ネオン父に転生したのでふんわりした未来知識で成り上がる 作:パラレル・ゲーマー
1978年、三月。
ヨークシンの街にも、長く厳しい冬の名残を溶かすような春の兆しが少しずつ混じり始めていた。
ノストラード組が実業として構える運送会社のオフィス。その一角に設けられた『ハンター支援窓口』の簡素な応接ブースに、一人の男がどかっと腰を下ろしていた。
男の名前は、ガレス=ホルト。三十六歳。
プロハンターのライセンスを取得して十年近くになるという彼は、数日前に窓口へ電話で『売却相談』を持ちかけてきた依頼人本人だった。
着古された厚手のフィールドジャケットからは、土と獣、そして長期間の野営を思わせる独特の匂いが微かに漂っている。専門は幻獣、希少鳥類の探索および生態調査。
事前に窓口担当が聞き取った情報によれば、野外調査の腕前はハンター協会の中でも超一流らしい。しかし、出先から数ヶ月は平気で帰らず、商売や書類仕事といった事務的な手続きを心底嫌う、いかにも『ハンター』らしい性格の持ち主だった。相場を調べて金勘定をする時間があるなら、その時間を使って未知の山へ入りたいというタイプだ。
「で、これ。本当に売れるのか?」
ガレスは、無造作にテーブルの上にドンと布包みを置いた。
布が解かれ、姿を現したのは、鈍い色をした小型の石板だった。表面には見たことのない文字のような意匠が刻まれている。
向かいの席に座るライトは、隣に控えるエドガーと共にその石板へ視線を落とした。合法的な持ち出し許可証などの書類は、すでに窓口担当が確認を済ませている。
「まだ分からないな」ライトは正直に答えた。「まずは専門家の鑑定を通さないと、適正な価格も、買い手の手がかりも掴めない」
ライトはガレスの顔を真っ直ぐに見た。
「ガレスさん。あんたはハンター歴も長い。遺跡ハンターの知り合いに頼んで売ってもらうとか、そういうルートはなかったのか?」
「顔見知りなら何人かいる。でも、あいつらが今どこの大陸のどのジャングルに潜ってるかなんて知らん」
「古物商や美術商のツテは?」
「知らん。俺の専門は生き物だ」
ガレスは面倒くさそうに首を振った。
「じゃあ、大都市の競売へ持ち込むという手もあるだろう?」
「手続きがクソ面倒だ。手数料だの出品審査だの、書類を何枚も書かされる上に、結果が出るまで何ヶ月も待たされる。俺は来月にはまた別の山に入りたいんだ」
(うん。見事なまでにハンターだな)
ライトは内心で納得していた。
彼らは自分の専門分野においては信じられないほどの執念と知識を発揮するが、ひとたび専門外のことになれば、驚くほど無頓着で脆い。この石板も、運送会社に窓口ができたと耳に挟まなければ、酒代の足しにとその辺の怪しい古物商に二束三文で叩き売っていたか、最悪、荷物になるからと山に捨ててきていたかもしれない。
「なるほどな。状況は分かった」
ライトは頷き、本題に入った。
「じゃあ、条件の話だ。そっちが売却の代行を任せてくれるなら、うちは仲介手数料として、売却額の七パーセントをもらう」
「七パーセント?」
ガレスの眉が少しだけ動いた。
「そうだ。七パーセント」ライトはヴィクターと事前に計算して決めた数字を告げた。「それとは別に、専門家への鑑定実費、もし必要なら特殊な輸送費や保険代、公的手数料は実費で負担してもらう。残りの金額は、全部あんたのものだ。もし買い手が見つからず売れなかった場合は、仲介手数料は発生しない。ただし、鑑定費などの実費だけは負担してもらうことになる」
ガレスは少し驚いたような顔をした。
「お前らが、適当な値段をつけて買い取るんじゃないのか? マフィアの商売なんてそんなもんだと思ってたが」
一般のハンターの認識など、その程度だろう。「どうせ足元を見て安く買い叩き、別の金持ちに高く転売する気だ」と警戒して当然だ。
ライトは微笑んだ。
「希望するなら、うちで即金での買い取りも検討する。ただ、今回は仲介を任せてもらった方が、最終的なあんたの手取りはずっと大きくなると思うぜ」
「うちが買い取る場合は、その七パーセントは取らない」
