ネオン父に転生したのでふんわりした未来知識で成り上がる 作:パラレル・ゲーマー
1979年、夏の終わり。
ヨークシンの街に吹き込む風に、わずかに秋の気配が混じり始めた頃。
ノストラード本部の執務室では、いつものように淹れたてのコーヒーの香りが漂っていた。
「ボス。今朝の朝刊です」
ヴィクターが数紙の新聞をデスクの上に置いた。
ライトはコーヒーカップを片手に、一番上に置かれた全国紙の一面に目を落とした。そこには、極太の活字でデカデカと見出しが踊っていた。
『サヘルタ合衆国・カキン帝国 外交関係を完全正常化』
『十年の空白を経て大使交換へ。歴史的転換点』
『通商協議開始、飛行船貨物直行便も検討』
ライトは記事を読みながら、内心で小さく反応した。
(……米中国交正常化ポジションか、これ)
前世のアメリカ経済史の記憶が、ぼんやりとフラッシュバックする。超大国同士の国交回復。だが、ここは現実世界ではない。
(いや、中国じゃねえ。カキン帝国だわ)
ライトは新聞の端に印刷された、カキン帝国の国旗らしき紋章を見つめた。
(確か、王族がまだバリバリ残ってて、未来の原作じゃあ、国家ごと巨大船に乗って暗黒大陸に突っ込もうとする、あのヤバい国だわ)
もちろん、そんな未来の原作知識を外に漏らすような真似はしない。
記事によれば、カキン帝国は約十年前に「帝国社会主義的な旧体制」から、「議会制民主主義を標榜する新体制」へと大規模な国家転換を果たしていた。
しかし王家そのものは廃止されず、現在も国家の中枢に残っている。制度上は議会制民主主義という体裁をとっているものの、旧体制から続く軍や官僚機構も健在であり、国外から見れば制度の実態を読み切りにくい超大国だった。
「新体制への移行から、随分と時間がかかりましたね」
ヴィクターが新聞を覗き込みながら言った。
「サヘルタ側と揉めてた問題が山積みだったからな」ライトは記事をパラパラとめくった。「旧政権時代に接収されたサヘルタ企業の資産の賠償問題、過去の債務の扱い、条約の継承、外資規制の緩和、それにカキン王家の国際法的な扱いや軍事面の摩擦……。民間レベルの貿易は第三国経由で細々と続いていたが、正式な大使級の外交関係を結ぶには、越えなきゃならないハードルが多すぎた」
「それにしても十年です。長い空白でした」
「まあ、国家同士の喧嘩の落とし前なら、十年くらいかかるのは普通なんじゃないか」
両国の正常化交渉が最終段階に入ったこと自体は、ここ数週間の経済紙でも何度か報じられていた。ライトも記事には目を通していたが、この朝刊でようやく正式な合意内容と通商拡大策の全貌が出揃った形だった。
しかし、新聞の三面、経済欄の下部にある小見出しで、ライトのページをめくる手がピタリと止まった。
『両国、五年間で貿易規模を三倍に拡大する目標で合意』
『カキン側、インフラ整備のための産業設備・工作機械・電子部品の輸入を大幅拡大へ』
『サヘルタ側、安価な繊維製品・加工品・工業用鉱産物の輸入枠を検討』
ライトの目つきが変わった。
「ヴィクター」
「はい」
ライトは新聞のその部分を指先で叩いた。
「これ、ただの外交ニュースじゃないな」
「では?」
「物流のニュースだ」
両国間の直行便の制限が緩和され、五年で貿易規模を三倍にする。それはつまり、サヘルタとカキンの間を行き交う物資の量が、大幅に増えるということだ。
「これはデカい波が来るぞ。うちの運送部門にとっても千載一遇の──」
「残念ながら、ボス」
ヴィクターの冷ややかな声が、ライトの言葉を遮った。
「今のうちの運送部門は、カキンの夢を見ている場合ではありません。それどころではないのです」
