妹は変わっている。
生き物としてとか、性格がとか、ましてや"人"として変わっているわけではない。
覚妖怪として変わっている。
覚妖怪が持つ能力といえば読心。心を読む能力。覚妖怪が嫌われる理由の全てではないが、その大半を占める能力。
妹はその能力をあまり使いたがらなかった。
私にはそれが理解できなかった。今も出来ない。きっとこれからも出来ることはないだろう。
妹も同じだ。私が、覚妖怪の在り方が、理解できなかった。理解出来ない。理解することは無い。
そんな私達だからああなった。それだけだ。
◇──◇
「ねえ、お姉ちゃん」
「何、こいし」
薄暗い執務室の中、姉妹二人の声が響く。
「お姉ちゃんはさ、心を読む能力ってどう言う能力だと思う?」
「心を読む能力でしょう」
「そう言うことじゃなくてさ、どういう能力か、って事」
「どの様な相手にも通じるとても素晴らしい能力」
"お姉ちゃん"と呼ばれた人物は、身長と不釣り合いに大きな椅子に深く腰掛け、赤い背表紙の本を読んでいる。どうやら一人の女の復讐の話の様だ。
「ああもう。えっとね、なんて言ったらいいかな。そう、影響の話。その能力が及ぼす影響の話。自分の内面、相手の事、心構えでも何でも。包丁を見て危険だと思う感じ。心を読む能力は何を思わせるのか、何を思うのかって事」
「相手に正直である事を強いる能力。使っていようと無かろうと、それがあるだけで相手は正直であらざるを得なくなる。能力が正直にさせているのでは無い、相手が勝手にそうしているだけ」
"こいし"と呼ばれた少女は、机の上に腰掛け"お姉ちゃん"に背を向けている。その目は中空を見つめ、居もしない何かを探している様子。
「でもさ、その能力について知らなければ正直であろうとしないでしょう? バレているとも知らずに嘘を吐く。見透かされているのに猫を被る。そんなのばかりだから私達は嫌われてるんでしょ」
「違うわよこいし。誰だって自分の心に嘘は吐けないもの、私達は全員正直者なのよ」
そう言って"お姉ちゃん"──古明地さとりは立ち上がり、読んでいた本に栞を挟んで棚に戻す。
「…お姉ちゃんって言い方が狡いよね。それに話を有耶無耶するのも得意だし」
「何の話?」
「覚妖怪ってお姉ちゃんみたいなのばっかだから嫌われるんだね」
「結論だけ言われても分からないわよ」
「心を読めば良いじゃない、覚妖怪の特権でしょ」
そう言って"こいし"──古明地こいしは、覚妖怪のみが持つ、心を覗く為の器官、
けれどその眼はさとりを映していない。瞼が閉じているのだから当たり前だ。
「なら貴方も心を読んでくれる? 相手に一方的に話すのって面倒臭いのよ。特に喋れる相手には」
「えー、やだよ。私はお姉ちゃん達みたくなりたくないんだもの」
「その意味によっては後でお仕置きね」
「別に覚妖怪が性格悪いとか意地悪いとかナルシストとかそんな意味じゃないよ」
「地上に出るの禁止で良いかしら」
「そんな意味じゃないって言ってるじゃん」
そういってこいしは部屋の扉の前に立ち、
「それじゃあ、行ってくるね」
「いってらっしゃい、気をつけて」
部屋から出て行った。
◇──◇
自分以外に誰もいない部屋で、さとりは一つため息を落とす。
「…地上の何が楽しいのかしらね」
地底は地上で嫌われた者が行き着く果て。嫌われ者が嫌われ者の尺度で生きる場所。退廃的で、刹那的で、今日を生きて、明日死ぬ。喧騒絶えない娯楽の街。
そんな果てですら嫌われる妖怪というのもいる。その代表例が私達覚妖怪だろう。
だが、
けれど地上は違う。彼らには嫌われ者の事などわからない。
だから、迫害する。徹底的に排斥する。そもそも同じ土台に立つ者として認めていない。
まあ、彼らの言い分は正しいし、正直言って病原体をばら撒く奴とか、嫉妬心を撒き散らす奴とかと一緒に居たくはないし、同じ妖怪として認めたくないのもわかる。
