獅童正義は明智吾郎として生きることになった。 作:枝野トナナ
深呼吸しながら鏡を覗く。
髪型。表情。制服。手袋。動き。
麻痺を偽装している左手以外の全てが記憶の中の明智吾郎と寸分違わないことを確認し、書類と筆記具とノートパソコンを収めたアタッシュケースを持つ。
レコーダー2台とスマホ2台、念のための護身グッズは全て服のポケットに仕込んだ。
大丈夫。相手はどうせ素人の大学生どもだ。
昼前に会うバレー部OBが3人。夜に会う陸上部OBが2人。
うち陸上部の方は、明智吾郎名義かつ詳細をしたためたメールを見て誘いに応じている。こちらはすんなり話が進むはずだ。
バレー部に関しては三島が誘い出しているから、どこまで話が通っているのかわからんが……
何としてでも言い包めてやるさ。
『僕の身体と名前を使ってですか?』
聞き飽きた幻聴を黙殺する。
知ったことか。今は私が
お前の居場所などもうどこにもない。
そもそも少しは感謝したらどうなんだ? お前の代わりに生きてやってお前の名前を売ってやっているんだぞ?
私の名が刻まれるべき歴史が、お前ごときにすり替わるんだ。
喜べよ。水商売の女の息子にあるまじき栄誉だろう。わかったら一生黙ってろ。
静かになったことを確認して外に出る。
まずは蒼山一丁目。銀坐線の改札前で三島と合流だ。
単なる待ち合わせだから長居はしたくない。先に待たせるために、少し遅れるぐらいがいいだろう。
『悪い、遅れた。駅についたが、もういるか?』
田中名義のアカウントで三島にチャットを送る。
秀尽学園潜入時に持ち込んだのは、元々
チャットアプリは複数アカウントに対応していないし、明智吾郎のスマホには明智吾郎名義のアカウントが結びついていたからな。
各種データのバックアップだけ取って、初期化して回線契約を結び直して再利用した。
――だからまあ、三島は私のことを未だに『秀尽生の田中』としか認識していないはずである。
新島真のように変装を見破る可能性もゼロではないが……直接面識のない相手に見破られるようでは、それはそれで問題だ。
願わくばドッキリ番組のようなリアクションで驚いてほしいものだが、さて。
『います。改札から出てないです』
――ああ、あれか。少し離れた場所でスマホを見ている、緑の袖のTシャツを着ている奴。
『見つけた。声かけるから、大声出すなよ』
一応警告しておこう。騒がれたら面倒だ。
既読がついた。怪訝な表情を浮かべている。
「三島君だね。お待たせして申し訳ない」
「え? ……えっと、あれ?」
「連絡したと思うけど、あまり大きな声は出さないでね?
――僕は探偵の明智吾郎。依頼を受けて、秀尽学園に潜入調査していたんだ」
「……えっ? えっ、……うそぉ!? レスバ先輩!?」
……レスバ先輩?
「あっ、す、すみません!! 違うんです!! 許してください!!
俺が勝手に思ってただけなんです! 誰にも言ってないです!!」
「いや、その、落ち着いて。変装して偽名を名乗ってたのはこっちだから、許すも何もないよ。
それよりあまり大声出すと駅員さんや他の人に迷惑がかかってしまうから、本当に落ち着いて」
「あ……そ、そうですよね。すみません。
で、でも、レスバ……じゃなかった、田中先輩、本人、なんですよね?」
「そうだよ。眼鏡かけて髪型変えてただけだから、顔自体は変わってないだろう?
もっとも病み上がりで病院反復横跳び中な事も変わりないから、坂本くんや雨宮くんみたいに頼りがいはないかもしれないけど。
交渉事なら得意だから、今日はよろしく頼むよ」
「は、は、はい……その、よろしく、お願いします」
少し予測と違うリアクションをされたが、変装自体は気づかれていなかったようだ。
もちろん、単に明智吾郎という人物を知らなかっただけという可能性も残っているが――そこは道すがらに聞き出すとしよう。
本来の目的地はここから12駅先の上野だ。
「……それにしても、レスバ先輩かぁ。面白い名付けだね」
「ひぃっ!? す、すみま――」
「ああ、別に怒ってるわけじゃないから本当に安心して?
