『魔法使いの嫁 × ロード・エルメロイⅡ世の事件簿 ――魔法使いと魔術師、その隣人たち――』 作:丹波りん
先ほどの講義を終えても、Ⅱ世の中ではエリアスの言葉が残っていた。
魔法とは、術者だけで完結するものではない。
隣人を知り、その性質を理解し、こちらの望みを伝える。そして、相手から力を借りる。
その説明を聞いて、Ⅱ世は以前のことを思い出していた。
智世とルツ。アンジェリカとヒューゴ。
以前にも、時計塔とは違う「使い魔」の在り方について考えたことがある。
あのときは、関係性の違いだと思っていた。
だが、先ほどの講義を聞いて、それだけではないことに気づいた。
魔術師が使い魔に望むものは、基本的には隷属だ。
主人である魔術師のために働き、その命令に従う。
それが使い魔という仕組みの根本にある。
それでも、術者が使役する存在であることに変わりはない。
そして、エリアスの言葉を思い返せば、
その関係は隣人、妖精や精霊にとって自然なものではないのだろう。
隷属を望む妖精や精霊などいない。
力を借りたいからといって、一方的に従わせようとすれば、
待っているのは協力ではなく束縛だ。契約という形を取ったとしても、
それは相手の意思を尊重したものとは限らない。
だからこそ、魔法使いは違う。
隣人を従わせるのではなく、相手を知り、こちらの望みを伝え、その上で協力を求める。
智世とルツの関係も、アンジェリカとヒューゴの関係も、
単に使い魔を便利に扱っているものではない。
ルツは智世の家族であり、ヒューゴもアンジェリカの仕事を共に担っている。
そこには、主人が命じて使い魔が従うという一方向の関係とは違うものがある。
そして、それは単なる心情の違いではない。
エリアスの説明では、魔法そのものが隣人との協力を前提としている。
相手が応じなければ、力を借りることはできない。
つまり、魔法に必要なのは術者の側の力だけではない。
相手となる隣人との適性も必要になる。
そう考えれば、魔術師であっても魔法を使えるという話も理解できる。
魔術師としてどれほど優れた技術を持っていても、
それだけで彼らの扱う魔法が使えるわけではない。
隣人と適性があり、その相手と関係を築き、
協力を得られるのであれば、魔術師でも理論上は魔法を使える。
時計塔で魔術師の適性を考えるなら、魔術回路や属性、家系、術式など、
基本的には術者自身の側を見る。
だが、魔法ではそこに「相手」が加わる。
隣人にも意思があり、性質がある。
こちらが一方的に決めることはできない。
「……術者だけでは、決まらないということか」
魔術師が自らの力を用いて術式を成立させるのに対し、
魔法使いは隣人との関係を通して力を借りる。
その違いを考えれば、魔術師と魔法使いの違いは、単に扱う力の種類だけではない。
力を得るために、相手をどう扱うのか。
そこにも大きな違いがある。
そこまで含めて初めて、その可能性が見えてくる。
***
「……えっと」
智世がどう返そうか迷っていると、ライネスが苦笑を浮かべた。
「すまないね、兄上は考え込むと周りが見えない癖がある。とても為になる講義だったよ」
「それなら、よかったです。以前に見える子が、隣人にちょっかい出しちゃって怪我をする事が
あったので、初等部の子にも彼らとの関係性や、危険性を教える事になったんです」
「なるほどね、魔術師とは好奇心が旺盛だからね。その子供の気持ちはわからないでもないさ」
智世は、その言葉にフラットの姿を思い浮かべ、苦笑した。
「……ところで、先ほどの講義によれば、私でも魔法は使える可能性はあるということかね?」
「そうですね。隣人との相性もありますが、出来なくはないと思いますよ」
ライネスは興味深そうに目を細めた。
「ふむ、是非試したいところだね」
「危険性もあると聞いているだろうに、まったく……」
Ⅱ世が苦言を呈する。
「だが兄上、実際に自ら試さなくては、彼らの魔法と我々の扱う魔術との比較もできないだろう。
卓上で頭を捻るだけでは理解も進まないさ」
反論しようとして、Ⅱ世は口を閉じた。
確かに、実際に触れてみなければ分からないことはある。
とはいえ、相手は未知の存在ではないにしても、
こちらの常識がそのまま通用するとは限らない。
「……まったく、君は」
Ⅱ世が悩ましげに唸った、そのときだった。
教室の扉が開く。
「あぁ……間に合わなかった……」
入ってきたのはフラットだった。その後ろからグレイも姿を見せる。
「あちこち興味を示してふらふらするからですよ」
