これは名前からして格の違う男が、劣等感を抱きながらも無様に立ち向かう話。
完璧超人の脳を焼け
三話程度で完結します。
月と鼈
雲泥の差
一章
「ぐぬぬ……また、負けたッ! 俺はまたッ……」
「まーた言ってんのか沼尾、いい加減あきらめろって」
「否! 俺はぜーーーーったいにあきらめないからな!」
友人との、幾度となく繰り返されてきた問答。
意味を理解するには、もっと情報が必要だろう。
◆◆◆◆◆
この俺、【沼尾弘】には運命……というと意味合いが違ってくるかもしれないが、のライバルがいる。
「いやw、運命ってww お前好きじゃん絶対ww」
「って、ちがーう!!! 回想中に割り込んでくるんじゃねぇ!! 今大事な話してんだよ!」
話がそれた……ごほん
この世には多種多様な、優れた人間を指す言葉がある。才色兼備、文武両道、才貌両全、逸材、天才、三拍子揃う人とか。
挙げたらキリがないが、とにかくそういった言葉がある。
そんな言葉の代表例! これらはアイツのためだけに作られた! と、言わざるを得ない人間がいる。
【
「ライバルって言っても、今んとこぜーんぶ黒星だけどな」
「うるせぇ! 今はだよ! い ま は!!!」
「あーはいはい」
「はい、は一回!!!」
小テストはもちろん、期末テストや実力テストでも満点(五教科五百点満点ってどういうことだ……?)、何かしらのトーナメントに出れば拍手喝采に包まれ、部活動の助っ人に抜擢されれば、強豪校のエースでも赤子の手をひねるかのように躱し、抜かし、追い越して、点をかっさらう。
当の本人は、恐ろしく(
「重ねんな!」
「おっとバレたか」
ファンクラブの会員数は数知れず、モデルとしても活躍してるとかチラホラ聞いたりするが真偽不明、そんな完璧超人……せめて裏でアクドイことしている、とかがあればまだつけ入る隙はあるんだが、菩薩の化身とも評される人間だ……
などと、いろんな御託を並べたが、能書きはこの辺りにしておこう。ここから先は、実際に見たほうが早いだろうし。
◆◆◆◆◆
「はい、期末テスト返却しまーす。名前呼ばれたら取りに来てねー」
担任の気の抜けた声が教室に響く。俺、沼尾弘の心臓が嫌な音を立て始めるのはここからだ。
「天尾さん」
担任の声が教室に響いた瞬間、空気が少し変わった。
「はい」
涼やかな返事とともに、天尾美月が席を立つ。それだけの動作なのに、なぜか教室中の視線が自然と吸い寄せられる。立てば
「今回も満点だったねー。さすがだねー」
「ありがとうございます」
担任の、困ったような嬉しいような、二つの感情が交わった声が聞こえた。そういえば、教師は生徒に満点や高得点を取られると怒られたりする。そういった話が、前見たショート動画にあった気がする……
「手塚くん」
「はいっ」
「前回より上がってるねー」
「やったっ」
少しずつ俺の番が近づいてくる。気が付けば呼ばれる直前の番になっていた。
「沼尾くん」
「はいッ!」
差し出された答案用紙を、俺は祈るような気持ちで受け取る。数学、90点。
「っしゃおらぁぁぁ!!」
受け取った瞬間、思わずガッツポーズを決める俺! 90点……いい響きだ……
「うるせぇよ沼尾、静かにしろって」
教壇に一番近い席の健斗が呆れた顔で耳を塞いでいる。中学からの付き合いであり、俺の天尾に対する挑戦の数々を一番近くで見てきた、そして何より、冒頭に邪魔をしてきた男だ。その名を江田健斗。
「うっせ、90点だぞ! 褒めろよ! 崇め奉れよ!」
「いやそこまではしないだろ。 まあ、すごいとは思うけどよ? ただ……」
健斗の歯切れが悪い。なんだよその顔。言いたいことがあるならハッキリ……
「……沼尾さんよぉ」
「いや、やっぱり言うな」
「いいや、ハッキリ言わせてもらうぜ。天尾さん100点、お前90点っ!」
「言うなっつってんだろうがァァァ!!」
教室に響き渡る俺の絶叫。数人がこっちを見て笑う。恥ずかしい? 知るか。これは魂の叫びなんだ。
