魔法先生ギルガメッシュ 作:長LAVA
あの夜から数日が経ったが、エヴァは呪いについて何も言ってこない。
授業中の態度も大きくは変わらず、窓際で頬杖をつき、時折こちらへ視線を寄越してくる。目が合えば露骨に嫌そうな顔をするものの、教科書を読ませればきちんと読むので、こちらから言うこともなかった。
決まったら言えと伝えたのだ。顔を合わせる度に答えを催促していては、待つと言った意味がない。
彼女の返事より先に回ってきたのは、次の当直だった。
◆
当直室の扉を開けると、窓際から煙が細く流れ出していた。
黒いスーツに、撫でつけた髪。髭を蓄えた男がサングラス越しにこちらを見て、咥えていた煙草を指へ移す。
「よう。今夜はよろしくな」
「あぁ、もう1人はまだか?」
「今、お茶を探してますよ」
返事は部屋の奥から聞こえた。
棚の前にいた瀬流彦が振り返り、手に持っていた茶筒を軽く振ってみせる。中から音はしなかった。
「見事に空で。誰か補充してくれてると思ったんですけどね」
「湯なら沸いてるぞ」
「お湯だけ飲むのもなあ……」
神多羅木は特に困った様子もなく、灰皿へ煙草の灰を落としている。瀬流彦はもう一度棚を覗き込み、今度は別の缶を開け始めた。
前回と同じ部屋でも、いる人間が違えば空気も変わる。
椅子へ背広を掛け、窓際に腰を下ろす。神多羅木の手元へ目を向けているうち、少しこちらも吸いたくなってきた。
王の財宝を開き、細長い箱を取り出す。
神多羅木の目が、サングラスの奥で動いた。
「あんたも吸うのか」
「たまにな。常に咥えているほどではないが」
箱を開け、収まっている葉巻から1本選ぶ。カッターと火を点ける道具も脇へ出すと、神多羅木が灰皿へ煙草を置いて身を寄せた。
「……いいのを持ってるな」
「貴様もどうだ」
「せっかくだ。貰おう」
余計な遠慮をしないのがいい。
差し出した箱から1本取った神多羅木は、指の間で軽く転がしてから口元を緩めた。こちらも火を点け、ゆっくりと煙を口へ含む。
急いで吸うものでもない。窓の外へ煙を吐き、舌へ残った香りを確かめていると、向かいへ瀬流彦が戻ってきた。
「お茶を探してる間に、ずいぶん立派なものが出てきましたね」
「貴様もいるか?」
「僕は吸わないので。お気持ちだけ」
ならば、煙だけ付き合わせるのもつまらない。
もう一度王の財宝へ手を伸ばし、今度は茶葉の缶とポット、3人分のカップを机へ並べた。最後にマカロンなどの焼き菓子の入った箱を取り出し、瀬流彦の前へ置いてやる。
「湯は沸いておるのだったな」
「ええ。……あ、僕が淹れますよ」
「では頼む。こちらは紅茶に合わせて食え」
瀬流彦は箱の蓋を開け、きれいに並んだ菓子を見て少し笑った。
「これはまた。僕の分までいいんですか」
「2人で吸っている横に、何も持たず座っていられても落ち着かん」
「じゃあ遠慮なく。今夜の当直、ちょっと楽しみになってきました」
「食い物に釣られたか」
「釣られますよ、そりゃ」
即答してから、茶葉の缶を開ける。
立ち上がった香りにつられ、神多羅木もそちらへ顔を向けた。
「こっちまで上等だな」
「せっかく口にするのだ。合わせるものも選ぶさ」
「違いない」
神多羅木が窓の方へ煙を吐く。瀬流彦はポットへ湯を注いでから窓へ向かい、開いていた隙間をもう少し広げた。
「2人分なんで、これくらい開けますよ」
「ああ。寒くなったら言え」
神多羅木は短く返し、椅子を少し窓へ寄せる。
机へ戻った瀬流彦が焼き菓子を1つ摘まみ、端を齧った。薄い焼き色のついた表面が小さく割れ、そのまま残りも口へ運ばれる。
「……これ、危ないな」
「何がだ」
「気を抜くと、全部食べそうです」