ガレスが片眉を上げた。
「買い取りと仲介は別だ。どっちを選ぶかは、値段と時間を見て決めてくれ」
ガレスは数秒考えた後、肩をすくめた。
「……まあいい。急いで現金が必要ってわけじゃないんだ。次の遠征資金の足しになれば嬉しい程度だからな。仲介で頼む」
「契約成立だ」
さっそく、エドガーが一次鑑定に入った。
ルーペを取り出し、石材の材質、風化の具合、刻まれた文字の溝、加工の痕跡を舐めるように確認していく。
「……材質は、この地方の山岳地帯特有のものですね。人為的な加工の痕跡も間違いなく古い」
エドガーは顔を上げ、小さく首を振った。
「ですが、私自身は古代文字の専門家ではありません。年代の特定や文字の解読となると、手に負えませんね」
ライトは口を挟まず、エドガーの判断に任せた。
エドガーは自身の古物商としての伝手を辿り、ある大学の古代文字を専門とする研究者へと鑑定を依頼した。
数日後に出た結果は、極めて現実的なものだった。
『既知のラカーム文明の遺物ではない。おそらく、その周辺地域に存在した別の少数文化のもの。年代は数百年から千年以上前。文字体系も既知の資料とわずかに異なる。この石板単品では、歴史を覆すような大発見とは断定できない。だが、学術的には十分に興味深い資料である』
つまり、「世界を変えるオーパーツ」ではないが、コアなマニアの心は確実にくすぐる品。
鑑定結果が揃うと、エドガーは予定通りセオドア=マインツの財団へ連絡を入れた。
先月の競売で、古代文明と未解読文字に強い関心を示していた富豪だ。
ライトは直接セオドアに電話をかけるような無作法はせず、エドガーを通じて、正規のルートでセオドアの運営する財団へと、石板の写真と専門家の鑑定概要を送付した。紹介者であるハロルドの顔を立て、筋を通すためだ。
財団からの反応は早かった。
『ぜひ、現物を確認したい』
さらに、セオドア本人からの強い要望として、『発見場所の詳細について、発見したハンター本人から直接話を聞きたい』という条件がつけられた。
ライトから連絡を受けたガレスは、あからさまに面倒くさそうな声を電話口で出した。
『場所? 詳しい位置を聞きたいだと? こっちは鳥の群れを追っかけてただけなんだがな……』
完全に専門外のことに関わりたくないというスタンスだったが、「情報提供の追加の謝礼が出る」と聞くと、現金なもので渋々ながら了承した。
後日。
ノストラードの応接室で、セオドア=マインツとガレス=ホルトの面談がセッティングされた。
ライトは初めの挨拶と紹介だけ済ませ、少し離れた席で見守ることにした。
セオドアは石板の現物を食い入るように見つめた後、ガレスに向かって身を乗り出した。
「ガレス君と言ったね。素晴らしい発見だ。教えてくれないか、この石板を見つけた場所の山の地形はどうなっていた? 石造建築の規模は? 周囲に他の遺物は落ちていなかったか? それは洞窟の中か、それとも地上の遺構か? まだ未調査の区画は残されているのか?」
怒涛の質問攻めに対し、ガレスは鼻をほじりながら答えた。
「知らん。鳥しか見てなかった」
「…………もったいない!」
セオドアが天を仰いだ。
ライトは口元が緩みそうになり、手元のカップへ視線を落とした。
だが、セオドアの購入意思は揺らがなかった。専門家の鑑定結果も踏まえ、彼が提示した買取価格は『九百万ジェニー』だった。
未知の文化で来歴もはっきりしているとはいえ、単品の石板であることを考えれば、破格と言っていい。
ガレスは目を丸くした。彼にとっては、山で偶然拾ったただの副産物に過ぎないのだ。
契約が成立し、清算が行われた。
成約価格、九百万ジェニー。
ノストラード組の仲介手数料七パーセント、六十三万ジェニー。
大学の研究者への鑑定実費、約十五万ジェニー。
輸送費や保険代として数万ジェニー。
それらを差し引いても、ガレスの手元には八百万ジェニー以上の大金が残った。
テーブルの上に置かれた振込明細と現金の束を見て、ガレスは呆然と呟いた。
「……こんなに残るのか?」
