獅童正義は明智吾郎として生きることになった。 作:枝野トナナ
どれほど忙しくてもノルマはこなさなければならない。
習慣は継続するからこそ続く。
一度サボりを許してしまうと、2回3回と休んでしまい、いつしか積み上げた努力を無駄にしてしまうものだ。
――というわけで、今日も出席日数確保の時間を終えた。
さっさと明智吾郎の家に戻ろう。やるべきタスクが山積みだ。
帰宅後、まずはパソコンを立ち上げる。
今日、大宅一子に渡すものはバレー部OB3人の取材同意書と、以前に録音した現役バレー部の証言のコピー。
それと昨日、三島がバレー部OBを説得した時の音声データ。
当たり前だがわざわざ持っていったレコーダーはそれぞれバレー部OBとの会話と、陸上部OBとの会話を録音するためのものだ。
使ってもいい部分は渡してやるさ。現状では貴重な、探偵としての明智吾郎を買ってくれそうな人間だからな。
――それに、お互いが情報屋という立ち位置になれる点も重要だ。情報収集にも情報操作にも役に立つ。
次に岡田に渡すデータ作り。……と言っても、バックアップを取るだけだ。
こちらはOB5人の同意書類と、完全な会話録音を提出するだけだからな。
陸上部の2人は即断即決してくれたから、会話といっても大したことは話していないが……
体罰を受けた時に受診した病院から診断書をもらうよう、指示してはいる。
あとは岡田が弁護士を雇って、OB達に連絡して、川住と陸上部の合計3人分の診断書を取りまとめて、各々の証言を元に告発体制を整えれば良い。
……要は丸投げだ。
一から十までやってられるか。秀尽学園の問題なんだから秀尽学園の人間がケリをつけろよ。
――さて。終わった終わった。
急いで着替えて出かけよう。
どこへって?
行きたくもねえ場所だよ。
『周りに人いるか?』
『大丈夫です。誰もいません』
『OK。鍵開けろ』
ガチャリ、と扉の向こうで音が鳴る。
出てきたのは三島由輝。
昨日の件で多少なりとも自信と度胸がついたのか、最初に会った時と比べればだいぶマシな顔つきをしている。
さすがに凛々しい、という域には至っていないが。
「すまねえな。昨日の今日で手伝わせちまって」
「い、いえ。これぐらいなら俺でもできますから。
――雨宮と坂本は
「了解だ。お前は見つかんねえうちに走って教室に戻れ。
俺は走れねえから歩いていく。バレてつまみ出されたら、後でチャット送るわ」
秀尽学園の裏手側、体育館近くにある通用口。
昼休みという時間に限れば人目につきにくく、内鍵さえ開けられれば出入りが可能な場所だ。
校長と鴨志田に見つかったら大問題にされること間違いなしだが、こちらとしてはリスクを冒してでも調べたい場所がある。
雨宮と坂本に会うのはそのついで。一応、奴らがやっていることが何なのかを聞いておきたいというだけだ。
実習棟に入り、ゆっくり階段を上る。
3階まで上がったら生徒会室の前を横切って教室棟側の階段へ。
途中新島真とすれ違ったが、何も言われなかった。気づいて無視してくれたのか、気づかなかったのかはわからない。
ともあれ、屋上の手前に辿り着いてから
それから
『顔の怪我』という派手な視覚情報が飛び込んでくると、どうやったって意識がそちらに飛ぶ。
そして本来認識するはずの髪型や目つきではなく、『痛そう』という印象が真っ先に刷り込まれる。
視線誘導を応用した変装テクニックの一つらしい。その手の本に載っていた。
前髪を後ろに流して眼鏡を外していたのも、背筋を伸ばして普通に歩いていたのも、田中との見た目の差を作るため。
『
実際、どれぐらい効果があったかは、それこそ三島と新島真に訊ねないとわからんがな。
さて。正直気乗りしないが、クソガキどもからの情報収集の時間だ。
「――よう。2日ぶり」
「先輩……本当に来た」
「大丈夫なのか? 身体」
「まぁな。三島から少しは話聞いたか?」
相変わらず放置されている机の上に腰掛けながら訊ねると、2人とも揃って頷く。
どういうわけかスクールバッグが雨宮の横に置いてあるが……持ち歩いているのか? わざわざ?
