ネオン父に転生したのでふんわりした未来知識で成り上がる 作:パラレル・ゲーマー
1979年、冬の初め。
ロレンツォとの上納契約改定を終え、ノストラード組が本格的に『合法と非合法の境界線を管理する組織』として動き始めてから数日後。
ライトは、週に一度の念修行の日、マーロウの待つ地下訓練室へ一冊の普通の帳簿を持ち込んだ。
「なんだ、それ」
ストレッチをしていたマーロウが、訝しげに目を向ける。
「俺の《発》の候補です」
ライトが答えると、マーロウは帳簿を手に取り、ペラペラとめくった。
「……本?」
「帳簿です」
マーロウの顔には、明確な戸惑いが浮かんでいた。
具現化系で何かを形にすると聞けば、真っ先に思い浮かぶのは武器か、特殊な機能を持った道具だろう。いくら戦闘を好まないライトとはいえ、持ち込んできたのが文房具屋に並んでいるような会計帳簿では、拍子抜けするのも無理はない。
「お前、本当にそれでいいのか?」
「むしろ俺には、これ以外の形の方が違和感がありますよ」
ライトはパイプ椅子に座り、説明を始めた。
「会社が大きくなって、扱う案件の規模が段違いになってきました。誰が何を担当しているのか。どの危険な荷物を誰がどこで預かっているのか。山のような契約書にどんな条件が付帯しているのか。誰にどこまで権限を渡したのか……情報が増えすぎています」
ライトは帳簿を指差した。
「人間一人の頭で全部を正確に覚えるのは、もう無理です。もちろん、新しく導入したPCや紙の台帳で管理することはできます。部下に任せることもできる」
だが。
「問題が起きたという事実そのものに俺自身が気付けなければ、どんなに精緻な記録もただの紙切れです」
マーロウが腕を組んだ。
「つまり?」
「契約や、預けた物に何か重大な問題があった時。その事実を、俺が絶対に見落とさない能力が欲しいんです」
マーロウは少し考え込み、念能力者として自然に思いつく案を口にした。
「契約を破った奴に、自動的に罰を与えるとか、そういう能力にする気か?」
ライトは首を横に振った。
「いや。それはいらないです」
「いらねえのか?」
「はい」
ライトは経営者として、その案を否定した。
「契約を強制したり、破ったら死ぬようなペナルティを与える能力って、一見強そうですけど」
ライトはマーロウを見た。
「そんな呪いみたいなものにサインしたがる、まともな取引相手がいますか?」
「……いねえな」
「でしょ? 『破ったら死にます』なんて念の契約書を、スポンサーのセオドアさんや、ハンター協会へ出してみろ。俺が先に頭がおかしくなったと思われて、取引を打ち切られますよ」
罰則や制約で相手を縛り付ける能力は、裏切りの多いマフィアの世界では役に立つかもしれない。だが、相手が自発的に契約してくれなければ商売には使えない。
ライトは、能力に求めるものを改めて言葉にした。
「俺は、念の力で無理やり約束を守らせたいんじゃない」
ライトは自分の胸を叩いた。
「俺が欲しいのは、相手の自由意志で結んだ約束が破られた時に……俺が『知らないまま』なのが一番嫌なんです」
マーロウはしばらくライトを見た後、口元を緩めた。
「なるほどな」
「系統との相性は悪くねえ」
マーロウが解説を始める。
「具現化系なら、特殊な性質を持った道具を作り出すのは方向として合ってる。ただし、『これに書けば世の中の何でも分かる魔法の本』なんて都合のいいモンにはならねえ。何かしら条件と負担は要る」
「分かってます」
「なら、まずは本を作れ」
「本?」
「いきなり『契約を管理する能力』なんて抽象的なモンを具現化しようとするな。まずは物理的な器を作るんだ」
そこから、ライトの具現化修行が始まった。
ライトが選んだのは、魔法の書のような大仰なデザインではなく、仕事の現場でいつも使っている、黒い革表紙の普通の帳簿だった。
毎日、それに触り続けた。重さ、革の感触、紙の厚さと匂い、ページ数、インクの染み込み方、綴じ糸の感触。
