「百合って聞くと間に挟みたくなるよねw」「分かる〜w」 作:超かぐや姫!沼から抜け出せない人
あまり人のいない、落ち着いた雰囲気のカフェ。その最奥の四人用席で、
シャーペンを走らせながら、芦花はちらりと夢魔を盗み見る。
普段は下ろしている髪を後ろにまとめ、いつもの軽薄な雰囲気が鳴りを潜めた真剣な表情。
(この子、本当に顔がいいよね…)
ゆるゆるでだらけた顔をしていることが多いが、それでも絶世の美貌と言える夢魔。それが真剣な表情をしていることで、魅力が普段の五割り増しになっていた。
自分の顔もそこそこ可愛いと自負しているし、他者からも高い評価を受けている芦花だが、それでも夢魔に敵うとは到底思えなかった。
それどころか、この世界にいるどんな美少女も、夢魔の前では裸足で逃げ出すだろう。神が直接造形したのではないかとすら思えるその顔、そして体。あの彩葉ですら、流石に夢魔には及ばない。
彩葉に好意を抱いている芦花でもそう判断してしまうほどだ。彼女を初見で見た男たちが魅了されてしまうのも無理のない話だった。
(しかもかなり頭もいいし……)
「…? どったの、芦花。わかんないとこあった?」
「あ、うん。ここなんだけど…」
「あー、ここはね…」
(そして性格も悪くない。ほんと、男を食いまくってるサキュバスじゃなかったら、彩葉より評判良くなってたんじゃないかな)
芦花の視線に気づいたのか、夢魔が芦花に問いかけてくる。芦花は視線が向かっていたことを誤魔化すため、そして本当に分からなかった部分もあったため、素直に夢魔の助けを受けることにした。
芦花は、夢魔の友人の中で唯一、夢魔の秘密を知っている。
夢魔がサキュバスだということも。
夢魔が同性愛者であり、芦花や彩葉を性的に狙っているということも。
そしてそれを知った上で、芦花は今もなお夢魔と友人関係を築いていた。
芦花が夢魔と知り合ったのは、一年と少し前。
同じクラスで仲良くなった彩葉の部屋に真実と一緒に遊びに行こうという話になり、帰り道を歩いていたときのことだった。
彩葉の住むアパートに近い交差点の角を曲がったとき、彩葉を呼び止める存在がいた。
「あれ、彩葉ちゃん。今日は直帰? バイトないの珍しいねー」
甘ったるい媚びたような声。その声の主を芦花は知っていた。知っていただけだが。
その頃から彼女は既に有名人だったからだ。
声がかかった方を振り向くと、そこには予想通りの人物がへらへらと笑いながら立っていた。
百合中 夢魔。
芦花たちと同じ都立武蔵川高校の新入生だ。入学当初こそその輝かんばかりの美貌で有名だったが、今は悪い意味で有名である。
曰く、超がつくほどのビッチ女。
毎日毎日別の男を食っていると言われていて、同級生にも先輩にも彼女と関係を持ったと口にしている人が多数存在する。
しかもその噂を本人が肯定していて、噂を確かめに行った男子生徒は全員性的に食い尽くされたという話もある。
恋人がいる男子も構わずに関係を持ち、結果的に別れさせたこともあるらしい。
そういった経緯があり、新年度が始まって二ヶ月ほど経つ頃には、夢魔はほぼ全校の女子生徒から嫌われていた。本人はどこ吹く風だったようだが。
芦花も真実も例外ではなかった。誰とでも体の関係を持つなんて気持ち悪いし、他に恋人がいるのに性的なことをして別れさせるなんてとんだクズ女だと思っていた。
そんな存在が、新入生代表であり、一年生全員から憧れの目を向けられている彩葉に声をかけてきたのだ。芦花と真実はすぐに警戒態勢に入った。
しかし芦花たちとは裏腹に、彩葉が気安そうに夢魔に返事したのだから、芦花と真実は目を剥いて驚いていた。
「あら、夢魔。今日は早いね。いつもは帰ってこないか、私と変わらないくらい遅いのに」
「いやー、金曜くらいは帰ろっかなーって。……もしかしてお友達?」
角を曲がって彩葉の後ろから出てきた芦花と真実を認識し、夢魔が控えめに確認してくる。
「あー、なんというか…酒寄さんとは部屋が隣で」
「夢魔は昔からの友達なのよ。小中学校が一緒で、高校もたまたま一緒だったってわけ」