心を読む能力だってそうだ。勿論素晴らしい能力だが、嫌われる理由だってちゃんと理解している。相手の心を読めば嫌でも理解できる。
地上の者達が覚妖怪に向かってどういう感情を抱くかはこいしだってわかっているだろう。
幾ら心を読まないとしても、そもそも相手の気持ちなど多少は理解できるのが生物というものだ。でなければ、覚妖怪などとっくの昔に滅んでいる。
だからこそ、
「…あの子が地上になんて出かけるはずがないのに」
「あら、独り言?」
横から声が聞こえる。その方向を見ると、空間の隙間から顔を覗かせ、一人の妖怪がこちらを見ていた。
「…何の用でしょうか?」
「そんなに他人行儀にならなくても良いじゃない。泣いちゃうわよ」
そんな素振りなど一片も見せずに、こちらに微笑みかける。
「失礼ですが、他人の家に何の話も無く侵入してくる礼儀知らずのコソ泥の知り合いなど居ないのですが」
「あら、それをいうなら幻想郷全てが私の家みたいなものですわ」
「…それで、何の用ですか?」
「"心を読めば良いじゃない、覚妖怪の特権でしょ"」
「用がないのならお帰りいただけますでしょうか」
出来るだけ早急にお帰り頂きたい。この妖怪の心は気持ち悪くて到底読めたものではない。ただでさえ心を読むのは疲れるのに、此奴の心なんて呼んだら心労は二倍だ。
「冗談よ、冗談。全く本当に冗句が通じないわね」
「貴方の場合本気で言っているとしか思えないので」
「そんな全幅の信頼をおかれると困っちゃうわ」
「早く帰ってくれないかしら、さっさと片付けたい仕事もあるのよ」
「こいしちゃんのことでしょ」
「…何のことでしょうか」
「あの子が楽しそうにしてるのは久しぶりに見る。出来ることなら自由にさせてあげたいけれど不可侵条約のこともあるし、それに地上の奴らが何をするかわからない。ペットを一匹二匹つけておいた方が良いかしら、でもそうなると条約が…。こんな所かしら」
「凄いですね、貴方覚妖怪向いてるんじゃないですか」
「何だ、ハズレ?」
「ほぼ当たっていますよ」
実際殆ど当たっている。不可侵条約についても頭を悩ませていたし、ペットもつけておこうかとも思っていた。只、その理由が違うだけだ。
「なら安心して頂戴。条約なんて殆ど形だけのものだし、誰も何もしてないわよ」
「そうですか。それで、いつまで扮装を続けるつもりですか?」
「何だ、気づいていたのか」
ガラリと声と纏う雰囲気が変わり、隙間が戸へ、日傘が椅子へ、そして顔が紫から秘神──摩多羅隠岐奈の物へと変わる。
「普段あまりこういう事をしないから、バレていないと思ったのだがな。流石は覚妖怪と言うべきか」
「隙間妖怪がこんなことするわけないでしょう。あれは直接的に伝えませんよ」
「そうか、そんな面倒臭い妖怪だったか彼奴は」
「それで何でこういう事を?」
「ん? 嗚呼、最近二童子が使い物にならなくなってきてな、それで後任を、と探していたら丁度良い時に目をつけていた奴が悩んでいるではないか。ここで恩を売っておけば、この私の懐の深さに感激して自分から部下になってくれるだろうと思った次第だ」
「だとしても、何で姿を変える必要があるのですか。意味がないでしょう、それでは」
「これは趣味だし、後からこの事を知れば、自分の手柄にしないだなんて、何て素晴らしい神様なんだ、よし部下になろう。となるだろう?」
「なりませんよ、何で気づかなかったのかと自分に絶望するだけです。貴方が考えたにしては余りにも巫山戯過ぎてますよ」
「いや、別に私が考えたわけではないぞ。二童子達に聞いたらこう答えたんだ」
「…確かに使い物にならなくなっている様ですね」
「そうだろう、そうだろう。彼奴等があんな調子では私の"仕事"も非常に面倒臭くなる。二童子達に任せていた部分を私がやらなくてはならなくなるからな。まあ、殆どは座敷童に任せているが」
「それはお気の毒に」
「そう思ってくれるのならば話は早い、姉妹纏めて私の部下になってくれ。私の手となり足となり、裏から幻想郷を支えようではないか」
