吾輩は本である。 ~狐耳少女と行く、コミュニケーション縛りの冒険譚~ 作:鏡路の一般兵(喰い断Ⅸ)
「ハァアアアッ!!!」
ルシアンを逃がしたタマモが最初に取った行動は跳躍。
巨大なサイクロプスの頭への攻撃を可能とするレベルの脚力をもってしての大ジャンプだった。
そして、そのまま高さを生かし、遠巻きに周囲を囲んで石を投げていたゴブリンたちへとお返しとばかりに次々と投石を行う。
「ギギッーーー」
「ギーーーーー!!!」
「ギッーーーーー!!」
その投石は反撃の手段としては極めて単純なものであったものの、タマモのファンタジー世界特有の身体能力と高さを生かした攻撃はゴブリンの群れへと一方的に突き刺さり、容易に石の直撃したゴブリンを昏倒させる。
とはいってもゴブリンは多勢であり、また同時に投石の命中率も百発百中とは言えない。上がった悲鳴の多さからそれなりの数にダメージを与えたようだが、あくまでその効果は現敵的なものであった。
「全然減らない……。逃げもしないということは、やっぱりこの近くにそれなりに高位の変異種もいるってことか……」
タマモの表情は険しい。
それが多数のゴブリンと対峙しているからなのか、高位の変異種の存在を察知した事によるものなのかは分からないが、どちらにせよ今が良い状態ではないのは変わらない。
ブレトンの村ではより大型で凶悪そうな魔物と戦っていたとはいえ、数というのはそれだけで脅威だ。
ブレトンの人々が協力して大型の魔物を狩るように、ゴブリンが協力して戦えば如何に並外れた身体能力を持っていても不覚を取りかねない。
故に、ここで吾輩はどんな行動を取るべきなのかを考えていると、タマモが戦闘の邪魔にならないようにするためか、吾輩の入ったポシェットを地面に置く。
「ごめん。クロちゃん、ちょっと激しく動くから落とさない自信がない。あと、あーしに踏まれないように気を付けて」
なるほど確かに。
タマモが全力で動けば別に固定されているわけでもない吾輩は容易に落ちてしまうし、戦闘中にポシェットの紐を掴まれるような事態があれば大惨事だ。
可能な限り身軽にして、動きやすい状態を作るのは当然ともいえる。
だが、これにより吾輩にも取れる選択肢が増えた。
タマモのポシェットに入っている必要が無いのであれば、吾輩は先日のように源影に魔力を込めて巨大化させることができる。
勿論、吾輩の本体は「本」であるので別にこの源影に拘る必要はないのだが、源影の方が本体であると思われている以上、それに沿った行動を行うべきというのが今の判断だ。
突然吾輩がこの場から消えればそれが原因でタマモを混乱させる可能性があるし、その隙を付かれる自体は避けたい。
そう言った意味で、源影を地面に置かれた現在の状況は好ましいと言える。
故に吾輩(源影)は手を大きく広げながら背伸びをするような動作を繰り返し、この意図を伝えようとする。
「ん……? ああ、この間みたいに大きくなろうかって?」
幸い、巨大な源影を生み出したのはつい先日の事だけあってか速やかに意図が通じたので、コクコクと頷く。
吾輩が協力しようとする意思を見せたのが嬉しかったのか、タマモは眉間に皺を寄せ、険しくしていた表情を緩める。
「気持ちは嬉しいけど、今はやめて欲しいかな。そうすると、直ぐに逃げられちゃう。あーしが1人でいるうちに数を減らしておかないと」
しかし、返された答えは否。
いきなり巨大な源影が現れたらゴブリンの群れに逃げられてしまう、数を減らせなくなるという事を理由とした、言われてみると当然な否定の言葉だった。
なるほど確かに。
一体何匹いるかも分からないゴブリンがこの状況で離散すれば、ノーザンヒルの街以外にも拡散するのは自明の理だ。
討伐隊を送るとしても、森の中での戦いはゴブリンが有利。
全力で逃げに回られるだけで討伐が困難になることは予想出来てしまう以上、タマモが獲物として見られているこの瞬間。
ゴブリンが攻め手となっている状態こそが数を減らす好機であるという考えは、魔物の脅威が隣にある世界の住民の考えとして、とても納得のいくものだ。
「だから、もし、あーしがヤバそうになったら、大きくなるのはその時にお願いしていい?」
故に、ポシェットから出た吾輩はタマモの答えに「任せろ!」と強く頷き、源影にポシェットを抱えると彼女の邪魔にならないよう、速やかにその場を離れさせる。
ゴブリンたちに盗まれないようにどこかの石か、木の陰あたりに置こうと周囲を見回す。