「バレー部の先輩達が証言してくれるって聞いた」
「……陸上部の先輩方は、その……どうだったんだ?」
珍しく雨宮がはっきり喋って、坂本の方がどんよりと暗い顔をしている。
川住が学校そのものに見切りをつけるほどだ。よほど陸上部の連中に後ろ指をさされ続けていたのだろうな。
「須田と長峰って奴らが協力してくれることになった。
――去年はお前に八つ当たりして悪かっただとよ」
「えっ?」
「驚くようなことかよ。
人間、バカみたいに爆発して喚き散らすこともあれば、我に返って自分がヤバかったって反省することもあるだろ。
このクソ学校から離れたことで、ようやく自分たちがおかしかったってことに気づいたんじゃねえの?」
「……そ、そう……なのか?」
「まあお前が信じられねえのは当然だわな。
向こうもそのことはわかってて、鴨志田の告発を成功させてやりゃあ信じてもらえるだろって息巻いてた」
「……」
「……良かったな。竜司」
いちいち感動したり慰めたりしてるんじゃねえよ。
お前らの動向も共有しろ。そのためにわざわざ情報提供してやってるんだ。
「ところでお前らの方はどうなってるんだ?
何かやってるんだろうが、三島も知らねえみたいだし」
「そ、それは……」
「それは?」
――と、問い詰めようとしたところ。
突然雨宮のものらしきスクールバッグがもぞもぞ動き、中から猫が顔をのぞかせた。
「にゃ~」*1
「……え? 猫? なんで?」
「にゃー!」*2
思わず素の声を出してしまった。
だがなんで猫が? バッグの中に?
「雨宮……動物虐待は良くないぞ?」
「虐待じゃない。モルガナはバッグの中が好きなだけだ」
「……それ、スクールバッグだろ? ペット用キャリーじゃないだろ?」
「チャックは開けてる。嫌な時はモルガナは勝手に外に出ていってる。
授業の時は机の中に潜り込んでるし、狭いところが好きなんだろう」
「にゃー……なぁん」*3
「そ、そうなのか……ま、まあ、猫本人が満足してるならいいが。
その、モルガナ? って名付けてるってことはお前のペットなんだろ?
そんな通気性悪そうなバッグの中で脱水症状起こさないように、ちゃんと面倒は見てやれよ……?」
雨宮に罪しかなくても、猫に罪はないからな。
さすがにもっと真っ当な飼い主に飼われてほしい。猫が可哀想だ。
「にゃーんにゃーにゃー」*4
「田中先輩は最初からまとも。プロ級レスバトラーなだけ」
「なんだ突然? 褒めてんのか? けなしてるのか?」
「いや……モルガナに言っただけだ」
……なんだそれは、と言いかけたが、猫飼いにはたまにいるなと思い直す。
勝手に猫と会話している気になって好き勝手に言い出す――昔の、吉阪の家もそうだった。
誰かが話しているとやってきて横で鳴き始めていた、大きい茶トラ猫。吉阪の母親の後を追うように亡くなってしまったが。
「――杏……高巻さんが協力してくれることになった」
「え?」
「俺達の方。鈴井さんの容態はわからないけど、鈴井さんが目を覚ましたら、高巻さんが説得する。
それで、2人で告発しようってことになった」
高巻……あの金髪碧眼の、気の強そうな女か。
さすがに鈴井が飛び降りたショックで目を覚ましたか、あるいは罪悪感に駆られたか?