ヴィクターは抱えていた別のファイルを、ドン、と重い音を立ててデスクに置いた。
「なんだ、これは」
「今月の、運送部門の収支報告および、燃料費の請求書です」
ライトはファイルを開き、そこに並んだ数字を見て顔をしかめた。
1979年。サヘルタ合衆国を含む世界中を、深刻なエネルギー危機が襲っていた。
石油価格の異常な高騰。サヘルタ国内のガソリンや軽油、飛行船の燃料価格も跳ね上がり続けている。
その余波は、トラックを多数抱えるノストラード運送会社を直撃していた。
「燃料単価が、前年同月比でプラス三十五パーセント……だと?」
ライトは電卓を叩き直したが、数字は変わらない。前世で知っている第二次オイルショックと、よく似た流れだった。
「配送案件の数そのものは、右肩上がりです」ヴィクターが容赦なく事実を告げる。「ハンター支援窓口からの特殊貨物、ベレノス海調査への定期補給、そして既存の一般貨物。全体の総売上は、前年比でプラス二十パーセント以上を記録しています」
「だが……」ライトは一番下の欄を見た。「営業利益率が、恐ろしい勢いで落ち込んでるな」
「はい。走れば走るほど、去年よりも儲からなくなっています。利益が燃料タンクの中に消えていく状態です」
「最悪だ」
ライトは深くため息をつき、頭を抱えた。
(来たな……第二次オイルショック)
ライトは内心で舌を打った。
だが、石油相場へ大金を張る気にはならない。値上がりする方向を知っていたところで、いつまで続き、どこで反転するのかまでは覚えていない。
ライトが知っているのは、大きな流れだけだ。
この燃料高騰はすぐには終わらないこと。
それに伴って、インフレと金利上昇の圧力も強まること。
そして、燃料費が高いからと嘆くだけの会社は、いずれ耐えられなくなること。
なら、まず自分の会社の中にある無駄を削るしかない。
「ヴィクター。先週、運送の現場担当者から上がってきていた稟議書があったな。ええと……」
ライトは書類の山を漁り、一枚の用紙を抜き出した。
「『カキン向けの物流需要の増大を見越し、大型トラックを八台追加購入したい』という案だ」
「はい。正常化交渉の進展を受けて、現場としては今が攻め時だと息巻いていますが」
「却下だ。一旦止めろ」
ライトは稟議書に赤ペンで大きくバツ印を書いた。
現在、ノストラードの保有トラックは十六台。これを一気に二十四台に増やすという野心的な計画だった。
「よろしいのですか? 確かに需要は増えますが」
「今、燃料の値段が跳ねてる時期に、アホみたいに燃料を食う資産を、わざわざ銀行から借金してまで増やすのは怖すぎる」
ライトはペンを置いた。
「車を増やすのは、今の十六台の稼働状況を限界まで洗ってからだ。今の十六台、本当に全部ちゃんと利益を出せる走り方をしてるのか?」
ライトとヴィクターは、配送ルートと積載量のデータを徹底的に見直した。
そして、一つの大きな問題が発覚した。
「……
ライトが指摘した。行き便は、ハンターの荷物やベレノスの機材で満載になっている。しかし、荷物を下ろした後の『帰り便』のデータがひどかった。
「長距離便のうち、約三十五パーセントが、帰りのルートで荷台を半分以下しか埋めずに、空気を積んで走って帰ってきていますね」ヴィクターも渋い顔をした。
「燃料費が安い時代ならそれでも回っただろうが、今は致命傷だ。車を増やす前に、まずこの帰りの空荷を埋めるぞ」
ライトは、前世で見慣れていた物流の考え方を持ち込んだ。
『混載便制度』の導入だ。
一社の荷物だけでトラックを貸し切るのではなく、複数の顧客の荷物を一つのトラックにまとめて積む。そして、港から内陸の倉庫、そこから地方のハブ拠点といった『定期路線』を構築し、帰りのルートでも現地の業者から貨物を拾ってこられる営業体制を敷いた。