「遠慮しておきますよ。それに此方にも"仕事"が御座いますので」
「妹以外にも何かあったのか? どうせなら手伝ってやるぞ?」
「その妹の件ですよ」
「その件は何も問題は無いと言っただろう?」
「警告の警告をする、当人以外には気付かれないように。貴方の今の仕事はそういう内容でしょう?」
「いや違うぞ? どちらかと言うならそれは紫の仕事だ。だがまあ、問題が起きそうなのは当たっている。お前の妹は人間と接触し、交流している。此の儘であれば人間と妖怪が"仲良く"なり、そして彼奴の思う幻想郷、その一歩を踏み出すだろう」
「やはりそうですか」
「だが、私としてはこの結果を望まない。人間と妖怪の間にはしっかりとした線引きが必要だ。人間は人間の、妖怪には妖怪の世界がある。互いが関わり過ぎれば、幻想郷は遠からず滅ぶだろう。あくまで今のままその道を進むのであればな」
「そんな話はしがない覚妖怪には背負えませんよ」
「背負う必要は無い、ただ嫌われてくれればそれで良い。お前達は、嫌われ者だろう?」
「…いつまで?」
「時が来れば自ずと解る。それでは良い返事を期待しているぞ」
そう言い残すと、扉ごと、何も無かったかのように隠岐奈は消え去った。
今度こそ誰も居なくなった部屋で、さとりは深く、大きな溜息を溢す。
そして、今直ぐに自殺してしまいたい衝動を堪えて、すべき行動の準備をする。
全てを整え、いざ踏み出そうとして、脚がすくむ。
「…仕方が無い、仕方が無いのよ」
◇──◇
ある新月の夜、星灯のみが夜道を照らし、草葉ですら眠っているかの様な静けさの中、一人の男が歩いている。
誰かを待っているのか、どこか待ち遠しそうな表情を浮かべ、静かにゆっくり道を進む。
ふと男は足を止め、視線の先へと大きく腕を振る。
男が進む道の先には、少女の小さな影が一つ。
その姿は木の影に隠れ、姿形しか読み取れないが、普通の人間には有り得ない特徴的な三つ目の眼は、男がここ最近会っていた、そして淡い恋心と言うべき感情を向けていた少女、その種族の特徴と一致する物だった。
その少女の名を呼びながら、男は小走りで駆け寄って行く。
…もし男が、その少女には姉がいると言うことを知っていたら、もしかしたら男は生きながらえていたのかもしれない。
しかし、それは可能性の話。それも極僅かな代物。そのような豪運は、男には無かった。
駆け寄って来た男に少女はほんの一歩近寄り、そしてその身体に倒れ込む。
側から見れば恋人同士の様なその光景。男も何処か夢見心地だったに違い無い。
腹に強烈な痛みが走る迄は、
男が、自身にもたれ込む少女に包丁で刺されたのだと理解する迄には、かなりの時間を要した。
といってもそれは男の主観に過ぎない。実際にはほんの二秒かそこらであった。
その二秒で、腹から抜かれた包丁で首を刺された。
男は最期に、ひどく歪んだ少女の表情を見ても、何も理解できなかった。
◇──◇
「里から魔法の森に至るまでの道で、男が死んでいるのが見つかった」
「子供も二人消えてしまった」
「男は夜な夜な里から抜け出していた」
「きっと妖怪と会っていたのだ」
「子供だって妖怪の仕業に違い無い」
「男が妖怪なんかと会っていたから、子供も攫われたのだろう」
「妖怪と関わってはいけないのだ」
◇──◇
帰ってくるなり、部屋に引き篭り始めたこいしに、私は何と声をかければ良いのだろうか。
彼女がそうなった理由に、私はきっと深く関わっている。だからこいしに掛ける言葉など私の中には存在しない。
だけど、私は姉として、声をかけなければならないのだろう。そして、考えうる限り最悪の言葉で、突き放さないとならないのだろう。
こいしの部屋の前に立つ。ドアを叩いて、返事を待たずに中へ入る。
部屋の隅で蹲っているこいしに向かって一言、喋った。
◇──◇
その三日後、こいしは第三の目を閉じた。
もう何も見たく無いと。