ススキヶ原にて
「見事…じゃ…隻狼…」
剣聖、葦名一心はそう言い遺した。
残心、吹きすさんでいた嵐が止んでいく。
隻腕の忍び──狼は刀を納めてススキをかきわけた。
自分と一心のものではない胸が悪くなるような匂いが強くなるにつれて、いたわしさで狼の胸は締め付けられていく。
果たして、そこに主はいた。
腹部を傷つけられ、とめどなく血が流れている。抱き上げると息も絶え絶えで、手足は氷室のよう。
ただの刀では、そもそも傷すらつけられない。
一心の佩いた刀──元はその孫の所有物だった妖刀が、彼を傷つけたのだ。
「どこ…じゃ…狼…」
うわごとのように九郎が呻く。苦し気に吐き出される息が痛々しい。
宿す不死が、彼を無理矢理にでも生かそうとしているのだろう。
どれだけの苦しみを宿主に与えていようと。どれだけ当人が不死を望むまいと。
「お傍におります」
狼はできるだけ傷に障らないよう彼を支え、もういっぽうの手で懐を探った。
ひとりでに桜の花びらをこぼす美しい雫が、そこにあった。
枯れず零れぬ、神なる竜から頂戴した雫──竜の涙。
「竜の涙を」
手のひらを唇に宛がうと、九郎は何も抵抗せずそれを含んだ。こくん、細い喉が動く。
「……っ…ぁ………」
飲まされたものが竜の涙だけではないことを察したのか、九郎は懸命に目を見開き、言葉を紡ごうとして、しかし何もできずに眠りに落ちた。
安らかな寝息を立てる主をそっと横たえ、狼は再度刀を抜いた。
一心のそれとは対を為す真紅の妖刀──不死斬り。
「最後の不死を、成敗いたす」
ぼろぼろの刀身に映る己の顔を見つめ、狼はそれを首に沿えた。
本来なら、狼ではなく九郎が死ぬはずだった。
御子に竜の涙を飲ませ、不死斬りで以てその命を断てば不死の呪いを断つことができる。
だが、狼はそれを望まなかった。
「──人として、生きてくだされ」
届くわけもない言葉を主にかけて、狼は刀を振る。
今際の彼は、どのような顔をしていたのだろう。それは誰にもわからない。
だがその声は優しく、少年の未来に対する、温かな祈りに満ちたものだった。
ゆえに、その顔は怒り顔ではなかったはずだ。それこそ──優しい仏のような。
朝焼けに舞う血混じりの桜。
首を失った忍びは、純白のススキヶ原に倒れ込んだ。
かくして忍びは御子を人に返し、己の命で代償を支払った。
──そのはずだった。
◆
ヤマトにとって、狩りとは生きがいとたつきを兼ねたものだった。
カムラの里を出て三十分ほど歩いた先にあるフィールド『大社跡』は豊かな恵みと厳しい自然を同時に内包する。
気軽に足を踏み入れたら最後、命を落としかねないが、森への畏敬を失わなければその恵みを享受することができる。
畏敬とはすなわち森への配慮と用心深さであり、古くからの教えはその全てに意味があるのだとヤマトたち若いハンターたちは物心ついてからずっと大人たちに言われてきたのだ。
「ん? おっおっ! きたっ!」
釣竿を引くと、派手に水しぶきを立てながらぷりぷりに肥えたサシミウオが釣り上がる。
「よっしゃ! やっぱり本流で釣りをするのが一番だなぁ」
三匹もの立派なサシミウオを前に、ヤマトはぐっと拳を突き上げる。
カムラ男児はサシミウオが大好きと相場が決まっていた。きっと遺伝子のラセンに「サシミウオがすき」と書いてあるんだろうと彼は見当をつけている。
「やっぱり採取ツアーは気分をよくしてくれるなぁ。さっ、帰ろ帰ろ」