「なるほど。お前らの方も一歩前進したわけだな」
「ああ。ただ、鈴井さんが目を覚ますまで時間がかかりそうだから……
他に、鴨志田が改心する方法がないか探してる」
改心? ……いや、まあ、私も岡田にそう進言はしたが。
「そりゃまた斬新なアプローチだな……何か心当たりでもあるのか?」
「今のところは、まだ。これから色々探すところだ。なあ竜司」
「え? ああ、まーな。まだまだ道のりは遠いって感じだ」
……本当にガキの思いつきか。
淡々と話している雨宮も、急に話題を振られた坂本も、嘘を付いている様子は見当たらない。
しかし、認知世界を展開しているほど心が歪んでいる鴨志田を改心させるなど不可能だろう。
さっさと諦めさせて、鴨志田の目に止まる行動を起こすよう誘導するか。
「お前らの目の付け所は悪くないが――あのクソ教師には、そういう手段は通用しねえと思うがな」
「「え?」」
「お前らだって言ってただろ。奴はこの学校を城だと思ってる王様気取りだって。
あんだけ増長した
それに真っ当な判断力があるなら、お前ら2人はまだしも、三島まで退学に巻き込めるわけねえって思い直せるはずだ。
要は不思議の国のアリスの
例え話に仕立てたほうがガキにもわかりやすいだろう。
――そう考えての発言だったが。
「先輩……まさか見えてんのか?」
「ふしゃー!!」*5
坂本が突然目を丸くして変なことを言い始めた。
何の話だ? そして猫はなんでいきなり機嫌を悪くしたんだ?
「見えてるって……何のことだ?」
「……
……何を言ってるんだこいつは。
いや、だが、言われてみればあの鴨志田に対して女王を引き合いに出すのはおかしいか……?
……だいぶおかしいな。
「悪い。例えだよ、例え。
あいつのイメージをわかりやすく表現しようと思ったら、そうなっちまっただけだ。
確かに気色悪いにも程がある組み合わせになってたな」
「にゃー」*6
「うっかり想像したけどキツイ」
「お前らなぁ……そういうこと言われたら俺まで想像しちまったじゃねーかよ……
キツイとおりこしてキメェからさあ……本当に止めてくれよ」
雨宮は相変わらずの無表情っぷり――に見えて少し眉を潜めており、坂本はわかりやすく萎れている。
自分でも一瞬脳裏に浮かべてしまったが、さすがに不適切だった。
「すまねえな。たまに起こるんだ。
感じたことを何かに例えたら、変な組み合わせになる奴。
あいつの女装なんて見たことも聞いたこともねえから安心しろ」
見てたまるか、とも言う。
そんな私の言葉に反応したのか、雨宮の猫が長々と鳴いた。
「にゃーんなぁなぁにゃー、にゃななななな、にゃー」*7
「なにそれこわい」
「先輩ヤバくね?」
……そこまで言われるほどのことか? 解せないのだが。
「にゃーにゃにゃなーお、なおなおにゃー」*8
「……結構良く鳴くな。本当に話してるつもりなのか? それとも腹減ってるとかか?」
「これは話してるつもりの鳴き方。お腹が空いた時は立ち上がってせがんでくる」
「ふーん。本当に賢い猫なんだな」
「にゃーん!」*9
こうやって見ているだけなら猫は良い。
飼うのは御免被るが。本革張りのソファを破かれたとか、手織りの絨毯に粗相されたとか、猫飼いから聞くその手の話は枚挙にいとまがない。
「ところで先輩。わざわざ屋上に呼び出したって、俺らの話聞くためだけか?」
――そうだった。本題を忘れるところだった。
すっかり猫に気を引かれていたが、坂本の言葉で思い出す。
「いいや。確認したいことがもう一つある。
――坂本。お前、以前から何度か屋上に立ち入ったことはあんのか?」
「え? そりゃあまあ……サボりたい時とか、1人になりたい時とか、たまに」
「そのことを知ってる奴の中に、鈴井は入ってるか?」
「鈴井……は、知ってた。去年、ここで声掛けられたことあったから。
……ここが開いてて、誰でも入れるってこと教えたの、俺だし」
なるほど。なら、
