レクトプログレス社の引責解体と「月の目計画」関係者一斉検挙のニュースがテレビの画面を賑わせた日、陽務楽郎は部屋のベッドでゴロゴロしながらスマホの画面を眺めていた。
「へっ、バチが当たったんだよ。VR技術を悪用してろくでもない人体実験だか計画だかを企んでた連中なんてさ」
ニュースのキャスターが滔々と語る大企業の没落劇を余所に、楽郎の関心はすでに別のところにあった。彼にとって重要なのは、社会の闇ではなく「今夜どのクソゲーをプレイするか」、あるいは「いかにして『シャングリラ・フロンティア』の神ゲー世界で理不尽なボスを叩き潰すか」だけだ。
数日後。楽郎は鳥頭の半裸VRゲーマー「サンラク」として、VRMMOの金字塔『シャングリラ・フロンティア』の世界へログインした。
セカンドライの賑やかな街角。約束の酒場へと足を踏み入れ、いつもの腐れ縁たる仲間たち——「アーサー・ペンシルゴン」と「オイカッツォ」の姿を見つける。
「よおサンラク。聞いたか? 最近このエリアの開拓地周辺で妙な噂が流れてるんだよ」
ペンシルゴンが不敵な笑みを浮かべ、黒いロングシートの席で脚を組みながら切り出した。
「噂? 新しいユニークモンスターの兆候か?」
「いや、プレイヤーだよ」とオイカッツォが呆れたように肩をすくめる。「黒衣に身を包んで、二刀流で異次元の反応速度を見せる剣士がいるらしい。『黒の剣士』って呼ばれててね。既存のスキル構成やビルドじゃ説明がつかない動きをするって、掲示板が持ちきりさ」
「黒の剣士ぃ? どこぞの厨二病満載なスタイルのプレイヤーが突如覚醒でもしたのかね」
サンラクは鼻で笑ったが、胸の奥でゲーマー特有の勘が疼いた。他ゲームからのコンバートか、あるいは完全に異質な「何か」がシャンフロに紛れ込んでいるのではないか、と。
——しかしその頃。現実世界とネットの深層では、もっと黒く禍々しい悪意が急速に鎌を首筋へと伸ばしていた。
レクトプログレスの崩壊によってすべてを失い、復讐の狂気に取り憑かれた男——「オベイロン」こと須郷伸之。
厳重な警戒を誇る刑務所の鉄格子を、かつての権力と残党の手引きによって破り、脱走を果たしていた。
脱走した須郷が向かったのは、ネットの闇に潜む危険な狂信者たち——かつて『ソードアート・オンライン』を恐怖に陥れた殺人ギルド「ラフィン・コフィン」の死に損ないたちの隠れ家だった。
「キリト……アスナ……! 私のすべてを奪ったあのガキどもを、絶対に許さない……! リアルで殺すのは生ぬるい。あいつらが最も愛し、最も輝いていたVRの世界で、救いようのない絶望の中で刻んで殺してやる……!」
須郷は狂気に歪んだ笑みを浮かべ、不正に入手したフルダイブギアとプロトタイプ・システムを起動する。ラフィン・コフィンの残党たちもまた、殺戮の快感を求めて歪んだ笑い声をあげながら、違法クライアントへとダイブしていった。
その標的は、SAOの惨劇を乗り越え、いまやシャンフロの広大な世界で静かに過ごしていた青年——キリト(桐ヶ谷和人)。
シャンフロの広大な荒野。異次元の強さと「黒の剣士」の噂を追ってきたサンラクの前に、突如として天を覆う巨大なノイズとバグの嵐が吹き荒れる。
その歪んだ空間の裂け目から現れたのは、通常のシャンフロのシステムを無視した不気味な黒い衣装の男たち——ラフィン・コフィンの残党、そしてかつての妖精王の残滓を纏う須郷伸之の影だった。
「見つけたぞ、キリト……! そしてその周囲の虫ケラどもまとめて、システムごと消去してやる!!」
システム領域を書き換える不正ツールが発動し、ログアウト不能の「絶対処刑空間」が展開される。絶体絶命の危機の中、背中合わせに武器を構える二人。
洗練されたSAOの絶対なる剣技を振るう「黒の剣士」キリト。
理不尽なクソゲーで培った異常な回避力と執念の立ち回りを誇る「クソゲーハンター」サンラク。
「おいおい、なんだあのチート野郎どもは! クソゲーのバグボスよりタチが悪いぞ!」
「あいつらは俺の過去の呪いだ……巻き込んですまない!」
「謝るな! 理由はどうあれ、俺の目の前でゲームを楽しもうとしてる奴を邪魔する奴は——全員ぶっ飛ばすのが俺のスタイルだ!」
交わるはずのなかった二人の英雄が、いま、システムを超えて牙を剥く!
