
薄い光が一瞬だけ広がり、木片が止まった。
「防御の術だ。飛んでくるものを止めた。だが、どれほど強いものでも無限に防げる、というわけではない」
「……壁を作ったみたいなものか?」
「今のものについては、そう考えて構わん。何を防ぐかによって、使う術も変わる」
木片が、机の上へ戻ってきた。
私は手を伸ばしかけてから、先生を見る。頷かれたので触ってみると、普通に硬い。止められた角が、少しだけ欠けていた。
映像じゃない。
その当たり前の確認を、何度もしている自分に気づく。
「使い方を変えれば、傷つけることもできる」
先生の指先から、小さな光が飛んだ。
さっきまで浮かんでいた柔らかな灯りとは違う。離れた場所へ立てられた的に当たり、その表面が鋭く欠けた。
破片が地面へ落ちる音が、少し遅れて届く。
私は欠けた的と先生の手を見比べた。
先生はそのまま手を下ろし、こちらへ戻ってくる。
「見ての通りだ。灯りにすることも、物を運ぶこともできる。だが、人へ向ければ怪我をさせるものにもなる。面白いからと試してよいものばかりではない」
脅すような言い方ではなかった。
だからこそ、さっきまでの冗談よりも頭へ残った。
私が昨日まで見ていたものの中にも、こういう力があったのだろうか。身軽だとか、手品だとか、変わった特技だとか、そんな言葉で流されていたものに。
知らないまま近づいていた可能性を考えると、背中が少し寒くなる。
「さっき先生が剣を出したのも、今のと同じなのか」
「あれは別だ。我の持つ
「別なのかよ」
「魔法を1つ知れば、世の不思議が全て同じ仕組みで説明できると思うな。お前のクラスの者も、それぞれ事情が違う」
私は、少し離れたところで待っている絡繰へ目を向けた。
「じゃあ、絡繰は」
「それは本人に聞け。我が勝手に話すことではない」
即座に返される。
昨日までなら、また隠すのかと思ったかもしれない。だが、今の説明は分かった。魔法があると教えることと、同級生の事情を全部並べることは違うのだろう。
絡繰は私の視線を受け、静かに口を開いた。
「私の身体は機械によって造られています。ただし、科学技術だけではなく、魔法も用いられています」
本人が言った。
私は耳の辺りへ視線をやり、それから慌てて顔へ戻した。
「……本当に、そうだったのか」
「はい」
どう返せばいいのか、少し迷う。
散々気にしていたくせに、本人から肯定されると、それ以上じろじろ見るのも違う気がした。
「悪い。変な聞き方して」
「気になさる必要はありません。私に答えられることであれば、お尋ねください」
いつもの丁寧な口調だった。
あの教室で、何度も聞いた声と変わらない。
それでようやく、事情が分かったからといって、目の前の絡繰まで別の誰かになったわけじゃないのだと思えた。
◆
座り直したところで、先生が世界樹の話を始めた。
麻帆良に住んでいれば、目にしない日の方が少ない、あの巨大な木だ。
それも普通ではないのだろうと今なら思えるが、話は大きさだけではなかった。
「世界樹を中心に、この学園には人の認識へ作用する仕組みがある。異常なものを目にしても、深く気に留めずに済むようにな」
私はカップへ伸ばしかけた手を止めた。
「……気に留めない?」
「見えなくするわけではない。見た上で、さほど不思議には思わなくなる。お前が昨日話していた、周囲がすぐに次の話へ移るという感覚は、それと無関係ではない」
先生の言葉を聞きながら、昨日の渡り廊下を思い出した。
驚いた声。
手すりから下を覗き込む顔。
そして、身軽だねという一言で、その場から離れていく生徒たち。
「じゃあ、みんなが気にしねえのは……そういうふうにされてるからか?」
「元々の性格や慣れもある。全てを術のせいだと片付けるな。ただ、受け流す方へ働きかけるものがあることは確かだ」
「私は?」
「効きが悪い」
短い答えだった。
先生は、私が口を開く前に続ける。
「全く効いていないわけではない。だから、その場では一度納得しかける。しかし、時間が経つと自分の判断が戻ってくる。そこで、先ほど流したことが再び引っ掛かる」
胸の奥が、嫌な具合に縮んだ。