「たった10点差じゃねぇか! 誤差だ誤差! 審判次第! 次は絶対追いつく!」
「いやー、10点差を誤差って言い張るその蛮勇、尊敬します。リスペクトはしないけど」
「言語変えても意味一緒だろうがっ」
◆◆◆◆◆
昼休み。屋上に続く階段の踊り場は、俺と健斗の定位置だ。購買の焼きそばパンを咥えながら、俺は今日の戦績(敗北)について熱く語っていた。
「なあ健斗、耳の穴かっぽじってよーく聞けよ。90点だぞ。並の人間なら『よくやった』って褒められる点数だぞ」
「並の人間はな」
「なのに何で俺は……天尾と比べられた瞬間、赤点でも取ったみたいな雰囲気になるん?」
「比較対象が悪いんだよ、比較対象が。天尾さんと比べられたら、大抵のやつは霞むって」
「霞むどころか消し飛んでんだよなぁ! 俺の90点、天尾の100点の前だと『惜しい』にすらならねぇ! むしろ『うおw あと10点足りんすねw』になる!!!」
健斗がパンをかじりながら、心底どうでもよさそうな顔で俺を見る。この顔、殴りたくなるんだよな。あ、焼きそば溢した。
「そもそもさ、なんでそんなにムキになんの? たかがテストの点数如きで、さ」
「テストの点数如き、じゃねぇんだよ。これは……」
言いかけて、口をつぐむ。健斗が「ん?」と続きを促してくる。
「……いや、やっぱなんでもねえ」
「なんだよ気持ち悪いな、
この前もガチャ限外してたし」
「言い過ぎだろ! 俳句作んな! あとガチャ限は関係ないだろいま!」
天尾美月。あいつと自分の名前を頭の中で並べる。
天尾、沼尾。 天と、沼。
頭を振って、考えるのをやめる。パンの残りを口に押し込んだ。
今はこの話をする気分じゃない。
「ま、いいけどさ。それより、明日の体育聞いたか?」
「バスケだろ?」
「そうなんだけどさ、うちのクラス、天尾さんが隣のクラスに貸し出されるらしい」
「WHAT? って、どういうことだよMr. Eda!」
「なんでも、バスケ部の顧問に頼まれたんだと。隣って全国大会常連のバスケ部エースがいるクラスだろ? その練習相手にちょうどいいって」
練習相手って、授業舐めてんのか
「練習相手って、授業舐めてんのか」
「心の声漏れてるぞ。舐めてねぇよ、むしろ本気でお願いされたんだと。天尾さん、スポーツ馬鹿上手いしな」
俺は深く、深くため息をついた。
「……見に行くか」
「行くのかよ、体育館別々だろ」
「行くに決まってんだろ、敵情視察だ。あいつがどれだけ規格外なのか、この目で確かめてやる!」
「確かめてどうすんだよ、てかどうやって抜け出すんだよ」
「知らん! だが、見ると決めた以上、見なきゃ気が済まねぇ」
健斗が頭の可笑しいやつを見るかのような顔をした後、「はいはい」と適当な返事をしてパンの袋を丸めて、ゴミ箱に放り投げた。綺麗に入る。
「よっしゃ入った。見たか今の。ノールックだぞノールック」
「見てねぇよ」
「見ろって! もう一回やるから!」
そう言って健斗は、わざわざゴミ箱まで走って袋を拾い直し、さっきより二歩下がった位置から投げ直した。今度は縁に弾かれて、あさっての方向に転がっていった。
「……今のは風だな」
「屋内だが?」
意外とこいつも運動神経いいんだよな……そして、意外と乗せられやすい。
◆◆◆◆◆
翌日の体育、俺たちはこっそりと体育館の隅から抜け出し、隣にある第二体育館に忍び込んだ。隣のクラスとの試合中であるため、女子の声が聞こえてくる。
「なあ健斗、普通体育館って二つに分けんならもう少し離して作らね?」
「さあ? 俺この高校の体育館しか知らんし、小中も一個しかなかったから分かんね」
どうでもいい話をぼやきながら、隣のクラスとの練習試合を覗く。
「おいおいおい、マジかよ」
コートの中央、天尾美月が涼しい顔でボールを操っていた。相手は全国大会常連のエース様、いくら才能があろうとも経験値の差でふつうは圧倒されそうな場面だっていうのに。