「キリト、前衛を合わせろ! アスナ、左翼のシステム歪曲を防げ!」
「了解!……シリカ、シノンとラインを保って! リスベット、リーファ、側面からの不正データの侵入を削り取って!」
異空間へと変貌したシャンフロのフィールドで、かつての『SAO』を生き抜いた手練れたちが苛烈な陣形を組んでいた。
現れたのは、須郷伸之がネットの深層から掻き集めた「ラフィン・コフィン」の残党たち。違法クライアントによってパラメータを不正増幅された殺人鬼たちが、狂気に満ちた笑みを浮かべて刃を振るう。
しかし、アスナの閃光のごとき突き、リーファの圧倒的な風を切り裂く斬撃、シノンの超遠距離からの精密射撃、リスベットの重厚な防衛、そしてシリカとピナの巧みな連携が、違法プレイヤーの波を完璧に押し返していた。
「くそっ、なぜだ! なぜ私の用意した最強の軍勢が、たかがゲームの残党どもに押されているんだ!?」
空間の上空に浮遊する歪んだ玉座で、須郷は怒りに顔を跳ね上がらせていた。
「ハハハ! 泣き言を言うなよ妖精王(笑)様! キリトぉ、今だ! トドメを刺せ! お前が私をその剣で貫いた瞬間……お前のクライアントは『カタストロフ』を発動させ、お前自身の脳を不可逆的に焼き切る!!」
須郷の仕組んだ罠——それは、キリトが自分を攻撃した「瞬間」をトリガーにして発動する、自己崩壊型の致死コード「カタストロフ」だった。キリトの剣が届く距離こそが、最大の処刑台となるはずだった。
キリトが瞬時に踏み込みを躊躇した、そのコンマ数秒の隙。
「——はいそこ、大声でネタバレしちゃダメでしょ、おじさん」
冷ややかな、しかし心底愉しそうな女の声がフィールド全体に響き渡った。
「な……なに!?」
空中を旋回していた須郷の視界が、突如として激しいエラーエフェクトで狂い始める。須郷が「絶対の安全圏」として構築した管理領域のコードが、凄まじい速度で書き換えられ、偽の信号によって撹乱されていく。
「な、なんだこれは!? 私の管理者権限が……上書きされている!? どこだ、誰だ!?」
「やれやれ、大口を叩く割にはコードのセキュリティが穴だらけじゃないか」
軽快なフットワークで須郷の視界を遮るように現れたのは、超一流プロゲーマー・オイカッツォだった。彼はログイン中のほんの数分の間に、須郷の持ち込んだ違法ツールの処理プロセスとデータの不自然な遅延(ラグ)を解析し切っていたのだ。
「プロの格ゲーマーを舐めないでほしいね。画面の違和感やコマ落ち、データの処理フレームを見れば、どこにどんな割り込み命令(トリガー)が仕込まれてるかくらい、目星がつくんだよ」
「バ……バカな! たかがゲームをプレイしているだけの子供が、この私が構築した最先端の不正プログラムの構造を見抜くだと……!?」
須郷は絶句した。プロとしての異常な洞察力、そしてゲームというシステムに対するあまりにも深すぎる知識と熟練。自分の「権力」と「チート」が、ただの純粋な「ゲームのプロ」の技量によって完膚なきまでに翻弄されている事実に、激しい戦慄を覚える。
そして、須郷がオイカッツォのプロ意識に戦慄し、思考を停止させたその一瞬こそが、アーサー・ペンシルゴンの狙い通りだった。
「隙あり、廃品回収のお時間だよ」
ペンシルゴンが掲げた特殊なイベントアイテムと、事前に仕込んでいたシステム干渉用のアクションが発動する。須郷が自誇していた「カタストロフ」のコード基盤は、キリトが攻撃するよりも早く、完全に分解・無効化(パージ)されて消滅した。
「私の……私の絶対の処刑プログラムが……消えた……!?」
絶望に目を見開く須郷の前に、ぬうと立ち塞がったのは——鳥頭に半裸という、あまりにもふざけた姿の男だった。
「さあて、外枠の掃除は終わったぜ。ここからは……『一対一(タイマン)』の時間だ」
サンラクが二本の脚をしっかりと大地に踏み締め、双剣を構える。
「貴様……貴様のような変質者じみた雑魚がぁぁぁ!!」
追い詰められた須郷は狂乱し、システムを強制改変して一撃必殺の「即死プログラム」を付与した禍々しいサーベルを生成した。触れるだけで対象のデータを消滅させるチート武器。それを振りかざし、サンラクへと襲いかかる。
「死ねぇぇぇ!!」
「遅い、重い、隙だらけ。クソゲーの理不尽バグボスに比べたら、お前の動きなんてあくびが出るぜ」