「食えばよい」
「そう言われると、本当に食べますよ?」
箱を見ながら言うので、神多羅木が低く笑った。
「弐集院の話も、あながち間違いじゃなかったな」
「あやつ、何か言っておったのか」
「ウヌグ先生と当直になったら、食べ物の心配はいらないって。それと、何でも入る収納魔法を持ってるとも聞きました」
瀬流彦がポットの様子を見ながら答える。
「葉巻に紅茶にお菓子でしょう。本人から聞くより、見た方が早いですね」
「何でも出してやるとは言っておらんぞ」
「分かってます。次からは僕も何か持ってきますよ」
「張り合うと大変だぞ」
「張り合いませんって。普通にお茶請けです」
そう返して紅茶を注ぎ分ける。
カップが置かれたところで葉巻を休ませ、まずは茶へ口を付けた。香りは強いが、口に残る渋みは穏やかで、煙を味わった後にも邪魔にならない。
瀬流彦は菓子と紅茶を交互に口へ運び、すっかり棚の空き缶のことなど忘れた顔をしていた。
◆
「グラヒゲ先生、でしたっけ」
しばらくして、瀬流彦が神多羅木を見ながら言った。
「今度は何だ」
「昼間、生徒がそう呼んでるのを聞いて。もう名前みたいに使ってましたよ」
「前からだ」
「本人の前でも言うんですねえ」
神多羅木がサングラスを指先で少し上げる。
「誰を呼んでるか分かればいいさ。いちいち訂正するのも面倒だ」
「随分と分かりやすい呼び名ではないか。外せば半分になるぞ」
「髭だけ残すのか?」
「ヒゲ先生だな」
「それじゃ何人か振り向くだろう」
想像したのか、瀬流彦がカップを置いて笑い始めた。
「確かに。職員室で呼んだら、たぶん1人じゃ済みませんね」
「では、よく出来た呼び名ということだ」
「生徒に言ってやれ。喜ぶぞ」
神多羅木は気にした様子もなく、再び葉巻を咥える。外見だけ見れば話し掛けるのを躊躇する者もいるだろうが、実際には随分と力の抜けた男だった。
何も喋らない時間が挟まっても、こちらへ話を振って埋めようとはしない。煙を吐き、茶を飲み、瀬流彦が思い付いたことを話し始めれば、その時だけ短く口を挟む。
これはこれで、居心地がよかった。
「でも、その2人に挟まれて歩くのは、ちょっと遠慮したいなあ」
瀬流彦がこちらと神多羅木を見比べる。
「何故だ」
「どこへ連れていかれるんだって顔をされそうで」
「教師が3人いるだけだろう」
「服と顔だけなら、そう見えないんですよ」
神多羅木がこちらの肩へ掛けてあった背広を一瞥した。
「その上着、袖を通せば少しは変わるんじゃないか」
「貴様がサングラスを外すなら考えよう」
「じゃあ、そのままだな」
「交渉が早いですね……」
瀬流彦が苦笑し、また菓子へ手を伸ばす。
警戒用の術式が反応したのは、その指が箱へ届く直前だった。
短い音に、3人の視線が同時に向く。
神多羅木は葉巻を口から外し、瀬流彦は伸ばしかけていた手を引っ込めた。そのまま立ち上がり、表示された位置を覗き込む。
「外周だな」
神多羅木も椅子を引く。
こちらは反応地点へ意識を向けた。校舎の向こう、街灯の少ない林の際。人間のいない一角で、異形が結界へ取りついている。
「小型が7、大きいのが1だ。近くに人はおらん」
「結界を押してるのは、そいつか」
「ああ。まとまって来ておる」
神多羅木はそれ以上聞かず、灰皿へ葉巻を置いた。
こちらも自分の分を隣へ休ませ、灰皿ごと王の財宝へ戻す。
「それも仕舞うのか」
「まだ残っておろう。戻ってから続ければよい」
「なるほどね」
神多羅木が短く笑い、先に扉へ向かった。
瀬流彦が場所と人数を電話で告げている間に、茶器と菓子もまとめて収める。出したばかりの紅茶を冷ましてしまうのも惜しい。