なのに。
天尾のドリブルが一つ跳ねるたびに、エースの重心がわずかにブレる。いや、ブラされる。フェイント一つで完全に置き去りにし、抜かれた本人も「え」という顔をする。一定のリズムで刻まれるボールは、あっという間にゴール下まで運ばれ、ネットを揺らした。
「……何だあれ」
「いやこわー、バスケ部でもないのにあれかよ」
周りで見ていた生徒たちからも、どよめきと拍手が沸き起こる。エースのやつも、悔しそうにしながらもどこか清々しい顔で天尾に何か言っている。天尾は笑って首を振り、彼女の肩を軽くたたいた。マウントを取るでもなく、驕るわけでもなく、ただ普通に、対等な相手として扱っていた。
「なあ健斗」
「どうした沼尾」
「あれ、性格悪かったらまだ救いがあったと思うんだけどさ」
「うーん、俺からしたら違うけど……お前からしたらそうだな」
性格までいいんだよなあ、あいつ。勝った後にどや顔一つしない。負けた相手を小馬鹿にするわけでもない。それどころか、負けた相手が悔しがっていると、ちゃんとその悔しさに付き合ってやる優しさまである。
負けた相手から寄り添われたら拗ねるやつもいるかもしれないが、あの顔と声だ。一瞬でとかされるだろうな。だからファンクラブも膨れ続ける。
「俺があんなふうに寄り添ったらどうなると思う」
「ビンタ」
「天尾が寄り添ったら」
「
「ぶっ飛ばすぞてめぇ」
正直言って、つけ入る隙がまったくない。皆無だ。弱点ぐらい誰にだって用意されてるぞ普通。
「あれ、沼尾くんと江田くん? 見てたの? っていうか、授業は?」
試合が終わって、天尾がいつの間にかこっちに向かって小走りでやってきていた。まずい、考え事に夢中で隠れられなかった。
「あ、いや、その」
しどろもどろになる俺の隣で、健斗があっさりと白旗を上げ白状した。
「授業中の沼尾が『天尾さんの試合が見たい』って言いだして、俺は付き合わされただけです。司法取引を要求します、俺だけは先生にチクらんでください。こいつは煮るなり焼くなりしていいです」
「ちょおおい! 健斗、売るのかよ!」
「事実だろ」
「事実だけど後半が問題だよ!」
彼女は俺たちのやり取りを見て、クスッと笑う。
「べつに煮ないし焼かないし、チクったりもしないよ。むしろ光栄、授業サボってまで見に来てくれたんだ?」
「サボってないし! 自習時間だし! たまたまだし!」
「たまたま隣の体育館まで来る自習、聞いたことないな」
「お黙り健斗!」
「ふーん、そう。あ、じゃあ感想聞かせてよ。たまたま通りかかったついでにさ」
こいつ、こういう時に限って地味に性格が悪いな……いや、悪いというより単純にからかい甲斐があると思われてる気がする。
「あー、いやべつにぃー、大したことしてなかったなー、うぅん」
「えー、30本中25本決めたのに?」
「いやいや、ま、まぐれだろ、まぐれ*2」
「ならさ、沼尾くん」
天尾がボールを軽く、指先で回しながら俺を見た。俺が出来ないことを平然とやってのけやがる……
「今度、
「やってやるよ! 上等だこら! 受けて立つ!」
「沼尾……そんな簡単に乗せられることある? つーか柔道部が何を張り合ってんだよ、お前が投げていいのは人であって球じゃな」
「うるせぇ健斗! あんな挑発されて、受けないと男が廃る!」
天尾はふふ、と笑い「楽しみにしてる」とだけ言って、またバスケの輪の中に戻っていった。その背中を見ながら、俺は健斗にだけ聞こえる声でボソッと呟く。
「……なあ、あいつってさ」
「ん?」
「今の一対一の誘い方、俺のこと本気で下手だと思ってたら、絶対にしない誘い方だよな」
「は?」
「本当に格下だと思ってたら、『やってみる?』なんて誘わない。手加減して勝って終わりにする。わざわざ勝負の形にするまでもないよな、普通」
健斗が一瞬、黙った。
「……お前ってさー、普段は色々鈍いし残念だけど、そういう変なとこだけ妙に鋭いよな。勘がいいっていうかさ」