単純に、そういう切り口のニックネームで呼ばれるのって新鮮だからさ。アリだなって思っただけ」
「……え? アリ、なんです……?」
実際にアリである。何がいいかと言えば、
私とて、好きで奴の名前や肩書を名乗っているわけではないからな。
レスバというのも、恐らくレスバトラーとやらの略で口論が強い人間ということだろう?
「さすがに大勢の前で呼ばれると困るけど、僕たち2人の間とか……あとは秀尽の中で使う分には構わないと思うよ。
君にはこうやって正体を明かしているけど、他の秀尽生徒には『別室登校の田中君』のままで通したいしね。
――というかそうしないと僕が鈴井さんを追い込んだことになって、スキャンダルになっちゃう」
「あ……」
「もちろん、鈴井さんが横にいるのに高巻さんと言い争った僕にも落ち度はあるけどね。
けれども鴨志田教諭の暴行という要素を無視して、全ての罪を押し付けられる謂れはない。
そういうわけで今日は本気で頑張らせてもらうよ。もちろん三島くんにも頼らせてもらうけど――と」
話の途中だが電車が来た。続きは車内で話すとしよう。
座席が空いていればいいが……さすがに無理か。
それでも日曜の10時過ぎだ。立ち客はまばらで、ドア前も軒並み空いている。
反対側のドア前で隅に寄りかかっていれば、身体への負担も少なく済みそうだ。
「――そういえば、今日集まってくれる方々はどんな感じの人なのかな?
三島くんと元々連絡先を交換していた人が2人と、仲の良い女子部員が1人と伺っているけど」
「あ、はい。ソシャゲ仲間の川住先輩と、元副部長の日上先輩と、女子部長の波島先輩です。
フルネームは……
みんな、部長や他のレギュラーと違って、俺や鈴井のことを気にかけてくれていたから……話は聞いてくれると思います」
ふむ……三島の口ぶりからして、この3人以外は鴨志田の行為を容認する側だった可能性が高そうだな。
体育会系はどうしても上下関係が厳しくなることが多く、上級生が黒を白と言ったら下級生も同調させられる傾向がある。
現役バレー部員の体たらくも、卒業生の悪影響を受けた結果なのかもしれない。
――それはそれとして、だ。
「ソシャゲ仲間かあ。僕はあまり詳しくないんだけど、どういうゲームがあるの?
この前、深夜番組の穴埋めに呼ばれた時、全然わからなくて困っちゃったんだよね」
「深夜……もしかして、PQバラエティですか?」
「……見てた?」
「は、はい……探偵王子とか言って――あっ、違いますすみません!」
さすがに当事者の前で口滑らせるなよ。こいつ、油断させると調子に乗るタイプか?
私が
――まあいい。上野に着くまでに、もう少し距離を縮めさせておこう。
「いやあ、どうしても学業と仕事を両立させようとするとゲームに手を出す暇が作れなくて。
なんなら昨年度は仕事で出席日数落としかけてるから、学業すら怪しくなってるのが今なんだ。
だけど周りのみんながゲームで盛り上がってるのを見ると、羨ましくなる時があってね。
電車とかの隙間時間で軽くできるゲームがあるなら、一度触れてみた方がいいのかなって思ってさ」
「い、いや、今のソシャゲって結構時間食うの多いし……
重課金とか、さすがに考えてないですよね?」
「そうだね。趣味でやるわけだし、1ヶ月3000円が限度かな」
「け、堅実だ……なら、デビスト……いや、初心者ならツミツミかなあ」
「ツミツミってあれ? デスティニーランドのキャラを積み上げて落とさないようにするやつ?」
「そうです。興味あるならチャットから招待しますけど……」
「じゃあお願いしようかな」
「え? ほ、本当にいいんですか?」
「せっかく連絡先交換したんだしね。それにハマったら君に助けや教えを乞うかもしれないしさ」
他人の心理的ガードを下げさせる方法にはいくつかあるが、比較的使いやすいのが『趣味の共有』だ。
それも
なにせ相手側にわざとマウントを取らせているわけだからな。
向こうは自尊心を満たしつつ自分の趣味を分かち合える。こちらは一定の信用をローリスクで買える。
お互いにWin-Winというわけだ。
「……なんか、テレビで見るのと、ずいぶん違うんですね」
送られてきたリンクでツミツミとやらをダウンロードしていると、唐突に三島がつぶやいた。
だいぶ緊張が解けてきているようだ。
「そりゃあね、テレビに映る探偵は法と正義の味方であるべきだよ。
初代探偵王子もそうだし、ドラマやアニメだってそうだろう?