呆れたようなグレイの言葉とフラットの様子に、Ⅱ世は小さく溜息をついた。
「次は、ルーン文字の講義です。場所が中等部なので、少し離れているんです。
早めに移動しましょう」
智世に促され、一行は教室を出る。
廊下を歩きながら、Ⅱ世は次の講義について考えていた。
「……時計塔にもルーンはある。だが、誰もが当然のように学ぶ主要な魔術体系というわけではない。古い体系であり、現在では失われた部分も多い。だからこそ、研究対象として扱われている」
「扱う者自体は多いが、研究としてはそこまでだしね。
こちらではどの様に教えているのか気になるね」
ライネスの言葉に、Ⅱ世は頷く。
時計塔でもルーンは魔術として扱われている。
だが、体系そのものが現代の魔術の中心にあるわけではない。
失われた古い術式を研究し、復元されたものを扱うという側面が強い。
だからこそ、この学院でどのように教えられているのかは興味深かった。
同じルーンを扱う以上、基本となる文字や意味そのものが大きく異なるとは考えにくい。
だが、何を重視して教えるのかまでは別の話だ。
先ほどの講義では、魔法を使うために「隣人を知る」ことの重要性が繰り返し語られていた。
ならば、ルーンもまた、単に文字とその効果を覚えさせるだけではないのかもしれない。
そんなことを考えながら、一行は中等部の教室へと向かった。
***
教室へ入ると、何人かの生徒がⅡ世たちに気づいた。
その中には、以前に智世から紹介された友人たちの姿もある。
グレイの姿を見つけた生徒が、軽く会釈をする。
グレイも小さく頭を下げて応じた。
フラットはというと、席に着くなり周囲を見回している。
「お、ここだ」
そう言って近くの生徒が広げていたノートを覗き込む。
「これ、見てもいい?」
「うん。見にくいなら、こっちに寄せるよ」
生徒はノートをフラットから見やすい位置へ少し動かした。
「ありがとう!」
フラットは嬉しそうに礼を言い、そのままノートを眺めている。
グレイはそんなフラットの様子を見て、わずかに苦笑した。
やがて教壇にターリク教員が立つ。
生徒たちの視線が集まったところで、ターリクはⅡ世たちの方にも目を向けた。
「今日は、見学されるお客人もいることだし、ルーン文字について、
最初に学院がどのように講義しているかも見て貰おう。君たちにも、おさらいになるはずだ」
生徒たちがそれぞれ姿勢を整える。
「基本的なルーンは全24文字の文字群だ。ルーンの伝統的配列は、
最初の6音を取ってフルサクという」
ターリクの講義が始まった。
「これは古北欧型、北欧神話の主神オーディンが9日間首を吊って、
ようやく得た文字と伝えらる」
「地方や時代により様々な形や音の違いがある」
「元来、日常的に木片や石に彫られ使用されていた音素文字だが、
魔術として操るには相応の知識と心得が必要だ」
生徒たちはノートを取りながら、静かに講義へ耳を傾けている。
フラットも借りたノートを覗き込みながら、時折自分のノートへ何かを書き込んでいた。
「文字や言葉は使おうとすれば、いくらでも魔術や呪術に使える」
「加えて古代の言語というのは祖語……というと、本来の意味とは少し違うが」
「この世界の《はじまりの言葉》により近い、ゆえにより強い力を持つとされる」
智世も静かに講義を聞いている。
その隣では、グレイが生徒たちのノートへ時折視線を向けながら、
邪魔にならないように姿勢を整えていた。
「ルーンはさらに、それぞれ1字ごと異なる意味合いを持つとされ、
占術以外には、様々な護符。急ごしらえの強化や攻撃手段にも使われる」
「応用が利きやすい魔術といえるな」
生徒の一人が小さく頷き、別の生徒が書き留めた内容を隣の友人に見せる。
フラットも興味深そうにそれを覗き込んだ。
「ルーンを扱うには解釈を知らねばならない。意味を知らねば本来の力は発揮されない」
「知らずに扱うと逆の意図として働くことも多い」
その言葉に、生徒たちの筆が一斉に動く。
「本来のルーン魔術は途絶えて久しく、復元されたものが研究されている状態だ」
「ある程度のルールはあるが、術者の解釈と意思にゆだねられる部分がかなり大きい」
「術者がルーンを識り、何ができるか何をするべきか決定すること」
教室には、紙を擦る筆記具の音だけが続いていた。
「そして、ルーンそのもの、あるいはルーンを介して現れる《何某かの意図》を識ることだ」
その言葉を聞いたところで、グレイが静かに顔を上げる。
しかし、講義を遮ることはなく、そのままターリクの説明を聞き続けた。
「近代魔術と称するには自己完結の度合いが低いが、古代の魔術と魔法はその点よく似ている」