「褒めてる? それ」
「さあ?」
健斗はそう言ってはぐらかした。俺は、なんとなく天尾美月という人間の輪郭を、ほんの少しだけ塗り重ねた気がした。
「てかさ、そろそろ戻らんとやばくね俺ら」
「……そうじゃん、やっべ! 早く戻らんとドヤされる!」
ドタバタと、先ほどの雰囲気を吹っ飛ばしてうるさく元の体育館に戻るのであった。
◆◆◆◆◆
下駄箱で靴を履き替えていると、ふと健斗が頭を上げて妙なことを言いだした。
「なあ沼尾、見てみろよこれ」
「んだよ」
「お前の下駄箱と天尾さんの下駄箱、見比べると結構くるものがあるよな」
健斗の指す先を見て、俺は微妙な顔になった。犬のフンを踏んだことに気づいた顔だ。天尾の下駄箱は一番上の、左上にある段。対して俺の下駄箱はしゃがまないと靴が取り出せない、地面すれすれの最下段。
「……何だこの罰ゲームみたいな配置」
「罰ゲームって、ただの出席番号順だろ。他意はないと思うぞ、多分」
「多分ってなんだよ、多分て。絶対って言いきれよ叩くぞ」
俺は一番最初のいちばん上にある天尾の下駄箱と、屈まないと開けられない自分の下駄箱を交互に見比べる。天、と、沼。まんまじゃねぇか。
「天と沼の差ってやつか?」
「言うなよそれ! 自分でも思っちまったことを他人に言われると地味にクるんだよ!」
「わりぃわりぃ」
一ミリも悪びれていない顔で健斗が笑う。
俺はもう一度、二つの下駄箱を見比べる。地面すれすれの、澱んだ水たまりみたいな最下段。何もかもを見下ろす、正に天のような高い場所にある一番上の段。
単純すぎて口に出すのも馬鹿らしい、ガキっぽくて誰にも言ったことは無い。この思いは、健斗にも。
……この配置を見るたびに、いつも胸の奥が痛む。チクリと。天尾美月という人間そのものの完璧さもそうだが、それ以前に名前からしてもう格が違うと突き付けられている気がしてならないのだ。
「よし、決めた」
「なんだよ急に」
「今度こそ一対一で一本取ってやる。バスケでも、テストでも、なんでもいい。とにかく一つでいいからあいつにも黒星をつけてやる」
「そんなに?」
「そんなにだ、理由は聞くな」
「いや聞かんけどよ、お前、そういうとこやっぱ変わってるよな。普通、そこまで格差見せつけられたら心折れるだろ」
「折れねぇよ、折れてたまるか、絶対に」
健斗が肩をすくめて、それ以上は追及してこなかった。正直言って、ありがたい。今この理由を言葉にしてしまうと、なんだかすごく情けない気がしたから。
下駄箱の外に出ると、赤い夕焼けが校舎を染めていた。遠くから陸上部の掛け声なんかも聞こえてくる。明日もまた、俺は性懲りもなく天尾美月に挑み続けるのだろう。何度負けても、何度見比べられても、何度も何度も何度も。
それが俺の――沼尾弘の譲れないところなのだから。
◆◆◆◆◆
それから数週間後。実力テストの結果が返ってくる日がやってきた。
「はい、じゃあ実力テストの結果、廊下の掲示板に貼られてるから各自確認しといてねー。個人票は後でホームルームで配るからねー」
担任の気の抜けた声と共に、教室が若干ざわつく。廊下にある掲示板。学年全員の点数だけでなく順位まで晒される、個人情報保護の観点から考えれば少し時代遅れな気もする、あの地獄の紙のことだ。
「行くぞ健斗」
「なんでそんな死地に向かう戦士の顔してんだよ」
「わかってて聞くな」
廊下に出ると、すでに人だかりができていた。俺は隙間から強引に頭を突っ込んで、貼りだされた順位表に目を走らせる。
「……いた」
学年一位、天尾美月。点数の欄には、堂々たる【
「WTF!? 満点じゃねぇか! 五教科五百点だぞこれ! どこをどうやったら一問も落とさずに済むんだよ! マークミスすらしねぇのかよあいつは!」
教えはどうなってんだ教えは、と思わず叫びたくなるような光景だ。
「知らんがな。強いて言うなら天尾さんだし」
「その一言で片付けるな健斗! もっと動揺しろ!」