「契約通りだ」ライトは平然と答えた。「実費と手数料以外は、一ジェニーもピンハネしてない」
「これをもし、その辺の古物商に持ち込んでたらどうなってた?」
ガレスの問いに、横にいたエドガーが眼鏡を押し上げながら答えた。
「即金での買い取りなら、良くて二百万ジェニー。足元を見られれば、数十万で買い叩かれていたでしょうね」
ガレスは深く息を吐き、ライトを見た。その目に、確かな信頼の色が宿っていた。
やがてガレスは明細を丁寧に折り、ジャケットの内ポケットへしまった。
もちろん、ノストラード側も十分に儲かっている。
手数料の六十三万ジェニーは、マフィアの組織全体から見れば巨大な額ではない。だが、このビジネスには在庫リスクが一切ない。しかも、今後の輸送、保管、各種の手配といった関連業務も全てノストラードが請け負うのだ。
さらに、セオドアがガレスに対して新たな提案を持ちかけた。
「ガレス君。君の貴重な時間を奪うのは心苦しいが、もう一度あの場所へ案内してもらえないだろうか」
「だから、俺は遺跡屋じゃないぞ」ガレスが顔をしかめる。「石ころ掘るのに興味はない」
「承知している。君には現地までの道案内と、安全確保だけをお願いしたいのだ」
セオドアの財団には優秀な研究者がいるが、彼らを未開の危険な山岳地帯へ放り込むわけにはいかない。当然、専門の護衛と調査を指揮する『遺跡ハンター』を一人雇い入れたいという話になった。
しかし、ガレスは遺跡ハンターの知り合いの居場所を知らない。セオドアの財団が懇意にしているハンターも、現在は別の大陸に飛んでいて予定が合わないという。
そこで、セオドアの視線がライトへ向いた。
「ライト君のところで、適任の遺跡ハンターを手配できないだろうか?」
「可能ですよ」
ライトは二つ返事で引き受けた。
ノストラードはハンターの内部名簿など持っていないし、要求する気もない。だが、以前構築したハンター協会地方支部との連絡ルートがある。
『このような条件で、セオドア財団のスポンサーによる遺跡調査の依頼がある。適任者へ周知してほしい』と正規の依頼として協会に流せばいいだけだ。受けるかどうかはハンター次第。それで全く問題ない。
石板の売却が決まっただけで、次に遺跡ハンターの手配と研究者の輸送が必要になった。
さらに、調査機材の調達、飛行船と陸路を繋ぐ物流、現地での宿泊、保険まで見積もりが必要になる。
ライトはセオドアの依頼内容をメモし、窓口と運送部門へ順番に回していった。
ヴィクターには、調査機材と輸送の見積もりを出すよう伝えた。
取引が全て終わり、帰り際。
ガレスはフィールドジャケットの巨大なポケットをごそごそと漁り始めた。
「そういや、こういうのも売れるのか?」
彼が取り出したのは、見たこともないような極彩色の珍獣の羽根と、奇妙な形をした脱皮殻のようなものだった。
ライトは思わず苦笑した。
「……それを先に出せよ」
エドガーが横から羽根を受け取り、一本ずつ状態を確かめ始めた。
ライトはガレスの肩を軽く叩いて営業をかけた。
「ガレスさん。次から、自分で値段が分からないような妙な拾い物が出たら、山に捨てる前に、とりあえずうちの窓口に写真と簡単な情報だけ送ってくれ」
「骨でもか?」
「危険物じゃなければな」
「変な植物でもいいのか?」
「写真と情報なら送ってくれ。ただ、生態が分からない生体は現物を送るな」
「分かった」とガレスは頷き、羽根と脱皮殻をエドガーへ預けた。
それから数週間、窓口にはガレス経由の問い合わせがぽつぽつと入るようになった。
最初は一件、数日空いてもう一件。その程度の増え方だった。
数週間後。
窓口の電話が鳴った。
『ガレスの奴に聞いたんだが。専門外の変な物を拾ったら、そこへ送れば適正な値段を調べてくれるってな』
窓口担当は、そのまま『特殊物品売却相談』の受付票を取り出した。
持ち込み案件の第一号は、あるストーンハンターからの依頼だった。
「古い金属製の祭具だ。廃れた鉱山跡の奥深くで見つけたんだが、石じゃないから俺には価値がさっぱり分からん」