「目を閉じても、触っただけでページの状態が分かるくらいまでやれ」というマーロウの指導のもと、ライトは仕事中も帳簿、修行中も帳簿、寝る前も帳簿を抱える生活を送った。
(俺、前世でサラリーマンやってた時も、今世でマフィアの組長になっても、結局帳簿から逃げられないのか……)
ライトは内心で自虐的に笑いながらも、集中を途切れさせることはなかった。
数週間後。
地下訓練室で、ライトの右手に『それ』が不完全ながらも顕現した。
表紙の革は少し歪み、ページの質感も本物には及ばない。だが、間違いなくオーラで形作られた物質だった。
「出た……!」
ライトの顔に、純粋な感動が広がった。念能力で作った初めての物体だ。
マーロウがそれを手に取り、パラパラとめくった。
「……ただの本だな」
「今のところはね」
「ただのノートを出すだけなら、本屋で買え」
「分かってますよ!」
ライトはすぐに次のステップへ進んだ。
ここからが本番だ。特殊能力の付与。
ライトは欲しい機能を徹底的に削ぎ落とし、一つに絞った。
「俺がこの本に登録した約束が、守られているかどうかが分かる。それだけだ」
「欲張らねえんだな」
「欲張って、条件が複雑になりすぎて何もできなくなるよりマシです」
まずはテストだ。
ライトとマーロウは、簡単な契約を結んだ。
「明日の正午までに、マーロウがこの百ジェニー硬貨をライトへ渡す」
ライトが具現化した帳簿に、普通のボールペンでその内容を書き込んだ。
そして二人で署名をする。
……が、何も起きない。
「反応がねえな」
「……ペンも具現化しないと駄目なのか?」
「知るか。試してみろ」
「師匠でしょう!?」
「お前の能力だろうが」
さらに数日の修行を追加し、ライトは黒い万年筆を具現化することに成功した。
台帳とペン。これがセットだ。
もう一度、テスト契約を行う。
ライトが専用の万年筆で条件を書き込み、ライトとマーロウがそれぞれ署名する。
その瞬間、ページの縁に薄いオーラが走り、インクの文字が紙に完全に固定されたように見えた。
そしてページの上部に、ぽっかりと文字が浮かび上がった。
《履行中》
「おお……」ライトが感嘆の声を漏らす。
「まだ何も起きてねえぞ」マーロウが冷静に突っ込む。
翌日。約束の正午より前に、マーロウがライトに百ジェニー硬貨を渡した。
ライトが台帳を開くと、表示が変化していた。
《履行完了》
「……できた」
ライトは拳を握りしめた。初めての《発》の成立だ。
だが、実験はここからだった。
「一回成功したくらいで喜ぶな。どこまで出来て、どこから出来ねえのか確かめるぞ」
マーロウの言葉に従い、ライトは次々と条件を変えて試した。
第二実験。
中身の見えない封筒を用意し、『マーロウは翌朝までこの封筒を開封しない』という契約を結ぶ。
マーロウが別室に行き、意図的に封筒を破って開封した。
その瞬間。ライトの手元にある台帳の表示が切り替わった。
《違反》
ライトは別室のマーロウに大声で確認した。
「開けましたね?」
「ああ」
ライトは頷いた。遠隔でも、自分が現場にいなくても違反は検知できる。
ただし、台帳に表示されたのは《違反》という事実だけであり、「マーロウがどのように封筒を開けたか」「なぜ開けたのか」という理由までは一切分からなかった。
第三実験。曖昧な条件のテスト。
『マーロウはライトを真面目に修行させる』
署名しようとしたが、インクが定着しない。
あるいは、無理やり登録しても《判定不能》という文字が浮かんだ。
「……なんでだ?」ライトが台帳を睨む。
「さあな」
二人でしばらく文面を見つめ、やがてライトが「あ」と声を漏らした。
「『真面目に』って、誰が判断するんだ?」
「たぶんそれだな」
「便利だけど、融通が利かないなこいつ」ライトは苦笑した。
第四実験。
ライトが欲を出して、『この骨董品の壺は本物である』と書き込んで登録しようとした。