僕は大衆の夢を崩すような真似はしたくないから――ぶっちゃけ、キャラを作っているだけさ」
「そ、……そこまでぶっちゃけるんです? 俺に?」
「だって君には田中君としての言動を見られてるしね。
僕がその場に応じたキャラを作る人間だってこと、今更隠しても遅いじゃないか」
「え、ええ……? テレビに出る時の話と、変装は違うんじゃ……」
「僕にとっては同じだよ。
例えるなら、TPOに合わせた仮面を付け替えているだけだとも。
――ま、素の僕は田中君やってる時の方が近いかな。意外と口が悪いって友達に引かれたこともある」
「嘘ォ!? え? 何? 俺、このまま埋められます?」
「なんで!? 埋めないよ?!」
「だって絶対聞いちゃいけないこと聞かされてるような……」
「まあ……そりゃ他の人にペラペラ話されたら困ることもあるけどね?
君にしか話してない情報も多いから、漏洩したら秒でわかるし……
「ヒィィ! も、もちろんです! 話しません、絶対話しません!」
……ちょっと脅しすぎたか?
しかしこいつには一昨日、幻聴を聞いている場面を見られているからな。
雨宮から左手の事も聞いているだろうし、
『キャラを作っている』という話はあくまでも口止めに繋げるためのダミーだから、そちらは別に漏れてもどうでもいいが。
「あはは。そんなに怖がらなくてもいいよ。
テレビの中の僕は法と正義の味方だけど、実際のところは
僕はあくまでも探偵だからね。僕を信じて依頼してくれた人はもちろん、力を貸してくれる人もありがたい存在さ。
――特に君みたいな人は、尊敬に値するとすら思っている」
「えっ……?」
「坂本君みたいに勇気を持って立ち上がり続ける人も、雨宮くんみたいに義を持って助太刀する人も、十分にすごいけどね。
だけど本当に難しいのは、正義を貫くことじゃなくて
校長も鴨志田教諭も――誰も彼もがソレを出来ないからこそ、今の秀尽学園はあんなことになっている」
「……」
「僕はただ、依頼を受けて仕事として関わっているだけの低俗な探偵だ。
だけど君は違う。過ちを正すために、先輩たちを説得する決意を固めてくれた。
それこそ元金メダリストでもできないことを君はやろうとしているんだ。敬意を払うのは当然だろう?」
「……そんな、ことは」
「あるとも。君はもっと自分に自信を持っていい。
それでなくてもこれからバレー部の先輩方に、思いの丈をぶつけるわけだ。
どーんと1発ぶちかまして先輩たちに協力してもらおう。
――大丈夫、今の君ならできるよ。僕が太鼓判を押すんだから間違いないさ」
「は、はい……が、がんばって、みます……!」
所詮私は外部の人間。鈴井が飛び降りた瞬間を目撃したわけでもない。
そんな私が長々と演説するよりも、三島に喋らせた方がOBの心を動かせるはずだ。
こうやって今のうちから発破をかけておけば、多少なりとも熱意が上がっていつもより話せるようになるだろうさ。
――『まもなく上野です。足元にお気をつけください』
……おっと、目的地についたか。
待ち合わせはジャイアントパンダ前だったな。
さて、どんな連中か――
「はじめまして。秀尽学園の岡田理事より依頼を受けて参りました、探偵の明智吾郎と申します」
「ふーん……よろしく」
「明智吾郎……本当に本物だ……」
「え? は? マ? な? ……え、うぇ?」
おい。自己紹介しただけなのに、1人あきらかにリアクションがおかしい女がいるぞ。
波島美鈴、だったか? 前女子部長の。
まさか明智吾郎のファンだとか言わないよな? 止めてくれよ? 止めて――
「……なあ日上。波島が壊れてるけどどうしたんだ?」
「え? あ、ホントだ。そういや大ファンだって言ってたっけ?」
「うわああああああ!! 言うな、言うなーっ! 言っちゃダメーっ!」
ダメだった。
なあ、悪いことは言わないから男の趣味を見直した方がいいぞ?
