『隣人GV ―もしもスパイディの影響を受けたGVなら―』   作:幸田市

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第二十五話「深淵・後編」

GVが床を蹴った瞬間、その進路を塞ぐようにメラクの《亜空孔》が口を開いた。

 

 何もない空間が黒く歪み、奥行きという概念だけを切り取ったような穴が現れる。勢いのまま踏み込めば、その身体がどこへ送り出されるか分からない。けれどGVは速度を殺さず、踏み込んだ右足を軸にして身体だけを左へ流した。

 

 その動きを待っていたかのように、穴の向こうから椅子型武装のアームが飛び出した。

 

「っ!」

 

 鋼鉄の腕が風を裂き、GVの髪を掠める。

 

 真正面から受ければ、小柄な身体など簡単に吹き飛ばされる。だから受けない。GVは膝を深く折ると、迫るアームの下へ身体ごと滑り込ませ、床へ片手をついた反動で腰を捻った。滑走から旋回へ淀みなく移った身体の動きに合わせ、銃口も自然とメラクを捉える。

 

 引き金を三度引いた。

 

 乾いた発砲音がほとんど重なるように響き、一発目のダートがメラクへ迫る。その射線上へ《亜空孔》が滑り込み、弾丸は底のない闇へ呑み込まれた。二発目も同じように消える。

 

 しかし、三発目だけは違った。

 

 メラクの身体から僅かに外れた弾道を描いたダートは、彼を守るために旋回した椅子型武装の側面へ突き刺さった。

 

「あれ?」

 

 メラクが僅かに首を傾げる。

 

「そこだ!」

 

 GVが左手を開いた瞬間、タグを起点として蒼雷が弾けた。

 

 装甲の隙間へ入り込んだ電流が内部機構を食い荒らすように駆け巡り、青白い火花が継ぎ目から噴き出す。椅子の姿勢制御が一瞬だけ乱れ、その上に座るメラクの身体も横へ揺さぶられた。

 

「……へえ」

 

「昨日と同じだと思うな」

 

「別に思ってないけど」

 

 相変わらず、張り合いのない声だった。

 

 けれど口調とは裏腹に、メラクの指はすでに次の攻撃を組み立てている。GVの周囲で三ヶ所の空間が同時に歪み、それぞれが逃げ道を奪うような位置で《亜空孔》へ変わった。

 

『GV、上!』

 

「見えてる!」

 

 モニカの警告が耳へ届く頃には、GVはすでに前へ飛び込んでいた。

 

 天井に開いた穴から弾体が降り注ぎ、一発目が踵のすぐ後ろで床を叩く。砕けた床材が足元へ散る中、続く二発目は逃げるGVの進路そのものを潰すように落ちてきた。

 

 GVは壁際へ身体を寄せると、速度を落とす代わりにその壁へ足を叩きつけた。

 

 身体が斜め上へ弾かれる。

 

 直後に弾体が床を打ち、ほんの一瞬前までGVがいた場所を衝撃が薙いだ。その振動を足の裏ではなく背中で感じながら、GVは空中で身体を捻り、メラクへダートを向ける。

 

「甘いなぁ」

 

 銃口の正面に、掌ほどの《亜空孔》が開いた。

 

 昨日までなら、そのまま撃っていた。

 

 今日は違う。

 

 GVは引き金へかけていた指を止め、その代わりに左手を開く。

 

 戦闘開始直後、床へ外したように見せて撃ち込んでおいたダート。そのタグへ蒼雷が落ちると、電流は床材の継ぎ目を青白く照らしながらメラクの背後へ回り込んだ。

 

「!」

 

 メラクが振り向き、椅子型武装もそれへ追従して旋回する。

 

 その動きこそ、GVが待っていたものだった。

 

 空中から放たれた二発のダートのうち、一発目はメラクの横を通り過ぎる。しかし二発目は、椅子が旋回したことで一瞬だけ露出したアームの関節部へ正確に突き刺さった。

 

「もう一個!」

 

 着地より先に通電する。

 

 青白い電流が関節へ食い込み、火花を撒き散らしながら駆動部を停止させた。GVが床へ降り立つ頃には、力を失ったアームが壊れた枝のように垂れ下がっている。

 

「……壊した」

 

「一個だけだろ!」

 

「修理申請めんどいのに」

 

「知るか!」

 

 着地の衝撃を膝で受け止め、その反発を次の一歩へ変える。

 

 GVが右へ走れば、その進路へ《亜空孔》が現れた。ならばと左へ切り返すと、まるでその判断まで読んでいたかのように二つ目が開く。さらに右へ戻ろうとした瞬間には、天井付近で三つ目の歪みが生まれ始めていた。

 

 そこでGVは、あえて止まった。

 

 靴底が床を擦り、身体が僅かに前へ流れる。

 

 すると三つ目の歪みは、完成することなく消えた。

 

「……そういうことか」

 

「何?」

 

「お前、僕が動いてから考えてるんじゃない」

 

 メラクの目が僅かに細くなる。

 

「僕が行きそうな場所を、先に何個か用意してるんだ」

 

『その可能性が高いわ』

 

 モニカも即座に戦闘データを照合した。

 

『単純な反応速度だけじゃ説明出来ないと思ってた。さっき三つ目を開かなかったのも、GVがその進路を捨てたからよ』

 

「……天才司令官」

 

「覚えててくれた?」

 

「嬉しくない」

 

「ボクも別に」

 

 メラクが指を動かす。

 

 今度は六つ。

 