さらに、料金体系にも大鉈を振るった。
「長期の固定料金で契約している運賃体系に、『燃料調整条項』を導入する」
現代で言うところの、燃油サーチャージ制度だ。燃料の市場価格が一定のラインを超えて変動した場合、運賃にも一定割合を上乗せして調整する仕組みである。
当然、古くから付き合いのある地元の業者からは猛反発を食らった。
「去年と同じ金で運ぶって約束だろうが!」と怒鳴り込んでくる社長もいた。
しかしライトは、一切の感情を交えず、淡々と答えた。
「ええ。去年と同じ値段で燃料を売ってくれるなら、喜んで去年の運賃で運びますよ」
ぐうの音も出ない正論だった。
もちろん、全ての顧客に一斉に値上げを強要して関係をぶち壊すような馬鹿はしない。
大口の重要顧客に対しては、一定期間の猶予期間を設け、コストダウンの提案とセットで交渉する。新規の顧客や単発の依頼に対しては、最初から新料金を適用する。泥臭く、胃の痛くなるような地道な調整が続いた。
そんな折、港湾に出入りする貿易商や仲介業者から、ノストラードの窓口にある相談が持ち込まれるようになった。
「サヘルタからカキン向けに輸出する貨物を、うちの代わりに小口でまとめて手配してくれる会社が足りなくて困っている」というのだ。
理由は明白だった。正式な国交正常化を受けて、巨大な総合商社や大手の貨物会社は、カキン国内の拠点整備や大型契約の準備に追われており、小回りの利く小口の物流手配にまで手が回っていなかったのだ。
具体的な商品は多岐にわたった。
サヘルタからカキンへ向かうのは、インフラ整備のための工作機械の部品、発電設備のパーツ、医療機器、特殊な工具、電子部品、精密計器など。
逆にカキンからサヘルタへ入ってくるのは、繊維製品、加工雑貨、工業原料、鉱産品、安価な機械部品などだ。
「ボス。いっそ、うちで貿易会社を立ち上げて、商品を直接買い付けてカキンで売り捌くというのはどうでしょう。利益は莫大です」
血気盛んな現場の幹部がそう提案してきたが、ライトは首を横に振った。
「ダメだ。俺たちが貿易そのものに金を張るのは、まだ早すぎる」
ライトは理由を説明した。
自社で商品を買い取るということは、商品価格の暴落リスク、為替変動のリスク、関税の手続き、そして何より、まだ制度変更の余地が大きいカキン側の政治リスクまで自社で抱えることになる。今のノストラードが手を広げるには重すぎる。
「うちは商品を買う側には回らない」
ライトは幹部たちを見渡した。
「買った奴と売った奴の間を繋いで、運送費と手数料を取る。それで十分だ」
ライトは社内に、新たな部署を立ち上げることを決めた。
仮称、『国際貨物調整室』。
仕事内容は、輸出入の煩雑な通関書類の作成補助、保険の手配、一時保管倉庫の提供、サヘルタ国内での集荷、カキンへ向かう飛行船会社への貨物手配、カキンの現地業者との連絡調整、そしてサヘルタに到着した輸入品の内陸配送。
だが、ここで一つ大きな壁にぶつかった。
「言葉の壁か」
「はい。現在のうちの社員に、カキン語でビジネスの交渉や書類作成ができる人間はほぼいません」
ヴィクターの報告に、ライトはため息をついた。
「即戦力の経験者を雇おう」
「それは厳しいですね。正式な国交正常化を受けて、優秀なカキン語の経験者は、大手の商社や銀行が高い給料で根こそぎ引き抜いています。うちのようなマフィアの運送会社に来る物好きはいませんよ」
「なら、発想を変えよう」ライトは指を鳴らした。「留学生だ」
サヘルタ合衆国に留学、あるいは移民として定住しているカキン系の若者たち。彼らなら、語学だけでなく、カキン特有の商習慣や役所の手続き、現地の事情にも明るい可能性がある。