気まずそうな表情になった夢魔が彩葉との関係を誤魔化そうとするが、彩葉がそれに被せる形で夢魔と以前から親しかったということを明かした。
それに夢魔が驚いたように返す。
「彩葉ちゃん、いいの? がっこーの人にウチと友達だって言っちゃって。多分デメリットにしかならんよ?」
「むしろなんで隠すのよ。誰と仲良くしようと私の勝手じゃない。それに、何を言われようと夢魔と私が友達なのは変わらないでしょ」
「わーお…彩葉ちゃん、いっけめーん。順調にジゴロに育っているようで、ウチは嬉しいよー」
「誰がジゴロか……」
芦花も真実も、彩葉と夢魔が仲良く喋っていることに衝撃を受けていた。
それを見た彩葉が一瞬だけ悲しげな表情を見せ、しかし夢魔以外には気づかれない速度で切り替えて、芦花たちに夢魔を紹介し始めた。
「芦花、真実。知ってると思うけど、この子は百合中 夢魔。同じ学校の同級生よ。で、夢魔、この子達は私のクラスメイトの綾紬 芦花と諌山 真実」
「おー、よろしくねー。まぁ、そっちは宜しくしたくないかもだけど」
「…彩葉。私が交友関係に口を出すのはおかしいかもだけど、友人は選んだ方がいいんじゃない?」
夢魔の軽い言葉には返さず、顔を顰めた芦花が彩葉に苦言を呈した。言葉には出さないが、真実も横で頷いている。
特に芦花は、この頃から既に彩葉に好意を抱きつつあったので、それもあって若干夢魔に敵意に近いものを抱いていた。
なお、夢魔はそんな芦花を見て、百合の気配を敏感に察知して内心大興奮していた。
しかし表面上はおくびにも出さずにカラカラと笑っている。
「ま、別に芦花たちにも仲良くして、とは言わないわよ。この子の噂は殆ど全部本当だし」
「やっぱそういう感じの子なんだね…。ごめん、私は積極的に仲良くしたくはないかな…」
「私も」
「綾紬ちゃんにも諌山ちゃんにも嫌われたもんだねー。当たり前だけどー」
「夢魔は茶化すな。ただ、さっきも言ったけど、私が誰と仲良くするかは私に選ばせて」
「…分かった」
芦花も真実も全く納得していなかったが、今のところは矛を収めた。彩葉もそれについては何も言わず、気を取り直して二人を自身の部屋に上げた。
「んじゃ、ウチは邪魔になるしどっかいくねー。ま、頑張ってー」
「……」
夢魔は芦花と真実の肩を軽くポンと叩いて、しかし彩葉の隣の自室に帰ることもせず、夕暮れの街へと繰り出していった。
これが芦花と夢魔の初会合。
当然というべきか、芦花は夢魔に対して良い感情を持たなかった。
しかし、芦花が次に夢魔と出会うことになるとある事件の日、その印象は大きく変わることになる。
ちなみに夢魔のほうは、彩葉に強い感情を向ける芦花のことを初見で大好きになっていた。
(遅くなっちゃったな)
芦花が夢魔と知り合ってから二週間ほど経った日の夜。芦花は真実と一緒にカフェで勉強した後、帰り道を一人で歩いていた。時刻は既に21時を回っている。
美容に気を使っている芦花としては、そろそろ就寝が視野に入ってくる時間だ。早く帰らないと、夜のルーティーンを崩してしまう。
(こっちが近いか)
しかし、それが最大の間違いだった。
路地に入った芦花の前から、太り気味の男性が近づいてくる。
普通の通行人だと思った芦花は体を半身にして横を通ろうとするが、男性は道を塞ぐように芦花の前に立った。
「あの…?」
「ぐふ、綾紬 芦花ちゃんだよね?」
「ッ!!」
何故か通行の邪魔をしてくる男性に少し苛つき声をかけると、男性は気味の悪い笑い声をあげて芦花の名前を呼んだ。
芦花は男性に面識がない。つまり、正面の男はなぜか自分の名前を知っている不審者である。
即座に違和感に気づいた芦花は身の危険を感じ、身を翻して元来た道を駆け出そうとした。
だが、それができなかった。
「おら、催眠!!」
「あ…」
「ぐっふふふふ、こんな可愛い子を手に入れられるなんて、催眠術さまさまだなぁ!!」
芦花が逃げるよりも早く、男が芦花にスマホの画面を見せつける。ピンクと紫の渦のようなその画面を見せられた瞬間から、芦花の体は自由に動かなくなってしまった。
(何、これ!? 体が動かない!?)