 左右の壁から天井、床までを囲むように《亜空孔》が展開され、戦闘区画そのものがメラクの掌へ収められたように、どこへ逃げても何かが待っている空間へ変わっていく。

 

 GVの真下で床が水面のように揺らいだ。

 

 横へ跳ぶと、穴からアームが突き上がる。

 

 ところが着地点にも、すでに別の歪みが生まれていた。

 

「っ!」

 

 このままでは足をつける場所そのものを奪われる。

 

 GVは着地を諦め、壁へ靴底を叩きつけた。斜めに流れていた身体が反発によって再び宙へ押し戻され、そのすぐ下を弾体が通過していく。

 

『右後ろ!』

 

 振り向いて確認する暇はない。

 

 GVは声だけを頼りに身体を丸め、空中で軸をずらした。弾体が耳元を掠めて抜けるが、その後ろにはさらに二発が続いている。

 

 今の姿勢からでは、二つとも避ける空間がない。

 

「だったら――!」

 

 逃げる代わりに撃った。

 

 飛来する一発目へダートを突き刺し、そのまま通電。空中で弾けた青白い火花と衝撃が後続の軌道を僅かに押し広げ、ほんの身体一つ分だけ生まれた隙間へGVは身を滑り込ませた。

 

 床へ降りた時には、すでに次の射線を探している。

 

「へえ。結構やるね」

 

「今さら?」

 

「でも」

 

 メラクの視線がGVの背後へ動いた。

 

 同時に《亜空孔》が開く。

 

「助けた人には嫌われてたけど」

 

 ほんの僅かに、GVの踏み込みが鈍った。

 

 能力者なんかに。

 

 誰が貴様なんかに助けろと言った。

 

 あの時浴びせられた声が、耳の奥に残った棘を指で弾かれたように蘇る。

 

「……うるさい」

 

 それだけ返した。

 

 立ち止まる代わりに身体を沈め、背後から迫るアームの下へ潜り込む。そのまま床すれすれを滑りながらダートを二発放ち、最初の一発がメラクの正面に開いた穴へ吸い込まれるのを見届けた。

 

 二発目の照準は、最初からメラクへ向いていない。

 

 狙ったのは《亜空孔》そのものだった。

 

「ん?」

 

 形成途中の穴の縁をダートが掠める。

 

 その瞬間、GVは見逃さなかった。

 

 空間が完全に繋がる直前、その輪郭が水面へ石を落としたように一度だけ揺れる。

 

「……そこ」

 

 次のダートを撃ち込む。

 

 通電。

 

 蒼雷が空間の歪みへ触れた瞬間、《亜空孔》の輪郭が大きく崩れた。

 

「!」

 

 出口の座標がずれる。

 

 メラクの武装から撃ち出された弾は穴へ入ったものの、本来予定していた位置ではなく、メラク自身の右側から飛び出した。

 

「うわ」

 

 椅子を急降下させる。

 

 自分の弾が頭上を通り過ぎた。

 

「危な」

 

「人には散々やっといて!」

 

「自分のはイヤに決まってるじゃん」

 

「本当にお前……!」

 

 悪態をつきながらも、GVの身体は止まっていない。

 

 低い姿勢のまま床を滑り、メラクの視界から椅子の陰へ潜り込む。メラクがそれを追って旋回した時には、すでに左後方の推進器へダートが刺さっていた。

 

「捕まえた!」

 

 雷撃が装甲内部へ流れ込み、推進器から火花が噴き上がる。椅子が片側だけ糸を切られた操り人形のように傾き、メラクの身体も大きく揺れた。

 

「……また壊した」

 

『左側の推進出力低下! GV、そのまま押せる!』

 

「うん!」

 

 ここまで来れば、距離を取らせる必要はない。

 

 GVは一気に間合いを詰める。

 

 残ったアームが横薙ぎに振るわれたが、今度は後ろへ逃げなかった。半歩だけ懐へ踏み込み、身体を捻ることで鋼鉄の腕を肩口から外へ流す。

 

 アームが脇を通り過ぎる、その短い時間だけで十分だった。

 

 関節へ銃口を寄せる。

 

 発砲。

 

 通電。

 

 青白い光が装甲の隙間から迸り、最後まで動いていたアームが痙攣するように震えたあと、力を失って垂れ下がった。

 

「あー……」

 

 メラクが露骨に嫌そうな顔をする。

 

「めんどくさくなってきた」

 

「だったらシアンを返せ!」

 

「それは別の仕事だから無理」

 

 GVは次の一歩を踏み出しかけて、止まった。

 

 武装を二つ潰した。

 

 推進器も損傷させた。

 

 《亜空孔》そのものへの干渉方法まで見つけた。

 

 戦闘だけを見れば、明らかにこちらが押している。

 

 それなのに。

 

 メラクは逃げようとしない。

 

 むしろ先ほどから、戦況とは関係のない場所へ何度も視線を向けている。

 

 椅子の側面。

 

 小型端末。

 

「……お前」

 

「何?」

 

「さっきから何見てる」

 

「別に」

 

 メラクの目が一瞬だけ端末へ落ちる。

 

 今度は見逃さなかった。

 

「シアンか!」

 

「さあ」

 

「答えろ!」

 

 GVが踏み込むと、メラクは進路上へ《亜空孔》を開いた。

 

 右へ切り返せば二つ目が生まれる。

 

 だが、もうその誘導には乗らない。

 