ライトは相場より高めの条件を提示し、適性を確認したうえでカキン系の若者を二、三人採用した。
これが、ノストラード組にとって初めての『国際チーム』の誕生だった。
もっとも、当人たちからすれば「貿易の書類を書く係を少し増やしただけ」という程度のものだった。
カキン向けの貨物取扱量が増えるにつれ、深刻な問題が発生した。
「ボス。倉庫が足りません」
既存の倉庫は、通常の国内物流、ハンター向けの特殊貨物、ベレノス海調査の機材、そして一般荷物で、すでにパンク寸前だった。
「新たに土地を買って、自社倉庫を建てましょう。カキンとの貿易は今後五年は確実に伸びます」
担当者の声に、ライトの脳裏に、かつて父親が言っていたという言葉がよぎった。
『現金は燃えるし盗まれる。だが、土地は逃げない』
だが、ライトは首を振った。
「いや、今は新しく土地は買わない。港の近くにある大型の空き倉庫を、とりあえず三年契約で賃借しろ」
ヴィクターが少し驚いたように言った。
「珍しいですね。先代の教えに反して、土地を買わないのですか?」
「ああ。今は、身動きの取れない不動産より、流動性の高い現金の方が欲しい」
ライトは、前世の記憶から一つだけ強く警戒していた。
石油危機に伴うインフレを抑え込むため、中央銀行が大幅な利上げへ動く時期が来る。現実世界で言う、いわゆるボルカー・ショックに近い流れだ。
もし今、多額の変動金利で借金をして不動産を買えば、金利が跳ね上がった時に利払いだけで首を絞めかねない。
「ボスは、金利がどこまで上がると予測しているのですか?」
ヴィクターが真剣な顔で尋ねた。
「知らない」
ライトはあっけらかんと答えた。
「……は?」
「何パーセントまで上がるか、いつピークを迎えるかなんて、俺にはさっぱり分からない。神様じゃないんだからな」
ライトは笑った。
「でも、分からないからこそ借りすぎない。最悪の時でも現金が残ってりゃ、選択肢は残るだろ」
ヴィクターはしばらく黙ってから、ゆっくりと頷いた。
だが、事業の拡大に伴う現場の悲鳴は、限界に達しつつあった。
十六台のトラック。港と内陸の複数の倉庫。国内便、港湾便、ハンター便、ベレノス便、そしてカキン向け貨物。
それらの全てを、事務員たちが壁に貼った巨大な配送表と、手書きの伝票、分厚い帳簿、そして電卓を使って処理しているのだ。
「ボス、もう無理です。計算が合いません。配車のパズルが複雑すぎて、事務員が何人も倒れそうです……!」
経理と配車を担当する社員が、目の下に濃い隈を作って懇願してきた。紙と電卓のアナログ管理の限界だった。
そんな時、出入りの会計士から一つの提案があった。
「ライト社長。最近発売された、小型のパーソナルコンピュータによる『表計算ソフト』のデモを、一度ご覧になりませんか?」
数日後。
執務室の机の上に、四角いモニターと無骨なキーボード、そしてディスクドライブを備えた、見慣れない機械が鎮座していた。
担当の技術者が、キーボードを叩いて画面にマス目を表示させる。
「これが、表計算ソフトです。ここに、車両番号、走行距離、現在の燃料費単価、運賃、荷物の重量といった数字を入力します。すると……」
技術者がエンターキーを叩くと、一番右端の『利益』の欄に、瞬時に計算結果が表示された。
「そして、もし燃料の単価が変動した場合。ここのセルの数値を一つ変更するだけで……」
技術者が燃料費の数字を書き換えると、画面上の全ての路線の採算と利益の数字が、一瞬でパパパッと再計算されて切り替わった。
ライトの内心が、激しくツッコミを入れた。
(……Excelじゃん!!)