「まずはどうしようかな〜、この場で服を脱いでもらってもいいし、いや、僕の家に来てもらうのも良いなぁ…」
(な、何言ってるのこの人? 声も出せないし…!)
男が楽しそうに悩んでいるのを、芦花はただ見ていることしかできない。何を悩んでいるのかは不明だが、碌でもないことをさせられようとしているのは確かだった。
「ああ、これはね、催眠アプリってやつなんだよ。絶対ジョークだろうと思って買ったんだけど、これがホンモノでさ?」
(さ、催眠…? 意味わからないんだけど…)
「画面を見せるだけで、そいつを好きにできちゃうんだよ! しかも、近くにいる人の情報とかも丸わかりの優れもの!! 芦花ちゃんの名前もわかるし、ぐふ、スリーサイズだってわかっちゃうんだよね」
(は?! わ、私のスリーサイズ?! き、気持ち悪い!! そもそも犯罪だし!)
自慢げに見せてきたその画面には、確かに芦花の名前、年齢、生年月日、スリーサイズなどの個人情報が書かれている。しかし、芦花にはどうすることもできなかった。相変わらず自分では指の一本も動かせないのだ。
「ぐふふ、決めたぞ。とりあえず、芦花ちゃんは僕の、ぐふ、性奴隷一号ちゃんね。僕のことはご主人様って呼ぶように」
「分かりました、ご主人様」
(口が勝手に…?!)
「じゃあ最初の命令だ、僕に、ぐふ、恋人にするみたいに熱々のチューしろ!!」
(は…?)
「分かりました、ご主人様」
(ちょ…?!)
男の身勝手な命令に、芦花の体が勝手に動き始める。心ではどんなに抵抗していても意味がない。強力な催眠をかけられた芦花の体は、もはや芦花のものではなかった。
(嫌、いやっ!! こんなのが初めてのキスなんて…! 助けて、彩葉!! 助けて、真実!! お父さん、お母さん…!!)