 GVは二つ目が完成するより先に急停止すると、メラクではなく床へダートを撃ち込んだ。そこから放たれた雷撃が足元を這って左側へ回り込み、メラクは反射的にそちらへ《亜空孔》を向ける。

 

 その瞬間、GVは逆方向へ飛び出した。

 

「!」

 

 メラクの視線が雷撃へ引かれていた、ほんの一瞬。

 

 それだけあれば十分だった。

 

 制御部へダートを撃ち込み、即座に通電する。

 

 椅子が火花を散らしながら高度を失い、床すれすれまで沈み込んだ。

 

『いい! 完全に読めてきてる!』

 

「うん!」

 

 《亜空孔》は無敵ではない。

 

 メラクが未来を見ているわけでもない。

 

 可能性を先回りして潰しているだけなら、その予測そのものを外せばいい。さらに形成の瞬間に干渉すれば、空間接続にも乱れを生じさせられる。

 

 昨日とは違う。

 

 勝てる。

 

 あと一度崩せば、この戦いは終わる。

 

「ねえ」

 

 その確信へ針を差し込むように、メラクの声が飛んできた。

 

「何だよ!」

 

「ストラトスの時もそんな感じだった?」

 

 眉が動く。

 

 けれど足は止めない。

 

「……黙れ」

 

「イオタの時は?」

 

「黙れ!」

 

 雷撃の出力が一瞬だけ跳ねた。

 

『GV、出力』

 

「分かってる!」

 

 モニカに指摘されるより早く、自分で押さえ込む。

 

 それを見ていたメラクが、少しだけ首を傾げた。

 

「止まらなくなった」

 

「……何が」

 

「さっきまで、そういうこと言うとキミ止まってたから」

 

 そこでGVにも分かった。

 

「……それで喋ってたのか」

 

「うん。考え始めると遅くなるし」

 

「……最低だな」

 

「よく言われる」

 

 メラクはGVを理解したいわけではない。

 

 傷つけること自体を楽しんでいるわけでもない。

 

 どこを押せば動きが鈍るのか分かれば、それで十分なのだ。

 

 なら、付き合う必要はない。

 

 GVは言葉の代わりに床を蹴った。

 

 右へ走り、メラクがその進路を読んだ瞬間に身体を沈めて滑走へ切り替える。《亜空孔》が頭上を通り過ぎたところからダートを放つと、メラクは当然のように穴を開いて防いだ。

 

 だが、それも誘導だった。

 

 その前に壁へ撃ち込んでいたタグから蒼雷が迂回し、椅子の側面へ迫る。

 

 メラクがそちらへ《亜空孔》を開く。

 

 GVは自分もそこへ飛び込むように見せかけ、直前で壁へ足をかけた。

 

 身体が斜め上へ弾かれる。

 

 メラクの視線だけが、一瞬遅れた。

 

「取った!」

 

 制御部へダート。

 

 通電。

 

 椅子が大きく揺れた。

 

 GVは着地の反動すら殺さず、次の踏み込みへ移る。

 

 今度こそ届く。

 

 その時だった。

 

『――搬送シークエンス、完了』

 

 無機質な機械音声が、戦闘の熱とはまるで関係のない冷たさで区画内へ響いた。

 

 GVの足が止まった。

 

「……え」

 

 メラクが小型端末へ目を落とす。

 

 表示を確認すると、肩から力を抜くように小さく息を吐いた。

 

「あー。終わった」

 

「……何が」

 

「仕事」

 

 GVの胸の奥が急速に冷えていく。

 

「何の仕事だよ」

 

「時間稼ぎ」

 

 メラクは損傷した椅子へ身体を預けた。

 

「ボク、別にキミに勝つ必要なかったし。シアンちゃんが向こうに着くまで、ここにいてくれればよかったから」

 

 その言葉によって、それまでの戦闘が一瞬で違う形へ組み替えられた。

 

 武装を壊されても無理に勝負を決めようとしなかった理由も、こちらの足を止めることばかり優先していた理由も、何度も端末へ視線を落としていた理由も、すべて一本の線で繋がる。

 

 GVは戦闘には勝ちかけていた。

 

 だが、その戦闘をしていること自体がメラクの目的だった。

 

『GV!』

 

 モニカの声が、遠ざかりかけた意識を引き戻す。

 

「……シアンは」

 

「もうここにはいないよ」

 

「どこへやった」

 

「内緒」

 

「どこへやった!」

 

 声と同時に、足元を蒼雷が走った。

 

『GV、出力!』

 

「……分かってる」

 

 そう答えた時には、もう走り出していた。

 

 先ほどまでなら《亜空孔》の形成を見てから進路を選んでいたのに、今は空間が歪み始めるより先に身体を投げ込んでいる。正面から突き出したアームを紙一重で外し、そのままメラクの側面へ回り込んでダートを撃つ。

 

 装甲が弾ける。

 

「どこだ!」

 

「教えないって」

 

「答えろ!」

 

 メラクが後退する。

 

 GVは追う。

 

 一発撃つたびに次の射線を探していたはずが、今は照準と移動の順序すら曖昧になっていた。着地するより先に引き金を引き、撃ったあとで自分がどこへ降りるのかを決めている。

 

『GV、速度上げすぎ!』

 

「いける!」

 

『違う! 今のあなた、避けてから撃ってない! 撃ってから避けてる! 順番が逆よ!』

 

「……!」

 

 モニカの言葉が、熱に浮かされていた意識へ冷水のように落ちた。

 

 見る。

 

 避ける。

 

 位置を取る。

 

 仕込む。

 