昨日話したことを、別の言葉で説明されている。
その場では納得する。
後から、何に納得したのか分からなくなる。
それがまた不安になって、今度は自分の頭まで疑う。
「……つまり、私が勝手に神経質になってたわけじゃねえんだな」
「そうだ」
「私だけが、周りと同じようにならなかったってことか」
「少なくとも、お前にはこの仕組みがうまく馴染んでいない。そして、その理由を知らされずに過ごしていた」
私は机の上を見た。
すぐには何も言えなかった。
辻褄が合う。
合ってしまう。
魔法なんていう馬鹿げた言葉で説明されているのに、今まで何年も考えてきたことが、次々と繋がっていった。
安心するべきなのかもしれない。
昨日、気のせいではないと言われたことが、今日こうして裏づけられたのだから。
だが、最初に出てきたのは別の感情だった。
「……ふざけんなよ」
小さく呟く。
先生は黙っていた。
「じゃあ、私が変だと思ってたものだけじゃなくて、変だと思わなくなるところまで、そっちがやってたのか。頭の中に手を入れてたってことだろ」
「認識へ干渉している。その点は否定せん」
「こっちは、そんなの頼んでねえよ」
「そうだな」
あっさり頷かれ、余計に言葉が詰まった。
ここで、秘密を守るためだから仕方がないとか、大勢が暮らすために必要だとか言われれば、たぶん言い返していた。
だが、先生はそれで押し切ろうとはしなかった。
「魔法を知らぬ者が多く暮らす場所で、秘密を保つための仕組みではある。役に立っている面もあろう。だが、お前が苦しんでいたことまで、それでなかったことにはできん」
私は、膝の上で手を握った。
マクダウェルは笑っていなかった。
しばらく誰も話さないまま、風がテラスを抜けていく。
昨日までのことが、何もかも腹立たしくなった。
何度も思い直したこと。自分の方がおかしいのだと考えたこと。気にしなければいいのに、それができない自分へまで苛立っていたこと。
それらが全部、説明を知らなかったところから始まっていた。
ただ、ここで目の前の3人へ怒鳴っても、それがなくなるわけではない。
私は息を吐き、顔を上げた。
「理由が分かったら、もう効かなくなるのか」
「そう都合よくはならん。見たものの正体が分かれば、以前のように悩まずに済むことは増えるだろう。だが、術への効き方そのものが、説明を聞いただけで変わるわけではない」
「だよな」
期待していなかったと言えば嘘になる。
それでも、簡単に全部解決したと言われるよりは納得できた。昨日まで何年も困っていたものが、説明1つで消える方がおかしい。
先生がマクダウェルへ目を向ける。
「エヴァ。実際に見比べられるものを頼む。ここは、お前の術も知っておいた方がよい」
「……いいだろう。長谷川、今から見せるのは、この場だけの簡単なものだ。学園全体へ働いているものと、全く同じではない」
マクダウェルが机の上へ手を差し出した。
何もなかった場所に、赤い林檎が現れる。
「これは?」
「……林檎に見える」
「見えるだけだ」
彼女の指が、その真ん中を通り抜けた。
私は顔を近づけ、横から見た。どこから眺めても、それらしい影も艶もある。だが、そこへ置かれたはずの指は、何も押していなかった。
「これが幻。ないものをあるように見せている。次は違うぞ」
林檎が消える。
代わりに、絡繰がカップと皿、それから小さな木片を机へ並べた。
「数を確かめておけ。必要なら書いてもいい」
私は鞄から手帳を出した。
昨日まで、自分の見たものが本当か疑うために使っていた手帳だ。そこへ並んだものと順番を書き、もう1度目で確かめる。
マクダウェルが、こちらの顔を見た。
「今から注意を向けにくくする術を使う。不快なら言え。すぐに解く」
「……ああ。やってくれ」
頷くと、彼女が短く呪文を唱えた。
何かが光ったわけでも、景色が揺れたわけでもない。
私は机を見た。
カップと皿だけがある。
それから、先生がどんな顔をしているのか気になり、そちらへ目を向けかけた。
「千雨。今は、机の上だけを見ろ」
声を掛けられて、視線を戻す。
カップと皿。
いや、もう1つ。
私は手帳を見て、机の右端から順番に目で追った。