私は腰掛けていた机から降り、ポケットからタクティカルライトを取り出した。
常識的な懐中電灯と同等の光量になるよう調整してからスイッチを入れる。
「雨宮。坂本。こいつで照らしてやるからここにある机の中と裏を全部調べろ。
もしかしたらまだ残ってるかもしれねえ」
「何が――」
「わかった」「にゃにゃっ」*10
いち早く私の意を汲んだのだろうか。雨宮と猫が素早く動いて机の裏側を覗く。
坂本も少し遅れて机の中を覗き込み――
「……なんだ? これ」
幸運にも一発目で見つけ出したようだ。
坂本は手を突っ込むと、ぺりぺりと何かを剥がして、隠されていたものを取り出した。
――サージカルテープで固定されたクラフト封筒だ。
「やっぱり隠してたか。やる気のないクソ教師どもで助かったな」
「先輩……これって」
「さっさと開けて読めよ。
坂本が震える手で封筒から手紙を取り出し、机の上に広げる。
元は大学ノートのページだったろう、便箋とも呼べない数枚の紙には、震える手で書いたと思わしき筆跡が刻まれていた。
【杏へ。
今までごめんね。私のせいで辛い思いさせてきて。
でも、もういい。私のことは気にしないでいいから、杏だけでも自由になって。
坂本君へ。
ちゃんと協力できなくてごめんなさい。
私が話したら、杏がされた酷いことが全部みんなに知られてしまう気がして怖かった。
本当のことが広まってしまったら、杏の居場所が無くなってしまう気がして怖かったの。
人に言われるまで、自分が坂本君を見捨てていたことにも気づいてなかった。
坂本君に酷いことをして、そうしてまで杏を助けたいと思ってたのに、何もできてなかった。
本当にごめんなさい。
雨宮君へ。
転校してきたばかりの君にこんなことを頼むなんて変だってわかってる。
でも、坂本君と友だちになってくれた雨宮君のことを信じたい。
悪いのは鴨志田と、こんな方法しか思いつかなかった私。
他の人達のせいじゃない。
私は今日、鴨志田にひどく殴られた。
このままじゃ殺されると思った。
だけどあいつに殺されたら、陸上部の事みたいに無かったことにされるかもしれない。
だから、みんなに分かるようにする。
誰も闇に葬れないように。私の死が明るみに出るように。
きっとこれは正しい方法じゃない。
坂本君は怒るだろうし、杏を泣かせてしまうと思う。
でも、他に私ができることが思いつかないの。
明日になったら私以外の誰かが鴨志田に殴られて死ぬかもしれない。
それは嫌だ。私以外の誰かが死ぬのは嫌だ。みんなバレー部の仲間だもの。
だから、こうするしかない。
お願いします。
私が飛び降りたのは鴨志田のせいです。
どうかその事実を広めてください。
私の死の理由と、鴨志田の暴行を、白日の下に広めてください。
どうか、この手紙を見つける人が、先生たちではありませんように。
坂本君達が見つけてくれますように。
鈴井 志帆】
――まさかの雨宮まで含んだ全員宛てか。少し読みが外れたな。
ここに残されていた以上は高巻宛てではなく、関係性的に坂本宛てしかないだろうと踏んだのだが。
「……んだよ、これ。……ふっざけんな!!」
坂本が机を蹴り飛ばす。声もデカいしクソうるさい。
校内に続く扉は閉めているし曲がりなりにも外だからある程度は拡散するだろうが――
「なんだよこれ!! なんなんだよちくしょう!!」
「落ち着けクソガキ! 騒いで教師に見つかったらどうするんだ!」
思わず私まで声を荒げてしまったが仕方ないだろう。
なにせ私は立派な不法侵入者なのだ。獅童正義であれば揉み消せるような罪状でも、今の私のコネとカネでは訴えられたら負けるしかない。
「誰が落ち着けるってんだ! こんな、こんなのッ……!!」
「竜司! ……我慢しろ」
「ふぎゃーっ! シャーシャーッ!」*11
「お前らまで――……クソっ!!」
だからって机叩くんじゃねえよクソガキが!! そんなに私を追い詰めたいのか?!