あいつ、仕事で付き合ってる年上の女に寿司を奢らせてるんだからな。女を財布扱いするタイプのクソガキだぞ。
「つかつかつか! なななな、なんでしらっ、知らせてくれ」
「お、お、俺も今日、知ったばかりなんです! 本当に!」
「すみません。潜入調査をしていたもので、三島くんには偽名を名乗っておりました。
彼が言う通り、身分を明かしたのは今日が初めてです」
「はわわわ……そ、そそそ、そうですかっ! すみません! すみません!」
完全にパニックを起こしている波島に対し、男2人――川住と日上は苦笑を浮かべている。
川住の方は冷笑が混ざっているが。
「あー、おもしれ。波島って年下好きなんだ?」
「いいや、昔から顔と頭の良い奴が好きなだけだぞ。初代探偵王子にもドハマリしてたし」
「ああああああああ言うなーっ! 個人情報! 個人情報ーッ!」
……日上って男、さっきから口が軽いなあ。
会話内容や表情を見る限り、日上と波島は高校以前からの友人で、川住は高校入学以降に日上と友人になったといった関係性だろうか。
川住と波島には明確に距離がある。
外見も、日上と波島は動きやすくスポーティな服装をしているが、川住は雑な英字Tシャツにジーンズという秋葉原にいそうなファッションだ。
「と、とりあえず、先輩。どこかファミレス入りません?
こんなところで騒いでると目立つし」
「そそそ、そうね! ガスツ行こうガスツ! 今なら席空いてるだろうし!?」
「すっげ。めっちゃ声裏返ってる。俺、こんな波島初めて見たわ」
「さすがに部活中は控えてたからな。教室だと割とこんな感じで仲間と語っていたが」
……同好の士がいるのか? 他にも?
いや、そうじゃなければ切り抜き動画だの盗撮だのをする奴がいるわけないのだろうが……
本当にどうにかしてくれよ。他にもっと良い男がいるだろ。
――などと思えど、当然口に出せるはずもなく。
5人で上野駅最寄りのガスツへ歩いて移動する。
……本当は上野広小路駅から行くほうが近いのだが、どうやらOB組は3人とも千葉や埼玉に住んでいるらしい。
波島だけはバレーを続けようと筑波大に進学し、日上は園芸学部目当てで千葉大に、川住は教員を目指して文教大に進んだとのこと。
秀尽も曲がりなりにも進学校だけあるということなのか……あるいは単にこの3人がまともなのか。悩ましいな。
「いらっしゃいませー。空いてるお席へどうぞー」
11時前に到着したからか、店内は意外なほど空いていた。
とりあえず人数分のドリンクバーを注文し、各々飲み物を用意してから話を始めることにする。
……さすがに炭酸飲料は自重した方が良さそうだ。喉が傷まないよう、加糖のアイスティーにしよう。
「日上……お前何作ってるんだ?」
「え? ホワイトコーラ1UPだけど」
「真面目な話するときにいきなり混ぜドリンクするか? 普通」
「美味いんだからいいじゃん。お前だって紅茶とリンゴジュース混ぜるくせに」
「アップルティーが飲みたいのにないんだから仕方ないだろ」
……ノンアルコールカクテルのようなものだろうか。
アップルティーもどきはわかるが、ホワイトコーラ1UP? ……いやそれ本当に美味いのか?