「行くぞ」
「はい。通り側は僕が見ます」
先ほどまで菓子を食っていた顔から、余計な緩みが消えていた。
◆
外周へ出る道を、3人で駆ける。
校舎の明かりが後ろへ遠ざかり、通りを外れるほど足元の影が濃くなっていく。昼なら学生の姿もあるだろうが、今は人の気配がなく、行く先で枝の折れる音だけが響いていた。
「奥へ抜かれると、少々面倒だな」
神多羅木が林の向こうへ目を向ける。
「通さん。貴様は右を頼む」
「ああ」
「僕は後ろを塞ぎます。そっちへ逃がさないようにしますから」
瀬流彦が足を緩め、道と林の間へ回った。
その手元から広がった魔力が、こちらと通りの間を隔てていく。戦闘の余波を外へ出さず、何かが抜けた場合にも止められる位置だ。
正面へ戻した視界に、最初の悪魔が入った。
四足の獣に似た姿だが、前脚が異様に長く、裂けた口の奥には牙が何重にも並んでいる。後方には翼のあるものが枝へ取りつき、さらに奥では、一際大きな身体が低く唸っていた。
新しく現れた人間へ、獣じみた顔が一斉に向く。
最も近い1体が地を蹴った。
狙いは首。伸ばされた爪と開いた顎がこちらへ迫るが、その間合いへ入るより先に、肩の上へ黄金の波紋が開く。
「失せろ」
撃ち出された剣が、開いた口を貫いた。
悪魔の身体が宙で折れ、そのまま後ろへ弾き飛ばされる。倒れる先を見届けるまでもなく、右手で乾いた音が鳴った。
神多羅木の指が離れた直後、風の刃が林の縁を走る。
横へ逃れようとしていた別の1体が、その胴を断たれて地面へ落ちた。発動までに詠唱も溜めもなく、狙った線だけを切り抜いている。
「ほう」
「何だ?」
「手際がよいな」
「そりゃどうも」
神多羅木はもう次へ目を向けていた。
残った小型が散る。
正面から来るものが2体、枝を使って回り込もうとするものが1体。残る2体は低く身を伏せ、こちらの左右へ分かれて走り出した。
頭上へ4つの波紋を開く。
現れた穂先を見た瀬流彦が、一瞬だけこちらへ目を向けた。だが、その口が開くより早く、武器は全て撃ち出されている。
正面の2体へ、それぞれ剣が1本ずつ。
両者がまだ次の足を地につける前に、その胸を穿った。
残る2本は枝へ向かう。上へ逃れる道を先に潰され、翼のある個体が身を捻った先へ、神多羅木の風が走った。
逃げ場を与えたのではない。
あちらなら、神多羅木が取れる。
「こっちへ寄越したな」
「困ったか?」
「いや。やりやすい」
返ってきた声は短く、それで十分だった。
左へ回った悪魔が瀬流彦の側へ抜けようとする。だが、薄く張られた防壁へ肩からぶつかり、その身体が横へ流れた。
「そっちは駄目ですよ」
瀬流彦は慌てず、悪魔と通りの間を保っている。
その前へ、一歩踏み込んだ。
腰の高さへ開いた波紋から剣の柄を掴み、引き抜く動きをそのまま斬撃へ繋げる。体勢を崩した悪魔が前脚を振り上げた時には、刃は既にその腕の内側へ入っていた。
爪を避けて肩を沈め、首筋まで斬り抜く。
後ろで土を蹴る音がした。
振り返る代わりに、背後へ槍を1本撃ち出す。こちらの背へ飛び掛かっていた最後の小型が空中で串刺しになり、地面へ落ちる音だけが聞こえた。
「……近くでもやるんだなあ」
瀬流彦の声が背中から届く。
「遠くから撃つだけとは言っておらんぞ」
「ええ。聞いてたより、ずっと忙しい戦い方です」
話しながらも、彼は防壁を解いていない。
こちらの武器を眺めるより先に、倒れた悪魔と周囲の林を確かめていた。警護向きというのは本人の言う通りらしい。攻める2人へ釣られて持ち場を離れるようなこともなかった。
手元の剣から血を払い、奥へ顔を向ける。
小型は終わった。
残る巨体が、林の陰から姿を現した。
