【暗律の戦乙女(ヤミキューレ)】は盤上を覆すが故、己が未来を選ぶ 作:カミッシー
それは、サーシャとピアソラの一騎討ちから数日が経った、とある午後のことだった。
場所はアスタリスク市街にある、比較的人目の少ないカフェの個室。窓から柔らかな陽光が差し込み、テーブルの上には紅茶やコーヒー、それに軽い菓子が並んでいる。状況だけ見れば、気心の知れた者同士が集まった穏やかな茶会にしか見えない。
ただし、テーブルを囲んでいる面子と、その中央に置かれた一枚の紙だけは、どう考えても穏やかではなかった。
ハイセはその紙を両手で持ち上げ、わざわざ全員から見える位置へ掲げる。
そこには、大きな字でこう書かれていた。
――【第一回 クローディア・エンフィールド嬢、被害者の会】。
「というわけで、第一回【クローディア・エンフィールド嬢、被害者の会】を始めます」
妙に厳かな声で開会を宣言したハイセに対し、真正面へ座っていたアーネストは紅茶のカップを持ったまま、ほんの少しだけ眉を下げた。
「第一回ということは、続けるつもりなのかい?」
「被害報告なら一晩じゃ終わらねえだろ」
間髪入れずに答えたのはディルクだった。椅子へ深く腰を預け、既に心底うんざりした顔をしている。
「異議ありませんわ」
その隣ではピアソラが優雅に紅茶を飲みながら頷いていた。
「満場一致だね」
「おい。俺は続けることに同意した覚えはねえぞ」
「じゃあ、まず被害者代表のディルクさんからお願いします」
「人の話を聞け。あと何で俺が代表なんだよ」
「一番付き合い長そうだから」
「それだけ被害歴が長えって言いてえのか?」
「そういう意味ではありませんわよ、ディルク」
ピアソラが穏やかに口を挟む。
「ですが、否定もできませんわね」
「どっちだよ」
開始から一分も経っていないというのに、既に会議は本来の議題から脱線しかけている。
それでもディルクは諦めたように大きく息を吐くと、テーブルへ肘をついた。
「まず言っとくが、あの女は毎回、法律と規則の線だけは絶対に越えねえ」
「うん」
「だから余計にタチが悪ぃんだよ」
ハイセとピアソラが同時に頷いた。
クローディア・エンフィールドは、決して衝動で動く人間ではない。どれほど大胆なことをしているように見えても、事前に制度を調べ、人間関係を読み、どこまでなら許容されるかを把握したうえで動いている。
そして何より厄介なのは、本人へ問い詰めても大抵の場合、実際に規則違反をしていないことだった。
「後から文句を言おうにも、『その時点では何ら規定に抵触しておりませんでしたので』とか笑顔で返されて終わる」
「言いそう」
「絶対に言いますわね」
ハイセとピアソラがほぼ同時に答えた。
アーネストも静かに頷く。
「しかも、とても綺麗な笑顔でね」
四人の間へ重苦しい沈黙が落ちた。
その沈黙だけで、彼らが過去に何を経験したのかは十分すぎるほど伝わってくる。
「では次は僕かな」
アーネストがカップをソーサーへ戻した。
「僕の場合、彼女と交渉した直後は、いつもこちらも何かを得たような気になるんだ」
「分かる」
「だろう?」
「でも次の日くらいに資料を見返すと」
アーネストはそこで一度だけ遠い目をした。
「何故か彼女の方が、こちらの三倍くらい得をしている」
「それ普通に交渉負けてんじゃねえか」
「分かっているから困っているんだよ、ディルク」
普段ならどのような場でも社交的な笑みを崩さないアーネストが、僅かに疲れた表情を見せている。それだけで、クローディアという存在の恐ろしさがよく分かった。
「次、ピアソラ」
「ええ」
指名されたピアソラは少し考えてから、ティーカップを置いた。
「私は、あの方の『本人に選ばせたように見せながら、最初から選択肢を整えている』ところが好きではありませんわ」
ハイセが瞬きをした。
「……あれ?」
「何ですの?」
「それ、俺の戦い方と似てない?」
一瞬。
全員の視線がハイセへ集まった。
ディルクが半眼になる。
「お前も大概だぞ」