そう考えているうちにもゆっくりと芦花の顔は男に近づいていく。ニキビだらけ、脂ぎった不潔な顔が眼前に迫る。その乾燥した分厚い唇を目にし、しかし顔を背けることも目を瞑ることもできない。
そしてついに口が触れそうになり…
(誰か…
「おっけー」
欠片も危機感を感じない、能天気な声。
続いてバチリ、という静電気のような音がしたかと思うと、突然芦花と男の顔の間に真っ白な手が挟み込まれた。
「んむ?!」
「な、なんだぁ?!」
さらにパチンと指を鳴らした音がして、芦花の体がその場に縫い付けられたかのように直立した体勢で止まった。
芦花の視界に、直前まではこの場にいなかったはずの誰かの姿が映る。
「大丈夫? 綾紬ちゃん」
それは、先日知り合った女生徒。百合中 夢魔だった。
いつもの着崩した制服を纏い、スクールバッグを肩にかけている彼女が、何故か芦花と男の間に立ち塞がっていた。
「な、なんだ。新しいJKかぁ、びっくりさせやがって。おっ、この子もすごい可愛いなぁ…ぐふ、君は性奴隷二号ちゃんにしよう」
(な、何でここにいるのか分からないけど……だめ、百合中さん! 逃げて!! このままじゃ百合中さんまで…)
目の前に現れたにも関わらず何をするでもない夢魔に、男は新しい獲物が来たと喜び始めた。
男の持つスマホの異常性を知る芦花は、助けに来てくれた夢魔も巻き込んでしまうと声を上げようとするが、相変わらず体の自由は奪われたままだ。
「おら、催眠!! さて、君のお名前は、っと…あれ?」
男が先ほどの焼き増しのように、夢魔にスマホの画面を見せつける。そして夢魔の情報を確認しようとするが…
「おかしいな、何も映ってない…?」
「あー、ごめんねーおじさーん。ウチ、そういうの効かないんだわ」
「は…?」
自由を奪われたはずの夢魔はぴんぴんしており、いつもと変わらないゆるい声で返す。
「な、そんなのあり得ない!! 催眠! 催眠! おら、催眠!!」
そんな夢魔に、信じられないものを見たような顔になった男は、必死に何度も夢魔に催眠をかけようとする。しかし、一向に効果は現れない。
「無駄だよー」
「な、なんで…?!」
「なんでだろねー。てか、おじさんさー?」
催眠が効かず焦りを隠せない男に、余裕綽々の夢魔が問いを投げかける。
「ぼ、僕はまだ三十五歳だぞっ!?」
「おじさんじゃん笑。で、そんなのはどーでもよくてー…」
「あ…? ッ、ヒィ?!」
突如、夢魔の雰囲気が変わる。先ほどまではどこにでもいる白ギャルだった夢魔が、重苦しいプレッシャーを纏っていく。
「ウチが一番嫌いなもの、何か分かる?」
「え…?」
「お前みたいな、百合の間に挟まろうとするウチ以外の竿役だよ」
端的に言えば、夢魔は非常に怒っていた。夢魔から感じる重圧は、夢魔の怒りが具現化したものだった。
「さて、どうしてやろうかなー」
「た、助け…」
「ま、催眠状態の綾紬ちゃんは記憶残ってないだろうし…いいか」
「何…?」
「お前に言っても素直に催眠とかないかもしれないし、強制的にやらせてやるって言ってんの」
逃げようにも、夢魔から発される尋常ではない圧力で男は動けない。
そんな男の目の前に立った夢魔は、男に見せつけるように腕を広げた。
「運がいいよ、おじさん。ウチのこの姿を見られるなんてさ」
夢魔がそう言った瞬間だった。夢魔の体に変化が起こっていく。
白い肌は、末端から徐々に褐色に。
黒い髪は、天辺から桃色に。
瞳は、白眼と黒眼の色が逆転し。
最後に、頭から大きな巻き角が生えてきた。
「ば、バケモノッ…?!」
「そーだよー。ウチは、サキュバス。お前みたいな男の、天敵だよー」
「ゆ、許して…」
「許すわけないじゃーん。お前はさ、ウチの獲物に手を出そうとしたんだよ? お前は、自分のやろうとしたことをそのまま受けるといいよー」