サンラクは即死判定を持つサーベルの軌道を、紙一重のステップでかわす。そして、相手の攻撃判定が伸び切った瞬間の「肉薄」——刃の根元、攻撃力の発生しない判定の隙間へと滑り込み、双剣の柄でサーベルの柄頭を正確に叩き折った。
**カ・キィィィン!!**
チートプログラムの塊であったサーベルが、脆くも光のチリとなって砕け散る。
「な……!? 私の即死武器が……!?」
「言ったろ? チートなんてものはな、プレイスキルって泥臭い積み重ねの前には『ただの雑なデータ』なんだよ!」
ここからは、一方的な蹂躙だった。
サンラクの動きはもはや人間の領域を超えていた。フレーム単位で見切り、判定の隙間を縫い、須郷のあらゆる反撃を最小限の動作で潰していく。パラメータをいくら跳ね上げようが、それを扱う須郷自身の「中の人(プレイヤー)」の技術があまりにも稚拙すぎた。
「化け物……! 貴様、何者だ!? 天才か!? 天才なのかぁぁぁ!!」
自分を「神」と信じて疑わなかった男が、ただのゲーマーの圧倒的な技量の前に地面をのたうち回り、恐怖の叫びをあげる。
しかし、サンラクはその叫びを冷たく一蹴した。
「天才? 違うね。俺はただの『クソゲーハンター』だ。そしてお前みたいな奴が一番嫌いなんだよ」
サンラクの眼光が、鳥頭の奥で鋭く光る。
「プレイヤーの努力も、ゲームへの愛も踏みにじって、権力とチートでイキってるだけの傲慢なプライド……ここで粉々に砕いてやる!!」
サンラクが跳躍する。その身に纏うのは、『シャングリラ・フロンティア』における最強の一角、墓守のウェザエモンを討ち果たした者だけに許された至高の技。
「絶技——【天晴(テンセイ】!!」
一閃。
澄み渡るような絶対の刃が、須郷伸之の概念そのものを叩き斬った。
「グアァァァァァァァァァッ!?」
チートの鎧も、過去の栄光も、不快な野望もすべてを切り裂かれ、須郷の不可侵領域は完全に崩壊。エフェクトの嵐の中で、須郷はただのゲームオーバー判定を超えた「完全なる敗北」を突きつけられた。
「嫌だ……! 私は……私は世界の王になる男だ! たかがゲームの……ただのプレイヤーに攻略されるなど……あってはならないんだぁぁぁっ!!」
屈辱と絶望の悲鳴を上げながら、須郷のデータは強制切断(ロスト)されていった。
「あの須郷が一方的に……!」
「あのサンラクと言う男、敵に回したくないな」
キリトとアスナは、須郷を蹂躙したサンラクに畏怖を抱くことになった。
現実世界。
脱走先のアジトに警察の特殊部隊が突入した時、そこにはフルダイブギアを装着したまま、泡を吹いて狂乱・慟哭する須郷伸之の姿があった。
「攻略された……私は……負けたんだ……ゲームで……!」
かつて無数の人間を囚われの身にし、神を気取った男の最後は、己のプライドを無名のゲーマーに完全に叩き潰されたことによる精神の崩壊だった。
その後、再逮捕された須郷伸之には、過去の事件の重大性と脱走・テロ未遂の罪が重なり、異例のスピードで裁判が進行。言い渡された判決は「死刑」。
かつて世界を揺るがせた野心家は、拘置所の冷たい鉄格子の中で、ただゲームの敗北の記憶に苛まれながら、誰にも看取られることなく静かな最期を迎えることとなった。
「あぁ……、やっと楽になれる」
その言葉は、ようやく敗北の記憶から解放された須郷のせめてもの救いだった。
数日後。
『シャングリラ・フロンティア』を運営する「ユートピア社」の最高機密司令室。
モニターには、今回の騒動の全データと、事件を解決に導いた主要プレイヤーたちのログが映し出されていた。
「……SAOの生存者『キリト』。そして、我が社のシステム予測を幾度となく突破する規格外のクソゲーハンター『サンラク』……」
継久里創世が、深い溜息とともにキーボードを叩く。
「この二人が接触し、手を組んだ際の異常値は、シャンフロのメインストーリーすら崩壊させかねない危険性を秘めている」
画面に赤く点滅する文字が表示された。
**【警告:特定プレイヤー監視リスト更新】**
**・Target 01: KIRITO(桐ヶ谷和人)**
**・Target 02: SUNRAKU(陽務楽郎)**
「両者を『要注視対象』に指定。彼らの動向から、一瞬たりとも目を離さないで」
世界の裏側で新たな監視の目が光る中、当のサンラクは「へっくしゅん!」とくしゃみを一つし、今日も今日とて理不尽なクソゲーと神ゲーの狭間で、呑気に刃を研いでいるのだった。