「ちょっと男子ー。私たちもう大学生なんだからさ、少しは大人らしくしようよ」
「う……そ、そうか。でもまだ1ヶ月経ってないしな」
「俺だって正直、こんな早くお前らと顔合わせるとは思ってなかったぞ。
三島は割とアキバで見かけるけど。なぁ?」
「そ、そうですね。春休みにもバッタリ会いましたもんね」
それなりに和やかな会話を交わしながら、全員が席に戻ってくる。
さて。ようやく本題だが――
「――まずは改めまして、皆様にはご足労いただきありがとうございます。
自己紹介の際にもお話しましたが、僕は秀尽学園の岡田仁成理事の依頼を受け、学園内の環境調査を行っていました。
ところが現在、秀尽学園は看過できない状況に陥っており、調査中に新たな事件が発生してしまいました。
……では、三島くん。現役バレー部員である君の口から、今の秀尽学園と事件について話してくれるかな?」
「え……い、いきなり?」
「今の状況を知ってもらうことが一番重要だからね。
大丈夫。君が見てきたこと、思ったことを伝えればいい。
先輩方だって君の口から直接聞きたいはずだ」
私の言葉に呼応するように、OB達もうんうんと頷いてみせる。
元より見知らぬ仲ではないのだ。三島も腹を括ったのか、考え込みながらも話し始めた。
「……俺、ずっと鴨志田先生の言いなりになってたんです。
下手だからって殴られて……それが嫌で、殴られるのがわかってるのに他の奴を呼び出しに行って……
他にも転校生の雨宮って奴が目立つと腹が立つから、そいつの……
その……悪い噂を、流せって指示されて……言われるがままにネットに書き込んで」
ほぉ……保護観察処分の件が学校中に知れ渡っていたのはそれが原因か。
しかし殺人が単なるケンカにすり替わっているのはどういうことだ?
さすがに校長が口を噤んだか? 肝心なところで役に立たない男だな。本当に。
「それで、雨宮が孤立して……元陸上部の坂本とつるんで、鴨志田先生を敵視するようになって。
2人で体罰の証拠を掴むんだって息巻いて、俺や鈴井に告発しないかって声をかけてきたんです。
田中――じゃなかった、明智さんが2人に協力したのも、その時ですよね?」
「そうだね。――僕も球技大会の日に、バレー部員から情報収集する予定でした。
その時に坂本くんと雨宮くんが同じ事を考えていると知ったので、僕が代わりに2年生と3年生のバレー部員に話を聞いたんです。
わかったことは、バレー部員は体罰をシゴキとして受け入れてしまっていること。
そしてなぜかレギュラーの鈴井さんが恒常的に体罰を受けている、ということでした」
「え……スズちゃんが?」
「鈴井が……?」
波島と日上が声を上げた。唯一、川住だけが冷ややかな目を2人に向ける。
「お前ら2人ともレギュラーだったもんな。
全国大会と受験で、下の奴らなんか見てる暇なかったから気づかねーのも仕方ねーよ」
「知ってたの? あんた」
「当たり前だろ。全国大会が終わってからずっと三島も鈴井も標的になってた。
――なにせ陸上部を潰したってのに、肝心のバレー部は
あのクソヤローはそれが気に入らなかったんだろ」
……なるほどな。
学校としての実績は十分だろうが、仮にも元金メダリストの指導者としては満足行く結果とは言えないだろう。
「だったらなんで――」
「波島。止めておけ。俺達にそれを言う資格はないだろ」
「う……」
「――すまない。三島。まだ、話の続きがあるんだろう?
先ほど明智くんは
日上に促された三島は、ぎゅっと目を閉じ手を握りしめる。
しかしそれも束の間の事。
「す、鈴井が――屋上から飛び降りたんです。金曜日に」
その一言に、三者ともが息を呑む。
まさかそこまで事態が進展していたとは予測していなかったのだろう。
「俺が、鴨志田先生に呼び出されてるって鈴井に声をかけた、次の日だった。
きっと鈴井、いつもよりひどい事をされて……
それで――それで、坂本が鴨志田先生に食って掛かって……止めに行った俺と雨宮を、坂本と一緒に退学にするって言い出して。
おまけに鈴井のこと、意識不明でもう助からないって言ってきて……!!」
……だいぶ煽ってたんだな、鴨志田の奴。
鈴井志帆の容態は確かに予断を許すものではないが、助からないとは断言できないはずだ。
笹木に連絡して、病院に確認を入れさせたから間違いない。だいたい鈴井に死なれたら私とて困る。
「こんなの――こんなの、許していいわけない!!
俺、バレーが好きだったから、下手でも痛くても辛くても我慢してきたけど!!
こんな嫌な思いをしてまで、誰かを犠牲にしてまでやるバレーなんて、間違ってる!!