 崩す。

 

 いつも自分が無意識に守っていた順番が、いつの間にか裏返っている。

 

「……ごめん」

 

『謝るより直して!』

 

「うん!」

 

 一度だけ大きく息を吐き、視線を戦場へ戻す。

 

 メラク。

 

 残った武装。

 

 床。

 

 壁。

 

 《亜空孔》の形成位置。

 

 まだ戻せる。

 

 戦える。

 

「お姉さん、ホント邪魔」

 

『あなたに言われたくない!』

 

「モニカに構うな!」

 

「キミにも構いたくないんだけど」

 

「だったらシアン返せ!」

 

「もういないって」

 

 その一言だけで、せっかく整えた呼吸がまた乱れた。

 

 それでもGVは《亜空孔》の形成途中へダートを撃ち込み、通電によって出口をずらす。生じた隙間へ身体を滑り込ませると、メラクが椅子を下げるより先に懐へ入った。

 

『GV、取れる! 武装だけ!』

 

「分かってる!」

 

 右手を開く。

 

 蒼雷が掌へ収束し始める。

 

 殺さない。

 

 相手の能力だけを止める。

 

 だから作った。

 

 自分がそう戦うための技。

 

「これで――」

 

「ねえ」

 

 メラクが口を開いた。

 

「……何だよ」

 

「また帰れなかったね」

 

 集まりかけた雷が揺れた。

 

「シアンちゃんと一緒に帰るつもりだったんでしょ?」

 

「黙れ」

 

「前も帰れなかったのに」

 

『GV』

 

「……分かってる」

 

「一回死んだんだっけ。その時、シアンちゃん――」

 

「黙れ!」

 

 形成しかけたLIGHTNING SPHEREが、握り潰された光のように崩れた。

 

 集めていた雷が指の隙間から散り、床へ不規則な火花を落とす。

 

「やっぱり」

 

「……何が」

 

「シアンちゃんが一番効く」

 

 GVの奥歯が鳴った。

 

「ストラトスも、イオタも、助けた人に嫌われたことも気にしてるけど、シアンちゃんだけ違う」

 

「やめろ」

 

「もしシアンちゃんが『もう来ないで』って思ってたら?」

 

 その言葉だけは、胸の奥へ直接差し込まれた。

 

『GV!』

 

「また自分のために傷ついて、また帰ってこなくて。それで――」

 

「分かんないよ!!」

 

 叫びが戦闘区画の壁へぶつかり、反響して自分の耳へ返ってくる。

 

「ストラトスのことだって分かんない! イオタに言われたことだって、まだ答えなんか出てない! 僕が死んだ時にシアンがどう思ったかなんて……そんなの、聞けるわけないだろ……!」

 

 ダートを握る手が震えている。

 

 隠す余裕すらなかった。

 

「僕だって怖いんだよ! 助けた奴に嫌われたらムカつくよ! もう知らないって思う! 今だってシアンだけ追いたいし、他の奴なんか放っておきたいって思うよ!」

 

 正しいから助けているわけではない。

 

 自分が善人だからでもない。

 

 助ければ報われると信じているわけでもない。

 

 ただ、目の前にいる。

 

 手が届く。

 

 その瞬間には、もう身体が動いてしまっている。

 

「でも……見たら、放っておけないんだよ……! 僕だって、どうしたらいいか分かんないんだよ……!」

 

 メラクは数秒、黙ってGVを見ていた。

 

 同情した様子はなかった。

 

 理解したようにも見えない。

 

 ただ、これまで集めていた情報の最後の一片が埋まったように、僅かに首を傾げる。

 

「ふうん。じゃあやっぱり、シアンちゃんが一番効くんだ」

 

 その瞬間だった。

 

 何かが切れた、という感覚さえなかった。

 

 むしろ、今まで頭の中を埋め尽くしていた雑音が一斉に消え、奇妙なほど静かになった。

 

「……黙れ」

 

『GV?』

 

 モニカの声が聞こえる。

 

 GVの周囲で蒼雷が膨らみ始めた。

 

『GV、出力下げて』

 

 聞こえている。

 

 メラクも異変に気づいたのか、損傷した椅子を僅かに後退させる。

 

「何?」

 

「もういい」

 

「何が?」

 

「シアンの場所も、お前が何考えてるかも……もう聞かない」

 

『GV! 待って!』

 

「もう……何も言うな」

 

 メラクが《亜空孔》を三つ展開した。

 

 GVはそのすべてを、今まで積み上げた攻略法で突破した。

 

 一つ目が完成する前に進路を変え、二つ目は壁を蹴って上から越え、三つ目には空中からダートを撃ち込んで形成そのものを乱す。着地と同時に床を滑り、迎撃へ振るわれた最後のアームの下へ潜り込むと、その関節へ至近距離からダートを撃ち込んだ。

 

 雷撃が走る。

 

 アームが停止する。

 

 もう、メラクにまともな武装は残っていなかった。

 

『GV、もう止められる!』

 

 モニカの声は、確かに届いていた。

 

 それでもGVは前へ出る。

 

 メラクが椅子を後退させた。

 

 ほんの少し前までなら、それを逃走と判断した時点で追わなかったはずだった。

 

 なのに今は、その距離が開くこと自体が許せなかった。

 

「逃げるな」

 

「いや、逃げるでしょ」

 

「逃げるな!」

 

 GVの声へ呼応するように、周囲の空気が震えた。

 