読む前に少しは覚悟しておけよ!! こんなところに隠されてた手紙なんて鈴井の遺書以外ねえだろうがよ!!
「キレ散らかす気持ちはわかるが、騒いで何が解決するってんだ。
――この手紙は俺が預かって岡田さんに渡すぞ。いいな?」
「はぁ!? 何でだよ! 杏に――」
「見せてどうすんだよクソガキ!」
「今は見せるべきじゃない」
「にゃーにゃにゃシャーッ!」*12
「……ッ」
私と雨宮はおろか、猫にまで突っ込まれるとは思わなかったのだろう。
ようやく大人しくなった坂本をよそに、さっさと手紙を封筒の中にしまう。
……ああ、全く、面倒極まりない。
こいつら2人ともここから突き落としてやろうか――と一瞬だけ考えたが、後始末のつけようがないから止めた。
代わりに、仕方なくこいつらの機嫌を取ってやることにする。
「だいたいなあ。お前らの計画は、鈴井が生きて目を覚ますこと前提なんだよな?
なら、こいつは遺書でも形見でもない。この先も生きていく予定の鈴井が鴨志田を告発する意思を書き記しただけの、ただの手紙だ。
だったら鴨志田にも校長にも握りつぶされることなく告発できる人間に渡すべきだ。
俺の中で一番可能性が高いのは理事の岡田さんだ。他の理事や理事長にツテがあるならお前らに託してもいいが、アテはあるのか?」
「……アテなんてねえよ。だけどよ、本当にその人、信用できんのかよ。
陸上部のことも鴨志田のことも何にも気づかないで見て見ぬふりしてきた、クソな大人じゃねえのかよ……!!」
実にごもっともな意見だ。思っていたよりは賢いな。
例によって録音は回しているから岡田の奴にも聞かせて反省させてやるよ。私の慈悲に感謝しろ、クソガキ。
「何にも気づかないのと、気づいているのに見て見ぬふりするのは別物だろ。
後者はお前が言う通りクソな人間だが、前者はまだ気づいたら動くまともな人間って可能性が残ってるんだよ。
それに大人ってだけで雑に選り分けてるんじゃねえ。
ガキでも大人でも腐ってる奴は腐ってるし、まともな奴はまともだ。それだけの話だ」
「……ッ」
「ああ――もちろん俺のことさえも信用できないから好きにやらせろと言うなら、別に構わないぞ?
ただし、俺は俺のルールを曲げる気はない。
俺が助けてやってもいいと思う人間は、俺を信じて頼ってきた奴か、俺が認めた奴だけだ」
「――俺達は、先輩が認めた相手ではない?」
「当たり前だ。俺のことを信じも頼りもしないのに俺が認める人間なんてのは、それこそ皇居にお住まいの方々とかだ。
恩人の息子も長い付き合いの悪友も、話の合う友達も対象外なのに、お前らがその枠に入るわけないだろ」
「…………想像以上に高すぎるハードルだった。もうだめだ」
「にゃー」*13
さすがにこの国で政治家をやる限り、やんごとなき方々を無視することはできんからな。
かの方々は大衆にとっての逆鱗だ。下手にこき下ろせば凄まじい勢いで反発を喰らう。
無論、鈴井の遺書が坂本にとっての逆鱗であることは理解しているが――大衆でもないクソガキ1人なら、いかようにも抑え込んでやるさ。
「竜司。手紙、預けよう」
「……蓮、お前」
「認めさせて助けてもらおうかと思ったけど、基準が高すぎて無理だ。
だったら信じて手紙を託した方がいい。実際、俺達にこの手紙を託せる知り合いがいないのも確かだし。
なので助けてください」
「あのなぁ、蓮! そんなので――」
「いいぞ」
「いいのかよ!?」
「いいんだよ。口先なんぞより、行動が伴っている事の方が重要だ。
――で? 坂本、お前はどうすんだ?」
「ッ……………、わかった。おねがい、します」
やっと話がまとまった。良かった良かった。
遺書も手に入ったし、もうこのクソ学校に用は――
「おい! 誰かいるのか!?」
「「「っ!!」」」
まずい。この声、鴨志田だ。
見つかったら面倒だな。どうしたものか――
「――先輩は隠れて。俺と竜司が相手する」
「……いいのか? 任せるぞ?」
「ああ。認めポイントを稼いで、いつか無条件で助けてもらえるようにする。やるぞ、竜司」
「――わーった。騒いだの俺だしな、責任ぐらいは取らねーと」
おい。何だその謎ポイントは! お前ごときが勝手に制度を作るな!