だから……だから、お願いします!! 先輩、協力してください!!」
涙目で訴える三島に、日上と波島が顔を見合わせ――真っ先に川住が口を開く。
「なー。診断書って半年以上前のやつでもいいんだっけ?」
「診断書が古くても、当時の被害を示す資料には使えるでしょう。
もちろん今から被害を訴えるなら、他の証拠や証言もほしいところですが……体罰を受けた際に発行してもらっていたのですか?」
「ああ。陸上部が廃部になったって聞いて、さすがにありゃねーだろって鴨志田に食って掛かったら腕掴まれて顔ぶん殴られたんだ。
やられっぱなしでたまるかって、診断書貰って警察にタレこもうとしたんだけど、親が尻込みしやがってよ。
なにせうちは
それはまた……間が悪い話だったな。
数少ないまともな人間が、どうやっても声を上げられない環境にいたか。
「それでも他の奴が声を上げるなら協力する気だったさ。
だけどなんだよ。どいつもこいつも、当の陸上部の連中さえ、鴨志田じゃなくて1年坊主の坂本を悪者扱いしてハブり始めてよ。
まともな方だと思ってたお前らだって鴨志田とバレー部を取った。
――だから、見切りつけたんだ。秀尽は腐ってて、学生に立て直せるもんじゃないって」
「……川住」
「勘違いすんな。俺はお前らと違って腐った覚えはねーよ。
――教師になって秀尽に戻れば、鴨志田の悪行の証拠をガッチリ掴めると思ったんだよ。
だっておかしいだろ。成績を出せてた陸上部の顧問が急に鴨志田に変わって、それで事件が起きて部活が一つ潰れてるのに、誰もがだんまりだなんて。
絶対揉み消しとか買収とか不正をやってるはずだ。生徒なら無理でも、教員なら掴める情報が増えるはず――ってな」
なかなかに気の遠い話だが、こいつ視点では最も現実味のある方法だったのだろう。
事実、揉み消しも買収も行われていたのだから、炯眼と言っても差し支えはない。
「そういうわけだ。あいつを告発するってならいくらでも協力してやる。
ただし、俺の実家が潰れないように配慮はしてほしい」
「当然の条件ですね。岡田理事にしかとお伝えいたします。
――日上さんと波島さんは、いかがですか?」
「……この流れで協力しないとは言えないだろう。
ただ、俺が知っていることは多くない。確実に証言できるのは川住の怪我と、陸上部の須田と長峰の怪我だけだ」
陸上部の須田と長峰……夜に会う予定の2人か?
私の疑問に答えるように、日上が言葉を続ける。
「2人とも同じクラスだったからさ。例の事件のせいで距離は空いてしまったけど、チャットは繋がったままだったんだ。
それで――昨日、2人から連絡が来た。明智吾郎を名乗る人物から『鴨志田を告発する協力者を探している』とメールが来たって。
三島が急に相談したいって言ってきたこともあって……もしかしてって思ってはいたんだ」
「なるほど。お二人がオファーを受けてくださったのは、日上さんの口添えのおかげでしたか」
「大したことは言っていないけどね。本物かも知れないから会ってみれば、って、その程度だ」
「ななな、なんでそれを私に言わないの!? ねえ日上! あんたねえ!」
「いや……だって俺達は会うって決まってたしさ。わざわざ言う必要あるか?」
「心の準備ぃーっ! 私の! 心の! 準備というものを! 考えろーっ!」
……大丈夫か? この女。
男二人は多少なりとも頼りになる面を見せているのに、こいつだけ限界っぷりを晒しているだけだぞ?
「で、波島はどうすんだよ」
「協力するに決まってるでしょ! 何すればいいかわかんないけど!