そんな吾輩の姿が目に入ったのか、包囲を行おうとしていた投石ゴブリンの一部がこちらを指さしながら、ギャッギャッと騒いでいる。
タマモはそれに気が付いていない……いや、気が付いたとしてもそれを脅威だと思っていない。
彼女にとっての吾輩……クロちゃんとは源影の方であり、本のほうはあくまでも吾輩が手渡しただけの付属品。
正体不明の生き物から渡された本ということもあり、それをお偉い先生に聴くために持ち運んでいるが、逆に言えば「その程度」の代物。
ゴブリンとの戦闘の中で多少破損したり、汚れたりすることがあっても重要事態にはなりえない。
恐らくは吾輩が危なくなったら勝手になんとかするか逃げてくれるでしょぐらいに気楽に考えている。
実際、彼女は武器屋で新調したばかりの剣を握りしめ、吾輩には構わず正面から武器持ちゴブリンの群れへと突っ込んでいく。
つまり、ここで吾輩がゴブリンの玩具にならないためには、自分で問題を解決しなくてはならない。
吾輩に生体としての器官は存在しないはずなのに、ゴクリと、息を飲んだ気がした。
多少は訝しみながらであり、直接的な殺意を向けられているわけではないとはいえ、こちらに向けて近づいてくる明確な敵対者。
醜悪な見た目をしているとはいえ、間違いなく意思を持つソレと対峙するというのは、思いのほか精神的な嫌悪感がある。
例えるなら、キャンキャンと吠えながら近づいてくる野良犬や野良猫が相手であっても、シッシッと腕を払う程度で済ませたい。
蹴り飛ばして追い払うなどできるわけもない。
元人間としての一般常識として、あるいは元世界で学んだ順法意識としてか、どうしても自分から仕掛け、踏み込もうと思えないのだ。
しかし、そうして踏み込めないままでいると、吾輩にとって望ましくない未来がやってきてしまうのは明らかである。
大丈夫、元から最悪の場合はそうするつもりだったんだ。
吾輩はそう覚悟を決めると、一歩、また一歩と警戒をしながら近づいてくるゴブリンの姿を確認しながら距離を測る。
洞窟の中で散々練習をしたように狙いを定め、間違ってもタマモや吾輩自身を巻き込まないように今の吾輩が使える唯一の攻撃手段……仮称「消滅魔法」を準備する。
実際には対象を消滅させるわけではなく、影空間へと対象を送り込んでいるだけのこの術式。
吾輩の安全を確保するだけであれば、吾輩(本体)をそちらに移動させればすむ話だが、そうすると外部への干渉ができなくなることは今までの検証で把握済み。
この場をタマモ一人に任せることなどやりたくないし、こうして僅かであってもゴブリンを引き寄せる事が支援になるのなら、吾輩だけが安全地帯でのほほんとするようなことはできない。
勿論、吾輩(本体)は影空間においたまま、通常空間にいる吾輩(源影)から魔法を使うという案もあるが、これはこれでリスクが大きい。
何故ならば、仮称「消滅魔法」でゴブリンの全身を影空間に送り付ければそちらの吾輩は無防備になるし、ゴブリンの一部を影空間に送り付ければ、その部位から発生する「出血」によるページの汚染リスクもある。
影空間の中では源影が塗りつぶされてしまうが故に移動できない以上、ゴブリンの血で吾輩(本体)が汚染される可能性を排除しながらタマモを援護するには、こちらで戦うという選択しかないわけだ。
「ギャッギャイ?」
「ギャー?」
「ギャヤヤー」
ともかく、戦うしかない現状を改めて確認した吾輩は、騒ぎながら歩み寄るゴブリンの様子を改めて確認する。
現在近づいてきているのは凡そ10匹、全体の数からすれば大したことはないが、それでもかなりの数である。
仮称「消滅魔法」の射程は凡そ吾輩(本体)から数えて最大5m、効果範囲は最大でも凡そ直系2mの空間程度であるため、どう考えてもゴブリンの集団全てを巻き込むことはできない。
しかし、ゴブリンに近づかれ過ぎても自分を巻き込んでしまう恐れもあるという厄介な状態だ。
故に、吾輩(本体)は吾輩(源影)を動かして、鞄の下から身を乗り出してゴブリンの前へとこっちこっちとばかりに身を晒す。
「ギャッ!?」
「ギャギャッ!?」
とてとてと、速度を出さず、ゴブリンたちの興味を引くようにゆっくりと歩く。
不審な吾輩(源影)に対して彼らは石を投げて何物なのかを確認してくるが、当然、端末として操っているだけの源影には何の痛痒ももたらさない。
「ギャギャギャーーー!!!」
目を丸くし、完全に興味の対象が
吾輩はこの場で現在取れる唯一の攻撃手段、仮称「消滅魔法」をぶっぱなす!