だいたい私がお前らのことを本気で認めるわけも助けるわけもねえよ! そのまま鴨志田と対消滅して死ね!
――などと息巻いている場合でもない。
空調の換気装置か何かと思われる機械の影に身を隠す。何故か猫も足元にやってきた。
鴨志田がいちゃもんをつけて雨宮のバッグを検査する可能性がある――と判断した……のか?
いや、猫だぞ? そんなに賢い猫がいるものなのか? 吉阪の家の猫は……もっとこうのんびり屋で、人と喋るか日向で寝てるか大人しく撫でられてるかで……
「またお前らか……! 何を騒いでたんだ、ああ!?」
「テメーのやり口思い出してキレてたに決まってんだろ!!」
「竜司。先生。落ち着いて。昼休みが終わる」
「雨宮ぁ……お前も他人事みたいに言ってるけど同罪だってわかってんのか?」
「騒いですみません。授業に間に合わなかったら先生の名前出せばいいですか?」
「ああ?! なんだと……!」
「実際そうだろうがよ! 絡んでねえで、チャイム鳴る前に教室に帰しやがれ!」
「先生だって次の授業の準備があるのでは?」
「――ああそうか。そうだなぁ。いいぞ、せいぜい残り少ない高校生活を楽しんでおけよ!!」
……バチバチに煽り合ってるな。
良いことだ。そうやってお互い憎み合ってろ。
去っていく3人分の足音を背に、しゃがんで猫を撫でる。
艶々の毛並みでなかなか撫で心地が良い。
「にゃー、にゃ、ごろごろ」*14
「モルガナ、だっけか。喉撫でられるのが好きなのか?」
「ごろごろ……」*15
……吉阪の家の猫は、なんて名前だったかな。
みんなバラバラに呼んでいた。たっちゃんとかたっちーとかみーちゃんとか……多分『たつみ』か。
10歳ぐらいで、猫の寿命よりずっと早く死なせてしまったと吉阪が嘆いていたのを覚えている。
「みんな、簡単に死ぬよな」
「……にゃん?」*16
不意に口をついて出た言葉に、モルガナが反応する。
よく喋る猫は自分のことを人間だと思っていると聞いた。モルガナもそうなのだろうか。
「恩人が自殺して、数年後に奥方も病気で死んで、猫も食事をしなくなってそのまま死んだ。
責任とか、失意とか、絶望とか……色々あったんだろう。
命は簡単に消える。自分でも死ぬし殺されても死ぬ。殺意の有無に関わらず、殴られただけでも死ぬ」
「……」
「はっきり悲しいと思えたのは――多分、あの時が最後だ。
今更もう何も感じない。近くの誰かも、遠くの誰かも、知っている者も知らない者もいつかは死ぬ。
生に差はあれど、死に差はない。ただそこにあるだけの終わりで、早いか遅いかの違いだけだ」
「……なぁん。にゃぉん」*17
……何を話しているんだろうな。自分でもわからない。
「――気持ちが悪いんだ。ずっと」
「にゃん?」*18
「その気になればすぐに死ねるし死にたくなくても死ぬ世界で、人はなぜ生きるのか。
……俺は、夢があるからだと思っている。
理想でも、希望でも、復讐でも――思い描く夢に辿り着こうと手を伸ばすことが、生きる理由で生きる意味だ」
「にゃーん」*19
「……だからこそ、わからない。
奴が夢を目の前にして、命を投げ捨てたことが」
――明智吾郎という人間は、ある意味でわかりやすかった。
母親の面影しかない顔。復讐心を隠しきれていない目。自ら暗殺能力を売り込んでくる社会性の無さ。
環境に恵まれず愛情不足で育ち、そのくせ無駄に頭が回るから他人を見下さずにはいられない。
「憎んでいたはずだ。復讐したかったはずだ。恨みを晴らしたかったはずだ。