「えっ」
「戦闘では尊敬しておりますわよ」
ピアソラも真顔で続ける。
「ですが、日常生活で同じことをされたら嫌ですわ」
「先生に対して酷くない?」
「先生だからこそ率直に申し上げております」
先日の訓練以来、どうやらピアソラの中でハイセは正式に「戦術の先生」になってしまったらしい。
ディルクが呆れたように鼻を鳴らす。
「つーか、お前の場合は戦闘以外でも割とやってるだろ」
「俺、そんなに?」
「研究計画を持ってくる時、最初から『やらない』って選択肢消してる時あるよね」
アーネストまで穏やかに追撃した。
「……ごめんなさい」
被害者の会を主催した本人が、開始十分で加害者側へ片足を突っ込んだ。
それでも気を取り直したハイセは、自分の番だと言わんばかりに姿勢を正す。
「俺だって色々あるよ。気付いたら広告塔みたいになってたし、空中城の話でも宣伝に使われたし、ダンジョン攻略して帰ってきたら制度の話がどんどん大きくなってたし」
「半分くらいお前自身が勝手にデカくしてんだろ」
ディルクの指摘があまりにも正しかったので、ハイセは反論しようとして一度口を開き、そのまま閉じた。
「……それは否定できない」
「できねえのかよ」
「だって面白そうだったから」
「研究者ってやつは本当に……」
ディルクが頭を抱えた、その時だった。
「……学園単位の被害報告も、受け付けてもらえるのだろうな?」
個室の入口から聞こえた声に、四人が揃って振り返る。
そこに立っていたのは、アルルカント・アカデミーの生徒会長――左近洲馬だった。
「左近?」
「何故私の名前を疑問形で呼ぶ」
「いや、来ると思ってなかったから」
「こちらとしては、むしろ呼ばれなかったことに疑問がある」
左近はそう言いながら空いている椅子へ腰掛けると、ハイセが掲げていた紙へ一度だけ視線を向けた。
「クローディア・エンフィールドに関する被害者の会なのだろう?」
「はい」
「なら、アルルカントにも発言権はある」
「何かありましたっけ?」
ハイセが首を傾げると、左近の目が僅かに細くなった。
「お前がアスタリスクへ来るより前の話だ」
その一言で、ディルクとアーネストには何か心当たりがあったらしい。
「ああ」
「なるほどね」
二人が納得する中、ハイセとピアソラだけが話を待つ。
「星導館に、サイラス・ノーマンという生徒がいた」
「名前は聞いたことある」
「彼がある事件で多数の擬形体を使用した。その出所が、アルルカントだった」
左近はそこで、一度だけ深く息を吐いた。
「正確には、ある研究者が提供した」
個室の扉が、勢いよく開いた。
「呼んだ?」
何故か絶妙なタイミングで現れたのはエルネスタだった。
その後ろには、既に嫌な予感しかしないという顔をしたカミラも立っている。
「呼んでいない」
左近が即答する。
「えー」
「だが丁度いい。座れ」
「何か怒ってる?」
「昔の話をしているだけだ」
エルネスタが何の警戒もせず椅子へ座り、その隣へカミラが額へ手を当てながら腰を下ろしたところで、左近は説明を再開した。
「サイラスへ擬形体を渡したのは誰だ?」
「私♪」
即答。
「性能試験も兼ねて利用したのは?」
「私♪」
「その事件の結果、アルルカント側が星導館との新型煌式武装共同開発や技術提供を含む話へ応じることになった原因は?」
そこで初めてエルネスタが少し考えた。
「…………私?」
「今さら疑問形にするな」
左近の声が低くなる。
「いやあ、でも面白いデータ取れたし?」
「そういう問題ではない」
カミラが左近と完全に同じタイミングで言った。
二人は一瞬だけ互いを見る。
そして、何も言わず頷き合った。
妙なところで強固な同盟が成立してしまった。
「私はあの頃から何度も言っているんだ。エルネスタの研究欲には歯止めをかけろと」
「カミラだってアルディとかリムシィ作るの楽しそうだったじゃん」
「それとこれは別問題だ!」
左近はこめかみを押さえながら続ける。
「しかも、事件後の交渉を担当した相手がクローディア・エンフィールドだ」