あ、あの、あけっ、明智くん! ととと、とりあえず、女子部員全員に声をかけてみればいいですか!?」
「そ、そうですね。告発に協力してくれる人物が増えるのは喜ばしいです。
ただ、鴨志田教諭に味方しそうな人物や、虚言癖などがあり信頼に値しない人物に声をかけるのは控えてください。
僕たちが求めているのは過去に行われた体罰の正確な証拠や証言です。偽証が混ざってしまうと、却って不利になってしまいます」
「わかりました! 絶対裏切らない子だけに声をかけます!」
……怖い。目が怖い。熱量の高いファンとはこんな恐ろしいものなのか。
政治家としての支援者なんて、どんなに熱心な人間でも『応援します』『信じます』以上のものにはならんからな。
こんな、熱愛と狂信が混ざりに混ざった視線なぞまず向けられん。
良かったな
「では、皆さん告発に協力していただけるということで――
こちらの書類に目を通していただいて、サインと連絡先を記入していただいてよろしいでしょうか」
アタッシュケースから印刷しておいた同意書2枚とボールペンを3組取り出し、OB達の前に置く。
「1枚は岡田理事への協力に同意するという署名です。
もう1枚は、揉み消しを防ぐために雑誌記者を通して事前リークを考えています。こちらはご協力いただける方だけご記入ください」
「雑誌ねえ……陸上部のことを掘り返せるのか?」
「そうですね……それができれば理想的ではありますが、正直、難しいと思います。
元々秀尽の陸上部は優秀な成績を残していた。それが廃部になるなど、少なくとも東京都の地域ニュースとして取り上げられるべき題材です。
それを揉み消して報道規制したということは、マスコミ側も圧力に屈したという証拠にほかなりません。
彼らは自分の失態を晒すことを嫌がりますからね。ですから、揉み消されていないバレー部の事件を表に出すしかないんです」
――嘘は言っていないぞ。実際、マスコミも協力しないだろう。
「なるほどね。まあいい、俺や鈴井の事が表沙汰になるだけでも鴨志田の教師生命は断てるだろうさ」
川住がさらさらと2枚とも記入する。
それに倣うように、日上と波島も両方書き込んでくれた。
大宅への手土産はこれで十分だろう。
あの女には、陸上部関連のことは伏せておく。下手に触れて笹木に行き着かれても困るしな。
「ご協力いただきありがとうございます。
では、よろしければこのままランチにしませんか?
代金は僕から岡田理事に請求いたしますので、ご遠慮なく」
「え。ららら、ランチ?」
「ええ。時間もちょうどお昼時ですから」
「…………」
「な、波島先輩……?」
「ダメだこいつ。てかこいつ、こんなダメな奴だったか?
もっと仕切り屋で口うるさくてバリバリ部長やってたと思ったんだが」
「まあ……波島にとっての明智くんって、お前にとってのりせちーみたいなものだろうからなあ」
「あぁー……なーる。そりゃそうか。そうなるか」
りせちーってアレだろ? 久慈川りせのことだろ?
正真正銘の本業アイドルと、イカサマ使って売り出しただけの高校生探偵を一緒にするなよ。向こうに失礼だろ。
「実際すごいぞ。『明智くん非公式ファンクラブ』ってチャンネルやってるし」
「マジで?」
――えっ?
「ああ……波島先輩が俺に動画編集ソフトのこと聞いてきたのって、もしかしてそれですか?
俺、動画系はそこまで詳しくないから、とりあえず定番ソフトと初心者向けサイト投げましたけど……」
「はぁー。よーやるわ。俺だってりせちーは好きだけど、動画やろうとは思わんなぁ」
「しょ、しょしょ、しょうがないでしょ! 好きなものは好きだから!!」
「あ、復帰した」
「あの……すみません。もしかして、僕のテレビ出演の切り抜き動画、上げてらっしゃいます?」
「――」
固まってるんじゃねえよ!
頭抱えて固まりたいのはこっちだよ!!
「……だめ、ですか」
「いや……個人で楽しむ分にはいいと思いますよ。
ただ、……ファンの方々はお気づきみたいですけど、本当に体調が良くないので。
あまりどこがおかしいとか、指摘されると……正直、困るなあと」
「えっ!? ほほほ、本当にそうなんですか!?」
「ええ……警察にもお願いして、報道の自粛を呼びかけてもらってるんです。
犯罪行為に巻き込まれた場合、今の僕では自衛も難しくて……
実際に一度倒れかけて、通りすがりの方に助けてもらった事もありますし」
「えええええええ……わ、わかりました! コメント削除して封鎖します!」
……え? そんなことできるのか?
それならまだ許すが。
「対応してくださるんですか? それはありがたいです。
――実のところ、色々な方の憶測が正鵠を射ていて、悩んでいたんですよ。
僕のことを好いてくれている人に対して文句をつけるのも良くないし、でも僕の安全も脅かされると困るしで。
……他にも、プライベートを盗撮されて晒されたりしてますしね。いつか友人の顔まで晒されそうで怖いな、と」
「あああああ! そそそ、そうですよね怖いですよねすみません!!