前世の会社員時代に散々使った、あの表計算ソフトの遠い祖先みたいなものが、目の前で動いていた。
ヴィクターは、腕を組んで懐疑的な目を向けていた。
「ただ計算が早いだけで、こんな高価で訳の分からない機械を導入して帳簿を任せるなど……」
「ヴィクター。今の燃料単価、リッターあたり百ジェニーだったものを、百三十五ジェニーに変更させてみろ」
ライトが指示した。技術者が数字を打ち込む。
全路線の利益率が、一瞬で赤字の嵐に変わった。
ヴィクターは、画面に並んだ恐ろしいほど正確で残酷な数字の羅列を見て、完全に沈黙した。
そして、ゴクリと唾を飲み込んで、技術者に尋ねた。
「……何台、買えますか?」
ライトはヴィクターの肩を叩いて笑った。
「いきなり全社に大量導入はしない。とりあえず、経理部門と物流の配車部門に、二台だけ試験導入だ」
ライトが慎重なのは理由がある。
まだこの時代のソフトは不安定で、いつフリーズするか分からない。機械の故障も多いし、何よりこの機械を使いこなせる人材が社内に育っていない。
「データ消失が一番怖い。バックアップは磁気媒体だけでなく、必ず紙でも印刷して複数箇所で保管しろ」
ライトは厳命した。
「この機械がたった一台壊れただけで、配車が分からなくなって会社が止まる。そんなマヌケな弱点を作るのだけは一番嫌だからな。紙の台帳も当分は残すぞ」
新しい技術を導入しつつも、当面は従来の仕組みを残したまま並行運用する。
PC導入の効果は、数週間で劇的に現れた。
車両別の細かい採算、倉庫ごとの坪当たりの収益率、ルートごとの空荷率、そして運転手ごとの燃料消費量。それらが、一目で可視化されるようになったのだ。
「ボス。見てください」
経理担当者が、打ち出したばかりの集計表を持ってきた。
「売上は非常に大きいので優良路線だと思っていたこのルートですが……距離と燃料費、そして帰りの空荷率を正確に計算すると、実は走るたびに赤字を垂れ流していたことが判明しました」
見えていなかった『隠れ赤字便』の発見だった。
ライトはすぐに該当路線の便数を見直した。
別の顧客との混載便に切り替え、運賃の改定交渉を行い、ルートそのものも組み直す。
結果、運送部門全体の利益率は、目に見えて回復基調に乗り始めた。
(PC革命って、ゲームで遊べるだけじゃなかったんだな……)
ライトは、モニターの中で整然と並ぶ数字を見つめていた。
前世では当たり前すぎて意識もしなかった。だが会社を経営する側に回ってみると、この機械の価値は計算速度だけではない。今まで帳簿の山に埋もれていた問題を、比較できる形で表へ引きずり出してくれる。
◇
場面は変わり、ライトが出資している半導体企業、
NVDもまた、激動の経済環境の中で着実に成長を遂げていた。
会社の規模自体はまだ小さいベンチャーだが、ディスプレイの制御基板、特殊な半導体部品、そして小型の制御回路の受注が、研究機関やアーケードゲーム業界から増えている。
「ノストラードさん。実は、正式な国交正常化を受けまして、カキンの電機企業や国営系工場から、我々の制御基板の購入相談が複数舞い込んでいます」
NVDの技術責任者が、興奮気味に報告してきた。
「向こうは、サヘルタの技術をかなり欲しがっています。現地に合弁工場を作って組み立てを行いたいという、大規模な誘いも来ていますが」
「いきなりカキン国内に工場を作るのは却下です」
ライトは、ここでも慎重だった。
「今のカキンは、制度の運用や外資への扱いがまだ読みにくい。そんなところに会社の規模から見て重すぎる資本を突っ込んで工場を持つのは危険です」
ライトは続けた。
「最初は、こちらからの部品輸出、技術サポート、販売代理店契約だけに留めましょう。修理部品や交換部品もこちらから供給できる形にしてください。合弁の話は、それを何年か回してからでも遅くない」
しかし、NVDの技術の方向性については、ライトは高く評価していた。
「技術の小型化と、省電力化の研究開発は、今のペースで止めないでください」