「もう慣れたよ、俺は」
ハハッ、と健斗が遠い目をして笑う。わかる、その気持ちはすげーわかる、だが俺はまだ慣れたくない。慣れたら終わりな気がする。
個人票が配られる前に、俺は自分の順位を確認しようとして――先に教科別の内訳が目に入った。
「おっ、数学82点、まあまあじゃん俺」
「へぇ、頑張ったな」
「だろ! だが問題は英語だ……英語は……」
「ふっ、見んでも聞かんでもわかるわ、その溜め方」
「68点だ、ふざけんな英語、何で俺にだけ厳しいんだよ……第二言語の分際で……」
「お前、単語帳三周はしてたろ」
「三周してこれなんだよ! そこが一番きついんだよ!」
「……あー、うん。なんだ。ドンマイ」
「その間が一番効くからやめろ」
自己採点にも似た自己嫌悪を繰り返しながら、俺はようやく総合順位の欄にたどり着く。
「で、沼尾さんは何位なのかなー」
「うるせぇ今探してる」
癪だが目を上に滑らせること数十秒。ようやく自分の名前を見つけた。
「……25位」
「お、上がってんじゃん。前回30位くらいだったろ」
「上がってるけど! なんか釈然としねぇ! だってすぐ上、見ろよ!」
20位の欄には、見覚えのある名前。隣のクラスの、天尾とバスケでやりあってたバスケ部のエースだ。あいつ、勉強までできんのかよ。
「文武両道のやつって、意外と多いよな。あれ、沼尾さんは文武両道じゃないんですか」
「次喋ってみろ、お前の舌をくり抜いて七輪の上にのせて炭火で炙ってやるからな」
「妙に具体的で美味そうなのはなんなのよ」
二十三人。俺と天尾の間に挟まっている人間の数だ。数字にしてしまえばたったそれだけで、順位ならいつか詰められるかもしれない。けれど、その一番上に座っているのは、一問も落とさなかった人間だ。満点というのは、詰めるとか縮めるとか、そういう話ですらない。
分かっていたとしても、改めて分からされる。彼我の距離を、天との果てしない差を。
「でもまあ、あれだよな。20位とかでもあんますごく見えなくなるな。俺94位だけどさ」
「おん? どういうことだよ」
「いやだってさ、天尾さんの点数……満点を見るとさ、他の数字も全部同じに見えてくるよな」
「その理屈で言うと俺の25位もお前の94位も同じに見えてんじゃねぇか」
「そういってるんですよ、沼尾さん。俺たち、どんぐりのせくらべww」
「(可能な限り苦しんで死んでくれるよう呪詛を送り込む音)」
◆◆◆◆◆
廊下を戻る途中、後ろから聞こえてくる声があった。
「あー、また沼尾か。よくあの順位表見て平気な顔していられるよなぁ」
「無謀っていうか、痛々しいっていうか……天尾さんと自分を比べてること自体がもう、ねぇ?」
「毎回毎回、毎度の事あれだけ差をつけられてるっていうのに、まだ挑むんだろ? 何があいつを突き動かすんかねぇ……」
振り返らなくても分かる。別のクラスの数人が、俺の後ろでひそひそひそひそと――にしては声が全然抑えられていないが――言葉を交わしている。俺は見世物小屋に就職した覚えはない。
「チビ、今回もダメだったんだろ?」
「チビっていうな! 身長関係ないだろ!」
思わず振り返って叫んでしまった。数人が「あ、聞こえてた」みたいな顔をして、気まずそうに目を逸らす。誰も謝らないし、誰も悪びれない。ただ興味を失った野良猫みたいに、そのままふらっと散っていく。
「……なあ健斗、俺ってそんな変か?」
「変だな」
「即答すんな」
健斗が俺の方に手を置いて、わざとらしく神妙な顔を作る。
「まあ聞け沼尾。人間、無視されるよりいじられてる方がマシっていう説があってな」
「ひとまずお前の慰めのセンスが終わってることが分かったな」
「だよなー」
「慰める気ないだろお前」
軽口の応酬をしながらも、胸の奥にちくりと刺さった小骨みたいな痛みは、そう簡単には抜けてくれない。「無謀」「痛々しい」、別に悪意という名の刃ですらない、ただの感想。感想だからこそ、反論する余地がない。