 床に散っていた小さな火花が一斉にGVへ引き寄せられ、蒼白い光がその身体を包み込んでいく。放電はただ荒れ狂っているのではなく、次第に一定の輪郭を持ち始め、空間そのものへ何か巨大なものを描き出そうとしていた。

 

『GV!? そのスキルは駄目!』

 

『おいGV、それ……!』

 

 ジーノの声へ、すぐにアシモフの低い声が重なる。

 

『GV、ストップだ。そのスキルを中止しろ』

 

「……」

 

『GV』

 

「……嫌だ」

 

 自分で答えた言葉なのに、その響きだけが妙に遠く感じられた。

 

 アシモフに止められている。

 

 モニカも。

 

 ジーノも。

 

 全員がやめろと言っている。

 

 それでも、GVの周囲へ集まった雷は消えなかった。

 

『LIGHTNING SPHEREに切り替えて! もう能力を止めるだけでいい!』

 

 分かっている。

 

 そのための技がある。

 

 そのために自分は、ずっと殺さない戦い方を選んできた。

 

 けれど今は、その選択へ戻ることが出来なかった。

 

『GV! オマエ、そいつ殺す気かよ!』

 

「違う!」

 

『だったら止めろ!』

 

「違う!」

 

 殺したいわけじゃない。

 

 ただ黙らせたい。

 

 シアンの名前を使わせたくない。

 

 もう何も言わせたくない。

 

 そう自分へ言い聞かせている間にも、蒼雷は空間へ形を得ていく。

 

「でもさ」

 

 メラクが口を開いた。

 

「……喋るな」

 

「シアンちゃんが本当に――」

 

 それが最後だった。

 

「迸れ! 蒼き雷霆よ!」

 

 GVを包んでいた雷光が一気に膨張し、戦闘区画が蒼白く染まった。

 

『GV!!』

 

「もう何も言うな! 僕の前から――消え失せろォッ!!」

 

 放電の中心でGVが腕を振り抜く。

 

「VOLTIC CHAIN!!」

 

 次の瞬間、雷撃を纏った巨大な鎖が空間へ実体を結んだ。

 

 一本だけではない。

 

 最初の雷鎖が床すれすれを薙ぐように伸びたかと思えば、その軌跡を追うように二本目、三本目が蒼白い光の中から現れ、鎖同士の隙間では高圧の雷撃が獣の牙のように迸る。

 

 それは飛来する攻撃というより、戦闘区画そのものを巨大な鎖で縛り上げる光景だった。

 

「……っ!」

 

 メラクが正面へ《亜空孔》を展開する。

 

 迫ってきた一本目の鎖が穴へ呑み込まれ、別方向に開いた出口から先端が飛び出した。

 

 普段なら、それで攻撃は逸れる。

 

 だが、雷鎖は一本の弾丸ではない。

 

 一本目を空間の向こうへ送り出している間にも、二本目の鎖が床を削るように横切り、その鎖身から迸った蒼雷がさらに広い範囲へ枝を伸ばしていく。

 

「何これ……!」

 

 メラクは椅子を右へ振った。

 

 その退路を待ち構えていたかのように別の雷鎖が横切り、巨大な蛇が獲物の進路へ身体を滑り込ませるように行く手を塞ぐ。

 

 ならば上。

 

 メラクは頭上へ《亜空孔》を開いた。

 

 しかし出口の向こうでは、すでに別の鎖が蒼雷を撒き散らしながら空間を横断している。

 

 接続を切る。

 

 後方へ。

 

 今度は床を這っていた雷鎖が持ち上がり、重い金属音と雷鳴を同時に響かせながら退路へ立ちはだかった。

 

 メラクの指が目まぐるしく動く。

 

 《亜空孔》を開き、鎖を逃がし、その出口を閉じ、次の鎖へ対応する。普段なら相手の選択肢を先回りして塞ぐ側だったメラクが、今は自分の逃げ道を一つ作るたび、その先へ新しい鎖を置かれていく。

 

 穴を塞いだ水が別の亀裂から噴き出すように、一本を処理すれば別の雷鎖が空いた場所へ入り込んでくる。

 

 局所的に攻撃を逃がす《亜空孔》と、戦場全域を鎖と雷撃で埋め尽くすVOLTIC CHAIN。

 

 処理速度の問題ではない。

 

 メラクが一つの出口を作る間にも、戦場そのものが逃げ場ではなくなっていく。

 

「……マジ?」

 

 その声から、とうとう気怠さが消えた。

 

 損傷した椅子型武装を限界まで加速させ、僅かに残った空間へ飛び込もうとする。

 

 正面は雷鎖。

 

 右も塞がれている。

 

 左上。

 

 そこだけに、まだ鎖の隙間があった。

 

 メラクは即座に《亜空孔》を形成し、その空白へ出口を繋ぐ。

 

 飛び込む。

 

 その寸前、別方向へ送り出したはずの一本目の鎖が、背後に開いていた出口から雷撃を纏ったまま飛び出した。

 

「――っ!」

 

 雷鎖が椅子型武装を捉えた。

 

 衝撃と同時に装甲の隙間から火花が噴き上がり、姿勢制御が一瞬で失われる。そこへ横から二本目が重なり、鎖身から迸った蒼雷が残っていた武装を呑み込んだ。

 

『GV、もう十分! 能力出力が落ちてる! 解除して!』

 

 モニカの声は届いている。

 

 メラクはもうまともに反撃出来ない。

 

 《亜空孔》も維持出来ず、椅子型武装も姿勢を保てていない。

 

 それでもGVは腕を下ろさなかった。

 