「ギャ゛ヤ゛!?」
すると、音もなく、源影へと手を伸ばしてきていたゴブリンの腕先や足先が消滅し、ボタボタと血が滴る。それから一瞬遅れ、吾輩へともっとも近づいていたゴブリンの下半身がドサりと音を立てて崩れ落ちた。
その瞬間、何か取返しの付かないことをしたような。
やってしまった。
命を奪ってしまったというような感覚が全身を駆け巡る。
元の世界では越えられない壁、超える機会のない壁を越えてしまったという罪悪感と共に、僅かな高揚感がないはずの喉の奥から湧き上がってくる。
サイクロプスとの戦いでは単純にブレトンの人々を助けようと必死だったし、止めを刺したのはタマモだった。
人間で言えば、アドレナリンがドバドバと分泌されるような状態だったが故に、こんな事を考える余裕もなかったのだろう。
だが、この自分自身が半端に冷静な今の状態では、吾輩が何をしてしまったのかを逆に考える余裕ができてしまった。
駄目だ。落ち着け。
必死に自分を落ち着ける。
半端に冷静?そんなはずはない。
ゴブリンに包囲される非常事態だからこその気持ちだと、自分を落ち着けながら、吾輩は改めて周囲を確認する。
視界にあるのは何が起こったのかも分からずに絶叫する手負いゴブリンと、仲間の死体を見て距離を取る無傷のゴブリン。
どうすれば――いや、考えている時間はない。
どう考えても人間を襲うようなゴブリンは放置できないと二度、三度と消滅魔法を行使する。
今度は音もなく、残された手負いゴブリンたちの上半身が消し飛んだ。
悲鳴も絶叫もなく、彼らは影空間へと転移させられたのだ。
上半身と下半身が分かれ、生きていられる生物など存在するわけもない。
吾輩が吾輩の意志で命を奪ったという事実だけがそこにある。
しかし……。
せめて、死体はこちらの世界にある方が良いだろう。
如何にゴブリンといえども、誰もいない世界に残されるのは良くないと、今度は影空間から通常空間へと戻す形で魔法の力を行使する。
「ギギ……ギィ……」
「ギ……」
うっ……。思わず、心の中でえずく。
消滅魔法で影空間へと送り、そこから戻されたゴブリンはまだ、生きていた。
それはそうだ。消滅魔法は影空間へと移動させるだけの術式だ。
決して見た目通りに消滅させているわけではない以上、影空間に上半身だけを送られれば、上半身だけで生きている。
上下を真っ二つにされて生きていられる生物など存在するわけはないが、上下を真っ二つにされた瞬間に命を落とすわけではないのもまた当然の話。
それ故に、吾輩は自らが生み出したこのグロテスクな光景を見て、自分がこのファンタジー世界に向いた性格をしていないことを自覚した。
吾輩はゴブリンに襲われたのだ。
弱肉強食を常とする自然からすれば、こうして反撃で相手を殺すことなど決して珍しくはないのだろうが、それでも、自分が簡単に命を奪えるだけの力があるのが嫌だった。
きっと、吾輩がやろうと思えば、あの狐耳の少女をこの力で殺すことだって、簡単にできてしまうのだから。
大丈夫。吾輩はそんなことはしない。するつもりもない。
パンと、吾輩はわざわざ源影で頬を叩く仕草をして、先ほどまでの悪い想像を吹っ切る。その気になれば誰かの命を簡単に奪えるなど、前世でも当たり前のことだったのだ。
ガスボンベを爆発させるでも、車で歩行者に突っ込むでも、文明が進んだ分だけその手段には枚挙に暇がない。
吾輩は元人間、人間として節度を持った行動を行うことができるし、多少魔が差しても自制することができる人間だと、これまでも自制してきたではないかと自分に言い聞かせる。
要は使い方だ。免許も資格も何もない状態で魔法なんて力を得てしまったからこそこんな気持ちになるのだと思考を切り替え、現在の状況について考える。
戦闘が始まってから5分か、10分ほどだろうか。
吾輩がゴブリンを相手にしていたのはそう長い時間ではない。
タマモの方を確認すると、彼女は躊躇いなくゴブリンを次々と切り伏せていた。
普段の素振りと変わらぬように剣を振る姿はまさしく無双のソレ。
たった一人の少女が大群を蹴散らすさまに現実感はなく、アクションゲームか何かと言いたくなる人間離れした動きだった。
いや、先のルシアンの話を聞く限り、彼女は人間を越えた亜人という括りであり、このファンタジー世界でも人間を越えた存在ではあるようなのだが……。
「どうしたの? もうおしまい?」
「ぎー!」
「ぎいぃい……」
ある程度のゴブリンを蹴散らしたタマモは、剣を自然体に構えてゴブリンを睥睨する。
まったく傷ついていない……それどころか返り血一つすら浴びていない彼女をゴブリンたちは睨むが、誰一人としてその場から近づこうとはしない。
当たり前だ。近づけば人間を超越した力で全てを蹴散らす狩人に近づきたい奴など存在しない。
息一つ乱していないのだ、如何に数の有利があり、多くの犠牲を払えば勝てる可能性があるとはいえ、勝つための犠牲の一つになりたいわけがない。
「んー……。困ったな……」
そんな一方的に有利な状況を作ったタマモではあるのだが、吾輩はその口から漏れる弱音を確認した。
困る―― 何故――?