「まあでも、そういう変な奴が一匹くらい生息してても、生態系のバランス的にはいいんじゃね」
肩をすくめて健斗が言う。なんだよこいつ、柄にもなく
「あと単純にお前が凹んでる姿の方が、俺は見てておもろい」
「はい訂正、アホカスゴミクズバカ」
絶交かなこれ、絶交だよこいつ。ああでも明日飯食う約束してたな。やっぱなしで。
そんな軽口をたたきあっているうちに、いつの間にか肩の力が抜けていた。こういうところが、こいつを腐れ縁にしてる最大の理由なんだろうな。絶対に口には言わないし、認めたくはないけども。
「……今の天尾か?」
今いる廊下の少し先、天尾がこっちを見て――いや、見ていた、が正しい。目が合った瞬間、彼女はふいっと視線を逸らして何事もなかったかのように歩き去っていった。
「お、なら今の言葉聞かれてたんじゃね?」
「勘弁してくれよッ……」
「まあでもさ、別人の可能性もあるじゃん」
「俺が宿敵の
「うわぁ……ちょっとキショイ」
情けないところを見られた、という羞恥心と、なぜかほんの少しだけ心臓が跳ねた感覚と。両方が同時に押し寄せてきて、俺はどんな顔をすればいいのか分からなくなる。
「なあ健斗」
「うん?」
「バスケの一対一、いつやるか天尾に聞いてくる」
「今から? この流れで?」
「今じゃなきゃダメな気がするんだよ、これは。それに、凹んだ勢いのまま突撃するのが一番なんとかなる確率が高い」
「勢いだけで生きてんな、お前って」
「誉め言葉として受け取っておくぜ」
◆◆◆◆◆
天尾の教室、もとい自分の教室の前まで来て、俺は一度深呼吸をした。何を今更、と自分でも思う。今まで散々突撃してきたくせに、こういう時に限って変に構えてしまう自分が情けなく、腹立たしい。
「天尾」
「あ、沼尾くん。どうしたの?」
天尾の席の前に立ち、声をかける。さっきの情けない姿を見られたとは毛ほども思えない態度で、いつも通りの調子で返事をしてくれる。もしかして見られていないのかとも思うが、天尾の地獄耳と超視力を考えると、気にしないでいてくれてるだけだろうな。
こういったところで格の差がでてくるのだろうかと、ふと思う。
「この前の話、一対一。いつやるか決めようと思って」
「ああ、バスケのこと?」
「忘れてたら机ごとひっくり返すとこだった」
「アハハ、忘れるわけないじゃん。楽しみにしてるって言ったでしょ」
天尾は少し考えるように顎に指を当て、それからスマホのカレンダーを開いた。
「今週の土曜日、部活が午前中で終わるから、午後なら体育館空いてると思う。顧問の先生に鍵借りとくから、その日にしよう」
「マジか、話早すぎだろ」
あまりのとんとん拍子具合に、思わず面を食らってしまう。
「だって、
「誰が逃げるか! 望むところだぜ、ボッコボコのけちょんけちょんにしてやるよ」
天尾はクスリともニヒルとも言える笑みを浮かべ、それからふと真面目な顔になった。
「さっきの廊下のやつ、気にしなくていいから」
「な、何の話だよ」
「全部聞こえてたよ、普通に」
「…………」
恥ずかしさのあまり思わず黙ってしまう。消えたい、今すぐこの場から蒸発したい。男は情けない姿を他人に見られたくないのだ。女性であってもそうかもしれないが。
だけど天尾は、慰めるでも同情するでもなく、ただまっすぐに俺を見て言った。
「無謀でも、痛々しくても、少なくとも私は、
頭と心臓と鳩尾を同時にガツンと殴られたような気がした。もちろん比喩だが、そんな衝撃を受けたと錯覚するくらいには衝撃だった。
何言ってやがる、と思う反面、妙に嬉しい自分もいる。こいつ、こいつは多分、社交辞令でもこういうことを言うようなやつじゃない。だからこそ余計に始末が悪い。下手なドッキリよりもよっぽど心臓に悪い。
「……っ、そ、そうかよ。なら土曜日は絶対に一泡吹かせてやるから、覚悟しとけよ」
「うん、楽しみにしてる」