ヤマトは釣り具を片付けて手早くサシミウオを締めて血抜きし、紐でくくると自分とオトモたちとでそれぞれ一匹ずつ持った。
「今日はサシミウオの塩焼きにタケノコの味噌汁だぜ~、おい」
はしゃぎながら歩くアイルーの頭を、ヤマトはご機嫌な表情でグリグリ撫でまわした。
本流を出て竹林に差し掛かったときのことだ。
ガルクが唇をめくり、ぐるるる……と唸りだした。
どうしたんだと首をかしげたヤマトの鼻を、嗅ぎなれた臭いが撫でる。
その臭いがなんなのか理解したヤマトは、とっさにサシミウオを放り捨ててガルクにまたがり、拍車をかけた。
ガルクが猛然と走る。アイルーも、それに追走する。
ガルクの足の速さは誰もが知っている。現場に着くのはあっという間だった。
旅装の少年が、ジャグラスの群れに取り囲まれていた。
血まみれの男を庇っていて、自らも手傷を負っている。
「来るな! あっちへ行け──わあっ!!」
怒鳴った拍子に隙が出来て、後ろにいたジャグラスに押し倒される。
立ち込める臭気で興奮したジャグラスは少年の頭に牙を食いこませ、笠を破り血をにじませた。
ヤマトはガルクの背を蹴り、少年を押し倒していたジャグラスにつかみかかる。
ジャグラスごとごろごろと転がりながら片手剣を引き抜き、胸に突きつけた。
剣が胸を破り、心臓を突き刺す感触。
ぐったりと弛緩するジャグラスから剣を引き抜いたヤマトたちは少年の前に立ちふさがり、武器を向けて威嚇の姿勢を取る。
「まだやるか?」
声に圧されるようにジャグラス達は後ずさりして、次々に逃げて行った。
完全に気配が消えたことを確かめたヤマトは、殺気を剣と一緒に納めて少年を見る。
少年は呆然としていたが、はっとすると「ありがとうございます」と感謝してきた。
「感謝は後だ、まずはきみとこの人を手当てしないとな」
ヤマトは回復薬を二つ取り出し、一つを少年に持たせてもう一つの栓を抜いて男を助け起こした。
幸い、男はまだ息をしていた。だがひどく出血している。
「うん? その栓を抜いて飲むんだぞ」
瓶を持たされて戸惑っている少年に説明し、ヤマトはそっと薬瓶を傾けた。
飲んでくれなければ生命の粉塵を使うまでだ。
男は気を失っていたが、唇に瓶のフチを宛がうと中身を含み、嚥下してくれた。
男が呻いた。傷が癒えていく痛みが堪えたのだろう。
血は止まっていたが、顔色は悪い。一刻も早く拠点に連れ帰らなくては。
そういえばとヤマトはまた振り返った。
「きみとこの人はなんて名前なんだ?」
「……九郎と、狼です」
「クロウくんとオオカミさんね。とりあえず俺についてきてもらうぜ。この人は相当衰弱しているみたいだからね」
「わかりました。あの、あなたは……?」
「俺はヤマトだよ」
簡潔に返事を返し、ヤマトは男をガルクに担がせてゆっくりと山道を下りだした。
サシミウオは残念だが置いて行くしかなかった。明日には骨も残っていまい。
それより少年が心配で何度かそちらを見たが、疲れてそうではいるものの足取りはしゃんとしていた。
それに安心する傍ら、どうしてあんなハンターを見るのは初めてみたいな顔をしているんだろうか、とヤマトは考えていた。
◆
死後の世界というのはこんなに穏やかなものなのか。
と、狼は目覚めてまず最初に考えた。
次に驚いた。自分が生きていて、清潔な衣を着せられて寝かされていることに。
こんなにぐっすりと、赤ん坊のように眠ったことなど
混濁した意識の中で、無意識に刀を探る。
ほうとため息を吐く。
楔丸は丁寧に磨かれ、枕元に鎮座していた。不死斬りはどこだろう?
