無職転生 異世界行ったら妄想を本気で再現する! 作:ぐちロイド
痛みを伴う『覚醒』の試みは、ことごとく惨敗に終わった。
(くそっ……! なんでどいつもこいつも、無駄に目ざといんだ……!)
俺、アレン・グレイラットは、自室の床を転がりながら心の中で盛大に毒づいていた。
あの昼下がり、双子の兄であるルーデウスが椅子から転落し、母ゼニスの『ヒーリング』によって一瞬で治癒された光景。あの時に感じた「魔力という現象」の余韻を忘れないうちに、俺自身も怪我をしてゼニスに回復魔法をかけてもらおうと試みたのだ。
他人の魔力が自分の体内を駆け巡る感覚——それさえ直接味わえれば、体内にあるはずの自分の魔力を感知する大きな手がかりになる。そう確信していた。
だから俺は、わざと怪我をしようと計画を実行に移した。
最初は、テーブルの角に自ら勢いよくおでこをぶつけようとした。だが、目ざとく察知したメイドのリーリャに「あらあらアレン様、危ないですよ」と間一髪で抱き上げられ失敗。
次に、階段の最上段から転がり落ちるフリをしようとした。しかし、ちょうど通りかかった父親のパウロに「おっと、危ねえ! アレン、足元に気をつけろよ」とひょいと首ねっこを掴まれて未遂。
さらに後日、庭のちょっとした段差から派手にダイブしてみせたのだが、すかさずゼニスに飛んできて抱き止められ、「まあ! アレンったら、お兄ちゃんに似ておてんばなんだから」と優しく撫で回されて終了。
ことごとく、大人たちの過剰なまでの警戒網に阻まれ、かすり傷一つ作ることすら叶わなかったのだ。
(ちくしょう、前世のアクション訓練で培った受け身の技術(自傷用)が、まったく活かせねぇ……!)
あまりの過保護ぶりに辟易しながらも、俺は別の収穫(?)を得ていた。
ある日、ゼニスやリーリャに抱き上げられているルーデウスの顔をふと横から見たときのことだ。
あいつは母親たちの豊かな胸に顔を埋めながら、とろけたような、あまりにも鼻の下を伸ばした「ド変態の顔」を浮かべていた。およそ生後半年や1年の赤ん坊が見せていい表情ではない。パウロが女を見る時のスケベな顔にそっくりだった。
(……待てよ。パウロに似たスケベ顔だと思ってたが、あいつのあの眼光、あの思考に沈むような独特の間……。まさかコイツ……俺と同じで転生者で『中身が変態の転生者』か……?)
確証はない。だが、前世オタクだった俺の勘がそう告げていた。
とはいえ、わざわざ「お前も転生者か?」なんて聞くつもりは毛頭なかった。自分が前世でノートに書き殴った黒歴史術式『星焔の創世宮(せいえんのそうせいきゅう)』を大真面目に再現しようとしている痛い妄想オタクだなんて、絶対にバレたくないからだ。お互いに知らぬフリをしておくのが一番平和だろう。
自傷作戦が失敗続きに終わった俺は、泥臭い力技を諦め、素直に別の方法を探すことに切り替えた。
◇
それから、さらに時が流れた。
ハイハイの時期を過ぎ、俺とルーデウスは二足歩行でしっかりと歩けるようになった。
足腰が定まり、行動範囲が一気に広がったことで、俺の『探索』は次の段階へと移行する。
狙うは、今まで赤ん坊の短い脚では到達できなかった「2階」だ。
両親やリーリャの目を盗み、俺は静かに木造の階段を一段ずつ登った。
前世で鍛えた身体感覚の残滓(ざんし)のおかげか、重心の置き方や足音を殺す歩き方は、この小さな身体でも意外なほど上手く再現できる。
トントン、と音を立てずに2階へと辿り着く。廊下の奥にある部屋をいくつか覗き込み、俺はある部屋の棚に整然と並べられた書物——5冊の本を発見した。
(あった……! 本だ!)
胸を踊らせながら、俺はそのうちの一冊を手にとった。
文字や言葉に関しては、この世界に転生した直後から、ゼニスやパウロの会話を聞いたり見たりしているうちに、何の問題もなく理解できていた。前世の記憶を持った脳のスペックのおかげか、言語の構造がスッと頭に入ってきたのだ。
棚にあった5冊の本。歴史書のようなものや地理の記録もあったが、俺の目を奪ったのはただ一冊だけだった。
その本の題名は——『魔術教本』。
(これだ……! 俺がずっと探していたのは、これだよ!)