「……黙れ」

 

 その声に応じるように、さらに一本の雷鎖が蒼白い閃光を引き連れて戦闘区画を横断した。

 

『GV!!』

 

 逃げ場を失った椅子型武装を、雷撃を纏った鎖が正面から捉える。

 

 閃光が視界を塗り潰した。

 

 激しい放電音が区画全体を震わせ、衝撃によってメラクの身体が椅子から投げ出される。床へ落ちた身体はそのまま数メートル滑り、ようやく止まった。

 

 GVの周囲には、まだ雷鎖が残っていた。

 

 空間を縛り上げていた鎖が蒼雷を纏ったまま軋み、その一つが再びメラクのいる方向へ動こうとする。

 

『GV、止めて! もう終わってる!』

 

『GV! そいつもう倒れてるだろ!』

 

『ガンヴォルト! スキルを解除しろ!』

 

 三人の声が重なった。

 

 GVの指が止まる。

 

 雷撃を纏っていた鎖が輪郭を失い、一本ずつ光の粒へほどけて消えていった。最後の鎖が消滅すると、蒼白く染まっていた戦闘区画へ非常灯の薄暗い色が戻ってくる。

 

 急に静かになった。

 

「……メラク?」

 

 返事がない。

 

 横倒しになった椅子型武装の向こうで、メラクは床へ倒れたまま動かなかった。

 

「……おい」

 

 GVが一歩だけ近づく。

 

「メラク」

 

 やはり返事はない。

 

 ついさっきまで、何を言っても面倒そうに返してきた。

 

 黙れと言っても黙らなかった。

 

 そのメラクが、今は何も言わない。

 

 GVの手からダートが落ちた。

 

「……モニカ」

 

『待って。確認してる』

 

「メラク……」

 

『GV、動かないで』

 

 GVは倒れた少年から目を離せなかった。

 

「……死んだ?」

 

 自分の口から出た言葉に、自分自身が怯えた。

 

「僕……殺した?」

 

『待って』

 

「でも、動かない」

 

『待ってって言ってるでしょ!』

 

 モニカの強い声に身体が止まる。

 

 実際には数秒だったのだろう。

 

 それでも、センサー情報を確認する時間は異様なほど長く感じられた。

 

『……生命反応確認』

 

 GVが顔を上げる。

 

「……生きてる?」

 

『生きてる。意識反応は落ちてるけど、生命反応はある』

 

「……そっか」

 

 膝から僅かに力が抜けた。

 

 安堵した。

 

 けれど、その安堵そのものが怖かった。

 

 どうして自分は今、相手が生きているかどうかを確認しなければならなかったのか。

 

 その答えは、床へ倒れているメラクの姿そのものだった。

 

「……僕がやったんだよね」

 

『ええ』

 

 モニカは誤魔化さなかった。

 

 GVは自分の右手を見る。

 

「みんな……止めてた?」

 

 通信の向こうに短い沈黙が落ちる。

 

『止めてた』

 

 ジーノだった。

 

『何回も呼んだ』

 

「……聞こえてた」

 

 指が震えた。

 

「聞こえてたんだ」

 

 モニカも、ジーノも、アシモフも。

 

 全部聞こえていた。

 

 それでも撃った。

 

「僕……殺すつもりはなかったって、言っていいのかな」

 

 誰もすぐには答えなかった。

 

 GVはその沈黙から逃げず、倒れたメラクを見つめる。

 

「……僕、消えろって言った」

 

 あの時の自分の声を、はっきり覚えている。

 

「止めるんじゃなくて……いなくなればいいって、あの時、思った」

 

『GV』

 

 アシモフの声が入った。

 

『こちらを聞け』

 

「……」

 

『今、その答えを出すな』

 

「でも」

 

『キミが何をしたかは私も見ていた。軽く扱うつもりはない。だが、今ここで自分自身を裁くな。任務は終わっていない』

 

「……シアン」

 

『そうだ』

 

 その名前に胸が痛んだ。

 

「シアンがこれ知ったら……」

 

『それもキミが決めるな』

 

 アシモフは即座に遮る。

 

『本人に聞け。キミが勝手にシアンの答えを作るな』

 

「……」

 

『メラクにそう言ったのはキミ自身だろう』

 

 GVは目を閉じた。

 

「……うん」

 

 もう一度メラクを見る。

 

 意識は戻っていない。

 

 怒りが消えたわけではない。

 

 シアンを連れ去ったことを許したわけでもない。

 

 それでも、先ほどまでのように「黙れ」とは思わなかった。

 

「モニカ」

 

『何?』

 

「生命反応……見てて」

 

『メラクの?』

 

「うん。僕がここを出るまでは。急に悪くなったら教えて」

 

 数秒の沈黙のあと、モニカが静かに答えた。

 

『……分かった』

 

「ありがとう」

 

 GVは床へ落ちたダートを拾い、ホルスターへ戻した。

 

 引き金には触れない。

 

 敵だ。

 

 それでも、自分が倒した相手がそのまま死ぬことを望む自分にはなりたくなかった。

 

 その頃、第三海底基地の別区画では、シアンが皇神兵に囲まれながら輸送用通路を歩いていた。

 

 前方に二人、左右にも兵士がいる。逃げ込める扉は少なく、今ここで走ったところで数歩も行かないうちに捕まるだろう。

 

 だから逃げない。

 

 代わりに、見る。

 

 壁面の案内表示や通過する隔壁の番号、兵士が認証端末へ触れる指、開いた扉の向こうに見える設備を、怪しまれない範囲で一つずつ拾っていく。

 