◆
人間なら数人並べられそうな幅の肩と、厚く盛り上がった首。
前脚が地面を踏む度に土が沈み、背から伸びた硬い突起が枝をまとめて折っていく。今までの悪魔と比べれば、身体の大きさも頑丈さも明らかに違っていた。
もっとも、それだけだ。
口を開いて吠えるより早く、神多羅木の風刃が顔の脇を走った。皮膚が裂け、黒い血が飛ぶが、倒すところまでは至らない。
「厚いな」
神多羅木が指を動かしながら、一歩横へ位置を変える。
「もう一度、足を――」
「我がやろう。そこを空けろ」
こちらへ向いた目に、片手を上げて応えた。
大型の背後には木々があり、その右手は土の露出した広い斜面になっている。さらに向こうまで人も建物もない。そちらへ通せば、余計なものを巻き込まずに済む。
小さな槍を2本、左肩へ撃ち込んだ。
穂先は分厚い肉へ食い込んだが、巨体を倒すほどではない。激痛に怒った悪魔が首を振り、武器の飛んできたこちらへ身体を向け直す。
それでいい。
正面へ揃った顎と、その背後の斜面を見比べ、手にしていた剣を蔵へ戻した。
「おい、突っ込んでくるぞ」
「見えておる」
神多羅木はそれ以上言わず、悪魔の横へ退く。瀬流彦も通り側の守りを残したまま、射線から外れた。
小さな波紋を閉じ、その代わりに、大きく門を開く。
背後から広がった金色の光が、夜の地面へ影を伸ばした。
悪魔の足が一瞬だけ鈍る。
その目が、こちらではなく頭上へ向いた。
現れたのは槍だった。
ただし、普通の人間が手に取るような寸法ではない。穂先だけでも人の背丈を超え、奥から続く柄は石柱ほどの太さがある。金色の波紋から少しずつ姿を現すにつれ、その影が悪魔の顔へ掛かっていった。
「……おいおい」
神多羅木が低く呟く。
瀬流彦の声はなかった。
特別な働きを使わせるつもりはないし、真名を解く必要もない。この程度の相手なら、単に大きく、頑丈な物を十分な速さで撃ち込めば済む。
悪魔がもう一度吠えた。
退くより先に飛び掛かろうとしたらしい。後脚が土を掻き、巨体がこちらへ迫ってくる。
見上げるような顎が開いても、その場から動く気にはならなかった。
「拝謁の許可は出していないぞ、獣風情が」
槍を放つ。
空気が押し潰されるような轟音と共に、巨大な穂先が悪魔の胸へ突き立った。
踏ん張ろうとした前脚が地面を削る。だが、その抵抗もほとんど続かず、巨体は槍に引かれて後ろへ攫われた。
土が跳ね上がり、重い身体が地面を抉っていく。
数十m先の斜面へ叩き込まれたところで、槍の柄が大きく震えた。遅れて降ってきた土と石が周囲へ散り、瀬流彦の防壁に当たった破片だけが、乾いた音を立てて足元へ落ちる。
その後は、静かだった。
腕を下ろし、斜面へ突き立った槍を見る。
悪魔はもう動かない。
こちらへ駆け出した姿勢のまま、巨体の大半を土へ埋めていた。
「……確かに、倒れましたけど」
瀬流彦がゆっくり顔を戻す。
「さっきまでの槍と、大きさが違いすぎません?」
「大きいものを出したのだから当然だろう」
「いや、そこじゃなくてですね……」
「柱みたいなのも入ってるんだな、あんたの蔵は」
神多羅木まで同じ物を見ている。
「槍だ」
「ああ。穂先は付いてた」
「付いていれば十分であろう」
神多羅木の口元が僅かに動いた。
笑ったらしい。
◆
それぞれ倒した悪魔を確かめ、残った反応がないことを確認する。
林の奥まで見ても、後続はいなかった。今回入り込もうとしていたものは、これで全て終わりだ。
使った武器を回収し、大型へ突き立った槍も王の財宝へ戻す。
巨体を押さえていた柄が金色の波紋へ消えていく間、瀬流彦は少し離れた場所から、その長さを目で追っていた。