「……木片がある」
「最初からあるぞ」
「分かってる。でも、さっき、それを数えなくていい気がした」
言いながら、自分の声が少し強張っていることに気づいた。
嫌な感覚だった。
見えなかったわけではない。今も、そこにある。
ただ、別に気にしなくていいと思いかけた。
昨日までの感覚と、全く同じではない。それでも、どこかが似ていた。
マクダウェルが術を解くと、机の上は何も変わらないまま、見ているこちらの引っ掛かりだけが薄れた。
「なるほどな。完全に弾いているわけではないが、戻ってくるのは確かに早い」
「……嫌な確認の仕方だな」
「だから先に言っただろう。もう一度は、少し休んでからにする」
マクダウェルはそれ以上続けなかった。
先生も手帳を覗き、書いた内容と今の感覚を比べるように促す。
「今は、術が使われると知っていた。記録もあり、我も声を掛けた。それで気づけたことを、どこでも同じようにできると思うなよ」
「言われなくても分かってる。知ってたのに、一瞬忘れかけたんだからな」
「うむ。その違いを覚えておけ」
できたから凄い、と褒められるより、その注意の方がありがたかった。
分かっているつもりでも、引っ掛かる。
少なくともそれを、自分の気の持ちようではなく、確かめられるものとして扱えるようになった。
◆
休憩の後は、再び先生が説明を引き取った。
光を作る時にも、物を動かす時にも、どこへ力を働かせるかが違うこと。発動させるだけでなく、止めるところまで含めて扱えなければ危ないこと。
話を聞いていると、最初は何でもできる便利な力に思えた魔法にも、覚えることが山ほどあるのだと分かってくる。
試しに私が光を作れるかと聞くと、先生は首を振った。
「今はまだ、魔力をどう扱うかも知らんであろう。順を飛ばすでない」
「同じ言葉を言っても駄目なのか」
「言葉だけで済むなら、教科書を1冊読めば達人だ」
横から、マクダウェルが口を挟んだ。
「こいつの手数の少なさまで真似するなよ。初めて覚える者なら、もっと順序立ててやる」
「分かっておる。今のは見せるためだ」
「貴様の見本は、できる者には分かるが、できない者が真似するには雑なんだ」
「ほう。ならば補足してみろ」
マクダウェルが、先生の作った防御の術へ目を向けた。
「例えば、それだ。正面から来たものを止めるところだけ見せても、どこまで守っているのか分からんだろう」
細い氷の欠片が、彼女の指先に生まれる。
先生が私から距離を取り、軽く片手を上げたのを見てから、それが放たれた。
防御の正面へ当たると思った瞬間、氷が上へ曲がる。先生の頭の上を回ろうとしたところで、別の光に弾かれた。
「そちらも防げるようにしてある」
「今足しただろう」
「必要になったからな」
さらに2つ、氷が飛ぶ。
先生は片方を光で砕き、もう片方を手前で止めた。止まった氷が、今度はゆっくりマクダウェルの方へ戻っていく。
彼女はそれを指先で払って雪のように散らし、口元を上げた。
先生も笑っている。
私は2人の間を見てから、声を掛けた。
「……おい。今の、私にどこが分かればいいんだ?」
両方の手が止まった。
少しの間を置いて、先生がこちらへ向き直る。
「防御は向きと範囲を考えねばならん、という話だ」
「最初の1発だけでよかっただろ」
「補足が多少長くなったな」
「補足じゃなくて、張り合ってただろうが」
マクダウェルが肩を揺らして笑い、絡繰が静かに新しい茶を用意した。
仲がいい。
本人たちへそう言えば、面倒な返事をされそうだから黙っていたが、少なくとも、教師と同級生の組み合わせに見えなくなってきた。
先生がずっと平然としている理由も、少し分かる。
ここでは、この力が普段からあるものなのだ。
私には人生をひっくり返すような話でも、この2人には、昔から使い、調べ、時には悪ふざけにも使うものらしい。
同じ場所へ立てたとは、とても思えない。
だが、説明を聞く席くらいは用意されたのだろう。
ひと通り見せてもらった後、先生は椅子を引き、私の向かいへ座った。
先ほどの楽しそうな顔が、少し落ち着いたものになる。