『シアン』

 

 モルフォの声が頭の中へ響いた。

 

『さっき、かなり大きな第七波動反応があった』

 

 シアンの足が僅かに鈍る。

 

「GV?」

 

『たぶん』

 

「……無茶してる?」

 

『分からない。でも、出力はかなり大きかった』

 

「……バカ」

 

『本人に言いなさい』

 

「言うよ。帰ったら絶対言う」

 

『帰ったら?』

 

「帰るもん」

 

 そこに迷いはなかった。

 

 前を歩く兵士の携帯端末へ搬送情報が一瞬だけ表示される。

 

 シアンは顔を動かさず、視線だけを滑らせた。

 

『見えた』

 

「覚えられる?」

 

『誰に言ってるの?』

 

 口元がほんの僅かに緩む。

 

「じゃあお願い」

 

『任せなさい』

 

 兵士が振り返った。

 

「何を喋っている」

 

「独り言です」

 

「黙って歩け」

 

「……はい」

 

 表面上は従う。

 

 けれど、見ることはやめない。

 

 GVが来るまで待っていればいいとは思わなかった。

 

 助けに来てくれているなら、自分も帰るための道を探す。

 

「GVが来てるなら、わたしも止まれない」

 

『そうね』

 

 シアンはまた一つ、通過した隔壁の番号を覚えた。

 

 一方のGVも、メラクを残して第三海底基地から海底トンネルへ続く退路を進み始めていた。

 

 今度は走っていない。

 

 モニカからも走るなと言われていた。

 

『次の角、右。第七波動は最低出力のまま』

 

「うん」

 

『返事は無理にしなくていい。歩いて』

 

「……うん」

 

 自分の靴音がやけに大きく聞こえる。

 

 歩くたび、先ほどの自分の声が耳の奥で蘇る。

 

 ――消え失せろ。

 

 足が止まりそうになるたび、モニカの声が前へ引っ張った。

 

『GV、前見て』

 

「……見てる」

 

『次の隔壁まで二十メートル』

 

「うん」

 

 しばらく歩いてから、GVがぽつりと言った。

 

「モニカ」

 

『何?』

 

「……さっきのこと、隠したいって思ってる」

 

 通信の向こうが静かになる。

 

「シアンにも。みんなにも。なかったことにしたい」

 

 喉が詰まった。

 

「でも、それやったら……多分、もっと駄目だよね」

 

『そうね』

 

 即答だった。

 

 優しい嘘は返ってこない。

 

『でも、それを今全部整理する必要もない』

 

「……」

 

『帰ってきてから話せる。帰ってきてから謝れる。帰ってきてから考えられる』

 

「帰ってくれば……」

 

『全部出来る』

 

 GVは少しだけ顔を上げた。

 

「……そっか」

 

『だから今は帰る。それだけ』

 

「うん」

 

 その時、通信へ鋭いノイズが割り込んだ。

 

「……?」

 

『GV、待って』

 

 モニカの声音が変わる。

 

『皇神の上位回線から接続要求』

 

 作戦室でアシモフが反応した。

 

『この識別コードは……』

 

 ノイズが消える。

 

『やあ』

 

 少年の声だった。

 

 柔らかく、落ち着いている。

 

 メラクの気怠さとは違う。最初からこちらを見下ろせる場所に立っているような、奇妙な余裕があった。

 

『初めまして、と言うべきかな。もっとも、キミのことは以前からよく知っているけど』

 

 アシモフが低く名前を告げる。

 

『紫電』

 

 GVの表情が変わった。

 

「……お前が」

 

『そう。皇神の紫電だよ』

 

「シアンはどこだ」

 

『やっぱり最初にそれを聞くんだね』

 

「答えろ」

 

『彼女なら無事だよ。今のところはね』

 

「返せ」

 

『それは出来ない』

 

「何で!」

 

『彼女には重要な役割があるから』

 

「役割……?」

 

 すぐに意味へ辿り着く。

 

「また能力の話か」

 

『そういうことになるね』

 

「シアンは道具じゃない」

 

『その議論を今するつもりはないよ』

 

 紫電の声音は崩れない。

 

『今日はキミたちに伝えておきたいことがあってね』

 

「何だよ」

 

『あと一日』

 

「……え?」

 

『ボクらの計画が完成するまで、あと一日だ』

 

 通信の向こうで作戦室の空気が変わった。

 

「一日……?」

 

『そう』

 

「シアンを使って何をする!」

 

『それは自分で確かめてほしいな』

 

「どこへ行けばいい!」

 

『そこまで教えたら面白くないだろう?』

 

「紫電!」

 

『残された時間で、キミたちがどこまで辿り着けるか楽しみにしているよ』

 

「待て!」

 

『それじゃあ、ガンヴォルト。グッドラック』

 

 通信が切れた。

 

 海底トンネルに静寂が戻る。

 

「……一日」

 

 GVは自分の右手を見る。

 

 VOLTIC CHAINを放った手は、まだ僅かに震えていた。

 

 メラクのことも考えなければならない。

 

 自分が何をしようとしたのかも。

 

 ストラトスも、イオタも、シアンが自分をどう思うのかも、何一つ答えは出ていない。

 

 けれど紫電が与えた猶予は一日だった。

 

「……休んでる時間、ないね」

 

『GV』

 

「行かないと」

 

『どこへ?』

 

「……」

 

『シアンちゃんがどこにいるか分かる?』

 