「まだ入っていく……」
「見物は済んだか」
「ええ、まあ。便利な収納魔法って、そういう意味だったのかなあ」
最後の穂先が消えると、瀬流彦はようやくこちらへ戻ってくる。
「弐集院先生の話じゃ、何を持ってるか分からないから、まず菓子を出して見せたって聞いたんですけど」
「その通りだぞ」
「武器もあるんだろうな、とは思ってました。でも、あの大きさを、そのまま飛ばすところまでは聞いてないです」
「聞かれもしなかったのでな」
瀬流彦が何か言いかけ、途中で神多羅木を見る。
こちらは斜面まで続いた溝を眺めていたが、やがて肩を竦めた。
「聞いても、見るまでは分からんだろうよ」
「……それはそうですね」
無駄に問いを重ねてはこないらしい。
物を仕舞う空間があり、そこへ幾つも入口を開ける。その入口から武器を撃ち出すところまで、今夜は見せた。
中に何がどれほど収まっているかは、別の話だ。
エヴァへ語った昔の国まで、ここで持ち出す理由もなかった。
「人も建物も無事。結界も大きく崩れてません」
瀬流彦が通り側を確かめ、維持していた防壁を解く。
「地面は、ちょっと後で埋めないと駄目ですけど」
「これだけで済んだなら、上々だな」
神多羅木がこちらを見る。
「ウヌグ、もう来ないか」
「今夜の連中は終わりだ。周囲にも残っておらん」
「なら戻ろう。茶が冷める」
「そちらも仕舞ってある」
「用意がいいな」
それだけ言って、神多羅木が来た道へ足を向ける。
瀬流彦も少し遅れて続いた。まだ時折、槍の消えた場所へ視線を戻しているものの、口から出たのは別の話だった。
「……お菓子も、ですよね?」
「貴様、どちらを気にしておる」
「両方です」
隠す気のない返事に、少し笑ってしまった。
◆
当直室へ戻ると、出る前と変わらない時計の音が聞こえた。
警戒用の術式に新しい反応はない。瀬流彦が電話へ向かい、神多羅木は窓際の椅子を引く。こちらも背広を掛け直し、王の財宝から茶器と菓子を戻していった。
最後に灰皿を取り出す。
自分の分を手に取り、もう1本を神多羅木の前へ寄せた。
「ほれ。残っておるぞ」
「本当に取っておいたな」
「捨てる理由がないだろう」
神多羅木は受け取った葉巻を確かめ、火を寄せる。
こちらも続きを吸い始めると、報告を終えた瀬流彦が振り返った。
「戻るの、早いなあ」
「処理は終わったぞ」
「いや、さっきまでの空気が、ですよ」
椅子へ腰を下ろしながら、まだ少し可笑しそうにこちらを見る。
「あの悪魔に向かって言ってたでしょう。拝謁がどうとか。ちょっと違う人かと思いました」
「同じ人間だ」
「分かってますけど。授業を受けてる子が見たら、驚くだろうなあ」
「我へ飛び掛かってくる生徒がいれば、同じ顔もするかもしれんな」
「その前に止めますよ、教師なんですから」
瀬流彦はそう返し、自分のカップを引き寄せた。
紅茶はまだ温かい。
一口飲んで息をつくと、ようやく肩から余計な力が抜けたようだった。菓子の箱を開け、出る前に取り損ねていた1つを選んでいる。
「それだけ喋れるなら、もう驚いてはおらんな」
「いつまでも驚いてても、お茶がなくなりますし」
「よい判断だ」
神多羅木が窓へ煙を流しながら笑う。
「だが、前へ出たのは少し意外だったな。あれだけ撃てるなら、後ろでも済んだだろう」
「済む時はな。剣を取った方が早いなら、そちらを使う」
「両方やるのが普通ってわけか」
「片方しか使わぬ理由がない」
神多羅木は葉巻を指へ移し、短く頷いた。
「なるほどな。次は最初から、それで合わせる」
「頼もう」
余計な確認はなかった。