ライトはすぐにエドガーへ回し、宗教美術の専門家へ鑑定を依頼した。結果が出れば、買い手台帳に記載されているセオドアのような富豪へアプローチするだけだ。
続いて、ブラックリストハンターからの持ち込み。
「凶悪な連続殺人犯を仕留めた時に、奴のアジトから押収した特殊なナイフだ。こういうのを欲しがる悪趣味な金持ちがいるだろ?」
犯罪史や凶器を集める収集家なら買い手候補はいる。だが、ライトは即座に売却には動かなかった。
「押収品なら、本当にそれが今のあんたの所有物として認められているのか、協会の法務部か警察の確認が先だ。面倒なトラブルごと買う気はない」
所有権の書類が揃うまで、取引は保留になった。
さらに、幻獣ハンターからの生体素材の持ち込みもあった。
「珍しい爬虫類の毒腺だ。生きたまま摘出した新鮮なやつだぞ」
製薬研究所が高値を付ける素材だったが、冷蔵設備と危険物扱いの輸送が必要になるため、専門業者と冷蔵設備を手配して輸送した。
窓口担当は毒性情報と保存温度を確認してから、案件を運送部門へ回した。
案件が急増してきたため、窓口担当の社員が悲鳴を上げ始めた。
ハンターからの持ち込みは、武器、骨、石、植物と多岐にわたり、確認すべき事項が毎回違うからだ。
そこでライトは、業務を標準化するための『特殊物品売却相談票』を急遽作成した。
発見・取得場所、現在の所有権の所在、既知の危険性、生体・毒性・感染性の有無、希望する最低価格、即金を希望するか時間がかかっても高値を優先するか、秘密保持の要否。
これらをハンター側に事前に記入させることで、ヒアリングの手間を大幅に削減した。
さらに、売却方法も明確に三つのコースに整理した。
Aコース『仲介』。ノストラードが買い手を探す。成約時に7パーセントの仲介手数料。
Bコース『即時買い取り』。ノストラード自身がその場で査定し買い取る。価格は市場より低めになるが、即日現金化。仲介手数料はなし。
Cコース『鑑定のみ』。一定の費用を払い、価値と来歴だけを調べる。品物は本人が持ち帰る。
このシステム化に対して、ヴィクターがブレーキ役として意見を具申してきた。
「ボス。システムの構築は素晴らしいですが、仲介手数料の七パーセントは、やはり安すぎませんか? 案件によっては、専門家の手配や書類作成でこちらの人的コストが割に合いません」
ライトもそれは理解していた。
「そうだな。基本は七パーセントのままでいい。だが、大型案件や特殊案件は別途見積もりにする規程を追加しろ」
極度の危険物、海外への特殊輸送、複雑な法務手続きを伴うもの、高額な保険が必要なもの、長期保管が必要な品。それらには追加料金を設定する。
「今はとにかく、持ち込みの件数を増やして『信用』を買う時期だ。うちが赤字になるほど安売りはしないが、ハンターたちが他所の業者へ持っていく理由をなくすくらいの絶妙な価格設定にはしておきたい」
「その条件なら問題ありません」と、ヴィクターも頷いた。
1978年の春から初夏にかけて。
窓口の相談件数は、爆発的ではないものの、着実に成長を見せていた。
ハンター支援業務全体で月に数十件だったものが、『特殊物品売却相談』だけで初月三件、翌月七件、その次は十件前後と右肩上がりで増えていく。
もちろん、持ち込まれる品の大半は、大した価値のないものだ。
エドガーが鑑定しても「市場価値なし」と判断されるもの。所有権が曖昧で違法性の疑いがあるもの。専門家を何人呼んでも用途不明なガラクタ。
ノストラード側から「うちでは扱えない」と突き返す案件も少なくなく、相談票の多くには『取扱不可』『市場価値なし』の判が押された。
その一方で、月に一件ほどは、明らかに扱いの違う高額案件が混ざった。
例えば、未知の特殊鉱石。企業の研究所が数千万ジェニーの予算で競り落とせば、その七パーセントと輸送費だけで、窓口の数ヶ月分の経費が賄える。件数が少なくても、ビジネスとしては完全に成立していた。
その頃、別のところから妙な呼び名まで聞こえてくるようになった。
ある日、地下訓練室で《練》の修行を終えたライトに、マーロウが呆れたように言った。