「分からない」

 

『紫電の計画は?』

 

「……分からない」

 

『なら、今あなたが走っても行き先がない』

 

「でも一日しかない!」

 

『一日ある!』

 

 強い声にGVの足が止まる。

 

『ゼロじゃない。一日あるの』

 

 直後、通信の向こうで操作音が走り始めた。

 

『私が紫電の通信経路を追う』

 

『オレは中継ログ洗う!』

 

 ジーノ。

 

『こちらで諜報班を招集する』

 

 アシモフ。

 

 誰も止まっていない。

 

 誰もGV一人へ任せようとしていない。

 

 それを見落としていたのは、また自分だった。

 

『GV』

 

 アシモフが呼ぶ。

 

『キミの仕事は帰還だ。まず戻ってこい』

 

「でも」

 

『次の作戦はそこからだ』

 

 GVは目を閉じた。

 

 何一つ解決していない。

 

 それでも、一人で今すぐ全部を解決しなければならないわけではない。

 

「……分かった」

 

『Good』

 

「帰る。シアンはいないけど……一回帰る」

 

 再び海底トンネルを歩き始める。

 

 その歩幅はまだ小さい。

 

 けれど、今度は止まらなかった。

 

「それから、みんなで迎えに行く」

 

 その言葉が通信を通してフェザー本部へ届いた頃には、作戦室はすでに次の戦いへ向けて動き始めていた。

 

 紫電の通信ログ、皇神の軌道関連設備、シアンの搬送経路。各班から上がってくる情報が大型モニターへ次々と集約され、モニカはGVの帰還誘導と並行して指示を飛ばし続けている。

 

 その少し後方で、アシモフだけが一度、別の画面へ視線を向けた。

 

 GVの帰還経路。

 

 生命反応は安定している。

 

 大きな身体異常もない。

 

 生きて帰ってくる。

 

 それを確認してから、アシモフは保存された戦闘記録へ目を移した。

 

 VOLTIC CHAIN。

 

 急激に跳ね上がった出力。

 

 雷鎖の直撃を受け、床へ倒れたメラク。

 

 モニカとジーノの制止。

 

 そして、自分自身が出した中止命令。

 

 それに対するGVの返答。

 

 ――嫌だ。

 

 アシモフはしばらく画面を見つめていた。

 

 今日もGVは人を助けた。

 

 自分を罵倒した皇神兵すら見捨てなかった。敵であっても殺さず、危険に晒された者へ手を伸ばす。それがGVであることを、アシモフは誰よりよく知っている。

 

 だからこそ、今日初めてその少年がそこから踏み外しかけたことも理解していた。

 

 ストラトス。

 

 イオタ。

 

 シアン。

 

 敵も、味方も、助けた人間から投げつけられた言葉さえも。

 

 GVは一つも捨てない。

 

 全部、自分の中へ入れる。

 

 それでも前へ進もうとする。

 

 今日、それがとうとう溢れた。

 

「……背負わせすぎたか」

 

 誰にも届かない声だった。

 

 GVは強い。

 

 だが、強いから迷わないわけではない。まだ十四歳の少年で、判断を誤ることもあれば、怒りに呑まれることも、自分自身を見失うことだってある。

 

 ならば、誰かが導かなければならない。

 

 迷わないように。

 

 間違わないように。

 

 これ以上、苦しまなくて済むように。

 

 そこまで考えたところで、アシモフはGVの帰還を示す表示へもう一度目を向けた。

 

 自分が導けばいい。

 

 GVがすべてを背負わなくていいように。

 

 進むべき道を、自分が示してやればいい。

 

 その考えに悪意など一欠片もなかった。

 

 ただ、大切な少年を守りたい。

 

 今はまだ、それだけだった。

 

 だからこそアシモフ自身も気づいていない。

 

 守りたいという願いと、その少年が進むべき道を自分が決めてやりたいという願い。その二つの境界が、ごく僅かに曖昧になり始めていることに。

 

 大型モニターへ、新たな解析結果が表示された。

 

 残された時間は、すでに二十四時間を切っている。

 

 シアンは皇神の手の中にいる。

 

 GVもまた、自分が踏み込みかけた場所から完全に戻れたわけではない。

 

 それでも時間は待ってくれない。

 

 GVが帰る場所では、すでに仲間たちが彼の帰還と、その先の戦いに備えて動き続けていた。




残された時間は、あと一日。

シアンを追い、フェザーは皇神の巨大人工島――オノゴロフロートへの総力作戦を開始する。

しかし、メラクとの戦いで自らの力を恐れ始めたGVは、今までのように戦えない。

「出力を上げるなとは言ったけど、戦うなとは言ってない!」

怖い。

また間違えるかもしれない。

それでも、立ち止まるわけにはいかない。

一方、遥か上空のアメノウキハシ。

紫電はシアンへ、《歌姫プロジェクト》がもたらす新たな秩序を語る。

「時には大きな被害を防ぐために、小さな犠牲を選ばなければならないこともある」

だが、その“小さな犠牲”本人は、黙ってはいなかった。

「女の子一人を犠牲にして生まれる秩序は、本当に平和なんて言えるの?」

国家を守る少年と。

一人一人を見ようとする少女。

そして地上では、蒼き雷霆が再び問いに直面する。

――答えが分からなくても、人を救うのか。

「……分かんないよ、まだ」

それでも。

雷は、天を目指す。

次回、第二十六話「電光」。

「貴方は、GVには勝てない」

次回も、グッドラック
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