みんな好きだから新しい写真見たいって盛り上がっちゃって! ごめんなさいごめんなさい!」
え? ペケッターで写真上げてる奴の1人なのか?
なら許さんが?
「いや盗撮はダメだろ。俺だって外でりせちー見かけても撮ろうとは思わねーぞ?
ましてや晒し上げって……なにやってんだ」
「うう……だ、だって、情報発信局の奴に負けたくなかったんだもん……
いっつも制服の写真撮って上げてて……だから、本当に渋谷駅で見かけた時、嬉しくて……」
「なおさらダメだろ。みんなで競って勝手に写真撮ってたら、いつどこでどんな服装で歩いてるか特定できちまうじゃん。
ストーキングとか誘拐拉致監禁とかに発展したらどうするんだ?」
……『発展したら』どころか、実際特定されたし誘拐未遂みたいなことも起きたんだがなぁ。
「川住の言うとおりだな。ましてや体調不良で自衛ができないとなると、本当に危険だ。
なあ波島。みんなに写真を削除してもらうってできないのか?」
「え、ええ……? 私が上げた写真は消せるけど、他の人までは……
事情を説明すればわかってもらえるかもだけど……報道にも出せないこと、ペケッターなんかで話しちゃマズイよね?」
「あー。絶対ダメだな。バカに拡散されて余計に危険になるだけだ。
なんかいい案ねーか、三島。お前が一番ネット詳しいだろ」
「え? お、俺です? え、えーと……公式サイト作って注意する、とか?」
……公式、サイト?
「多分、だけど……アイドルとか芸能界の人って、公式ファンサイトがあるから、ファンがルールを守ってるんじゃないかなって。
だから……明智さんも公式サイト作って、これはやらないでってはっきり言えば……
本当に好きな人は、ちゃんと言う事守るんじゃないかって思うんですけど……」
「な、なるほど……」
そういう手があったか。
公式サイトと言えばプロフィールや政治理念、活動内容や連絡先といった内容を載せるものだと思っていたが……
ファンへの呼びかけという形なら、確かに効果はありそうだ。
「ありがとう。家に帰ったら、プロを探して頼んでみるよ。
本当に悩んでいたからね。少しでも効果があればそれだけでもありがたいよ」
「うう……すみません。反省してます……」
「あ、あの……波島さんも、ネットに上げさえしなければ、個人で楽しむ分には問題ないと思いますよ?
もちろん街で見かけた時は、写真を撮っていいか聞いてくれるとありがたいですけど……」
本当はこんな譲歩などしたくないが、逆恨みされても面倒くさいからな。
拗らせた女ほど厄介なものはない。最低限のご機嫌は取ってやったほうがいい。
「わかりました……じゃ、じゃあせめて、記念にご飯を一緒に食べてる写真撮ってもいいですか……?
私だけの一生の宝物にするので……絶対にネットとかに上げないでおくので……!
お、お願いしますぅ……!」
「……い、いいですよ。じゃあ注文して、全員分揃ったら写真撮りましょうか」
怖いんだが? なあ、真剣に怖いんだが?!
どこがいいんだ!?
もしかして知名度を稼ぎすぎるのも悪手だというのか!?
止めてくれ! 私は政治家に戻りたいだけなんだぞ!!
大衆の支持を受けてこの国を世直ししたいだけで、厄介ファンに囲まれたいわけじゃないんだよ!!
いっそ返品させろこの身体!! 問題と欠点しかねえじゃねえか!!
せめてペルソナ能力とやらを寄こせ!! あれだけが取り柄なのになんで付いてこないんだ!!
……クソが。
どいつもこいつも、今に見てろよ……!!
Q:波島さんはいつどこで明智()の写真を撮ったのですか?
A:聞いてみました。
「4月2日に渋谷で友達と会う約束をしてて……ジュース買おうとしたら、明智くんが目の前を歩いていって……
これまた顔面偏差値の高い人と話してるのを見て、つい……こう」
「撮っちゃいましたか」
「撮っちゃいました……」
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次回更新は少し間が空いてしまって10月30日金曜日の21時15分になりますが、これからも頑張って書いていきますのでよろしくお願いします!