「さて。昨日のお前の問いには、これで答えが出ただろう。魔法はある。麻帆良は、それを知る者と知らぬ者が共に暮らす場所だ。そして、お前は知らぬ側にいながら、見過ごせぬものを見ていた」
私は頷いた。
まだ、分からないことは山ほどある。
だが、何が分からなかったのかまで分からない状態からは、少なくとも抜け出せた。
「ここから先は、今後の話だ。千雨、魔法を学ぶ気はあるか」
顔を上げる。
「……私も、使えるようになるってことか?」
「使うところまで含めて教える。ただ、先ほども言った通り、簡単に何でもできるようになるわけではない。座って話を聞くだけでも済まん」
先生は、私の手帳へ視線を落とした。
「自分の感覚を確かめ、外からの干渉に対処する。そのためにも、魔力がどういうものか知っておく必要がある。使われていると分かるだけでなく、自分で動かし、止め、守ることを覚えろ」
「それを、先生が教えるのか」
「当たり前よ。秘密を教えた以上その先を導く責は我にある」
あまりにも簡単に言われた。
だが、続いた話は、簡単ではなかった。
「まずは魔力を感じ、扱うところからだ。術の組み方も、魔法具の使い方も教える。何を得意とするかは実際に見てから決めるが、基礎を省くつもりはない」
「……学校の勉強が増えるみてえだな」
「実際に増える。それから、魔法を扱う側の法と決まりも覚えろ」
「法律まであるのかよ」
「力を使う人間が集まって暮らしておるのだ。何の決まりもない方が不思議であろう」
言われてみれば、その通りだった。
魔法が存在するなら、それを好き勝手に使ったら困ることもあるはずだ。誰にも見えないところで何をしてもいい、なんて話になるわけがない。
「秘匿の決まり。魔法具の所持や使用に関する制限。他人へ術をかける時に、何が許され、何が許されぬか。土地や組織によって違う部分もある。知らずに使って、後から言い訳を並べる羽目にはなるな」
「今日みたいに、頭の中へ触るやつも?」
「当然だ。何をされたか分からぬものほど、扱いには注意が要る。便利だから使ってよい、では済まん」
そこは、むしろ聞いておきたかった。
知らないうちにされるのが嫌だったことを、自分が使えるようになった途端、平気で他人へやるのも違う。
私は手帳の新しい頁を開いた。
先生は、それを見てから続きを話す。
「戦闘の技術も教える。魔法だけ覚えても、近づかれたら何もできんのでは困るからな」
「待て。そこまでやるのか」
「やる。足の運び方も、身の守り方も、相手の動きの見方もだ。実際に相手を倒す技術も含めて教える。ただし、それと同じくらい、逃げ方を覚えてもらう」
私は先生の顔を見た。
戦えと言われるのかと思ったところへ、少し違う言葉が出てきた。
「勝てぬ相手へいつまでも付き合うな。勝てそうでも、そこで争う必要があるとは限らん。逃げるために相手を止めることもあれば、姿を隠すこともある。助けを呼ぶところまで含めて、身を守る技術だ」
「……先生を呼べばいいってことか」
「我でもよいし、近くに頼れる者がいるならそちらでもよい。自分1人で片付けることを目的にするな」
「その辺りは徹底させろよ。少し覚えた途端、自分でどうにかできると思う奴は多い」
マクダウェルが横から言う。
私は肩を落とした。
「心配しなくても、好きで殴り合いに行く趣味はねえよ。運動だって、得意な方じゃない」
「だから教えるのであろう。得意な者しか学べぬなら、教師は要らん」
先生が平然と返してくる。
昨日、英語を読むように言われた時と同じような口調だった。
それが妙に腹立たしくて、少し安心した。
「つまり、先生の弟子になれって話なんだな」
「そうだ」
今度は、こちらから言葉にした。
魔法を教わる。
知らなかった世界の決まりを覚える。
戦い方と、逃げ方も習う。
昨日までの私が聞けば、何の冗談だと言っただろう。学校がおかしいという相談をしただけで、どうしてそんなところまで話が進むのか。
だが、目の前の景色は消えない。
ここで断っても、明日になればまた同じ教室へ行く。認識阻害への効き方も、そのままだ。
先生が、私の返事を待っている。
「……断ったら、どうなる?」