全身をサキュバスの姿に変えた夢魔が、男を指差す。
「『催眠』」
すると、恐怖に震えていたはずの男の目が虚になり、その場に立ち尽くした。
「まず、綾紬ちゃんの催眠を全て解除しろ」
「はい…」
「次、今持ってるお前の全財産をウチに差し出せ」
「はい…」
夢魔が男に命令した瞬間、男は素直にそれに従う。まさに、先ほど芦花がされていたことと同様だった。
催眠を解かれた瞬間、芦花に自由が戻ってくる。しかし、自身の意思で自分の体を動かせなかった事実が芦花の心身に多大な負担をかけ続けていたことで、芦花は前向きに倒れ込み、そのまま意識が薄れていく。
ただ、倒れる前に顔が何か温かく柔らかいものにぶつかったことで、怪我をせずに済んだ。
「おっとと。悪いけど、しばらくウチのカバンを枕にしといてね」
「…」
「じゃ、最後の命令ね」
芦花の体が寝かされ、頭に枕がわりの鞄が挟まれた。
そして芦花の意識が完全になくなる寸前、今までになく冷たい口調の、夢魔の無慈悲な言葉が聞こえたような気がした。
「その汚い金◯から何も出なくなるまでその場で立ったまま射精し続けろ」
「んっほおおおおおおおおおおおおお?!?!?!? ♡♡♡♡♡」
「きっも笑」
「あ、百合中さん…ちょっといい?」
「ん? 綾紬ちゃん。どったの?」
あの事件から三日後。芦花は夢魔が帰るところを待ち伏せて声をかけた。
あの日の翌日、芦花が気付いたら病院のベッドの上だった。「無理させていたことに気づかなかった」と謝る両親に疑問符を浮かべながら経緯を聞くと、どうやら道端で芦花が倒れているのを夢魔が見つけ、救急車を呼んだということになっていた。
医師の診断では強いストレスと過労となっていて、両親が無理させていたと勘違いして謝った、というわけである。
両親が病院に来るまでは夢魔が付き添っていて、両親の姿が見えたらさっさと帰ってしまったらしい。碌にお礼もできなかったとは両親の談だ。
そんなわけで、念の為入院して様子を見て、ようやく登校できたのが昨日。その日も夢魔に会いに行こうとしたのだが、彩葉と真実にめちゃくちゃ心配されてしまい、何もできずに帰宅してしまった。
そして今日に至る。
首尾よく夢魔を捕まえた芦花は、個室のあるカフェに夢魔を誘い、菓子折りを差し出した。
「その、この前はありがとう。これはうちの両親から」
「おー、そんなに気にしなくてもいいのに。ありがとねー」
クッキーのアソートを嬉しそうに受け取った夢魔は、カラカラと笑いながらその場で包みを開けて食べ始めた。先に頼んでいたコーヒーと一緒に食べて美味しそうにしている。
そんな夢魔を見て、芦花は覚悟を持って夢魔に問いかけることにした。
「ねぇ、百合中さん」
「んー?」
「百合中さんって、サキュバスなの?」
「んぶっ」
想定もしていなかった質問を受け、夢魔が盛大にむせる。げほげほと気管に入ったコーヒーをなんとか吐き出し、口を拭いた夢魔が恐る恐る芦花に返した。
「…もしかして、あのとき意識あった?」
「うん…」
「あーまじでかー、それはウチのミスだわー」
「ということは、やっぱりあれは…」
「そだよ。ウチ、サキュバスなんだよねー」
「あの、私が言うのもなんだけど、もう少し隠さなくてもいいの?」
ちょっとミスった、みたいな雰囲気の夢魔が自身の秘密を暴露する。重大な秘密を知ってしまったと思っていた芦花は、夢魔のあまりの軽さに訝しげになるが、当の夢魔はなんとも思っていなかった。
「まー別に問題ないし。綾紬ちゃんも言いふらすような子じゃないでしょー? 彩葉ちゃんの友達だし信用してるよー」
「まぁ、別に言わないけど…」
「それに最悪綾紬ちゃんが言いふらしたところで、流石に信じてもらえないと思うよー。この世界に超常的な存在がいるって知ってるの、一部だけだしー」