「お前のところ、最近同業者の間で『拾い物屋』って呼ばれてるぞ」
「もっとマシな、カッコいい呼び方はなかったのか?」
「裏社会でカッコいい異名がつく奴は、大抵早死にするもんだ」
マーロウの軽口に、ライトも苦笑してタオルで汗を拭った。
窓口には、連日のようにハンターからの電話が鳴る。
鑑定だけを頼む者、即金で売りたい者、写真だけ送ってくる者と、相談の内容も少しずつ増えていった。
窓口担当は、そのたびに相談票を埋め、必要な専門家や部署へ案件を回していった。
ライトは、このビジネスのきっかけを作ってくれたハロルド=グレンへの義理も忘れなかった。
セオドアとの取引が軌道に乗った後、ライトはハロルドへ一度だけ短い連絡を入れた。
「ハロルド様。先日ご紹介いただいた競売会で知り合った方と、さっそく良い取引をする機会に恵まれました。あの場に呼んでいただいたおかげです。本当にありがとうございました」
ライトは取引の詳細までは話さず、礼だけを伝えた。
ハロルドも、「ほう。私の紹介が役に立ったなら何よりだ」と好感を持って応じてくれた。
後日、ハロルドが熱心に探しているという工芸品の情報が窓口に入った時、ライトは競売にかける前に真っ先に彼へ声をかけた。ハロルドは現物を確認し、翌日には買い取りの返事を寄越した。
先月の競売でライトが買った木彫りの作者についても、エドガーから報告が上がっていた。
「ルーカス=ハーンという、二十一歳の若者でした。今はどこかの家具職人の下で見習いとして働きながら、夜な夜な個人の作品を彫っているそうです」
「そうか。だが急ぐ必要はない。次に俺がヨークシンの中心部へ行く用事がある時にでも、少し顔を出してみよう」
ライトは報告書に目を通し、そのファイルを閉じた。
◇
1978年、初夏。
ノストラード本部の執務室には、いつもとは違うピリッとした空気が流れていた。
年に数回ある、上部組織への定期報告の日。
ライトの父親の代から付き合いがあり、毎月上納金を納めている地域の上部マフィア組織から、幹部が視察に訪れる日だった。
ノストラード組は、父親の死後も勝手に独立を宣言したわけではない。毎月の上納金は一ジェニーたりとも遅れず払い続けているし、上部組織の違法な縄張りを侵食するような真似も一切していない。
今回の訪問は、上納金の滞納や縄張り争いを咎めるためのものではなかった。
最近ヨークシンのあちこちでノストラードの名前を聞くようになったため、事業の状況を確認しに来たのだ。
応接室に現れたのは、ロレンツォ=サルヴィという四十九歳の男だった。
上部組織の中で、武闘派として腕を振るうタイプではなく、財務や縄張りの管理、利権の調整を担う大幹部だ。ライトの父親とも旧知の仲であり、ヴィクターとも何度か酒を飲んだことがある。大人のマフィア特有の、腹の底が見えない凄みを漂わせていた。
「久しぶりだな、坊主。組長になってから直接顔を合わせるのは初めてか」
ロレンツォはソファに深く腰をかけ、葉巻を取り出した。
「もう坊主って呼ばれる歳でもないですよ、ロレンツォさん」
ライトが火を差し出しながら苦笑すると、ロレンツォも目を細めて笑った。
「俺から見りゃ、いつまで経っても親父さんの後ろに隠れてたガキのままだ。……だが、少しは顔つきが変わったようだな」
二人の間には、極道の世界特有の、古くからの自然な関係性があった。父親が亡くなってから一年あまりという歳月が流れたことを、ライトも実感していた。
「で、今日はどういったご用件で? 上納金なら、昨日ヴィクターに振り込ませたはずですが」
「金の話じゃない。お前がきっちり払ってるのは帳簿を見りゃ分かる」
ロレンツォは紫煙を吐き出し、探るような目でライトを見た。
「最近、お前のところの名前をヨークシンの中心部でよく耳にする。ハンター向けの窓口だの、飛行船の物流だの、富豪相手の古物仲介だの。……お前、自分の縄張りの外で随分と忙しそうに走り回ってるじゃないか」
「親父から引き継いだ、合法事業の部門を少し拡張しただけですよ」