「どうもならん。今日の説明を取り消す気も、質問するなと言う気もない。ただ、習うなら我の時間もお前の時間も使う。そこは自分で決めろ」
「秘密を知ったから、って理由で働かされたりは?」
「昨日も言ったはずだ。お前の相談に答えたことを、貸しにするつもりはない」
私は少し黙った。
断れる。
その上で、どうしたいのか。
魔法への憧れなんて、まだなかった。光を浮かべられるのは面白いと思うが、それ以上に、今までのことを説明された腹立たしさの方が残っている。
それでも、また何も分からないまま振り回されるのは嫌だった。
「……教えてくれ。せめて、自分に何が起きてるのか、自分で分かるようにはなりたい」
先生の顔を見て言った。
「それで、できるなら、勝手に引っ張られないようにしたい。全部先生に聞かねえと分からないままってのも、嫌だからな」
「よかろう」
先生が頷く。
「今日からお前は我の弟子だ、千雨。分からぬことを、分かったふりで済ませるな。それをされると教えようがない」
「……いきなり、普通の授業みたいな注意だな」
「基本は同じだ。相手が見ているものと、分かっていることを確かめねば、何を教えるかも決められん」
昨日からずっと、この人はそうしていた。
先に答えを押し付けるのではなく、私が何を見て、どこに困っているのかを聞いた。その後で、現物を見せ、説明し、分からないと言えばそこへ戻った。
魔法使いになるかどうかより先に、この人からなら教われると思ったのかもしれない。
マクダウェルが、机へ肘をつく。
「あれだけの対価を貰った以上私も教えてやる。学校でこいつが捕まらない時は、私に聞け。ただし授業中に大声で呼ぶなよ」
「そこまで馬鹿じゃねえよ」
「それなら結構だ。分からんものを見つけても、確かめようとして無闇に触るな。先に聞け」
「……分かった」
相談役の話も、それで決まったらしい。
彼女の脇には、あの剣が置かれている。
「やっぱり、あれが効いたのか」
つい目を向けると、マクダウェルが私を睨んだ。
「千雨、あれは貴様には想像出来んほどの対価だぞ。何か文句があるか」
「いや。分かりやすいとは思う」
「一度引き受けたことまで、気分で放り出すつもりはない。その点は安心しておけ」
思ったより真面目に返され、私は頷いた。
先生が横から何か言いかけたが、マクダウェルに睨まれて、笑うだけに留めた。
余計な口を挟まなかったことだけは、評価しておこう。
◇ ◇ ◇
今後の指導は、学校生活の合間に時間を決めて行うことになった。
毎日ここへ通って、休みも全部修行へ使えと言われるのかと思ったが、先生は先に私の予定を聞いた。
習い事はない。部活にも入っていない。
ただ、帰ってから何もしていないわけではなかった。
「家でやりたいこともあるんだけど」
「なら、その時間も考えて決めればよい」
「いいのかよ」
「何のために教えると思っておる。自分の生活を取り戻したいという者の予定を、我が全て埋めてどうする」
私は少しだけ目を逸らした。
ちうのことは、まだ言わない。
先生も、それ以上、何をしているのか聞かなかった。こちらが空けられる日を言うと、そこを起点に予定を考え始める。
その間に絡繰が紙を用意し、次に来る時に持ってくるものを書き留めてくれた。筆記用具と、動きやすい服と靴。そこだけ見れば、補習と体育をまとめて受けるみたいだった。
「それから、もう1つある」
話がまとまったところで、先生が言った。
私は、まだあるのかという顔になったと思う。
「お前に扱わせる財を選ぶ」
先生の背後に、金色の波紋が開く。
さっきは反射的に体が引けたが、今度は椅子へ座ったまま見ていられた。慣れたとは言いたくない。ただ、何かが出てくると知っている分だけ、驚き方が変わった。
「……私にも、ああいう剣を渡すのか?」
マクダウェルの横へ目を向ける。
「まだ分からん。お前に向いているかも確かめず、適当な財を持たせるつもりはない」
「確かめるって、どうやって」
「これでだ」
先生が抜き出したのは、また剣だった。
メロダックとは違う。
こちらも古めかしい造りではあるが、握る部分や鍔の形が、先ほどのものとは異なっていた。先生は刃をこちらへ向けず、柄がよく見えるように持ち直す。