その内意識が定まって来たので、狼は思い切って瞼を開いた。
そして、心臓を引き抜かれたような気分になった。
「………狼………」
「……九郎、さま」
そこには、死に別れたはずの主がいた。
竜胤の御子、九郎。
御子は、つっと表情を歪ませ、唇を震わせた。
その顔も、心なしか記憶の中より大人びて見える。
九郎はしかし、泣き出しそうな表情をすぐに引き締めて、上っていく暖簾に目を向けた。
狼は身構えようとしたが、主に止められる。
顔に傷のある人相のいい青年が部屋の中に入って来た。いっぽうの手には湯気を立てる箱膳を持っている。
人の好さそうな青年は狼を見て、ほっと目尻を下げた。
「ああ、よかった。気が付いたんだな! 何があったかは知らないが、主人を泣かせちゃだめだぜオオカミさん」
九郎は、狼の混乱を読み取ったのだろう。苦笑して口を開く。
「そのような顔をするでない、私が説明したのだ。さあ、そなたも遠慮なく食すがよい」
「…は」
九郎に勧められたので、狼は箸を取った。
出汁の香りが漂う白米の粥に、小口切りのタケノコが浮かんだ味噌汁。味噌が絡んだ肉は適度にほぐされてあり、食べやすい。
──温かいものを食するなど、いつぶりだろうか。
箸を進めれば進めるほど、自分が思っていたより空腹だったことに気づかされる。食事が空の胃の腑へと沈んでいくたび、温もりが五体に染み渡るようだ。
ゆっくりと食事を終え、食器を盆に置く。
狼は、今度こそ九郎へ問いかけることにした。
「なぜ、九郎様がここに」
「それは私にもわからぬ。その、葦名が滅んでからわけあって一人旅に出たのだが、その先で不可思議な霧に包まれてな。つと気づくと見知らぬ山で、傷だらけのそなたがそばにいたのだ」
「旅……」
どうしてだ、と狼の混乱はますます深まった。
葦名にはエマがいたはずだ。エマほどの剣にも仕事にも腕利きである女を共連れにすれば、彼は安泰に生きられただろう。
時は戦乱の世で、彼は子どもなのだ。大人に守られても誰も文句は言うまい。
そもそも自分は死んで、九郎は生きたのだ。葦名は古いモノが多く息づく土地ではあるが、そのような摩訶不思議がそうそう起きるものか。
だが世の中には人が作った常識なぞ知った事かと言わんばかりの奇妙なモノは確かにあるのだと、御子の力を分け与えられた狼には理解できた。
ふわりとした感触。
──九郎に手を取られたと気づいて、狼の散り散りになっていた思考は急速にまとまった。
「こうして再会できるなどまさに御仏の導き。会えて嬉しいぞ、我が忍びよ」
見つめ合う九郎の目には涙が浮かんでいる。
かつて小さかったその手は時を経て一回り大きくなっていた。
そう思うだけで、目頭に重い痛みが走り、息が苦しい。
九郎以上に言いたいことなど山とあるが、どうも喉が詰まるようで、狼は「…身に余る光栄」とだけしか言えなかった。
穏やかな目でそれを見ていたヤマトは、仕切り直すようにポンと手を叩いた。
「さて、飯も腹に溜まったことだしこれからのことを考えようや、お二人さん」
「あ…そうですね。まずはお礼を」
「お礼? そんなのいいさ、元気になってくれたらそれで充分!」
重々しく進言した狼に対し、ヤマトはそんな軽い調子で笑った。
これには九郎も面食らってしまった。旅の身なので手持ちはあまりないが、それでも何かお返しをしなくては気が済まない。
「しかし、ヤマト殿」
「いいってことよ。それよりあんたたち、これからどうする気なんだ?」
どうする気、そう聞かれて二人は顔を見合わせた。
九郎は少し迷い、正直に打ち明けることにした。
「申し訳ないのですが、我らはここがいずこなのかも知りませぬ。道案内をしていただければ、あとはその土地でどうにか生きていけましょう」
「どうにか? どうにかって…… う~~ん……」
ヤマトは腕組みをして悩みだした。「放っておけないなぁ」「しかしどうすっかなぁ」「俺の里に連れて行くのがベストだけど、今はなぁ」などとブツブツ唸っている。視線が時々、不思議な二人へと向けられる。