認められたかったし認めさせたかったはずだ。愛されたくて仕方なかったはずだ」
――私を死なせれば全て叶ったはずだ。とまでは、さすがに口には出せなかった。
ただ、……そうすれば、奴は、私の死んだ世界で自由に生きていただろう。
血の繋がりを証明して愛の結晶だと嘯きながら遺産を手にし、私の後継者として万人から認められて生きていただろう。
そうして私よりも長く生きて勝手に私を超えた気になって満足することだってできたはずだ。
「俺が奴のことを認めるなんて有り得ない。愛するなど論外だ。
……だからって、復讐すらも取りやめて、結果も見届けずに命を投げ捨てたりできるものなのか?
わからないんだ。わからないんだよ。なんで俺は今、生きているのか」
「……」
「俺には生きる理由がある。投げ捨てたくない夢がある。
追いかけて追いかけて、死ぬまで追っていられる夢がある。
今でさえ、死のうとは思わないし思えない。そもそも俺は死にたくない」
「……にゃぁ」*20
「ただ……どうしようもなく気持ち悪い。
今、ここにある現実、全てが」
「真実が分かればこの感覚は消えるのか。
それとも世界が水底に沈むようなことでもあれば、全てと決別できるのか。
……きっと、どう足掻いても無理だろうな。
真実なんてどうせロクなものじゃないし……船の上から水面を覗いたところで、
「……」
「……こんなこと言われたって、わかるわけもないよな。
俺にもわからないことが、誰にわかるというんだ」
「にゃー……にゃにゃ」*21
……本当に、何を話しているんだろうな。猫相手に。
ストレスが溜まっているとはいえ、私はこんな人間だったか?
…………いや。あの猫が生きていた頃は、たまにやっていたか。
やっぱりこうやって撫でさせてくれて、じっと話を聞いていたから……色々な愚痴や、面倒な奴への文句を吐いていた記憶がある。
「……そろそろ、帰るか。
お前は……飼い主のところに一人で戻れるよな?」
「にゃん! にゃにゃにゃ」*22
モルガナの鳴き声を聞きながら、変装を戻す。
眼鏡を外して前髪をオールバックにし、ガーゼを貼り付け直し、ネームタグが見えにくいようジッパーを開ける。
今は授業中だ。誰かに見つかったら『保健室に行く途中です』と言い張って切り抜けるしかない。
「にゃーにゃん、うにゃにゃにゃんにゃー」*23
「俺は不法侵入者だからな。体育館裏の通用口から見つからないように出ていかないと大問題になるんだ。
だからお前を案内できないから、頑張って戻れよ」
「にゃ? にゃーにゃにゃにゃ」*24
私の言うことを理解したのか、モルガナが階段を降りていく。
あとは私自身が見つからないように校内を脱出するだけだ。
――と思ったら、なぜかモルガナが廊下で尻尾を振っていた。
道案内のつもりだろうか?
近づいたら先に進み、実習棟側の階段前で立ち止まって左右確認して、また進んで階段を降りていく。
……どうやらクリアリングをやっているようだ。猫なのに?
頭良すぎだろ。
心のなかでこぼしながらも後を着いていくと、呆気なく通用口までたどり着けてしまった。
何だこの猫。頭良すぎだろ?
「あ、ありがとうな……鍵は三島に閉めさせるから、お前はもういいぞ」
「にゃーん」*25
モルガナに別れを告げ、扉を開けて外に出る。
大宅に会うのは3時半で岡田に会うのは7時だ。
今は2時前だから一旦帰る余裕はあるな――と背伸びしたところで、背後で鍵がかかる音がした。
……え? まさか、鍵まで閉めた? あの猫?