ターリクの言葉が教室に響く。
生徒たちはそれぞれに講義内容を書き留め、時折隣同士でノートを確認していた。
「以前に意味や解釈は説明したな。今日はルーンを使って護符の制作をする。
各自、目的と相性のいいものを選びなさい」
生徒たちが机の上へ視線を落とし、それぞれにルーンを選び始める。
「解釈の内容を忘れた者は聞きにくるように」
講義を終えると、教室の空気が少しずつ動き始めた。
生徒たちは自分の目的に合うルーンを探し、以前のノートを見返している。
フラットも近くの生徒のノートを覗き込みながら、楽しそうに文字を追っていた。
「これ、面白いね」
「フラット、それならこっちのページに書いてあるよ」
「本当だ。ありがとう!」
そのやり取りを横目に見ながら、グレイは小さく息をつく。
智世はそんな二人の様子を見て、穏やかに微笑んだ。
教室の中では、講義を終えた生徒たちがそれぞれ護符の制作に取りかかっている。
Ⅱ世とライネスも、その様子をしばらく眺めていた。
やがてライネスが、隣にいるⅡ世へ小さく声をかける。
「兄上、どうだった?」
Ⅱ世はすぐには答えなかった。
先ほどまで聞いていた講義を、頭の中でもう一度整理する。
「……時計塔でも、ルーンそのものについて学ぶことはある。
だが、教え方にはかなり違いがあるな」
「というと?」
「時計塔では、古い体系を研究し、失われた術式や知識を復元していくという側面が強い。
だから、まずは正確な知識と体系の把握が必要になる」
Ⅱ世は教室の様子を眺めながら続けた。
「だが、ここではルーンを知識として覚えるだけでは終わらない。
文字の意味を知り、それをどう解釈するか。
そして、その解釈をもとに何をするのかを、術者自身に考えさせている」
「なるほど。単に『この文字にはこの効果がある』と覚えさせるわけではない、と」
「そういうことだ」
Ⅱ世は、先ほどの講義を思い返す。
「特に《はじまりの言葉》という説明は興味深い。
古来、魔術師の言葉には、それだけで力を持つとされるものがある。
裁定、命令、支配、祝詞、言霊、呪言……そういったものだ」
「神代に近づくほど、言葉そのものが力を持っていた、と?」
ライネスの問いに、Ⅱ世は頷く。
「単なる伝達手段ではなく、現実の事象を引き起こす強力な呪力、あるいは霊力そのものだった。
時代が下がり、人間の知識や倫理が発達するにつれて、言葉は記号化され、
その本来の神秘や霊力は薄れていった。だからこそ、
古い言葉には現代にはない重みと神秘が宿ると考えられる」
「この学院が言う《はじまりの言葉》も、
単に古い言語だから強いという意味ではないのだろうね」
ライネスの言葉に、Ⅱ世は続けた。
「世界がまだ現在ほど人の理解によって整理されていなかった時代、
その世界そのものに近い言葉だからこそ、力を持つという考え方なのだろう」
ライネスは興味深そうに聞いている。
「そして、《何某かの意図》についても気になるね」
「私もそこを考えていた」
Ⅱ世は答えた。
「オーディンの北欧神話では、過酷な試練の果てにルーンを会得し、
世界の真理を得たとされる。ならば、ここでいう《何某かの意図》とは、
単にルーン一字ごとの意味を指しているのではないのかもしれない」
「ルーンを通して、その背後にあるものを識る、と?」
「そうだ。ルーンそのものを識り、そこに込められた意味を理解する。
そして、そのルーンを介して現れる何かを識る。そう考えれば、
ルーン文字を通して世界の真理を識るということにも繋がる」
「ずいぶん壮大な話になったね」
ライネスが楽しそうに笑う。
「だが、講義の内容を考えれば、そう突飛な解釈でもない」
Ⅱ世はそう答えた。
「時計塔では、失われた体系を復元し、既存の知識として正確に扱うことが重視される。
だが、こちらでは、その知識を土台にして、自分自身で意味を解釈し、
何をするべきかを決めるところまでを教育している」
「同じルーンでも、教え方によって随分と見え方が変わるものだね」
「そうだな」
Ⅱ世は、護符を作る生徒たちへ視線を向けた。
「ここでは、魔術を単なる完成された術式として渡しているわけではない。
知識を与え、それを理解した上で、自分自身の判断によって使わせている」
先ほどの魔法の講義とは違う。
それでも、根底にはどこか共通するものがある。
力そのものだけではなく、その力が何であるのかを知ること。
そして、知ったものをどう扱うのかを、自分自身で考えること。
Ⅱ世は、今回の講義で見えたものを静かに整理していた。