実際に並んで戦えば、言葉を重ねるより早いこともある。敵を追った風の速さも、こちらが空けた場所へ迷わず攻撃を通した判断も、今夜で十分分かった。
瀬流彦も、こちらが前へ出た間ずっと後ろを保っている。
誰も慌てて追いかけてこないというのは、随分とやりやすかった。
「ところで、あれを何本も飛ばしたりも出来るんですか」
菓子を飲み込んだ瀬流彦が、何気ない調子で聞いた。
「どれだ」
「最後の、あの太い槍です」
「出来るぞ」
「……聞くんじゃなかったなあ」
そんな顔をするほどのことでもないだろうに。
神多羅木は特に追い打ちを掛けず、葉巻へ口を付けた。こちらも煙を吐き、目の前の紅茶を取る。
しばらくはカップの触れる音と、瀬流彦が紙を捲る音だけが続いた。
当直記録を書き始めたらしい。悪魔の数と対応した場所を記し、少し考えてから地面の損傷についても付け加えている。
「……小型7、大型1。負傷者なし、と」
そこまで書いて、指が止まった。
「大型の方、槍で撃破って書くだけだと、どうにも違うものを想像されそうですね」
「嘘ではあるまい」
「そうなんですよ。嘘じゃないんです」
「地面のことまで書けば、後で分かるさ」
神多羅木が茶を飲みながら言う。
瀬流彦は紙へ目を戻し、今度こそ最後まで書き終えた。机の脇へ記録を置き、菓子の箱を引き寄せる。
「はい。終わりです」
「ご苦労」
「どうも。……僕、もう1つ貰いますね」
「好きに食え」
焼き菓子を齧りながら、瀬流彦が時計を見る。
次の巡回までは、まだ少し時間があった。
神多羅木は椅子の背へ身体を預け、こちらは紅茶の残りを確かめる。茶器を傾ければカップに十分な量が満ち、その香りに葉巻の煙が薄く重なった。
「吸い終わったら、窓を少し戻していいですか。足元が冷えてきて」
「ああ。俺は、もう少しだ」
「我はまだ掛かるな」
「……その葉巻、槍ほどじゃないですけど、長いですよね」
こちらの手元を見た瀬流彦が言う。
神多羅木が肩を揺らし、葉巻を口から離した。
「同じ蔵から出てきたんだ。仕方ないだろう」
「長いものばかり入っているわけではないぞ」
「それは分かってます。お菓子まで長かったら、食べ切れませんから」
そう言いながら、瀬流彦はまた箱へ手を伸ばす。
先ほどまで林に響いていた咆哮も、槍が地を抉った音も、ここには届かない。追加の反応はなく、部屋の中には3人分のカップと、まだ少し残った菓子があるだけだった。
神多羅木が灰皿を少しこちらへ寄せる。
それを受け取り、残っている葉巻を指先で持ち直した。
「茶のおかわりはあるか」
「ありますよ。今度は少し薄めに淹れますね」
瀬流彦がポットを取り、神多羅木も空になったカップを机の中央へ置いた。
次の巡回までは、もうしばらくこのままでよさそうだった。
今作のギルガメッシュについて ――戦闘編
今作のギルガメッシュは、純粋な戦闘能力で比較するなら原作の各ギルガメッシュよりも上という設定。
単純にステータスや宝具が強化されているというより、最大の違いは慢心の少なさと実戦経験の量にある。
本作のウルクは、長期間にわたって魔獣の大量発生が続くハードモード仕様。
王座から政務を執るだけでは国を維持できず、ギルガメッシュ自身も何度となく前線へ出ており、政務・兵站・防衛指揮と並行して大量の実戦経験を積んでいる。
その結果、
- 王の財宝による多方向からの射撃
- 敵の進路や逃げ道を潰す制圧射撃
- 味方の位置や次の動きまで考慮した援護
- 宝物庫から直接武器を抜いて行う近接戦
- 射撃と近接を同時並行する戦闘
- 多数を相手にした乱戦・長期戦
- 市街地や味方を守りながら戦う経験
など、原作ギル以上に**「戦場で王の財宝をどう使えば効率よく勝てるか」**が身体へ染み付いている。