「それは、確かに」
でしょー、と言いながら夢魔が芦花と目を合わせる。その目は、白眼と黒眼が逆転していた。
夢魔の非現実的な姿に芦花が息を呑むと、芦花の緊張を察した夢魔が笑って目を戻す。
「そんなに警戒しなくていいよー。どうせウチの力は、女の子には効かないから」
「そうなの?」
「そうだよー。ま、代わりに男にはめっぽう強いけどねー」
夢魔の言葉に、芦花は深く頷いた。確かにあの日、夢魔は催眠アプリを持った男を良いように翻弄していた。あれが全ての男性に出来るのだとすれば、滅法強いなどという次元ではない。男性に対してはほぼ無敵だと言えるだろう。
そこで一つ、芦花には思いついたことがあった。その質問をそのまま夢魔に投げつける。
「ねぇ、もしかして百合中さんって、生きるために男性の、その、せ、精……アレを飲まなきゃいけない、とかあったりする…?」
「そだよー。精を吸わないと死んじゃうんだー。サキュバスだからね」
改めてクッキーを食べながら何でもなさそうに言う夢魔に、芦花は何かを言おうとして、取りやめた。
予想していたとはいえ衝撃だった。ビッチ女という陰口は、事実ではあったが、夢魔側にも仕方のない事情があったのだ。
しかし、そんな芦花をさらなる衝撃が襲う。
「そ、それじゃ、男を取っ替え引っ替えしてるっていうのも…?」
「必要だからだよー。一人から吸える量には限界があるからね。すぐに回復するもんでもないし」
「じゃあその、好きで男の子たちと関係を持ってるわけじゃないんだね…」
「まさかー。そもそもウチ、同性愛者だし。吸ってるときは気分悪くて仕方ないよー。精液ってめっっっっちゃまずいし」
「……」
芦花は今度こそ言葉を失った。
生きるためとはいえ、自身の性愛対象ではない人たちに媚を売り、気分の悪くなるような行為をして、尚且つ得られるものは美味しくも何ともない。それは、ただの苦行である。
芦花自身が彩葉という同性に好意を持っているからこそ、普通の女性よりも夢魔の言葉を重く感じた。
同時に、夢魔のことを何も知らずに嫌っていたことに気づき、そんな自分に嫌悪感を覚えた。そして、自分が嫌われていると知っていても迷わず芦花のことを助けた夢魔に敬意を感じた。
「私、百合中さんのこと誤解してた」
「あは、気にしなくて良いよー。ウチはそういう生き物だってだけだからさー」
「…分かった、気にしないよ。でもそれなら、百合中さんのこともっと教えて? サキュバスがどんな生き物なのかとかさ」
「いいよー。何から話そっかなー」
それから二人は、多くのことを話した。
「助けに来れた理由? いや実はさ、淫魔の能力にマーキングってのがあって、それを付けた相手から呼び出された時だけそこに行けるんだよねー」
「え? でも私は別に百合中さんのこと呼んでないけど…」
「綾紬ちゃん、誰でも良いから助けて、って考えなかった?」
「あ…そういえば」
「それで行けたわけだねー。ま、これ使っても帰りは普通に徒歩だし、エネルギー消費も結構あるから滅多に使わないんだけど」
「確かに、使い勝手は悪そうだね」
夢魔の持つ淫魔の力について話したり。
「じゃああれって嘘なんだね」
「そりゃそうだよー。恋人持ちに手を出してもめんどくさいだけじゃん、向こうからしつこく持ちかけてきたら搾るけど」
「流石に自分から手は出さないか」
「それでウチが悪いことになるんだから理不尽だよねー、うける」
「いや面白くはないでしょ…?」
事実と異なる夢魔の噂を確かめたり。
「言っとくけど、ウチは彩葉ちゃんだけじゃなくて綾紬ちゃんのことも狙ってるからねー?」
「…反応に困るところだけど、私は百合中さんとそう言う関係になりたいとは思ってないからね」