結果は《判定不能》。
「駄目か」ライトが肩を落とす。
「そこまで出来たら、お前、骨董屋も鑑定人もいらねえだろ」
「ですよね」
能力は、ライト自身が知らない事実をどこからか拾ってきてくれるわけではなかった。
第五実験。
ライト一人で、『ヴィクターは明日までにこの書類を仕上げる』と勝手に書き込んでみた。
登録されない。
「命令書じゃダメか」
「本人が一言も了承してねえからじゃねえか?」
「……じゃあヴィクターを呼んで試すか」
一連のテストを経て、この能力の仕様と限界が少しずつ見えてきた。
数日後。
ライトはヴィクターを執務室に呼び、具現化した黒い帳簿を見せた。
「……また、変な物を作りましたね」
ヴィクターは少し引き気味に言った。
ライトが能力の概要を簡単に説明すると、ヴィクターはまず最も実務的な質問をした。
「私がその契約を破った場合、どうなります?」
「何も起きない」
「何も?」
「罰則はない。ただ、俺にバレるだけだ」
沈黙。
「……それだけですか?」ヴィクターが拍子抜けしたように言う。
「今のところはな」
「地味ですね」
「マーロウにも似たようなことを言われたよ。でもな、俺には死ぬほど便利なんだよ」
最初の実務テストとして、危険すぎない業務を選んだ。
カキン帝国へ送る、数百万ジェニー相当の精密機器が詰まった木箱。
ライトは倉庫の責任者を呼び、具現化した台帳に条件を書いた。
『指定倉庫で受領。開封しない。翌日十七時までに指定運送責任者へ引き渡す。引き渡し時に封印が完全に残っていること』
責任者に能力を説明する。
「違反すると罰があるんですか?」
「ない。ただ、俺に分かるだけだ」
「……そっちの方が、精神的にずっと嫌ですね」
責任者は苦笑しながら専用ペンで署名した。
ページに《履行中》の文字が浮かぶ。
翌日の昼。
ライトが台帳を開くと、表示が変わっていた。
《違反》
ライトは倉庫の現場へ電話を入れた。
「例の精密機器の箱、何かあったか?」
現場は大混乱になった。確認したところ、別の荷物の配送担当者が、送り状の確認のために間違えて封印テープの一部を剥がしてしまったのだという。盗難ではなく、単純なヒューマンエラーだった。
(十分だ)
ライトは電話を切りながら確信した。能力は「誰がやったか」を教えてくれなかったが、「封印を維持するという契約状態が壊れた」ことだけを伝えてきた。
本来なら、夕方の引き渡しの直前になって初めて発覚し、大慌てになるところだった。
すぐに対応指示を出し、中身の確認、再梱包、顧客への説明、出荷の延期または再検査を手配した。
数百万ジェニー規模のトラブルや信用失墜に発展する前に、火種を消し止めることができた。
ヴィクターの評価も一変した。
「……ボス。これは、使えますね」
PCが大量の数字を比較しやすい形に整える道具なら、この《台帳》は、あらかじめ定めた重要条件が崩れたことを知らせる。用途はまるで違う。
「素晴らしい。では、全社員の重要な業務委託契約を、全てこれで結び直しましょう」
ヴィクターが効率的な提案をしたが、ライトは首を横に振った。
「無理だ」
「なぜです?」
「登録を維持している間、俺のオーラの一部が拘束される。しかも単純な件数だけじゃない。期間が長い契約、多人数を巻き込む契約、条件が複雑な契約ほど重い」
ライトはテスト中に判明した制約を説明した。
試しに十数件を同時に登録したところ、《纏》の維持が明らかに重くなった。そこでマーロウから「馬鹿。会社の契約を全部背負って戦闘不能になってどうする」と止められている。
「だから、何でもかんでも登録はできない。本当に重要な案件だけだ」
高額な特殊貨物、極秘の機密契約、危険物、重要な権限委譲、そしてハンター絡みの案件。それだけに絞る。普通の日常業務の管理は、これまで通りPCと社員たちに任せる。
「これで会社全部を管理しようとしたら、俺が先に潰れるな」
ライトが苦笑すると、ヴィクターは胸をなでおろした。