「性能の向上よりもですか?」技術責任者が首を傾げる。
「もちろん性能も重要です。でも、これからは『小さいこと』や『持ち運べること』自体に、金を払う人間が増えていくと思います」
数日後。
ライトがヨークシンの中心部を車で移動している時。
信号待ちの交差点で、ライトは窓の外を歩く若者たちの姿に目を奪われた。
彼らの耳には軽いヘッドホンが装着され、腰には文庫本サイズの小型ステレオプレーヤーが取り付けられていた。音楽を『持ち歩いて』楽しんでいるのだ。
(あれは……ウォークマンの時代が来たか)
もちろん、商品名はこの世界固有の別の企業名だったが、コンセプトは見覚えがある。
据え置きの巨大なステレオで高音質を楽しむだけではなく、音質が多少落ちても、音楽を外へ持ち出せることに価値を見出す人間が増えている。
ライトはその小さな機械を眺めながら、NVDへ伝えた「小型化そのものに価値が出る」という方向性に、少しだけ手応えを感じていた。
だが、執務室に戻り、新聞を広げると、ライトは深い溜息をつかざるを得なかった。
『燃料価格、さらに高騰』
『インフレ懸念で中央銀行が利上げを示唆』
『カキン国交正常化で貿易港は活況』
『パーソナルコンピュータ市場、前年比倍増の勢い』
『小型電子機器ブーム、若者を中心に爆発的ヒット』
ニュースのトーンが、ページごとに地獄と天国を行き来している。
ライトは新聞を閉じ、次にヴィクターが持ってきた数字へ目を移した。
ヴィクターが、年末に向けた運送部門の予測レポートを持ってきた。
「ボス。PCによるルートの最適化と混載便の効果が出始めています。このまま年末まで推移すれば、物流部門の売上は過去最高を更新するでしょう」
「ほう」
「ですが、燃料費の異常な高騰を全て運賃転嫁できていないため、最終的な営業利益率は、まだ去年を下回る見込みです」
「……『売上は過去最高で、利益率は去年以下』って、経営者にとって胃が痛くなる響きだな」
ライトが乾いた笑いを漏らすと、ヴィクターも苦笑して頭を下げた。
「年末までの目標だ」
ライトはPCから打ち出された表をペンで叩いた。
「現在三十五パーセントある空荷率を、なんとしても二十パーセント台の前半まで圧縮しろ。燃料上昇分の一部を、徹底的な効率化で吸収するんだ」
そして、その改善が数字として定着した後で。
「ようやく、トラックの増車に踏み切る。十六台から、一気にではなく、二十台程度へ。それも、新車四台ではなく、新車二台と状態の良い中古車二台を組み合わせて、初期投資を抑えろ」
燃料が高いから仕事を捨てるのでもなく、仕事が増えるから無条件に設備を増やすのでもない。その間を数字で詰めていくしかなかった。
秋が深まる頃。
ノストラードが港に借りた集約倉庫には、カキン向けの輸出を待つ機械部品が、整然と木箱に詰められて山積みになっていた。
これから、カキン行きの大型飛行船貨物便に積み込まれる初便だ。
ライトは、その出荷の立ち会いや見送りには行かなかった。
ベレノス海の未知文明調査の時のように、港まで出向く必要はない。これは継続して回さなければならない普通の商売だ。書類の不備がないか、最終確認だけをオフィスで行った。
初月のカキン貿易事業の利益は、人員の採用コストや倉庫の賃借料を引けば、微々たるものだった。しかし、問い合わせの電話は確実に増え続けている。
「これ、五年後にはどうなってるんだろうな」
ライトが窓の外を見ながら呟いた。
「分からないものに投資するのですか?」ヴィクターがチクリと刺す。
「だから、土地を買わずに倉庫を三年契約で借りただけだろ」
ライトは笑った。上手く行けば拡大し、駄目なら契約満了で規模を落とせばいい。
今のところ、それ以上の賭けをする理由はなかった。
マフィアの上部組織への定期報告の時期。
大幹部のロレンツォは、ライトから提出された大まかな事業報告を見て、呆れたように葉巻の煙を吐き出した。
「ハンターの次は、今度はカキンか」
「ええ、時代の波に少し乗せてもらいまして」