ディルクが顔をしかめた。
「ああ、それは駄目だ」
「何が駄目なんですの?」
「火事起こした後の保険交渉を、保険会社側の一番頭回る奴に任せるようなもんだ」
「例えは雑ですが、意味は分かりますわ」
左近も否定しなかった。
「星導館側は、こちらに明確な落ち度がある状況を最大限利用した。もちろん、交渉としては当然だ。彼女が悪いとは言わない」
「お?」
ハイセが意外そうな顔をする。
「被害者の会なのに擁護するんだ」
「事実は事実だ。だが」
左近は一拍置いて、重々しく続けた。
「それはそれとして、非常に有利な条件を引き出された」
「やっぱ被害者じゃん」
「そして、その原因を作った人間が隣にいる」
全員の視線がエルネスタへ向く。
「えへ」
「笑うな」
カミラの拳がエルネスタの頭へ軽く落ちた。
「痛っ!」
その様子を見ながら、ハイセがしみじみと呟く。
「昔から変わってないんだね、エルネスタ」
「何が?」
「面白そうだからやる」
「研究者として当然だよ!」
「今のお前が言うと説得力があるな」
カミラが妙に冷たい目でハイセを見る。
「え?」
左近もハイセへ視線を移した。
「昔はエルネスタ一人の後始末で済んでいたのだがな」
「どういう意味!?」
「今はお前もいる」
「俺まで!?」
「実際、異世界との技術交流、エネルギー、武装規格、人工歌姫、王冠、雛形、その他諸々。お前が関与して規模が大きくならなかった案件がいくつある?」
ハイセは黙った。
指を折って数えようとした。
一つ。
二つ。
そして数秒後。
「……ないかも」
「だろうな」
「ハイセ」
カミラが肩へ手を置く。
「お前は明確にこちら側だ」
「どちら側!?」
「後始末される側」
「嫌だよそんな分類!」
エルネスタが楽しそうに手を挙げる。
「ようこそ!」
「入りたくない!」
ディルクが盛大にため息を吐いた。
「お前ら、被害者の会じゃなくて加害者の会始めろよ」
「俺、最初は被害者だったのに!」
「世の中、立場は変わるもんだ」
「嫌な成長を感じる!」
そんな騒ぎがひとしきり続いたところで。
「まあ」
背後から、聞き覚えのある柔らかな声がした。
「随分と楽しそうなお集まりですわね?」
全員の動きが止まった。
ゆっくりと。
本当にゆっくりと振り返る。
そこには、完璧な笑顔を浮かべたクローディア・エンフィールドが立っていた。
「…………いつから?」
ハイセが恐る恐る尋ねる。
「そうですわね」
クローディアは頬へ指を当て、少し考える仕草をする。
「『第一回』の辺りからでしょうか」
「最初からじゃん!!」
ハイセの悲鳴が個室へ響いた。
ディルクは露骨に顔をしかめ、アーネストは額へ手を当て、ピアソラは無言で紅茶を飲み、左近に至っては既に諦めたような顔をしている。
それでもクローディアは一切気にせず、空いている席へ優雅に腰掛けた。
「それで? 私の被害者の会でしたかしら?」
「帰れ」
ディルクが即答する。
「まあ。主役を追い出すなんて酷いですわ」
「君は主役ではなく加害者側だよ、クローディア」
アーネストまで珍しく容赦がない。
しかしクローディアは胸へ手を当て、心外だと言わんばかりの表情を作った。
「私はいつも皆様に、最善と思われる選択肢をご提案しているだけですのに」
「それですわ!!!」
ピアソラが思わず身を乗り出した。
「どうなさいました?」
「今まさに話していたところですわ! その『選ばせているように見せながら盤面を整えている』ところが問題なのです!」
「でも最終的に選んでいるのは皆様でしょう?」
「反論しづらい言い方をするな!」
ハイセまで加勢する。
クローディアはそんな彼を見て、楽しそうに首を傾げた。
「ハイセさんも似たようなことを戦闘でなさっていると伺いましたけれど」
「…………」
「先生?」
ピアソラが横を見る。
「俺、今日帰っていい?」
「主催者だろうが」
ディルクの一言で逃亡は阻止された。