「安心しました。ボスが何でも一人で管理できる魔法を手に入れたら、私の存在意義がなくなりますからね」
会社は、能力に依存してはならない。
《発》は、通常の管理体制で拾いきれない重要案件にだけ使う。
ライト自身も、そのことをヴィクターに伝えた。
「こいつを、会社の基幹システムには絶対に組み込まない」
「なぜです?」
「俺が死んだら、消えるからだ」
ライトはそれだけ言った。
ライトはもう一つだけ、試したいことがあった。
『権限の委譲』の管理だ。
台帳に書き込む。
『ヴィクターは、一件一千万ジェニーまでの通常事業支出を、ライトの事前承認なしで決裁できる。ただし、不動産取得、新規借入、株式その他の持分取得、危険物案件は除く』
ヴィクターが署名し、登録された。
ヴィクターが通常の事業経費として五百万ジェニーを決裁しても、台帳は《履行中》のままだ。
だが、もし一千万ジェニーを超える支出を無断で決裁するか、金額以内でも除外対象になっている株式取得などを独断で行えば、《違反》へ変わる。
もちろん、何に金を使ったかまでは分からない。だが、金額、期限、物品の移動、守秘義務、権限の範囲。客観的な数値や事実に落とし込めるものであれば、この能力はかなり広い管理に応用できる。
「忠誠心や、『絶対に裏切らない』といった曖昧なものを測る能力じゃない」
ライトが言うと、マーロウは頷いた。
「そっちの方がいいだろ。人間関係の全部を能力で確認するようになったら、お前自身が先におかしくなるぞ」
その程度の距離感が、ライトにも合っていた。
「名前は決めたか?」
マーロウが聞く。
「まだ決めてません。正式な名前は、もっと機能が拡張してから考えます」
「今は何て呼んでるんだ」
「……《台帳》です」
「そのまんまだな」
「仕事道具ですから」ライトは笑った。
数週間後。
ライトの執務室のデスクの上には、紙の帳簿、PCのモニター、電話機、そして必要時だけ具現化される黒い台帳が並んでいた。
初期登録されている案件は、五、六件だけ。
特殊貨物の封印維持、高額な古物の一時保管状況、カキン向け貨物の責任引き継ぎ、いくつかの重要な守秘契約。
ライトは台帳のページをめくった。
あるページには《履行完了》。別のページには《履行中》。
ライトはしばらくそれを眺めた。
(俺が欲しかったのは、これだ)
自分が決めた線を越えた時、それに気付ける。それだけで十分だった。
「言っとくが、その能力は戦闘にはほぼ役に立たねえぞ」
修行の際、マーロウが釘を刺した。
「知ってます」
「じゃあ、強い念能力者に襲われたらどうすんだ」
「逃げます」
ライトの答えに、マーロウは吹き出した。
「潔いな」
「《発》まで戦闘用にする必要はないでしょう。生き残るための基礎は鍛えますし、危険な仕事なら護衛を雇います」
「だから、基礎の《堅》や《流》の修行はこれからも死ぬ気で続けろよ」
「はいはい」
夕方。執務室。
ハンター支援窓口から、新しい契約書が上がってきた。
中身の分からない危険な特殊貨物。条件は「絶対に開封厳禁」。
ライトは書類に目を通し、通常の運用手順に問題がないことだけを確認した。
重要度は高いが、それでも現場の手順そのものを《台帳》へ置き換えるつもりはなかった。
夜。
全員が帰り、一人になった執務室。
ライトは黒い台帳を開いた。
数ページだけが登録されている。その中で一つだけ、期限が迫っていることを示す黄色い警告表示が出ているページがあった。
ライトは受話器を取り、内線を回した。
「ヴィクター。例の契約、明日が期限だぞ」
『把握しております。手はずは整っています』
電話越しのヴィクターの落ち着いた声。
「ならいい」
ライトは電話を切り、黒い台帳を閉じて具現化を解いた。
そして、明日の仕事の書類の束を開いた。
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