「……お前、本当に何屋になるつもりなんだ?」
ロレンツォが目を細めて睨む。
「運送屋ですよ。ただ真面目に荷物を運んでるだけです」
ライトが平然と答えると、ロレンツォは鼻で笑った。
「マフィアだろ、お前は」
今回の事業拡大は、合法的な国際貿易の物流補助だ。少なくとも縄張りを荒らしたとして止められる類の仕事ではない。
だが、ロレンツォは事業報告書を閉じず、その売上欄を太い指で二度叩いた。
「それと、去年言った件だ」
ライトは表情を変えずに続きを待った。
「次の契約更新じゃ、お前んところの数字をもう一段詳しく見せてもらう。合法部門をどう扱うかも含めて、上納の計算を一度やり直すぞ」
ヨークシンの闇は、成功した分だけ取り分を求めてくるらしい。ライトは短く「分かりました」とだけ答えた。
◇
夜。
地下訓練室での基礎訓練を終えたライトは、壁際の長椅子に座って水を飲んでいた。
《凝》や《練》の精度は、着実に上がっている。
「で、お前自身の《発》は決めたのか?」
マーロウが、道具を片付けながら聞いてきた。
「まだです」ライトは水筒の蓋を閉めながら答えた。
「水見式じゃ具現化系だったんだろ。何を形にするか、一つくらい候補はねえのか」
「無理ですよ、マーロウさん」ライトは疲れた顔で首を振った。「今、俺の頭の中の八割は、明日払わなきゃいけないクソ高い燃料費と、カキン向けの複雑すぎる通関書類のことでいっぱいなんですよ」
「念能力の修行より、会社の方が大事かよ」マーロウが呆れたように言う。
「当たり前でしょ。会社は、毎日信じられない額の現金がバンバン出ていくんですよ。念能力でトラックが走るなら苦労しません」
ライトの生々しい返事に、マーロウは吹き出した。
「まあ、焦ってくだらない能力を無理に決めるよりはマシだ」
マーロウは片付けていた道具を棚へ戻した。
「具現化系ってのは、イメージの修行に膨大な時間がかかる。だからこそ、自分の生き方や性格に根本から合致したものを選ばなきゃ、大成はしにくい。お前が普段、一番何に時間を使って、何を考え、何に触れているか。そこから考えろ」
(俺が毎日やっていること……か)
ライトは、今日一日の自分の行動を振り返った。
他社との契約。運賃の計算。膨大な数字の確認。社員への権限の委譲。倉庫の空き状況の管理。様々なルートを行き交う荷物の差配。そして、書類への記録。
剣や銃、あるいは鎖を具現化して戦う自分の姿が、全く想像できなかった。
(俺の戦場は、そこじゃないからな)
それなら、自分が毎日触れているものの中に、答えがあるのかもしれない。
執務室へ戻ったライトは、デスクの前に座った。
机の上には、導入したばかりのPCのプリンターから出力された、全路線の詳細な配送採算表。
その横には、今日処理したカキン行きの貿易書類の束。
そして少し離れた場所には、『ベレノス海東部・第二次調査 第二十五報』と書かれた分厚いファイルが置かれている。
二年前には存在しなかった仕事ばかりが、いつの間にか同じ机の上に積まれるようになっていた。
(順調だ、なんて口が裂けても言えないがな)
ライトの視界の端に、一枚の紙が滑り込んできた。
ヴィクターが、無表情のまま新しい請求書をデスクに置いたのだ。
「ボス。今月分の燃料の請求書が届きました」
ライトはそれを取り上げ、数字を見た。
ピクッと、頬の筋肉が引き攣った。
「……ヴィクター。これ、また単価が上がってないか?」
「はい、上がりました。情け容赦なく」
ライトは両手で顔を覆い、天を仰いだ。
傍らに置かれた朝刊の一面には、『カキン貿易、新時代へ。景気回復の兆し』という華々しい見出し。
そして目の前のデスクには、『燃料価格、再値上げ。物流業界に大打撃』という絶望的な数字。
「景気がいいのか悪いのか……頼むから、どっちか一つにしてくれよ」
誰もいない執務室に、マフィアの組長の悲痛な声が虚しく響いた。
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