現在の状況はタマモが圧倒的に有利、既にかなりの数のゴブリンを討伐している。
ここが現実の世界であるからこそ油断や慢心はなく、その超人的な身体能力を生かして有利な膠着状態を作り出している。
最悪、この状態を維持し続けるだけでもそう遠くないうちに逃がしたルシアンが助けを呼んでくるのは約束されている。
そうすれば戦局は優勢へと移り、やがては掃討になるだろう。
そうなれば、ゴブリンが必要以上に周囲に拡散する心配もないはずなのに、何故弱音をこぼすのか。
「コレ、絶対に親玉がやべー奴じゃん」
吐き捨てるように発せられた少女の言葉に、吾輩はハッとした。
そうだ。犠牲になりたくないならば逃げれば良い。
個々のゴブリンにはその選択肢があるし、それは群れを統率するリーダーが存在しても同じである。
しかし、それでもここから逃げ出さないということは即ち、超人的な力でゴブリンを蹴散らすタマモや、なんだか分からないうちに仲間の体をどこかへと消し飛ばす吾輩よりも脅威度が高いナニカが存在するというわけで――。
パキパキパキ
ざわざわざわ
枝が何物かに押され、葉が擦れる音と共に森の奥から「ぐるるる」という唸り声を上げながら何者かもよく分からない、一言ではとても表現できない容姿の
大きさは先日遭遇したサイクロプスよりも一回り小さいぐらいだろうか。
爬虫類のような頭部に筋肉質の胴体、腕があるべきところには2本の巨大な触手が生え、その先には矢じりのような外骨格が形成されている。
足はその見た目に反してスマートでやや貧弱にも思えるが、スカートのように、あるいはタコの足のように生えた腕と比べるといささか細い、しかしそれでもどっしりとした触手が体を支えるように生えていた。
明らかに人類の敵、人間に仇名すものといわんばかりの容姿である。
「ギーギー!!」
「ギャギャー!!!」
そんな異形のナニカに対してゴブリンたちは道を譲る。
それは間違いなく、ゴブリンたちの親玉がこの怪物であることを示していた。
「なんなの……コイツ……」
タマモの顔が更に険しくなる。
その様子から見るとやはりというか、当然というか、ゴブリンたちの親玉がこんな怪物であるのは異常事態に該当するようだった。
ならば、やるべきことは一つ。
吾輩がアイツを抑える。
そう決心した吾輩は先日のように全力で魔力を流し、源影を巨大化させる。
「ギャイ!?」
「ぐるる……?」
「クロちゃん!」
グン、グン、グンと、音もなく巨大化した吾輩に対してゴブリンは驚きの声を、自分よりも頭一つ大きな巨体に対して怪物は疑問の声を、タマモは吾輩の参戦に喜びの声を上げる。
さしものタマモとはいえこの怪物に1人で挑むのは遠慮したかったのか、声のテンションがいつもよりも若干高い。
「ごめん。この間みたいに、あの化け物に隙を作って貰える?」
勿論と巨大化させた源影に力強く頷かせる。
この急場を凌ぐためにそうしたのだ。
タマモの言葉に否などあろうはずもない。
「おっけい!抑え方は任せた!狙えそうな所から狙う!」
タマモは速やか且つ冷静に吾輩にやって貰いたいことを伝えると、吾輩がそれに頷いたことを確認すると自分が行いたいことを伝達してその場を離れた。
吾輩が抑えにかかったら、その隙を即座に付けるように離れ過ぎず、だが巨体同士の戦闘に巻き込まれないという絶妙な距離感。
「ぐるるるるるぅうおおおおおおお!!!」
そして、そんな風に明確な敵対の意志を向けた吾輩たちに対して新たに現れた怪物が吠え、ここに第二ラウンドが始まった。