俺は床に座り込み、ページを貪るようにめくり始めた。
そこに記されていた内容は、俺がこれまで疑問に思っていた「魔法の基本」をあまりにも明快に提示してくれていた。
教本によると、この世界の魔術は大きく分けて『3種類』しかないらしい。
1.攻撃魔術:相手を攻撃する
2.治癒魔術:相手を癒す
3.召喚魔術:何かを呼び出す
(……この3つだけ。まんまだな。シンプルで分かりやすい)
さらにページを読み進めると、もっとも重要な「魔力を使用する方法」について書かれていた。
魔力を行使する手段は、主に2種類。
・自分の体内にある魔力を使う。
・魔力の篭った物質(魔導石など)から引き出す。
(自分の体内にある魔力……! やっぱりあったんだ!)
自傷作戦なんかをしなくても、ここにすべての答えが書いてあった。
俺は逸る心を抑えきれず、教本に載っていた初級レベルの水の魔術のページを開き、その詠唱を小声で口にした。右手を前に突き出し、意識を集中させる。
「汝の求める所に大いなる水の加護あらん、清涼なるせせらぎの流れを今ここに——『ウォーターボール』!」
その瞬間だった。
(っ……!?)
「っと!」
思わず声が漏れた。
右手に、ぶわっと温かい熱が集中していく強烈な感覚があった。まるで、体内の血液が一気に右手の掌へと押し流されて集まっていくような、生々しいエネルギーの移動感!
ずわっと押し出された血液のような感触が右手の先で結実し——そこに、こぶし大の綺麗な『水弾』が形成された。
(できた……! 魔法だ! 俺の魔力だ!)
あまりの感動に鳥肌が立ち、胸が大きく高鳴った。
だが、感動した次の瞬間。
——バチャリ!
水弾は形を維持できなくなり、そのまま床の上にぼとりと落ちて、木目のある床をバシャリと濡らした。
(あ……)
教本の記述によれば、この魔術は生成した水の弾が前方へと飛んでいくはずだった。しかし、俺の放った水弾はその場で破裂するように落ちてしまったのだ。
(集中力が切れたからか……? 魔法を放ったという感動で意識が逸れた瞬間、魔力の供給が途絶えて形が崩れたんだな。魔術を維持して飛ばすには、最後の瞬間まで魔力の密度と方向性をコントロールし続ける『集中力』が必要なんだ)
問題点と改善策が、即座に頭の中でクリアに組み上がる。
何より——これで「体内にある魔力」の感触と引き出し方は完全に理解できた!
(勝った……! ついに……ついに掴んだぞ!)
前世でオタクだった俺がノートに書き殴った、あの最強の妄想術式『星焔の創世宮(せいえんのそうせいきゅう)』。
天上の星々の輝きを「炎」として引き落とし、周囲の物質を依り代にして強固な武装や四種の星獣を錬成する、憧れの力。
これまではただの「イタい妄想」でしかなかったものが、この手の中にある魔力という万能のエネルギーを得たことで、ついに実体化への『スタートライン』に立つことができたのだ!
(喜びはこのくらいにしておこう。この感覚が残っているうちに、他の属性も試しておかないと!)
俺は高鳴る鼓動を抑えながら、すぐさま別の属性の練習へと移った。
まずは基本の『火』。
手元に意識を集中し、小さな炎をイメージする。ポッと、掌の上に小さな火種が灯る。火傷はしない。自分の魔力でできた炎は、自分の意志に従っていた。
次は『土』。
魔術教本の記述通りに魔力を練ると、床の上に小さな土の塊が生成された。これこそが将来、我が術式『星屑の錬成(スターダスト・フォージ)』において武器や眷属の「依り代(核)」となる重要な要素だ。
続いて『雷』、そして『風』。
すべての属性の「玉」を手に生み出すことに成功した。
(すごい……すんなりできる! イメージさえできれば、魔力は思った通りに形を変えてくれるんだ!)