天尾はまた笑って、手を振って。俺は自然と席に戻っていった。着席した後も、気恥ずかしさと動悸で落ち着かなかった。
「……何だよ今の……はあ、くっそ、ズルだろあんなん……」
頭を抱えて、机でうずくまる。誰にともなくつぶやいた言葉は、左ひじの内側に消えていった。
一位と25位、書き方さえも違う。たかが漢字と数字の違いだが、これもまた差に思える。けれど、そんな差も、チビだと嘲笑われたこの背中も、悪意のない言葉たちも、そんな全部を纏めて、ひっくるめる。
これは俺――沼尾と天尾の戦いなんだ。外野なんてどうでもいい、俺とアイツだけの、勝負なんだ。
天尾が俺のことをどう思っているのかなんて、気にしたら負けだ。
そう考えながら、来る土曜日のタイマンに向けて思考を練るのだ。
◆◆◆◆◆
幕間――天尾美月――
廊下の掲示板に貼られた順位表を、私はもう何回見たことだろう。
一位。名前の横に、いつも同じ数字が並ぶ。周りは「さすが」「今回も」と言ってくれるけれど、その言葉にはもう驚きが乗っていない。当たり前のものを当たり前だと確認するためだけの、儀式みたいな拍手。
昔はそうじゃなかった。誰かに勝つたびに、誰かと競うたびに、ちゃんと心臓が跳ねていた気がする。次はどうやってくるんだろう、今度はどんな手でいどんでくるんだろうって、ワクワクしながら対戦表や、順位表を見ていた。小学生の頃は、隣のクラスの子と九九の暗唱を競って、本気で悔しがったりもしていたのに。
でも最近は、みんな最初から諦めてしまう。
『あー、天尾とかよ……運ワリー、どうせ勝てねぇよ』
そんな声を、いったい何度聞いたことだろう。悪気なんてないのは分かってる。ただの本音、ただの現実。勝てないと分かっている勝負に本気を出す人なんて、いない。それが普通なんだと思う。
だから、退屈だった。
勝つことに飽きたわけじゃない、一位を取ることに慣れたわけじゃない。競うこと自体は、今でも好きだ。でも、本気でぶつかってきてくれる相手がいなくなった競争は、ただの確認作業に近くなる。答えの分かっている問題を、また解きなおすだけ。
周りに合わせて笑って、求められた分だけ優しくして、期待された通りの結果を出す。それを繰り返しているうちに、いつからか自分の輪郭が少しずつぼやけていくような感覚があった。八方美人、というやつかな。誰にでもいい顔しているつもりはないのに、気が付けばそう見られている。
そんな中に、沼尾くんがいる。
全戦全敗。数字だけ見れば、私に挑む意味なんてどこにもない。なのに、それなのに、あの人はいつも真っ直ぐ私の所へ来て、悔しそうに、ほんのちょっぴり楽しそうに「今度こそ」と言う。
今日だってそうだった。
廊下の先から、たまたま見えてしまった。順位表の前で、誰かに言われている沼尾くんの背中。「無謀」「痛々しい」――聞こえてしまった言葉に、思わず足が止まった。
貴方たちに何が分かるの?
彼はいつも通り、普段の調子で誤魔化していたけど、あの背中は絶対、震えていた。
声をかけようとして、やめた。あの時それをしたら彼のプライド、彼の大切なものを踏みにじることになる気がしたから。だから私は、見なかったふりをして、聞こえなかったふりをして、視線を逸らした。
それなのに、あの人はその足で、まっすぐ私のところに来た。何事もなかったみたいな顔で、一対一の約束を決めに。
馬鹿だなぁ、と思う。
馬鹿だなぁ、と思いながら――私は今日も、沼尾くんが来るのを少しだけ楽しみに待っている自分に気づいてる。
だから、つい口に出してしまった「本気で来てくれる人の方が、ずっと嬉しい」なんて。柄にもなく、本音を。
呆気にとられた顔をしたあの人を見て、少しだけ胸のすくような気持ちになった。ずっと誰にも見せていなかった本音を、初めて誰かに渡せたような。
この気持ちに名前を付けるのは、まだ、少し早い気がするから。
土曜日が、少しだけ、ほんの少しだけだよ?
待ち遠しい。
感想と評価がモチベに繋がります。