マクダウェルが、その手元へ身を乗り出した。
「今度は何だ」
「カリバーンの原典の1つだ。こちらは選定の性質を使う」
「……また、そういうものを気軽に出す」
マクダウェルが小さく呟く。
もう大声は上げなかったが、諦めた顔になっている。
私は、今度の名前にも聞き覚えがあった。
石に刺さった剣を抜いて、王を選ぶ話だ。
「待て。私に、それを抜けとか言い出さねえよな」
「お前を王にして何をさせるのだ」
「私が聞いてるんだよ」
「これは、手にした者と財との相性を見定めるためにも使える。お前の性質を確かめ、我が蔵にあるものから、適性の高い財を選ばせるのだ」
先生は、剣を机の上へ横たえた。
話についていこうとするだけで、頭が忙しい。
その人に合う道具を探すための道具。
魔法なら何でもありだと言いたくなったが、さっき、それを言われて腹を立てたばかりだった。
「先生が選ぶんじゃ駄目なのか」
「我も見る。だが、蔵には数多くの財がある。最初からこちらの好みで候補を狭める必要もなかろう」
「それが選んだものなら、私にもすぐ使える?」
「それも違う。向いていることと、既に扱えることを一緒にするな。使い方も、危険な点も、こちらで確かめてから教える」
そこは現実的らしい。
剣へ触っただけで何でもできるようになる、などとは言われなかった。
むしろ、先生が渡そうとしているものの方が、今の私には危ない気がする。
「私には手に余るものが出てきたら?」
「今すぐ全てを使わせる必要はない。扱えるところから始めればよいし、向いていても、お前が使いたくないものなら別の財を考える」
「選ばれたら、それを使うって決まりでもねえのか」
「道具に、お前の生き方まで決めさせるつもりはない」
先生の返事は早かった。
私は、その顔を見る。
「選ぶのは、お前を何にするかではない。お前が使う財だ。その順を間違えるな」
少しの間、誰も口を挟まなかった。
マクダウェルも、剣から先生へ一度だけ目を向け、それから私の方を見る。
「向いているからといって、勝手に手を出すなよ。使い方を覚える前なら、珍しい宝ほど厄介なこともある」
「……あれを貰った奴が言うと、説得力あるな」
「私は調べ方も、危険なら止める方法も知っている」
「さっき、今すぐ試したそうな顔してたけど」
「それとこれとは別だ」
先生が笑った。
私も少しだけ息を吐く。
気がつけば、ここへ来た時ほど肩に力は入っていなかった。
何もかも理解できたわけじゃない。
魔法界の法律なんて、存在を知ったばかりだ。戦闘の技術と言われても、何から始めるのか想像もつかない。認識阻害だって、さっきの簡単なものにさえ引っ掛かった。
それでも、今度は分からないところを言っていい。
知らないまま頷いて、後から1人で悩む必要はなかった。
「これ、触るだけでいいのか」
「柄へ手を添えろ。握るだけでよい。無理に何かを起こそうとするな」
私は椅子から立ち、机の前へ進んだ。
近くで見ると、細かな模様が柄の表面に刻まれている。展示ケース越しではなく、こんなものへ直接触ることになるとは思わなかった。
右手を伸ばす。
冷たいと思っていた柄は、意外にも掌へ馴染んだ。
握ったところから、金色の光が細く走る。
反射的に手を離しかけたが、先生は落ち着いた声で止めた。
「そのままでよい。痛みや不快な感覚があれば言え」
「……今のところ、ない」
「ならば、力を抜いて待て」
刃の表面を、淡い光が進んでいく。
先生の背後にある金色の波紋も、それに合わせるように揺れた。奥は見えない。だが、何かが少しずつ探られているような気配だけがあった。
昨日まで、私は見慣れないものへ出くわすたび、自分の感覚を疑っていた。
今日は、目の前の変化について、その場で尋ねられる。
その違いは大きかった。
「先生。何か反応したら、ちゃんと説明してくれよ。分かったみたいな顔だけして終わるな」
「注文が多い弟子だな」
「そうしろって言ったのは先生だろ」
「うむ。その通りだ」
先生は楽しそうに頷き、波紋の奥へ目を向けた。
私は柄を握り直し、今度は自分から、その光を見つめた。