サムターン式だったからできるかできないかで言えばできるかもしれないが……だが、鍵を? 猫が? かける?
「……」
……いや。深く考えるのは止めておこう。
きっとすごく賢い猫なだけだ。
猫に人間の脳みそなんか移植できない。物理的に無理だ。クトゥルフのミ=ゴだって無理だ。
いやクトゥルフならウルタールの猫がいるか。じゃあそっち――じゃねえよウルタールの猫だってガキの鞄の中に入るかよ。
そもそもウルタールは
「…………帰るか」
いつもの明智吾郎の格好に着替えて、大宅と岡田に会って渡すものを渡してこよう。
それで終わりだ。後はもう知ったことか。
明日はゆっくり休もう。出席日数稼ぎがあるから完全オフとは行かないが、日曜日に働いた分ぐらいは取り返したっていいはずだ。
ああ、でもそろそろしっかり掃除しないと……買い物も冷食のストックが減ってきたし……他になにかあるかな……
「……ん?」
チャットが届いている。木場税理士からだ。
『やっほー明智くん! 明後日か、来週の月曜日って空けられる?
お父さんの家具、その日に配送できそうなんだけど』
――パーソナルチェアとボトルシップか!
『明後日行けます! 大丈夫です!』
『おけおけ! お願いするね!』
よしよし。アレが手元に戻ってくるのは僥倖だ。
……となれば、休みは明後日にして、明日は新居用のソファとローテーブルを探しにいくのもアリだな。
欲しい欲しいといいながら、仕事優先でどこにも探しに行けなかったしなぁ。
ああ、ついでに公式サイトを作ってくれそうな業者も探さないと。
昔は秘書――というか吉阪が片手間に作って更新してくれていたが、さすがにもう頼めない。
作成だけじゃなくて運営まで全部頼みたいからな……笹木や小林プロデューサーあたりに話を聞いてみるとするか。
Q:真は明智()に気づきましたか?
A:そもそも考え事をしていて視界に入ってませんでした。
「最近はお姉ちゃんが帰ってくるようになったから、夕食の献立を考えていて……」
「僕が言うのもなんだけどさ。生徒会長と主婦と受験生って兼業していいものじゃなくない?」
Q:吉阪家の猫のたつみちゃんについて教えてください。
A:元飼い主の吉阪さんに聞いてみました。
「たつみは……本当に大きな茶トラ猫で、毛も長めでしたね。
多分メインクーンとか、ノルウェージャンの血が入った雑種だったんだと思います。
お腹とくつしたが白くて、肩から背中にかけてバツ印に見える模様がありました。
あれは……そう、17年前だったかな。
親父が、珠閒瑠市にトラックで出かけて行ったんです。
2回も大地震が起きたから食糧支援が必要だろうって、会社の商品を積み込んでね。
それで避難所を周っている最中に、若い刑事さんと知り合ったそうなんです。
猫アレルギーなのに子猫のたつみを見つけて、保護してたそうで。
ご本人が猫好きだったのと、模様が弟さんの服に似てるとかで、見過ごせなかったらしいんですよ。
でもひどいアレルギーで、無茶したら大変だって……それで親父が引き取ってきたんですよね。
そうそう、名前もね。最初はたつやちゃんだったんですよ。
刑事さんの弟さんの名前とかでね。
だけど家で母さんが抱っこしてみたら、女の子だったんです。
それに触れても怒らないどころかかなりの撫でられたがりだったので……
女の子っぽくなるように、たつやちゃんとタッチ・ミーを合わせて、たつみって名前になったんです。
撫で心地が良かったからか、みんな撫でながら世間話とか愚痴とか話してましたね。
あの頃の獅童先生は……佐倉さんって人の愚痴が多かったかな。
笹木さんはお子さんの悩みとか相談してましたよ」
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