結局その日の【クローディア・エンフィールド嬢、被害者の会】は、本人が最後まで参加し、何故か途中からエルネスタとハイセまで被告席へ並べられ、第一回にして誰が被害者なのか分からなくなるという、非常に有意義なのか無意味なのか判断に困る結果で閉会した。
なお。
「次回も楽しみにしておりますわ」
というクローディアの一言により、第二回の開催は全会一致で却下された。
◇
その翌日。
ハイセがアルルカントの廊下を歩いていると、少し先に見覚えのある二人組を見つけた。
サーシャとピアソラだった。
特別に距離が近いわけではない。
手を繋いでいるわけでもない。
ただ、二人でベンチへ腰掛け、それぞれ飲み物を手にして話している。
「これ、お前のだろ」
サーシャが自分の隣へ置いていたカップをピアソラへ差し出す。
「ありがとうございます」
「別に」
「私が何を飲むか、覚えていらしたのですね」
「何年一緒にいると思ってる」
「まあ」
「何だよ」
「いえ。少し嬉しかっただけですわ」
「……そうか」
サーシャが僅かに顔を逸らした。
ピアソラは笑っている。
まだ恋人ではない。
だからといって、以前と同じでもない。
互いを知り直すための時間を、二人なりの速度で始めている。
「進展してるねえ」
いつの間にかハイセの隣へ立っていたリューネハイムが、小声で囁いた。
「びっくりした」
「ダブルデートできる日も近そうね」
「気が早いって」
「昨日の私より?」
「昨日何したの?」
「新婚旅行の候補を三つに絞ったわ」
「俺たちもまだ結婚してないよね!?」
思わず声が大きくなった。
そのせいでサーシャとピアソラがこちらへ気付く。
ハイセは一瞬だけ気まずそうに目を逸らしかけた。
けれど。
「……ハイセ」
先に呼んだのはサーシャだった。
「ん?」
数秒だけ。
互いに言葉を探す。
以前なら。
この沈黙には、後悔や怒りや執着が詰まっていた。
今は。
少し気まずいだけだった。
「……久しぶり」
ハイセが言った。
「数日しか経ってないだろ」
サーシャが呆れたように返す。
「いや、こういう普通の感じが久しぶりかなって」
「……ああ」
サーシャも、その意味を理解したらしい。
僅かに笑う。
「そうかもな」
それだけだった。
謝罪もない。
改めて過去を振り返ることもしない。
もう必要なことは、互いに言った。
これからは。
昔の幼馴染へ戻るのではなく。
今の二人として、必要ならまた話せばいい。
「じゃあ、またね」
「ああ。またな」
ハイセとリューネハイムが歩き出す。
数歩進んだところで。
「ハイセ!」
サーシャが呼んだ。
振り返る。
「リューネハイムを泣かせるなよ!」
ハイセが目を丸くする。
隣ではリューネハイムが嬉しそうに笑っていた。
「……努力します」
「何で自信なさそうなんだ」
「相手がこの人だから!」
「どういう意味かしら?」
「ウェディングドレス二着発注した人の意味だよ!」
リューネハイムが微笑む。
「安心して。三着目も決まったから」
「増えた!?」
サーシャが吹き出した。
本当に。
久しぶりだった。
ハイセと話して。
普通に笑えたのは。
◇
同日の夕方。
アルルカントの一室では、また別の会議が行われていた。
円卓を囲んでいるのは、カミラ、エルネスタ、ハイセ、ディルク、ヒルダ。
本来なら、これが俗に言う【悪巧み五人集】である。
ただし。
「では、次の議題だけれど」
リューネハイムが普通に資料を開いた。
ハイセが隣を見る。
「……何でいるの?」
「恋人だから♪」
「理由になってないよ!」
エルネスタが楽しそうに手を挙げる。
「もうリューネハイムもレギュラーでよくない?」
「よくない」
カミラが即答する。
ヒルダは顎へ手を当てた。
「悪巧み五人集から、悪巧み六人集か」
「名称を正式化しようとするな!」
「人数が変われば名称変更は合理的だろう」
「そもそも合理性の問題じゃない!」
ディルクは資料を読みながら顔すら上げない。
「もう六人集でいいだろ。こいつ、どうせ毎回来るぞ」
「ディルク!?」
「事実だろ」