ライトは平然と答え、ヴィクターに目配せをした。
ヴィクターが、合法部門の大まかな売上と利益の推移をまとめた帳簿をテーブルに置く。ただし、顧客の個人名やハンターの依頼内容などの機密情報は全て伏せられている。
ロレンツォはパラパラと数字に目を通し、パタンと閉じた。
「客の細かい名前まで聞き出す気はねえよ。他人のシノギの情報をペラペラ喋るような軽い奴なら、とっくに潰れてるからな」
ロレンツォは帳簿をライトの前へ戻し、それ以上、顧客について尋ねなかった。
「いいか、ライト。お前が表の合法商売でどんだけ稼ごうが、こっちから口出しする気はねえ。好きにやれ。だがな……」
ロレンツォの声が、一段低くなった。
「ヨークシンの中心部の連中や、デカい金持ちと付き合いが増えれば、いつか必ず『裏の縄張り』の話に触れる時が来る」
物流会社の拡張、古物の仲介、通信や電子関連への投資。それは自由だ。
だが、その稼いだ金と人脈を使って、賭場、高利貸し、みかじめ料の徴収、闇の薬物、売春、あるいは違法な地下競売といった『裏のシノギ』をヨークシンで広げようとするなら、話は全く別になる。それは上部組織に対する明確な反逆を意味する。
「安心してください。そっちの黒い領域に手を広げる予定は、全くありません」
ライトはロレンツォの目を真っ直ぐに見て断言した。
ロレンツォはしばらくライトを見つめていたが、やがてヴィクターの方へ視線を向けた。
「ヴィクター。坊主は暴走してないか?」
「ご安心を。無謀な金遣いと縄張り破りに関しては、私が全力で止めています」
ヴィクターが涼しい顔で答えると、ライトが「余計なこと言わなくていいんだよ」と軽くツッコミを入れた。
ロレンツォはヴィクターの返答に鼻を鳴らした。
それ以上、売上の内訳や顧客名を追及することはなかった。
「先代とは随分と毛色の違うやり方だが、結果が出てるなら今のところ文句はねえよ」
ロレンツォは立ち上がり、帰り際に一つだけ忠告を残した。
「名前が売れるってのは、上客だけじゃなく、厄介な連中にも見つかるってことだ。目立ってきてる分、面倒なのが寄ってきたら、一人で抱え込まずに早めに知らせろ」
「ええ、肝に銘じておきます」
(まあ、そうなるよな)
ライトはそれ以上考え込まず、ロレンツォの言葉を頭に留めた。
「来年の契約更新の時には、もう少し詳しい数字を見せてもらうからな。儲かってるなら、それなりの額は期待してるぜ」
「お手柔らかにお願いしますよ」
ライトは苦笑して、テーブルに残された帳簿をヴィクターへ返した。
ロレンツォが帰った後、執務室で一息ついていると、窓口担当の社員から内線が入った。
『ボス。また特殊物品の売却相談です』
「今度は何だ? ガレスさんからの紹介か?」
『いえ。ガレスさんの知り合いの、そのまた知り合いのハンターだそうです』
ライトは受話器を持ったまま、机の上の相談票へ視線を落とした。
『海洋系のハンターらしいんですが、深海の遺跡で見つけた古い金属片の価値が知りたいとのことです。まだ現物は送っていないそうです』
ライトの広々としたデスクの上には、先日作成したばかりの『特殊物品売却相談票』、少しずつ分厚くなってきた『買い手台帳』、そして各分野の専門家の連絡先をまとめた『連絡簿』が整然と並べられていた。
「分かった」
ライトは受話器を耳に当てたまま、手元のペンを回した。
「まずは写真と、取得経緯の書類だけ送るように伝えてくれ。危険物かもしれないから、現物はまだ送らせるなよ」
指示を出し、電話を切る。
ライトは相談票の新しいページを開き、依頼人の名前を書き込んだ。
そして、その下にある『紹介者』の欄には、ライト自身が全く知らない、見知らぬハンターの名前が二つ、並んで記載されていた。
ここまで読んでいただきありがとうございます! もし「面白い」「続きが気になる」と思っていただけましたら、ページ下部より【お気に入り登録】や【評価】、感想などをいただけると執筆の励みになります。 作者のモチベーション上昇に直結しますので、是非ともよろしくお願いします!