「知ってるよー、綾紬ちゃんが好きなのは彩葉ちゃんでしょー?」
「え?!」
恋バナに発展したり。
「それなら、私が学校内の情報を集めるよ。少しは効率良くなるでしょ?」
「おー、まじ? 助かるよー。ウチだけで彩葉ちゃんに寄ってくる男どもを吸い尽くすのは無理があったからさー」
「それやったらストーカーだしね」
「そーそー」
『彩葉を護る会』を設立したり。
飲み物を何度もおかわりして、途中でお菓子も追加して。
辺りがすっかり暗くなるまで、ずっと喋り込んでいた。
「ありがとう、送ってくれて」
「気にしないでー、ウチに勝てる男はこの世に存在しないから」
「ふふ、そうだね」
カフェを出た後も、芦花と夢魔は話しながら芦花の家の前まで並んで歩いてきた。芦花が夢魔について来てくれるように頼んだのだ。
この前のこともあり、芦花が一人で帰りたくなかったというのもあるが……
単純に、芦花が夢魔ともっと話したかったのだ。
「お菓子ありがとうございましたってご両親に伝えてねー」
「うん、分かった」
「それじゃまたねー」
「あ…百合中さん」
「なに?」
あっさりと別れようとする夢魔を、芦花は何となく呼び止めてしまった。特にこれ以上の用事はないのだが、強いて言えば、少しだけ。
「その…この前は、仲良くなりたくない、とか言ってごめんなさい。百合中さんの事情を知りもしないで…」
「もう、綾紬ちゃんも気にしいだなー。そんなん良いって。こうして仲良くなれたんだし」
「じゃ、じゃあさ!」
「ん?」
夢魔が首を傾げる。芦花の家の前のライトが照らすその姿は、病的に白く見え、しかし不思議と夢魔の神秘性を引き立てていた。
芦花が勇気を出して、心残りを吐き出す。
「その…改めて、私と、と、友達になってください……夢魔」
コミュニケーション能力の高い芦花にとって、友人とは自然となっているものだった。だからこうして、面と向かって『友達になってくれ』などと言ったのは初めてで、芦花は湧き上がる羞恥に俯いて少し顔を赤くしていた。
数秒経ち、夢魔から何の反応もないことを訝しんだ芦花が前を向くと。
「……」
そこにはポカンと口を半開きにして、呆けたような表情になっている夢魔がいた。
「……」
「あの、夢魔?」
「…あ、ごめん。そんなこと言われたの初めてで」
「わ、私だって言うの初めてだよ!」
「あは、ごめんって」
恥ずかしさと怒りで顔を真っ赤にした芦花に、夢魔は苦笑して謝る。
「嬉しい」
「!」
「ウチ、これまで友達って彩葉ちゃんしかいなかったから。ほんとに嬉しい」
夢魔をよく見ると、少し目尻が光っている。夢魔は嬉し涙を流していた。
夢魔が袖で軽く目元を拭い、それから芦花に向かって右手を差し出した。
「それじゃ──友達として、これからよろしくね。芦花」
そう言って夢魔は──今まで見たことがないほど、嬉しそうに笑った。
満面の笑みが浮かんだ頬は、夢魔の感情を反映して桜色に色づき……
「っ! よろしく!」
それを正面から見た芦花は、心臓が跳ねたように感じた。そして自身の動揺を夢魔に察されないように、素早く自身の右手で夢魔の右手と握手したのだった。
今度こそ立ち去っていく夢魔の後ろ姿を見送りながら、芦花は自分の胸に手を当てる。
「…ああいうのが、魔性ってやつなんだろうな…」
夢魔が角を曲がってその姿が見えなくなっても、芦花の胸の鼓動はしばらくの間早いままだった。
でも、嫌なドキドキじゃない。
家に入る扉を開けながら、芦花はSNSで送る今日のお礼メッセージの文面を考え始めた。
オリ主くんちゃんがワープを多用しないのは、条件がめんどくさすぎるのと、必要なエネルギーが多すぎて費用対効果に見合わないからです。基本赤字にしかならない。
今回は芦花のところに転移して、尚且つ催眠までやったので大赤字確定でした。