王の財宝を巨大な武器庫として撃ち続けるだけではなく、敵を動かし、味方を動かし、自分も前へ出ながら戦場全体を支配するタイプ。
慢心について
尊大さそのものは健在。
格下の悪魔や魔獣を相手に、
「拝謁の許可は出していないぞ、獣風情が」
などと言っている辺り、態度だけ見ればかなり弓ギル寄り。
ただし、
相手を見下すことと、戦闘で手を抜くことが以前ほど直結していない。
ウルクが本当に滅びかねない状況を長期間経験しているため、
「この程度なら適当でいい」
「まだ本気を出す必要はない」
と遊んだ結果、余計な被害が出ることの馬鹿らしさを身をもって知っている。
必要だと判断すれば高ランク宝具も普通に使うし、相手によっては乖離剣エアや天の鎖(エルキドゥ)も躊躇なく投入する。
切り札を見せることそのものへの抵抗より、
「それを使えば最も早く確実に終わるか」
の方を重視する。
『Fate/stay night』にいた場合
この性質上、仮に『Fate/stay night』へ本作ギルがいた場合、衛宮士郎が戦闘で勝つ可能性はほぼない。
原作で士郎がギルガメッシュへ食らいつけた大きな要因の一つが、ギル側の極端な慢心と士郎への過小評価。
無限の剣製を展開されてもなお、
「贋作者相手に本気の宝具を使うなど」
という意識が最後まで付きまとっていた。
本作ギルは士郎を格下とは判断しても、
「格下だから切れる札を切らない」
とは限らない。
無限の剣製が王の財宝へ有効だと把握した時点で、それに適した手段へ切り替える。
必要なら近接戦から離脱するし、それでも足りないと判断すればエアまで普通に選択肢へ入る。
そのため、原作と同じ盤面まで持ち込めたとしても、士郎側がギルの慢心を突いて勝ちを拾うことは非常に難しい。
もっとも、そもそも本作ギルが『stay night』と同じ人間関係・思想で行動するわけではないため、
「衛宮士郎とそこまで殺し合うほど敵対するのか?」
という、戦力比較以前の問題もある。
原作ギルとの比較
とはいえ、何もかも本作ギルの方が優れているわけではない。
純粋な**「王」としての完成度や、人類そのものを俯瞰して価値を測る「裁定者」としての在り方**については、原作ギルガメッシュの方が完成されている。
本作ギルは元々の魂が現代の一般人。
さらに王として過ごした時代も、国家の存亡を懸けた非常事態が長く、
「どの戦線を支えるか」
「食料をどう回すか」
「兵が足りなければ自分が出る」
といった現場対応へ追われ続けていた。
平時の王として統治そのものを突き詰めるより、
国を今日も生かすために何でもやる王
として完成していった側。
冠位戴冠戦ギルガメッシュとの比較
現時点で本作ギルと原作ギルの戦闘能力を比較する際の基準としているのは、冠位戴冠戦におけるギルガメッシュ。
純粋な全力戦を行った場合、
本作ギル:冠位戴冠戦ギル = 6:4程度
で本作ギルが勝ち越す想定。
圧倒的な差があるわけではなく、どちらが勝ってもおかしくない。
ただ本作ギルには、
慢心の少なさ
+ハードモード・ウルク由来の圧倒的な実戦経験
+近接戦能力
+王の財宝を戦場制御まで含めて使う技量
+切り札を必要なら躊躇なく使用する判断
があるため、長期的に回数を重ねれば僅かにこちらが上回る。
まとめるなら、
王・裁定者としての完成度は原作ギル。
純粋な戦士としての完成度は本作ギル。
という関係。
英雄王としての傲岸さを失ったわけではなく、むしろ戦闘中の態度はかなり原作寄り。
違うのは、
「舐めた口を利きながら、戦い方はほとんど舐めていない」
という部分である。