頭をひねって名案を思い付いたように表情を輝かせ、しかし暗雲が立ち込めたのかその目を暗くし、さんざん悩みあぐねた末に彼は再度口を開く。
「……確証はないけど、俺の里で暮らせるようにとりなしてあげようか?」
「! まことですか。それならぜひ」
快諾しようとした九郎に右手をかざし、ヤマトは食い気味にかぶせた。
「ただし! ……今俺の里はちょっと問題に見舞われているんだ。今の時期俺の里で暮らすって言うなら否応なくその問題に取り組むことになるが、それでもいいか?」
九郎は表情を曇らせ、膝をついて主の指示を待つ狼を見やった。
どんな時でも力になってくれた頼もしい忍びの姿をつかの間見下ろし、彼はヤマトを見て答えた。
◆
二人の返事を聞いたヤマトは、テントを畳むと帰路に就いた。
ガルクとアイルーを前、ヤマトとクロウを中心に。狼は二人の背後についていっている。
いかにもふわふわしてそうな二足歩行の猫にちらちら目線をやりながら、九郎はいくつか彼に疑問を投げかけていた。
聞くに、あのジャグラスとか言う怪物はこの土地ではモンスターと呼ばれているようだった。そしてあれらはまだ小型の部類に入り、世の中には見上げるような巨大な熊やら電撃を放つ大狼もいるという。
ジャグラスがまだ弱いモンスターなほうであると聞かされた九郎は、無意識に鳥肌の立った腕をさすっていた。
そして次に聞かされた話に、九郎は目を丸くすることになる。
「百竜夜行……と申しますと」
そんな本心から何も知らなさそうな声色にヤマトは少し驚き、しかし説明しだした。
「五十年に一度、俺たちの里はモンスターの大群に襲われるんだ。それこそ、牙獣から飛竜まで多種多様なのにね」
九郎は深刻な表情になり、思慮を巡らせる。
熊だの大狼だの、そんな怪物が大挙して押し寄せるのかと考えると、背筋が寒くなった。
そしてそんな心境でも、九郎は歩みを止めることをしなかった。
「まさかクロウくん、そのこと知らないでここに来たのか? いやまあそりゃこの辺りは人里が遠いけど」
「……まこと申し訳ない限りです」
「んいや、怒ってるんじゃないんだぜ。でもこの辺はこの時期まじで危ないんだ。…まぁ、何か込み入った事情があるんだろうけどさ」
事実この時期に外界から入ってくる人間は少ない。順路を守って百竜夜行が起きるわけでも無し、そんな時にほいほいやってくる物好きはそうそういないからだ。
しかし油断のない顔つきで歩いているクロウと、ヤマトがこの少年に何かしたら即座に攻撃に移れるようにしているオオカミの姿からは、そんな物好き特有の呑気さは微塵も感じられなかった。
だからこそ不思議である。この二人はどういう経緯で、ここに来たんだろう?
「もう一度聞くが、ほんとにウチの里で暮らすつもりなんだな。教官や里長は受け入れてくれるかもだけど、危険なことをしなきゃいけないかもしれないぜ」
その言葉に、九郎は再び思考の海に沈んだ。
この土地は確かに危険だ。食い殺されかけたのだからわかる。
けれど右も左もわからないこの土地では、どこかに定住するだけでも苦労するだろう。モンスターが己の忍びが戦った獣と同じほどにありふれた存在なら、どこに行ったところで命を落とす危険があるのは変わりない。
それなら助けてくれたこの人についていき、彼の取り為しでその里で暮らすのが一番よいと九郎は判断した。
恩義につけこむようで胸が苦しいが、九郎には狼という従者がいる。
狼が九郎を助けたいと常日頃思っているように、九郎も狼を守らねばならぬといつも考えている。
主従とはそう考えて当たり前だ。
だからそんな気持ちを込めて、九郎は「はい」と力強く言った。
「わかった。……うん、そろそろ着くな」
そのころには狼も、周りの雰囲気が変わって来たと感じられた。
人の手が及ばない大自然から、人間の住む世界特有のにおいを鼻に感じる。
真っ黒に塗られた立派な門に背を向けて、ヤマトは両手を広げた。
「カムラの里へようこそ、二人とも。…歓迎するぜ」