特に俺の興味を惹いたのは『風』の属性だった。
生成した風の玉を崩し、手のひらの上で小さな旋風として転がしてみる。
(風は気体だ。形がない分、魔力で押し止め、指向性を持たせる操作の練習にうってつけだぞ……!)
俺は風の玉から生じる微風を指先で操り、右から左へ、螺旋を描くように緻密に魔力を動かす練習を始めた。
前世で刀や矛を振るう際、指先や手首の微細なスナップに神経を集中させた感覚。あのアクション訓練の時の集中力をそのまま魔術のコントロールへと流し込んでいく。
くるくると、掌の上で風が美しい渦を描く。面白くてたまらなかった。
(これなら……近接戦闘で武器を錬成しながら、同時に風の圧力で相手の体勢を崩すような連携も……!)
夢中になって魔力を操作し、試行錯誤を繰り返していた。
時間にして、およそ10分ほどが過ぎた頃だったろうか。
不意に、視界がぐらりと大きく揺れた。
(え……?)
頭の奥が、冷たい刃物で刺されたように激しく痛む。
急速に全身から力が抜け、指一本動かすことすらできなくなった。目の前が真っ暗になり、体温がサーッと下がっていくような強烈な悪寒。
(ヤバい……魔力、使いすぎた……!? これが、魔力切れの……)
思考が途切れ、俺はそのまま床へと崩れ落ちた。
◇
「……れん、アレン。起きなさい、アレン」
優しい声と、体を揺すられる感覚で、俺はゆっくりと目を覚ました。
「ん……ぅ……」
重い瞼を開けると、目の前にゼニスの心配そうな顔があった。
俺は自分のベッドの上で寝かされていた。部屋の窓から差し込む光の角度が変わっている。どうやら、気絶してから結構な時間が経っていたらしい。
頭に重い痛みが残っていたが、不快な寒気は引いていた。
ふと横を見ると、もう一つのベッドで、ルーデウスがぐっすりと眠っていた。その横には、泥のように汚れた『魔術教本』が転がっている。
(あいつ……ルーデウスも本を読んでたのか?)
俺がルーデウスに視線を向けていると、ゼニスが困ったような、しかし微笑ましそうな溜息をつきながら俺の額を優しく撫でてくれた。
「もう、二人揃ってどうしたのかしらねぇ。ルーデウスったら、2階で本を読んでいるうちに寝落ちしちゃって……お漏らしまでしちゃったのよ?」
「……あぅ?(お漏らし?)」
俺は思わずルーデウスを見た。
あの中身変態疑惑のある兄貴が、本を読みながら寝落ちしてお漏らし。……格好悪すぎるだろ。
だが、ゼニスの視線が次に俺へと向けられた。
「アレンもよ? ルーデウスの隣で床に倒れて寝ていたんだから。いくらお兄ちゃんの真似をして本が見たかったからって、2階の床で寝ちゃダメでしょ? 寒かったでしょうに」
(あ……俺も『本を読んでて寝落ちした』と思われてるのか)
どうやら、気絶した俺を見つけた大人たちが、ルーデウスと一緒にベッドまで運んでくれたらしい。俺がお漏らしまでしていたかは怖くて確認したくなかったが、ゼニスが服を着替えさせてくれた様子はないので、なんとか尊厳は保たれたらしい。良かった……本当に良かった……。
ゼニスは俺の布団を丁寧にかけ直すと、母親の優しい笑顔で言った。
「眠くなったら、ちゃんとベッドで寝なさいね。約束よ、アレン」
「……あぅ(はい……)」
俺は小さく頷いた。
ゼニスが部屋を出ていき、静かになった室内。
俺は自分の右手を持ち上げ、じっと掌を見つめた。
魔力切れの頭痛はまだ残っている。だが、胸の中には消えることのない熱い炎が灯っていた。
(魔力切れで気絶……か。赤ん坊の肉体だから、保持できる魔術の絶対量が圧倒的に少ないんだ。だが、使えば使うほど容量が増えるなら、毎日限界まで鍛えればいい)
横でスースーと寝息を立てているルーデウスを一瞥し、俺は再び目を閉じた。
(待ってろよ、前世の俺。お前がノートに描いた『星焔の創世宮』は、この異世界で、俺が絶対に完成させてやる……!)
今度こそ心地よい本物の眠気が訪れ、俺は静かに意識を落としていった。