ハイセは助けを求めるようにカミラを見る。
「カミラ!」
「私は反対だ」
「やった!」
「ただし理由は、お前とエルネスタだけでも十分面倒だからだ」
「方向が違った!」
リューネハイムは楽しそうに笑いながらハイセの腕へ身体を寄せた。
「大丈夫よ。私はあなたの味方だから」
「この場で一番信用しちゃいけない言い方!」
「酷いわ」
「じゃあ聞くけど、さっきから開いてるそのページ何?」
「式場候補よ」
「会議に持ってくる資料じゃない!」
ヒルダが興味深そうに覗き込む。
「ほう。天然と人工の歌姫同士の婚姻が能力へ与える影響については興味があるな」
「研究対象にするな!!」
「長期観察が必要だ」
「俺の結婚生活を研究計画に組み込むな!」
「では共同研究ということで」
「誰と!?」
「私と」
「もっと嫌だよ!」
エルネスタが笑いながら手を叩き、ディルクは完全に聞くことを諦め、カミラは頭痛を堪えるように目を閉じる。
そんな光景を見ながら。
ハイセはふと。
少しだけ笑った。
騒がしい。
本当に。
どうしてこうなったのかと思うくらい、騒がしい。
それでも。
嫌ではなかった。
◇
その日の夜。
全ての用事を終えたハイセは、一人で建物の屋上へ出ていた。
眼下にはアスタリスクの街明かりが広がり、少し離れた場所では、まだ営業を続けている店の看板や交通路の光が幾重にも交差している。
ここへ来た頃。
自分がこの街でこんな景色を見ることになるとは思っていなかった。
弱かった頃。
セイクリッドを追放された頃。
ただ強くなることだけを考え、何かを選ぶ余裕さえなかった頃。
自分に与えられた道を歩き。
奪われたなら。
別の道を探すしかなかった。
けれど今は違う。
研究する場所がある。
歌う場所がある。
時々なら、冒険者として戻る場所もある。
仲間がいる。
自分を必要としてくれる人がいる。
そして。
隣にいてほしいと、自分から願った人もいる。
「……悪くないな」
「何が?」
背後から声が聞こえた。
振り返らなくても分かる。
リューネハイムだった。
「いつからいたの?」
「『悪くないな』の少し前」
「今日はみんな盗み聞きする日なの?」
「偶然よ」
リューネハイムは笑いながら隣へ並ぶ。
二人で街を見下ろす。
「それで?」
「ん?」
「何が悪くないの?」
ハイセは少し考える。
答えは、もう決まっていた。
「今の俺の人生」
リューネハイムは何も言わなかった。
ただ。
嬉しそうに目を細めた。
「そう」
そして。
そっとハイセの手を握る。
「なら、もっと良くしていきましょう」
「……うん」
今度は。
ハイセからも握り返す。
過去を消す必要はない。
弱かった自分も。
追放された自分も。
冒険者として戦った自分も。
研究者になった自分も。
歌う自分も。
全部。
ここまで歩いてきた自分自身だった。
その全てを持ったまま。
次へ進めばいい。
「ところで」
リューネハイムが口を開く。
「ん?」
「ウェディングドレス、四着目も素敵なのを見つけたの」
「何で増えてるの!?」
「だって全部似合いそうなんですもの」
「二着でも多いって言ったよね!?」
「お色直しがあるでしょう?」
「何回する気!?」
静かだった屋上に、ハイセの声が響き渡る。
リューネハイムは楽しそうに笑うばかりだった。
世界は変わった。
二つの世界が交わり、人も、技術も、制度も、少しずつ新しい形へ進み始めている。
ハイセ自身もまた。
誰かに決められた未来ではなく、自分が選んだ場所で、自分が選んだ人生を歩き始めた。
研究者として。
アイドルとして。
時々、冒険者として。
そして、一人の人間として。
未来はまだ決まっていない。
だからこそ。
これからいくらでも選んでいける。
「ハイセ」
「何?」
「新婚旅行、宇宙と異世界ならどちらがいい?」
「結婚式の前に新婚旅行の規模がおかしいよ!」
――もっとも。
世界がどれほど平和になろうとも。
彼女たちの恋愛事情だけは。
これからも、しばらく騒がしいままらしい。
第三章 完